「3枚舌外交でパレスチナが苦しんでいる」は左翼プロパガンダ?【朝香豊の日本再興チャンネル】
Summary
TLDRこの動画では、イギリスの中東政策、特に3枚舌外交とその影響について深掘りしています。バルフォア宣言、フサイン=マクマホン協定、そしてサイクス=ピコ協定を通じて、イスラエルとパレスチナの長い対立の歴史的背景が語られます。イギリスの外交策略がどのようにして今日まで続く問題を生み出したのか、またその複雑さを理解することの重要性が強調されています。また、19世紀半ばからのユダヤ人とアラブ人の共存の試みとその困難にも触れられており、歴史的な背景と現代の課題を結びつける詳細な解説がなされています。
Takeaways
- 📆 このチャンネルは2年間運営されており、質の高いコンテンツを提供することを目指しています。
- 🌍 イギリスの3枚舌外交とは、異なる相手に対して矛盾する約束を行ったことを指し、イスラエル・パレスチナ問題の一因とされています。
- 📜 バルフォア宣言により、イギリスはユダヤ人のパレスチナへの居住地建設を支持しました。
- 🤝 フサイン=マクマホン協定では、アラブ人の土地としての独立を認める約束がされたとされますが、パレスチナに関する具体的な言及はなかった。
- 🔍 サイクス・ピコ協定により、イギリスとフランスは中東の地域を分割支配することを秘密裏に決定しました。
- 🕊 第一次世界大戦後、アラブの国々は独立を目指しましたが、多くの地域で欧州の影響下に置かれました。
- 🕌 イスラエル建国の歴史的背景には、19世紀半ばからのユダヤ人の移住があります。
- 🤔 イギリスの外交政策は、その時々の地政学的利益に基づき、矛盾する約束が行われたと考えられています。
- 🏛 パレスチナ問題に関しては、単純な善悪の二元論ではなく、複雑な歴史的経緯が存在します。
- 📢 チャンネルでは、イスラエルとパレスチナの問題について、プロパガンダに惑わされずに理解を深めることを目指しています。
Q & A
バルフォア宣言とは何ですか?
-第一次世界大戦中の1917年、イギリスの外務大臣バルフォアが、パレスチナにユダヤ人の居住地を設置することを支持すると表明したものです。
フサイン・マクマホン協定の内容を説明してください。
-第一次世界大戦中にオスマントルコのフサインとイギリスのマクマホンの間で交わされた秘密交渉です。シリア以西の領域をアラブの土地と認める内容でしたが、パレスチナについては触れられていませんでした。
なぜフサインはカリフの地位に就いたのですか?
-アラブ諸国の指導者となることを目指し、カリフの地位に就いたのですが、イスラム世界からの反発が大きく、隣国サウジアラビアに攻め滅ぼされます。
サイクス・ピコ協定とは何ですか?
-第一次世界大戦後の中東の勢力圏の分割に関するイギリスとフランスの協定です。シリアをフランス、パレスチナをイギリスの勢力圏としました。
なぜヨルダンはパレスチナ人を国民として抱え込んだのですか?
-第一次中東戦争でヨルダンがパレスチナの領土を獲得したことにより、パレスチナ人がヨルダンの国民となったためです。
ファイサルはなぜユダヤ人移民を支援したのですか?
-イギリスの支援を取り付けるため、またパレスチナ人への牽制も兼ねて、ユダヤ人移民を支持しました。
イスラエルはなぜヨルダン川西岸地区の割譲に消極的なのですか?
-歴史的に対立してきたユダヤ人とパレスチナ人の共存が一つの国の中では困難と考えているためです。
左翼による歴史の歪曲とは何ですか?
-イスラエルだけを悪者にして一方的に非難するような、偏った歴史観のことです。
スクリプト全体のポイントをまとめてください。
-イギリスの「3枚舌外交」が中東の混乱を招いた、という単純な結論ではないこと。イスラエルも完全な善ではなく、歴史は複雑だったことが分かります。
中東問題の解決には何が必要ですか?
-武力によらず交渉を通じて国境を確定させ、パレスチナの平和な国家建設を進めることが重要です。
Outlines
😌 第一次世界大戦時のパレスチナの状況
このパラグラフでは、第一次世界大戦時のパレスチナの状況について説明しています。具体的には、当時のユダヤ人人口が5-7%であったこと、イギリスがユダヤ人のパレスチナ入植を支援したバルフォア宣言を出したこと、アラブ人とユダヤ人の共存共栄が謳われたこと等が述べられています。
😏 フサイン=マクマホン協定とその後の状況
このパラグラフでは、フサイン=マクマホン協定の内容と、その後シリアで発生した状況について説明されています。協定で約束されたアラブの独立が実現しなかったこと、フランスの委任統治を巡るファイサルとの対立があったこと等が書かれています。
😮 イギリスとフランスによる中東分割
このパラグラフでは、第一次世界大戦後の中東におけるイギリスとフランスによる勢力範囲の分割について説明されています。サイクス・ピコ協定に基づく北と南の分割、ヨルダン・トランスヨルダンの状況、1948年の第一次中東戦争でのヨルダンによる東エルサレム占領等が書かれています。
😠 パレスチナ問題の難しさ
このパラグラフでは、イスラエルとパレスチナの対立を解決しづらくしている要因がいくつか上げられています。ヨルダン川西岸地区をめぐる考え方の違い、社会勢力の介入、経済発展の阻害要因等、複合的な困難さがあると指摘されています。
🙂 物事を単純化しない大切さ
最後のパラグラフでは、この中東問題を単純化して理解することの誤りが指摘され、物事の複雑さを踏まえた上で、様々な視点から客観的に判断することの大切さが述べられています。
Mindmap
Keywords
💡バルフォア宣言
💡フサイン・マクマホン協定
💡サイクス・ピコ協定
💡ワイツマン=ファイサル協定
💡中東戦争
💡パレスチナ問題
💡イスラム過激派
💡ヨルダン
💡東エルサレム
💡二国家解決
Highlights
このチャンネルが2年間続いていることへの感謝
質の高い内容を提供し続けるという決意
イギリスの3枚舌外交についての解説開始
イギリス外交の巧みさに対する疑問提起
バルフォア宣言の説明
ロスチャイルドとの関係とパレスチナのユダヤ人居住地建設
フサインマクマホン協定の解説
アラブの地としての認識とその複雑性
サイクス・ピコ協定による中東分割
第一次世界大戦後の中東の政治的変動
イスラエルとパレスチナの現状と未来に対する提案
ヨルダンとパレスチナ人の関係性の複雑さ
イスラエルとヨルダン間の領土変遷
中東問題に対する歴史的な理解の重要性
イスラエルとパレスチナの共存の可能性
チャンネル登録と視聴のお礼
Transcripts
[音楽]
必ず野郎日本最高坂豊かですこの動画を見
てなるほどねなんて思ってくれたら是非
チャンネル登録よろしくお願いいたします
え本日10月17日を迎いましてですねま
このチャンネル初めましてえこうちょうど
2年になりましたあ皆さんどうも
ありがとうございますまただねえなかなか
ま諸事情がありまして多くの人に見て
もらえるチャンネルになっていないのはま
はは残念ではありますがあしかしながら質
の観点で見た場合にはですねま他の
チャンネルに引けを取らないえそれだけの
えハイレベルなものをですねま今後も提供
していこうと思いますので皆さんどうか
よろしくお願いいたしますえ10月11日
のデイリーニュースをお伝えいたしますえ
今回はですねえいわゆるえこのイギリスの
3枚舌外交みたいなねえこの話についてえ
やろうかと思いますま世間の中にあっては
もうこのイギリスの3枚自外交まつまり
イギリスがですねこの別々の相手にま3つ
のこの愛矛盾する約束を行ったせいでま今
も続くこのイスラエルパレスチナ問題が
起こっているんだみたいなこういう話が
ですねよくなされてたりはしますよねでま
その直接に従ったまこの表面的な解説と
いうものがもう学校の授業でも当たり前の
ように行われこのYouTubeにおいて
もこういうのが当たり前みたいな形でま
言われてたりはするわけなんですよねです
があの高校者として知られるまつまり外交
がとてもうまいことで知られるあの
イギリスがですねそんな愛矛盾するような
ことをそう簡単にポンポンポンポン言って
いたのかということについてまあまあ
ちょっと疑問は持ってもらいたいなともも
思うわけなんですく探ってみるとですね
うーんそうとも言えないぞみたいなことが
こう色々あるんですよねもちろんえ
イギリスあるいはフランスえこうした国々
の腹黒さっていうのもあって問題が生じ
てる部分というのもえ当然あったりはし
ますえですからこのイギリスにしろ
フランスにしろですね私は白だなんていう
つもりは全くないんですよまこういうよう
なこともあってですねこの全体図を理解
するというのはこれは甚大変な話にはなる
んですけれどもえ今回この点についてです
ねえもうあえて切り込んでえ話をして
みようという風に思っていますでイギリス
がこう約束したあこの約束のうですねね
まずバルフォア宣言というものから見て
いきましょうでバルフォア宣言とはですね
まあ第一次世界戦当時のえそのイギリスの
外務大臣であったバルフォア外務大臣え彼
がですねこのイギリスの貴族院議員の
ロスチャイルド男爵に対してですねまこの
現在のイスラエルがある辺りを示す
パレスチナという言葉がありますがこの
パレスチナへのユダヤ人居住地の建設に
ですねえ3位を示したえつまりこれは賛成
するということを言ったそういう所管なん
ですねで私は以前の動画でロスチャイルド
がこのパレスチナの途中をこの自主から
買い上げてまこの自主というのはオスマン
帝国の事主ですからまトルコ系の人が多い
のかなって勝手に思ってますま実際この
不在自主がから買い取ったという話がま
よく出てきたりはするのでおそらくそう
いうことだと思うんですけれどもえそこに
対してえこのユダヤ人の入植をどんどん
進めたなんていうこういう話をねえした
ことがあったかと思いますで買い上げた
土地へのま入植なんだよと言ってもえここ
にこうどんどんとこうユダヤ人たちが増え
ていくということにで元々多数派だった
アラブ人まパレスチナ人とも言われたり
するわけですがこちらの側からですねこの
恐怖を感じたというのは私はこれは当然な
んだという話もしましたよねでまその話は
ちょっと置いといてなんですがこの
ユダヤ人の入植のこの強力な後ろ立てに
なったのがこのバルフォア宣言になると
いうことになるわけですそして一般にこの
バルフォア宣言と完全にこう矛盾すると
言われているのがフサインママ本協定と
呼ばれるものなんですねでここに出てくる
この負サイとマクマホンというのもこの人
の名前になってますで負サイというのは
この予言者ムハンマドの血統を継ぐハ向け
の頭領なんですよねでこのオスマン帝国の
中にあってもこの地方の知事みたいなまね
えそういうような役割を果たしていた
こんな人になりますで図を見てもらえば
分かりますが当時のオスマン帝国はですね
そのサウジアラビアの沿岸部をぐるっと
囲むようにこう支配していたわけなんです
でこのオスマン帝国のメッカの側えつまり
ですねこの西側というか左側の沿岸部です
ねここの行政のトップを務めていたのがえ
この負サインだということになりあります
えそしてえこれに対しママ本の方は
イギリスの中東担当の責任者なんですねで
負債ママ本協定なんていう風によく言わ
れるわけなんですがこの協定の超引識が
どこかで行われたなんてことは全くなくて
ですねこの2人の間で交わされた10つの
え手紙のやり取りえこれのことを言うわけ
なんですなので負産院ママ本所管なんて
いう風に言うこともありますでイギリスは
ですねこの第1次世界大戦に勝利するため
に月島から見てもまたそのオスマン帝国の
中にあるその立場から言ってもですねこの
負サインに反逆をさせるのが非常に有効だ
ということを目をつけえこうした秘密の
所管のやり取りというものをやっていた
わけなんですえそしてえこの負債院はです
ねこのオスマン帝国に対する氾濫を
引き起こしま先ほどえ見たですねこのメカ
側の領域で独立国のヒジャーズ王国えと
いうものをえ建しましたでこちらの地図の
この緑色の部分がえヒジャーズ王国だと
いうことになりますではこの負サインに
ですねこの反逆を起こさせたあその元と
なったこのママ本の所管の中にですねま
どんな感じのことが書いてあるのかという
のをちゃんと見て欲しいんですねメイスン
地区及びアレクサンドレッタ地区及び
シリアのうちダマスカスホムスハマー
アレッポの各地区より西の部分は純粋に
アラブ人の地とは言えないそれゆえ提案さ
れる決定からは覗かれなければならない
ちょっとねわけわかんない地名ばっかりが
出てきてうわーみたいな感じになると思う
んですがメルセン地区と
アレクサンドレッタ地区というのは今の
トルコの南部のところという話になってる
んでえまここはあのパレスチナとは全く何
の関係もないっていうことになりますで
ダマスカスホムスハマーアレッポというの
はですねシリアの都市の名前なんですねで
シリアの中でもどの辺りなのかということ
なんですがこの地図を見てもらえばですね
分かるんじゃないかと思いますダマスカス
ホムスハマーアレッポはですねま南から
順番に並んでいるえここの都市の名前に
なりますよねでこれより西の部分は純粋に
はアラブの地とは言えないということは
要するに地中海沿岸の方は純粋にアラブ人
の土地ではないよとこれらの土地よりも
内陸側だけがえ純粋にアラブ人の土地だと
認めるよというこういうことなんですよね
でもちろんですねこの部分の受け取り方
っていうのはま色々あるわけなんですね
マクマ本はシリア側あつまりですね今の
イスラエルよりもこの北側の方の話しかし
てないじゃないかと今イスラエルのある
このパレスチナと呼ばれる地域については
何も言っていないじゃないかだから
パレスチナはアラブ人の土地だということ
になるんだなんてねまこんな感じのことを
言う人もいるわけなんですですが
マクマホンははパレスチナのことについて
は何も語っていないんですよ語っていない
のにそういうことになるはずだというのは
あまりにもおかしくないですかと私は思う
わけです語っていないんだから約束はして
いないそういうことになるんじゃないかと
えいうのがこれ正しい理解ではないですか
またですねこのイギリスのママ本は
アラブ人の土地だと認めた場所について
ですねこのオスマン帝国からの独立という
のはこれはてはいるんですがこの地が負
サイが支配する土地になるとは実は一言も
言っていないということになるわけなん
ですねアラブ人の土地になればいいんだよ
ねと何も君が支配するという風には言って
ないよみたいなこんな話にもなるわけなん
ですまところがですねこのフサインの方は
ま自らがこの伝統あるこの橋井向けの党首
であるというこの決闘もあって俺はアラブ
のオーダなんてことを言い出してですねえ
このイスラム国家全体の指導者である
カリフえというこの立場にですね俺は即位
するなんてことまでやったわけなんですね
でこれに対しては他のこのイスラム勢力
から大きな反発があってなんと隣国の
サウド家えサウジアラビアの王族である
あのサウド家によってですねこれ滅ぼさ
れるなんてこともあったわけなんですね
ところでこうしたことがあった第一次世界
対戦頃にですねまユダヤ人がどのくらい
住んでいたのかということになるとこれ私
残念ながらですね今回調べきれませんでし
たえただしなんですがマルクス経済学者と
して知られる慶王大学の信近充先生の
ウェブページにはですねえこ19世紀半ば
頃にパレスチナ地方に住んでいたユダヤ
京都の人口比率は5から7%と推計されて
いるえとの記述があるのを見つけましたま
少数派ではあるとはいえ決して無視できる
ほどでもないそれだけの数のユダヤ京都が
すでに19世紀半ばの時点でもえこう住ん
でいたということが分かりますよねしかも
19世紀半ばよりも20世紀に入ってから
の方がユダヤ人の入植は間違いなく進んで
いたと見るべきなんですでさらにこの地中
海沿岸にはですねキリスト教徒もますでに
無視できないぐらい住んでいたということ
があるわけなんですえ地中海沿岸地域を魔
本がですですねえこれをこのアラブ人の
土地という状態から外したのはこうした
事情を考慮していたからだと見れば良いか
と思いますでさらにですねこの第1次対戦
後に開かれたフサインの息子のファイサル
とですねえこのイギリスのシオニスト連盟
のえワイツマンえとのこの会談においてえ
なんとアラブ人とユダヤ人の共存共栄が
歌われるということが起こったんですねえ
立命官大学の非常金行使である
近所三氏の書いたシオニスト運動とアラブ
問題解決としてのアラブ住民位相との論文
にはワイツマンファマ合意ではファイサル
はバルフォア宣言の履行と大規模なユダヤ
移民の受け入れを支しつつパレスチナ
アラブ農民の権利保護と経済発展の処置を
条件付けたと書かれていますファイサルは
なんとこのパレスチナへの大規模なユダヤ
員を認めていたんですよユダヤ人に来るな
来るなと動いていたのとは全く逆なんです
よねでこれはその隣国ヨルダの事情とま
関係するってことがあるんですがまこれに
ついては後ほど述べるということにさせて
くださいとはいえですよフサインママ本
協定がこのバルフォア宣言と真光から矛盾
するむちゃくちゃな話だんだなんていうの
はこれ全然正しくないってことが分かるん
じゃないかと思いますで最後にもう1つの
約束であるサイクスピコ協定を見ておき
ましょうえ実はこのサイクスピコ協定が
ですね本当は1番の問題じゃないかという
風に私は思っているんですねこの
サイクスピコ協定というのはですねこの第
1次対戦で連合国側で共に戦ったイギリス
とフランスがですねオスマン帝国を後にね
打ちまかしたところでまそれぞれの戦力権
をどう分割するのかなんていうことをま
あらかじめ決めたというものになりますで
イギリスの中東専門家のサイクスと
フランスの外交官のピコとの間で結ばれた
ものであるのでまサイクスピコ協定という
風に呼んでいるわけなんですねま後にここ
にロシアも関わってくるんですけれどもま
これはパレスチナ問題とは全く関係しない
のでここでは扱わないようにしますでこれ
はですねま単純にこのイギリスの勢力権と
フランスの勢力権でこの中東を分割したと
いうこういうものになるわけなんですねで
こちらはNHKがこのイスラエルが描く
中東の未来予想図というサイトの中でこの
使っている地図になります緑色で記された
シリア側とグレーで示されているヨルダン
側の国境線がありますよねえ内気のロゴに
も似たこの国境線に沿っているのがこれ
サイクスピコ競艇で分割されたラインで
北側がフランスの勢力権南側がイギリスの
勢力権となったわけなんです今はですね
ヨルダンもシリアもこれアラブ県の独立国
だということになっていので現代において
はまこのサイクスピコ協定は守られている
ということになるのかもしれませんしかし
ながら第1次世界大戦が終了した段階では
そうではなかったんですねさてここでです
ね人ややこしい話が出てきますフサイン魔
本協定で出てきたフサインねえ要はその
アラブの中にあってねえムハンマドからの
この後継者のえそういうようなあその家計
の中の頭領であるえこの負サイですねこの
負サイの引きいる軍隊はですねえこの
オスマン帝国に半期を切返した時になんと
あんなところからシリアのところまで
ずっと攻め上がっているって状態だった
わけなんですねつまりシリアやえそれより
も南の地域ここはかなりこの平定していた
ということになりますなんと平定地域は
ですねえこのイラクの方にまで及んでいた
というのがこれが実際なんですでところが
この第1次対戦後にですねこの今のシリア
の辺りはえ先ほど言ったサイクスピコ協定
によってですねフランスの勢力権だという
風にされていたわけなんですよね負イ側は
この負の息子のファイサルを国王とする
シリア王国の完全独立を宣言したんですが
フランスはですねまシリア王国は認めて
やってももいいけどフランスの委任統治家
に入るっていうことが前提なんだという
ことでここを癌としてですね譲らなかった
わけなんですまこれに対してこのフサイン
の側からすればなんですがねいやフサイン
ママ本協定でアラブの独立認め
るってことになってたじゃないかそれなの
にフランスの委任統治家っていうのはこれ
どういうわけだとまファイサルは起こった
わけなんですでこれはね私完全に筋が通っ
てるんじゃないかって思うわけなんですが
まとにかくこのフランスの異人統治家に
入るということをこれを完全に突っぱねた
ですねこのファイサル側にフランスは攻撃
をバンバン仕掛けねえこの戦いに破れた
ファイサルはですねこのイタリアに逃げる
というこういうあり様になったわけなん
ですでこの後もですねこの複雑な歴史が
続くわけなんですけれども第2次世界大戦
終了後の1946年にようやくまシリアは
完全な独立国家になりましたで南部の
ヨルダンででもですねこのファイサルは
ですねイギリスによって追い払われると
いう事態になりえファイサルの兄の
アブドゥラを王としてですねえこう迎い
入れてえトランスヨルダンというえこう
いう国を成立させましたでこちらの方は
ですねこのイギリスの異人統治を認めた上
でまその上で成立した王国ということに
なりますでこのトランスヨルダンは
ヨルダン側の東側だけではなくて西側にも
ですねこう一部領土を持ってという状態
だったんですねでこの段階でトランス
ヨルダンはあそのためになんですがこの
ヨルダン側星眼に住んでいた多くの
パレスチナ系のこのアラブ人をですね国民
として抱え込むことになったわけなんです
よでそうするとこれは国内の中にあって
元々このヨルダン系の住民とそれからこの
パレスチナ系の住民とこれの対立をですね
内部で生んでしまうというこういう状態に
もつがったんですよねでアブドゥラはです
ね自らのこの権力基盤を固めるためにま
イギリス側とこういろんな交渉をやったん
ですけれどもこの中でイギリスの中東政策
に非常に大きな影響力を持つイギリス
シオニスト連盟のですねこのワイツマンと
もえあったわけなんですよねワイツマン
ファイサル合意の中でも出てきたあの
ワイツマンですでアブドゥラはですねもう
この自分をこう支えてくれるんであれば
このトランスヨルダンのヨルダン側よりも
この西側のところにですねえこれユダヤ人
の入植を認めるというこういう姿勢を示し
ていたんですよねこれはパレスチナ人に手
を焼いたアブドゥラがですねえこの
イギリスの異人統治下で自分の権力を高め
たいんだというその意図だけではなくえ
この手を焼くパレスチナ人に対する牽制と
してですねユダヤ人の入植を進めたいと
いう意図もあったんだろうってことはこれ
は容易に想像がつくと思いますそしてこう
いう背景があるからえワイツマン
ファイサル合意というのにも繋がったんだ
ということになるわけですで第2次世界
対戦後の1946年にですねまイギリスも
このフランス同様にこの委任統治から手を
引いたのでこれによりヨルダンはあ完全に
独立をするという状態になりますですから
ま現代においてはこのサイクスピコ協定は
ま守られているという風に言ってもいいの
かもしれませんがまこれまで述べたように
第1次世界大戦から第2次世界大戦が
終わるまでの間これは守られたとは言え
ない状態にあったということになりますで
ヨルダンはですね1948年に発生した
第一次中東戦争この中東戦争というのはま
イスラエル対アラブの戦いというこういう
風に考えればいいですけれどもこの第1次
中東戦争において東エルサレムを含む
ヨルダン側星眼地区全体をですねこう占領
しここをヨルダンのものだということで
抑えたわけなんです1967年の第3次
中東戦争ではえこのヨルダン川星眼地区は
ですねイスラエルに奪われることになった
わけなんですねそして今のこの国境戦が
出来上がっているというこういうことに
なるわけなんですですからこのイスラエル
からするとなんですがヨルダン川西岸地区
は第3次中東戦争でヨルダンから獲得した
俺たちの領土だということになりここを
自分たちがどうしようがですね外野から
文句言われる筋合いはないんだとこういう
話にもなるんですよねしかしながら歴史的
に反目してきたこのユダヤ人と
パレスチナ人のこの共存というものがです
ね1つの国の中ではなかなか達成できない
というこの現実を頭の中に置いた上では
早期にパレスチナ人国家を成立させていく
ためにイスラエルはその領土の一部をです
ねもうパレスチナ人に積極的に渡すべきで
はないのかとま私は思っているわけなん
ですでその代わりパレスチナ人は
イスラエルからの投資というものを積極的
に受け入れてこの経済発展を目指せばいい
それが両者のウンウンの関係になるんじゃ
ないのなんて思っていたりもするわけです
よねただヨダガ星眼までですねこの自分
たちの領土だっっていうこういう思いが
強くそんなところは絶対譲れないなんて
思っているユダヤ人もま多かったりする
わけですまたこのユダヤ資本の元で働く
なんてね冗談じゃないみたいなあそういう
抵抗感を持つアラブ人もま実際には多いん
だろうとは思いますでそういうことがこの
問題の解決を難しくしているというところ
もまあ見ておいた方がいいのかもしれませ
んそしてこのパレスチナの側にですねこの
赤軍派のえ茂のぶさとかがこういっぱい
入り込んでいたみたいなこういうことから
も分かるようにえこの革命を目指す社会
勢力というものがですねもう様々にこう
入り込んでこの無益な武装闘争というもの
がもう延々と繰り返されてきたというのが
これが実際なんですよねで人々の対立を
煽るんではなくてですねパレスチナが早期
にこの国境確定に動いて平和な国家建設に
邁進していればですね今みたいな貧困状態
をこの続けるというそういうことにはなら
なかったんじゃないかまそんな風にも私は
思ったりもしますま以上こんな形でですね
まかなりめどくさい話をしてきましたま
ここまで見てくれればですねこの3枚自
外交を行ったイギリスが悪いんだなんて
いうそういう単純な話ではないということ
がま分かったんじゃないかなと思いますま
なるべく分かりやすくですね説明をした
つもりではあるんですがそれでも情報量が
膨大なのでですねま最後までご覧いただい
た方はまあ正直って少ないんだろうな
なんて思っていたりもしますえ最後の方
までご覧いただきましてありがとござい
ますともかく今この世の中で広がっている
のは左翼がプロパガンダ用に歪めたそう
いう歴史なんであってそれを前提にですね
イスラエルを断罪するっていうのはそれは
違うんじゃないのっていうのは分かって
欲しいんですよねで一方私はイスラエルが
完全な善だというつもりも全くないんだと
いうのもま今回の話を聞いてまあ改めて
ですね確認してもらえたんじゃないかなと
思うんですねでその辺りの私のこの立ち
位置もご理解いただければと思いますえ
必ずやろう日本最高朝高でしたチャンネル
登録是非よろしくお願いいたしますまた
ベルマークの通設定を全てに切り替えて
いただきますよう合わせてお願い申し上げ
[音楽]
ます
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