ブッダの生涯 9(佐々木閑「仏教哲学の世界観」第2シリーズ)
Summary
TLDRこのスクリプトは、お釈迦様が初めての食事を通じて仏教の基本的な生活原則を確立したエピソードを語っています。お釈迦様と弟子たちは、他人から与えられた食物のみを摂取するという原則に従い、完全に他者依存的生活方式を選びました。この原則は、修行を第一目標とする彼らの精神的な成長を支えるとともに、依存するということの重要性を示しています。また、この原則がなぜ2500年も続いているのかについても説明しており、今後お釈迦様が仏教の説法を始めることにつながる舞台設定となっています。
Takeaways
- 🍲 釈迦様の最初の食事は四天王からの供養を受けて行われた。
- 🥣 仏教では、鉢に入った食物だけを食べるという原則が現在も守られている。
- 🤝 他者への依存は、自己の修行に専念するために重要な概念として設けられた。
- 🚫 自分で食べ物を手に入れるわけではない、他人の善意による供養のみを許される。
- 🌿 仏教における出家とは、修行を通じて自己の精神的な成長を目指す行為。
- 🎯 仏教の修行者たちは、生産性や経済活動から離れて、修行に全力を注ぐ。
- 🌍 依存するということは、悪いことではなく、多くの偉大な業績がその背後に支えられている。
- 📚 科学者や芸術家たちも、パトロンや支援を受けながら偉業を成し遂げた。
- 🌟 釈迦様は依存するということの重要性を理解し、仏教の教えにその価値を与えている。
- 📈 仏教の原則は、修行者たちが社会に依存しながら、高い精神的な目標を追求することができるように設計されている。
- 📖 鉢に入れた食物を食べるという規則は、仏教が長く続くことができる重要な原動力となっている。
Q & A
お釈迦様が最初にお飯を召し上がったエピソードは何を意味していますか?
-お釈迦様が最初にお飯を召し上がったエピソードは、仏教における依存性の重要性を示しています。このエピソードは、他者が自分のために与えた食物しか食べてはいけないという原則を確立し、仏教徒が他者に依存して生きることを正当とする基礎を築いています。
仏教の基本原理として続く食事の原則は何ですか?
-仏教の基本原理として続く食事の原則は、他者が鉢に入れてくれた食物だけを食べることです。この原則は、今も2500年後にわたって仏教徒たちが守っています。
仏教における依存性とは何を指すか?
-仏教における依存性とは、他人に完全に依存して生きることを指します。これは、自分自身を生産性や独立性から遠ざけ、修行や精神的な成長に集中することを意味しています。
お釈迦様が示す依存性の理念は、現代社会においてどのように解釈されますか?
-現代社会において、お釈迦様が示す依存性の理念は、他人の支援や援助を必要とすることの重要性を再確認するものです。昔から素晴らしい仕事をした人々は、ほとんどが誰かの支援を受けていました。依存して生きることなく、独立しようとすることは、創造性や革新性を持つ余裕を奪う可能性があります。
エピソード中で述べられた数学者エルベの生活は、依存性のどの面を示していますか?
-数学者エルベの生活は、依存性の「完全に他者に依存する」という面を示しています。彼は財産を持たず、世界中を旅しながら、数学研究に全身を投じていました。彼の生活は、他人の援助や支援に依存し、それによって彼は数学の分野で多大な貢献を成し遂げました。
仏教の修行者たちはなぜ、自分で食物を作り始めることがないようになったのですか?
-仏教の修行者たちは、自分で食物を作り始めると、生産性や独立性に時間を割くことが増え、修行や精神的な目標に集中するエネルギーが減るためです。そのため、彼らは全てのエネルギーと時間を修行に注ぎ込み、自己の生産性を放置することで、依存して生きる原則を守っています。
お釈迦様が設定した仏教の生き方にはどのような意図がありますか?
-お釈迦様が設定した仏教の生き方には、修行者たちが人生の第一目標である修行に全てのエネルギーを注ぎ込むことができるようにするという意図があります。依存して生きることで、修行者たちは社会や日常生活の負担から解放され、精神的な成長を目指すことができます。
仏教の修行者たちが守る食事の規則にはどのような具体的な規定がありますか?
-仏教の修行者たちが守る食事の規則には、鉢に入れてもらった食物だけを食べることがあります。具体的には、他社からの行為で入れてくれたものしか食べてはいけません。また、水と歯磨きのキーは自分で摂取しても良いとされています。
仏教の修行者たちはなぜ、社会に完全に依存していますか?
-仏教の修行者たちは、社会に完全に依存しているのは、彼らが設定した人生の目標である修行に全力を注ぎ込むことができるようにするためです。依存して生きることで、彼らは社会や日常生活の負担から解放され、より精神的な成長に集中できます。
お釈迦様の教えの中で、依存して生きることの重要性はどのように説明されていますか?
-お釈迦様の教えの中で、依存して生きることの重要性は、修行者たちが自己の生産性や独立性から遠ざかって、修行や精神的な成長に集中できるようにするためです。この依存性は、彼らが達成しようとする高貴な生き方に対する支援を受ける権利を保証するものです。
Outlines
🍚 仏教における食事の原則
この段落では、仏教における食事の原則について述べています。お釈迦様は、四天王から与えられた鉢で初めての食事を受け、その後弟子たちも同じ原則に従って食事をしています。この原則は、他者が鉢に入れてくれた食べ物しか食べてはいけないということです。これは、他者への依存を意味し、自給自足ではなく、他人の善意に頼るという仏教の基本的な考え方です。
🌟 依存と独立のバランス
この段落では、依存と独立のバランスについて議論しています。現代では、独立することが好ましいとされていますが、実際には過去から多くの偉人は他者への依存を通じて成果を上げてきました。例えば、科学者や芸術家はパトロンの支援を受けて、彼らの成果を世に発表しています。仏教においても、出家師は社会に完全に依存していますが、その依存関係は彼らが高尚な目標を達成するための手段となっています。
🙏 仏教の修行と社会的依存
この段落では、仏教の修行と社会的依存の関係について説明しています。仏教の修行者たちは、社会から依存しながら生きていますが、これは彼らが達成したい高尚な目標のために必要なこととされています。お釈迦様は、修行者たちが全てのエネルギーと時間を修行に注ぎ込むことが、彼らの人生の第一目標であるため、社会的依存を許容しています。この依存関係は、仏教の組織設計の一部として、2500年間続けられてきた原則となっています。
📜 仏教の摂取規則と精神
最後の段落では、仏教における摂取規則とその精神について述べています。仏教の修行者たちは、鉢に入った食べ物のみを摂取することが規定されており、これは完全な依存の象徴となっています。水と歯磨きのキズ(歯ブラシ)は例外とされていますが、その他の全ての食物は他人から受け取る必要があります。この原則は、修行者たちが社会に依存しながら、自己の精神的な目標に集中できるようにするためのものです。
Mindmap
Keywords
💡釈迦様
💡鉢
💡依存
💡修行
💡出家
💡供养
💡自給自足
💡収集
💡援助
💡エピソード
💡原理
Highlights
お釈迦様の集まりで初めての食事のエピソード
鉢に受けた召し上がった食事の原則が佛陀の教えとして定められる
仏教の基本原理は2500年間続く
他者が鉢に入れてくれた食べ物しか食べてはいけないという教え
仏教における依存の意味とその重要性
出家する意義と修行への全力の注ぎ方
生産性を放置し、修行に専念する仏教の生き方
依存しているという状態が現代でも重要なテーマ
過去の偉大な成績を残した人たちが依存していたこと
エリー・レズが示した依存して生きるという自由な姿
数学者エリー・レズの人生とその依存した生活
仏教の修行者たちの社会への完全な依存
仏教の組織設計とその持続可能性
鉢に入れた物を食べるという具体的な規則
水と歯磨き用品を除く全ての食物は他者が入れたもの
仏教の教えが示す依存するということの重要性
次回の話題: 佛陀の最初の説法と仏教の創立
Transcripts
皆さんごきげんよう
前回はタップ3番理科のお話をいたしました
初めて悟りを開いた初めてのお食事を
四天王からもらった鉢に受けて召し上がったというエピソードでしたね
でお釈迦様集まりを悟りを開いて文壇になってから一番最初のご飯でまず8に食べ物を
受けてそれでそれを召し上がったということで
これ以来お釈迦さまをはじめとしてこの後いろんなお弟子さんが増えていきますけれど
もその李さんたちもすべて全員が必ずご飯は自分の持っている鉢の中に入れてもらって
食べるという原則がこれで定まるわけなんですね
これは今でも2500年間続く仏教の基本原理として今も続いておりますこれは何を
意味しているかといいますと
他者が自分じゃありませんよ他の人が好意を持って
つまり入れてあげましょうという思いを持って鉢の中へ入れてくださった食べ物しか
食べてはいけないということなんです
これ別の言い方でいいますと完全に他者に
依存せよという意味なんですねよろしいですか
えっと例えば8持って道を歩いてたら
道端にまあ何か落ちてたまぁころ毛が落ちたたとしますね
昔頃気ないけどもだからこれだけが落ちてるとするんですよ
でその頃ってを食べたいんだけれどもお坊様がね
食べたいんだけどもそれどうやって食べるかということです
自分でコロってを拾ってそれを鉢の中入れて
でそれを食べたそれはダメですわねなぜならば他社が行為で入れてくれたものしか食べ
てはいけないからですねそうしますとそのコロッケは落ちていて
誰のものでもないんだけれどもそれを自分で食べることができません
もしどうしてもそんなまあそんなことはないけど金もしどうしてもその頃って食べ
たかったらどうするかってたらね
そこでじっと立って待ってるんですよ誰かが通りかかるの
で向こうから誰か親切そうなあのおばさんがやってきたと
でそのお婆さんが
通りかかった時に
すみませんあの
ちょっとそのあの落ちてる頃というこの鉢の中に入れてくれませんかって言ったらダメ
です
なぜならばそうやって言ってこちらから
指示していれてもらった頃ティはパーシャが
行為で入れてくれたものではないです私が指示していれさせたものです
そんなものはダメですだからもうしょうがないそれじゃあねもう目でアイコンタクトを
とるしかないですねおばさまの目をじっと見てそして下の頃家を見てはさ見てこれてみ
てソフトおばさんもね
気が付いあこのぼ様この頃家が食べたいんだわっていうんで
米その頃ティを拾って入れてくださるとこういう
これ
ならば何とか許される
いうことなんですそれぐらいあの方他社の行為にすべてを任せて依存して生きるという
ふうにお釈迦様は仏教を設計なさったわけです
なんでそこまでやらなくちゃいけないのかということなんですがこれはもう当然であの
たとえ自給自足にしろどんな形にしろ自分でモノを生産するということをやり始めます
と一番の目標である修行ということに力が割けなくなるわけなんですね
仏教のお坊様がなぜ出家するのかといったらそれはもう
主要一筋の生活をしたいからです
朝から晩までずっと修行したいので出費をしてありです
ところがその生活を自分でもなんとか賄うんだと言って
a
叩けるもやり始めると自分でこうものを作り始める
そうしますとね人間の本能っていうのはねものを作るということの喜びにだんだんと心
がこう
傾いていって
初めは自分一人分ショボショボ作っていたものはもうちょっと広げてみようかなとか偏
キュウリも作ろうかなとかそうはいって
だんだん家庭菜園になってそっから今度はゆよ
なんかねあの流通に乗せてみようかとかそんなことになる可能性が
こうしてものを作るということの欲望欲求に負けないように
初めから一切の生産性を放置するんですそして
すべてのエネルギーと時間をあの人生のただ一つの第一目標である修行に
すべてを注ぐんだとそういう生き方を仏教は最初から設定していた
それがこのトラップさと万里花の話が象徴する理念なんですね
よろしゅうございますか
あの今の現代においては
この依存するということが何か悪い事のように言われるんですね
でやっぱり独立するんだと事実するということをもう盛んに言うんですけれども
よくよく考えてみましたらね昔から素晴らしい仕事をしてた人はみんなね依存してます
よ
科学者にしろ芸術家にしろあの音楽家にしろ
いろんなねあ
イノベーションを起こした偉人と呼ばれる人たちは大抵は後ろにパトロンがついていた
李大浩一族が後ろで援助したりあるいは誰かが養ってくれたり自力で生きながらすごい
ことをやった人あんまりいないです
それは当たり前なんですよ生きようとすればもう大変なエネルギーをそれに注がねば
ならねそうすると人とは違うことをやるような余裕はもうなくなってくるわけなんです
ね
で結局はあの
普通に維持て普通に死んでいくということになって
まあ世の中を変えるような大変な仕事ができるようなそういう余裕はない悪いですそう
いうを持つ人っていうのはやはり皆が誰かがそれを支えてくれてる人そういう人が
大きなるその業績を上げることができたんですね歴史的にねそういう意味でお釈迦様お
またそういうことをよく理解していた人だと思いますね
この
依存するということの重要性を正体現する人としてはお釈迦様はそれにしても最近の人
で言いますとねあの
20世紀ですけれどもハンガリー人ハンガリ生まれの
まあユダヤ人ですねであのアメリカに渡って活躍をした
エルレシュッという名前の数学者がいるんです
80何歳でなくなりましたけれども
このエルベ主さんは死ぬまで87歳で亡くなるまで
トランク一つ
der 必要な身の回りのお金以外は一切
財産持たず
家なしですねで世界中を回って
んまあの旅をしながら旅というかねそれこそいろんな人の世話になりながら
人の家に泊めてもらいながら80年の人生を全うした人ですねこの1数学者なので
まあ噂によりますと1日19時間ぐらい数学をやってたんだ
数学のことしか考えてねえパサから晩まで数学の事だけ考えて
a
生きていた人なんだと
これでええ
もう泊まる場所どうするかというと世界のまあ数学者の家行ってですね
きましたから泊めてください一緒に研究しましょう
言ってその数学者の家に泊まり込んで
で一緒に研究をするそうすると大学者ですから
一緒に研究している人たちもどんどんその仕事が進んでい
行くというわけねえっ
みんな大歓迎するわけです l で資産はね
遺書あの夢中になってたらこれ出すのはセット
まあだしても打算でもいいですけど
一応大貴族が毎回いたしますからごめんなさいもねえる歴史なサメしてそれでもうあの
みんな4倍ですそして a
数週間とか数ヶ月とかそこに糖度もあって研究を一緒に行って
そしてその献金が一段落すると今度はその止めてた人のお世話で次の
数学者の家へ今度行く y ですまあ地球の裏側まで行くようなこともあるはでですね
その旅の旅行代もみんな周りの人がお世話してくれえるでしまい行くぞと悪て皆喜んで
大韓会で
a 彼を選んでですねそしてまた一緒に検知をすると
こうやって一切の仕事も財産も家も何も持たずに全部人のお世話になりながら
80歳80数年の人生を過ごした人ですね
でその間に論文の数が1500本を超えたということです
私は学者ですから分かりますけれども論文で1500本書くなんてそんなとても
あの想像もできないことですねそれはジェンあの人生のすべてを数学に注ぎ込むという
そういう状況が満たされていたからこそできる
五行ですね
若いですかだーこれが依存していけるという人間の自由な姿なんですね
よろしゅうございます
これねあのただ普通の人が依存していきますってそんなことは許されればじゃないん
ですね
私皆さんのお世話になっていきたいんですただまぁ仕事もしたくないし他にもなりまし
たが無いのマーボーとダラダラ暮らしたいんでひとつよろしくお願いしますそんな虫の
いい話は通用しませんわね
ああああああ
当然ながら養ってもらうには
養ってもらうだけの価値がなければならぬ
それは何かと言いますと普通の人にはできないような普通の人からみると立派なことを
なさっているというそういう目標にもう一心不乱
前
維新全粒をかけて
その方向に邁進しているというその後ろ姿が
香具師だってあげたいあるいは援助してあげたいという気持ちの同時になるわけなん
です
だから今の場合もお釈迦様が悟りを開いて立派な姿で座っておられるその佇まいを見て
タップさと万里母はですねた房と針彼はこの人にならばということでお布施のご飯を
差し上げたでしょ
これがもう本当に象徴的なんです立派な姿で誠実に生きている人間だからこそ
依存して生きることが可能になそして依存して生きることになることによってその人が
設定した自分の人生の目標を
そこで全うすることができるとそういう理屈になる理由なる
あの大釈迦様は一番最初からその組織設計として
仏教の修行さシュシュ業者は皆揃ってその生き方でやれという風にお決めになりました
ですから周りの人達も皆わかっているわけです
仏教のお坊様というのは一切仕事はしない
何も自分で火星にもしなければご飯も作りもしない
まあ言ってみれば社会に完全に依存していじている人たちなんだけれども
しかしその人たちが目指している道は我々にはできない崇高なる立派な生き方なんだ
から
だから援助しましょう
サポートしましょう伏せをしましょうという話になるわけなんですね
だからお釈迦様の最初の設計が正しいんですこれがね
だから2500年続いていくわけなんですね
これねあの例えば半分くらいは自分で稼いでとかそういうことを
まあ中途半端なことをやりますと人間の心はだんだんとそのよくの方いきますから
やがて修行よりも稼ぐほうが大事だとか
修行よりも例えば
組織を拡大していく方が台座とか言うような人間の欲望に負けた方向 a だんだん
組織が動いていくわけですね
そういう組織は必ず二泊だあの腐敗堕落しますから2500年も続くはずがないんです
ね
そういう意味ではこのあの鉢に入れても
洗ってご飯をいただくというこの大原則が仏教を
2500年感を誇示してきた一番重要な原動力であったということも言えるんですね
最後にこの人から物をもらってご飯を食べるということの実際の規則をここに書いて
おいて
いましたのでちょっと見てくださいねどんな風に決められているかと言うとねこうです
ね
8で受けたものだけで行きなさいと
つまり鉢の中に入れてもらったものだけを食べて生きていきなさいというわけです
その具体的な規則は他社からの二世でなくても口に入れることのできるものは水と羽生
歯磨ティのキー
だけじゃると歯ブラシにたようですねこれ何のことかと言いますと
鉢の中へ他の人が行為で入れてくださったものしか食べてはいけないんですが依存
せようということです
でそうでなくても人が入れてくれなくっても食べていいものありますかというとそれは
2つだけあるというんですそれは水ですそして歯磨き後ですこれ何かというと
水
はねこれはさすがに人が入れてくれなくてもその小川の水とか
湧き水とか井戸の水とかそういうものはねこれだけは自分で飲んでもいいです自分で
組んで飲んでもいいです
てから歯磨きのキッズなぁこれはあの我々は今プラスチックの歯ブラシで歯磨きます
けれども
昔は歯磨きのきってあるんですね今もありますよ
インド人の瞳が使ってますけども
犬年の t 波それでハオコをコースりますとそこから
あ
キレイあるのなんとかなペパーミントの良い香りがしたり
そして肌綺麗になるんですねだから
その歯磨きのキーはそこらへんに落ちてますから
それはさすがに自分で拾って口の中いいと水と歯ブラシだけは自分で口の中に入れても
いいけれどもそれ以外のものは全て他の人が鉢の中へ入れてくださったものをいただく
だけなんだそれ以外のモノを口に入れるなということですから
これはまさに
お布施で入れてくださったものを
以外のもので生きていけということですから完全依存せよということなんですね
ですからこの2人のの話あまり有名じゃないんだけれども実は仏教という
酋長組織を守ってきたとても大切な原則が現れているエピソードなんだということだ
はいでは次回はいよいよお釈迦様が最初の説法つまり仏教という宗教を作りになった
その場面に入っていこうと思います
じゃあこれで駅
憂します楽器ねー
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