2024都市と環境3の4

一ノ瀬友博
19 Apr 202320:26

Summary

TLDR19世紀末のイングランドで都市計画の新しい動きとして、田園都市の考え方が生まれました。エベレスター・ハワードが提唱したこの理論は、都市と農村を結合した理想的な居住空間の創造を目指し、1903年にレッチワースで実際に事業を開始しました。そのコンセプトは、中心都市と衛星都市を形成し、緑地帯を導入することで都市の連帯を避けるというものでした。レッチワースは現在も世界遺産として残され、田園都市の思想はアメリカのランドスケープデザインにも影響を与えました。また、グリーンベルトの考え方も登場し、都市の無秩序な拡大を防ぐとともに、緑地帯の重要性を強調しました。この思想は、ロンドンの都市計画に取り入れられ、他の都市にも広がりました。

Takeaways

  • 🌿 19世紀末のイングランドで田園都市の考え方が生まれ、エベレスター・ハワードが理想の都市を提唱しました。
  • 📚 ハワードは『tomorrow: a peaceful path to real reform』という本で、都市と農村の融合を目指したコンセプトを発表しました。
  • 🏙️ 1903年にハワードはロンドン近郊のレッチワースで実際に田園都市を建設し、現在は世界遺産に登録されています。
  • 📈 彼のコンセプトでは、中心都市と6つの衛星都市から成り、全体で25万人の人口を想定していました。
  • 🛣️ 衛星都市は道路と鉄道で中心都市に接続され、緑地帯が都市を連帯しないように設計されました。
  • 🏡 レッチワースの都市構造は、中心にセントラルパークを置き、周囲に住居を展開する放射状の構成をとっていました。
  • 🌱 ハワードは緑地の整備に顧問制度を導入し、市民が緑地を管理・利用できるようにしました。
  • 🚶 レッチワースは田園都市として成功し、周辺は依然として農村地域として残っています。
  • 🌳 田園都市の考え方は後のニュータウン開発やアメリカのランドスケープデザインに多大な影響を与えました。
  • 🏞️ グリーンベルトの考え方もハワードの田園都市論から発展し、都市の無秩序な拡大を防ぐ役割を果たしました。
  • 🎓 このトピックは造園学や都市計画の歴史に興味がある人々にとって非常に興味深く、古典的な文献を参照することで深く学ぶことができます。

Q & A

  • 19世紀末のイングランドで始まった新しい動きとは何ですか?

    -19世紀末のイングランドで始まった新しい動きは、田園都市という考え方の誕生です。これは、都市と農村を結びつけ、理想的な都市を建設しようとする理論です。

  • エベレスター・ハワードが発表した本のタイトルは何ですか?

    -エベレスター・ハワードが発表した本のタイトルは「tomorrow: a peaceful path to real reform」です。これは、都市近郊の農村地域に理想的な都市を建設するという理論を提唱した書籍です。

  • ハワードが実際に事業を開始した町は何ですか?

    -ハワードが実際に事業を開始した町は、ロンドン近郊のレッチワースです。

  • レッチワースが世界遺産に登録された理由は何ですか?

    -レッチワースは、ハワードの田園都市理論に基づいて作られた都市であり、そのコンセプトが非常に前衛的であり、都市計画の歴史的意義を持つため、世界遺産に登録されています。

  • ハワードが提案した都市の人口は何人ですか?

    -ハワードが提案した都市の人口は、中心都市が5万8000人と、6つの衛星都市がそれぞれ3万2000人となって、全体で25万人となります。

  • 田園都市の考え方から生まれた都市計画の概念は何ですか?

    -田園都市の考え方から生まれた都市計画の概念はグリーンベルトです。これは、都市の無秩序な膨張を防ぐために、都市の周囲に緑地帯を設けるというものです。

  • レイモンド・アンウェインが提案したグリーンベルトの目的は何ですか?

    -レイモンド・アンウェインが提案したグリーンベルトの目的是、ロンドンの都市の中が公園緑地が不足している状況を補うとともに、都市のスプロールを防ぎ、自然を守るためです。

  • ハワードの田園都市理論はどのようにして都市と農村を結びつけるよう提案していますか?

    -ハワードの田園都市理論は、都市と農村を結婚のような形で結びつけるよう提案しています。これは、中心都市を設け、その周囲に衛星都市を設置し、都市部と農村部が交互に配置されることで、都市と農村の利点を融合させ、理想的な生活環境を目指しています。

  • 田園都市のコンセプトが導入された日本の最初の都市はどこですか?

    -田園都市のコンセプトが導入された日本の最初の都市は、田園調布です。これは、関東大震災直前に渋沢栄一によって計画されました。

  • ジェイコブスがハワードの田園都市理論に与える批判は何ですか?

    -ジェイコブスがハワードの田園都市理論に与える批判は、機能と規則だけを重視しているという点にあります。また、農村地域の視点から見た場合、田園都市が農村コミュニティにとって本当に利益をもたらしたかどうかという問いも提起されています。

  • ハワードの田園都市理論が影響を与えたアメリカのランドスケイパーの先駆けは誰ですか?

    -ハワードの田園都市理論が影響を与えたアメリカのランドスケイパーの先駆けは、フレデリック・ロー・オルムステッドです。

Outlines

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🏞️ 田園都市の誕生とエベレスター・ハワードのコンセプト

19世紀末のイングランドで田園都市の考え方が生まれました。実業家であるエベレスター・ハワードが、都市近郊の農村地域に理想的な都市を建設しようとする理論を提唱し、1898年に本を発表しました。4年後の改訂版では、都市と農村の融合を提唱し、実際にロンドン近郊のレッチワースで事業を開始しました。そのコンセプトは、中心都市と6つの衛星都市を形成し、緑地帯に覆われることを避けるというものでした。現在もレッチワースは世界遺産として残され、田園都市として知られています。

05:01

🌳 レッチワースの田園都市と緑地の管理

レッチワースは田園都市として知られ、都市と農村の融合を図るコンセプトが実現されています。ハワードは、都市の中心部にセントラルパークを設け、緑地帯を整備することで、自然と都市の調和を目指しました。また、顧問制度を導入し、住民が緑地を管理できるようにしました。レッチワースは、自然豊かな環境を再現し、住民が自然と共生するコミュニティを作りました。

10:02

🌄 田園都市の影響とグリーンベルトの導入

ハワードの田園都市の考え方は、後のニュータウン開発に大きな影響を与えました。アメリカのランドスケイパー運動や、ボストンのエメラルド・ネックレス・パークシステムにも影響を及ぼしました。また、田園都市の考え方からグリーンベルトの概念が生まれ、都市の無秩序な拡大を防ぐための緑地帯の重要性が認識されました。1935年にレイモンド・アンウェインがグリーンガードルの概念を提案し、ロンドンのグリーンベルトは都市の拡大を防ぐとともに、公園緑地の不足を補う役割を果たしました。

15:04

📈 ロンドンの都市拡大とグリーンベルトの役割

ロンドンの都市拡大を防ぐために、1944年にパトリック・アーバークロンビーがグレーターロンドン大都市圏計画を作りました。この計画では、中心部から約16キロの緑地帯を設けることで、都市の拡大を防ぎ、自然環境を守ることを目指しました。1963年には、グリーンベルトが都市開発の進行の中でも守られるよう努力が続けされました。2012年のロンドンオリンピックでは、グリーンベルトの復活がコンセプトの一つとして掲げられ、ロンドンの自然環境を守る取り組みが進められています。

20:05

📚 参考文献紹介と緑地の歴史

最後に、今回の講演で触れた緑地の歴史について、参考文献が紹介されています。造園学概論をはじめとする古典的な書籍が多く、緑地の歴史や田園都市の考え方の源流について学ぶことができます。これらの文献を通じて、過去の考え方と現在の都市計画の間に架け橋を築くことができます。

Mindmap

Keywords

💡田園都市

田園都市とは、都市と農村を結合した理想的な居住環境を目指した都市計画の考え方です。エベレスター・ハワードによって提唱され、都市の中心部から放射状に緑地帯が広がる構成を持ちます。この概念は、後の都市開発やニュータウン建設に多大な影響を与え、世界遺産にも登録されています。

💡エベレスター・ハワード

エベレスター・ハワードは、田園都市の考え方を提唱した実業家です。彼は「ガーデン・シティズ・オブ・トゥモロー」という本を発表し、理想の都市を建設する理論を展開しました。また、レッチワースという町で実際に田園都市を建設し、その成功に基づいて他の都市にも同じ考え方を適用しました。

💡ガーデンシティズ・オブ・トゥモロー

「ガーデン・シティズ・オブ・トゥモロー」とは、エベレスター・ハワードが1898年に発表した本で、田園都市の理論を提唱しています。本は、都市近郊の農村地域に理想的な都市を建設しようとする視点を展開し、後にはタイトルが変わって改訂版が出版されました。

💡レッチワース

レッチワースは、エベレスター・ハワードによって実際に建設された田園都市であり、世界遺産にも登録されています。この都市は、ハワードの理論に基づいて設計されており、中心部にセントラルパークがあり、緑豊かな環境が特徴です。また、市民が共同で緑地を管理するというコンセプトも導入されています。

💡グリーンベルト

グリーンベルトとは、都市の周囲に設けられた広範な緑地帯で、都市の無秩序な拡大を防ぐために導入されました。ロンドンでの導入が有名で、その後イングランドの他の都市にも適用されました。グリーンベルトは、自然を保護し、市民の福祉を高めるだけでなく、都市開発の計画性を確保する役割も果たします。

💡セントラルパーク

セントラルパークとは、都市の中心部に設けられた大規模な公園です。レッチワースの中心地に位置し、ハワードの田園都市のコンセプトの重要な要素となっています。セントラルパークは、市民が憩う空間として利用され、また都市の緑豊さを象徴しています。

💡ニュータウン

ニュータウンは、新しい時代のニーズに応じた新しい街を建設する計画的な開発のことです。ハワードの田園都市の考え方に基づき、都市と農村を結合した理想的な居住環境を目指して作られた地域を指します。レッチワースがその一例であり、多くの人々にとって理想的な居住環境として知られています。

💡顧問

顧問とは、日本で言うところの町内会のような組織で、新しいニュータウンの緑地を管理する責任を持つ市民団体です。レッチワースでは、顧問が住民の共同で活動しており、緑地の整備や管理に貢献しています。このシステムは、住民が地域の緑豊さを守り育てる意識を高める効果があります。

💡グランドアベニュー

グランドアベニューとは、レッチワースなどの田園都市で用いられた大通りの名称です。セントラルパークを挟んで都市の中心から放射状に広がる形で、市の各部分を結んでいます。グランドアベニューは、市の緑地帯を通過するため、自然との調和を保ちながら都市を発展させることができる役割を果たします。

💡タウンカントリー

タウンカントリーは、ハワードの田園都市のコンセプトにおいて、都市と農村の融合を意味する用語です。レッチワースのような田園都市では、市の中心部から郊外にかけての地域が、自然と調和した形で計画され、住民が自然に囲まれた環境で生活できるように設計されています。

💡グレーターロンドン

グレーターロンドンとは、ロンドンの中心部を含めた広域な地域を指します。グリーンベルトの導入によって、ロンドン中心部から郊外に至る間の開発を計画的に制御し、自然環境を保護するとともに、都市の無秩序な拡大を防ぐことを目指しました。これにより、ロンドンの周囲に自然な緑地帯が維持され、市民の福祉が確保されるようになりました。

Highlights

19世紀末のイングランドでパブリックパークの誕生と田園都市の考え方の登場

エベレスター・ハワードの実業家による「ガーデン・シティズ・オブ・トゥモロー」の本の発表

都市近郊の農村地域に理想的な都市を建設しようとする理論の提唱

ハワードがロンドン近郊のレッチワースで実際に事業を開始

レッチワースの復刻版図書で当時のハワードのコンセプトを解説

ハワードのコンセプトダイアグラムによる都市と農村の結婚というコンセプト

中心都市と6つの衛星都市を構成する計画と人口構成

衛星都市の詳細な構成と緑地帯の重要性

レッチワースが世界遺産に登録され、田園都市の概念が広がる

田園都市の概念がアメリカのランドスケープデザインに与える影響

グリーンベルトの考え方と都市の無秩序な拡大を防ぐ目的

1944年のグレーターロンドン大都市圏計画と16キロの緑地帯の設立

2012年のロンドンオリンピックとグリーンベルトの復活

グリーンベルトの考え方がイングランドの他の都市にも適用される

田園都市の批判とジェイコブスの批判の視点

田園都市が農村地域やコミュニティに与える影響

ハワードの田園都市のアイデアがユートピア思想に影響を受けたという指摘

田園都市の概念が日本に導入され、渋沢栄一による田園調布の計画

参考文献の紹介と造園学概論の重要性

Transcripts

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はいそれでは第4部です

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パブリックパーク公園が生まれた

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イングランドで19世紀末にさらに新しい

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動きが出てきました

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田園都市という考え方の誕生です

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エベレザーハワードという実業家が

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1898年にtomorrowa

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piecefulparttoReal

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リフォームという本を発表しましたこれは

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都市近郊の農村地域に

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理想的な都市を建設しようという理論を

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提唱したものです

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その4年後にtomorrowはガーデン

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シティーズオブトゥモローという風に主に

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はタイトルを変えて

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改訂版が出たということになりますここで

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ハワードは都市と農村の結婚というような

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コンセプトを打ち出しました

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最初に彼が実業家だという風に言いました

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が彼は実際に1903年にロンドン近郊

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ロンドンから北の方に行ったところにある

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んですけどもレッチワースという町で実際

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に事業を開始します

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でそのtomorrowですけれども現在

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その復刻版の

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図書が出ていて

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解説付きで当時の彼のコンセプトを読む

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ことができますこの真ん中に

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示されている図が彼のコンセプトの

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ダイアグラムとなるんですけどもこの本

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自体はメディアセンターにもあるのでぜひ

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実際に手に取って見てみてください

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彼のコンセプトの

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図です

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中心部が中心都市となっているんですが

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人口5万8000人それからそれに対して

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この図ではですね6つの

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衛星都市が書かれていることになりますが

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それぞれの都市が一つ3万2000人

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そして全体で人口が25万人の都市という

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ようなコンセプトです

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中心の都市は

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4,856ヘクタールこのコンセプトの中

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では詠歌で

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面積が作られているのでそれをヘクタール

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に換算すると4856ヘクタールという

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少々中途半端な

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面積となります

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衛星都市は

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3642ヘクタールずつということになっ

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ています

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でそれらが道路と

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鉄道でつながれるというようなコンセプト

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です

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そしてその

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衛星都市のうちの一つを見ていきます

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その中はですね都市部が405ヘクタール

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農村部が

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2023ヘクタールということになります

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ここで言うと中心にある赤い部分が都市部

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と言われているものでそれ以外の外側の

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バームクーヘンを扇形に切ったようなもの

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ですけれどもそれが農村部ということに

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なります両方合わせて

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2430ヘクタールということになります

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で都市部の人口が3万人農村部の人口が

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2000人というようなことになっていて

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さらにその都市部の中にもセントラル

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パークというものが書かれていますが中央

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部に

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緑地大きな緑地を

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位置させてその周辺にですねグラン

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アベニューと書かれていますけども

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緑地帯でそれを覆うというような

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コンセプトになっています

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で実際にそのそれぞれの都市の真ん中を

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ですねさらに

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扇形に切ったものですけども都市の中心に

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ガーデンがあってその次にセントラル

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パークがあります

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でその次にですね都市の部分が出てくるん

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ですけどもグランアベニューによってその

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都市が一旦

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緑地帯で

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ストップしてまたその外側に都市が続くと

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いうような構成になってますこれは実は

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都市自体がですねこういった

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帯状の

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緑地で覆われることによって都市が連帯し

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てしまうことを避けるというコンセプトに

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もなっていますこれが後ほどお話をします

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けれども

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都市を緑地体で感情緑地帯で覆うという

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考え方につながってくるものでもあります

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このような非常に

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コンセプチュアルなものなんですけれども

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これによってレッジワースという都市が

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作られたものですで今でもですねこのレッ

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チワークスガーデンシティという風に呼ば

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れていて世界遺産にもなっているんです

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けれどもそこでこの

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看板というか

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標識のですね

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ところにもですねその都市タウンとですね

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カントリーそしてタウンカントリーという

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風に書いてありますけども図書農村の結婚

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ということのコンセプトが書かれています

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で実際に今レチワースに足を運びますと

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その

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ガーデンシティですね日本語では

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田園都市という風に訳されたんですけれど

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もその

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博物館がですねあってですねこの博物館で

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当時のハワードのですねまあ直筆の手書き

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が入ったような現行などを見ることが

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できるというものです

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そのレッジワースなんですけれども

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ロンドンがあって今

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印がついてますけどもレッチワストのが

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あってロンドンの都市近郊ということに

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なります

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現在の

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レッチュワースのGoogleEarth

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で見た様子ですこのGoogle

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Earthの画像自体ちょっと古いものな

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んですけれども

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レッチュアンスというのが書かれていてで

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そこが都市の中心部です実際には彼が考え

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たように

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偏見を都市が出来上がったわけではないん

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ですけれども後ほどもうちょっとクローズ

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アップをしていきますが

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現在は都市近郊ということもあってですね

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右側に見られるような工場地帯もできてい

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ます

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ただその都市中心部を見てみますと彼が

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当初考えたように都市の中心部に

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セントラルパークを置いてそこから同心

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円状に都市を作るというのが一部実現し

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てる様子が

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わかるかなというふうに思いますでかつ

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ですね非常に力比率が高いよく緑化をされ

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た都市が出来上がっています

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これが都市から同心円上に広がるように

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道路も

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計画をされているので

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街の中の様子ですけれどもたくさん緑化も

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されているということになります

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でこれが

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奥に見えてるのが市役所シティホールです

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ねと

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セントラルパークというようなコンセプト

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に位置付けされる

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緑地ということになります

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で実はこの

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ハワードが作った

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ガーデンシティの中にはですね

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顧問というような考え方も彼は導入して

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緑地を整備をしていますで顧問というのは

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日本語では入谷市という風に訳されます

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一般的には

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農村地域にあって土地の所有権はですね

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かつては例えば

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王様が持っている土地であってもそこの

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落ち葉であったりとかあとは

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ラクシーですね落ちた枝であったりとか

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あとは生えてきた

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草あるいは低木を買ってですねそれを

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例えば家畜の餌にしたりあるいは対比を

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作ったりあるいは

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薪を集めたりというようなことをする権利

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がですねあるような場所そういう場所顧問

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という風にいます

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でこの新しく作ったいわばニュータウンの

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わけですけれどもその

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緑地もですねかつての入谷地と同じように

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住民が使うことができてかつそこをですね

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自分たちでマネジメントするというような

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コンセプトを新しい

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ニュータウンの中に取り入れたということ

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になるんですねですので実は今でもこの

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レッチュワースに引っ越しをして住むこと

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になりますとそういった日本で言うと

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町内会のようなものの中にまずちゃんと

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入会をしなければいけなくてその市民が

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ですね共同で作業する様々なことがある

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わけですけれどもそういうものも担わ

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なければいけないということが

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ルールで決まっているということになって

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ますですので

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講演の一つと考えていいんですけれども

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ここはノートン顧問というものですけれど

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もここの管理もですね市民が共同で行うと

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いうことになってます

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で実際にその

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顧問に行ってみるとですねまあ別に普通の

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今私たちの感覚では公演って言われれば

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そうかなという風に思うわけですけども

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その

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管理の一部を市民が担ってるということに

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なっています

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この

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顧問自体はですね

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先ほどみたいな芝地のところもあればです

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ね少し

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里山の森のような

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雰囲気になっているところもあってかつて

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農村にあったような

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景観を再現しているようなところです

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実はそのレッチワース自体はですねまあ

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いわばニュータウンとしてそういう緑豊か

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な都市が作られたわけですけども今でも

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周辺部は

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農村地域となっていますでフットパスが

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あってですね実はHワーズの

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町の周辺をずっと歩くこともできますし中

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自体にももちろんフットパスがあるんです

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けれどもこれが一番

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町のはずれまで行って

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農村部につながっている部分ということに

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なっていますあの右側左側にですねサイン

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がありますけれども歩くのは構わないん

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ですけどもここでは自転車とか乗馬とか

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あとは当然ですけど車とかバイクは使え

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ませんという標識が立っています

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でこの

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田園都市というものはですねその後の様々

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な都市開発特にニュータウンニュータウン

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開発にものすごく大きな影響を及ぼしまし

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先ほどもですねお話をした

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オルムステートですねアメリカの

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ランドスケイパーの先駆けですけれども

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当然オルムステッド始めアメリカにもです

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ね非常に大きな影響を及ぼしましたで

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ちょうど実は先ほど話したセントラル

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パークはこれよりも前の時期になるわけ

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ですけどもボストンのエメラルド

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ネックレスパークシステムが出来上がって

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くるのはちょうど同じような時期になって

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きますですのでこの

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田園都市とそういったアメリカで発達して

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きたパークシステムは相互に影響し合い

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ながらそれぞれ発展していくということに

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なりますまた

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途中でもお話したようにこの後に話すです

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ねグリーンベルトがこの

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アワードのですね庭園都市の考え方から

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生まれてきます

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ところがこの

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田園都市というのは最初にお示したように

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ダイアグラムが示すようにですね非常に

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システマティックなアイディアコンセプト

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なんですねそのことに対してはその後非常

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に強い

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批判も出てきますそのあの批判の再選挙と

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いえるのが全員ジェイコブスがその一人

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ですけども機能と規則だけを重視している

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というような批判を浴びています

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また

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農村地域の方から見てみるとですね実は

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この

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田園都市というものは都市とのその結婚と

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言っているんですけれども

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ニュータウン

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緑が多い新しい街を作るという意味では

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それは成功だったのかもしれませんが実は

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農村の方から見るとですねほとんど

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農村の地域あるいは農村のコミュニティに

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とっては得るものが本当にあったのかと

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いうとほとんどなかったんではないかと

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いうこともできるかと思います

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ですので都市と農村の結婚っていうのは

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本当に成功したのかというのも疑問が呈さ

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れているところでもあります

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でハワードはレッジワースがですねある

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程度成功したことによってさらに次もです

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ねいくつかの田園都市を手掛けていきます

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であのウェルビンという都市が次のまで

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田園都市として非常に有名なところなん

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ですけれども実際にその都市開発もされた

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わけですが残念ながらその事業は

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必ずしも

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成功しないというようなことになってき

play13:22

ますでまた彼はガーデンシティという考え

play13:26

方を大々的に打ち出すわけですけれども

play13:28

その都市のアイディアというのはそれより

play13:32

も前のですねまあユートピア思想の

play13:34

受け売りだったのではないかというような

play13:36

指摘もされています

play13:38

実際に最初にご紹介したようにハワードは

play13:42

ですねあくまで実業家であってその時に

play13:45

起こっていた都市の問題を解決する一つの

play13:48

方策としていわばニュータウンの

play13:51

コンセプトを打ち出したわけですねですの

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で彼は別に理論家であったわけでもなく

play13:56

研究者でもないということを考えますと

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その当時の様々な考え方アイディアを

play14:03

取りまとめて現実の都市を新たに作ったと

play14:06

言っていいのかもしれません

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そして実はこの

play14:12

田園都市は皆さんがもし多分途中で聞いて

play14:16

いてすぐに思い浮かんではなったんでは

play14:18

ないかなと思いますがまさに日本にもすぐ

play14:22

に導入をされてますその1907年にです

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ねガーデンシティーズオブトゥモローが

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田園都市と訳されますこれが

play14:30

庭園ではなくて

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田園というのがポイントですけども彼の

play14:34

コンセプトが都市と農村の結婚ということ

play14:37

でもあったので日本語では田園と訳された

play14:40

んだと思います

play14:42

で渋沢栄一が

play14:44

1918年にですねまさに関東大震災の

play14:48

直前ということになるんですけれども

play14:51

田園調布にそういったものをですね

play14:54

計画するということになりますそして

play14:58

鉄道開発とそういったニュータウン開発と

play15:00

いうようなものが一気に日本に広がって

play15:03

いくことになります

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同じように先駆け関西で先駆けとなるのは

play15:09

ですね

play15:10

宝塚などがその典型的なものになります

play15:15

さてそのもう一つですねこの第4部の一番

play15:19

最後にグリーンベルトというものについて

play15:22

もお話をしてきますこのハワードの田園

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都市論の中の緑地帯をですね

play15:28

規制都市にも適用をしてその都市が人口の

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増加とともにですねいわゆるスクロールを

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していくのを止めようというようなことを

play15:39

考えられるようになります特に1920年

play15:42

代これは第一次世界大戦が終わった後です

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けどもさらに人口が増加していくロンドン

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においてそのようなグリーンベルトで都市

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の無秩序な膨張を止めようというような

play15:54

ことにアイデアが出てきます

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1935年にはレイモンドアンウェインと

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いう方がグリーンガードルという言い方を

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したんですけどもそういった帯状の緑地を

play16:06

作りロンドンの都市の中が公園緑地が不足

play16:10

しているというものも補おうというような

play16:12

アイデアが出てきます

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で実際にそのロンドンの都市のですね

play16:19

スプロールの状況を見ていきますとこれは

play16:23

1800年から1850年1880年

play16:27

1919年真ん中の黒いところがですね

play16:30

都市が拡大していく様子ですで中心部が

play16:35

もともとのロンドンの中心部でその外の

play16:38

境界がいわゆるグレーターロンドンという

play16:40

ことになりますこれがさらに時代が下がっ

play16:44

ていきますと

play16:46

第二次世界大戦を直前1939年そして第

play16:50

二次世界大戦が終わってから1960年

play16:53

1980年2000年ということに

play16:56

どんどんですね都市が

play16:58

拡大してて周辺の郊外部にも開発が進ん

play17:02

でった様子がわかるかなと思いますただ

play17:05

この

play17:06

かつてのロンドンの中心部の外縁部の緑を

play17:10

なんとか守ろうというような

play17:12

構想が練られてきました

play17:17

1944年第1次世界大戦がもう第二次

play17:22

世界大戦が終わる頃ですけども

play17:24

パトリックアーバークロンビーという方が

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グレーターロンドン大都市圏計画という

play17:30

ものを作りまして

play17:32

緑地帯

play17:34

約16キロの緑地帯を作ってですね

play17:37

ロンドン中心部のからの都市の

play17:41

拡大というものをですね防ごうということ

play17:43

にしましたこれはあくまで計画ということ

play17:47

ですね

play17:50

それが1963年の時点でここで言うと

play17:56

濃い色のグレーというんですかねところが

play17:58

グリーンベルトなんですけれども

play18:01

やはりそういったもので

play18:04

都市の拡大を防ごうとしながらも当然都市

play18:08

開発が起こっていくわけですけどもなんと

play18:11

か当時まだですねグリーンベルトがその

play18:14

かつてのロンドンの中心部の周りに

play18:17

残してですね

play18:20

練炭を防いでいたというようなことをが

play18:23

分かりますで実は2012年にですね

play18:27

ロンドンオリンピックが行われたんです

play18:29

けども

play18:31

このロンドンオリンピックが行った敷地と

play18:34

いうのもですね再開発でそういった

play18:37

グリーンベルトを

play18:39

復活させるというようなことが当時の

play18:41

ロンドンオリンピックのコンセプトの重要

play18:43

な一つとして

play18:45

掲げられていました

play18:49

このロンドンのグリーンベルトの考え方は

play18:52

ですねイングランドの他の都市にも次々と

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適用されていくようなことになりますです

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のでこの図で言うと右の下の方がですね

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ロンドンのグリーンベルトということに

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なるわけですけどもロンドンの第2の都市

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がその7名左上のバーミンガムということ

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になりますし一番最初にその

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産業革命が始まった場所としてお話をした

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リバプールマンチェスターそれから

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シェフィールドそのあのさらにはそれ以外

play19:22

の都市もですねいくつか特に北

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イングランドにはあるわけですけれども

play19:27

まあそういった年でもですね同じように

play19:29

グリーンベルトが

play19:31

計画されて現在でもそれらがある程度機能

play19:34

して残ってきてるということになります

play19:40

最後に今回の

play19:42

参考文献です

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造園学概論一番最初のものはですねあの

play19:46

全体の教科書としても挙げているものです

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けども他にもこの第3回でいくつか

play19:55

図を引用したりあげているものをですね

play19:57

リストをここに上げてますので

play19:59

興味がある分野があれば見てもらったら

play20:01

いいかと思いますどれも最初の造園学概論

play20:05

以外はですねもう結構古い本が多くて古典

play20:08

的なものですけども

play20:10

今日話している今回お話している内容って

play20:14

いうのは

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緑地の

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歴史のようなものですので

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古く出版されているものが多いような

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リストとなってます第4部は以上です

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田園都市グリーンベルト都市計画エコロジー歴史的背景レッチワースニュータウンランドスケープ産業革命世界遺産都市開発
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