BLM運動から振り返るアメリカ黒人の歴史(2)

荒木圭子
30 Apr 202434:08

Summary

TLDRこのスクリプトは、アメリカ合衆国内の黒人歴史と人種差別問題の深層を掘り下げた内容です。1619年にアフリカ人を強制的に連れて来た歴史から始まり、奴隷制、南北戦争、そして20世紀の公民権運動を経て、現代のブラックライブズマター運動までを辿ります。また、パンアフリカニズム運動やマルコムXの思想、構造的な人種主義の問題についても触れ、アメリカの内部の問題だけでなく、世界的な人権問題であることを示唆しています。このスクリプトは、人種差別が歴史的にも現代的にも根深く生根をつけている現実を、幅広い視点から捉える必要性を訴える力強いメッセージを提供しています。

Takeaways

  • 🔗 アフリカからの奴隷貿易を通じて、アフリカ人が新大陸に強制連行され、アメリカの経済と社会に大きく影響を与えた。
  • 📜 1661年にバージニア植民地議会がアフリカ人奴隷の地位を白人とは異なるものと定めた。
  • 🗽 1787年のアメリカ合衆国憲法で、奴隷は「五分の三の人」として数えられることになった。
  • 🔥 南北戦争は奴隷制度をめぐる争いであり、最終的には北部の勝利により奴隷解放が進む。
  • ⚖️ 分離すれども平等の原則は、実際には白人用施設の方が優れており、黒人は劣悪な環境に置かれた。
  • 🚶 第一次世界大戦後、多くの黒人が南部から北部へ移住し、新たな人種差別と直面する。
  • 🌍 パンアフリカニズム運動が展開し、黒人の権利向上やアフリカとの連帯を求めた。
  • 🎗 1960年代の公民権運動がアメリカ国内の人種差別に対して大きな変化をもたらす。
  • ✊ ブラックパワー運動と「ブラック is ビューティフル」運動が、自尊心と文化的誇りを高める。
  • 🌐 人種問題はアメリカ国内だけでなく、国際的な人権問題として扱われるようになった。

Q & A

  • アフリカ系アメリカ人の歴史の中で、1619年に何が重要な意味を持っていますか?

    -1619年にアフリカ出身の国人が初めて北アメリカに足を踏み入れ、商品として売られたという歴史的瞬間がありました。これはアフリカ系アメリカ人の歴史において重要な意味を持つ出来事です。

  • 南北戦争が勃発した背景にはどのような政治経済的な対立がありましたか?

    -南北戦争が勃発した背景には、北部の工業化と南部の農業中心の経済モデルの対立がありました。北部は保護貿易を求め、南部は自由貿易を推進していました。また、奴隷制の存廃も争点の一つでした。

  • 3/5の妥協とは何ですか?

    -3/5の妥協とは、合衆国憲法の中でアフリカ系黒人の人口が35人に1人として数えられるという規定です。これは議員数や直接税の計算に使用され、南部州の政治的な影響力を強化するために行われた妥協策です。

  • 20世紀後半の公民権運動の目的は何でしたか?

    -20世紀後半の公民権運動の目的は、人種差別法をなくし、黒人にも平等な市民権を認めることです。1960年代には特に活動が活発になり、重要な進歩を遂げましたが、北部でも人種差別が続いていた現実がありました。

  • ブラックパワー運動とは何ですか?

    -ブラックパワー運動は、非暴力主義を放棄し、黒人自身の力で権利を勝ち取るという思想に基づく運動です。また、ブラックisビューティフルという思想も提唱され、黒人社会の自己認識を高める動きがありました。

  • 構造的な人種主義とは何ですか?

    -構造的な人種主義とは、社会の構造や制度に根ざした人種差別であり、個人的な感情や偏见に基づく個人的な差別とは異なります。政策や慣行の中で無意識に再現される差別であり、社会の正常な機能によって強化され続ける傾向があります。

  • ガーナの独立とアフリカ系アメリカ人の関係は何ですか?

    -ガーナの独立は、アフリカ系アメリカ人にとって大きな影響を与えました。ガーナは植民地化されたアフリカ地域の中で最も早く独立し、アフリカの中で代表的な位置づけを獲得しました。また、ガーナの独立式典にはマーティン・ルーサー・キングも出席し、アメリカの公民権運動と連動して進展しました。

  • ブラックスターラインとは何ですか?

    -ブラックスターラインは、マーカス・ガービーによって設立された海運会社です。黒人向けのサービスを提供し、株主も黒人のみに限定された会社として、黒人社会的経済的自立を目指しました。

  • アフリカ統一機構とは何ですか?

    -アフリカ統一機構は、1963年に成立されたアフリカの地域共同体です。独立したアフリカ諸国が協力し合い、連合的な活動を行うことで、経済的・政治的な発展を目指しています。

  • マルコムXはどのような思想を提唱しましたか?

    -マルコムXは、当初はネーションオブイスラムに所属し、ラディカルな思想を持ちました。後にスニ派のイスラムに回収し、黒人問題を普遍的な人権の問題として扱うようになりました。アメリカ国内の問題を超えて、世界中の黒人問題に注目を集めようとしました。

  • ブラックライブズマター運動とは何ですか?

    -ブラックライブズマター運動は、2020年に広まったアメリカの運動で、人種差別と警察の暴力に対して抗議しています。ブラックパワー運動と同じような拳を突き上げることが象徴的であり、現代の社会問題に対する黒人社会的強い訴えとなっています。

Outlines

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😀 アメリカ合衆国における奴隷制と黒人の歴史

1619年にアフリカ出身者がアメリカに足を踏み入れた経緯から、奴隷として扱われ、身分が決まるまでを説明。バージニア植民地での奴隷規定、合衆国憲法における黒人の数え方、南北戦争、奴隷解放宣言、憲法修正など、黒人の権利と自由をめぐる長い歴史を振り返る。

05:02

😐 人種差別と公民権運動

奴隷身分の廃止後も続いた人種差別と、白人と黒人の異なる施設使用の認められ方。20世紀後半の公民権運動と1960年代の活動、第一次世界大戦後の黒人の意識変化とニュー-black peopleの登場、1919年のレッドサマーと人種暴動、アフリカとの繋がり追求などについて述べる。

10:02

🌍 パンアフリカニズム運動と経済自立

20世紀初頭のパンアフリカニズム運動の2つの形態、エリートによる運動と大衆による運動。エリート運動では、人種差別と植民地問題に立ち向かう国際会議が開催され、大衆運動ではマーカスガービーが中心で、政治的独立と経済的自立を目指した。ガービーの影響下に、ブラックスターラインが設立され、黒人社会の経済自立を目指した事業が行われた。

15:05

🚢 ブラックスターラインと黒人たちの誇り

ブラックスターラインの設立と活動、タイタニックに対抗する黒人所有的豪華客船の運営。アメリカ合衆国内で行われたパレードと、ニューヨークのハーレムでの活動。また、ブラックスターラインの船が行わなかったアフリカへの影響と、独立したアフリカ諸国とガービー運動の影響を結びつける。

20:05

🗽 ガーナの独立とアメリカの公民権運動

ガーナの独立とクメール大統領、マーティンルーサーキングジュニアの参加、1960年代にアメリカで勃発した公民権運動とその目的、ブラン判決と公立学校での人種融合、南部の人種隔離法律の撤廃、公民権法の成立とその後の人種暴動、キングの暗殺とその後の動乱を紹介し、人種差別が依然として続いている現状を示す。

25:05

✊ ブラックパワー運動と構造的な人種主義

ブラックパワー運動の登場と主張、非暴力から自らの力で権利を勝ち取ることへの転換、ブラックisビューティフル運動と黒人に対する美しさの再定義、2020年のブラックライブズマターでの象徴的な拳突き上げ。カーマイケルによる構造的な人種主義の批判と、個人的な人種主義とその社会構造内の埋め込み、コロナ禍下の人種差別の現実と、キングの認識と国際的な人種差別の問題提起。

30:06

🌐 現代アメリカの人種問題と植民地主義

現代アメリカにおいてもなお残る構造的な人種差別と、経済的困難や健康保険へのアクセス不足、食生活の差異が死亡率に与える影響。また、植民地主義と人種主義が構造的に共通しているとの指摘、社会が正常に機能すれば人種差別も再生産され続けるとの考え方、キングの認識と、国際的・地域的な差別問題の普遍性。

Mindmap

Keywords

💡大西洋奴隷貿易

大西洋奴隷貿易は、17世紀から19世紀にかけて行われた、アフリカからアメリカ大陸に奴隷を輸出する国際貿易のことです。この貿易によって、アフリカ出身の人々が強制的に労働力として新大陸に運ばれ、特にアメリカ合衆国内で悲惨な扱いを受けました。このキーワードは、動画の主題であるアメリカ人の歴史と深く関わっています。

💡3/5の妥協

3/5の妥協とは、1787年のアメリカ合衆国憲法の中で、奴隷の数を州の人口計算に含める場合の比率として3/5と定めた規定です。これは、議員数の計算や税金の負担を巡って北部と南部との間で行われた妥協であり、奴隷に対して人間として完全な権利を認めない姿勢を示しています。動画では、これは黒人たちの人権の否定と関連しています。

💡南北戦争

南北戦争は、1861年至1865年にかけてアメリカ合衆国で発生した内戦です。奴隷制の存廃を争点として北部と南部が対立し、最終的に北部が勝利し、奴隷制が廃止されました。動画では南北戦争を通じて、黒人たちの自由と平等を求める闘争が描かれています。

💡人種差別

人種差別とは、人種に基づいて人々を不公平に扱う行為や、特定の人種を劣等視する行為を指します。動画では、アメリカ合衆国内で黒人に対して行われた人種差別、特に奴隷制やその後の隔離政策などについて触れられており、これはアメリカ人の歴史の中で深く根ざした問題であると語られています。

💡パンアフリカニズム

パンアフリカニズムは、20世紀初頭に始まった運動で、アフリカ系アメリカ人やアフリカ諸国人が自らの文化や権利を重視し、連帯し合う思想です。動画では、この運動がアメリカ国内の黒人たちの意識の変化や、アフリカ諸国の独立運動と連動して広がる様子が説明されています。

💡ブラックスターライン

ブラックスターラインは、マーカス・ガービーが創設した海運会社で、黒人向けのサービスを提供し、黒人社会的経済的自立を目指していました。動画では、ブラックスターラインが黒人たちの自己認識と自尊心を高める契機となり、社会的な影響を与えたと語られています。

💡公民権運動

公民権運動は、1960年代にアメリカで活発化した、人種差別を撤廃し、黒人に対する平等な権利を求める運動です。動画では、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアらによって牽引されたこの運動が、アメリカ国内の法律を変える契機となり、人種差別の撤廃に貢献したと紹介されています。

💡ブラックパワー

ブラックパワーは、1960年代後半から1970年代にかけて勃発した運動で、黒人コミュニティの自己啓発と自己決定権を主張しました。動画では、非暴力主義から力による自己権利の勝ち取りへと転じる中で、ブラックパワーが重要な役割を果たしたと語られています。

💡構造的な人種主義

構造的な人種主義とは、社会の制度や構造に根ざした人種差別であり、個人的な感情や偏见とは別のものです。動画では、カリム・アブドゥル・ジャバラが提唱するように、これは社会の常轨の中で無意識に再生産されており、人種差別を根絶するためにはこのような構造的な要因にも対処する必要があると語られています。

💡ブラックライブズマター

ブラックライブズマターは、2013年に始まったアメリカの運動で、人種差別に基づく暴力や警察官による黒人への不当な扱いに対する抗議を行っています。動画では、これは長年にわたる人種差対の歴史的な流れの中で、現代の社会課題として依然として続いている問題であると結びつけられています。

💡人種暴動

人種暴動とは、人種差別や偏見に基づく暴力的行為や破壊行為が勃発する事象です。動画では、1960年代のアメリカ北部で起きた人種暴動が触れられており、これは公民権運動後も人種差別が続いており、社会の構造的な問題が解決されていないことを示す例として挙げられています。

Highlights

アフリカ出身者の歴史を学び、アメリカ合衆国での奴隷制度の始まりとその後の影響について解説

1619年にアフリカ出身者がアメリカに足を踏み入れたとされています

1661年のバージニア植民地議会で黒人の身分の規定が設けられ、白人と異なる扱いを受けるようになった

1787年の憲法でアフリカ系黒人の数が3/5と数えられる規定が設けられ、人権や自由を奪われていた

南北戦争は奴隷制を巡る戦いであり、北部は工業発展と保護貿易を求めた

南部はプランテーション農業を中心としており、自由貿易を求めていた

北部の勝利により奴隷解放宣言が発表され、黒人が自由を獲得した

憲法修正により市民権と選挙権が認められるようになったが、北部と南部の妥協が行われた

人種差別法が復活し、黒人と同じような状態で過ごさなければいけない状況が続いた

20世紀後半には公民権運動が活発になり、法律に基づく差別をなくそうとした

第一次世界大戦後の大移動で黒人が北部に移動し、新たな人種差別に直面した

ニュー型の黒人、ニューブラックが登場し、国内の矛盾やアフリカとの繋がりを追求し始めた

1919年のレッドサマーは全米で人種暴動が発生し、黒人の反撃が始まった

パンアフリカニズム運動が始まり、政治的自立と経済的自立を目指した

ガーナの独立とブラックスターラインの設立が、黒人による国際的な動きを象徴している

第二次世界大戦後には、アフリカ本土地の人々が主体となって反植民地運動が行われた

アメリカでの公民権運動は、南部の人種差別法を撤廃し、教育や選挙権を求めた

マルコムXはブラックパワー運動を推進し、人種差別を構造的な問題として捉え直した

ブラックisビューティフル運動が、黒人社会の美しさを再定義し、自己肯定を促進した

構造的な人種主義の認識が、現代のアメリカ社会での問題として依然として存在している

Transcripts

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はいでは2番目のアメリカ国人の歴史と

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アフリカというところに進みたいと思い

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ますえまずこれですね大西洋奴隷公益のま

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地図ですけれども他のところで見たことの

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ある人もいると思いますがアフリカ大陸

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からアフリカ人たちがま労働力として

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連れ出されてでえま新大陸の方にえ住む

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すまされるようになあるとで特にアメリカ

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合衆国の場合にはこう一旦仮深地域で

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下ろされてここでまた1回売りされてでえ

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今でいうアメリカ合衆国の方に行くという

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ことになりますでえ初めて北アメリカ今の

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アメリカ合衆国にアフリカの国人が

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いわゆる輸入ですよねま商品でもあり人で

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もあったということでかこ好きにしてあり

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ますがこう連れて行かれ

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あのはいその地域に足を踏み入れたのが

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1619年だったという風にされています

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でその後アメリカの中でのこのいわゆる

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アフリカ出身の黒人たちの地位というか

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身分が決まっていきますで1661年の

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バージニア植民知議会ではま中心奴隷とし

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て白人とは異なると同じようなこう

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プランテーションでえ労働している白人と

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は身分がまず違うというような規定がなさ

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れましたで

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1787年の合衆国憲法においてはえ

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いわゆるアフリカ系のこの黒人を35人と

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して数えるというような規定が設けられ

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ましたこの背景としてはえ当時ま会員議員

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数と直接税をこう計算する時にその時の

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その週のの人口に基づいて行われていまし

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たで南部と南部からするとま自分たちの

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この力とか利害をこの議会の中でよりこう

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反映したいでそのためにはこうたくさん

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いるこの黒人の奴隷たちの数もある程度

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反映してほしいとでこの奴隷とされていた

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人たちには人権もないですし自由もないん

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ですけれどいったあの会員議数といった

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ようなことを算出する時には35人として

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数えるというま北部からは反対も出たん

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ですけどままあの南部との調整の中であの

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妥協策としてこれが認められましたでこれ

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はその後も黒人たちの間でもう55では

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なくて35であったということがあの12

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枚の人間として認められてこなかった

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そして今も制度

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あのま実質上1人前の人間としての権利を

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認められていないというようなあのことを

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いう時にあの象徴的なこととして3/5と

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いう数字が出てくることがあり

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ますでその後1860年に南北戦争が

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起こるんですがま北部と南部の戦いでま

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奴隷性を巡る戦いと

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いう見方もあるんですがより的にはあの

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政治経済的な体制を巡る戦いとなってい

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ますで北部は工業工業が発展してましたの

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であのイギリスの製品との競争の中で戦わ

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なければいけないということで保護貿易を

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指示してましたえ南部の方は

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プランテーションでま農業が中心という

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ことで自分たちのその明下などをより広く

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売りたいということで自由貿易を掲げると

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で北部は奴隷性に反対し南部は奴隷性を

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指示するということであの戦争が起きまし

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たで最終的には北部の方が買って皆さんご

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存知の奴隷解放宣言が出されてま奴隷とさ

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れていた人は自由を獲得することになり

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ますでその後憲法修正がなされてま市民権

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が認められたり選挙権が認められたりする

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ようになっていきますただしだしこの後

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あのやはり北部にとっては南部に勝つて

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いうよりはま国として南北一体の国として

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え進んでいくことがま重要であったんです

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ねで南部の方がこう離脱していっては困る

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ということでえ様々な妥協があ認められる

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ようになりましたで1番ま黒人の歴史の中

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では重要なのがこう部各種でま黒人に

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対する差別法があったんですけれどまそれ

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が徐々に復活していきます奴隷という身分

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こそ認められなくなったんですが実質的に

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は奴隷のような状態でえ過ごさなければ

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いけないということが続きましたでえっと

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これですねあとは分離すれども平等という

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こと

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で白人と黒人が異なる施設を使うことを

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認める判決が最高裁で出ましたでここで

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あの写真があるんですけど例えばこう水

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のびなんですがこう本来であれば分離して

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てもま平等の同じような施設であれば分離

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しててもいいですよっていうものだったん

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ですが実態としてはこの写真に見られる

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ように白人用の施設の方がはるかに良い

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ものであって黒人の方は劣悪なものという

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のが一般的でしたで水の見場だけではなく

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て例えば学校もそうですね教育の場である

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学校も白人の施設の方が優れているより

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良いものであって教員の質とか数において

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も優れているっていうような状況が事実と

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して認められるようになっていきましたで

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これに対してこう20世紀の後半になって

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戦ってその法律をえなくしていとしていた

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のが公民権運動になり

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ますでまそのまだ1960年代にあの公民

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権運動があの活発になるんですがそれまで

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の間はまだあのそういった大規模なあの

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運動というのはまだ起こっていませんでし

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たただそれに向かっての黒人たちの意識と

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いうのは少しずつ変化を見せていました

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そのそのきっかけになったのは1番大きい

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のは第1次世界線ですねでまあの北部での

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工業都市でえ労働力がより必要になったと

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いうこともあってえ南部から北部に黒人

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たちが移動移住することになりましたこれ

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を大移動って言うんですけれどもで南部と

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は異なる人種差別に直面すると南部の方は

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割と生活しているあの状況が非常に近い

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白人と黒人が同じ敷地内に住んでいてま

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白人たちの方も黒人たちに慣れていると

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いうこともあるんですが北部の方ではそう

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でもなくってただこう差別がないわけでは

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ないという新たなタイプのやはり人種差別

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があるということに気づいたということと

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それから第一次世界大戦これ公にはやはり

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民主主義とか自決権をこう守るっていう

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ような大義名文でアメリカも参戦しました

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でそういった名文と自分の国の中で行われ

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ていることが矛盾しているっていうことに

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国人たちも気づいていくとでそういう

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新しい意識を持った国人たちのことを

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ニューという風に言いますま自尊心

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とか自立心む新たなタイプの黒人たちと

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いうことになりますでこの黒人たちがま

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国内におけるいろんな矛盾に気づくと同時

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にあのいろんなアフリカとの繋がりも

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見出していきますでこうえ自分の意思を

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持って白人たちのこの政治なり社会に抵抗

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していくということになりますでそれを

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象徴するのが1919年のこうレッド

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サマーというものなんですがあのこの年ま

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第1次世界大戦が終わったあの次の年です

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があ終わった年あぱりコ会議の年ですけど

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あの全米で人種暴動が発生しますで人種

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暴動というのは当時はま白人による黒人へ

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のこういった臨地のことを指してたんです

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ねでそれに対してこのニューといっ

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たような新しい意識を持つ黒人たちが反撃

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するようになっていったとでそれによって

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あの人種暴動もより過激にま規模が大きく

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なっていったというそういう時期になり

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ますでそういう中で

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えアフリカに対する意識も芽生えていった

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とさっき言ったんですがそういった意識の

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ことをパン

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[音楽]

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労動体のような考え方ですでその背景には

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先ほどの動画の中でも出てきたもう黒人と

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いう人種に属するのであればどこに住ん

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でようとこう劣等であるという風にま

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レッテルを張る社会進化論の影響があり

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ます結局こういったあのアメリカ国内での

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地位の向上って考えた時にアメリカだけで

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それが達成できるかと言ったら結局必ずし

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もそうではなくてやはり種そのものの序列

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化を覆さなければいけないとそういうこと

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にま気づいていきまそれに基づく運動を

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始めていったのがこの20世紀初島になり

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ますでこのパンアフリカニズムの運動には

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大きく分けて2つのケフがありましてで1

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つはエリートののま会議を中心とした運動

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でもう1つはえ大衆による運動になります

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でこのエリートのパンアフリカニズムなん

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ですがここに出てる写真の人はこの人は

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人種としてはどの人種の人だと思います

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えま答えは黒人なんですけどまさっき地の

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一滴ルールというのが出てきましたがま

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非常にあの白人の血が入っている黒人で

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あのwbdボイスと言いますで彼は

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ハーバード大学で初めて博士号を取ったえ

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黒人ということであのエリートになります

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で彼を中心にこのパリ公和会議えの開かれ

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ているパリにおいてパンアフリカ会議と

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いう会議を開こうということであの実際

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開催しましたで各地これはまアメリカだけ

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ではなくて仮深海諸国といったいろんな

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地域の黒人知識人が人種差別とか植民地の

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問題によって議論するということになり

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ますただこれを中心的にあのまああの参加

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してえ運営していたのがあのアフリカの人

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というよりはそれ以外の地域に住む黒人

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たちだったんですねなのでまアフリカに

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直接あまり繋がりを持たない人たちによる

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まパンアフリカニズムということで

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アフリカなきパンアフリカニズムと言わ

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れることもあり

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ますこれがその会議の写真

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ですで大衆の方のパンアフリカニズムなん

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でけれどもこの人物マーカスガービーと

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いうジャマイカ人なんですが彼が始めた

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運動になりますでこれはまジャマイカから

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彼がアメリカ合衆国にま移住してそこで

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あの運動が大きくなってで国境を超えて仮

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深海地域南米中南米だけではなくて

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アフリカ諸国にも拡大していった運動に

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なりますでここでは政治的な独立と経済的

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な自立を目指すということでアフリカ機関

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運動という運動とあとブラックスター

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ラインという会社をま運営するということ

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があの大きくあのなされましたでアフリカ

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機関運動っていうのはま当時あのすでに

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独立していたリベリアという国があってま

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これはアメリカを中心とするあの自由と

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なった国人たちがあの帰って行って国を

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作ったっていうそういう経緯があるんです

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けどそこまもうすでに独立しているので

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そこにこうまたアメリカとか仮深い地域で

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いろんな知識とかあの技術を見につけた

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黒人たちがリベリアに共同体を作ってで

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リベリアの経済発展を助けることで

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リベリアを国際社会における1人前の国に

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することを助けるとそういう運動でしたで

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これをま財政的にも支えようというものが

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ブラックスターライ会ですでこれは黒人に

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よる黒人のための起線会社ということでえ

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株式会社だったんですが株主は黒人だけに

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限られるということでえもう1株ずつ黒人

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の労働者たちそのプランテーションで働く

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ような労働者たちがあの1つ株数株とか

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あの買いながら大衆がこう支えた会社です

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でこれは最近ですねあのソーシャルビジネ

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スっていう言葉もよく聞くと思うんです

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けどそういったま社会的企業のま走りで

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あったという評価もされていますというの

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はあの黒人の地域工場という1つのこう

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社会的な目的のためにあの作られた会社で

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あるということですでこれがあの政治的な

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自立を目指すあの会社ということになり

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ますあのでこれがそのブラックスター

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ラインが運行していた船ですあのアフリカ

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までは行かなかった行けなかったんですが

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カプ海地域ではあのいろんな物資とか人を

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こう運搬するということをやりましたで

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当時ですねえ皆さんタイタニックという

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映画を見たことがあるかもしれないんです

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けどあのタイタニックというもう豪華客戦

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当時はもうあの船っていうのが権力の象徴

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でもあった時代なんですけどその

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タイタニックを所有していたのがえ

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ホワイトスターラインというイギリスの

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会社ですでガービーはま白人たちがああ

play15:33

いう豪華な客船を所有してえあいたうん

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あの船船会社をこう運営できるんだったら

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黒人たちも同じようなことができるはず

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だっていうことでまあのブラックスター

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ラインというのを作りましたでこれ仮深海

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地域をこういった国人たち自分たちが買っ

play15:55

た株式によって支えられているこの船が

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実際にこうキューバとかですねジャマイカ

play16:02

とか気候するんですねそうすると黒人たち

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はもう熱狂的にこれを受けあの歓迎して

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自分たちの自尊心の源としてえ見ていき

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ますでその同じ運動ではこのニューヨーク

play16:18

のあのハーレムなんですけどえそういった

play16:21

ところでパレードを代代的に行ってでその

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黒人たちのこう力をあの世間にこう

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見せつけるというそういうことがなされ

play16:31

ましたでこうその運動の中では機関誌とま

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新聞も発行していたんですがそこにこう

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いった写真がまこういう写真もですねあの

play16:43

乗ってでそれが世界的に流通していくとで

play16:47

それを見た例えば南アフリカの黒人たちが

play16:51

あすごい自分たちも同じような運動をやろ

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うっていうことで南アフリカでも同じよう

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なあの運動を始めいくというな形でえ

play17:00

世界中にえ広まっていきまし

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たでこれが

play17:08

あの旗ですねいわゆる

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国旗国旗ですねあの先ほど政治的独立って

play17:15

いう風に言いましたけれど黒人たちを1つ

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のこう国家を形成するような民族のように

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も捉えていてでま疑似的な国家なんです

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けどその国旗も制定しましたでこの三色器

play17:30

というのは現代のアメリカ社会においても

play17:33

非常に重要な位置付けを持っていますね

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例えばブラックライブズマターのこのデモ

play17:40

の中でも使われてますしあとはさっきの

play17:43

あの経済的

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事実というところと繋がってえ黒人所有の

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いろんな会社に掲げられたりもしてい

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ますで今までこ今あのエリートのパン

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アフリカニズム

play17:59

と大衆のパンアフリカニズムを紹介したん

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ですがそれはあの2000え20世紀初頭

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のこのパンアフリカニズムだったんですが

play18:11

第2次世界対戦後になるとまたそのパン

play18:15

アフリカニズムに変化が訪れます先ほどは

play18:20

第一次世界大戦後の動きだったんですけど

play18:23

第2次世界大戦後改めてこう国際秩序が

play18:28

問われ時代新たな国際秩序があの模索され

play18:32

ている時代に今度は主導権がアフリカ人に

play18:37

移ったようなパンアフリカニズムの運動が

play18:40

始まりますそれまでのこの第1次世界大戦

play18:43

後のパンアフリカニズムはあのアフリカの

play18:46

外にいる黒人たちが中心的だったんです

play18:48

けどそれがあの第2次世界大戦後になると

play18:53

主導権がアフリカ人に移るとでこの

play18:57

アフリカ人たちは先ほどのいわゆる黒人

play19:01

たちそのガービーとかディボースとかが

play19:03

やっていたその黒人たちと違って自分が

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あの拠点としてきた場所が実際にあるわけ

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ですねアフリカの中にでそこで実際に反

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植民地運動を起こすことができると実際に

play19:23

植民地化してきたこのヨーロッパの政府と

play19:26

戦ったりあるいは交渉したりするすること

play19:29

ができる人たちそういう人たちがこのパン

play19:31

アフリカニズムの担い手になっていきます

play19:34

でここでですねガービー運動あのその以前

play19:38

それ以前からこうガービー運動の影響が

play19:40

アフリカ各地にも見られましたのでそう

play19:43

いったものとも融合していくということに

play19:45

なりますで独立した後のその国旗の中にも

play19:49

こういったようにさっきのガービーの影響

play19:51

が見られますでガーナの場合はですね

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真ん中あのブラックスターですねこれ

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ブラックスターラインから取られたもの

play20:01

ですであのそのガーナっていうのは植民地

play20:05

化されたアフリカ地域の中では1番先に

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独立した国ですなのでまアフリカの中での

play20:12

代表格と言ってもいいような位置付けがさ

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れてきました特にアメリカ人にとっては

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同じあの英語を喋るということもありまし

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てガーナというとアメリカあアフリカのま

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代表というような位置付けですでえっと

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19507年に独立するんですがこのク

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大統領はガービー運動の指示者でガービー

play20:35

が言っていたようなま国を作ると

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アフリカ人の1つの国を作るっていうよう

play20:40

な構想も実現しようとします最終的には

play20:44

失敗するんですがそういった思想を持って

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独立していた人たちですでそのガーナの

play20:51

独立式典にはマーティンルーサーキング

play20:53

ジュニアも出席していますで1960年は

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あのよくアフリカの都って呼ばれるんです

play21:01

けれども多くの国がアフリカにおいて独立

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した都になりますでこれもあのアフリカ

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だけでこう行われてたというよりは同時

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同じ時期にアメリカで行われていた公民権

play21:15

運動とこう連動しながらお互いにお互い

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からこう力を得ながらあ進められていった

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そういった時期になりますなのでこの

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ガーナの独立式典にマーティンルーサー

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キングも出席していたということになり

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ますでその公民権運動なんですがあの一義

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的にはアメリカ国内における人種差別法

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特に南部のこう人種隔離を認めるような

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法律を撤廃していくのが目的でしたで最初

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の大きなきっかけはこの公立学校での人種

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融合を認めるブラン判決なんですけれども

play21:57

先ほどもあの分離すれども平等っていう風

play22:00

に出てきていましたがでも分離されてて

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なおかつ不平等な状況にずっと置かれてき

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たそういった国人たちがあのより良い教育

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を受ける機会を得たいということであの

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それからこう公民権運動っていうのが徐々

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にあの進んでいきましたで皆さんご存知だ

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と思うんですけどワシントン代更新があっ

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てえで公民権法が成立してまあの公民権と

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いうのは一応こう成功したということに

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なりますでまその立役者としてよく出て

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くるのが先ほどのマーティンルーサー

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キングジュニアですでこう南部を中心に

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こうやってくわけですねで先ほども

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繰り返しになりますがあのアメリカの南部

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における法律を改正するっていうのが公民

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権運動のま最初の目的でしたで一応それが

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成功するとでこれはあのその中で行われた

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更新ですけどIamamanていうことで

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あのま

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35とカウントされていたそれはもう人間

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とはカウントできないわけですよね3/5

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人それはもう55であるっていうことを

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主張しているとも言える写真

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ですで公民権運動一応公民権法があの制定

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されて

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え成功したんですけれどでも実際には

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それによって何も変わらない部分もあった

play23:33

とで特に北部においては元々そういう南部

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にあったような法律がなかったのでま人種

play23:41

差別それまであったのとま同じ状況が続い

play23:45

てるわけですねでそれに対してえ若者たち

play23:49

の不満が高まって各地で人種暴動が起こり

play23:53

ますで公民権運動後も差別は継続している

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とで法制化されていないだけこれはまあ

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特に北部においてそうであるとでこの写真

play24:02

はロサンジェルスのワッツボドというあの

play24:05

ワッツ地区における暴動なんですけどこう

play24:09

いった大規模な暴動が起きたりそれから

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キングが68年に暗殺されるんですがそれ

play24:14

によそれへのま講義の暴動が各地で起きる

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ということになり

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ますでこういう流れの中でですね公民権

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運動っていうとまあのキングに代表される

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ようなあの国内の法律を変えるというよう

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なものだったんですけれどももう1人重要

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な人物がいてこれがマルコムXという人物

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ですでま当初はネーションオブイスラムと

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いうアメリカ国人の間でのイスラムという

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あのの中にいたんですけれどまその中では

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白人は悪魔だって言ってるようなあの

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ちょっと

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白人黒人がずっと差別されてきたのを

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ちょっと反転させるようなメッセージを

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投げていた非常にラディカルな人なんです

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があのそのネーションオブイスラムをえ

play25:05

脱退してえスニ派のイスラムに回収しまし

play25:10

たでその後よりこう普遍的な問題として

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この黒人に対する問題をあの取り上げる

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ようになっていきますでメッカ巡礼の際に

play25:21

アフリカや中々にも

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こう赴くということになりますでこの人も

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まあキングよりも前に暗殺されるという

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ことなんですけどこの人が言っていること

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はこれですねこのアフリカ統一機構って

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いうのがあのアフリカの地域共同体になり

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ますであの独立してから1963年にあの

play25:44

それが成立したんですがその総会にこの人

play25:47

も参加してで我々の問題これアメリカの

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黒人の問題っていうのはあなた方の問題で

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もあるんだとで黒人の問題ではなく

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アメリカの問題ではないとえの問題であり

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人類の問題です公民権ではなく人権の問題

play26:02

なのですということであのアメリカ国内の

play26:06

その南部の法律の問題を超えてこれはもう

play26:14

不より普遍的な人権の問題なんだという

play26:17

ような訴えを始め

play26:20

ますでですねその頃すいませんちょっと

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この人物先ほど北部の方のこう若者があの

play26:31

公民権運動の後よりこうそれその成功にも

play26:36

関わらず状況が変わらないことに対するま

play26:40

怒りをこう暴動という形で表現してたって

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いう風な説明をしたんですがその中で出て

play26:46

きた運動がまブラックパワー運動ですこれ

play26:49

もあのこれはですねそれまでの非暴力を

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掲げていた公民権運動をこう非暴力の部分

play26:57

をしても自分たちでパワーを行使しなけれ

play27:01

ばいけないというような主張をしますで

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自分たちの力で自分たちの権理を勝ち取る

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んだということになりますでここではあの

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それまで当たり前とされてきたような構造

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とか価値判断とかっていうことをものを

play27:21

くそうというそういうことがなされ

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ますでこれですね特にこの1つ目が

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ブラックパワーまさっきの誹謗力の放棄で

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自分たちの力で勝ち取るっていうことなん

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ですけどもう1つがまブラックis

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ビューティフルという今まで

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あの黒人っていうと何かと劣等であると

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いう序列化がなされていた中で見た目と

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いうか美しさっていうものも白人を中心と

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したような基準が

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ま普通のものみんながこう認めるべきもの

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としてあのルフしていたんですがそうでは

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なくて黒人には黒人の美しさがあるんだっ

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ていうことを訴えたものですでブラック

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isビューティフルていうまもう本当に

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そのストレートなあの運動になりますで

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ちなみに同じようなブラックis

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ビューティフル運動っていうのは1960

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年代後半から70年代の南アフリカにおい

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てもあの行われましたで反アパルトヘイト

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闘争の中でそういった運動が行われていて

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ねさっきも言ったようにあのアフリカでの

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戦いとアメリカでの戦いっていうのはもう

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連動して行われていたということですで

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このようにアフロヘアが美しいものであ

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るっていう風にあの再定義ですね黒人側

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から定義をしたっていうようなものですで

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この拳を突き上げるこの書作っていうのは

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ブラックパワーを表すものなんですがあの

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2020年に広まったブラックライブズ

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マターにおいてもこれが同じような拳を

play28:58

突き上げるということが行われましたで

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もう3つ目のあのカーマーケルによる主張

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の中で非常に重要なところがこの構造的な

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人種主義ですで人種差別っていうと皆さん

play29:13

はあの個人的なこう差別感情に基づく個人

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的な行為のように感じるかもしれないん

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ですけれどもまそういうものもありつつ

play29:24

より注意しなければいけないのは構造の中

play29:28

に組み込まれている人種主義ということに

play29:31

なりますでカマイケルによるとまこれです

play29:34

ねまず白人テロリストがこう爆弾を仕掛け

play29:37

て子供たちを殺害するような行為でも白人

play29:42

市場主義を掲げているようなそういうもの

play29:46

というのは個人的な人種主義の現れであり

play29:49

批判することも簡単であるとでその一方で

play29:52

同じアアラバマ州でねうんと年間500人

play29:56

もの黒人の赤ちゃんがえま死亡している

play29:59

ような事実っていうのは構造的な人種主義

play30:02

であって社会における主流派が永続的に

play30:05

進めている政策や期間の中で発生している

play30:08

ために認識しづらいとで

play30:12

この多分あのコロナがあの発生した当初

play30:19

ですねニュースの中で皆さん見たの覚え

play30:21

てるかもしれないんですが例えば

play30:23

ニューヨークの中でもう黒人たちあるいは

play30:28

夕食人種の人たちが住むような地域におい

play30:31

ての死亡率は高かったんですねでマン

play30:35

ハッタンはすごく人口密度が高いんです

play30:38

けどあの住むのにもとてもお金がかかる

play30:42

家賃が高いので白人ばかりま黒人も

play30:46

もちろんあのハーレムとかは混ざってます

play30:49

けど基本的にはお金を持ってる人がマン

play30:53

ハッタンにはいるとでそこではそれだけ

play30:56

こう密度が高くても死亡率は高くなかった

play30:58

んですね比較的にそれは何を意味するかと

play31:02

言ともう様々な要因が複合的にえあるん

play31:06

ですけどその夕食人種のいるよういる地域

play31:11

においては例えばその経済的に困難を抱え

play31:15

ている人が多いだからそうすると食生活

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普段の食生活も違うしそれから仕事を

play31:24

掛け持ちをしなければいけなかったりする

play31:26

ので十分に休めてない普段から無理して

play31:30

いるとかそれから健康保険にも十分に入っ

play31:33

てない人が多いとかいろんなこう複合的な

play31:36

要因があってそれが結果的にこう死亡率に

play31:41

現れてくるんですねでそれをでもこうパッ

play31:46

と見てあのあ人種差別的なもの構造だって

play31:50

指摘するのがなかなか

play31:53

難しいですねでそれそういうことを言って

play31:56

いますだからこれ6年代に言ってることな

play31:59

んですけれど現在のアメリカにおいてもま

play32:03

通用するあるいはアメリカ以外の社会でも

play32:07

同じようなことが見受けられるのではない

play32:09

かというような内容になっていますでその

play32:12

アメリカ以外でもというのはカーマイケル

play32:14

自身も言っていて特にこの時期は植民地

play32:17

主義あの独立した後も経済的にあの旧総国

play32:23

の支配を受けているという中でこの植民地

play32:27

主義と種主義っていうのが構造的に

play32:29

ちょっと共通しているものであるという

play32:32

指摘がなされてい

play32:34

ますでこの構造的な人種主義というかあの

play32:38

構造社会構造の中に人種差別的なものが

play32:42

埋め込まれてるとなからその社会が正常に

play32:45

機能するすればするほどその人種的人種

play32:50

差別的なものも結局は再生産されていくっ

play32:53

ていうそういう考え方

play32:56

ですでこういったあのより広い視野に立っ

play33:02

た普遍的な問題としてこのアメリカの人種

play33:06

問題を捉えるというものはえキングも万年

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もう暗殺される直前には同じような認識を

play33:15

持っていましたでここですねもう本当に

play33:19

暗殺される直前のあの演説ですけどこう

play33:24

大勢の人が立ち上がっているといろんな

play33:26

世界各地で

play33:28

でその叫びは常に同じであるというような

play33:31

あのそういったあの演説をしていますで

play33:35

えっとこのようなですね国際的にもあの

play33:39

あるいは国際的あるいは他の地域において

play33:42

も構造的に見られる問題としてこの人種

play33:47

差別だったりいろんな差別の問題があると

play33:52

いうことがこの公民権運動の後の歴史から

play33:56

は分かると思い

play33:58

では次の動画でじゃあ日本にはどういう風

play34:01

にそれが当てはまっていくのかっていう

play34:03

ことを考えたいと思います

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人種差別歴史アメリカ合衆国奴隷制公民権運動ブラックパワー構造的差別社会運動人権植民地主義
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