【落合陽一】現代の“勤勉さ”は「日本人が余計に作り上げたもの」「市場資本主義、金融工学に毒されてしまった」知の巨匠、松岡正剛が編集工学者としてのルーツと日本を語る!なぜ『少数なれど熟したり』が大事か?
Summary
TLDRこのビデオ脚本は、編集工学のパイオニアである松岡誠吾さんのインタビューを通じて、編集工学の概念とその社会的意義について深く掘り下げています。松岡さんは、人間の生活や文明の進化において編集が果たす役割を探求し、メディア開発や社会課題解決への応用可能性を語ります。また、現代の文明論や文化論が直面する課題や、日本社会の勤勉性と曖昧性についても議論し、多角的な視点から編集工学の重要性を強調しています。
Takeaways
- 😀 スクリプトは編集工学とその応用について深く掘り下げた議論を提供している。
- 🌏 編集工学は、情報のインとアウトの間に潜む編集という営みを研究化し体系化することで、メディア開発や社会課題の解決に応用できる分野である。
- 👨🏫 松岡誠吾さんは編集工学のパイオニアであり、その分野に貢献を続けている。
- 📚 松岡さんは、深夜の文化や日本文化の革新地の編集工学に関する多数の書籍を執筆している。
- 🦗 松岡さんの子供時代の経験から、変化や編集の概念に対する興味が芽生えた。
- 🎥 黒沢明の映画編集やスポーツの戦術など、さまざまな分野で編集の概念が応用されている。
- 🤔 スクリプトでは、人間の身体や行動、思考を情報の塊として捉え、編集の概念が適用される可能性について考察している。
- 🏛️ 現代社会において、市場資本主義や金融工学などの影響下にあると感じる人たちが、新しい文明論の必要性を主張している。
- 📉 松岡さんは、文明論や文化論の現在の状況が不十分であり、新たなアプローチが求められていると語っている。
- 🕊️ 1920年代の文化的な勃興とその後のリセット、そして現在の状況を比較することで、時代の変化とそれに伴う思想の進化について考えている。
- 🇯🇵 日本の勤勉性と曖昧性について、社会構造や働き方改革の影響を考察し、そのバランスについて議論している。
Q & A
編集工学とはどのような学問分野ですか?
-編集工学は、情報を編集するプロセスを研究化し体系化することで、メディア開発や社会課題の解決に応用できる学問分野です。
松岡誠吾さんはどのような経歴を持っていますか?
-松岡誠吾さんは、1944年に京都府生まれで、1971年に出版社を設立し、1987年に編集工学研究所を設立しました。また、2000年からは深夜札の連載を開始しています。
松岡さんが編集工学に興味を持ち始めたきっかけは何ですか?
-松岡さんは、小学校の頃から昆虫に興味があり、その変化や成長を観察することで、編集や変化についての興味を持つようになりました。
編集工学が注目される背景には何がありますか?
-編集工学は、情報のインとアウトの間に潜む編集という営みに対して、情報編集の仕組みを体系化することで、メディア開発や社会課題の解決に応用できるためです。
松岡さんが提唱する編集工学の主要な聴き手は誰ですか?
-松岡さんが提唱する編集工学の主要な聴き手は、深夜察日本の方法多独術日本文化の革新地の編集工学などです。
松岡さんはなぜ勤勉性と曖昧性を持つ日本について考えていますか?
-松岡さんは、日本が曖昧性を楽しむ性質と勤勉さを両方持っているという点に興味があり、その背後にある社会構造や価値観について考えています。
松岡さんが編集工学を通じて解決したいと思う社会課題は何ですか?
-松岡さんは、市場資本主義や金融工学、物質主義などに毒されている現代社会の問題を、編集工学を通じて解決したいと考えています。
松岡さんが提唱する編集工学のアプローチはどのようなものでしょうか?
-松岡さんは、編集工学を通じて、日常行為や生物の進化、歴史を編集対象にし、数値化や線引きを行い、工学的なアプローチを提唱しています。
松岡さんが注目する文明論や文化論の現在の状況についてどう思われますか?
-松岡さんは、現在の文明論や文化論が白狂気的なものをやっている世代がなかなか育たないという問題点に注目し、新しいアプローチが求められていると思われます。
松岡さんが過去100年間の変化についてどのように考えていますか?
-松岡さんは、過去100年間の変化について、科学技術が大きく進歩した一方で、文明論や哲学的な側面で引き受けられていない部分があると感じています。
Outlines
😀 編集工学と社会の変化
この段落では、編集工学の概念が紹介され、情報の編集と表現の仕組みを研究化し体系化することでメディア開発や社会課題の解決に応用できると説明されています。編集工学研究所のホームページによると、編集とは情報のインとアウトの間に潜む営みであり、人間が日常的に行う様々な行為に潜むプロセスです。また、人間は情報の塊であり、食べ物や身体そのものが情報でできていると指摘されています。編集工学は、これらの情報をどのように編集し、社会に与えるかを研究する学問と言えるでしょう。
🤔 個人の経験と編集工学
段落2では、編集工学と個人の経験がどのように関連するかが語られています。スピーカーは、自分の子供時代の経験や昆虫の観察から、変化や編集の概念に興味を持つようになったと述べています。また、高校での新聞部での経験から、情報の編集がどのように行われるかを実感したと語っています。この経験から、編集は日常的な行為であり、情報の選択や表現が編集プロセスの一部であると認識しています。
🧐 文明論と編集工学
この段落では、文明論や哲学と編集工学の関係が議論されています。スピーカーは、文明論者が持つ知識や視点を編集工学の視点から見直す必要があると指摘しています。また、市場資本主義や金融工学などの現代社会の概念が、人類の進化や歴史をどのように編集しているかについて考えています。文明論や哲学は、これらの現代的な概念をどのように編集し、新しい文明論を構築するべきかについて議論しています。
🤓 勤勉性と曖昧性
最後の段落では、日本の勤勉性と曖昧性について語られています。スピーカーは、日本社会が曖昧性を楽しむ性質を持っているにもかかわらず、なぜ勤勉に働くことができるのか疑問に思っています。また、現代の労働環境や働き方改革、セーフティネットなどについても触れています。この段落では、日本社会の特性と、それがどのように編集工学の視点から捉えられるかが議論されています。
Mindmap
Keywords
💡編集工学
💡情報の編集
💡文明論
💡曖昧性
💡ホモデウス
💡メディア開発
💡社会課題
💡文化の革新
💡市場資本主義
💡勤勉
Highlights
編集工学は、認識記憶表現、情報のインとアウトの間に潜む営みを研究化し体系化することで、メディア開発や社会課題の解決に応用できるもの。
松岡誠吾は編集工学のパイオニアであり、深夜察日本の連載を開始して多くの人々に影響を与えている。
編集工学は、日常生活の様々な場面で自然に使われているが、その重要性はまだ十分に認識されていない。
松岡誠吾は、編集工学を通じて、文明論や文化論を新たな視点から捉えようとしている。
現代の社会は、市場資本主義や金融工学などの影響を受けており、新しい文明論のアプローチが求められている。
松岡は、編集工学を用いて、人間の身体や食べ物、情報など、様々な情報の塊を分析し、編集する。
編集工学は、情報の編集プロセスを工学的に捉え、数値化や線引きを行い、問題解決に役立つ。
松岡は、編集工学を通じて、日常行為や生物の進化、歴史を分析し、新たな理解を提供している。
編集工学は、人間の注意のカーソルやアテンションを捉え、情報を編集するプロセスを研究している。
松岡は、編集工学を応用して、戦争や疾病などの社会問題を分析し、新たな視点から捉えている。
松岡は、編集工学を用いて、人間の生活や文化の多様性とその変化を捉え、理解を深めている。
松岡は、編集工学の理論を応用し、現代のメディアや社会現象を分析し、新しい洞察を提供している。
松岡は、編集工学を通じて、人間の認知過程や情報処理の仕組みを研究し、その応用を探求している。
松岡は、編集工学を用いて、現代社会の複雑さを解明し、新しい解決策を提唱している。
松岡は、編集工学の視点から、人間の生活や文化の進化を捉え、その変化を分析している。
松岡は、編集工学を応用して、社会問題や文明の進化を捉え、新しい理論を構築している。
Transcripts
ま例えば人間とか黒とかアジアとか
あるいは戦争だとかうつ病とかはいなぜ
私たちはある塊を持ったりリテールに行っ
たりするのかなとはいでそういうような
ことをずっと思ってるうちにま全体は編集
されてるなとうんうんうんまこの20年
ぐらいですかねハリがホモデウスみたいな
ことを言うとかまそういうことを通って
色々やってると思いますがなんかね1番
かけてるのはそんなことはねとにその文明
論者とから終えてなきゃいけないのが期に
ししたという印象を僕はすごく持ってるん
ですねその市場資本主義とか金融工学とか
そういうものにまあの毒されてしまったと
だとすれ
ばえ今日はですねいろんな話がしたいなと
思ってたんですけれどもえぴったしの
ゲストに来ていただきましたというわけで
松岡号さんですどう
もようこそお越しいただきまし
たというわけで松岡号さんのプロフィール
行ってみましょうはい松岡誠吾さんですえ
編集工学者編集工学研究所所長えイシス
編集工学校法長え角川武蔵のミュージアム
館長でいらっしゃいますえ1944年京都
府生まれ1971年出版社工作者を設立さ
れてオブジェマガジンU相関え1987年
編集工学研究所設立されますえ2000年
から深夜札の連載を開始れま僕実はこれ
この連載非常によく見ておりましてどの
くらいだろう高校大学今大人になってから
だから結構いろなところで出会っており
ますとえeランニングの先駆けとなる
イシス編集工学学校をえ創立されますえ俗
に編集工学のパイオニアでいらっしゃい
ますえ主な聴者に深夜察日本という方法多
独術日本文化の革新地の編集工学など多数
ですよろしくお願いします願おそらくこの
番組を見てる人はですねあのなんか最近気
になる本があるなとか言ってえGoog
検索すると大体岡さんのブログに
ぶち当たるというのがあのみんな
ライフスタイルになってるんじゃないかな
と思うんですけどよろしくお願いします
さて編集工学とはデデンと認識記憶表現
早期え情報のインとアウトの間に潜む営み
編集というものに対してえ情報編集の
仕組みを研究化し体系化することで
メディア開発や社会課題の解決に応用
できるものとえっと編集工学研究所の
ホームページにえ載ってるそうです大体
これでこんな感じのまとめでどうでしょう
かどうでしょうかま編集っていうとねうん
その雑誌だとか新聞だとか映画の編集って
いう風に思われるんだけどもはい私たちの
その地とか表現とかそういうものまそれ
から素振りですね例えばこう風にするとか
指を数えるとかはいあれ数字をいじるとか
タイプライターやコンピューターあ
キーボードを打つとかコミュニケーション
するとかそれぞれに編集がちょっとずつ
使われててうんかつその物隊がまこういう
格好になったっていうこと自体がエディテ
情報を何らかのエディテグをしているはい
ま3万ゲノム編集なんていうねはい分かり
やすい言葉も出てきたけども結局あの情報
をいじるっていうことが全て編集なん
だろうと思いますよま人間に入ってくる
食べ物も情報といえば情報の塊りであるし
人間の身体も情報でできていますしそして
人間が動く考えるなんか知能を持ってた本
書くんでもそうですがうんえっとそういっ
た情報と情報の間の結びつきっていうのは
編集でございますというのはうんその通り
だと思いますというわけでえっと今日は
いろんな話が出てくるかなと思うんですが
なんかざっくりえまとめていただいたのは
これだでんはいえ今日は意識とかえっと
編集工学とか情報の大ウバとかですねま
これはまた非常に広大なテーマであります
がいろんなことを聞いていきたいかなと
思ってますよろしくお願いしますえ松岡
さんが編集工学に携るとか生きてる中で
編集ってことをえ考えられてきたのはどこ
をきっかけにしてどうやって出てきたの
かって辺りから入っていこうかなと思うん
ですけれどもえっとねま色々あります
けれどもはい
例えば小学校のこセミに関心があってね
昆虫祭祀セミうんでセミがこうあのま京都
で育ったんだけども5所でセミの事務を
取ってきてはいで屋の中に入れてそうする
とこうずっと上がってきてある一定の高さ
にセミがま10匹ぐらいくと大体同じ高さ
で止まるんですよはいでしばらくすると
そのじとか声を出してあの事務が自分の
背中を割ってそれでこの世のものともつか
ないような薄葉かろのような羽を出して
おそらくシャトル系がパッと伸びてで
パーっと飛んでいくんですがそういうよう
ななんかあの自分の体験だとかが何かこう
不思議な変化うんま一言で言えば変化って
いうものてだろっていう風に思い始めて
なるほどそうすると言葉を喋るとかまうち
の父も母もご服屋なんですが早やっていて
たくさん感じてること575とかっていう
風にこう縮めると何かになるとかその変化
しちゃうとあるいはそのセミとか言葉だけ
じゃなくて例えば母親がどっか行こうと
する
とちょっと待ってとかつってこうポンポン
としたり帯止めを変えたりするえあるいは
なんか学校行くとま例えば機科学を習うだ
とかうん地相を習うだとかあるいはなんか
ナポレオンを習うそうすると自分の中に
何かが入るんだけどもこれ何が入ったのか
なとかそういうなことがああだこうだああ
だこうだまずっと気になっていてそれでま
あの高校で新聞を新聞部に入るんですがね
はいその新部分に入ってみると見出しって
いうのがあってうん例えばたくさんのの
ボディコピーがあるとま今日も今日の話の
話題がパッパッパッと生成AIとかこう
あのSNSとか出てたけどじゃそうやって
こうまとまったものっていうのは元のもの
の何なのかうんま後からこれ編集だとは
分かりますが最初わかんなかったんですよ
はいま例えば人間とか黒とかうんアジアと
かあるいは戦争だとかうつ病とかはいそう
いう風にこうなぜ私たちはそのあることを
えっとある塊りを持ったりデテールに行っ
たりするのかなとはいでそういうような
ことをずっと思ってるうちにま全体は編集
されてるなとうんうんうんでま黒沢明の
ようにね映画編集だと言ったりま僕の友人
だったラグビーの平尾政治がラグビーも
編集ですとかうん言ってんのを聞いてる
うちにやっぱエディティンググってのは
まだ捉えられてないとはいで特に我々の
注意のカーソルみたいなものもがあその
アテンション
っっていうのがこうま例えばこういうもの
を見た時にこれをまもうこっからはあの社
に説法だけれどもこれをコップと見るのか
器と見るのか茶碗と見るのかその喉の乾き
と読むのかたくさんのものがありながら
我々はそのまお茶を飲んだりコーヒーを
飲むはいそうするとそのエディテプロセ
スっていうのを取り出していくとはい
ひょっとしたらこの日常行為もそうだし
それからその生物そのものの進化とか歴史
が戦争に向かうこととか本当はバラバラに
違うことが起こってるようだけども何か
共通のようなものがあるんではないかうん
まそれをあの見るには少し
エンジニアリングはい光学的なあの見方が
必要だろうとそこに壁があったり幕があっ
たり生地があったり敷があったりそれから
インからアウトに切り替わるとこがあっ
たりま例えばそのトとかつったってロシア
だったりウクライナだったりヨーロッパ
だったりこう変わるわけですよねはいはい
でそういうようなその変化に潜んでいる壁
だとか生地だとかあるいはこのえっと
クライテリアだとか
えっとアモルファスのゾーンだとかそう
いうものを編集対象にするにはそれをこう
数値化したりはいそれから線引きをしたり
するま全てがそうじゃないけど工学性が
必要だろうとまあのま内さんもねそれは
専門まコンピューターとはいオブジェクト
はよく扱っていますがだからその
エンジニアリングされたい編集っていう
ことをやりたいというのがま大雑把な
なるほど同義ですねいやそれでなんか1個
ちょっと聞いて伺ってみたいなと思ってた
んですけど例えば今あの文明論とか文化論
をやろうと思うとやっぱりそのあの日なの
を掘ってくところは専門家たくさんいる
けれどもあの体系的にいわゆる白狂気な
ものをやってくっていう世代ってなかなか
育たないよねというのは結構な問題点だと
思うんですけどでも松岡さんのあのまこれ
は世代論ではないと思うんですけど松岡
さんのバックグラウンドをこう拝見させて
いただくとやっぱりそこを白卵狂気にやっ
ていけるっていうのがすごく強みだなと
思って見てらっしゃるんですがこ
れってどういった時代の変化がこういう
ようなものを作っているんだと思いますか
それともなんかここのいわゆる文明論文化
論を語るとか考えるっていうところが
すごく弱まってるとは思うんですけれなん
それについてどう思われるかあたりから
スタートしてこうかなと思っていますま
この20年ぐらいですかね
例えば
えっと
えハリがホモデウスみたいなこと言うとか
サピエンス全子からホですねはいマルクス
ガブリエルが世界はノーではないとか私が
いるのかとかまそういうことを通って色々
やってると思いますがそのなんかね1番
かけてるのははそんなことはね特にその
文明論者とかま知識人ですかイデログたち
は終えてなきゃいけないのがはい遅か遅き
に死したという印象を僕はすごく持ってる
んですね遅きに死したうんつまり私たちが
直立2足歩行してま脳と道具と人言語と
いうものを持ってそれからその代わりに
毛皮だとかそれから総力だとかうんそのえ
えっとえ鋭い眼光だとか翼とか失っていっ
てま変わったとこだけ毛を残してはい
しかも女性はそのえっと戸10日もかかる
ような長い妊娠期間でしかも生まれた子供
がねま幼児
がその未熟ではいえ育児をしない限りはま
2年ぐらいですかねうんえ子供は育たない
とでしかも育った私たちはその12年初期
の12年は思い出せないはいで私だとか僕
だとかあの思い始めた時はもうすでにその
1年が過ぎているうんというような直立足
歩してしまった人類がその文明とか地とか
を組み立てるにあたって考えなければなら
ないことというのはそのハリがあそこから
言い出す以前からまずっと抱えなきゃいけ
なかったことなんですねはいでそれをま
例えば宗教だとか哲学だとか科学だとかが
補ってきたんだけれどもおそらく何かの
限界があるんでその市場資本主義とか金融
工学とかあるいは物質主義とかそういう
ものにまあの毒されてしまったとうんだと
すればそうですね1世紀ぐらい前かな本当
ならばその辺りにえっと新しい文明論の
アクセスというか今でいうメタバースに
当たるようなものがね哲学的あるいは文明
論的にはいに出来上がってなきゃいけ
なかったのにはいえできてないじゃんて
いうか今頃じゃんていうのが僕にとっては
意外な失望感ですねああなるほどうん
なんかちょうど100年くらい前のことに
結構私は最近興味があってで1920年代
面白い時代だなって思うんですま例えば
エセ読んでてもま僕はあの大好きな寺田
虎彦とさんがいるんですけど寺田さんの
文章とか読んでてもそうだしあと柳田の
文章読んでてもそうだしのあそうです20
年代よはい20年代ですそそれこの前合宿
行って高木いっぱい買ったんですよ僕それ
で家で読んでてあそう本当にそうだなと
思ったのとあとま柳宗吉もあの時代ですし
で工業家のプロセスの後に1度あのみんな
ま科学と工業化があった時にま日本の中で
は多分そこである種のあのイデオロギーの
東洋と西洋のサも出てきたしもちろん科学
技術とあの人文学のサも出てきたしその
辺りで一旦勃興したものが多分45年以に
一旦多分あのま柳国をその後の文章であの
我々日本人のあの予言力は0点をつけられ
てしまったってえ書いてるんですけれども
ああいうところで一度多分リセットされた
後の戦後っていうのがあって今生きてん
だろうなとちょっと思ってるところもあり
でそういった面ではここまあのちょうど
それはあの松岡さんが生きてきた時代だと
思うんですけれどもここ80年ぐらいの
そのイデオロギーの再回復なのかえっとな
んだろうな失ったままそのまま滑らかに
ずっと続いてかなんかその辺りのことを
どう俯瞰してお考えですかそうね100年
前多分おっしゃってるように100年前
ぐらいにちょうどよく熟成はされてきたん
ですけれども熟成かつまあのチさんも世界
の最魔術かっていうこと言ってると思うん
だけどもはいその1920年代あたりにま
例えば高木が累たと言ったり寺田虎彦が
割目と言ったりヨーロッパではダダとか
未来派とかシルレスができてはいその時に
なんていうかだ全てを全部混ぜ混ぜにして
この割目の方から見ちゃうとかはいその
動物だとか植物だとか都市だとか田園では
なくてね全て割目で見ようとか類体で
見ようだとかはいあるいは変分とか差分で
見ようと分分はいそういうなことが起こっ
たし文芸的には例えばダダだとか
アナキズムだとかそそういうもので見よう
として全てを1回解体したはずなんですよ
はい100年前というかはっきりはあの何
年前とは言えないけど大体あの頃にはいま
簡単に言えばその第一次世界大戦という
世界戦争を起こす直前に何かを感じてで
起こった時もトーマスマンみたいなものは
マの山を書いてはいその自分が
サナトリウムに入ってその自分が蝕まれて
いく中で何が送念されるかということで
世界を語ろうとはいハデがはそれを原存在
と呼ぼうとかま一応のことまでやったにも
関わらずそこでさ術がスタート切れば
良かったのがやっぱ延滞されたんだと思う
んですねああなるほどだからその延滞のそ
デトネーションデシンは遅延と言いますが
はいその延滞された理由をま例えばポップ
アウトだとかサブカルだとかは何かを掴ん
でまやっと見られないっていうような
ボブディラン的なビートルズ的なものは出
てきたと思うんだけどそれを文明論や哲学
側が引き受けなかったなるほどなるほど
もうちょっと引き受けてほしいう感じはし
ますね今ちょっと質問できててこれ
ちょっと深掘りすると面白そうなんで
ちょっと出してみようかと思うんですけど
えっと日本には曖昧性を楽しむ性質がある
にも関わらずどうして勤勉に働けるん
でしょうかって今質問が来ててこのなんか
勤勉性曖昧性働くってことと日本っていう
ことにどうお考えですかえっとねおそらく
勤勉のふりをしてるんだと思うはいはい
はいはいで本来は稼ぎと務めは別々なん
ですねはいそのお金が入る稼ぎとはい勤め
たいっていうものは別であってほしいし
おそらく江戸社会は稼ぎと務めは2つで
やっと1丁前だと思うんですようんうん
うんうんでも今やお勤めはどこでかと言と
何で稼いでるかっていうの一緒になってる
一緒ですねでそこに働き方改革が加わって
セーフティネットも加わってるから完全に
労働というものが一応化してると思うん
です確かにだから本当に佇む
立ち止まるそれは非常に必要ですねええ
失ってるものをおかげとしてそこに見るん
ですね佇んでらではいはい失うとかなくす
いうことを失望とか落胆とかにしないで
それをもう1回おかとして蘇らせるそう
いうものがとても必要だっていうことなん
となく暗示的に言ってるんですがそういう
おかになった情報をまどう編集されるん
だろうかというようなことがま僕の長い
長い仕事
になってきたんでしょうねなるほど僕はね
多数派が嫌いなんですねああそれから大衆
もないんですよ私の中で少数なると重体
っていうのは希少性うんあるいは吐ない
ことなか持たない維持しようとすると誤解
されるはいこういうような危険度の高い
ことに思想的な拠点や生方の拠点を置く
べきじゃないかなとずっと思ってんです
うんうんうん40歳の松岡に
[音楽]
一言す
か
[音楽]
なんか
5.0 / 5 (0 votes)