2024都市と環境3の3

一ノ瀬友博
18 Apr 202314:07

Summary

TLDRこのスクリプトは、アメリカの都市計画の発展と公園システムの誕生について語ります。19世紀の産業革命と人口増加により、都市問題が顕在化し、都市緑地や公園の必要性が高まりました。ニューヨークのセントラルパークは、1859年に開園し、アメリカで最も多くの人々が訪れる都市公園となりました。また、ボストンでは、緑地、湿地、河川水路などを緑道でつなぐエメラルドネックレスというパークシステムが導入されました。しかし、現代の車社会の中では、緑地間の移動がストレスになる状況になっており、今後の改善が期待されています。

Takeaways

  • 🌳 アメリカにはヨーロッパのように封建時代のストックがないため、公園は貴族や王様のお庭から生まれなかった。
  • 🇺🇸 産業革命によりアメリカでも都市問題が顕在化し、都市緑地や公園の必要性が高まった。
  • 🏙️ ニューヨーク市の人口は1821年から1855年の間に4倍に増加し、セントラルパークの誕生を促した。
  • 🔨 セントラルパークは南北約4キロ、東西0.8kmの広大な公園で、1859年に開園した。
  • 🏆 フデリックローオルムステッドとカルバートボックスがセントラルパークの設計に携わり、オルムステッドはランドスケープアーキテクトの祖とされる。
  • ⛲️ セントラルパークの設計は、当初の計画から徐々に変化し、現在のデザインになった。
  • 🌿 パークシステムは、個々の公園を緑道でつなぐことで、都市の緑を効果的に利用する。
  • 💚 ボストンでは、緑地、湿地、河川水路などを緑道でつなげ、エメラルドネックレスと呼ばれるパークシステムが導入された。
  • 🚗 アメリカの車社会性により、公園間の移動がストレスになる場合があり、今後の改善が期待されている。
  • 🌊 ボストンのエメラルドネックレスは、河川の水質改善を目的とした緑地ネットワークとして非常に貴重。
  • 📈 20世紀にヨーロッパにも導入されたアメリカ型のパークシステムは、都市の緑地を有効活用し、市民の憩いの場を提供する。

Q & A

  • アメリカの都市公園の必要性が高まった背景は何ですか?

    -アメリカの都市公園の必要性が高まった背景は、産業革命によって19世紀に急激な人口増加があり、都市問題が顕在化したことが挙げられます。これはヨーロッパの都市と同様の現象です。

  • セントラルパークがアメリカで最も多くの人が訪れる都市公園である理由は何ですか?

    -セントラルパークはマンハッタンの中心に位置し、非常に広大な面積を有しているため、自然の中でリラックスできる唯一の場所として多くの人々から愛されています。また、都市の緑空間としての役割も大きいとされています。

  • セントラルパークの設計に携わったフデリック・ロー・オルムステッドは何人の称号を持っていますか?

    -フデリック・ロー・オルムステッドは、ランドスケープアーキテクトという称号を名乗った最初の人であり、アメリカの造園、ランドスケープアーキテクチャー、またはランドスケープデザインの祖とされています。

  • セントラルパークの建設にはどのくらいの時間がかかりましたか?

    -セントラルパークの建設には約20年がかかりました。1857年に工事が開始され、1876年に完成しました。

  • ボストンのエメラルドネックレスとは何ですか?

    -エメラルドネックレスは、ボストンの公園システムであり、個々の公園や緑地、湿地、河川水路などを緑道でつなげたネットワークです。これは都市の緑空間を保全し、河川の水質改善にも貢献しています。

  • ボストンの公園計画に携わったチャールズ・エリオットはどんな人物ですか?

    -チャールズ・エリオットは、メトロポリタン公園委員会の設立に関わり、ボストンの公園計画に携わった重要な人物です。また、フデリック・ロー・オルムステッドの弟子であり、ランドスケープアーキテクチャの分野にも貢献しました。

  • セントラルパークの敷地はどのような状態でしたか?

    -セントラルパークの敷地は、氷河が残した迷子石がゴロゴロ広がる状態でした。そのため、整地と湿地の排水に多大な労力が必要とされました。

  • セントラルパークの植栽はどのようになされていますか?

    -セントラルパークの植栽は、ほぼ人工的に植栽されたものです。当時の植栽は残されておらず、ゼロから植栽されたとされています。

  • エメラルドネックレスの緑地はどのようになされていますか?

    -エメラルドネックレスの緑地は、細長い緑地の帯のような形で、個々の緑地の中を歩きながらも、大きな都市の真ん中にいるというような見事な緑地環境が整備されています。

  • エメラルドネックレスの現在の問題は何ですか?

    -エメラルドネックレスの現在の問題は、緑地と緑地を結ぶ緑道が車道によって切られており、人々が緑地を移動する際に車道を横断する必要があり、ストレスを感じることです。今後、緑地間の接続性を改善する取り組みが行われることが検討されています。

  • セントラルパークの歴史的意義は何ですか?

    -セントラルパークは、都市の中心部に巨大な緑地を導入することで、都市住民の憩いの場を提供し、都市の緑化を促進する意義があります。また、ランドスケープアーキテクチャの分野で先駆的な試みとして、世界中で影響を与えました。

Outlines

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🌳 セントラルパークの誕生とアメリカの公園システム

アメリカの都市化と産業革命の進展に伴い、都市問題が顕在化し、公園や緑地の必要性が高まった。ニューヨーク市のセントラルパークは、1859年に開園し、南北約4キロ、東西0.8kmの巨大な公園として知られる。オルムステッドとボックスによってデザインされ、ランドスケープアーキテクチャの祖と呼ばれるオルムステッドが初めて名乗った職業で、セントラルパークの設計を手がけた。また、ボストンでは、公園だけでなく緑地、湿地、河川水路を緑道でつなぐ「エメラルドネックレス」というパークシステムが導入された。

05:01

🌿 セントラルパークの歴史と変化

セントラルパークは、1851年に建設が計画され、1858年にオルムステッドとボックスのデザインが選ばれた。当初の設計図から徐々に変化し、現在のデザインになった。公園の敷地は氷河が残した迷子石が広がる場所であり、整地と湿地の排水に多大な労力が要された。オルムステッドとボックスは途中で2度も辞任し、再雇用されたが、約20年をかけて完成させた。公園には森のような空間があり、植栽はほぼすべて人工的に行われた。また、公園には昔氷河が覆っていたとされる迷子石が残され、子供たちの遊び場になっている。

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🏞️ エメラルドネックレスの誕生と現代の課題

ボストンの公園計画には、オルムステッドと弟子のチャールズ・エリオットが携わった。1892年にメトロポリタン公園委員会が設立され、緑地だけでなく湿地、河川水路を緑道でつなぐパークシステムが誕生した。エメラルドネックレスは、ボストンの中心部を通って細長い緑地の帯を形成し、市民の憩いの場となっている。しかし、現代では車社会であるアメリカにおいて、緑地間の移動がストレスになる状況がある。そのため、緑地間の接続を改善し、19世紀末に作られた頃のように簡単に歩くことができるようにしようと、現在検討されている。

Mindmap

Keywords

💡セントラルパーク

セントラルパークは、アメリカ・ニューヨーク市に位置する広大な都市公園で、南北約4キロ、東西約0.8kmの面積を持ち、1859年に開園されました。この公園は、産業革命と人口増加に伴う都市問題の解決策として計画され、都市の緑地として多くの人々から愛され続けています。また、セントラルパークの成功は、都市計画の模範例として他の都市に影響を与えました。

💡ランドスケープアーキテクト

ランドスケープアーキテクトとは、自然環境や都市空間をデザインする専門家です。フレデリック・ロー・オルムステッドがこの職業の第一人者であり、セントラルパークの設計に携わりました。彼は、自然を模倣したデザインを取り入れ、都市の緑地を豊かにしました。ランドスケープアーキテクチャは、都市の美しさと機能性を高めるために重要な役割を果たしています。

💡産業革命

産業革命とは、19世紀に始まった産業構造の変化を指し、工場制度の確立と機械化が進み、都市部への人口移動が加速しました。これにより、都市問題が顕在化し、都市計画と公園の必要性が高まりました。産業革命は、セントラルパークの誕生を促進する要因となりました。

💡都市緑地

都市緑地とは、都市部に散布する自然空間や公園のことを指します。都市緑地は、市民の憩いの場としてだけでなく、都市の気候を改善し、生活環境を豊かにする役割も果たします。セントラルパークは、都市緑地の典型的な例であり、都市の健康と緑豊さを象徴しています。

💡公園システム

公園システムとは、都市に散布する公園や緑地を、緑道やウォーキングパスなどで結ぶネットワークです。ボストンのエメラルドネックレスは、公園システムの好例であり、都市の緑地を効果的に利用し、市民の健康や環境保全に貢献しています。公園システムは、都市の質を向上させるために重要な役割を果たしています。

💡エメラルドネックレス

エメラルドネックレスは、ボストンの公園システムであり、都市の緑地を結ぶ緑道で構成されています。このシステムは、河川の水質改善と共に、市民のレクリエーションの場として機能しています。エメラルドネックレスは、都市の緑豊さを保全し、市民の健康と幸福に貢献する貴重なインフラです。

💡都市計画

都市計画とは、都市の構造や機能を計画的に整えるプロセスです。セントラルパークやエメラルドネックレスは、都市計画の結果であり、都市の緑地を確保し、市民の福祉を向上させるための取り組みを象徴しています。都市計画は、都市の持続可能な発展に不可欠な役割を果たしています。

💡緑化

緑化とは、都市部に自然を導入し、緑を増やす取り組みです。セントラルパークやエメラルドネックレスは、都市の緑化の一環として、市民の生活環境を改善し、都市の気候を良好に保つ役割を果たしています。緑化は、都市の健康と美しさを高めるために重要な取り組みです。

💡迷子石

迷子石とは、氷河が移動することで運ばれた巨石のことを指します。セントラルパークには、氷河時代の迷子石が散乱しており、公園の歴史的な背景を物語っています。また、これらの石は、公園の景観を整える上で利用され、子供たちの遊ぶ場所にもなっています。

💡都市問題

都市問題とは、都市部で生じる様々な社会問題を指します。産業革命や人口増加に伴い、都市緑地不足や環境汚染、住宅問題などが顕在化しました。セントラルパークの誕生は、これらの都市問題に対処するための試みであり、都市の質を向上させるための重要なステップです。

💡緑道

緑道とは、自然を通過する道やウォーキングパスのことを指します。エメラルドネックレスは、緑道によって都市の緑地が繋がり、市民が自然の中でリフレッシュできる空間を提供しています。緑道は、都市の緑豊さを保全し、市民の健康促進に貢献するインフラです。

Highlights

アメリカの都市には、ヨーロッパのように封建時代のストックがないため、公園の誕生形態が異なる。

19世紀のアメリカでも産業革命により都市問題が顕在化し、公園の必要性が高まった。

ニューヨーク市は1821年から1855年の間に人口が4倍に増加し、都市緑地や公園が必要とされた。

セントラルパークは1859年に開園し、アメリカで最も多くの人が訪れる都市公園となった。

セントラルパークの設計は、ランドスケープアーキテクトであるフデリックローオルムステッドとカルバートボックスによって行われた。

オルムステッドはランドスケープアーキテクチャーの祖とされており、セントラルパークが彼の最初の仕事だった。

セントラルパークの敷地は氷河が残した迷子石で、整地と湿地の排水に多大な労力が必要であった。

セントラルパークの建設には約20年かかって、1858年の設計図から徐々に変化を遂げた。

セントラルパークは南北約4キロ、東西0.8kmの巨大な長方形の公園で、都市の中心部に位置する。

ボストンでは、セントラルパークとは異なり、個々の公園を緑道でつなぐパークシステムが導入された。

ボストンのパークシステムはエメラルドネックレスと呼ばれ、20世紀にヨーロッパにも導入された。

エメラルドネックレスは、緑地、湿地、河川水路などを網羅し、都市の緑地ネットワークを形成している。

ボストンの緑地は、河川の水質悪化問題を改善するために導入された。

エメラルドネックレスは、ボストンの中心部から郊外にかけて細長い緑地の帯を形成している。

エメラルドネックレスは、ボストンにとって非常に貴重な遺産であり、市民の憩いの場として活用されている。

現代のボストンでは、車社会の影響で緑地間の移動がストレスになる状況がある。

ボストンでは、緑地間の接続を改善し、19世紀末の歩行者中心の設計に戻すことが検討されている。

Transcripts

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はいそれでは第3部です

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次は舞台がアメリカに移りますパーク

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システムの誕生です

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これまで

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ヨーロッパの都市そして公園や緑地につい

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てお話をしてきました

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アメリカはヨーロッパの都市のような

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封建時代のストックがありませんでしたの

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かつての貴族や

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王様のお庭が公園になるということは

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なかったんですね

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一方でアメリカにおいても同じように

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産業革命が起こります

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19世紀に急激な人口増加により都市問題

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が顕在化するというのはヨーロッパの都市

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と同じような現象です

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例えば

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ニューヨーク市では

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1821年から

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1855年の間に実に人口が4倍にもなっ

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ています

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このような状況は先ほどお話してきたよう

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なイングランドの都市と同じような状況で

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やはり都市緑地や公園の必要性が高まって

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きました

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そのことが次にお話しするセントラル

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パーク誕生のきっかけとなっていきます

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そしてこのセントラルパークを踏まえて

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次々に講演が整備されていくわけです

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けれどもそれらの公園を

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幸福院の緑道でつなぐパークシステムと

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いうようなものが誕生してきます

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セントラルパークの次にお話をします

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けれどもボストンでは市全域にパーク

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システムを導入しましたこれがエメラルド

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ネックレスと呼ばれるものです

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このパークシステムは今度は20世紀に

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ヨーロッパの年に導入されていきました

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まず

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ニューヨークのセントラルパークです

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これはGoogleEarthの画像です

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けれどもマンハッタンのど真ん中に

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巨大な長方形の公園があるというのはもう

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皆さん行ったことあるかどうか別にして

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よくご存知かと思います

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このセントラルパークは実に南北

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約4キロそして東西0.8km

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341ヘクタールという非常に巨大な都市

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のど真ん中の公園ということになります

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1859年に開園されアメリカで最も多く

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の人が訪れている都市公園ということだ

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そうです

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1851年から本格的に公演建設が

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計画され

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1858年に

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フデリックローオルムステッドと

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カルバートボックスの案がコンテストで

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選定をされました

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最後に書いてますけれどもこの

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オルムステッドという方は

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初めて

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ランドスケープアーキテクトという名称を

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名乗った

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職能ですね名乗った最初の人と言われてい

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てアメリカの造園

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ランドスケープアーキテクチャーあるいは

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ランドスケープデザインの祖と言われてい

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ます

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ただ実はこのセントラルパークの設計と

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いうのが

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オルムステッドがそういったことを初めて

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やった仕事だったんですね

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あとでも少し写真をお見せしますけれども

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セントラルパークの敷地は

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氷河が残した

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迷子石と言われるような

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巨大な石がゴロゴロ広がる死体であったと

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言われています

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よってその整地そして

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湿地の排水に多大な労力が必要であったと

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いうことです

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1857年に工事が開始され

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途中でオロムステッドとボックスが

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辞任する実に2回も辞任してまたその後再

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雇用ということにがあったそうですけれど

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もようやく

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1876年おおむね20年かかって

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完成しました

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これが

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1858年一番最初の当時の

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設計図ということになります

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真ん中に大きな

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池があるわけですけれども基本的な構成は

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変わらないんですけどもここで言うと左側

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の一帯のですね

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計画が後のものとは大きく変わっています

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はいこちらが1868年のものでして現在

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のものにほぼ近いようなものになるわけ

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ですけれども

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ですので最初の当初の設計からですねその

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後徐々に変化をして現在の

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このデザインになったということになり

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ます

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そしてこちらが現在のセントラルパークの

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地図ですねパンフレットからとっており

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ますけれども

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縦書きのものをちょっと横に

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置いていますが

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こちらと比べるとですね

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1868年当時のものが今現在の

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セントラルパークになっていることがよく

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わかるかと思います

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先ほど話したように

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東西ここで言うと横に4kmそれから

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縦にですね

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0.8キロもあるような

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巨大な長方形の公園ですので1日で全部

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歩くのもなかなか大変なぐらい大きな公園

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です

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セントラルパークのについては多分様々な

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映画で見たりあと実際に尋ねたことがある

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方も多いかと思います

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巨大な緑地なんですけども特にこの写真に

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写ってるように大きな

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芝地があるようなところもあってその周囲

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をいわゆる

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摩天楼が囲んでいる大都市ですね世界の

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中枢となるような都市のど真ん中にこう

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いった巨大な公園があるということでこれ

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夏の日に写真を撮っているんですけれども

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たくさんの人々がここに集ってるような

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親しみられている公園ということになって

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います

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で公園の中にはこういったいわば森のよう

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な空間がずいぶんあるわけですけれども実

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はこのような

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植栽は当時のものが残されているわけでは

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なくてほぼ人工的に

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植栽をされたものです先ほどもお話した

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ように主体になっていたりこの子にも左に

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大きな石が写っていますけども

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巨大な石がゴロゴロしているようなところ

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でしたのでいわば

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植栽はゼロからなされたようなものであっ

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たとされます

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そしてその

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迷子石ですこういった

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岩が現在でもあちこちに残っていて子供の

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良い遊び場のようにもなっているんです

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けれどもこの岩はですねかつてこの一帯を

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氷河が覆っていた時に評価によって運ばれ

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てきた

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迷子石であるとされています

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次に

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舞台はボストンに移ります

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先ほどのオルムステッドはその後様々な

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地域の公園あるいはパークシステムの誕生

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に関わっていくわけですけれどもボストン

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においてもですね同様に人口の急増ととも

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に都市問題が顕在化していました

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1892年にメトロポリタン公園委員会と

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いうものが

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設立されて

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ゴムステッドとその弟子のチャールズ

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エリオットがボストンのですね公園計画に

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携わるということになってきます

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1893年に最初の5つの地域の土地を

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取得をしました

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このボストンにおいては先ほどの

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セントラルパークのように一つの公園では

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なくて

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個々の講演だけでなくですね

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緑地

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湿地

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河川水路などを

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緑道でつなぐというパークシステムが誕生

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することになります

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で特にその

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理由としてはですねボストンでは

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河川の水質悪化が非常に大きな問題になっ

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ていたんですねそれを改善するためにも

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推計を軸としたアークシステムが電子的に

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導入されるということになっておきます

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そういったつながれた

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緑地のネットワークをボストンにおいては

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エメラルドネックレスという愛称で呼ば

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れるようになりました

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でこちらが1892年の時点のですね

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ボストンの

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緑地の文法を見てるわけですけれどもほぼ

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中心部がボストンの中心街ですね

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港にがボストンにあるのでその海側の

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ところが中心部ということになるんですが

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一番真ん中あたりにある

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フェンズと書かれてるあたりがですね最初

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のエメラルドネックレスということになり

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ます

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この辺りですね

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これが

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1902年にはこのように多くの

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緑地が生まれるとともにそれらが

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緑道でつながれていくということになり

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これが全身的なパークシステムというよう

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言うように言われるものが形成されていき

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ます

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これが一番最初の当時のですねエメラルド

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ネックレスです実際の現地の看板からとっ

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ていますので上が北ではなくて右側が北に

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なってるの横に倒したような形になって

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おりますそして一番ここで言うと右端の方

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がボストンの

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旧ボストン市の一番中心部ということに

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なります

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でこの後現地の写真をご紹介しますけれど

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もここで言うと一番右側にですねボストン

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コモンというものがあるんですけれども

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そこから

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スタートしてだんだん少し左上に上がって

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いきながらですね

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一番最後の写真はジャマイカポンドという

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のが上の方にあるんですけれどもそこまで

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ご紹介しようと思います

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一番ボストンの旧ボストンの死骸に近い

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ですね

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緑地ということになるんですけども

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ボストンコモンという名称がついてますで

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この顧問についてはこの後第4部のまた

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レッジワースというところのイギリスの

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都市の話をしますのでそちらでその顧問に

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ついては説明をしようと思います

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名称は顧問という名前になっているんです

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けれどもいわば公園

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緑地と考えて基本的にはいいと思います

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でこのような

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緑地がですねこれはコモン

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ウェルスアベニューモールというふうに

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言われているんですけどもこのような

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緑道でつながれていくということになって

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いますでこの緑道は非常に直線的な

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緑道で両側に道路があるというような構造

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になってます

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そしてこれがバックベイフェンズと言わ

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れるとこですこれもいわば

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緑地がこう

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繋がって細長くなっているようなところな

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んですけれどもここにあるような

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遊歩道があって市民がこういったところを

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散歩したりする

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憩いの場となっているところです

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そして最後このエメラルドネックレスも

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ですね全部歩こうと思うともう本当に1日

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以上の日にちがかかりそうなものなんです

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けどもこの一番古いメールのネックレスの

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中で大きな

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湖というか池があるのがジャマイカポンド

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と言われているところです

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ですのでこういうところ基本的にはこう

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細長い緑地の帯のようなところなんです

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けども個々の緑地の中を歩いてることに

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関しては大きな都市の真ん中にいるという

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ことが

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想像ができないような見事な

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緑地環境が整備されているということに

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なります

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このエメラルドネックレスはボストンに

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とって非常に貴重な

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遺産となっているわけですけれどもただ

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現在問題がないというわけではありません

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これは

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2022年のですね

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夏に

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訪れた時に実際に現地でもお話を聞いたん

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ですけれども

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先ほどの

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緑地から緑地にですね

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緑道でつながれてるという風に言いました

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が実際にはアメリカは非常に車社会でも

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ありますのでそういった緑地と緑地の間を

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ですね多くの車道

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幸福院の車道が通っていてこの車道もよく

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緑化はされているんですけども

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緑地から緑地を移動しようと思うと一旦

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こういった道路に出てきて車道横断し

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なければならないということもあってです

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ね自転車で回遊するにしてもあるいは歩い

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て回遊するにしても

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非常にそれがストレスになるという状況で

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もあります

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ですのでこれからこういった緑地と緑地の

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接続というのをかつて一番最初にですね

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19世紀の終わりに作られた頃はですね

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まああのそんなに

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車社会になっていなかったので簡単に歩く

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ことができたわけですけれどもそういった

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頃に同封にすれば戻せるのかということを

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現在検討しているということでした

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第3部は以上です

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