【アニメで解説】パレスチナ問題の前提となる歴史3000年分を一気に!▼
Summary
TLDR動画では、パレスチナ問題の歴史を古代から近代にかけて詳しく解説しています。紀元前1000年頃にはイスラエル王国が存在し、エルサレムに神殿を建てたが、その後はローマ帝国やイスラム帝国の支配を受け、長い間ユダヤ人は散らばりました。第一次世界大戦後、イギリスの委任統治下でユダヤ人移民が増加し、アラブ人との摩擦が生じました。国連の決議により、1948年にイスラエル国が建国し、アラブ諸国との戦争が勃発。この地域は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であり、平和的な解決が求められています。
Takeaways
- 🌟 パレスチナ問題は、イスラエルとパレスチナの間で70年以上にわたって繰り返されてきた深刻な問題です。
- 🏛 紀元前1000年頃には、ユダヤ人がイスラエル王国を建国し、エルサレムに神殿を築きました。
- 📜 ローマ帝国の支配下でユダヤ人は追放され、ヨーロッパ各地に散布し、約2000年間にわたって国を持たなくなりました。
- 🕌 パレスチナは長い間イスラム教の支配下にあり、エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって重要な聖地です。
- 📜 ローマがユダヤ属州をパレスチナと改名し、その後は東ローマ帝国などによって支配されました。
- 💼 ロスチャイルド家など、ヨーロッパのユダヤ人銀行家から支援を受け、ユダヤ人の帰還を促進する動きが強まりました。
- ⚔️ 第一次世界大戦前には、イギリスはアラブ人に対して独立を約束し、ユダヤ人に対しても帰る場所を確保すると約束しました。
- 🏙️ パレスチナは、委任統治によりイギリスの支配下になり、ユダヤ人移民が増加し、アラブ人との摩擦が始まりました。
- 🌐 第二次世界大戦後、国連はパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する案を決定しました。
- 🇮🇱 1948年5月14日、イスラエルは独立を宣言し、アラブ連盟5カ国がこれに反発し、中東戦争が勃発しました。
- ⏳ 現在は、イスラエルとパレスチナの紛争が続いており、世界中で深刻な問題視されています。
Q & A
パレスチナ問題の歴史的背景を簡単に説明してください。
-パレスチナ問題は、イスラエルとパレスチナの間で70年以上にわたって繰り返されている問題です。その歴史的背景は、3000年もの歴史にわたってユダヤ人、アラブ人、そして他の勢力がエルサレムを巡って紛争を続けてきたことにあります。
イスラエル王国はどの時代に存在しましたか?
-イスラエル王国は紀元前1000年頃に存在し、エルサレムに首都を置いていました。ユダヤ人の建国であり、神殿を築きましたが、新バビロニアの攻撃により崩壊し、ユダヤ人はバビロニアへ連行されました。
ユダヤ人の2000年近い流離失所の歴史とは何ですか?
-ユダヤ人はローマ帝国によって追放され、ヨーロッパ各地に散らばりました。その後2000年近く、ユダヤ人は国を持たない民として迫害を受けながら暮らし、中世以降には金貸しや商人として成功する者も出てきました。
エルサレムが3つの宗教に共通の聖地である理由は何ですか?
-エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教に共通の聖地です。ユダヤ教では発祥の地であり、キリスト教ではイエスキリストが磔に遭った場所、イスラム教では預言者ムハンマドが昇天したとされる場所として重要です。
第一次世界大戦前後、パレスチナにどのような変化が起こりましたか?
-第一次世界大戦前はオスマントルコがパレスチナを支配していましたが、戦争の結果、オスマントルコが解体し、イギリスが委任統治下にパレスチナを支配しました。その後、ユダヤ人移民が増加し、アラブ人との摩擦が始まりました。
国連による1947年の決議では、パレスチナはどう分割される予定でしたか?
-1947年の国連決議では、パレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する予定でした。しかし、アラブ側はこれに納得がいかないで、ユダヤ人側に即座に攻撃を開始しました。
イスラエルの独立宣言はいつ行われましたか?
-イスラエルの独立宣言は1948年5月14日に行われました。同日、アラブ連盟5カ国がイスラエルに対して戦争を宣言し、中東戦争が始まりました。
ユダヤ人移民がパレスチナへ増加した背景には何がありましたか?
-1930年代にはナチスドイツの台頭により、迫害されたユダヤ人が欧州から脱出し、大量にパレスチナに押し寄せました。また、イギリスの外交政策もユダヤ人移民の増加に寄与しました。
イスラエルとパレスチナ問題を巡って、世界でどのような見方がありますか?
-イスラエルとパレスチナ問題は世界で最も深刻な問題の一つとされており、130を超える国々がパレスチナを国家として承認しています。一方で、日本は公式にはパレスチナを国として承認しておらず、パレスチナ自治区と呼称しています。
エルサレムの宗教的な重要性とは何ですか?
-エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教の聖地であり、それぞれの宗教にとって非常に重要な場所を兼ね備えています。そのため、エルサレムを巡っての紛争が長年にわたって続いています。
ユダヤ人の帰還運動とは何ですか?
-ユダヤ人の帰還運動は、祖国を失ったユダヤ人の子孫たちが、先祖が神と契約した約束の地、現在のイスラエル領域へ移住しようとする運動です。一部の富裕層が支援し、第一次世界大戦の際にはイギリスと約束を交わして推進されました。
アラブ人とは何ですか?
-アラブ人は、中東地域に住む人々を指し、イスラム教を信仰する人々が多くいます。パレスチナ問題においては、パレスチナ地域に住むアラブ系の人々を指すことが多く、彼らの権利と状態は問題の核心に位置しています。
Outlines
🏛 パレスチナ問題の歴史と現代の争い
この段落では、パレスチナ問題の歴史と現代の争いを紹介しています。パレスチナ問題は、イスラエルとパレスチナの間で70年以上にわたって繰り返されてきた問題であり、世界で最も深刻な問題の一つとされています。パレスチナ問題を理解するためには、3000年の歴史や、イスラエルとパレスチナと世界との関係を知る必要があります。この動画では、古代から近代までの歴史を学ぶことで、パレスチナ問題の根っことなる前提の一部を理解し、ユダヤ人の建国、イスラエル王国、そしてその後のイスラム帝国の支配など、長い歴史を遡ります。また、エルサレムという聖地の存在が、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって共通の重要な場所であると説明されています。
🌐 パレスチナ問題の歴史的背景と第一次世界大戦
この段落では、パレスチナ問題の歴史的背景と第一次世界大戦の影響について述べています。ユダヤ人の祖先は紀元前1000年頃にイスラエル王国を建国し、エルサレムに神殿を築きましたが、その後は様々な勢力の支配を受け、ユダヤ人はヨーロッパ各地に散らばりました。第一次世界大戦前にはオスマントルコがパレスチナを支配しており、戦争中にはイギリスがアラブ人に対して独立を約束し、ユダヤ人に対してもパレスチナを帰る場所とする約束をしました。しかし、これらの約束は矛盾しており、オスマントルコの解体後にイギリスの委任統治となり、ユダヤ人移民が増加し、アラブ人との摩擦が始まりました。1930年代にはナチスドイツによる迫害により、ユダヤ人移民がパレスチナに押し寄せ、両者の対立が激化しました。
🕊️ パレスチナ分割計画とその後の紛争
最後の段落では、国連によるパレスチナ分割計画とその後の紛争について説明しています。1947年に国連はパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する案を決定し、イギリスは委任統治を終了し、1948年5月14日にイスラエルは独立を宣言しました。しかし、同日、アラブ連盟5カ国がイスラエルに対して戦争を宣言し、中東戦争が勃発しました。この紛争は長い間続いた結果、現在イスラエルとパレスチナが分断された状況となっています。この段落では、紛争の経緯と、その後の現代編に続く旨を要約しています。
Mindmap
Keywords
💡パレスチナ
💡イスラエル
💡エルサレム
💡ユダヤ人
💡アラブ人
💡中東
💡国連
💡オスマントルコ
💡ロスチャイルド家
💡ナチスドイツ
💡中東戦争
Highlights
5月10日からイスラエルパレスチナ地域で衝突が発生、5月21日に停戦が宣言されましたが緊張が続いています
パレスチナ問題は70年以上にわたるイスラエルとパレスチナの間の問題であり、世界で最も深刻な問題の一つとされています
パレスチナ問題を理解するには3000年の歴史と国々との関係を知る必要があります
日本は公式にパレスチナを国として承認していませんが、130を超える国からは国家として認められています
紀元前1000年頃、ユダヤ人がイスラエル王国を建国し、エルサレムに神殿を築きました
ローマ帝国の支配下でユダヤ人は独立を求めて反乱し、敗れて追放されました
ユダヤ人はヨーロッパ各地に散り、2000年近く国を持たずに暮らしました
エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教の聖地です
ユダヤ人の子孫は世界各地で迫害を受けながらも、ユダヤの教えを守り続けました
第一次世界大戦の際、イギリスはアラブ人やユダヤ人に対して独立を約束しましたが、その後の混乱を招きました
1930年代にナチスドイツの台頭により、ユダヤ人は欧州からパレスチナに大量に移住しました
国連は1947年にパレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する案を決定しました
1948年5月14日、イギリスが軍を引き上げ、ユダヤ勢力はイスラエルの独立を宣言しました
同日、アラブ連盟5カ国はイスラエルに対して戦争を宣言し、中東戦争が始まりました
イスラエルとパレスチナの地域は古くからユダヤ人の国でしたが、外敵の侵入により滅亡し、ユダヤ人は散りました
第一次世界大戦後、パレスチナはイスラム教の支配下にあり、アラブ人が暮らしていました
第二次世界大戦後、国連の決定によりパレスチナは2つの国に分割されましたが、アラブ側が納得がいかないで攻撃を開始しました
Transcripts
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dare
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はいみなさんこんにちはコアラ先生です
今回のテーマはパレスティナの歴史古代から近代編です
5月10日から中東のイスラエルパレスチナ地域で衝突が発生しています
5月21日に停戦の運びとなりましたが今なお業者の緊張が続いています
パレスチナ問題と呼ばれるこれらのニュースはユダヤ人の国である
イスラエルとアラブ神の国であるパレスチナの間で70年以上にわたり繰り返されてき
た問題で世界の中でも最も深刻とも言われる分そうです
このパレスチナ問題を理解するためには3000年もの歴史や両国と世界の国々との
関係など深く複雑な背景を知る必要がありますが簡単にハープができる内容ではあり
ません
そこでこの動画ではパレスチナ問題の歴史
特に古代から近代に至るまでの歴史を学ぶことでパレスチナ問題の根っことなる前提の
部分の概要をつかんでいきたいとおもいます
この動画とは別にユダヤ人のことを詳しく説明した動画や続編にあたる
中東戦争の解説も作成していますのでそちらも併せてチェックしてみてください
それからこのチャンネルでは政治や経済の事について10分くらいで簡単に学べる動画
を定期的に配信していますので興味を持っていただけた方はぜひ
ちゃん
いる投稿して先生と一緒に学んでいきましょう
ではまずパレスチナイスラエルの現状について確認をしていきたいとおもいます
パレスチナイスラエルは中東アラブ地域に位置していてパレスチナはイスラエルに領土
を囲まれるような形で存在しています
ちなみに日本は公式にパレスチナを国として承認していないためパレスチナ自治区と
いう呼び方をしていますが130を超える国からは国家承認済みであり国際的には
パレスチナ国という見方もされています
何故このような複雑な状況になっているのか1から理解するためには約3千年ほど歴史
を遡る必要があります
紀元前1000年頃現在のパレスチナイスラエルのあたりにはいにしえのユダヤ人が
建国した
イスラエル王国がありました
イスラエル王国は首都エルサレムに立派な神殿を築き
神を信仰していましたが新バビロニアから攻め込まれ報告は崩壊
一時ユダヤの民はバビロニアへ連行され生活しますが
バビロニアがまた別の国に滅ぼされたことでユダヤ人たちはエルサレムへの帰還が許さ
れ
これ以降た国の支配の下ではありながら
ユダヤの神への信仰を続け生活をしていました
その後ローマ帝国の支配下に置かれこのあたりはユダヤ属州とされました
しかし厳しい弾圧の中でユダヤ人たちは独立を求め
ローマと戦いましたが敗れこの地を追放されることになりました
ここからユダヤ人はヨーロッパ各地に散らばり
以後2000年近く国を持たない民として暮らしていくことになります
ローマもユダヤ属州という名称を配して新たにパレスチナという名を採用しました
それから約500年の間パレスチナの地はローマ帝国とそれを引き継いだ東ローマ帝国
の支配下にありましたが
西暦600年代にはアラブ地域でイスラム教が起こり
パレ室やもイスラム帝国の支配下に置かれました
西暦100099年から約100年程度は10自分と呼ばれるキリスト教の勢力が
エルサレムを支配しましたが再び
イスラム規制力により制圧され以後いくつかのイスラム国家が入れ替わりこの地を支配
していきました
あらゆる勢力がこの家を手に入れたがるのには理由があります
それは聖地エルサレムの存在です
実はユダヤ人が進行するユダヤ教やキリスト教イスラム教はすべて同じルーツを持つ
宗教でそのすべての生地がエルサレムに集合しているんです
ユダヤ教にとっては発祥の地であり神の国である古代イスラエル王国が信玄を立てた
土地です
新田は何度か建て直されましたが現在も2000年前の神殿の一部が残されていて嘆き
の壁と呼ばれ
ユダヤ教徒にとって唯一無二の聖地となっています
キリスト教徒にとってはイエスキリストが磔にあったのがエルサレムであり
ゴルゴダ農家とされるその場所にはローマ帝国によって聖墳墓教会が作られています
そしてイスラム教の預言者ムハンマドが昇天したとされる
岩のドームもこの地にありエルサレムの旧市街と呼ばれる場所には生地がひしめき合っ
ているんです
一方で祖国を失ったユダヤ人の子孫たちは世界各地に散らばりながらもユダヤの教えを
守り受け継いでいきました
常に京都マイノリティであることから迫害を受けながらも
中世以降は金貸しや商人として成功する者達が現れ出しました
そして次第に先祖が神と契約した約束の地
現在のイスラエル駅間しようという運動が起こるようになり一部富裕層となっていた者
たちが支援する形でこれが実行に移されるようになりました
大きな転機が訪れたのが第一次世界対戦のころです
対戦前 l 債務を含むパレスチナを支配していたのはイスラム教の大国である
オスマントルコでした
1914年に第一次世界対戦が始まり
富士ギスフランスロシアなどの狭小国とドイツオーストリア
オスマントルコの同盟国が争いました
この時イギリスは戦争に勝利するためいくつかの約束をしました
一つがアラブ人に対する約束で当時
オスマントルコの支配下に入っていたアラブ人勢力に対して
オスマントルコに買った暁にはアラブ人が独立できるようにするので反乱を起こして
ほしいというものでした
さらにユダヤ人の銀行家で当時欧州主要国で財を築いていた
ロスチャイルド家に対してはオスマントルコからパレスチナの地を奪い取ったら
ユダヤ人の帰る場所をつくると約束し巨額のシーンを取り付けました
さらに共に戦ったフランスとの間ではオスマントルコの領土をどのように切り分けるか
細かい取り決めをしていました
それぞれの約束は完全に矛盾するわけではなかったものの刑事があいまいな部分も多く
それぞれに大きな期待を抱かせたことから実際に京商国側が勝利し
オスマントルコが解体された後には大きな混乱を招きました
そしてこのイギリスの外交は三枚舌が行こうと言われ批判を受けました
オスマントルコなきゃとパレスチナは委任統治という形でイギリスの支配下に置かれ
ました
ユダヤ人の帰る場所をつくるという先の約束は原住民であるアラブ系パレスチナ人の
権利を侵害しないと明記されていましたが
ヨーロッパ各地からユダヤ人移民は増え続け次第にアラブ人と摩擦を起こすようになり
ました
そして1930年代になるとナチスドイツの台頭により
迫害されたユダヤ人が欧州から脱出し大量にパレスチナに押し寄せました
宗教文化の大きく違う2つの集団が短期間の間に共存し合うことは難しく
両者の争いは日を追うごとに厳しいものになっていきました
アラブ人ユダヤ人いずれからも過激な組織が現れ始め
イギリス当局もテロの攻撃にさらされるようになりました
そして第2次世界対戦を経て氏リスは委任統治を限界と判断しパレスチナの育成を国連
に委ねました
そして国内に多くのユダヤ人を抱えるアメリカやユダヤ難民を抱えきれずに困っていた
ヨーロッパ諸国などの影響を受け
1947年国連でパレスチナを
ユダヤ人国家とアラブ人国家に分割する案が決議され賛成多数で可決されました
イギリスはこれ以上ことに関わらないという医師から投票を棄権し
委任統治も翌年のうちに終了させると宣言しました
そして翌1948年 may14
イギリスは軍を引き上げたいした準備も整わないままはパレスチナの問題は新たな展開
へと進んでいくことになりました
同じ14may にユダヤ勢力は深刻化イスラエルの独立を宣言しそして同日
パレスチナの周辺国である
エジプトレバーのシリアヨルダンイラクのアラブ連盟5カ国はイスラエルに対し戦争を
宣言するここから長きにわたる中東戦争
と突入していくことになりました
それでは今回のまとめです現在イスラエルとパレスチナに分かれている地域は古の時代
にはユダヤ人の国がありましたが
外敵の侵入により滅亡しユダヤ人も世界中に散り散りになりました
その後パレスチナと呼ばれるようになったこの地は長い期間イスラム教の支配下にあり
現地のアラブ人たちが暮らしていました
第一次世界対戦後に支配国であったオスマントルコが解体されたことでイギリスの統治
下に置かれたパレスチナには散り散りになっていたユダヤ人たちが移り住むようになり
次第にアラブ人との摩擦を強めました
第二次世界対戦後国連によりパレスの2つの国に分割するよう取り決められましたが
納得がいかないアラブ側が即座にユダヤ側に攻め込む
ここから長い紛争の時代が始まっていきました
以降は戦後から現代までのパレスチナイスラエル紛争を開設した
現代編につづきますのでぜひそちらもご覧いただき
理解を深めていただければと思いますそれでは今回も最後まで見てくれてありがとう
ございました
またお会いしましょう
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