(20)北海道交通の拠点、小樽市を巡る 【日本一周 船の旅 小樽】

スーツ 交通 / Suit Train
28 Mar 202440:04

Summary

TLDRこの動画スクリプトは、北海道小樽の歴史と現代の姿を描いた内容です。小樽は、石炭産業と漁業の中心地として栄えた港町であり、衰退した後も観光スポットとして再び注目されています。博物館や歴史的建築、運河公園など、多くの観光地が紹介されており、地域の魅力を伝えるとともに、小樽が経済力を持った都市として維持されている様子が感じられます。

Takeaways

  • 🌆 小樽運河は歴史的な観光スポットであり、過去の賑わいを今に伝える美しい景色を提供しています。
  • 🚢 北前船は小樽の港に来ていましたが、時代が進むにつれて、苫小牧などの新興港によって取って代わりました。
  • 🏰 小樽の豪華な建物は、漁業経営者やその家人のためのものであり、昔の繁栄を今に残っています。
  • 🎣 2後店は漁業の中心地であり、その重要性は小樽の経済発展に大きく貢献しました。
  • 🚂 鉄道の敷設と石炭の輸送は、北海道の工業化と経済成長に欠かせない要素でした。
  • 🌟 小樽は観光都市として再び輝きを放ち、多くの観光客を引き付けています。
  • 🏙️ 小樽の港はかつては北海道の物流の中心でしたが、時代の変化とともにその役割は変わりました。
  • 🌱 小樽は石炭産業の衰退に直面しましたが、それを乗り越えることで新しい観光地としてのアイデンティティを築きました。
  • 🎥 宣伝ビデオは小樽の魅力を広めることに成功しており、観光客の数を増やしています。
  • 🌄 小樽の運河公園や博物館は、地域の歴史と文化を保存し、観光客に紹介する重要な場所です。
  • 🛳️ 新日本海フェリーは小樽を訪れる観光客にとって、北海道を他の地域に移動する際の便利な手段となっています。

Q & A

  • 小樽の観光地として有名な運河は何ですか?

    -小樽運河は、小樽の中心部にある有名な観光地で、明治時代に開発されました。

  • 小樽が経済的な繁栄を享受した理由は何ですか?

    -小樽は、石炭産業と水産工業の中心地であり、これらの産業がその経済的な繁栄をもたらしました。

  • 小樽運河周辺に残る歴史的な建物は何ですか?

    -小樽運河周辺には、石炭の積み出しや倉庫をするための歴史的な建物が残ります。

  • 小樽の観光業はどのように発展しましたか?

    -小樽の観光業は、その歴史的な背景と美しい景色を活用して、宣伝活動を通じて発展しました。

  • 小樽の石炭産業が衰退した原因是什么ですか?

    -小樽の石炭産業が衰退した主な原因は、日本の経済成長に伴い、外国からの石炭の輸入がより経済的になったことです。

  • 小樽の運河公園にはどのような歴史的な価値がありますか?

    -運河公園には、小樽が発展した際に重要な役割を果たした運河の歴史が残ります。また、博物館が設置され、鉄道や石炭産業に関する展示がされています。

  • 小樽の港でかつて行われていた石炭の輸送はどのようなものか述べてください。

    -小樽の港では、石炭を大型の船に積み、全国各地に輸送していました。石炭は鉄道で運ばれ、船に転載されていました。

  • 小樽の歴史的建物を保存する際にどのような課題がありましたか?

    -小樽の歴史的建物を保存する際の課題には、建物の老朽化や修復コスト、再利用の方法の見つけ方、そして現代のニーズとの調和が含まれます。

  • 小樽の観光客提到的优点は何ですか?

    -小樽の観光客は、その地域の美しい景色、歴史的な建物、親切な住民、そして美味しい食べ物に魅了されています。

  • 小樽の港の歴史的背景をどのように簡潔に述べることができますか?

    -小樽の港は、明治時代に開発され、石炭産業や水産工業の中心地として発展しました。その後、経済的な役割は変化し、現在は観光業に重要な役割を果たしています。

Outlines

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🏞️ 小樽運河とその周辺

この段落では、小樽運河の歴史とその周辺地域の景観が紹介されています。小樽運河は、北海道の小樽市に位置し、観光スポットとしても人気があります。運河の周辺には、観光客が楽しむことができる多くのお店や博物館があります。また、小樽市は、日本の経済発展に重要な役割を果たした港町であり、その繁栄を今に伝える建物や遺産が数多く残っています。

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🚂 鉄道と小樽の発展

この段落では、鉄道が小樽の発展にどのように影響を与えたかが説明されています。北海道の鉄道網の発展に伴い、小樽は港町として栄え、経済的中心地となりました。また、小樽から始まった北海道の鉄道は、石炭輸送のために重要な役割を果たし、その発展を促しました。小樽駅の歴史や、その周辺地域の変遷についても触れられています。

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🏗️ 小樽の工業と石炭産業

この段落では、小樽の工業と石炭産業についての情報が提供されています。小樽は、石炭産業の中心地であり、その産物が日本の経済成長に貢献しました。しかし、石炭産業の衰退に伴い、小樽も経済的な衰退を経験しました。博物館や見学施設では、当時の石炭積み出しの様子や、産業の歴史を伝える展示があります。

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🛳️ 小樽港と北海道の開發

この段落では、小樽港の歴史的意義と北海道の開發について学ぶことができます。小樽港は、北海道の開發と一同、石炭輸出の重要な拠点となりました。港の建設と発展は、北海道経済の中心地としての小樽の発展に大きく貢献しました。また、小樽港の周辺には、北海道開發の歴史を反映した建物や記念地が数多く存在しています。

20:06

🎏 漁業と小樽の文化

この段落では、小樽の漁業とその文化に関する情報が紹介されています。小樽は、漁港として亦しく重要な役割を果たしており、漁業に関連する文化や伝統が色濃く残っています。博物館では、漁師や漁村の生活、そして漁業の歴史について学ぶことができます。また、小樽の食文化や観光スポットにも、漁業の影響が感じられます。

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🌆 小樽の近代化と観光業

この段落では、小樽の近代化と観光業の発展について説明されています。小樽は、日本の近代化の波とともに、観光地として徐々に知名度が高まりました。小樽運河や博物館、豪華な建物など、観光資源が豊富で、多くの観光客が訪れています。また、小樽の文化や歴史を反映したイベントや祭りも、観光業の発展に寄与しています。

Mindmap

Keywords

💡小樽運河

小樽運河は、北海道小樽市の観光名所であり、その歴史的背景と美しい景色が魅力です。この運河は、小樽の港から内地への物資輸送に利用され、小樽の発展に大きく貢献しました。現在は、その歴史的価値と美しい景色を楽しむことができる観光スポットとなり、多くの観光客が訪れます。

💡観光客

観光客とは、旅行や休暇を目的に外地を訪れる人々のことを指します。小樽は多くの観光客を引き付ける美しい景色と歴史的建物が集まっており、それらを楽しむことで経済活動が促進されます。

💡石炭

石炭は古くから人類の生活や産業に欠かせないエネルギー源の一つです。小樽では、石炭の装卸や輸送が行われ、その需要が小樽の経済の発展に寄与しました。しかし、石炭需要が減少に伴い、小樽の産業构造も変化を遂げました。

💡宣伝

宣伝とは、組織や地域が自分たちの商品やサービスを市場に紹介し、人々に興味を引き出すために行う活動のことを指します。小樽の観光業界では、宣伝活動を通じて観光客を誘致し、地域経済を活性化することが重要です。

💡北海道

北海道は日本の最北端に位置する島で、豐かな自然や独自の文化が魅力的です。小樽は北海道に位置する都市であり、その歴史や観光資源が北海道の一部分として紹介されています。

💡経済成長

経済成長とは、ある国や地域の経済が時間の経過に伴い生産や所得が増加することを指します。小樽では、経済成長に伴い産業構造が変化し、石炭産業の衰退が見られました。しかし、観光業の発展などによって経済を支える新たな産業が育ちました。

💡歴史的建物

歴史的建物とは、時代や歴史の価値を持つ建物を指し、小樽には多くの歴史的建物が残されています。これらの建物は、小樽の歴史や文化的背景を物語る重要な証跡として、観光客に愛されています。

💡

魚は小樽の漁業において中心的な役割を果たしており、地元の食材としても親しまれています。小樽では、新鮮な魚を材料にしたグルメや、魚に関する観光活動が楽しめます。

💡観光誘株式会社

観光誘株式会社とは、観光客を誘致することを目的とした企業のことです。小樽では、観光誘株式会社が活動し、地域の観光資源を効果的に宣伝し、観光客の増加を目指しています。

💡石炭貨車

石炭貨車とは、石炭を運ぶための列車車両のことを指します。小樽では、石炭貨車が港から石炭を運ぶ重要な役割を果たし、小樽の産業発展に貢献しました。

💡防波堤

防波堤とは、波の衝撃を和らげ、港や船を守るために作られた構造物です。小樽の港には、長くて堅牢な防波堤があり、これにより船舶の安全な停泊が保証され、小樽の港活動が盛んに行われました。

Highlights

観光客で大繁盛し、訪れるお客さんはみんな親切な方ばかりだとの好評を得ている。

スーツチャンネルを使った宣伝が効果的であること。

北海道の小樽運河が有名な景色として紹介されている。

過去の賑わいと現在の静けさを比較し、港の変遷を振り返る。

小樽が政府によって開発された歴史的背景。

小樽港の重要性と、それが日本経済に果たした役割。

戦前の小樽の賑わいと貢献を詳述。

小樽運河の内陸への影響と、それによる物資の運搬。

観光都市としての小樽の変化。

運河が小さくなった理由とその影響。

小樽の経済的衰退とその原因。

昔の建物が多く残る小樽の特色。

北海道の開発における小樽の役割。

石炭産業の衰退とそれに伴う小樽の変化。

観光としての小樽運河とその歴史的価値。

小樽が観光地としていかにして生き残っているか。

Transcripts

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当社の動画で宣伝をすれば観光客で大繁盛

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しかも訪れるお客さんはみんな親切な方

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ばかりだと取引席の皆さんからもご好評を

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いただいておりますスーツチャンネルを

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使った宣伝は観光有地株式会社ま僕の会社

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なんですけれもここにお任せください

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ませ

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ぐるりと同等の見物をえてまた戻ってき

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ました北海道は知辺小樽運河です有名な

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景色ですね港へ出てきました昔の賑い用は

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凄まじかったそうです今はというとそれ

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ほどではありませんが自動車運搬をしてる

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のかあの船が

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へえあれを海外へ持ってくんですかね

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ナンバーもついてないみたいですまそり

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そうかこの北海道タ明治時代に北海道の源

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に目をつけた政府によってどんどん開発を

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められまして札幌を本当はま道長の所在地

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とするということは決まってはいたんです

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けれどもしかしま地図を見ていただければ

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分かりますが札幌にはこのように港が近く

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にありません一番近くにある良い港町とし

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て目をつけられたのがこの小樽でした日本

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優先に大阪小鮮になたる船会社が続々と

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出入りをしていたこの小樽の港今でもその

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岩壁は姿を変えていないということが

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分かります昭和10年にこれを作ったん

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ですね当時の内務大臣がこれを書いたそう

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ですこの港のとろ沖合い見るとですね

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ずらっと横1000に立派な防波堤があれ

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も相当古いやつです総力を上げて建設され

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まして安定して北海道の外へ重要な貨物を

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大量に遅れるようになりました日本経済に

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果たした効果も大きかったでしょうこの

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駐車場越に奥を見るとまっすぐ小樽駅まで

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道が続いています小樽港の岩壁はどれも

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とても古いです砂利がたくさん混じられた

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古い時代のコンクリートまあ戦前のやつ

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でしょう本当に戦前のオタル州は今とは

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もう全違うとんでもない賑用であったそう

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ですここがですね海と繋がっているわけ

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ですけれどさらに内陸の方向に運河がその

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まま掘り込まれていまして内地から

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送り届けられてきた様々な物資がここに

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到着しまたさらに鉄道で札幌へ運ばれて

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いくということになるわけですね戦前の

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華やかなこの樽の貢献がここに描かれてい

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ますこれがさっきの岩壁に到着した大型線

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ですねよく見るとそこからですねたくさん

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の貨物がこんな風にしてクレーンで下ろさ

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れていて下にはこの水深の浅い運に入ため

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の大量の橋が止まりまくっていますすごい

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数ですよねでそれがまたそれぞれうようよ

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動いてきてこの運河に到着し倉庫と橋渡し

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をして2をしていたわけですこの場所コス

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がまさにここなのですねもう大樽には橋

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すら一石も残ってはいませんが倉庫にです

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ね今でもその橋と橋渡しをしていた扉が

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全部開け放たれていまして観光客を楽しま

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せていますタはもはや経済都市ではあり

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ませんが観光の都市として立派な地を維持

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していますで見ていただくとですねよく

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考えれば分かると思うんですがこれらの

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倉庫の大きさに対して運河があまりにも

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小さすぎ

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ますこんな大きな倉庫に物を入れるのに

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はけも相当なサイズで来るわけですよ

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あそこに観光線が止まってますけどね観光

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客を乗せるならあのサイズでいいでしょう

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があの貨物の扱いをするのは遊びじゃない

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んですからもっと立派なバーンと大量に

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積んだものが来るわけですそうすると端が

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すれ違うことするちょっとままならない

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ぐらいの川幅なんじゃないかなと思うん

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ですがなんでこんなに運河が小さいのかと

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言とこれはこっちを埋め立ててしまった

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からです元々はこの倍ぐらいの幅があった

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らしいですもう使わないからですねだから

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埋め立てちゃって道路に変えた方がいいと

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いうことで大太は歩いているとちょっと

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衰退の歴史を感じざるを得ませんこのよう

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に物の集まるオタルは北海道を代表する

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経済都市だったのですが戦後は完全に衰退

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したわけでしたその繁栄はもう見る影も

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ないと言いそうな流れですが見る影は

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めちゃめちゃあります当時の立派な建物が

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ほとんど残っているのすごいですよね町が

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経済都市としての地位を失ったからこそ昔

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の建物も残されまたそれを新しく

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建て替えるという同機も生まれず観光都市

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になったわけです日銀の視点もあったん

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ですよ2002年まではあったはずです今

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は記念間資料館になって

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ます1869年の樽がこれですこれから

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70年ぐらい経つともう今とほとんど

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変わらない景色になってるわけですから

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すごい力の入れ用だったわけですそして

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北海道最初の鉄道はこの小樽からしかれ

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ました後でまた紹介したいと思いますが

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小樽が一時期北海道の玄関だったんです

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函館よりもある意味では早かったんですね

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ここを拠点とするからには必要な資金も

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用意するということで銀行の活動も始まる

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わけです明治20年代かなり初期のオタコ

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まだ前部みたいなのが明治時代になっても

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たくさんうろうろしていた頃ですね後で

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説明しますが二神涼二心がね国の経済を

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動かしてたんですよ明治30年になると

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ちょっと棋戦が増えてきたようですその頃

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の鉄道網がこんな

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感じ小樽室蘭釧あとは函館ですかねこれが

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北海道の古くからある4大港町ま函はまだ

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大丈夫だと思います釧ももうだいぶ性資業

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とかもなくなってきてきついんじゃないか

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と思いますが

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ままだまだでもね同等の拠点としての地が

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あります大樽室蘭はもうちょっと公案都市

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としてはどどうなのかなみたいなところは

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ありますよねしかし戦前の繁栄ぶりは

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ものすごくちょうどこの辺りの景色ですま

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今とそんなに大きく変わってないんじゃ

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ないかここに映ってる建物も半分か1/3

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ぐらいは残ってるんじゃないかという気が

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するんですがしかし昭和になる頃にはもう

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さっき歩いてきた道はこんな感じになって

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いたのだと言います小樽市の金庫がその

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まま残されていますで入っていいんですね

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結構扉も分厚いんだな燃えたら大変です

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からねまたすりゃいいのかな日銀は別に

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なくなったら作りゃいいできる気もするん

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ですけどどうなんでしょうとはいえ作るの

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にも金かかりますからね1000億円分の

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紙幣らしいですそもそも日銀のやっている

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ことをみんなに知ってもらうための施設な

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のでお札とか貨幣一般に関する展示の方は

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どちらかと言えば多いです経済をお金に

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例えると血液がお金で血管が銀行であり

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それを全て動かし全ての血液がまた戻って

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くるのが日銀だということが展示されてい

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ますそしてこの小樽も北海道の心臓とかて

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呼ばれていたのだそうですなぜ小樽が栄え

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そして衰退していったのかというのは港と

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あとはねやっぱこの線路を辿るといいと

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思いますね手宮線です観光客がよくこれの

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上に立ってあのスタンドバイミーていう

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映画があるんでしょあれの真似をされてる

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方が多いようですまこれは樽の観光地化さ

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れている鉄道後なんですが40年ぐらい前

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までは割と最近までは使われていたんです

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ねこれでこれ日本でも超初期に作られた

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鉄道で北海道で最初の鉄道なんですがどこ

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まで続いていたのかというと小樽から過ぎ

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て札幌過ぎ鉄道の町岩見沢の先にあるほろ

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ないという今では鉄道がなくなってしまっ

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たところにある炭鉱まで続いていまし

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たここで配線跡コーナーはもう終了となっ

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てしまうんですがそろそろ来るんじゃない

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かないいいました新空港行きの快速

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エアポートですあそこから先は電車が走っ

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ているということが分かるわけですね

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ちょっともう1回地図見てみいただきたい

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んですけど現在市小樽駅と南小樽駅の間の

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ところですで現在は函館本線がこんな感じ

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でこう走っているんですがちょっと不自然

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な折れ曲がりをこの辺りでしていますで

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配線後この図に表してみますとここにです

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ねビッとこう引かれるような感じになって

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このポイントで合流するわけですが元々は

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この配線跡の方が古かったんですねなぜ

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こっちの線路の方が古いのかって言うと要

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はこの線路ずっと遡っていったところに

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ある炭鉱の石炭をはわですね100km

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持っていきますかねずっと円持ってきて

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そしてこの先にある小樽の港から石炭を

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積み出して日本の様々なところで使った

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からということですこの幌内線が九州の

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筑豊線と並んで日本の近代下に不可欠だっ

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た石炭を全力で運び出していた従業路線

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だったわけですしかしあれですねなんか

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信号通信用のやつなのかな昔の電柱が残っ

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てるんですよねこれ多分現役時代のやつ

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だろうなあとこれ伏線だったんすかね

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ずっとさっきから線路2本分あるんです

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けど周りの家とかが明らかに古いし明らか

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にこの線路から離れてるんで伏線だったん

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でしょうね多分戦前まででしょうねあ

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やっぱりそうだ線路も教出されてしまい

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ましたって書いてありますねやっぱ戦争

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遂行に必要な部分にレルをこう作り替え

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たりとかして大体のところは剥がされて

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しまったんですよね戦後も線路が2本に

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戻ることはなかったそうですタルコの需要

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が回復しなかったからってこですねこれも

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レールだなんか凄まじいものがありますね

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なんでこれは食い込んでの木の方から

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食い込んできたのかな多分昔の踏切りだっ

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たんだと思うんですよこのワイヤー式の

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踏切りってのがあったんですけど木が成長

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してこんなことになっちゃったのかなこれ

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が本来の姿ですからね昔はここがこう

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踏み切りだったっていうの想像できると

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思いますけどそろそろこの線路の終点が

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近づいてきました僕も実はちゃんと歩くの

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はこれが初めてだったんですがなぜ近づい

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ているのが分かるかというと地形で分かり

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ます山がありますからね山があるという

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ことはそこら辺の海岸は地形が水中も深く

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なりがちで深い水深があって大型線をつけ

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やすいような地形がこの先にあるはずです

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13時のサイレン多分今もう終点に着いた

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んでしょうね駅校内は幅がちょっと広く

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なって線路も増えました終点の駅の名前を

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手宮駅と言いますこの辺りまで来ると観光

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地下もされていないような感じのただ昔の

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まま残っている建物も多くていいですね

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また日本優先の小樽地点の立派なビルが

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あると聞いてきたのですが残念ながら工事

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中でした令和6年までやるんですね

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まだまだ長そうですましかし修理工事です

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から解体工事じゃないだけいいですよ今

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配線後ずっと北上してきましてその配線

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アトの横に日本優先の小樽地点があります

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で私の今いるのはその向かい側の運河公園

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というところなんですがまこれが運河公園

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なんですけれども多分ももはねここも運が

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だったんじゃないですかで日本優先の目の

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前まで運が来てたんだと思いますよはここ

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に立てないですよねちょっと寄り道をし

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ましたが配線後20分ほど歩き今度こそ

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終点に着きました北海道で最初の駅手宮駅

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の跡地に着きました跡地は博物館として

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使われています元々交通博物館という名前

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だったと思いますが今は小樽市総合博物館

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という名前になっていますまその方がいい

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んじゃないですかここがあったからこそ樽

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が発展したわけですから鉄道関連の展示が

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多いと思います北海道で活した数々の車両

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たちいいすねおこれがキハ8あ違う騎士

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80鉄道の紹介もね面白いんですけども

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それは実はまた今度別でね来る用事がある

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のでその時に回しますまとは言いながらも

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やっぱり皆さんも鉄道に興味がある

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でしょうし僕も好きなんでちょっと編み

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ますED75もう北海道は青函トンネル

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以外電気機関車ってないんですが昔はあっ

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たんですよね石炭の輸送量がものすごかっ

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た時でしょあいいですねこれを見なきゃね

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石炭貨車さっきの電気機関車と年代は近い

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のかなと思い

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石炭がもし北海道になかったらもこの線路

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も建設すぐにはされなかったでしょうし

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北海道開発だいぶ遅れてたんじゃないです

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かどの程度してたかも分からないですよね

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あとはここの博物館の名物とえばこれです

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よね日本銀行がかつて所有した現金輸送者

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マ30存在を一般には公共されていない

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秘密の貨車ですここの1番の名物は屋内に

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大切に保管されています蒸気機関車静か号

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ですオタルの映画の歴史もこの蒸気機関車

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と共にスタートしたということんですね

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まさにその機関車が運んでいたその石炭も

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展示されています炭鉱の石炭の本州各地に

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送り出す港まへの輸送手段をどうするかが

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開拓手にとって重大な問題となります石川

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まで鉄道を敷いて船で川を下ってるまで

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輸送するかまワまで持っていくかと色々

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考えたんですがオタルまでやるということ

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を1879年に決めたと

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おおすごい模型が展示されてますが戦前の

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石炭積み出しの光景です昭19年までこう

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いうのがここから先に進んでいくとあった

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そうです内陸部空地から石炭を積んできた

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貨車がここまで運ばれて海の上に突き出し

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た高架線に止まりそこの下で待機した船に

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物を積んでいくという光景ですねなぜそう

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なるかと言いますとこのように大量の石炭

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を積むことのできる大型線はここはある

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程度もう海からこう沖の方に出てますが

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水深があるんでしょうけどもこの辺はどう

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してもですね水深が浅いとこんな風にこう

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乗り上げてしまいますからけることができ

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ませんだからある程度この沖合いのところ

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まで逆に高架線を作って列車が大きに出て

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くるということをやっていたんだそうです

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石なをもう積み終わった貨車はどうするか

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というとそこから前の方に押し出されて

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いくとですねまこれが殻の貨車らしいん

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ですけれどもそのまんまこうですねここで

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折り返してそしてポイントを切り替えて

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今度は下に自動的に流れるような構造に

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なってる美しいですねこれこボタンがある

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んですけれども

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[音楽]

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当初の要素も戦前ですからねこれは著作権

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は全部切れてるから大丈夫だこんな感じ

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だったんですね昔のこの辺りの光景を模に

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してくれていますとても分かりやすい今

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多分私がねいるのはこの辺で見学している

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んだと思いますがこれよりもさらに奥の方

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に行くともうすぐこの場所は海と面してい

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ますそして昭和19年まではこういった

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ものが海の上に突き出ていたのだそうです

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現在の樽の港の中心部はこの辺りになって

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いるんですが見てみると分かりますが

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こんな感じの砂浜でしてとても大型線が

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つけられるような環境ではありません現在

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中こんな感じの場所なんですけれども元々

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はこの山に面したようなところじゃないと

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水深が確保できなかったんじゃない

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でしょうかでえもう戦前ぐらいね昭和とか

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になってくるとこの辺りにたくさん

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埋め立てをしてちゃんと使える港が便利な

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港がたくさん作られたから逆に私の今いる

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この辺りはもうそんなに港としては使い

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まくってはいないようですよ博物館の外へ

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出てきましたなんか昔はこの山の上とかに

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も鉄道みたいのが通すたとかいう話ですが

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え多分さっきの高架の積み出し施設はどっ

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かそこら辺にあったんだと思います今

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100円ショップとかまあと倉庫とかに

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なってるみたいですまさか小樽発症の内が

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今100円ショップだとはねこの100円

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ショップの向こうにさっきの博物館があり

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ましてまさにここに列車がやってきてです

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ね昔はおそらく海の上に突きてたさっきの

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すごい橋もあったんでしょうでこれが北端

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のローダー基礎跡という風にGoogle

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マップに紹介されていたところですがこの

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上にまざっくり言うとでかいUF

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キャッチャーみたいなのがあってそれで

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ここにやってきた船に石炭をバラバラ

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1980年代の初め頃まではやっていた

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そうですここから見る小樽の景色はやっぱ

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特別な感じ向こうが札幌方面彼方の町も

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見えてはいますがしかしその間にですね

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険しいこんな山があって車が頑張ってその

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上を越えているのも見えますそしてその

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険しい地形に守られた穏やかな湾になって

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いる小樽の港をさらに守ろうとも明治時代

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から建設が続けられてきたこの巨大な防波

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堤がここにいくつもこれで反対岸までです

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ねビっと守っていて湾内の平穏が守られて

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いますそしてこのワンの中でですね今でも

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小樽の港を現役の港としてきづかせている

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1つの船会社が新日本海フェリーですね

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これと17時に新潟へ向けて出行する30

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ノットぐらい出るという超早い船ですまた

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こんなのもありました北海道鉄道発症の地

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ここに蒸気機関車が最初乗り付けられて

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アメリカから輸入したものが北海道に

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初めて鉄道車両が上陸した地なんですね

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そしてやっぱりここを石炭積み出しがあっ

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たからこそ北海道に鉄道が敷かれたわけ

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ですからそういった意味でもここが北海道

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鉄道発生の地でありましょう今回の旅です

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ね一応鉄道150年記念ということでやて

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なのになんで船旅やってるんだよと思わ

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れる方も多かったんじゃないかと思います

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けどずっと連続して見ていただくとああ

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なんとなく分かってきたわ思っていただけ

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たかなと思っていますまた岩壁から

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ちょっと離れた浦山の下に来るとすごい

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ですねレガの洋平がありましてこういう山

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の洋平ってのはまああもちろんね今では

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日本中いろんなところで崖崩れ防止のため

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にありますけどこんなレガ作りのものって

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いうのは滅多に見ないですよ相当重要な

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場所だったんだろうなと思いましたらあの

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さっきの見たのはねちょうどこの山の上の

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ところに上がるような感じで作られていた

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んだそうですなるほどね小樽の名物になっ

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ていて船でオタル港にやってきた人たちは

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ほうほうと言ってみんなこれを面白く見物

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したのだそうですそしてその桟橋の手前に

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あるどっさりと敷かれてるこれが全部石炭

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だというのですね今のねまさに100円

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ショップですよその後また博物館に戻って

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きました再入精度ってのはなかったんです

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けれましかし入間料は安いからねま間違え

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ったなぐらいで住みました今年で大太姿勢

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ちょうど100年なんですねそれを記念し

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た展示をしていますでもまだ100年しか

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経ってないですよね死になってから

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ちょっとなんか遅いんじゃないかなって気

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がしますけどそれはね理由があったらしい

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ですオタル市誕生の頃と書いてあります

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ようやく小樽死になったというような状況

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であるのに死って当時は全国でも少なかっ

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たですからねそれなのに超大都会の景色を

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見せていますで小樽市は人口はすごいあっ

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たんですですけれども北海道は未だ自治

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発達せずとして姿勢の対象とはしません

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でしたそれが明治政府に認められたのが今

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から100年前だというのですね今度は

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その小樽が衰退してきて運河を潰して道路

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にしようていう計画の話の時ですねでそれ

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に対する反対運動とかですね運河を残し

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ましょうというようなポスターとかの記録

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が残っていますこれは貴重ですね結局完全

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に運がが残されることはなかったですが

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部分的な保存は結構色々ところでされてい

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ますでおそらくこれがその理想だったん

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でしょうね完全にその目的が達成される

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ことはどうもなかったのかなと思いますが

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しかし部分的にはね結構保存されていて

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この要望はかなり意味のあったものだと

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思いますよだからこそオタルが観光地とし

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て生き残ってるわけですからね運がは残せ

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ます残さなくてはなりませ

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んこの動画の冒頭のところでご覧いただい

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たところが埋め立てられて道路にされる前

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の姿でしょう大量の橋見が止まっています

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ね小樽が衰退してしまった理由は端的に

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言えば石炭産業がダメになってしまった

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からなんですけどじゃなんで石炭産業が

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ダメになったのかと言うと蒸気機関車とか

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蒸気戦とか石炭を使うものがなくなって

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エネルギー革命になったんでダメになり

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ましたみたいに言われることもあるんです

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がまそれは部分的にはそうかもわからない

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んですけど基本的には日本が経済成長して

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しまったからだと思うんですよねというの

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は先日苫小牧から秋田まで最初に新陽海

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フェリーに乗った時に出行する時にこ石炭

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を運び込んでいるオーストラリアからの船

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がいましたがこんな感じで火力発電とかで

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まだ石炭は使ってはいるんですよねだから

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石炭がいらないわけではなくて日本人が

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経済成長によって給料をたくさんもらわ

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なきゃいけなくなっちゃったから日本人

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よりも安く働いてくれる外国人が作った

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石炭を外国から輸入した方が安いという

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理屈なんですそれで日本の石炭産業はほぼ

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絶滅したわけでした船も外交コンテナ戦と

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かになりますともう乗り

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日本人ってほとんどいないんじゃないです

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かもうなることも困難だと思いますよ

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どんなにね頑張って世界の海を行く

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コンテナ線の乗り組員として活躍したいっ

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て言ってもめちゃくちゃ狭きもんになると

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思いますねなぜなら日本人に給料を払っ

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たら高いからですちなみにこの博物館では

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すごく古いアメリカの蒸気機関車を保存

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運行してくれているんですがこれも珍しく

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重油で運行するそうです石炭使わないん

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ですね11時ぐらいから動画撮り始めてる

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んですがもう4時ですお昼ご飯も全然食べ

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ずにずっと見回ってましたんでおそば

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食べようと思ってまたスタートし点のあに

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戻ってきました明治27年創業こするよう

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な形に

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なり非常に美味しかったですびっくりした

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正直ま美味しいと言ってもそこそこの

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美味しさだろうコロッケそばみたいなもん

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だろうと思って食べたんですけどねこの

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掛けそばの上にニシがこう乗ってまして

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もちろん大そばも食べながらニシも食べる

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んですがこれはニシの甘物磨きニシという

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やつです昔はもう魚が長持ちしませんから

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こういう風に干物にしたものを水で戻して

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食べるということとやっていましたでそれ

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で身がポロっと取れるので磨きニシなん

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じゃないかという人もいるらしいです日

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なんかただの魚だろうと思いきはもう

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とてもただの魚ではなくとんでもない魚で

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あったという時代もあったんですね樽と

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いえばミじゃないですかちなみに今来て

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いるところは小樽運河のところなんです

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けど分かりますかこの道の向こうにね運河

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がこの木の向こうにほんのちょっとだけ

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あるんですけれどもあれよりもこっち側は

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昔もっと運がが広がっていたの今埋め立て

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たんですねだからこちら側も向こう側も

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両方倉庫群だったわけですでそこにある

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小樽総合博物館さっきも言ったあの鉄道と

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かが並んでいた博物館の文官です共通券を

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買って50000円で両方見られます2料

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の光景が展示されていますこういう風な船

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てですね異常に大量の西をなんでこんな

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大量なのにみんな平然としてるんだよ

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みたいな異常な取り方なんですが2は春の

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時期になると大量で押し寄せるという終戦

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がありまして今でもねタルで毎年6月とか

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かなもっと早いかな見ることができるんだ

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そうです加工している作業中ですね多

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すぎるんですよねその数がこういう風な

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小舟で持ってどっさりとですねこんな風な

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撮り方ですから樽の漁師さんはもう毎年春

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の時期に2料をやれば3ヶ月だけ働いてあ

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は働かなくても良かったような収入があっ

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たらしいです日清がちゃんと使えるもので

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あるから状態がいいかとかですね大きさは

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どうかとかによって選別をしますでその

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結果これは状態が良いという風にされた

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ものはここでさらに上で干物にされるため

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の加工つまりさっき食べた磨きニシの加工

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が行われるようです一方で多分多くのもの

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は選別から漏れるんですけれども選別から

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漏れた後はどうするかというとこのように

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大量の加工ラインがありまして色々な加工

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がされているようですでそのうちのですね

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この目立つ道具がこれなんですがプレスだ

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そうですで上からこれを圧力をかけて

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ぎゅっと大変らしいんですけれもおしを

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することによって二の絞りかと油を分離

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するそうですそしてねこれなんですけれど

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もその油と分離して最後に残ったこのカス

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を肥料として全国に出荷していたわけです

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これがとても大切なものだったんですね

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日本の農業メカとかを作るのこれがないと

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成り立たないような場合が多かったと思い

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ます出来上がったカスを最後乾燥させて

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こういう風にタみたいなものに積み込んで

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そして船これは橋ですね橋に積み込んで

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ですね海が穏やかな時に橋に使って

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漕ぎ出して外洋にある遠方へ向かう棋戦に

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積み込み

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ますそれをまた他のところで陸にを下ろし

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て農業の肥料として活躍するわけですま第

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1次対戦ぐらいからですかね科学肥料が

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かなり終了になってくるので2をもう肥料

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にするという時代も終わってきたし

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そもそも2があまり取れなくなってきたん

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です理由はよくわからないんですが日って

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いうのは結構こう場所を移動する性質が

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あるらしくしかも集団で一気に移動して

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いくんだそうでもう太平洋戦争の頃とかに

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はほとんど生産はなかったみたいなんです

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ねという一連の流れが示された見事なこの

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平部なんですがこれ明治39年に書かれた

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ものだそうですただ実は大樽ではなくて西

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の町としてまた有名なルモイなんですけど

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ねこの小樽氏が北海道の心臓だというのも

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納得で要は工業のエネルギー源である石炭

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そして人間のエネルギー源であるま肥料

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もしくはそのまま食用としての2心がです

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ね両方ともたくさん取れるようなところ

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もしくは積み出しとしてとても重要な

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ところであったからここにこ展示されてる

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のまた大きな石炭ですけれどもまた小樽が

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その経済の中心として大繁栄を見せたのだ

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ということも分かりましたここのもう1つ

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の大きな天中は西新の他に北前船です

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北前船は江戸時代のものという印象が強い

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ですが江戸時代はあまり積極的に人が入っ

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てこなかったの小樽にも北前船は来てい

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ました実際には北前船の全席が明治時代だ

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からですね主航路とブッシュの動き云々

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書いてあり

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ますこういう風にしてコができていってい

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たわけですがこのオタロエあとはここには

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書いてありませんがこの辺のハボロとか

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ルモイとかですねそういったところで

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たくさん2が取れてそれを南に運んで行く

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ために北前船が運行していたという面も

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もちろん強いの

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です

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北海道にはこれだけのものが北前船によっ

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て運び込まれてきたということが書いて

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ありますが逆に言うと北海道から運び出し

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たものは日進だったんですね昔の小樽港の

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写真が展示されています校内が荒れている

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と小舟で大型線に物を運んで行くという

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ことができませんから明治39年なんです

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がもうさっき見たあの長い防波堤がですね

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すでに一部完成していますさっき見たあの

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防波電のところにねこんなに北前船がいた

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時代があったんですよねちょっと信じられ

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ないですけども出た博物館の横にお土産屋

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さんみたいなお店があるんですがそこの

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入り口のところになんかこんなものがです

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ね何の気なし何の説明もなく普通に置いて

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あるんですけどこれ昔西神積んでたやつ

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ですよこれに2を積んで一生懸命ですねせ

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をリュックサックでしょほらそうですよ

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これを何杯運んだかというのを確認して1

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日の小田をもらえたそうですじゃも食べて

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その歴史も表したし次に見るのは2信吾店

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だなと思いまして2信吾店のある祝という

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ところに来ました小太郎気品館と書いて

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ありますすなんかちょっと想像絶する建物

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が奥に立ってるんですけどまとりあえず

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現在地のご案内からいきますかえ小樽シは

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ですねこの石狩湾のこのこういう風な

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ところにこうあるんですけれどもそこから

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ちょっとこうすごい岩山になっている

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ところがあるんですがここをトンネルを何

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本も使って超えてきたお隣の入り江ですね

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だから結構離れてるっていうイメージです

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けれどえその場所にあるこの地形が山の

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ところにですね細長く集落を作って今でも

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人がたくさん住んでいる祝地区ですで西涼

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のま漁業経営者みたいな人かなその網元と

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いう人が建てた立派な豪邸が今でも北海道

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の小樽とかですねいろんなところに残って

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いて2御店として親しまれています親しま

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れているけど親しみは持てないですよね

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豪華すぎて昔のこのビニビニのガラスだ

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たりとかですね内装もすごかったんです

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けれども撮影禁止ということだったので

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すごいものをただで見せてくれるという謎

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の豪華な感じだったんでえ募金箱というの

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があってこれにお金を入れてですねえそれ

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でここは立ち去ることにしますもう

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ちょっと時間があればここにも寄っていき

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たかったんですけど本当ね夜予定で来てい

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たんですけど昔の豪華見Over差を

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イメージした食べ物とかこれ今の時間でも

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食べられるのかな日そばとかもお昼の時間

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だったらば間違いなく食べられるはずです

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ちなみにさっきの2後店の青山ではえ当時

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の価格でえ30万円かけて建設したんだ

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そうですがあの同じ時代に伊勢タデパート

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を建設してましてその伊勢タデパートが

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50万円だったらしいんであのお家1軒

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ですどうやったらそんな金額になんだって

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感じですけどねこのでかい岩山の裏側に

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小樽の港があるんですねもう1つの2後店

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に行きましょう元々あの場所に立っていた

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わけではないんですが小樽水族館の近くに

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ですねえ元々あった2信号店を移設したの

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が5時まで見学することができます東台も

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あるんですね歴史のありそうな東台だ

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なんか歩いてると平然と豪邸に出くわすん

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ですよね玄関が2つあったり明らかにそう

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ですよね中はもう少女が破れて使ってい

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ないみたいですけどうわあすごい壁西街道

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と書いてありますあ横にもまた豪邸

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が北海道の田園調布ですねなんとなく

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でかいなというのだけ見て帰ろうとし

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ちゃいましたけどお家の玄関には2が展示

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されて

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また出た豪邸がもう1個ありますであと

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この高台に小樽水族館があります今回は

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行きませんが高校生の時に1回行きまして

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ねペンギンのシが結構面白かったですここ

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もまたでかいバヤが2段がですね網元と

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あみこと言ってあの経営者とそれからえ

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そのま雇われているその船乗りの人たちが

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みんな一緒になってここで暮らしていた

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ようです元々はそういう作業場ですから

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こういう高台にわざわざ2信号店を建てる

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理由はないのかなと思いますけども今から

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行く小樽市の2後店は移設したわけですが

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まそれはそれでね長めのいいところにある

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のは悪くないんじゃないかという気がして

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きますあの奥の荒々しい岩の裏に大樽市街

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があるわけですねでここがその手の前傾

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いいですねここが昔西でとにかく賑わった

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ところなんでしょうでここの一部山を

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切り開いたんでしょうか小樽水族館一連の

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施設がありますもしかして終わったかいや

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まだ大丈夫そうだだ寒いこれがいわゆる

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日本海の西風ですかね漁業の拠点だっって

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のがよく分かる

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玄関小学生の一段がみんなして入ってきて

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も大丈夫そうなぐらいのサイズ感です元々

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はもうちょっとこの半島を回り込んだの

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原発とかがある泊まり村の方にあった建物

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を一したのだそうですでも昭和33年一

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だっていうから相当古いすねちょうど僕と

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100歳と上なんです

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ね岩倉高校同年です

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ねありえないぐらいなんか天井が高いんで

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なんでそんなに高いのかなと思ってお聞き

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したらですね親切にここの方が教えて

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くださいましたこういうにをかなり盛に

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やりまくってでその肺炎のために高くする

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んだそうですじゃなんでそんなににが盛な

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のかと言うと大勢が済むからなんですね

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120名が寝泊まりしたところですという

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ところをこれから寝室を見に行くことが

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できると思うんですがあこれかこの天井裏

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みたいなところにこう大勢人がここ住ん

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でるんですねでここの横の階段垂直のやつ

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を上がってここで上で寝泊まりすると2料

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で来る人たちはこの辺の人たちがやるわけ

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ではなくてあの出稼ぎの人も多いんだそう

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でそういった人を寝泊まりさせる合宿所的

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な設備が必要だったつことなんですねで

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こちらはですね使用人室って書いてあるん

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ですが使用人ってのはあれかなあの経営者

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ってことかな経営者の住む部屋だと思うん

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ですよ多分だいぶさっきと比べるとあんな

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もうむみたいなの渡されて雑魚寝するのに

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比べたらばだいぶ作りがいいっていうかよ

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すきますよねこんなんまであるしクマの毛

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やらあの漁父を募集するための採用の親方

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が使うカそれにサタを詰め込んでいたとか

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ですね明らかに金の匂いのする部屋です

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いいですね建物は半分が言はしたっぱの漁

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みたいな人たちの部屋でもう半分が経営者

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側の部屋になっているよう

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です作りの豪華さが違います昔の建物って

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大概階段が急なんですけど結構いい作り

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ですもんね上がってみましょうねさっきの

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雇われ漁父さんが通るようなところでは

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ないですよ頭上注意とは言ってもまあまあ

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まあギリギリちょっとぶつけるかなぐらい

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の人間的な低さ片120人がごったになっ

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てみんなですまい毛片方はこんな感じの

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空間になってる所員作りですよねこの対象

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性がいいですよそしてこの豪華な部屋の奥

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に隠し部屋みたいなのがあってそんなのが

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あるのかびっくりなんですけれどもただ何

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について使うのかということはもう

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ほとんど秘密になっていたからよくわから

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ないらしいんですが色々あります現金の

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保管場所とかですねそこの悪い人たちから

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あの経営者一族が避難する場所だったん

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じゃないかとかですねあの人材を隠す場所

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だったとかなんか借金取りから隠れるため

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とかえ雪崩れの時にいざという時にはここ

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に避難するま確かに頑丈そうですよね黄金

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時代の祝の光景ですねこの細長いおう

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それぞれが万屋なのかなつまり2後店2後

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店でただ乱豪華なおを立てたっていうだけ

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じゃなくてやっぱり産業の中心的な場所

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だったんですねいや行ってよかったすごい

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面白かったな要するにこっち側のま私たち

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が普通に入とで使うこちらの入り口があの

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雇われている従業員さんたちの入り口でで

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こっちに2後店みたいなこと大きく看板が

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かかっていますがこちらの入り口が経営者

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やその家族の専用の入り口なんですねこう

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分けられていたんだだから入り口が2つ

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あるんですねそして2信後店では大勢の人

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が生活する関係でに岳をたくさんするので

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煙がいっぱい出るから肺炎装置としてこう

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いう風な出っ張りをつつけるのが重要だっ

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たということなんですね結構機能的な形な

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んですね

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元々はその辺の砂浜とかなんか今こう建物

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が立ってるところ船が並んでいるところに

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もどうも2後店がいくつもいくつも並んで

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いたそうですそしてちょうどこの高台から

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見たかった景色がありました奥の岩場の

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後ろが小樽の港だと言いましたがそこから

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出てきた新潟駅のラベンダーの出行

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ですかっこいい垂直選手ビッと切り立った

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この選手の部分が波を切り裂き超高速で

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新潟まで行ってしまいます

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小樽の港を気づかせている会社の1つ

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もちろん今でも小樽校は重要な公案である

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ことは間違いありません船のバックには

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海岸線を走るJR北海道の電車の姿もあり

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ます新千歳空港から来た快速エアポート

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ですね編成の真ん中に普通席指定式u

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シートがついているから分かりますそう

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ですこれですね真ん中のオレンジの照明

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です小樽は衰退した衰退したと言ってです

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ねもう散々小樽の方を怒らせてもしかし

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たらもう小樽の方は動画をここまで見て

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くださっていないかもしれませんがなんだ

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かんだ観光客が魅力を感じて止まない小樽

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はこのような経緯によって様々な衰退を

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乗り越えまたうまく衰退と強調した結果

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誕生したわけでし

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た小猿の魅力を1日かけてお伝えすること

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ができたかなと思います東台から

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ラベンダーを見下ろしましょう日山東台は

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とんでもなく歴史がある東台でした

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1883年が初店頭だそうです当たり前

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ですよねだって大樽が1880年にはもう

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鉄道とかも引いて動き始めているんです

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からそこに用のある船舶に対して必要な

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装備をしなくてどうするという感じです

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すごい長めだそこを猛烈な速度で新潟へ

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向けて行ってしまうラベンダ小樽が衰退し

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てしまった大きな理由としてはですね

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やっぱ苫小牧だと思いますよこの苫小牧

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以降が戦後になってから超いい港が作られ

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てしまいましてじゃあ札幌にもほどほど

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近いし他のところにも行けるし苫使った方

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がいいよね港の条件もいいししかもリチ

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条件も苫小牧の方がちょっとこう大樽より

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も便利という場合も多かったんですね東京

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方面からだったら大樽はかなり遠いです

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から小樽西向きの港ですもんねということ

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で小樽もそれから室蘭も苫前にその高成は

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だいぶ吸い取られてしまったように感じる

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ところですが新陽海フェリーはほとんど

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全部の船がおたる

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戦績会社の本拠地も小樽という感じですま

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実際には大阪の会社なんですが北海道側の

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拠点といえば小樽のイメージですね今後も

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小樽のイメージを牽引する一員として

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頑張っていくでしょうありがたいことです

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じゃあもう寒いから

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帰ろう僕もこの後の新日本会フェリーで

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行きます崖を降りてきてさっきの建物もう

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一度見てみると従業員の方が使う入り口と

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経営者の使う入り口明らかに格が違いまし

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たねこっちが従業員の家用でしょ普通の

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屋根こちらは二重のこんな立派な飾り付け

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の屋根になっていましたまた実はここと樽

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の中心部のはこの観光線青窓というので意

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できるらしいんですけれども残念ながら

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今日ねちょっと天気の関係で運行されて

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おりますんそんな悪くなかったと思うん

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ですけどねちょっと白波立たから無理かと

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いうことで行はタクシー帰りは時間が合う

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のでバスで戻ることにしたのでしたご利用

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いたバスでトンネルを抜けて山を越えて

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また街の中心に戻ってきましたタルも夜は

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綺麗ですよね夜になって観光客も増えがち

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な小樽運河の景色ですやっぱりこれは

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せっかく来たんなら見とくか気になります

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ねこれがいかに演出されたものであるか

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実際の光景と離れてしまったものであるか

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というのはもこの映像見ていただければご

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理解いただけると思うんですが一方で

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いかにして大樽の人たちがこれを守ろうと

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いう着替を持ってやってきたかこれを

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残そうと頑張ってきたかというのもまた

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同時によく理解できるところだと思います

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昔はこの顔はもっと広かったですし2の

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出荷も石炭の積み出しもありましたそう

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いったものがなくなった代わりに昔は

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なかったライトアップができてもう

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すっかり光景は変わってしまったように

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感じますがでも小樽がそれなりにやはり

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経済力を持った都市として維持されている

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ということが1番嬉しいことかなと思い

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ますねそれでこの後なんですけれどもえま

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現在ここ北海道の小樽にいるわけじゃない

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ですかでこれから乗る船がですね次はこの

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小樽を23時30分だったかなえ出行の

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新日本海フェリーアザレアに乗る予定なん

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ですがそれ遅いんですよね36分前の情報

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なんですけれどその時点でまだ秋田県のお

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気合いを高校中と言います

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ええ秋田県ってここ北海道のしべですよ

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もう夜になってるのに今日の夜にノル

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フェリーがまだ秋田にい

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るっていうのどう大丈夫なのかなどうなっ

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てるのかっていうことはねちゃんと分かっ

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てましてこれ電話で聞いたらあの天気が

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ちょっと悪かったらしいんですね新日本海

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フェリーからもね今日の昼もちょっと送れ

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ますよみたいな電話は来て聞いてたんです

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けれ入がどれぐらい遅れるのかってのも今

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聞いてみたら少なくとも1時間は遅れます

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と言われました実際には23時間以上

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遅れるんじゃないかなとりあえずここの

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長崎屋で何か食べることにします樽アかけ

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焼きそばを食べますまだ食べてないんです

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けれどもあの樽では昔から結構これが人気

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だったそうでして今は小樽観光の一巻で

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これも押されているのだそうですどんどん

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押すべきですねそしてご飯も食べてきまし

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てこれでとりあえずこの動画もわりにさせ

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ていただきたいと思います今小太郎駅に

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また来ていますが次はこからまた港まで

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行きましてもう実はね東日本北海道編も

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ほとんど終わり次の目的地は神戸ですご覧

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いただきありがとうございまし

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た当社の動画で宣伝をすれば観光客で大

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半場しかも訪れるお客さんはみんな親切な

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方ばかりだと取引席の皆さんからもご好評

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をいただいておりますスーツチャンネルを

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使った宣伝は観光誘株式会社ま僕の会社な

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んですけれもここにお任せくださいませ

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OG

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