理解主義1(共感理解型の授業)
Summary
TLDRこのビデオスクリプトは、東京学芸大学の渡辺達也先生とアシスタントの森田あゆかさんが、社会科教育における理解主義の基本的な考え方とその重要性を解説しています。理解主義は人間の意図や目的を重視し、社会的行動を理解しようとするアプローチであり、社会科教育学の核心概念です。スクリプトでは、理解主義の歴史やその在り方、さらには批判的な視点も提供して、視聴者が社会科教育学の深い理解を深める手がかりとなる情報を提供しています。
Takeaways
- 🎓 この動画は社会科教育学に関するYouTubeチャンネルの第1回目の動画であり、東京学芸大学の渡辺達也先生が主催しています。
- 🤔 渡辺先生がYouTubeを始めた動機は、社会科教育に興味を持つ人々に情報を提供し、学会に参加しなくても理解を深められるようにすることです。
- 📚 視聴対象は主に社会科の先生や学生向けであり、社会を教えることについて考えている人も対象としています。
- 📝 コメントは一時的にクローズドに設定される予定ですが、長文の意見交換は渡辺先生のホームページを通じて行われることになっています。
- 🔍 第1回のテーマは「理解主義」で、社会科教育学の基本となる考え方として選ばれました。
- 📚 「理解」という言葉は、社会科教育学においては一般的に悪いイメージを持っていることが指摘されています。
- 🧐 社会科教育学における「理解」は、人間の意図や目的によって構成された行為を理解することが重要視されています。
- 🤓 「説明」と「理解」は対立する概念であり、説明主義は因果関係に基づく研究方法を重視します。
- 📉 1970年代から80年代にかけての学習指導要領の批判の中で、「理解」という概念が注目され始めました。
- 🚫 理解主義は警戒すべき側面もあるとされており、近年ではその問題点が議論されています。
- 🔄 理解には分析的な理解と共感的な理解があり、特に後者は教育において積極的に取り入れられるべきだとの意見があります。
Q & A
渡辺先生がYouTubeを始めたきっかけは何ですか?
-社会科教育に興味があるという声が現場の先生から多く寄せられ、その理解を助けるためにYouTubeを始めました。また、若い人からの要望も多く、YouTubeが最適な手段と考えたためです。
視聴対象は誰ですか?
-社会科に興味がある人や、社会の先生になりたい人、現在社会科の先生をしている人が主な対象です。しかし、誰でも視聴可能で、社会についての興味を持つ人全般を歓迎しています。
理解主義とは何ですか?
-理解主義は社会科教育学の基本的な考え方で、人間の意図や目的に焦点を当て、行為を理解することを重視する教育スタイルです。
理解と説明の違いは何ですか?
-理解は人間の意図や目的を理解することに焦点を当てるのに対し、説明は因果関係を通じて背景や環境の変化を説明することに重きを置きます。
理解主義が社会科教育学で注目されるようになったのはいつ頃ですか?
-1970年代から80年代にかけて、盛り分け高原先生の研究が契機となり、理解主義が注目されるようになりました。
共感理解とは何ですか?
-共感理解は自分の心情や経験を相手に当てはめて理解する方法で、文学的なアプローチです。自分の経験を照らし合わせながら他者の行動や感情を理解しようとします。
エンパシーとは何ですか?
-エンパシーは分析的に他者の価値観や世界観を理解しようとする方法で、文化人類学などで用いられます。相手の生活や価値観を詳しく見て理解を深めます。
理解主義の教育方法にはどんな批判がありますか?
-理解主義は良い教育方法として注目される一方で、共感理解型の方法は過度に感情に依存しやすく、警戒が必要だという批判があります。
理解社会学とは何ですか?
-理解社会学は、マックスウェーバーが提唱した概念で、理解を方法原理として社会を見ていくことを目指す社会学の一分野です。
社会科教育学で理解が狭い定義として扱われる理由は何ですか?
-社会科教育学では、理解が人間の意図や目的に限定されており、他の分野での広い意味での理解とは異なる狭い定義として扱われます。これは教育の焦点を明確にするためです。
Outlines
🎓 YouTubeチャンネルの開始理由と視聴対象
この段落では、森田あゆかがアシスタントとして、東京学芸大学の渡辺達也先生のYouTubeチャンネルの第1回を紹介しています。渡辺先生は、社会科教育に興味を持つ人々に向けて、YouTubeを通じて情報を提供することを目的としています。社会科教育についての理解を深めるための手段として、YouTubeを利用することで、多くの若い人たちからの要求に応えられると語っています。また、視聴対象は社会科教育に関心がある人、または社会科の先生になりたい人たちであり、学生向けのコンテンツも含まれていますが、コメントは一時的にクローズドにする予定です。
🔍 社会科教育学における理解の概念
第二段落では、社会科教育学における「理解」という概念について解説しています。理解は、人文社会科学の研究方法として源流を持つとされ、人間の意や目的に基づく行為を理解することが重要視されています。説明と理解の対立軸に沿って、社会科教育学では目的論的な理解を重視する理解主義が存在すると説明されています。また、理解の定義が学習科学と社会科教育学で異なることが指摘され、社会科教育学の理解はより狭い範囲で定義されているとされています。
📚 理解主義の歴史的議論と評価
第三段落では、理解主義が社会科教育学でどのように議論されてきたかについて触れています。1970年代から80年代にかけての学習指導要領の批判の中で、理解という概念が注目されるようになりました。特に、小学校の学習指導要領が理解を重視する構成原理となっていることが指摘されています。また、理解主義は警戒すべきものであるとの意見も出てきており、80年代にはその論争があったとされています。90年代には評価が確定してきたが、最近では理解の分析的側面と共感的側面を区別し、特に後者について問題視している議論が見られます。
Mindmap
Keywords
💡社会科教育学
💡理解主義
💡説明主義
💡共感理解
💡エンパシー
💡社会科教育の基本
💡YouTube
💡教育目標
💡学習指導要領
💡教育論争
💡理解の使い方
Highlights
森田あゆかと渡辺達也先生が、社会科教育学に関するYouTubeチャンネルを始めた経緯について話す。
YouTubeを通じて社会科教育に関する知識を広める意義と、特に若い層へのアプローチの重要性。
社会科教育学における「理解主義」の基礎概念と、他の学術分野との違い。
「理解」と「説明」という概念の対立と、社会科教育学におけるその位置づけ。
「理解主義」と「説明主義」の教育的アプローチと、それぞれの強点と弱点。
社会科教育学における「理解」の定義と、人文科学におけるそれに比べた狭い定義の議論。
1970年代から80年代にかけての社会科教育学における「理解主義」の注目と論争。
学習指導要領における「理解」の重視と、その影響と限界の分析。
「理解主義」の教育的アプローチが小学生の学習に与える影響について。
「NG分析」から見た「理解主義」の限界と、教育者への警告。
「エンパシー」と「シンパシー」の概念と、教育におけるその重要性。
「エンパシー」を通じた文化人類学的なアプローチと、異文化の理解を深める方法。
「シンパシー」を用いた文学的なアプローチと、共感を通じた教育の可能性。
「理解主義」の再評価と、現代社会科教育学におけるその位置づけ。
YouTubeチャンネルの視聴対象と、社会科教育学への多角的な視点を提供する意図。
コメント欄の活用方法と、視聴者からのフィードバックを通じた教育的議論の促進。
社会科教育学の専門用語辞典における「理解」の定義と、そのネガティブな捉え方。
「理解主義」の教育的アプローチが持つポジティブな側面と、その再評価の必要性。
Transcripts
[音楽]
[音楽]
始まりました
YouTube
社会科教育学なべたつチャンネル今回が
記念すべき第1回です私はアシスタントの
森田あゆかです
東京学芸大学の渡辺達也先生の
YouTubeのお手伝いをさせて
いただきます
渡辺先生今回YouTubeを始めた
きっかけはなんですか
社会科教育について興味があるとかいう話
が結構最近現場の先生などからも出てくる
ようになってきていてでもよくわからない
とどんな本を読んだらいいのとか
学会にわざわざ参加しないと分からない
ことなのとかまあ
言われるんですよそこで
僕なりに考えたのはですねまあ
YouTubeを作ってみたらどうだろう
とあとその声が大きいそういう声が結構
その若い人から結構出てくるんで
それもまあ考えたらYouTubeという
手段がいいのかなということでちょっと何
人かに相談していらないことも
言ってもカットできるからYouTube
いいですよっていらんこと言うでしょうか
んところではって言われてあそれもそうだ
なと思いましてあの
後でね余計なこと言ったらカットして
もらおうと思ってこれも最後にしました
ありがとう
ございます
視聴対象は主に誰でしょうか
誰でもいいんですけどあの社会に社会化
っていうものに興味があるとかないしは
社会の先生になりたいとかまあ今やってる
ぞっていう方がまあ主な対象だと思って
ますで一応ですね学生
向けに作るという建前はあるんですけれど
もあの
本当にあの
学校って社会どういうふうに考えてんのと
か学者ともは
社会を教えることについて何を考えてんだ
よとか思う人もぜひね見ていただいて
批判的に見ていただいてもいいし肯定的に
見ていただいてもいいんでなんかこうね
あの
コメントをくださればと思ってますただ
コメントはちょっとあの
当面はクローズにしようと思うんですけど
まあ僕のホームページあるので
ホームページの方から入っていただいて
米を下さればと思いますまあ
長い文章が書けるのですの方がいいんじゃ
ないかなと思ってますはいありがとう
ございますでは早速始めたいと思います
第1回のテーマ理解主義ですがあまり聞き
慣れない用語ですねこれを第1回のテーマ
として選ばれた理由は何ですかそうなん
ですかこれ理解主義を選んだのはこれ一番
社会科の教育社会科教育学のまさに一番
基本になるなと思うのと
社会科教育学の考え方がすごくよくわかる
ところだなというふうに自分としては思っ
てるところだからなんですねで
理解っていう言葉あとでもちょっと説明
するんですけど理解という言葉のイメージ
どうですかなんかこうどんなイメージ持っ
てます理解という
理解は
そうですね
勉強して
覚えるとか
なんか悪いイメージ
暗記とか
暗記いや
実はねいや
実はね業界によってちょっとね理解の使い
方が違うんですねこれあのー
西岡香苗先生っていう京都大学の先生が
翻訳されてたアメリカでもよく使われてる
んですけど
えーアンダースタンドバイデザインていう
ウィンズマクタイという人が書いた本の
翻訳版なんですが
理解をもたらすカリキュラム設計とあり
まして
理解これはもう理解は大切なんですよ
理解が学校の目標ですよっていうスタイル
のものなんですねところが実はね社会科
教育学の世界ではあまり理解っていうのは
良いイメージを持たれてないんです
これ
辞書なんですけどこの社会科重要用語辞典
っていうのが比較的最近出たものなんです
がこの中でも理解の
理解についてはかなりネガティブに捉え
られてるっていうような話が出ていまして
おそらくこれがもうあの
社会科教育学を
勉強したことがある人とそうじゃない人が
急に社会科の教育学を見た時とでまず
エラーする部分だと思うんですねだから
これちょっと取り上げてみようかなという
ふうに
感じたんですはいありがとうございますで
も早速解説のほどよろしくお願いしますお
願いしますじゃあ画面をね変えていきたい
と思います
社会科教育学における理解とはってこと
ですけどちょっと面倒くさいんですけど
辞書の中身なんですけど読んでもらって
いいですか
はい
社会科の授業原理としての理解は
ドイツの精神科学派の議論が源流にある
この理解は
自然科学の説明による研究方法に対して
人文社会科学の研究方法として
ビル体や
シュプランがによって確立された理論で
ある
理解型社会科事業では人間の意や目的に
よって
構成された行為が理解の対象となる
ゆえに人間の行為による社会的
自称の有機的な
連関や
構造を読み解くのが理解型社会科事業の
ポイントになるちょっと福田先生って方が
書かれたものでありますがこれちょっと
ややこしいですねまあでもこうやって見て
いくとまず理解っていう概念とは
対抗する概念として説明っていう概念が
あるんだっていうことをがまずポイントに
なっていますでその中で理解というのは
特に人間の意図や目的によって構成された
行為が理解の対象となるつまり人々の
気持ちとか目的とか意思とかそういった
ところに入り込んでいってそれを理解する
ことで社会を理解していこう
っていうスタイルのものに限定して使っ
てるんですね実はでそれとは別に説明って
いう概念が別個にあるんですよっていう
ことをここでは実は説明されていますで
これはもともとドイツの方でこういった
使い分けがあるということで実はちょっと
あの本を
写真で載せてますけれども
説明と理解という本があってまあまさに
対抗軸に対抗関係にあるっていう風に書か
れているわけですつまりこの説明なんです
けどこれはね因果論的に説明するという
やり方でして
要は何でですかって問われてなぜならこう
いう背景があります本人の気持ちとは別に
社会の構造が変わります精度が変わります
ねないしは環境とかが高変化していますと
いう風にそこから理由を説明していくん
ですね人間以外の存在が人間の行動に
大きな影響は基本的には及ぼすのだとだ
から人よりもその
外の外在的なものをしっかりと見ていこう
よっていうスタイルそれが実は説明という
概念でそこを重視する教育論を説明主義と
我々を呼んでるんですね
リンガロン的な説明を重視する説明主義
それに対して
理解というのは先ほどもありましたけど
人間の目的とか意図っていうところに注目
しその心情が
すごく人間の行動に大きな影響を与えるん
だからまず人間の内面に入っていこうよっ
ていうスタイルなんですだからすごい個人
とかに重視あの焦点を当てていくんですね
目的論的理解というふうな言い方をするん
ですがその目的論的な理解というのを重視
するスタイルのことを実は理解主義と我々
の世界では呼んでます
で
実はこれに近い理解の活用法としてはです
ね
理解社会学なんて言葉がありましてね
例えばマックスウェーバーが理解を方法
原理として
社会というのを見ていきましょうという
ことでこの理解社会学という言葉をですね
提唱してたりするんですねとなってくると
ちょっとややこしいのは学習科学と
学習科学とか普通の教育学なんかで使う
理解と
実は社会科教育学でいうとこの理解って
いうのはちょっとね定義が違っているん
ですでちょっとね
ごめんなさいおそらく
ルンゲゲームっていうのがいるんですよ
モンスターという漫画の中に出てくるん
ですが彼が何かあるとですねその
登場人物の中に入り込んで私は天馬だとか
私は何々だとか言ってこう
入り込んで行動を理解しようとするんです
けどこの世界観に近いんじゃないかなと僕
はねちょっと感じておりますちょっと漫画
の差し入れだから出させてもらいました
でちょっと図にするとね僕のイメージです
けどこういう風に考えてましてまあ
おそらくアンダースタンドっていうのは
あの
大きく分かり方全部を多分一般の学習科学
は指してらっしゃるんだと思うんですね
ところがもうだからこの本も
わかるっていうのはいろんな分かり方全部
含んでるんですよであまり
竿
区別をしてないんだと思うんですあの
いろんな分かり方があっていいでしょって
いうぐらいの感覚だと思うんですけど
我々の業界はその分かるの中にも色々ある
ことをまず認識した上で
実はね襟分けていくってところがちょっと
ありましてまあ少なくとも
理解っていう目的論的な理解っていうのと
さっきちょっと説明って言いましたけど
認識ということもあるんですね
説明認識
説明もその一部を構成してるんですが
認識という例えば一般化累計かとか特色を
まあ見ていくという特色の体感とか
インガロン的な説明っていうのはもう含め
て全部で認識ということはよく使ってます
で
対抗関係に見ていて
実は
業界としては緑色の部分が実はまあ重要
じゃないのっていう人が多いんです
もちろん青色の部分が不要だという人も
いるしいやこれはやっぱり使い方次第だっ
ていう人もいるんですけど
基本やっぱり分けて議論する傾向があるん
ですね
ありがとうございます
学習科学と社会科教育学ので理解の意味
するところが違うということですよね
社会科の方が狭い
定義なんですねそうですね
社会科の方が狭い定義に多分なっていくの
かなって思います
いつ頃から社会科教育学で理解が議論さ
れるようにいつぐらいかというとですね
まあおそらくそうねちょっとこっちの方
から見ていこうかと思いますけれども
1970年代から80年代にかけて
盛り分け高原先生という方がですねまあ1
連の研究を出していくんですねちょっと
次の
次回多分作るところで
次回のYouTubeでちょっとその
あたりの話を詳しくやりたいと思うんです
がまああの学習指導要領を批判していくと
いう中で実はこの理解という概念が注目さ
れていくことになっていきますまあ要は
特に小学校の学習指導要領が実はこの理解
っていうのすごく重視する
ような構成原理になってるんですねで人物
学習とかすごく重視しませんでした小学校
の時人物を焦点当てるそうですね
農家の何々さんとか
徳川家康みたいな
でも知らないうちに理解主義っていうやつ
にやっぱりなっていきやすくどんな気持ち
だと思いますか
農家の人の気持ちになってみようみたいな
なんかそんなアプローチとかなかったです
やりましたそれなんですよ
多分先生は理解主義をやるとか思ってない
けど
自然とそういう学習になっていくっていう
動きがありましてまた
同じ頃にその安い投資を先生が
スパルタクスの反乱っていう授業ですね
まあちょっと作っていくわけでこの時共感
理解っていうのがすごくこう
重視される授業だったんですねでこれなど
も是非を含めて大きな話題になったんです
ねまあですから70年代80年代に注目さ
れることになっていったんですが社会科学
が人によって色々な意見ありますけども今
例えばこれ棚橋先生の
ご本ですが
社会科事業
参加事業の
社会科の事業診断か
良い事業に潜む危うさ研究って書いてある
んですけどまぁ要はこれ良いって言われて
て本当に良いのっていう事例として実は
このやっぱり理解主義登場してきます
つまり
いいとこもあるかもしれないけど警戒し
なきゃいけないこといっぱいありますよ
ですしもっと露骨なのはこの
角田先生の書いた
NG分析から導く社会事業の進行式って
いう本で
非常に面白いんですけどNGって
NGの授業がありますって言われた時の第
1番目に出てくるんですこの理解主義が
一番やっちゃいけないよっていう
はっきりとこれはもうあの立場鮮明にして
ますので
すべての人がですね一番悪い事業と思っ
てるかどうかって言われるとちょっと微妙
なんですけどまあ大体警戒しなきゃいけな
いっていう論者が
多いんですで
80年代ぐらいにその論争があって
90年代ぐらいまあまあ評価が確定して
いったっていうふうな印象で僕見てます
で今ちょっとね見直しっぽいことも行われ
てるんです
理解って言っても実は分析的に理解して
いくものと
共感的に理解していくものってやっぱり
分けなきゃいけないんじゃないっていう
ことでまあエンパシーとシンパシーという
言葉はね実はあるんですねはいで
エンパシーっていうのはもう本当にあの
ドイツのまさに理解社会学じゃないんです
けど分析的にその人の価値観とかものの見
方っていうのを見ていこうじゃないかと
いう
スタイルのものなんですこれ元々文化人類
学とかが多分やってるやり方でどういう
ことかって自分とは全然違う価値観を持っ
てる人がいてその人の価値観っていうのは
自分の尺度で分かれないですよねだから
その人の
生きている生活空間とかそういったものを
見ていきながらなぜその人はそんな行動を
取るのかなどんな
価値観を持っているのか
どういうその世界観を持っていらっしゃる
んだろうっていうのを
丁寧に見ようとするスタイルなんです
例えば
一見途上国の方っていうのは遅れてる
例えば私ブラジルに行ったことあるんです
けど
ブラジルの人働かないんですよ我々の目
から見たら時間も守らないし
本当に腹立つんですけどでもやっぱりそこ
で遅れてるとか
怠け者っていう見方は我々の価値観から
見るからそう見えるのでおそらく全然違う
世界観を持って行動を取ってらっしゃるん
ですよ実際はであるならまずそのブラジル
の生活っていうのをしっかり見ていき
ながら
彼らはどういうその世界観を価値観でその
行動をとっているのか
逆に
彼らから見ると私たちは世話しないように
見えるらしいんですそうなんですね何の
ためにってなるので分析的に見ていこうと
するわけです自分っての1回押さえてで
共感理解っていうのは逆で
自分の
心情や経験を
相手に当てはめるっていうのが基本
私もあの時辛い思いをした
彼女もそう思ってるに違いない
私はの時
楽しかった
同じような気持ちはあの人は持ってるん
じゃないかっていうのは共感なんですね
これは
その人のライフヒストリーを自分の経験
などを照らし合わせながらツイ体験して
共感的に迫っていく文学のような
アプローチになっていきますでまずこれを
やっぱり分けていくべきであってまあ特に
後者の共感理解というものについて
特に限定的に理解型共感理解型っていう
ふうに呼んで
問題視していこうじゃないかとエンパシー
の方は
むしろ
積極的に進めてもいいんじゃないでしょう
かっていう議論が最近は出てきています
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