【ダイジェスト】トヨタはなぜ24時間耐久レースに挑むのか?富士24時間を前に脇阪寿一が歴史を遡って教えてくれた|トヨタイムズスポーツ
Summary
TLDRこのスクリプトは、トヨタ自動車のスポーツカー開発とレース活動についての詳しい話です。24時間レースでの経験を通じて、トヨタは競合他社から与えられた刺激を乗り越え、独自のスポーツカーを追求してきました。スクリプトでは、GRスープラやトヨタ86、LFAなど、各モデルの開発ストーリーやレースでの活躍が語られます。また、森澤さんの意欲と情熱、そして彼の死による影響も触れられ、トヨタのスポーツカー開発に対する彼の貢献が強調されています。さらに、コロナ禍での挑戦や、水素エンジン技術のモータースポーツへの応用など、トヨタが持続可能な未来を目指して取り組む活動も紹介されています。
Takeaways
- 🏎️ トヨタは24時間レースに挑戦し、経験を積み重ねてきた。
- 🚗 スープラは2002年に生産が終了し、その経験からトヨタはスポーツカーの開発を強化した。
- 🌟 森田さんの経験から、トヨタはスポーツカーの開発に力を入れ、GRブランドを強化した。
- 🔧 トヨタはレースを通じて車両開発と人々の育成を行っており、エンジニアのスキル向上に貢献している。
- 🏁 GRスープラは、デトロイトでの発表から3ヶ月前に最後のテストを行ったとされる。
- 🏆 GRイアリスは24時間レースで優勝し、その発売日に大きな話題を集めた。
- 💡 森澤さんは、より良いスポーツカーを作り、日本の未来を明るく照らしたいという強い意志を持っていた。
- 🌱 トヨタは悔しさを乗り越え、スポーツカーの開発を進め、GRヤリスやGRスープラなどの成功を収めた。
- 🔄 カーボンニュートラルという新しい挑戦に向けて、森澤社長は水素エンジン技術をモータースポーツに導入した。
- 📈 20年間を通じて、森澤さんは悔しさを力に変え、トヨタのスポーツカー開発を推進してきた。
- 🌐 トヨタはモータースポーツを通じて、より良い車作りを目指し、その経験を今後の開発に活かす予定である。
Q & A
トヨタが24時間レースに参加する理由は何ですか?
-トヨタは24時間レースに参加することで、培ってきた技術を森田さんに学んでいただきたいという意図があります。また、レースでの経験を通じて、より良い車を開発し、顧客に提供することを目指しています。
森田さんはどのような経験を持っていますか?
-森田さんは、過去にGRスープラの仙台での80スープラの運転経験を持ち、自動車メーカーが開発中の車を使った運転訓練に参加した経験があります。
トヨタはどのようにしてスポーツカーの開発を進めてきたのですか?
-トヨタは、1967年の2000GTから80年代のスープラに至るまで、スポーツカーの開発を続けてきた。また、2010年にLFAを発売し、スポーツカーの次世代を目指して開発を進めてきた。
LFAの開発にはどのような背景がありましたか?
-LFAの開発には、リーマンショック直後という困難な時期にもかかわらず、並々ならぬ思いを持ち続け、開発を進めることができたという背景があります。
トヨタ86はどのようなコンセプトで作られたのですか?
-トヨタ86は、LFAのように高価で限定的な車ではなく、誰にでも乗れる、コンパクトで価格帯で楽しい車を目指して作られた。また、車両開発だけでなく、人材育成を通じて、エンジニアのスキル向上も目指しました。
GRスープラの開発にはどのような意義がありますか?
-GRスープラの開発は、トヨタがより純粋なスポーツカーを作りたいという願望を実現する意義があります。また、森田さんの思いを継承し、日本のスポーツカーの未来を明るくするためです。
トヨタはどのようにして人材育成に貢献しているのですか?
-トヨタは、レースに参加することで、エンジニアやメカニックのスキルを向上させ、人材育成に貢献している。また、プロのチームと協力し、異なる考え方やアプローチを学び合い、人々の成長を促進しています。
GRイアリスはどのような経緯で作られたのですか?
-GRイアリスは、森田さんが86がクラッシュしたことを受けて提案し、ルキレーシングスーパー耐久のスタートに合わせて作られた。また、発売日に24時間レースで優勝したというストーリーがあります。
水素エンジン技術はどのようにしてモータースポーツに導入されたのですか?
-水素エンジン技術は、2020年末頃に社長が出会い、小林上井選手がその技術をモータースポーツに導入しようと提案した結果、4ヶ月後の24時間レースに出場することができました。
森田さんはどのようにしてモータースポーツに関与し続けているのですか?
-森田さんは、モータースポーツを通じて、より良い車作りを実現し、日本の未来を明るくするという強い意志を持って活動している。また、仲間たちが集まってきて、一緒に夢を追っているという一貫した姿勢が続いている。
トヨタは今後もどのようにスポーツカーの分野で進化していくのですか?
-トヨタは、過去の悔しさや挑戦を通じて、より高度なスポーツカーを開発し続ける予定です。また、環境に優しい技術如水素エンジンを導入し、カーボンニュートラルを目指して、持続可能なスポーツカーの開発にも取り組む予定です。
Outlines
🏎️ トヨタのスポーツカー開発と挑戦
この段落では、トヨタが24時間レースに挑む過程とその背後にある意義について語られています。トヨタが過去に開発した車種や、その開発を通じて培った技術と情熱が語られ、特に80スープラやGRスープラ、そしてF1への参入など、トヨタのスポーツカー開発における重要なマイルストーンが紹介されています。また、森田さんの経験や、開発車両を用いた運転訓練のエピソードも交えられ、トヨタがスポーツカー分野で培った技術を通して、将来の車作りに繋げていくという意気込みが感じられます。
🌟 LFAとトヨタ86の開発物語
この段落では、トヨタのスポーツカー開発における重要な車種であるLFAとトヨタ86の開発物語が語られます。LFAはリーマンショック直後に開発されたとされる这辆车は、その時代にトヨタが持つべきスポーツカーとしての理想像を追求した結果として生まれました。一方、トヨタ86はより多くの人々に楽しんでもらえるコンパクトスポーツカーとして開発され、その開発過程で重要な人材が育てられました。これらの開発物語は、トヨタがスポーツカー分野で築き上げるブランド力と技術力の象徴として位置づけられています。
🔧 人づくりと車作りの融合
この段落では、トヨタがスポーツカー開発を通じて人づくりと車作りを融合させる取り組みが紹介されています。特に、ガズレーシングチームがその象徴として挙げられ、プロのメカニックたちとトヨタの社員が一緒に働くことで、人材の育成と技術の交流が促進されたとされています。また、GRMN86の開発過程における森澤さんの言葉も紹介され、トヨタがスポーツカー開発を通じて人々の情熱と技術を結集し、より良い車を作るという姿勢が強調されています。
🏁 スポーツカー開発とモータースポーツの未来
最後の段落では、トヨタのスポーツカー開発がモータースポーツの未来に向けた取り組みとどのように繋げられているかが語られます。GRスープラの開発過程や、そのテストでのエピソードが紹介され、開発者とドライバーの情熱と技術がどのように一辆车に結びついているかが描かれています。さらに、コロナ禍下でのレース活動の様子や、GRヤリスでの優勝話も触れられ、トヨタが持続可能な未来を目指すための取り組みとして、水素エンジン技術の開発が語られます。森澤社長の20年間の悔しさと情熱が、トヨタのスポーツカー開発の歴史と未来に向けたビジョンに結びつけられています。
Mindmap
Keywords
💡トヨタ
💡24時間レース
💡スポーツカー
💡開発中車
💡悔しさ
💡GRスープラ
💡LFA
💡ガズレーシング
💡人材育成
💡水素エンジン
Highlights
24時間喋り続けるのは無理かもという話から始まる。
アルテッツとスープラの話題。GRスープラの前身である80スープラの重要性。
ニュルブルクリンクでの運転訓練と自動車メーカーのテストについて。
2002年にスープラの生産が終了したことへの言及。
トヨタの80スープラが運転訓練車として唯一選ばれた理由。
海外メーカーのカモフラージュ車に対する悔しさを感じたエピソード。
ニュルブルクリンクでの運転訓練がトヨタの車作りに与えた影響。
トヨタの挑戦が続き、現在のトヨタGRやルーキーレーシングに繋がっている。
トヨタの2000GTと80スープラの歴史的な意義。
LF-Aの開発とその背景にあるリーマンショック。
LF-Aの生産開始とナルセさんの事故のタイミング。
ナルセさんの存在がトヨタの車作りに与えた影響。
2012年にトヨタ86が発表されたこと。
トヨタ86の参戦とその開発過程。
GRMN86の開発と発売の背景にある悔しさ。
2016年のトヨタガズレーシングの組織化とトムスの参加。
A90スープラのカモフラージュテストとその発表。
GRスープラの開発とデトロイトでの発表。
GRヤリスの開発とコロナ禍での挑戦。
水素エンジンのカローラの挑戦とその意義。
Transcripts
ま24時間やることは決めたんですけど
さすがにちょっと私1人で24時間喋り
続けるのは無理かなというところがあって
ですねうんうんま勉強をちゃんとしない
とっていうのが今日の企画のま始まりでも
あるんですよ学んでいこうということなん
ですねでうま我々ね今までま24時間
レースはねたくさん経験させていただいて
ますからま今回の機会我々の培ってきた
ものをですね是非森田さんに学んで
いただきたいということですけれども最初
にえニュルに出た車はアルテッツうんです
ねうんさすがでございますえ3戦は
アルテッツなんですけれどもその前は実は
ですねスープラなんですねあの今のですね
GRスープラの仙台ですね80スープラと
いうところですねうんでスープラって
2002年に生産終わってるんですよね
そうそうそうなのよだからその話もですね
森園さんがよくされてますけれどもえ
ニュルはですねレースの日はレースやっ
てるんですけどそれ以外の日はですね一般
解放してる日とかもあるんですね自動車
メーカーが使うですねインダストリーと
言われる日がうんねえそこでですねあの
自動車開発の車を走らせるんですけれども
当時ナルセさんとね森さんはその
インダストリーをね運転訓練として使って
たんですけれどもあのヨーロッパのですね
自動車メーカーなんかはこれからですね
発売する開発中の車を持ち込んでテストし
てるんですねえ開発中ですからですねよく
そのマガジンXとかね昔ありましたです
けどそこでねあのスクープされるのもその
ねえインダストリーあったりしたんです
けれども当時ねその森さんとナルセさんは
そこで運転訓練するんですけれどもその
運転訓練に見合う車はですねこの80
スープラしかなかったとまそれがなぜかと
言うとねもうその運転訓練に見合う
スポーツカーがねトヨタにはこのスープラ
しかなかったということですね当時ですね
抜き去っていくですねカモフラージュの
ですねその海外メーカーの車たちがですね
お前らトヨタにはですねこんな車なんて
作れねえでしょってそういう風にね言って
いくように思えたって言われてるんですね
これはもう本当に多分悔しいとそっか
スープラがうんカモフラージュの開発車両
の車にどんどん抜かれていくわけですから
はいだからま運転訓練をしながら運転が
できる喜びと共にやっぱその悔しさを感じ
ておられながらですねえニルで絶対ねニル
で開発した車をね作るトヨタになりたいと
いう風にですねその時強くあの思われたと
いうことでございますやっぱり挑戦して見
たら見たで次の何かがそこで見つかるって
いう感じですね社はんもうそうなんですね
ま最近見ててもそう
ですねまこの悔しさがですねあったから
こそ今のこのニュルのね挑戦が続いていっ
て今のですねまトヨタGRえルーキー
レーシングに繋がっていくんですけれども
まそこはですねえきっちりですね森田さん
にも覚えといていただきたいと自分で走り
続けていろんなことを変えてきたからこそ
え周りがやっと理解して今に繋がっていく
んだと思うんですねなるほどだからね水素
エンジンカローラの時もやっぱり最初は
水素エンジンってななんだとかEVじゃ
ないのかとか色々ありましたけどそこは
意思ある情熱と行動で変えていくんだって
言ってそこに仲間が集まってきてっていう
のを1年間こう見てきましたけどうんま
この頃からね当時はねもう車内でも本当に
冷たい目で見られたっていう話よく聞き
ますしねもう最初はですねもう本当中古の
アルテッツ2台熱群まで勝った中古の
アルテ2台でスタートしたんですねはあ
なんかモータースポーツをてとしたもっと
いい車作りって毎日のようにく今とはうん
想像できないですね今からするといやだ
からねまだからもうトヨタとしてF1やっ
ててそこはトヨタレーシングとやっててね
そそっちはそっちがあるかこっちのニュル
の活動はですね当時ですね社長がやってた
ガズというね事業部の名前をつけてガズ
レーシングにしたらしいんですよねうんだ
ガズはいちょっとこれあの今のロゴと違う
んですけど分かります何が違うのかああ
分かりました分かりまし
トヨタが入ってないあそうなんですよこれ
実際に2010年ね11一さんが乗ってた
車LFAなんですけれどもトヨタついて
ないんですよねうんだからこれはえ会社が
認めた公式の活動じゃないとかそういう
そういうことですねですからこの辺の時の
ですね悔しさであるとかね本当にねお客様
に寄り添った車作りができなかった時代の
ねその悔しさがですね今もう本当にあの
トヨタ本体ガズレーシングこの時の活動が
ですねあのもう1つ1つがですねトヨタの
物作りの根幹の思いになって今のねtgr
トヨタガズレーシングであったりもっと
言えばねトヨタ自動車の車作りに対する
もうそういうマインドがここで作られて
いったというそういう時代ですね80スー
プラってねあの93年に立ち上がってます
よねその前は有名なトヨタの世界に誇れる
スポーツガがあったんですけれどもそれは
何かご存知ですか2000gtその通りで
ございますえボンドも乗ってたくらいの
ですねえ世界に誇れるスポーツカーですね
これが立ち上がったのがですね
1967年80スープラの25年前ですね
念仙宮って言葉知ってますか伊勢神宮の
はいやつですね20年に一度ねあの宮を
立直すってやつですけれどもあのあ
れってね宮の寿命があってねそれをですね
20年に1度立て直すことでですねその
建築技術が次の世代にこう伝えられていく
いうことなんですけれどもスポーツカーっ
てねやっぱり車作りの大切なぎえね曲がる
え止まるえそしてねそういうのをね
突き詰めていく車だからこそですねそれを
作ろうとするとその技術がですねその継承
されていくということなんですけれども
この2000gtのですね次にえ80
スプラがあったというま20だからそこは
5年で新しく出たわけですねはいうんね
ニルでもですね2008年にLFという車
でね参戦し始めたっていうのもそこにある
のかなっていう風に僕は感じてますねあほ
だから2000gt80スープラがあっ
て次何でって時にLFAというものをじゃ
作んなきゃとうんはいそういうストーリー
があるわけですねだからLFAってよく
聞くし大事な車なわけですねうんうんうん
そうですねあリーマンショック直後だった
と思いますそういや大変な時期ですよそう
風当たりもねもうかなり強かったと思うん
ですけれども並々ならぬ思いでですね
LFAを開発発売されたというですねえ
そして2010年の12月からLFAの
生産がいよいよ始まるんですねそっか
LFAはまその次世代の念仙宮の新しい
トヨタのスポーツカーとしてはいえこれ
から鍛えてで実際にそれが世に発売される
とはいはいそうなんですただもうこの年
すごいね実さん大変な年だですよねはい
ニュルが行われたのが5月だったんです
けれどもその1ヶ月後ですね6月23日に
ですねナルセさんがですねニュルのテスト
中にえ事故で亡くなられたということで
ございますそうかそんなタイミングだった
んですかそれは僕ね多分ね海外のレースが
終わってどっかで
ね休憩してた休息を取ってた時なんです
けど一方が入ってもう本当にチェックし
ましたですねその時の森さんの心境を考え
たらねもうもういても立ってもいられずに
うんそんな思いを本当に思い出しますね
うんなんかそのあれですね社長にとっても
その株主総会でどうしようか考えて寝て朝
起きたらメールではい見たっていうのは本
に書いてありましニルのそのサーキット
近くにその車を整備する小屋があるんです
けれどもそこでLFAをちょこちょこっと
触られながらテストドライブに出ていかれ
その先でねあの対者とねぶつかってあの命
をねなくされたんですけどねなんかその
今日ねこのナルセさんというのがどんな
存在でこのトヨタの車作りにどういう風に
関わってるかっていうのを知った後にこの
ナルセさんが亡くなったというのを聞くと
うんとんでもない大きな方を失ったんだ
なっていうのはすごく思いますね市販され
てそれがLFAが街を走る姿っていうのは
さんも見たかったんじゃないかなとも思い
ますね森澤さんが1番多分見ていただき
たかったかなと思うんですね瀬さんがこう
ね事故されたところの横にねちょっとした
こう広場があるんですけれどもそこにです
ね2本の桜を植えまして1本はドイツの桜
もう1本は日本の桜を植えてですねあの
我々ガズレーシングトヨタガズレーシング
としても本当に忘れられない場所と今は
なってますニュルにね行く時は必ずみんな
がここに行って成瀬さんにご挨拶してうん
えこれから車作り頑張りますと我々をお
守りくださいとえメッセージをですね成瀬
さんに届けてですねニュルの地に入って
いくという場所でございます本当ニュル
メンバー全員がすごく大事に思っている
場所でもありま今その鳴瀬さんとニュル
メンバーを繋いでる場所でもあるんですよ
ねうんそれではですね一旦ここでですね
年表に戻らしていただいて2012年です
ねえトヨタ86が発表されるということな
んですねはあはあでこの後っていうのは
この86がずっとニルには参戦しばらくし
続けてますはいあのこのねLFAの開発
からこう86に変わっていくので1つ言わ
れてたの思い出すんですけどLFAって
限定500台しかも値段がねものすごく
高い車だったとでこの車に乗れる人たちを
ものすごく限定されたというところでうん
誰にでも乗れる乗って楽しい車を作りたい
あのコンパクトで価格帯で楽しい車を作り
たいっていうのをなんか言われてたのを今
思い出しますねで今ね森田さん言われた
通り2012年も13年もまLFAがあり
ながら14年もトヨタ86ってなってて
ですねえ例えば2012年度12月に
LFAが生産するんですけどその間って
いうのは86を使い続けてるんですけれど
もえガズレーシングのニルの参戦の目的
っていうのはもちろん車両開発という側面
もあったんですけれどもそれよりか1番
大切なことって人作りなんですねああ
車作り人作りはいはいあ道が人と車を
鍛えるというんですけれどもこのあの勘で
ですね同じ86を使いながらもですね
どんどんどんどんそのトヨタの車を普段
部署に戻って全然違う車作るそういう
エンジニアの方々もこの時間を使ってです
ね人材育成をしてたということなんですね
でその家庭の中でですねどんどんどんどん
車が良くなってくるとあ実際にこれが勝力
が良くなってきたね良くなってきます
やっぱりニルのねな道でねどんどん
どんどん乗りやすいね乗って楽しい車を
作るわけですからその家庭の中で2015
年12月にいい車ができたのでそれを皆
さんに乗っていただこうというので発売さ
れたのが86grmnということなんです
ね出ましたね
grmnはいただねこの本のね車を作られ
てる中でね森澤さんはねようやくここまで
来たっていう言葉を出されてるんですね
ですからその車作りに対してトヨタもね
どんどんうんどんどんこう人が進化して
こういう車を作れるようになったんだて
いうことなんですけどでもそれとですね
相反してですそれでも悔しいってま運転
訓練を始めた時のその悔しいって言われ
てるんですけどその悔しさはねやっぱり
海外メーカーのね人たちにトヨタなんて
そんな車を作れないでしょって言われた時
にねやっぱりトヨタってね森澤さんの名前
がそのまま冠としてやってる部分プライド
のところもあったと思うんですけれども
この時のねgrmn865を作ってでも
ですね悔しいて言われたのは限定100台
ってとこだと思うんですよはいでLFAも
限定500台やったんですよでLFAは高
価格帯でもう高価帯っていうことは乗ら
れる方々が決まっててでさらに500台の
首しか500人しか乗れないでこの
grmlも100人ねもっとたくさんのね
その申し込みがあったらしいんですけど
やっぱりね自動車メーカーとしてここはね
多分トヨダ秋夫社長という感覚やと思うん
ですけれども自動車メーカーの社長として
その車を乗りたいと思っていただくお客様
に届けられる車を作れない悔しさがこの時
の僕は悔しさだとちょっと感じてますね
そっかだから同じ悔しいという言葉でも
ちょっとま悔しさのニュアンスが変わって
きてるというかこれ2016年を見ると
結構この年はトピックスが満載な感じです
ねはいえこの年って2への挑戦がちょうど
10回目だったので10周年みたいな感じ
だったんですよねでさらにですねすごく
大事なんですけれどもこの頃からトヨタ
ガズレーシングになってますやっとかこの
トヨタがついたっていうのが大きいわけ
ですねまあ今ねものすごく見慣れてる見
慣れてるロゴですけど2015年のね最後
の方だったと思うんですけどまそれまでは
ねトヨタレーシングであったりレクサス
レーシングであったりガズレーシングで
あったりトヨタの中であの3つぐらい
大きくそのあったんですけどそれがですね
もうトヨタガズレーシングで組織が一本化
されたのがこの時代ですねでもう1つは
ウズトムスていうのが入ってきてますニル
のメは全員トヨタ社員がやってたんです
けれどもそこにですねあのトヨタの死え
名門チームのトムスのプロのメカニック
たちが入ってきてニュルのプロジェクトに
挑戦し始めたっていうとこですねいわゆる
ニルのいわゆるトヨタの社員メカニックの
中にプロを入れるとどうなるんだろうって
プロの立場とトヨタの普段車作りしてる
方々とそのレースに対する考え方向き合い
方いろんなものが違うと思うんですねそこ
でまた人が育つんじゃないかという1つの
きっかけを作ったんですよはいああそっか
勝ちに行ったんじゃなくてそういう狙いが
あっての競業はいもそういうことを考える
と今のルーキーレーシングとこう
アプローチが全く逆方向からなんです
けれどもやってることは同じっていうこと
に繋がりませんか確かにそっかアッとプロ
が一緒にいて学び合うわけですねはい今の
ルーキーレーシングっていうのはプロの
集団の中に
いわゆるトヨタたが来られててしかも今
これ出てる写真っていうのはまさにうん
グレーのあのスーツ着てる人と黒のスーツ
着てる人ではいうんは一緒になってやって
るってそういうことですはい黒がトムスの
メンバーですねそしてグレーがトヨタ社員
っていうことになりますねこうやって一緒
になってやる状況がここではい作られた
そして年表に戻ると16年の後はもう
明らかに目立つのがこのスープラで書いて
ありますけどこれ年場スープラって書い
てるんですけれども確かにねその時はねA
90っていう車の名前でお出たんですよね
カモフラージュしてたってことですねうん
もう完全にそのこれがスープラだぞという
ようなことじゃなくテスト車両ですという
ことですねあまだじゃあ隠してた状態なん
いやいやもちろん世の中ではね分かってる
んですけどA90まその80スープラが
80って言うじゃないですかですからその
後の次のスープラでA90っていう
そうそういうねいとかいろんなものもあっ
て開発行動というかまそういうところとか
もね使いながらのエントリーだったんです
ねこれがですねあの次の年の2019年の
1月にですねGRスープラがデトロイトで
アベルされるというところのわずか3ヶ月
前の最後のテストだったと思これ最後の
テストだったんだうんなるほど最後の
テストですからねやっぱりその作ってるね
エンジニアとかメカニックの人たちは森園
さんねまそのマスタードライバーですね評
ドライバうんがなんてコメントするかなっ
て思ってものすごくドキドキしながら
レース後迎えたらしいんですけどもこんな
に楽しい車はないとおいう形でね降りてこ
られてですねもう開発者にしたら多分
マスタードライバーのその言葉ってもう
最高のなるほど褒め言葉ですよねそこから
のスープライズパークだったわけですね
はいはいスープライズパークあれかで
ちゃんとその半年後にね今度は24時間
レースにちゃんとスープラとして
エントリーをされるとああ本当だだから
このGRスープラっていうのはもうこの
名前でちゃんとはいトてそうなんです
へえ終わりですねいやいやいやまだまだ
続くんですねまだあのやっぱりねその
スープラは出たんですけどこのスープラ
ですねGRスープラBMWと競業やったん
ですねそっかまだかはいやっぱり森澤さん
としてはやっぱトヨタ自動車でピュアな
スポーツカーを作りたいっていうのがあっ
たと思うんですねおうんそれがGRヤリス
来たはいまこの時にねまた天気が訪れるん
ですけどま記憶に新しいご存知コロナでね
2020年はニルに行けなくなったとあと
もう1つはですねあのルーキーレーシング
が立ち上がったんですね森三さん最初86
だったと思うんですねそれをまシリーズ
通してその出てたんですけど最終戦にです
ねその86がクラッシュしてですねそれを
気に森沢さんが言い出したのがgrr
イアリスで出場しようというところでです
ねえルキレーシングスーパー耐久のの
スタートが始まったというとこですねで
そこでですねえっと
2021年ですねあのコロナでですね
レースがきちっとこう開催されずに1番
最初のレースがですね24時間レースに
なったんですけれどもあそうだったんです
かはいそこでGRイアリスがその24時間
レースでいきなり優勝するというところに
なっていくんですねあそっかそういう
ストーリーだったんですねはいしかもJR
アリスの発売日発売日はい優勝うん嘘
みたいなストーリーだったんですけれども
うんなんかだんだんゴールに近づいてきた
感じはいまここからはですね記憶に新しい
と思うんですけどカーボンニュートラルが
出てきたりまこの辺はねもう現場にも行か
れてますから2020年の末あたりに社長
が水素エンジンの技術に出会われてえ小林
上井選手がそれをモータースポーツに
使おうよというところですねで4月4ヶ月
後ですね4ヶ月後の24時間レースに出て
いくというとこですね今日年表とかも含め
てずっとこうやってここまでの流
れっていうのを追ってきましたけれどもま
そのモータースポーツを起点としたもっと
いい車作りこの最近よく聞く言葉っていう
のがこの森三さん社長がこの20年間
なんかこう悔しさいろんな悔しさを味わい
ながら力づくでなんとかかじりついて
こじ開けてきたそんな20年間だったのか
なとなんかこう水素エンジンのカローラの
挑戦っていうのはまある意味結構かっこ
よく私の中で見えてたんですけどその前に
これだけこう泥臭い大変な時期の積み重ね
があってここまで来たんだなと思うと去年
の記憶もちょっと変わってくるかなって気
もしますし今年の24時間の見方これも
ちょっと違う視点になるのかなっていう
感じがしますねあの水槽エンジンのねあの
記者会見の場で仲間が集まってきたって
いう言葉があると思うんですけどいきなり
水素ありますよって言ってあんだけ仲間
集まらないと思うんですねあの森沢さんの
ね活動はもうそれまでのこのガズ
レーシング運転訓練の頃からですねずっと
一貫したもう本当もっといい車作りで
もっといい車を作ることによって日本の
世界のね未来をヘッドライトで照らしたい
とうんいうねそういう思いがあるからこそ
仲間たちが集まってきてるということだと
思いますなるほど
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