PM DAO Life Story - Shoty
Summary
TLDRこのスクリプトは、神奈川県茅ヶ崎市出身の人物が、家族と共に暮らす経験から、スポーツからダンスに至るまでの自己発見の旅を語っています。中学時代にバスケットボールで負傷した後、ダンスに出会い、そのチームワークと創造性に魅了されました。大学では経済学部で学んだ理論を、サービスデザインのゼミで実践的なスキルに結びつけ、ビジネスとデザインの融合を目指しました。その後、楽天でUXデザインに挑戦し、海外の事例を研究し、プロアクティブな姿勢で学び続けました。コミュニティを通じて、PMタのバリューアセッサーとして、プロダクトマネジメントとUXデザインのスキルを活かし、社会に貢献しています。また、コミュニティを通じて出会い、PMタの活動に参加し、自分のキャリアを豊かにしました。
Takeaways
- 🏠 話者は神奈川県茅ヶ崎市に生まれ育ち、祖父母と両親、兄弟と一緒に6人で生活していました。
- 🌊 幼少期は海に近い場所で過ごし、海風を感じながら育ったと感じています。
- 🏫 小学校から中学時代は海に近い学校に通っており、自然と近い環境で育ちました。
- 🤸♂️ スポーツが好きでしたが、15歳の時ダンスに出会い、現在もダンスを続けています。
- 💃 ダンスはチームで舞台を作り、身体との対話がメインでスポーツ性と芸術性がハイブリッドのようなものだと感じました。
- 🏫 大学では経済学部に通っていましたが、サービスデザインのゼミに出会い、新しい世界観を作ることに興味を持ちました。
- 🛠️ サービスデザインは企業と戦略的イノベーションを起こすことに関わり、全体的な視点をもつ学問として学びました。
- 💡 小学校時代には新しい遊びを作って友達と楽しむことが好きで、サービスデザインにおける創造性と共感しました。
- 🎓 大学卒業後もダンスを続けながら、UXデザインやデザインコンサルタントとしてのキャリアを歩んできたと感じています。
- 👥 社会人になってから多くの人とコミュニケーションを取りやすくなり、ビジネスと仕事楽しむ人々と出会い、仕事と遊びをリンクさせたかったと感じています。
- 🔍 PMタウンで出会い、ジョブ理論や消費者メカニズムなどの新しいアプローチを学び、PMタウンに参加することで価値を提供し、業界を盛り上げたいというモチベーションを持っています。
Q & A
脚本中の人物はどのような出身地について話していますか?
-脚本中の人物は神奈川県の茅ヶ崎市という南で海に面した場所に出身しています。
彼の幼少期はどのような家庭環境で過ごされたのでしょうか?
-彼は祖父、祖母、父親、母親と一緒に6人で暮らす家庭環境で育ちました。
脚本中ではどのような食事文化が彼の育ちに影響を与えていると言及されていますか?
-彼は朝食にご飯、味噌汁、漬け物などという家庭で育ちました。
彼はどのようなスポーツを始めましたか?また、どのような事故でスポーツから離れましたか?
-彼はサッカーやバスケットボールを始めましたが、15歳の時に腰や骨盤の故障でスポーツから離れました。
ダンスに出会い、彼のキャリアにどのような影響を与えましたか?
-ダンスは彼のキャリアにも大きな影響を与えており、チームで舞台を作り上げることや身体との対話がメインだったスポーツ性と芸術性のハイブリッドのようなものでした。
彼は大学で学んだことは彼のキャリアにどのように影響を与えていますか?
-大学経済学部で学んだサービスデザインは彼のキャリアに大きく影響を与えており、企業と戦略的なイノベーションを起こすサービスデザインに関わっていると感じています。
彼はなぜ経済学部を選び、その後どう変わってきましたか?
-彼は経済学部で学んだマクロ経済、ミクロ経済などの理論が社会に役立つと分かっていたものの、自分自身がどうやって役に立つかが分からなかったためです。その後、サービスデザインという分野に出会い、実践的な側面に興味を持ちました。
彼は大学時代にどのような活動を通じて新しい発見がありましたか?
-彼は大学時代にサービスデザインのゼミに出会い、新しい世界観を作るイノベーションに興味を持ちました。
彼はなぜUXデザインやデザインコンサルタントの道を選択しましたか?
-彼はUXデザインやデザインコンサルタントのジャンルで探していた理由は、事業会社でUXデザインに近いことを挑戦し、海外の取り組みを意識的に取り入れていたからです。
彼は楽天での仕事とPMタウンでの仕事の違いは何ですか?
-楽天での彼の仕事は組織の中でのUXデザインに近いことを挑戦するというものでしたが、PMタウンでの活動はコミュニティを作り上げ、プロダクト管理のノウハウを活用したコンサルティングを行っているというものです。
彼はPMタウンでの活動を通じて何を得ていますか?
-PMタウンでの活動を通じて、彼はプロダクトマネージメントのノウハウを活用し、コミュニティを作り上げ、他の人々とアイデアを共有し、認知される場所を提供しています。
彼の現在のキャリアにどのような影響を与える要因がありますか?
-彼の現在のキャリアに影響を与える要因は、経済学部での学び、サービスデザインのゼミでの経験、楽天でのUXデザインの経験、そしてPMタウンでのコミュニティ作りとコンサルティングの経験です。
Outlines
🏠 家族との生活と趣味の変化
神奈川県茅ヶ崎市出身の話が語りました。祖父や祖母、両親と共に6人で暮らす中で育ちました。朝食は米、味噌汁、漬け物など家庭的な風景を思い出し、小学校からの海に近い生活からスポーツが好きになりました。しかし、15歳の時にダンスに出会い、今も踊っており、ダンスはチームワークと身体との対話が重要でスポーツ性と芸術性がハイブリッドしていると感じています。また、中学3年生の時にバスケットボールをしていたが腰の故障で困難を感じ、ダンスに出会いました。大学では経済学部に通いながら、サービスデザインのゼミに出会い、企業と新しいイノベーションを起こすことに興味を持ちました。
💡 サービスデザインへの興味の誕生
サービスデザインに興味を持ち、経済学部での学びを応用し始めました。小学校時代から新しい遊びを作ることや秘密基地を作ることで、サービスを作ることに興味を持っていました。経済学を学んでいたが、マクロ経済やミクロ経済の理論は分かっても好きになれず、社会に役立つことと自分の社会への貢献が分からなかったため、サービスデザインのゼミに参加し、新しい世界観を作ることに興味を持ちました。経済学部での学びとサービスデザインの共通点に気づき、面白いと感じました。
🚀 社会人としてのキャリアと挑戦
社会人としてUXデザインやデザインコンサルのジャンルで探求し始め、楽天に入社しましたが、苦労がありました。海外のデザインを取り入れ始めた時期で、情報収集を意識的に行っていました。事業会社での経験を通じて、ビジネス的な観点を学び、コミュニケーション能力も向上しました。社会人になってから多くの人と話すことができ、趣味と仕事がリンクしてきたと感じています。
🤝 PMタウンと出会い、新しい道の開拓
ジョブ理論や消費者メカニズムについて学び、PMタウンに出会うことで新しいアプローチを学びました。早川さんと出会い、プロアクティブな姿勢に感銘を受け、仕事で還元しようとしました。PMタウンでの活動を通じて、コミュニティ作りやアイデア出しの重要性を学び、持続可能性のあるやり方と実践の方法を模索しました。
🛠️ PMタウンでの経験とその影響
PMタウンでの経験を通じて、コミュニティ作りやアイデア出しの難しさを実感し、組織に属するスタートアップでの経験も得ました。コミュニティを作るのは難しいと学び、PMタウンでの活動を通じてPMのノウハウやUXデザインのノウハウを使ってコンサルティングを行っていくことを決めました。PMタウンでの活動を通じて、周りからの認知を得ることができたと感じています。
🔄 キャリアの変遷とPMタウンへの貢献
キャリアを振り返り、PMタウンへの参加が大きな影響を与えたと語りました。プロダクトマネージメントの知識を身につけ、コミュニティで学んだことを他の人にも伝えるモチベーションを持っています。PMタウンでの活動を通じて、周りからの評価を得られるようになり、次のステップとしてプロダクトマネージャーとしてのキャリアを考えています。
🌟 PMタウンと個人の成長
PMタウンでの経験が個人の成長に寄与し、プロダクト作りに携わることができたと話していました。PMタウンでの活動を通じて、自分の考えをエンドユーザーに届けることができ、キャリアにも大きな影響を与えていると感じています。コミュニティ作りやイベント開催など、小さなコミュニティを作っていくことで、自分のキャリアを広げていると述べています。
Mindmap
Keywords
💡神奈川県茅ヶ崎市
💡家族
💡スポーツ
💡ダンス
💡サービスデザイン
💡UXデザイン
💡コミュニティ
💡プロダクトマネージャー
💡バリューアセスメント
💡キャリア
Highlights
神奈川县茅ヶ崎市出身,与祖父母、父母及兄弟姐妹共6人一同生活,家庭氛围温馨。
成长过程中,受海风影响,对海洋有着深厚的情感。
自小喜欢体育活动,特别是足球和篮球,但在15岁时因伤转向舞蹈。
通过舞蹈发现了体育与艺术的结合,对团队合作和身体对话产生兴趣。
大学期间继续跳舞,同时对服务设计产生兴趣,认为服务设计是一种创新的企业战略。
在大学经济学部学习期间,对宏观经济和微观经济理论感兴趣,但更关注如何将理论应用于实践。
通过服务设计的研究,意识到创新不仅仅是产品,还包括整个服务系统和相关利益相关者。
在大学期间,通过参与服务设计研讨会,学习了如何以用户为中心进行设计。
认为服务设计和舞蹈有着共通之处,都需要即兴性和创造性思维。
在职业生涯中,将服务设计的理念应用于实际工作中,致力于创造有价值的用户体验。
在社会工作中,通过与不同的人交流,提高了沟通能力,并发现自己在团队合作中的优势。
在大学时对街头舞蹈产生浓厚兴趣,这种兴趣在成为社会人后得到了进一步的发展。
通过参与不同的社区和活动,认识到创造有趣的事物并不需要过于严肃的过程。
在PMDA(药品和医疗器械管理局)的工作中,利用产品管理和用户体验设计的专业知识提供咨询服务。
通过参与PMDA,提高了在产品管理和服务设计领域的知名度,并得到了同行的认可。
在职业生涯中,不断探索如何将个人的兴趣和专业知识结合起来,创造出对社会有价值的产品和服务。
认为在多个组织中工作可以带来更多的视角和机会,有助于个人成长和职业发展。
在PMDA的经历中,学习到了如何在组织内部和外部建立有效的沟通和合作关系。
通过参与社区活动和组织会议,增强了个人的领导能力和组织能力。
在职业生涯中,始终保持对新事物的好奇心和探索精神,不断寻求创新和改进的机会。
Transcripts
自分はあのま出身は神奈川県のえっと
茅ヶ崎市というまあのかなり南で海の方に
面したあのところに住んでいてまそこで
えっとおじいちゃんおばあちゃんとま
お父さんお母さんあと自分ととえっとニ戸
ガとのま6人の生活をしていましたまなの
で結構その今ねおじいちゃんおばあちゃん
と多分一緒に住んで屋根の下にこう住んで
るって珍しいと思うんですけどまかなり
こうわ罠な生活ってんですかね本当に朝は
ご飯味噌汁漬け物みたいなあのそういった
家庭でえっと育ちましたとであの中その後
小学校からま中学受験をして中学はあの
また逗子の方の学校に中古に行っていて
全部海が
近いもうあの小学校の時は海が見えるえ小
学校でしたし中古は海と繋がっている
学校であのかなりなんでしょうね海風を
感じながら生きてきたような
えっと幼少期だったかなという風に思い
ます
ま今もスポーツ自体は好きなんですけど
そん時はサッカーとかバスケで途中で15
歳ぐらいの時にそのダンスに出会ってま今
も少しダンスはやってんますがダンスを
続け
ていますとでそうですねだからそのまその
当時なんか大学であ大学じゃないあの中学
かな中学3年生の時に
バスケットボールをやっていてまただあの
途中でまあの故障してしまって
あまあんまりこうなんか思うように腰が
確かに骨盤がずれたとかねえっとちょっと
大変だったんですよねでそん時にでもなん
かこうスポーツは続けたいなた時に
たまたま
なんか親母親がその時に勝手に社交ダンス
にはまり出していてなんかあのショタも
ダンスがいいんじゃないのかって言って
なんかそダンスっていうものを見てみたら
結構そのダンスってまチームでね舞台を
作るあります結構自分とのその身体との
対話みたいのがメインだったスポーツ性と
そのちょっとこう芸術性とかがこう
ハイブリッドにあるような種のこう
スポーツだったのでそこにこうめり込んだ
のがおそらく高校時代ですかねでそれが
このダンスの出会いは結構今の自分の
キャリアにも実は大きくあの影響してい
まして
大学に上がった後にもダンスを続けてたん
ですねでただその後にもまやっぱりダン
スってうまい人はうまいんですけどなんか
自分はなんかああやってセンスがあるよう
には自分はそういうセンスがあるような
人間じゃないなっていう風にこう感じて
どうしたらでもこう観客をこう喜んで
もらったりとか世界観に引っ込むかことが
できるかとかいい良いと言われるその舞台
をステージをとまあるし再現性を持ってこ
作れるか毎回作れるかていうところを考え
たタイミングでたまたま
大学経済学部の大学に行っていたんです
けれどもまそこでサービス
デザインというまあのゼミをやっている
ものに出会ってまサービスザって何かって
言うとまその企業とま
あの戦略的にまあの新しいイノベーション
をどうやったらせるかとかまたら単にその
プロダクトとか単体だけではなくて
プロダクト以外にもじゃあこのサービスが
生まれた時にはこういうステークホルダー
のウンがあるよねとかこういうまあのもし
かしたらロジスティックの流れが変わるか
もしれないね結構そのホリスティック全体
を見てあのサービスをあの設計していくっ
ていうあま学学問かつ実践研究のあってで
結構やっぱそれ企業と一緒にあの
イノベーションを起こすサービスデザイム
していくってのとやっぱりあれフレームと
か
あの再現可能性が高いものを作ってかつま
ある人も多分ユーザーのジャーニーとかも
と近いんですけどステージっていうのはま
どこでこうユーザーをこう盛り上げたりと
かどいう風に感じてもらいたいからこう
いうことをするんだっていうことをあ
なんかあるしこうロジカルにあとこう
考えることができるそういったこう
デザインンっていうアプローチがあるん
だっていうことに気づいてなんかこうあ
これは面白いなでそのサービスデザインに
最後ゼミの34年は
結構便その学術としてのサービスデザイン
もすごい共演を持ちましたしその後にま
純粋にその企業との実践っていう部分でも
すごい興味がったっていうのが自分の多分
今の
デザインに関わっている自分としてのあの
ベースかなという風には思い
ますあの小学校の友達とかとの関係性の方
がちょっと象徴するエピソードあるかなて
いう風に思っていてあの本当に小学校低額
の時は自分でなんか
新しいゲームってなんか友達と遊びいわ
なんか鬼ごっことか泥ケとかまいろんな
その遊びがあるじゃないですかそういう
新しい遊びを作り出すていうのがすごい
自分は確か好きでそれをこう
友達に教えてそれでみんなで遊んでったり
とかあとはまあなんかすごいいわゆる秘密
基地みたいなものをいろんなものをこう外
から集めてきてこうプロトタイプ的にあの
木のところになんかいろんなこうなんです
かねミニシツもおいでこつけたりとか
そんなことをやっていたなっていう思って
ましたね結構そそうれってこう今の
サービスデザインサービスを作る物作りを
するとか人に新しいもの作って当ててみ
るっていうでそこでみんながそこ楽しんで
くれてる伝方も多分自分のモチベーション
だったかもしれ
ないそうですね実はちょちょっとそれは
あの消極的な考えから興味をったんです
けど例そのこは自分はその経済学務にいた
んでいわゆるマクロ経済ミクロ経済とあ
そういったものを学んでいたんですねただ
なんか理論は分かるし面白いかと言われる
とうんちょっと好きになれないがこれが
なんかこう自分の社会に役に立ってること
は分かるが自分ごとにできなかったりとか
これをじゃあ残り2年研究していくという
のは自分にとって何の意味があるのか
分からなかったんですよねで基本的には
その経済学部なのでほぼ全てのものがそう
いったミクロ経済なマクロ経済な何かしら
のゼミになっていてその時にま1つの
サービスまやっているゼがあるらしいて
ことをま知ってあの調べていく時にあの
サービスデザインにおいても
その共同でアイデアをあのしていく
プロセスっていうのがあとかあとはその
どうやったらえっとそのあのなんだ人が
集まった時になんか面白い発想が出たりと
か今まで
え凝り固まっていたものが抜け出せるの
かっていうのはまプロセスの中では結構
重要でそれを結構そのダンスの中であ
なんかダンスバトルとかて結構こう即興性
とてなんかそこで面白い部分がり会場の
熱量が上がったりとか
あのただ今までの経験をベースにして動い
てのったなんかそことこう話を聞いてるち
にどんどん重なできてあこれはなんか
こ
根本的に世の中で面白いものを作り出して
いくというのそんなに堅苦しい話ではない
のかもしれないってその経済学部ねあの他
の自民のお話とか比べるとて思った時に
なんかちょっと興味をったでそのダンス
ダンスととのその共通性っていう類似性に
こう気づけた時が自分のと気がします
面白いですねじゃあ大学のそのゼミですか
ねサービスデザインのゼミに入った後の話
をもかしれないえはいでまゼミそうですね
ゼミ入ってゼミではあの思ですまもちろん
人間中心設計って言われるもののま
サービスの作り方とあとはまえっともう1
つは逆に人間中心じゃなくて自分たちが
こういう世界を作りたいんだこういう
新しい世界観を作りたいまそのま意味の
イノベーションとかわんですけどまその
意味を作っていくで意味を作作って社会に
提示していくっていうことをあどうやって
いくかっていうのをま主に2年ぐらい勉強
していましただから結構それがあの今の
自分の考え方とかに生きていてほなんか
ユーザー中心だけの考え方
ってまあのうまくいかないとやコモデティ
行かしてしまうあみんなと同じようなこと
をやってしまったりするんですけどそう
じゃないよっていう観点を持つたのはその
ゼブの時代
でまやってて面白かったんでこういう
サービスデザインに近いものを社会に出た
ともやってみたいっていう風思いえっと
活動の時にはま1年目でいわゆるその近い
ジャンルで言とUXデザインとかあ
デザインコンサルとかそういったジャンル
でえ探していてま最初はその事業会社でえ
UXデザインうんに近いことをチャレンジ
させてくれるようなま最初の楽天を選んで
入社したていうのがそうですねその後の
就職のきっかけでしたね
あのかなりなんでそこは正直苦労してまし
たとまそれこそ多分早川さんと別海外の
記事ま海外の方がやっぱりねあのザイン
取り入れられの早かったので海外の記事を
当時から読んだりあ本当にUザインを
えっとの的な取り組みをしている会社さん
とか個人の人常にこうわてして情報を得る
ないしはそれを実際にえっと会社の中で
失敗してもいいから取り組んでみるって
いうことをかなり意意識的にしていったと
思いますねでやっぱりあのってあの今
みたいにじゃなんか口座とかがあったわけ
じゃないの
でこれが自分の中でデザインなのかって
いう正解が分からないっていうキャリア上
のかなり不安は常にに抱えながらもただ
なんかやってて思ってたのはま結構
その鳥記事とかそので取り上げられるのは
いわゆるなんか綺麗なデザインプロセスが
こう並んでいてまそれ自体は自分はそこ
憧れがあったんですけれどもでそれが
うまく会社の中でできないって
フラストレーションとか焦りっていうのは
常に感じたんですけどまやっぱ数年34年
かな45年か経ってることにあちゃんと
それはやっぱりこう事業に還元してま成果
数値とか情報も含めてですけど成果を上げ
てえ社会に還元していくでそのまそれに
よってお客さんがサービスを買ってくれて
そのお金が企業に入ってまた投資に回せて
ちゃんとサービスってのは循環していく
ものであるなんかそういったあのより
ビジネス的な観点っっていうのが鍛えられ
てじゃあ本当にビジネスの中で通用する有
生剤とか体験設計ってんだろう
ていうのをあのそうですね自分の考え方
ってのは結構そっち側に当時は寄ってきて
いたよう記憶があり
ますこれはまず正直なところなんかまあだ
あの学生の時代の時よりもやっぱりこう
社会人になってからいろんな人と喋り
やすくなったっていうんですかね
コミュニケーション取りやすくなったなっ
ていうな感覚がありますすとあそれなん
多分なんでなのかなて自分振り返ってみと
さっき例えば大学の時に話したように自分
はそのストリートダンスそのサビザの関連
性を結構こう自分が好きになるレベルで
こう見出したりとかそれそういう感覚って
なんか社会人になってからこういう風に
振り返りなが反省とか話す機会がて話し
たりするとすごいなんかそんなこと思うん
ですねみたいな結構いろんな人に言われた
んですよねなんか自分は一見異なるもの
からこう多分着装とか共通をこう見つける
ようなああなんだろうなことがもしかし
たらその少しあのなんだとんがってるかも
しれないかなっていう風に思ってそうする
となんかじゃ当時そんな大学の時にそんな
話をしてもなんかじゃあ友人はいやダンス
して遊びたいんだよみたいななったら
なんかあんまりこう完成とかいうか価値観
が合わないとかだけどなんかやっぱり
社会人になってから
多くの人とそういった話もできるしあ
なんか世の中ビジネスとか仕事楽しんで
いる人物作りを楽しんでいる人がやり
何かしら自分のそのさっきおしゃられた
原体験と今の仕事とすきを見つけていたい
とか
あーっていうのでなんかそれ自体が
えそういう人たちとイベントうのも楽しい
しそういう人たちと仕事するのも楽しいし
なんかなんすね遊びと
あの仕事っていうのがよりこうリンクして
きてる感じで自分はそっちの方が多分
居心地がいいなんかなんかあんまりだから
なんだろうな仕事と分列した趣味を
あんまり持ってないっていうのは自分の中
ではたまになんか寂しいかなっていう感覚
もあるんですけどなんかでもそれはあの
社会社会人になってから良かったなって
いうね
当時そのそうですねおとりでまイベントに
参加したりもしてましたし自分でイベント
に登壇して発信をすること心がけてました
しまそれこそあのジョブ理論と始めとする
ま新しいあの消費者メカニズムなこういう
アプローチがてことを学んでいる中
でPMタに出会ったのはおそらくままずま
川さんのことをその情報するっていう観点
で
あのインターネットで出会ってウッチをし
ていっ
てま正直まびっくりしましたよねあジョリ
ここまでやってる人はしかも日本語で書い
てくれてる人がここまであいるんだって
いう風なま驚きがありそのとで多分
たまたまあの早川さんのプロダクト
マネジメンと領域でえっとバリュー
アセッサーかアセさと言われるそ全身を
あの調査も簡易的に自分でプロタイムを使
調査するっていう話があってま
なんかなんだろうなその時に感じたのは
こんだけこうプロアクティブになんか自分
のやっていることをま世の中に発信して
実験してああ
あの実験してる人がいるんだま結構だから
自分はそれを仕事で還元することぐらい
しかできていなかったんであ仕事以外の
還元の
仕方っていうのがあのなんか早川さんの
そのポストとかその普段まノート書かれた
のが見えてああなんか面白そうだなて純粋
に思ったのはきっかけでしたかねでそは
その後に分はさんとえっと
valアセについてお話した時にあジョブ
リロ知ってるんすねみたいな話に確かりに
なってまあの自分も物づくりをみんな
が物づくりやり方が分からないってんです
かねあの思いがあっても作れないとかで
しょうもないプロダクトができてしまう
しょうもないサービスができてしまうとか
いうのが少しやぱもったいないなとか思っ
ましたし自分自身があのUデザインを
すごいあるでしょこう
安中模索で苦労して身につけていたあの
背景があったのでそれってま全員が別に
そんな苦労する必要はない正しいものとか
もっといけてるものがあるんだったら早く
それに触れてもらった方が
あのデザインの業界でもプロダクト
マネジメントの領域でももっと業界が
盛り上がっていくっていう風な
あのなん信念があったのであなんかそこ
一緒に何かできる協力したいなっていうの
で多分そのPMダをやるよってんだったら
あじゃあ僕も最初にあぜひあ参加させて
くださいってのが確かきっかけか
な当時実は
そのスタートまなんだなスタートアップ
外部でそのスタートアップをま01でま
あの事業を作るっていうの2回ぐらい実は
平行して自分経験をしていてま本当にVC
にプレゼンしであのお金もらってっていう
のをやってたんですねでまかやその楽天と
いう会者ではま本当に組織の迫るとして
働くと
え結構極端だったなてその時思ってたん
ですよねあのどっちもハードハードだった
両方を並行してやるのすごいハードだった
んでうん実践の仕方ってなんか
いい安売を知らなかったんだと思ですねで
そん中でその早川さんがあのやろうとして
いるそのだっていう形だったりとかまは
さん自身がやらあの個人でそのバリア
アセッサーをまず建てようとしてその個人
的な活動とかっていうのを見てあ
なんか1人じゃできないかもしんない
けれどもお同じような心出しを持ってる人
みんなでえやったらもう少しなんか
持続可能性があるやり方と実践のやり方と
か世の中の還元の仕方ってのはあるのかも
しれないなっていうのをあの特になんか
PMタのエピソードから感じたというか
その自分の極端なそのそうですねあの人生
の中からもう少しいい安倍のものな探して
いたっていうのは多分正直なと思です
ねただピーブダオの中でまず自分
のなんだろな期待値とま合っていたのが
ままそれ多分分かってたんですよま
バリューアセたプロダクトがあったからま
それをま最初は
えっとユーザーに最終的に当てられるよう
に磨いていこうまそうなったらそ有益星剤
っていうのはまあの関わることができたの
でそれ自体はあのその期待としては
ああってたなて思っていてま一方でやっぱ
そのPMだを新しいあのコミュニティの形
ラオ自体がやっぱこうね皆様を苦労してい
たと思うので作り上げでそれを作っていく
そん中でもあとはみんなが自立的にこう
やりたいものをアイデアを出していくって
いうあやっぱりそこがま必ずやっぱり
うまくねあの行っていなかったとも思い
ますし今振り返るとどうやったら今
振り返ってもどうやったらその時にうまく
いってたのかってまだ自分でも分からなく
て
あーあやっぱりコミュニティとかあと仲間
とえみんなが自律にやりたいことやって
いくのって難しいんだなっていうまその
さっき言ったように組織に属するま本当も
スタートアップある人のこう組織ですよね
ちゃんと組織だっ
てでちゃんとプロダクトを作るものがあ
るっていう状態なんでそんなく何を作れば
いいのかわからないとかていう状態から
コミュニティやっぱり作でやっていくこと
の難しさっていうのを正直そて感じました
ねああだからなんかちょうどいい販売て
ものを目指したけれどもやっぱそこはそれ
なりでやっ難しさがあるんだなっていうの
があ当時を振り返っはんですね
そうですね今PMDAでのオナその関わり
方としてはあの1番の多分メインがそのま
PMダが持ってるま主にそのvalえ
ディカバリーとしたまプロダクト
マネージメントのノーハウだったりそれを
使ってあとまUXデザインのノーハウって
いうのを使ってまコンサルティングをして
いくりそれをパッケージにして売ってい
くっていうことまあとはまあのバリ
ディスカバリー自体をえのまプロンプトの
改善だったりそれの提案ないしはあの
世の中にPMダバリディスカバリーを自分
がこう目広めていくっていうことを思に
やっていますとでそうですねその中で
やっぱり自分がうん地生活とかあの仕事に
繋がるところで言うとやっぱり
そのプロダクトマネージメント物作りの
仕方をちゃんと知っていそうな人って周り
からすると分からないんでそれがなんか
PMダオみたいなあの大きい
コミュニティでこういうことやってますっ
ていう風に言えるのはあ意外となんだろう
あの周りから受け入れられやすかったりと
かラベルとしてすごくこうあ役に立って
いるんだなっていう感覚があってあそれで
あればま本当にだから今一緒にはさん例イ
さんとかあのね長川さんとかもみんなそう
ですけど力があるのになんかそういう
スポットライトみあみなってなんかすごく
もったいないっていう風に思っているので
やっぱりこうPMだとかバリスカバル自体
を自分がうん前に立ってあのそれ自体を
目立たしていくでそれがあPMだをって
いうのがあるだバリディスカリってのある
そこに関わっている人っていうのが後から
出てった時にちゃんとなんか正当な評価が
そのフィールドで受けられるよう
にできるんじゃないかなって
いうているっていうのが意外と最近の
モチベーションだったりはしますねまだ
から本当にPMダウにいることがあの自分
にとっての
最初物作りがちゃんとなできそうな人間
っていう風なあステージにたたしそれをだ
から今度みんなにも反していくっていうの
が多分次の自分のページ
思って
ます1個はその自分があの事業会社をやめ
て今どちらかというとコンサルテーション
側に入っているのでやっぱその時に
プロダクトを
まず自分たちに持っていないのか作る機会
がないい
でちょっとそこは実は悩んでたんですよで
もそうプロダクトを作るなやっぱりフル
コミットで外ね集をでやっぱ他の会社さん
入るっていうのが日本だだ一般的あ当り方
とは一般的だったんですけどそうすると
やっぱりやりたいこと他にもできないで
そん中であのPMダオの今の編み方って
いうのはその両がある人で生きるあ状態
だっったので自分のそのプロダクトを作っ
て自分の考え学んできたものをあるし
エンドユーザーに最終当てるっていう
なんかそこができる機会がもらえてるのは
正直すご嬉しいなっていう風に思うだから
それは自分の自分の中のキャリアでも
プロダクトをちゃんと今やっていますとか
プロダクトに関わっていますて言える
言えるとか自分のそのジフがあるとかって
いうのはあの
自分の今の企業結構大きく支えてるていう
感覚ありますね
かなそれはかなり多分いいと思い
ますで自分を振り返ってみるとあこれ
やっぱ皆さんのおかげなんですけど皆さん
と一緒にPMダオ
である程度周りからこう認知されたりとか
そのプロダクトを作れたりとか実際に企業
さんからお声がけをもらえてる状態を
作りあげることができたとでそれってまあ
あさっき言ってたその両極端じゃないよう
なチャレンジの仕方の1個やり方がね
ちょっと見えてきたとかま2年ぐらい経っ
てようやくこうあの回ってきたってことか
なてあこういうやり方で他にも色々物事で
チャレンジできるんだなっていうそこの
ポジティブな感情っっていうのは2年前と
かくらいも強くなってきてま今自分がその
組織複数の組織に得しているのでその時に
必要ななんだろうな例えばじゃあデザイン
とUに関するこ取り上げられてるこあ
デザインとえっとAIについて取り上げ
られてる内容が少ないなと思ったらじゃあ
ちょっとそこのコミュニティをちょっと
作ってみるのがいいかなとかイベント
なんかやってみるのいいかなとかまことを
小さくても起こすとかコミニティにして
いくみんなでやっていくっていうことに
対する自分の1つの先行的な実験上だった
ようがあってそこからの学びは自分で
キャリアを広げてますし私生活もそれに
よってやっぱいろんな人を出会うことが
できたんでかなりその点でPMタに感謝し
てるPMなは
ね
あのなんだろうな
ああ
なんか龍竜うんなんだろなんか
反流体のようななんか安定
感とその不安定感があるなていう風に思っ
ていてあるしろなんかそのスライムゼリー
のようなで
あの一見やっぱりすごなんかスライムなで
不安定そうに見えるんですけど意外にそこ
の上に乗ってみるとプルンプルン揺れるん
だけれどもなんかあのいろんなこともでき
ますしみんなとまあ何かやろうて小さくで
もいいやろうって言ってみるとやっぱり
それぞれが優秀なん
でなんとなくこうちゃんと形になってそれ
をやっぱ外に届けられるで今皆さんも
キャリアとしても多分ねもう5年以上とか
引出す10年以上の人もいるとま外への
繋がりもあるんでそれはやっぱ価値を
分かってくれる人がいで繋でそれを認めて
くれる人に対してまたプレゼでき
るっていう風なあま意外とこのすこれね
ファ流体女とこに乗る
とそのこう不安定差も楽しく感じるなって
いう風に思てい
ますねうんそんな気はしますそんな風な
なんか感触がありますありがとうござい
ますじゃ今回シテさんのライフストーリー
について伺えました改めてありがとう
ございましたありがとうござい
ますOG
5.0 / 5 (0 votes)