2024都市と環境3の4
Summary
TLDR19世紀末のイングランドで都市計画の新しい動きとして、田園都市の考え方が生まれました。エベレスター・ハワードが提唱したこの理論は、都市と農村を結合した理想的な居住空間の創造を目指し、1903年にレッチワースで実際に事業を開始しました。そのコンセプトは、中心都市と衛星都市を形成し、緑地帯を導入することで都市の連帯を避けるというものでした。レッチワースは現在も世界遺産として残され、田園都市の思想はアメリカのランドスケープデザインにも影響を与えました。また、グリーンベルトの考え方も登場し、都市の無秩序な拡大を防ぐとともに、緑地帯の重要性を強調しました。この思想は、ロンドンの都市計画に取り入れられ、他の都市にも広がりました。
Takeaways
- 🌿 19世紀末のイングランドで田園都市の考え方が生まれ、エベレスター・ハワードが理想の都市を提唱しました。
- 📚 ハワードは『tomorrow: a peaceful path to real reform』という本で、都市と農村の融合を目指したコンセプトを発表しました。
- 🏙️ 1903年にハワードはロンドン近郊のレッチワースで実際に田園都市を建設し、現在は世界遺産に登録されています。
- 📈 彼のコンセプトでは、中心都市と6つの衛星都市から成り、全体で25万人の人口を想定していました。
- 🛣️ 衛星都市は道路と鉄道で中心都市に接続され、緑地帯が都市を連帯しないように設計されました。
- 🏡 レッチワースの都市構造は、中心にセントラルパークを置き、周囲に住居を展開する放射状の構成をとっていました。
- 🌱 ハワードは緑地の整備に顧問制度を導入し、市民が緑地を管理・利用できるようにしました。
- 🚶 レッチワースは田園都市として成功し、周辺は依然として農村地域として残っています。
- 🌳 田園都市の考え方は後のニュータウン開発やアメリカのランドスケープデザインに多大な影響を与えました。
- 🏞️ グリーンベルトの考え方もハワードの田園都市論から発展し、都市の無秩序な拡大を防ぐ役割を果たしました。
- 🎓 このトピックは造園学や都市計画の歴史に興味がある人々にとって非常に興味深く、古典的な文献を参照することで深く学ぶことができます。
Q & A
19世紀末のイングランドで始まった新しい動きとは何ですか?
-19世紀末のイングランドで始まった新しい動きは、田園都市という考え方の誕生です。これは、都市と農村を結びつけ、理想的な都市を建設しようとする理論です。
エベレスター・ハワードが発表した本のタイトルは何ですか?
-エベレスター・ハワードが発表した本のタイトルは「tomorrow: a peaceful path to real reform」です。これは、都市近郊の農村地域に理想的な都市を建設するという理論を提唱した書籍です。
ハワードが実際に事業を開始した町は何ですか?
-ハワードが実際に事業を開始した町は、ロンドン近郊のレッチワースです。
レッチワースが世界遺産に登録された理由は何ですか?
-レッチワースは、ハワードの田園都市理論に基づいて作られた都市であり、そのコンセプトが非常に前衛的であり、都市計画の歴史的意義を持つため、世界遺産に登録されています。
ハワードが提案した都市の人口は何人ですか?
-ハワードが提案した都市の人口は、中心都市が5万8000人と、6つの衛星都市がそれぞれ3万2000人となって、全体で25万人となります。
田園都市の考え方から生まれた都市計画の概念は何ですか?
-田園都市の考え方から生まれた都市計画の概念はグリーンベルトです。これは、都市の無秩序な膨張を防ぐために、都市の周囲に緑地帯を設けるというものです。
レイモンド・アンウェインが提案したグリーンベルトの目的は何ですか?
-レイモンド・アンウェインが提案したグリーンベルトの目的是、ロンドンの都市の中が公園緑地が不足している状況を補うとともに、都市のスプロールを防ぎ、自然を守るためです。
ハワードの田園都市理論はどのようにして都市と農村を結びつけるよう提案していますか?
-ハワードの田園都市理論は、都市と農村を結婚のような形で結びつけるよう提案しています。これは、中心都市を設け、その周囲に衛星都市を設置し、都市部と農村部が交互に配置されることで、都市と農村の利点を融合させ、理想的な生活環境を目指しています。
田園都市のコンセプトが導入された日本の最初の都市はどこですか?
-田園都市のコンセプトが導入された日本の最初の都市は、田園調布です。これは、関東大震災直前に渋沢栄一によって計画されました。
ジェイコブスがハワードの田園都市理論に与える批判は何ですか?
-ジェイコブスがハワードの田園都市理論に与える批判は、機能と規則だけを重視しているという点にあります。また、農村地域の視点から見た場合、田園都市が農村コミュニティにとって本当に利益をもたらしたかどうかという問いも提起されています。
ハワードの田園都市理論が影響を与えたアメリカのランドスケイパーの先駆けは誰ですか?
-ハワードの田園都市理論が影響を与えたアメリカのランドスケイパーの先駆けは、フレデリック・ロー・オルムステッドです。
Outlines
🏞️ 田園都市の誕生とエベレスター・ハワードのコンセプト
19世紀末のイングランドで田園都市の考え方が生まれました。実業家であるエベレスター・ハワードが、都市近郊の農村地域に理想的な都市を建設しようとする理論を提唱し、1898年に本を発表しました。4年後の改訂版では、都市と農村の融合を提唱し、実際にロンドン近郊のレッチワースで事業を開始しました。そのコンセプトは、中心都市と6つの衛星都市を形成し、緑地帯に覆われることを避けるというものでした。現在もレッチワースは世界遺産として残され、田園都市として知られています。
🌳 レッチワースの田園都市と緑地の管理
レッチワースは田園都市として知られ、都市と農村の融合を図るコンセプトが実現されています。ハワードは、都市の中心部にセントラルパークを設け、緑地帯を整備することで、自然と都市の調和を目指しました。また、顧問制度を導入し、住民が緑地を管理できるようにしました。レッチワースは、自然豊かな環境を再現し、住民が自然と共生するコミュニティを作りました。
🌄 田園都市の影響とグリーンベルトの導入
ハワードの田園都市の考え方は、後のニュータウン開発に大きな影響を与えました。アメリカのランドスケイパー運動や、ボストンのエメラルド・ネックレス・パークシステムにも影響を及ぼしました。また、田園都市の考え方からグリーンベルトの概念が生まれ、都市の無秩序な拡大を防ぐための緑地帯の重要性が認識されました。1935年にレイモンド・アンウェインがグリーンガードルの概念を提案し、ロンドンのグリーンベルトは都市の拡大を防ぐとともに、公園緑地の不足を補う役割を果たしました。
📈 ロンドンの都市拡大とグリーンベルトの役割
ロンドンの都市拡大を防ぐために、1944年にパトリック・アーバークロンビーがグレーターロンドン大都市圏計画を作りました。この計画では、中心部から約16キロの緑地帯を設けることで、都市の拡大を防ぎ、自然環境を守ることを目指しました。1963年には、グリーンベルトが都市開発の進行の中でも守られるよう努力が続けされました。2012年のロンドンオリンピックでは、グリーンベルトの復活がコンセプトの一つとして掲げられ、ロンドンの自然環境を守る取り組みが進められています。
📚 参考文献紹介と緑地の歴史
最後に、今回の講演で触れた緑地の歴史について、参考文献が紹介されています。造園学概論をはじめとする古典的な書籍が多く、緑地の歴史や田園都市の考え方の源流について学ぶことができます。これらの文献を通じて、過去の考え方と現在の都市計画の間に架け橋を築くことができます。
Mindmap
Keywords
💡田園都市
💡エベレスター・ハワード
💡ガーデンシティズ・オブ・トゥモロー
💡レッチワース
💡グリーンベルト
💡セントラルパーク
💡ニュータウン
💡顧問
💡グランドアベニュー
💡タウンカントリー
💡グレーターロンドン
Highlights
19世紀末のイングランドでパブリックパークの誕生と田園都市の考え方の登場
エベレスター・ハワードの実業家による「ガーデン・シティズ・オブ・トゥモロー」の本の発表
都市近郊の農村地域に理想的な都市を建設しようとする理論の提唱
ハワードがロンドン近郊のレッチワースで実際に事業を開始
レッチワースの復刻版図書で当時のハワードのコンセプトを解説
ハワードのコンセプトダイアグラムによる都市と農村の結婚というコンセプト
中心都市と6つの衛星都市を構成する計画と人口構成
衛星都市の詳細な構成と緑地帯の重要性
レッチワースが世界遺産に登録され、田園都市の概念が広がる
田園都市の概念がアメリカのランドスケープデザインに与える影響
グリーンベルトの考え方と都市の無秩序な拡大を防ぐ目的
1944年のグレーターロンドン大都市圏計画と16キロの緑地帯の設立
2012年のロンドンオリンピックとグリーンベルトの復活
グリーンベルトの考え方がイングランドの他の都市にも適用される
田園都市の批判とジェイコブスの批判の視点
田園都市が農村地域やコミュニティに与える影響
ハワードの田園都市のアイデアがユートピア思想に影響を受けたという指摘
田園都市の概念が日本に導入され、渋沢栄一による田園調布の計画
参考文献の紹介と造園学概論の重要性
Transcripts
はいそれでは第4部です
パブリックパーク公園が生まれた
イングランドで19世紀末にさらに新しい
動きが出てきました
田園都市という考え方の誕生です
エベレザーハワードという実業家が
1898年にtomorrowa
piecefulparttoReal
リフォームという本を発表しましたこれは
都市近郊の農村地域に
理想的な都市を建設しようという理論を
提唱したものです
その4年後にtomorrowはガーデン
シティーズオブトゥモローという風に主に
はタイトルを変えて
改訂版が出たということになりますここで
ハワードは都市と農村の結婚というような
コンセプトを打ち出しました
最初に彼が実業家だという風に言いました
が彼は実際に1903年にロンドン近郊
ロンドンから北の方に行ったところにある
んですけどもレッチワースという町で実際
に事業を開始します
でそのtomorrowですけれども現在
その復刻版の
図書が出ていて
解説付きで当時の彼のコンセプトを読む
ことができますこの真ん中に
示されている図が彼のコンセプトの
ダイアグラムとなるんですけどもこの本
自体はメディアセンターにもあるのでぜひ
実際に手に取って見てみてください
彼のコンセプトの
図です
中心部が中心都市となっているんですが
人口5万8000人それからそれに対して
この図ではですね6つの
衛星都市が書かれていることになりますが
それぞれの都市が一つ3万2000人
そして全体で人口が25万人の都市という
ようなコンセプトです
中心の都市は
4,856ヘクタールこのコンセプトの中
では詠歌で
面積が作られているのでそれをヘクタール
に換算すると4856ヘクタールという
少々中途半端な
面積となります
衛星都市は
3642ヘクタールずつということになっ
ています
でそれらが道路と
鉄道でつながれるというようなコンセプト
です
そしてその
衛星都市のうちの一つを見ていきます
その中はですね都市部が405ヘクタール
農村部が
2023ヘクタールということになります
ここで言うと中心にある赤い部分が都市部
と言われているものでそれ以外の外側の
バームクーヘンを扇形に切ったようなもの
ですけれどもそれが農村部ということに
なります両方合わせて
2430ヘクタールということになります
で都市部の人口が3万人農村部の人口が
2000人というようなことになっていて
さらにその都市部の中にもセントラル
パークというものが書かれていますが中央
部に
緑地大きな緑地を
位置させてその周辺にですねグラン
アベニューと書かれていますけども
緑地帯でそれを覆うというような
コンセプトになっています
で実際にそのそれぞれの都市の真ん中を
ですねさらに
扇形に切ったものですけども都市の中心に
ガーデンがあってその次にセントラル
パークがあります
でその次にですね都市の部分が出てくるん
ですけどもグランアベニューによってその
都市が一旦
緑地帯で
ストップしてまたその外側に都市が続くと
いうような構成になってますこれは実は
都市自体がですねこういった
帯状の
緑地で覆われることによって都市が連帯し
てしまうことを避けるというコンセプトに
もなっていますこれが後ほどお話をします
けれども
都市を緑地体で感情緑地帯で覆うという
考え方につながってくるものでもあります
このような非常に
コンセプチュアルなものなんですけれども
これによってレッジワースという都市が
作られたものですで今でもですねこのレッ
チワークスガーデンシティという風に呼ば
れていて世界遺産にもなっているんです
けれどもそこでこの
看板というか
標識のですね
ところにもですねその都市タウンとですね
カントリーそしてタウンカントリーという
風に書いてありますけども図書農村の結婚
ということのコンセプトが書かれています
で実際に今レチワースに足を運びますと
その
ガーデンシティですね日本語では
田園都市という風に訳されたんですけれど
もその
博物館がですねあってですねこの博物館で
当時のハワードのですねまあ直筆の手書き
が入ったような現行などを見ることが
できるというものです
そのレッジワースなんですけれども
ロンドンがあって今
印がついてますけどもレッチワストのが
あってロンドンの都市近郊ということに
なります
現在の
レッチュワースのGoogleEarth
で見た様子ですこのGoogle
Earthの画像自体ちょっと古いものな
んですけれども
レッチュアンスというのが書かれていてで
そこが都市の中心部です実際には彼が考え
たように
偏見を都市が出来上がったわけではないん
ですけれども後ほどもうちょっとクローズ
アップをしていきますが
現在は都市近郊ということもあってですね
右側に見られるような工場地帯もできてい
ます
ただその都市中心部を見てみますと彼が
当初考えたように都市の中心部に
セントラルパークを置いてそこから同心
円状に都市を作るというのが一部実現し
てる様子が
わかるかなというふうに思いますでかつ
ですね非常に力比率が高いよく緑化をされ
た都市が出来上がっています
これが都市から同心円上に広がるように
道路も
計画をされているので
街の中の様子ですけれどもたくさん緑化も
されているということになります
でこれが
奥に見えてるのが市役所シティホールです
ねと
セントラルパークというようなコンセプト
に位置付けされる
緑地ということになります
で実はこの
ハワードが作った
ガーデンシティの中にはですね
顧問というような考え方も彼は導入して
緑地を整備をしていますで顧問というのは
日本語では入谷市という風に訳されます
一般的には
農村地域にあって土地の所有権はですね
かつては例えば
王様が持っている土地であってもそこの
落ち葉であったりとかあとは
ラクシーですね落ちた枝であったりとか
あとは生えてきた
草あるいは低木を買ってですねそれを
例えば家畜の餌にしたりあるいは対比を
作ったりあるいは
薪を集めたりというようなことをする権利
がですねあるような場所そういう場所顧問
という風にいます
でこの新しく作ったいわばニュータウンの
わけですけれどもその
緑地もですねかつての入谷地と同じように
住民が使うことができてかつそこをですね
自分たちでマネジメントするというような
コンセプトを新しい
ニュータウンの中に取り入れたということ
になるんですねですので実は今でもこの
レッチュワースに引っ越しをして住むこと
になりますとそういった日本で言うと
町内会のようなものの中にまずちゃんと
入会をしなければいけなくてその市民が
ですね共同で作業する様々なことがある
わけですけれどもそういうものも担わ
なければいけないということが
ルールで決まっているということになって
ますですので
講演の一つと考えていいんですけれども
ここはノートン顧問というものですけれど
もここの管理もですね市民が共同で行うと
いうことになってます
で実際にその
顧問に行ってみるとですねまあ別に普通の
今私たちの感覚では公演って言われれば
そうかなという風に思うわけですけども
その
管理の一部を市民が担ってるということに
なっています
この
顧問自体はですね
先ほどみたいな芝地のところもあればです
ね少し
里山の森のような
雰囲気になっているところもあってかつて
の
農村にあったような
景観を再現しているようなところです
実はそのレッチワース自体はですねまあ
いわばニュータウンとしてそういう緑豊か
な都市が作られたわけですけども今でも
周辺部は
農村地域となっていますでフットパスが
あってですね実はHワーズの
町の周辺をずっと歩くこともできますし中
自体にももちろんフットパスがあるんです
けれどもこれが一番
町のはずれまで行って
農村部につながっている部分ということに
なっていますあの右側左側にですねサイン
がありますけれども歩くのは構わないん
ですけどもここでは自転車とか乗馬とか
あとは当然ですけど車とかバイクは使え
ませんという標識が立っています
でこの
田園都市というものはですねその後の様々
な都市開発特にニュータウンニュータウン
開発にものすごく大きな影響を及ぼしまし
た
先ほどもですねお話をした
オルムステートですねアメリカの
ランドスケイパーの先駆けですけれども
当然オルムステッド始めアメリカにもです
ね非常に大きな影響を及ぼしましたで
ちょうど実は先ほど話したセントラル
パークはこれよりも前の時期になるわけ
ですけどもボストンのエメラルド
ネックレスパークシステムが出来上がって
くるのはちょうど同じような時期になって
きますですのでこの
田園都市とそういったアメリカで発達して
きたパークシステムは相互に影響し合い
ながらそれぞれ発展していくということに
なりますまた
途中でもお話したようにこの後に話すです
ねグリーンベルトがこの
アワードのですね庭園都市の考え方から
生まれてきます
ところがこの
田園都市というのは最初にお示したように
ダイアグラムが示すようにですね非常に
システマティックなアイディアコンセプト
なんですねそのことに対してはその後非常
に強い
批判も出てきますそのあの批判の再選挙と
いえるのが全員ジェイコブスがその一人
ですけども機能と規則だけを重視している
というような批判を浴びています
また
農村地域の方から見てみるとですね実は
この
田園都市というものは都市とのその結婚と
言っているんですけれども
ニュータウン
緑が多い新しい街を作るという意味では
それは成功だったのかもしれませんが実は
農村の方から見るとですねほとんど
農村の地域あるいは農村のコミュニティに
とっては得るものが本当にあったのかと
いうとほとんどなかったんではないかと
いうこともできるかと思います
ですので都市と農村の結婚っていうのは
本当に成功したのかというのも疑問が呈さ
れているところでもあります
でハワードはレッジワースがですねある
程度成功したことによってさらに次もです
ねいくつかの田園都市を手掛けていきます
であのウェルビンという都市が次のまで
田園都市として非常に有名なところなん
ですけれども実際にその都市開発もされた
わけですが残念ながらその事業は
必ずしも
成功しないというようなことになってき
ますでまた彼はガーデンシティという考え
方を大々的に打ち出すわけですけれども
その都市のアイディアというのはそれより
も前のですねまあユートピア思想の
受け売りだったのではないかというような
指摘もされています
実際に最初にご紹介したようにハワードは
ですねあくまで実業家であってその時に
起こっていた都市の問題を解決する一つの
方策としていわばニュータウンの
コンセプトを打ち出したわけですねですの
で彼は別に理論家であったわけでもなく
研究者でもないということを考えますと
その当時の様々な考え方アイディアを
取りまとめて現実の都市を新たに作ったと
言っていいのかもしれません
そして実はこの
田園都市は皆さんがもし多分途中で聞いて
いてすぐに思い浮かんではなったんでは
ないかなと思いますがまさに日本にもすぐ
に導入をされてますその1907年にです
ねガーデンシティーズオブトゥモローが
田園都市と訳されますこれが
庭園ではなくて
田園というのがポイントですけども彼の
コンセプトが都市と農村の結婚ということ
でもあったので日本語では田園と訳された
んだと思います
で渋沢栄一が
1918年にですねまさに関東大震災の
直前ということになるんですけれども
田園調布にそういったものをですね
計画するということになりますそして
鉄道開発とそういったニュータウン開発と
いうようなものが一気に日本に広がって
いくことになります
同じように先駆け関西で先駆けとなるのは
ですね
宝塚などがその典型的なものになります
さてそのもう一つですねこの第4部の一番
最後にグリーンベルトというものについて
もお話をしてきますこのハワードの田園
都市論の中の緑地帯をですね
規制都市にも適用をしてその都市が人口の
増加とともにですねいわゆるスクロールを
していくのを止めようというようなことを
考えられるようになります特に1920年
代これは第一次世界大戦が終わった後です
けどもさらに人口が増加していくロンドン
においてそのようなグリーンベルトで都市
の無秩序な膨張を止めようというような
ことにアイデアが出てきます
1935年にはレイモンドアンウェインと
いう方がグリーンガードルという言い方を
したんですけどもそういった帯状の緑地を
作りロンドンの都市の中が公園緑地が不足
しているというものも補おうというような
アイデアが出てきます
で実際にそのロンドンの都市のですね
スプロールの状況を見ていきますとこれは
1800年から1850年1880年
1919年真ん中の黒いところがですね
都市が拡大していく様子ですで中心部が
もともとのロンドンの中心部でその外の
境界がいわゆるグレーターロンドンという
ことになりますこれがさらに時代が下がっ
ていきますと
第二次世界大戦を直前1939年そして第
二次世界大戦が終わってから1960年
1980年2000年ということに
どんどんですね都市が
拡大してて周辺の郊外部にも開発が進ん
でった様子がわかるかなと思いますただ
この
かつてのロンドンの中心部の外縁部の緑を
なんとか守ろうというような
構想が練られてきました
1944年第1次世界大戦がもう第二次
世界大戦が終わる頃ですけども
パトリックアーバークロンビーという方が
グレーターロンドン大都市圏計画という
ものを作りまして
緑地帯
約16キロの緑地帯を作ってですね
ロンドン中心部のからの都市の
拡大というものをですね防ごうということ
にしましたこれはあくまで計画ということ
ですね
それが1963年の時点でここで言うと
濃い色のグレーというんですかねところが
グリーンベルトなんですけれども
やはりそういったもので
都市の拡大を防ごうとしながらも当然都市
開発が起こっていくわけですけどもなんと
か当時まだですねグリーンベルトがその
かつてのロンドンの中心部の周りに
残してですね
練炭を防いでいたというようなことをが
分かりますで実は2012年にですね
ロンドンオリンピックが行われたんです
けども
このロンドンオリンピックが行った敷地と
いうのもですね再開発でそういった
グリーンベルトを
復活させるというようなことが当時の
ロンドンオリンピックのコンセプトの重要
な一つとして
掲げられていました
このロンドンのグリーンベルトの考え方は
ですねイングランドの他の都市にも次々と
適用されていくようなことになりますです
のでこの図で言うと右の下の方がですね
ロンドンのグリーンベルトということに
なるわけですけどもロンドンの第2の都市
がその7名左上のバーミンガムということ
になりますし一番最初にその
産業革命が始まった場所としてお話をした
リバプールマンチェスターそれから
シェフィールドそのあのさらにはそれ以外
の都市もですねいくつか特に北
イングランドにはあるわけですけれども
まあそういった年でもですね同じように
グリーンベルトが
計画されて現在でもそれらがある程度機能
して残ってきてるということになります
最後に今回の
参考文献です
造園学概論一番最初のものはですねあの
全体の教科書としても挙げているものです
けども他にもこの第3回でいくつか
図を引用したりあげているものをですね
リストをここに上げてますので
興味がある分野があれば見てもらったら
いいかと思いますどれも最初の造園学概論
以外はですねもう結構古い本が多くて古典
的なものですけども
今日話している今回お話している内容って
いうのは
緑地の
歴史のようなものですので
古く出版されているものが多いような
リストとなってます第4部は以上です
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