楽しめないのは何が原因ですか?【為末大学】
Summary
TLDRこのスクリプトは、楽しむことを邪魔する価値観について語ります。人々は社会的な評価に基づいて自分の価値を決めがちですが、楽しむことが人生で最も重要だとアドバイスされます。しかし、楽しむことはプレッシャーや義務感から難しく、自己価値観が楽しさを阻害する原因になることがあります。自己価値を社会的な成功に依存させずに、自分自身の状態でも価値があると感じることが大切です。挑戦を楽しむためには、自己価値観の転換が必要で、勝敗や社会的な評価から離れて、自分自身が素晴らしさと価値を持つと信じることが重要です。最終的に、楽しむことの全ては自己価値観の転換から始まると結論づけます。
Takeaways
- 🎯 自分の価値観が楽しむことを邪魔する原因の一つであると述べています。
- 🤔 楽しむことが難しい理由として、社会的なプレッシャーや義務感が挙げられています。
- 💭 自分の価値が社会的な評価によって決まるという考え方が、楽しさを阻害する要因となっていると分析されています。
- 🏆 成功と失敗に基づく価値観は、楽しむことを難しくする可能性があると警告されています。
- 🧘♂️ 自分の価値を独立して認識し、楽しむことができる状態にあることが重要だと強調されています。
- 🤹♀️ 楽しむことができるかどうかは、個人の価値観にかかっていると語られています。
- 🌟 自分の価値観を転換し、楽しむことができるようになることが、長期的な成長につながると述べています。
- 🤝 成功や失敗に依存しない価値観を持つことで、挑戦への恐怖心が軽減されると提案されています。
- 🎈 楽しむことが一番重要であり、それが人を長期的に成長させることができると結論づけられています。
- 🌱 自分の価値観を問い直し、社会的な評価から解放されることが、楽しむことの鍵だと示唆されています。
- 🕺 最も楽しく生きる方法は、意味や価値を追求せず、ただ楽しむことにあると語られています。
Q & A
楽しむことを邪魔する自分の価値観とは何ですか?
-楽しむことを邪魔するのは、自分が社会的な評価で価値を持つか否かを基準にしているという価値観です。これは、人々の楽しさを阻害する要因となります。
夢中で活動しているときに、何が楽しさを取り去る原因になることがありますか?
-夢中で活動しているときに楽しさを失う原因になるのは、周囲のプレッシャーや義務感、そして「絶対に勝たなければならない」という考え方です。これらは楽しさと相性が悪く、夢中に活動する楽しさを奪ってしまいます。
楽しさと価値観の関係について説明してください。
-楽しさと価値観は深く関わっています。自分の価値が何で決まるかという捉え方が、楽しむことができるかどうかを決める要因となります。社会的な評価に基づいて自分の価値を決めている人は、楽しむことが難しくなります。
挑戦に対しての恐怖心はどのようにして生まれますか?
-挑戦に対する恐怖心は、自分の価値が全て挑戦の結果に依存しているという考え方から生まれます。もし挑戦に失敗すると、自分自身の価値が失われると考えると、挑戦に対する恐怖心が大きくなります。
楽しむことができる人の姿勢とは何ですか?
-楽しむことができる人は、自分が素晴らしさや社会的な評価とは関係なく、自分の状態でも価値があるという感覚を持っています。彼らは挑戦を楽しむことができ、失敗しても自分の価値を失うと感じず、長期的に成長することができます。
価値観の転換とは何ですか?
-価値観の転換とは、勝負を負けても良いという考え方から、自分が素晴らしさや社会的な評価とは関係なく価値があるとする考え方に変わるプロセスです。これは、楽しむことの全てが始まる重要なポイントです。
社会的評価に基づいて生きてきてしまった人が、どのように楽しむことができるようになりますか?
-社会的評価に基づいて生きてきてしまった人が楽しむことができるようになるためには、自分の価値観を転換し、社会的評価とは関係なく自分の価値を認識する必要があります。また、楽しむことが一番重要であるという考え方も大切です。
楽しむことができない理由は何ですか?
-楽しむことができない理由は、自分の価値観に依存しているとされています。勝負に全てをかけ、社会的評価に基づいて生きてきた人は、楽しむことが難しくなります。彼らは楽しむことと自分の価値観を見直す必要があります。
人生で意味や価値を見出す方法とは何ですか?
-人生で意味や価値を見出す方法は、社会的な評価から離れ、自分が与えられた条件の中で生きることを楽しむことです。意味や価値は、他人から与えられるものではなく、自分で生き方を選ぶことで見出されます。
楽しむことができる人が持つ共通の姿勢は何ですか?
-楽しむことができる人が持つ共通の姿勢は、自分が素晴らしさや社会的な評価とは関係なく、自分の状態でも価値があるという感覚を持っていることです。また、挑戦を楽しむ姿勢を持っており、失敗しても自分の価値を失うと感じないことが特徴です。
価値観を変えることの難しさとは何ですか?
-価値観を変えることの難しさは、それが人間の根本的な考え方を変える必要があるということです。社会的評価に基づいて生きてきた人は、自分の価値観を変えることで楽しむことができるようになりますが、それは簡単なことではありません。
Outlines
😀 自己価値観と楽しさの関係
この段落では、人々が楽しむことを妨げる自己の価値観について議論されています。特に、スポーツや他の活動で楽しむことの重要性と、それを阻害する自己の価値観の影響に焦点を当てています。楽しむことの難しさとして、周囲のプレッシャーや義務感が楽しさと相性が悪いと指摘されています。また、楽しめるかどうかを左右する自己の価値観として、「自分の価値は社会からの評価で決まる」という観点が挙げられています。この価値観は、自分自身の価値が社会的な成功や競争での勝利に依存していると感じている人々に見られます。その結果、失敗の恐怖が挑戦を難しくしており、それによって長期的な楽しみや成長が阻害されていると解説されています。
😀 社会的評価と自己認識の転換
この段落では、人々がどのように社会的評価に依存して自己の価値を決定しているかについて詳述されています。多くの人が、競争や比較において上位に立つことによって自己の価値を見出していることが説明されます。しかし、このような価値観は、長期的に見ると個人の精神的な健康や楽しさを損なう原因となります。そのため、自己の価値観の転換が必要であり、それは自分自身の内面から始まるべきだと強調されています。成功や失敗を超えた自己認識を持つことで、真の楽しさや成長が促進されると提案されています。また、人間は自己価値を外部評価ではなく、自分自身の内部から定義するべきであり、それによって社会的評価からの解放を目指すべきだと述べられています。
Mindmap
Keywords
💡楽しむ
💡価値観
💡モチベーション
💡プレッシャー
💡挑戦
💡社会的な評価
💡自己価値
💡夢中になる
💡成功と失敗
💡意味
💡価値観の転換
Highlights
楽しむことを邪魔する自分の価値観について語っている。
努力後に楽しむことができるというアドバイスがあるが、実際には難しいと感じている。
楽しむことが難しい理由として、社会的なプレッシャーや義務感が挙げられる。
自分の価値が社会的な評価によって決まるという考え方がある。
楽しむことができる人は、自分の価値を社会的な評価とは独立して認識している。
挑戦に対しての態度が、楽しむことができるかどうかに大きく影響している。
楽しむことができる人は、挑戦を楽しむことができるという。
価値観の転換が楽しむことの鍵であると語っている。
固定化された価値観から解放され、楽しむことができるようになる過程について語っている。
自分の価値観を変えることの難しさについて述べている。
楽しむことができるかどうかは、自分の価値観に大きく依存していると述べている。
楽しむことの全てが始まるという言葉で、価値観の転換の重要性を強調している。
自分自身が素晴らしさや優劣を決める主体であると述べている。
人生には意味や価値はなく、ただ楽しむことが大切だと述べている。
踊る阿呆に見る阿呆と同じ阿呆なら踊らにゃ損という言葉を使って、楽しむことの大切さを強調している。
Transcripts
はい
これはご質問でですね
あの私がまだ全然別の所に書いた文章で
楽しむことを邪魔する自分の価値観という
ものが張った後それをちょっと解説して
くださいっていうのはありましたそれに
ついて話をしていきたいとおもいます
どんなこと書いたかもう忘れちゃったん
ですけどもまぁおそらくこんなことだろう
なっていうのを話していきますがう
まあ
選手含めてですねあの人間が何かに対して
行
頑張っていくっていうんですかねそのある
ことをちょっと高めていこうと思う時に
ですねまあいろんなこう自分なりの考え方
にモチベーションが混ざってくるわけです
ね
その中で楽しんでやればいいんだよという
ことをよくアドバイスされると思います
これ私し形だと思っていてやっぱり人間
夢中でするを楽しんでやってる時が一番
伸びますからすぐ一番いいんですね
ところがこれは難しいわけですね楽しく
やっていく夢中でやっていくっていうのは
とても難しい
何が難しいかというとまずまあやっていく
うちで団らん周囲のプレッシャーとかが
関わってくるので純正に楽しくやるって
いうのはなんか難しいと義務感ってのは
楽しさととっても相性がよくないですから
なんか絶対に勝たなきゃいけないんだとか
失敗しちゃいけないとかと思うとどんどん
どんどんするが楽しさが失われていくと
いうのはあります
もうちょっと根本的なこというとですね
すること自体は全部外部環境なわけです
同じような環境でも楽しさを失わない人も
います
でじゃあ自分自身の中にあるもので
楽しめるか楽しめないかに影響を与えて
いるものは何かっていうのがこの楽しさを
阻害する自分の価値観っていう話なんです
けど
決定的な価値観は何かと言うとですねー
自分自身の価値が何で決まっているかと
いう捉え方ですね
楽しくない人は自分自身の価値は
世の中にある
様々なレースで
自分が上位に行くこと優秀だと証明する
ことで自分には価値があると見ているわけ
ですね
マンなので一言で言えば社会からの評価に
よって価値があるかどうかを決めている
これ楽しいんですけども
好きな人の自分の中でそういう実感がある
根っこで楽しむメル時には何が起きてよ
かっていうとそれはう
自分自身が素晴らし過労が素晴らしく
なかろうが何と思われようが自分は自分の
状態でも価値があるという感覚を持って
いるということなんですじゃあいって何で
これが影響するのかというと
結局のところですね今から自分が行う
プレーが
まあ重要だと思う
誰も下が重要だと思うんですけれども重要
なんだけれども
この自分が今からやることで失敗したとき
に失うものは何かっていうのを考えた時に
へ御品物はもちろんあるんだけどそれでも
自分というのは結局残ってるじゃないかと
思う人間にとってみると
結局チャレンジなんですねなんかある
ホームがあってこっちがに出て行ってみる
ことになるわけですねあくまでベースが
あるとそこからちょっと出てみてやって
みるとうまくいったら褒められるかもしれ
ないし外交は考え失敗したらあのまあおめ
られないかもしれない馬鹿にされちゃうか
もしれないまあそうかといってもどって
くるというこの感覚の年限と今からやる
ことで評価を受けてうまくいけば褒め
られる失敗すれば
けなされるとそれ自体が自分の価値を全て
決めると思っている人にとってみると挑戦
の恐怖心があまりにも違うわけですね
絶対に成功しなきゃいけない挑戦と成功し
たらラッキー失敗したらまあしょうがない
と
と思う人手はですね全然この挑戦に至る時
の身長が違ってくるわけですね
でどっちが楽しいかというとやっぱりこの
挑戦っていうのがあくまで挑戦であって
自分自身の価値の指定までにが繋がらない
と思って人にとってみたほうが楽しいわけ
ですね
なんか一見すると逆の世界観ですねか全て
がをかけている人の方が
なんか勝負には強そうに見えるけど長期的
みるとじつはすべてをかけている人間では
なくて自分は自分で構わないと思っている
人の方が挑戦を長く続けていくので結果と
して成長することが多いというのが非常に
しに来な
スポーツの現場で起きていることじゃない
かと思います
なんでこの人はこういう価値観をもつのか
というとそれ要するに自分自身って言う
ものの
もうちょっと言えば人間の価値というもの
は
あの社会的に評価されるか否かランキング
で上位にいくかどうかによって決定されて
いるというようなことを刷り込んで生きて
きてきたわけですですからそういうふうに
認識しているわけですね
まあだからある意味で世の中に出ている
商品が常に評価を受けますねお茶が5つ
並んでてその茶がおいしいから一番売れ
てるかなという評価と自分自身が他の友達
と並んでいて誰が一番上手いかどうかで
勝ちが決まっているのがセットで見えて
いる人にとってみるとまぁやっぱり上に
行かないと強いわけですねです何でそんな
感覚を持つかっていうとやっぱりそのよう
な環境にいたっていうのが一番なんじゃ
ないかと思います
こういう人たちはやっぱり苦しそうベロが
遠いんですね長く競技やっていくと
で
楽しくやりたいと僕もスポーツ楽しくやり
たいっていうんだけれども
主救命楽しそうにやろうとするんだけど
なんとか楽しいなぜか楽しめないわけです
なぜならば楽しい楽しくないの前の
世の中を自分が見ている自分の目線に今日
があって
結局のところ
物事の価値っていうのは勝つか負けるかで
決まってるよね成功しているか失敗して
いるから決まってるよね
自分自身の価値もそれに依存してるよねと
思っていると
結局そこから逃れられないわけですね
だから楽しくやりたいと思う人がやら
なきゃいけないってことは楽しいことを
やっていくわけじゃなくて自分が世の中を
見ているこの目線自体の転換にあるわけ
ですけども
これが中々難しいわけですね
まあ何の転換かというと
勝負は負けてはならない
という物事の見方から勝負を負けてはなら
ないと思っている私がいるというとこへの
転換なんですなぜ私はそのように思う思っ
ているのだろうかっていうところからまあ
楽しむことの全てが始まっていくわけです
けどもこの転換は真ん中中まあメタ認知
みたいなもんなんですけどむず香椎ところ
があって
できる人ができない人もいるけれどもまあ
多くの人が問いかけていけばできるように
なるんじゃないかと思いますん
まあ本当に弾いてみるとですね
なんかちょっと誰かより速いとか優れて
いるとかなんとかって言うなものすごい
引いてみると
何のさでもなくてまあそもそも何が優劣か
どうか自体を決めているの人間なわけです
ねこの固定化された価値観の中でです私達
一生懸命頑張っていける今一歩引いて見る
と善悪もないし優劣もないわけですねまぁ
そ望みも何にもないしまー生物というのは
たが
あの自分で生まれてくるわけじゃなくて誰
かに方向
旨されるっていうかまぁ気がついたら自分
の意思ではなくて生まれてまあそれに与え
られた条件の中で魚竿して時間が来たら
死んでいくっていうそういう全体の
プロセスの中でチューブでしかないわけ
ですね
だけどここに何回目がなきゃいけないと
意味とは何だ価値とは何だそれは社会的な
評価を受けてとかっていうところにハマっ
ていくと楽しさというのはどんどん消えて
行き
でそれだから放たれて言ってはまあなんか
何事も意味はないんだなって思うとまぁ
なぜか楽しくなっていくっていうそこの辺
の価値観の転換をどうするかがとっても
大きいんじゃないかと私は思っています
私の大好きな言葉にですね
踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らにゃ
損損というのはあるんですけども
まあいってみれば夜中空なわけですね全て
何の意味もないんだけれどもだったら面白
画廊じゃないかっていう生き方が私は一番
楽しく生きて行けて幸せなんじゃないかな
というふうに思っています
世の中には意味がある
価値があるそして自分は価値がある人間に
なろうならなければならない想い思うこと
楽しさが逃げていくっていうこの矛盾と
どう向き合うか
それが楽しさを素梅する
自分の価値観という話だったんじゃないか
と思っています
ピンと来た方がいればいいですけどもまあ
そんな話でした以上です
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