「この小屋に一泊させてください」信じて疑わなかった7人。駆け込んだ小屋の行方とその後の慰霊碑

山の事件簿
3 Jul 202425:50

Summary

TLDR1969年、関西地方の高校山岳部は中央アルプス縦走を計画。夏休み中、7名が6日間の登山へ。事前の訓練と準備は万全だったが、台風7号の接近に気づかず出発。途中、激しい雨で蜂屋で避難。翌朝、蜂屋が流され、7人は行方不明。捜索が始まり、2人の遺体が見つかるが、他の5人は発見されず、自然災害扱い。その後、慰霊塔と慰霊費が設置され、地元住民による管理が続く。50年後の追悼式で、犠牲者を追悼する。

Takeaways

  • 📅 1969年、関西地方の高校山岳部は中央アルプス縦走を計画し、夏休み中に7人で行うことになった。
  • 🏔️ 事前に重層計画の訓練を行い、32kmの登山装備を背負って六甲山で行った。
  • 📋 6月に登山の内容を話し合い、7月に書類手続きを完了させた。
  • 🚂 計画では大阪を経由し、長野県の飯田駅から松川沿いを蜂屋へ向かう予定だった。
  • ⛺️ 宿泊予定地は明金公園キャンプ場、中電避難湖屋、安平路山の山頂などで、計画通り進んだ。
  • 🌧️ 8月3日に集合した際、天候は不安定で雨が降ることを予測していた。
  • 🌀 台風7号が日本の南で発生し、影響が及ぶ可能性があったが、詳細は不明だった。
  • 🛑 8月3日、雨のため宿泊予定のキャンプ場に向かわず、飯田駅の仮設施設で泊まった。
  • 🚶‍♂️ 8月4日、天候が良くなったため計画通りに行動を再開し、一瀬橋を目指した。
  • 🌪️ 8月5日、大雨による鉄砲水が発生し、近くの小屋が流された。
  • 🏠 蜂屋で宿泊していた際に、雨が強まり、近くの森林組合事務所の管理員も避難した。
  • 🛑 8月6日、蜂屋が川に飲み込まれ、山岳部員の姿がなくなり、捜索が開始された。
  • 🔍 捜索隊は221人で構成され、自衛隊も加わり、広範囲にわたって捜索が行われた。
  • 🚨 8月7日、1人の生徒が発見され、亡くなっており、Tさんもその後発見された。
  • 🕊️ 捜索は終了し、5人の行方が分からなくなり、慰霊塔が蜂屋の跡地に建てられた。
  • 📰 事故はマスメディアで批判的に報道され、学校側は正当性を主張した。
  • 🏛️ 1971年、5人の家族が損害賠償請求を提起し、和解が成立した。
  • 🌿 1999年、慰霊費が荒れ果てていたことを発見し、消防団のOBが管理を始めた。
  • 🛎️ 2000年、高校関係者が慰霊費の管理を知り、感謝の会を開催した。
  • 💐 2019年、事故50年目に追悼式が行われ、関係者などが参加した。

Q & A

  • 1969年の関西地方にある高校の山岳部の計画は何でしたか?

    -1969年の関西地方にある高校の山岳部は、8月3日から8日までの間、中央アルプスを縦走する計画を立てており、夏休み中に7人で6日間の登山を計画していました。

  • 山岳部員は事前にどのような準備をしましたか?

    -山岳部員は6月に登山の内容を話し合い、7月に届け出などの全ての書類手続きを完了させました。また、7月26日と27日に1泊2日で六甲山での重層計画の訓練を行い、32kmの登山装備を背負って行いました。

  • 計画の内容に含まれる宿泊場所はどこですか?

    -計画に含まれる宿泊場所は明金公園キャンプ場、中電避難湖屋、基礎の三層、そして8号目のキャンプ場です。

  • 8月3日の出発時、何人のメンバーが参加しましたか?

    -8月3日の出発時には、教員2人と山岳部の部員5人の合計7人が参加しました。

  • 8月3日に集合した場所と時間は何でしたか?

    -8月3日に午前7時に高校に集合して荷物の点検を行い、問題なく点検が終わった後、6人は電車に乗って大阪駅に向かいました。

  • 8月4日の天候はどのようでしたか?

    -8月4日の朝、メンバーたちが天候を確認したところ、心配したほどの天候の崩れはなく、雨も降っていませんでした。

  • 8月5日に発生した鉄砲水の影響でどんな事故が報告されましたか?

    -8月5日に発生した鉄砲水の影響で、森林組合事務所から100mほど上流にあった小屋が雨で流されたと報告されました。

  • 8月6日にSさんが蜂の屋に行く途中で気づいた異変は何でしたか?

    -8月6日にSさんが蜂の屋に行く途中で、川が激流になり、これ以上進むことができず、蜂の屋が存在するべき場所に小屋の姿が見えなくなっていた異変に気づきました。

  • 7人の山岳部メンバーが発見されるまでに何日が経過しましたか?

    -7人の山岳部メンバーが発見されるまでに、8月3日に開始してから8月7日に1人の部員が発見され、8月9日にTさんが発見されるまでの2日間が経過しました。

  • この事故の責任に関する訴訟の結果はどうでしたか?

    -1971年に5人の家族が高校に対して損害賠償請求を訴えましたが、和解という形で終わり、賠償金ではなく見舞金として遺族に支払われることになりました。

  • 慰霊費が設置された場所と、その後の管理状況はどうでしたか?

    -慰霊費は八の屋から400mほど下流に設置されましたが、管理が手薄になり、荒れ放題になっていました。その後、Dさんが慰霊費の管理を始め、消防団のOBたちと共に維持管理を行っていました。

  • 50年後に開かれた追悼式で行われた主な行いは何ですか?

    -50年後に開かれた追悼式では、関係者や消防所員、赤十字報団などの方々が参加し、市長が忍ぶ言葉を述べた後、犠牲者の人数と同じ7回金を鳴らし、黙祷を捧げました。

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