これは見て【日本人が一丸となるとき】

考え方の学校 Yoshi Sun TV
20 Mar 202229:15

Summary

TLDRこのスクリプトは、古代ギリシャと中東からの2つの民族が日本列島に渡来し、和のルーツを形成するという仮説を探求しています。古代中国の書庫から得られた情報に基づき、古代エラム王国と朝鮮半島に関連する民族が日本の歴史に寄与したと推測されています。また、DNA分析を通じて、日本人の起源と民族間の関係について考察され、縄文人と弥生人の混血が日本文化の基礎を形成したとされる理論が紹介されています。

Takeaways

  • 😀 スクリプトでは、古代ギリシャと古代エラム王国からの2つの民族国家が日本に渡来し、日本の文化に寄与したとされる説が展開されています。
  • 🌟 古代ギリシャの神パンまたはパネースと古代朝鮮の梢天皇との関連性について触れられており、これらの信仰が日本文化に影響を与えた可能性が示唆されています。
  • 👥 カラス民族についても言及されており、彼らはヤタガラスを祀り、古代中国との関係が深いとされています。
  • 📚 日本古代史書「古事記」と「日本書紀」に記載された伝説と、実際の考古学的な証拠との相違点が指摘されています。
  • 🧬 現代日本人の遺伝子分析が行われ、トライ系弥生人と縄文人の混血の歴史が語られています。
  • 🏰 邪馬台国が現在の福岡県にあったとされるが、九州全土を掌握していなかったことが示されています。
  • 🧭 和のルーツに関する考察では、古代エラン王国からの渡来人と、彼らが日本列島に持つ影響について述べられています。
  • 🌐 和の意味についても考察されており、古代中国からの見解に基づいて和は親切で従順な人々だったとされています。
  • 👶 男女の結婚風習と民族移動のルートを通じて、日本人の遺伝子とそのルーツを探求する視点が紹介されています。
  • 🏞️ 日本列島における縄文人と弥生人の分布についても触れられており、彼らが東西南北に逃げたとされる理由が説明されています。

Q & A

  • 古代ギリシャの神パンまたはパネースと古代中国のパング、古代朝鮮の梢天皇とはどのような関係があるとされていますか?

    -古代ギリシャの神パンまたはパネースが信じた古代ギリシャ人を主とする人々が古代中国に移動し、その後の時代には真の始皇帝の時代にその民族が移動し建てたとされる白木があったとされています。また、現在のパキスタンにいるカラス民族はヤタガラスを祀り、古代朝鮮の梢天皇と同時期に発展したとされています。

  • カラス民族とヤタガラスを祀ることにはどのような意味がありますか?

    -カラス民族はヤタガラスを祀ることで、同じ素材を持つとされるカラスという名が和の本当の呼び名と思われます。これは人類史上最も古い国家の一つ、古代エラム王国の言葉でカラスは守護者、羊飼いという意味を持ちます。

  • 古代エラム王国と日本列島の関係について説明してください。

    -古代エラム王国は人類史上最も古い国家の一つであり、その言葉でカラスは守護者や羊飼いという意味を持っています。このカラスという言葉が和の呼び名とされることから、古代エラム王国の出身だと考えられています。

  • 古代中国の書物に記載されている「倭」という言葉はどのような意味を持っていますか?

    -古代中国の書物には「倭」という言葉があり、これは儒教の教えに従順で親切な人々を指しているとされています。この言葉は、東の理想郷とされる朝鮮半島にある君主国に住む人々に対するポジティブなイメージを表しています。

  • 日本の起源に関する「古事記」と「日本書紀」という歴史書にはどのような問題があるとされていますか?

    -「古事記」と「日本書紀」は日本の起源に関する歴史書ですが、信憑性に欠けるとされています。特に、紀元前と紀元後の「倭」の場所が異なることや、トライ系弥生人と縄文人とのゲノム解析の結果と矛盾することなどがあります。

  • トライ系弥生人と縄文人の間の遺伝的な関係について説明してください。

    -現在の日本人はトライ系弥生人と縄文人との混血であるとされています。トライ系弥生人は九州北部から始まり、稲作技術を持ち込みました。一方、縄文人は日本列島の先住民であり、東西南北に移動させられました。

  • 日本人のY染色体DNAとミトコンドリアDNAの違いは何ですか?

    -日本人のY染色体DNAは父方の遺伝子であり、日本人特有のDやOが主要なものとされています。これに対して、ミトコンドリアDNAは母方の遺伝子で、多民族からの影響を受けています。これにより、日本人のルーツを男性と女性の視点から分析することができます。

  • 古代エラム王国からの人々が日本列島に渡来したとされる理由は何ですか?

    -古代エラム王国からの人々は、稲作技術を持っていたとされ、これは縄文時代後期に日本列島の北部九州に伝えられたとされています。彼らはトライ系弥生人と混血し、日本列島に和国を築きました。

  • 「和」という言葉の意味と由来について説明してください。

    -「和」という言葉は、古代中国の漢字の意味からすると、儒教の教えに従順で親切な人々を指します。また、東の理想郷に対する憧れから、和というポジティブなイメージを持っていたとされています。

  • 邪馬台国が福岡県にあったとされる理由は何ですか?

    -邪馬台国が福岡県にあったとされる理由は、古代中国の書物「魏志倭人伝」に記述があるためです。また、福岡県は防衛拠点的に重要であり、和国の初期の拠点と考えられています。

  • 日本人の起源に関する考察では、どのような民族が関与しているとされていますか?

    -日本人の起源に関する考察では、古代ギリシャ系の人々、古代イランの人々、そして古代エラム王国の人々などが関与しているとされています。これらの民族は日本人と過去に分かれた道民族であり、日本列島に渡来したとされています。

Outlines

00:00

🌐 古代東アジアと民族の移動

第1段落では、中東から日本に渡来した民族国家について語られています。古代ギリシャの神パンやパネースを信仰する人々が東に移動し、古代中国や朝鮮に至る過程が説明されています。また、カラス民族とその文化、信仰に関する詳細が触れられており、古代エラム王国との関係性も示唆されています。古代中国史料における「倭」についての誤解釈と、日本列島の起源に関する既存の歴史観に対する批判も展開されています。

05:00

🏰 邪馬台国とヤマト王朝の起源

第2段落では、邪馬台国とヤマト王朝の起源について探求しています。伝統的な歴史書「古事記」と「日本書紀」における神武天皇の建国話に疑問を投げかけ、近年のDNA分析結果に基づいて、九州と関西の人種の違いについて述べています。また、和民族が東西南北に広がった推測についても触れ、縄文人と弥生人の混血が現代日本人の起源の一部とされている点に注目しています。

10:03

📜 「和」の意味と古代中国からの見方

第3段落では、「和」という漢字の意味と古代中国からの見方が探求されています。古代中国の歴史書から得られる情報に基づき、「和」の人々が儒教に従順であるとされ、東にある理想郷として朝鮮半島が崇拝されていたことが解明されています。また、徐福の東渡や富士山周辺の霊薬探しの伝説も紹介されており、古代中国の人々が東に憧れた背景が語られています。

15:04

🧬 DNA解析と日本人のルーツ

第4段落では、DNA解析を通じて日本人のルーツが探求されています。父方のY染色体DNAと母方のミトコンドリアDNAの違いについて説明され、日本人の起源に関する考察がされています。日本人のY染色体DNAがチベットと関係があること、またミトコンドリアDNAが示す民族間の移動や交流の可能性について触れられています。

20:05

🌿 縄文人と弥生人の遺伝子の違い

第5段落では、縄文人と弥生人の遺伝子の違いとその意味が考察されています。縄文人と弥生人のDNAのバラエティとその分布について述べ、縄文人が東西南北に移動し、トライ系弥生人が関西を基盤に広がったとされる過程が解明されています。また、日本人の主要な男性のY染色体DNAとその起源に関する詳細が提供されています。

25:08

🏛 古代エラム王国と日本の建国

第6段落では、古代エラム王国と日本の建国との関係性が探求されています。和の起源とシュメール文明と同じ時期にあったエラム文明との比較がなされ、縄文時代の人々が非常に古い文化を持つとされている点に着目されています。また、トライ系弥生人と縄文人が再会したとされる歴史的背景や、日本建国の神話とその由来についても考察されています。

Mindmap

Keywords

💡古代エラム王国

古代エラム王国は、中東地域に存在した古代文明の一つであり、このビデオの主題に密接に関係しています。エラム王国は、紀元前3千年ごろから紀元前6世紀まで続いたとされ、その文化はその後の歴史に大きな影響を与えました。ビデオでは、エラム王国が日本人の起源に関する考察の根拠として提唱されています。

💡Y染色体DNA

Y染色体DNAは、父系から子孫に伝わる遺伝子であり、民族の起源や移動を追跡する上で重要な役割を果たします。ビデオでは、日本人のルーツを探る際にY染色体DNAが重要な証拠となっており、特にD系やO系の遺伝子が日本人の起源に関する考察に取り上げられています。

💡縄文人

縄文人は、日本列島に古くから生息していた原住民のことで、彼らは縄文時代を築きました。ビデオでは、縄文人が東西南北に移動し、その後の大和民族との混血が日本文化に寄与したとされる考察がされています。

💡弥生時代

弥生時代は、縄文時代に続く日本の歴史上の時代であり、主に稲作農業の導入を特徴としています。ビデオでは、トライ系弥生人が日本列島に渡来し、稲作技術を伝えたとされる経緯が紹介されています。

💡カラス民族

カラス民族は、ビデオ内で古代朝鮮に存在した民族とされ、彼らは雅樂玻璃を崇拝する習慣を持っていたとされています。ビデオでは、カラス民族が和のルーツと関連していると示唆されており、彼らの信仰や文化が日本の文化に影響を与えた可能性が探求されています。

💡アケメネス朝

アケメネス朝は、古代ペルシャを中心とする大帝国を築いた王朝であり、ビデオではアケメネス朝の国王がカラスと呼ばれ、太陽の神を意味すると説明されています。この王朝は、日本人の起源に関する考察において、文化的な影響力を持つ民族の一員とされています。

💡儒教

儒教は、中国を中心とする東アジア地域で大きな影響力を持つ哲学であり、倫理や道徳を重んじる教えです。ビデオでは、儒教が東の理想郷との関連性から、古代中国からの人々が東方向けの憧れを持ち、和の人々との出会いが起きたとされています。

💡邪馬台国

邪馬台国は、日本の古代史上重要な国として知られており、魏志倭人伝に記載されています。ビデオでは、邪馬台国が福岡県に位置づけられていたとされ、和国との関係性に焦点が当てられています。

💡大和国

大和国は、日本の古代史において中心的な国として知られており、日本の建国神話にも関係しています。ビデオでは、大和国が和国と密接な関係にあり、日本建国の重要な一環を担ったとされる考察がされています。

💡ミトコンドリアDNA

ミトコンドリアDNAは、母系から子孫に伝わる遺伝子であり、女性のルーツを追跡する上で重要な役割を果たします。ビデオでは、日本人のルーツを探る際にミトコンドリアDNAが重要な証拠となっており、特にD4型がトライ系弥生人と関連しているとされています。

Highlights

中東から日本へ渡ってきた2つの民族国家について語られている。

古代ギリシャの神パンまたはパネースと古代中国のパング、古代朝鮮の梢天皇との関係が示唆されている。

カラス民族とヤタガラスを祀る習慣、宇宙の中心の山であるスメル山との関連性について触れられている。

古代エラム王国の言葉におけるカラスの意味と、アケメネス朝の国王の名前がカラスであることが紹介されている。

古代中国の資料と漢文の誤訳が日本の起源に関する誤解を生んでいると主張されている。

古代中国からの海の記述が誤解され、日本列島の位置についての誤解が生じていると述べられている。

日本書紀と古事記における神武天皇の出身とヤマト建国の説について批判がされている。

現代の日本人は縄文系と弥生人の混血であるとされるゲノム解析の結果が紹介されている。

トライ系弥生人と縄文人の分布図に関する東京大学の研究結果が示されている。

ヤマト民族が九州から関西へ移動し、天照大御神の聖地を放置したとされる疑問が提起されている。

和国がどこにいたかという問題と、和の意味についての考察がされている。

和という漢字の意味と古代中国からの見解が紹介されており、和国に対する評価がされている。

邪馬台国が現在の福岡県にあったとされる説と、その時期についての説明がある。

DNA遺伝子の考察と日本人のルーツを探る上で重要なY染色体DNAとミトコンドリアDNAについて語られている。

日本人のY染色体DNAにおけるDとOの由来と、それらが示す道の民族について述べられている。

日本人のミトコンドリアDNAにおけるD4とその由来、トライ系弥生人の影響について語られている。

和の起源が古代エラム文明と関連し、日本列島にあった縄文文化との関係が示唆されている。

日本建国の補佐役が古代エラン王国の人々であり、日本神話におけるジム天皇の説明がある。

福岡に魏志倭人伝の邪馬台国があった背景についての考察がされている。

Transcripts

play00:08

ではここまで話してきたことそれは中東

play00:12

から日本へ渡ってきた2つの民族国家

play00:16

序と

play00:17

和のルーツの話

play00:20

古代ギリシャの神パンまたはパネースが

play00:23

後の古代中国のパングことそして

play00:27

古代朝鮮の梢天皇という進化を遂げたと

play00:29

いうことなのでパンまたはパネースを信じ

play00:32

play00:33

古代ギリシャ人を主とした人々が

play00:35

古代中国

play00:36

東北の生まれた場所

play00:39

付近に移動しその後の真の始皇帝の時代に

play00:42

その

play00:43

民族が移動し建てたであろう白木となった

play00:46

その一方では

play00:49

現在のパキスタンにいるカラス民族

play00:51

ことわざの祭りや言葉からこのカラス民族

play00:55

はヤタガラスを祀る

play00:57

醸しと同じ素材を持つと考えられますなの

play01:00

でカラスという名が和の本当の呼び名と

play01:03

思われるので今まで話ていたカラスという

play01:06

言葉の意味を古い順に並べると人類史上

play01:10

最も古い国家の一つ

play01:12

古代エラム王国の言葉でカラスことクラス

play01:16

play01:17

守護者

play01:17

羊飼いという意味

play01:19

古代ギリシャのアレクサンダー大王よりも

play01:22

先に超巨大帝国を作ったアケメネ市町の

play01:25

国王

play01:26

クロスの当時の名がカラスことこの

play01:31

ピュロスコとカラス国王は

play01:33

後にヤタガラスと同じ

play01:35

太陽の神を意味する

play01:37

晴らすこととなる

play01:40

輝くという祭りでカラスを祭りその宮司と

play01:46

呼ばれるカラス民族

play01:49

ヒンドゥー教研の儀式ではカラスと呼ば

play01:51

れる

play01:52

宇宙の中心の山

play01:53

スメル山こと

play01:55

辛子山を模した壺とマンゴーの置物がある

play01:59

そのスメルさんと信じられている

play02:02

チベット仏教などの聖地

play02:04

醸すこと

play02:05

帰らすという山

play02:08

ここからわかることははおそらく

play02:11

明めに主張のクロスこと

play02:13

枯らす国王の民族と関わりがありそれ故に

play02:16

空き部に主張と関わりが深い

play02:18

歴史上最も古い国家の一つ

play02:21

古代エラも王国の出身だと思われます

play02:24

むしろそうでなければ

play02:26

果たしとの関係が説明できないのですなの

play02:29

で今のところ

play02:30

可能性としてこういうルートでありますで

play02:33

は古代ギリシャ系の序民族こと

play02:36

白木経由の渡来人はある程度その民族移動

play02:40

が予想できますかは

play02:42

現在チベットあたりの快楽さんあたりから

play02:45

どうやって日本に来たのか今回はその話を

play02:49

していきます

play02:58

ではまず皆さんに知ってほしいことそれは

play03:01

現在の日本の小林が語るはという国の

play03:05

間違った定説ですまず紀元前の地理を

play03:09

詳しく語った

play03:10

古代中国の書物にはという人々の記述が

play03:13

ありその国が日本列島のはであると解釈し

play03:17

ていますそしてそこからよく知られている

play03:20

技師倭人伝で語られる

play03:22

紀元後の卑弥呼などが始めていた日本の国

play03:25

はまたは邪馬台国がありこの魏志倭人伝の

play03:29

はというのは

play03:30

紀元前

play03:31

日本国であるという説ですしかしこの解釈

play03:35

には大きな問題がありますそれは

play03:38

紀元前で語られるはのある場所と

play03:41

魏志倭人伝で語るはの場所は

play03:44

全く違うのです

play03:46

詳しく言うと

play03:47

古代中国資料で出てくる初期のはというの

play03:50

play03:50

朝鮮半島にいた

play03:52

徳がありある教えに従順人々を指しており

play03:56

日本列島のことなど美人も話していないと

play03:59

いうことですなぜそう言えるのかですか

play04:02

その主な理由は日本の

play04:04

古代種を研究した人たちの

play04:07

漢文の誤訳が原因でありますあまり話し

play04:10

すぎると情報量が多すぎて大変になるので

play04:13

できるだけ簡単にしますがはの場所を語っ

play04:16

play04:17

古代中国の資料には

play04:19

海という感じが出てきますしかしこの海と

play04:22

いう漢字は

play04:23

古代の中国では大海原の海ではなく

play04:27

河川敷の領域という意味がありますしかし

play04:31

江戸時代から

play04:32

明治そして

play04:33

戦後にかけて日本の研究者たちがこの海を

play04:37

河川敷ではなく

play04:38

現在の大海原の海として解釈してしまい

play04:42

ますそして特に

play04:43

戦前

play04:44

戦後の日本の国学者は

play04:47

古事記日本書紀の歴史が

play04:49

絶対と考えているので

play04:50

古代中国から見て海がある日本列島にはと

play04:54

いう人々がいたという考えになったという

play04:57

ことですしかしこれは間違いであり

play05:00

古代のはという人々は

play05:02

朝鮮半島を渡った後に日本列島に和国を

play05:06

建てた人々でありますそして

play05:08

九州全土を掌握するほどの大国ではなかっ

play05:11

たとされますと言うとおそらく従来の乞食

play05:15

日本書紀の歴史観で日本の起源を信じて

play05:18

いる人はムッとしたはずというのも古事記

play05:21

日本書紀ではアマテラスの子孫であり

play05:24

九州出身の

play05:25

神武天皇が東へ向かい奈良の大和へ行き国

play05:29

を建てたとあるために超古代約2700年

play05:32

前には

play05:33

九州に日本人こと山本民族の祖和国があっ

play05:37

たと匂わせているからですではもし

play05:40

日本書紀のジム天皇の話が本当であるなら

play05:44

play05:45

九州の人と

play05:46

関西の人の人種が近くなくてはいけません

play05:49

しかし最近

play05:51

面白い発見があったのをご存知でしょうか

play05:53

それは日本列島でのトライ系弥生人と

play05:57

先住民系の縄文人の

play06:00

ゲノム解析による分布図の研究が

play06:03

東京大学大橋教授らで行われましたただ先

play06:07

に言っておきますが

play06:08

現在の日本人はすでに

play06:10

縄文系とトライ系の混血であるので今更

play06:14

民族がどうこうの話ではなく

play06:16

古事記と日本書紀のジム天皇の話は

play06:19

矛盾しているというのを証明するための

play06:21

ものですではその日本列島でトライ系

play06:25

弥生人が濃い地域と

play06:27

先住民系

play06:28

縄文人が来い分泌がこれでありますこの

play06:32

黄色い場所が

play06:33

トライ系が多い場所であり

play06:35

ジム天皇がヤマトを作ったなら剣を含め

play06:39

関西から特に

play06:40

四国と中越地方に広がっているのがわかり

play06:43

ます

play06:44

しかし

play06:45

肝心の吸収地方では

play06:47

トライ系弥生人よりも縄文人の方がより

play06:50

濃いのですもし

play06:52

乞食日本書紀で語られるように

play06:55

神武天皇が九州出身の縄文人ならばその

play06:59

縄文人である

play07:01

神武天皇の盾だ大和国とその

play07:04

周辺の関西圏には

play07:06

縄文人が多くなくてはいけませんしかし

play07:09

関西圏ははるかにトライ系の色が濃いの

play07:12

ですつまりこれが表すのは

play07:15

ジム天皇とされる伝説を信じ

play07:17

ヤマトを立て

play07:19

関西圏へ広がった人々は

play07:21

トライ系であると言えるのですではここで

play07:24

一つの疑問が生まれますそれは

play07:27

九州から

play07:28

関西へ全民族で

play07:30

移住したのかであります

play07:32

乞食日本書紀が真実を語っているとすると

play07:35

九州から

play07:36

関西への大和民族大移動である必要があり

play07:39

ます

play07:41

ではもし

play07:42

本当にこの大和民族は

play07:44

渡来人として九州全土にいて

play07:47

民族大同のように

play07:48

関西へ全員で

play07:50

引っ越したとなると

play07:51

天照大御神が

play07:53

降臨したとされる

play07:54

自らの聖地

play07:56

宮崎県高千穂などの九州地方を

play07:59

完全にほったらかしで

play08:01

関西に移住しに来ることになりますもし

play08:04

九州が聖地で関西が新しい

play08:06

移住地であればそのどちらにも自らの民族

play08:10

を定住させるはずです

play08:27

つまりこの分布から見ると

play08:30

乞食日本書紀はあまり信憑性があるとは

play08:33

言えないのですではこのジム天皇の伝説を

play08:37

信じた

play08:37

ヤマト民族とは一体

play08:41

いつか詳しく話すつもりですが

play08:43

山本民族とは現在の福岡県を軍事拠点とし

play08:47

後で奈良の大和を開拓したはの人々と和と

play08:51

同じルートまたは

play08:53

滋賀県の上からトライしてきた

play08:55

別の民族たちの混血だと思われますいわば

play08:58

大和民族とは

play09:00

基本的に日本列島のど真ん中の関西圏から

play09:05

東西へ広がった民族だということそして

play09:08

これによりなぜ

play09:10

縄文人の血が最も濃いのが

play09:13

沖縄の人々と

play09:14

北海道のアイヌの人々なのかがわかります

play09:17

それは

play09:18

先住民縄文人がいた日本列島のど真ん中

play09:22

から大和民族こと

play09:24

トライ系やよい陣こと

play09:26

古代イランギリシャ人が大量に入ってきた

play09:28

ために

play09:29

先住民の縄文人は東西そして

play09:32

南北へ逃げ

play09:33

北海道と琉球へ移動したと考えられるから

play09:37

です

play09:39

[音楽]

play09:40

とまぁ少し話がそれましたがこのように

play09:44

乞食日本書紀は

play09:46

真の日本人の起源を知るためには

play09:48

少し

play09:49

信憑性に欠ける歴史書なのですしかし

play09:53

戦前戦後の日本の国学者の多くがこの

play09:57

乞食日本書紀を

play09:59

絶対だと考えていたためにどうしてもはと

play10:02

呼ばれた人々を超古代から

play10:04

西日本を掌握する国として見てしまったと

play10:07

いうことです

play10:13

[音楽]

play10:17

ではこのはという国はもともと一体どこに

play10:21

いたのかと言いますかまずそもそもこの

play10:25

和の意味とは何なのかまずこの

play10:28

和を知る上で皆さんに認識してほしいのは

play10:31

この「輪に対するいかなる情報も

play10:35

すべて

play10:36

古代中国の

play10:37

古文書からであるということ

play10:39

言い換えれば

play10:40

和についての情報はすべて

play10:43

和国の常識または日本の常識ではなく

play10:46

当時の

play10:47

古代中国の常識で

play10:49

語られているということですではこの

play10:52

和という漢字は

play10:53

委ねるに人間がついて

play10:56

従順や素直な人という意味があると

play10:59

古代中国の漢字の意味がわかる

play11:01

古代中国の歴史書から読み取れます

play11:04

都市伝説的には小さい人といった侮辱の

play11:09

意味があるとされますがその説には信憑性

play11:12

がないとされます

play11:13

では肝心なのは何に対して

play11:16

従順な人なのかですがこの

play11:19

当時の古代中国人にとって大切だとされた

play11:22

のが

play11:23

儒教であります

play11:25

儒教は

play11:26

宗教というかは

play11:27

道徳の教えであり人が人として

play11:30

道をどう歩んでいくべきかを説いた教えで

play11:32

ありますつまり

play11:34

儒教が広まっていた

play11:35

古代中国から見て「は」の人々は

play11:39

儒教の教えに

play11:40

従順で親切な人々なのではという漢字も

play11:45

当てたということですなぜ古代中国の人々

play11:48

play11:49

和をべた褒めしていたのかというと

play11:51

理由がありますそれは

play11:54

当時の古代中国には

play11:56

新鮮思想という

play11:57

東の彼方には

play11:59

空飛ぶ仙人がいたり

play12:00

不老不死の薬があるといった伝説があり

play12:03

そんな伝説を

play12:05

儒教が取り込み

play12:06

儒教を作った格子が東のかなたに

play12:09

理想郷があるといった

play12:12

みたいな伝承が広まいましたなので

play12:15

真の始皇帝の時代に

play12:17

恐怖が不死の霊薬を探しに東へ行ったのも

play12:20

そうですが

play12:22

古代の中国の人々は

play12:23

東へすごい憧れを持っていたとされます

play12:26

そして

play12:28

真の時代から次の漢の初期の時代までその

play12:32

東にある儒教にとっての理想郷は朝鮮半島

play12:36

にある

play12:36

君主国であると信じられていましたという

play12:39

のも司馬戦が書いた式にあるようにその

play12:43

儒教のその

play12:44

孔子が尊敬した

play12:45

騎士という人が

play12:47

逃れた血が東の朝鮮半島と信じられていた

play12:50

からですそれゆえに徐福は東を目指し

play12:54

上空の城の名がつく国が朝鮮半島の南部に

play12:57

できるのですかおそらくここを拠点に

play13:00

富士の霊薬を探したのでしょうそんな東に

play13:04

憧れがあった

play13:05

古代の中国の人々とか

play13:07

彼らから見て東で出会ったのがはの人々

play13:10

だったということですなので

play13:12

実際にはが本当に

play13:15

儒教の教えを信じたかはわかりませんが

play13:18

当時の儒教を信じた

play13:20

古代中国の常識では

play13:22

東には

play13:23

理想郷がなければいけなかったのですでは

play13:26

そんな東の理想郷ですが

play13:28

古文書などに書かれたその理想郷とされる

play13:31

君主国のある場所の記述と

play13:34

別の古文書で書かれた「輪があるとされる

play13:37

場所は

play13:37

古代中国の都市薬用から見て

play13:40

朝鮮の同じ場所にあるとされますつまり

play13:43

その東の理想郷とされる場所に

play13:46

自らをはと名乗るかなり親切な人々がいて

play13:50

東に憧れた古代中国人がその人たちにはと

play13:54

いう

play13:55

ポジティブな感じを当てたかもしれないと

play13:57

いうことです

play13:58

ちなみに

play13:59

探検が進み

play14:00

朝鮮半島に理想郷はないと知った古代中国

play14:03

の人はその理想郷はもっと東の日本列島に

play14:07

置き換えられたと考えられますおそらく

play14:09

この時にはもう日本列島に移っていたと

play14:13

考えられます

play14:15

実際に

play14:16

古代の中国では

play14:18

和という国の人はかなり親切だったという

play14:21

常識が何百年後の中国に受け継がれてい

play14:24

ます

play14:25

先ほど乞食日本書紀はあまり信憑性がない

play14:28

と言いましたがその後にできた

play14:31

続日本機は

play14:32

信憑性があるとされ期限後の平安時代の

play14:35

検討死として

play14:37

当時の投影を渡った日本人が

play14:39

党の役人からこう言われています

play14:42

海の東には

play14:43

君主国と呼ばれる大和国があったと聞く

play14:46

その人々は礼儀があったと器具が

play14:49

本当にその通りだなと

play14:52

言われたと書かれています日本人が親切と

play14:55

言われて嬉しいですか大切なのは

play14:58

和国ことは

play15:00

儒教の理想郷であった

play15:02

君主国と

play15:03

同一として見られていたということです

play15:06

ではそんなWAの人々ですか日本列島の

play15:10

どこにいたのかこれが日本最大の

play15:13

ミステリーとされる

play15:14

邪馬台国は吸収説か機内施設かなのですか

play15:17

義手は人類に出てくる邪馬台国は

play15:20

現在の福岡県でほぼ確定ですただ

play15:23

重要なのが

play15:24

魏志倭人伝を書いた

play15:26

古代中国の役人が来たそのタイミングには

play15:30

邪馬台国が福岡にあったということでその

play15:33

後は違いますそれはどういうことか

play15:45

和国は九州全土を治めていませんが

play15:47

福岡県は

play15:48

防衛拠点的にかなり重要であり

play15:51

和国の初期の拠点だと思われますもちろん

play15:55

義歯は神伝の邪馬台国の後の時代に

play15:58

ゆっくり東へ拠点を移しながら

play16:01

和国の拠点は

play16:02

7の大和王朝まで移りますただその前と後

play16:06

には

play16:06

別の場所に

play16:08

第2山大国や

play16:09

第3山大国のような場所があったと思われ

play16:12

ます

play16:13

実際に

play16:14

滋賀県

play16:14

近江市の物の上郡山大国とされる遺跡が

play16:18

見つかったり福井県福井市の丸山という

play16:21

場所にも

play16:21

邪馬台国があったと言われていたり四国の

play16:24

徳島にも邪馬台国があったと言われてい

play16:27

たりしますただこれらは魏志倭人伝の役人

play16:30

が来たタイミングの邪馬台国ではないだけ

play16:33

であって

play16:34

同じ

play16:35

和国が立てた山大国風の場所だということ

play16:38

です

play16:39

それを表すようにこれら邪馬台国があった

play16:42

とされる場所は全て

play16:45

トライ系弥生人が多い地域なのですでは

play16:48

なぜ

play16:49

義歯は神伝

play16:50

当時の山大国は

play16:52

福岡にあったと言えるのかなのですがもう

play16:55

一つその前に

play16:57

DNAの

play16:58

遺伝子の話をさせてください

play17:01

現在日本人のルーツを探る上で

play17:04

DNA遺伝子を参考にする考察も多いと

play17:07

思いますそして特に多いのが父方のみの

play17:10

起源がわかる

play17:12

Y染色体DNAというもの

play17:14

定説では日本人に

play17:16

ヤップ遺伝子のDKとがなぜか多くこれが

play17:19

日本人特有の遺伝子でありまた

play17:22

縄文人の主要な遺伝子と同じとされてい

play17:25

ますしかし

play17:27

父方のみのY染色体DNA以外に

play17:31

母方のみが分かる

play17:32

ミトコンドリアDNAというものがあり

play17:34

ますそしてそれぞれの民族の風習によって

play17:38

父方の

play17:39

Y染色体DNAのバリエーションが増える

play17:42

play17:43

母方のミトコンドリアDNAの

play17:45

バリエーションが増えるかが変わります

play17:49

例えば日本人の古来の風習であれば

play17:52

男女が結婚すれば

play17:54

女性が

play17:55

男性の家に嫁ぎますこのような

play17:59

男性はどこの民族にも映らない

play18:02

別の民族の男性を

play18:04

自らの民族集団に来させないスタイルの

play18:07

日本の場合

play18:09

多民族の男性がその集団に入ってこないの

play18:11

play18:12

男性の

play18:13

Y染色体DNAにバリエーションが生まれ

play18:16

ません

play18:17

なのでDとOが主要なY染色体となったの

play18:21

ですしかし

play18:22

男は男の民族にも映らない

play18:25

来させないスタイルの場合

play18:27

女性は

play18:28

他の民族のところへ行ってもいいし別の

play18:31

民族の女性も

play18:32

自らの民族集団に迎え入れてもOKとなり

play18:36

ますこの

play18:37

自らの民族の男性はそこにも行かない

play18:40

けれど

play18:41

多民族の女性はいっぱい来るスタイルの

play18:44

場合

play18:44

水戸コンドリアDNAのバリエーションが

play18:47

増えますしかし

play18:49

現在の飛行機がある時代と違うので

play18:52

古代は

play18:52

多民族の女性が来ると言ってもその自らの

play18:56

民俗集団の

play18:57

近くにいる別の民族の女性が入ってきます

play19:01

そして

play19:02

女性1人では危ないので

play19:04

必ずその民族の男性たちと共にいますでは

play19:08

もし日本人が超古代から

play19:10

民族の男性はどこの民族にも移らないけど

play19:14

多民族の女性はいっぱい来るスタイルの

play19:17

伝統を現代まで持ち続けたとしてその男性

play19:20

のDNAのみわかるY染色体で日本人の

play19:24

ルーツの何がわかるのかというと

play19:27

理由があって別れた道民族ですというのも

play19:30

日本のスタイルの場合あるどこかの場所で

play19:34

男性集団が2つに分かれなければ

play19:37

同じY染色体DNAを持つ

play19:40

集団が生まれないのですなので

play19:42

チベットには日本人の持つY染色体DNA

play19:46

のDの遺伝子が多いですからこれはそこで

play19:49

分かれた

play19:50

道民族であるということです

play19:52

ではもし日本人が超古代から

play19:55

民族の男性はどこの民族にも映らないけど

play19:58

多民族の女性はいっぱい来る

play20:00

スタイルの伝統を現代まで持ち続けたとし

play20:03

てその

play20:04

女性のDNAのみわかるミトコンドリア

play20:07

DNAで日本人のルーツの何がわかるのか

play20:10

というと日本人がどこの民族の女性を

play20:14

妻にもらってきたのかが分かりますそして

play20:17

現代とは違い女性がいきなり飛行機に乗っ

play20:20

てアメリカ大陸からやってくることはない

play20:22

ので

play20:23

古代の日本人が通った

play20:25

ルートの近くにいた

play20:27

別の民族の女性のDNAということであり

play20:30

ますつまり日本のような男系主義の場合

play20:34

女性のミトコンドリアDNAで日本人の

play20:37

トータルトを知ることができ男性のY染色

play20:40

体DNAの場合

play20:42

過去に分かれた

play20:43

道民族がわかるということですでは現在

play20:45

日本人に多い

play20:47

ミトコンドリアDNAが

play20:49

D4と呼ばれるもので日本列島に

play20:52

政策文化を伝えた

play20:54

トライ系弥生人のDNAでありますそんな

play20:57

稲作を日本に伝えた

play20:59

トライ系弥生人が

play21:01

縄文時代の

play21:02

後期から

play21:03

稲作を日本列島で始めた場所が

play21:06

九州北部そして日本ではなく

play21:09

世界で

play21:10

稲作が初めて始まったとされる場所がはの

play21:13

人々こそカラス民族がイラン抗原から

play21:16

日本列島へ渡ってきた道の途中ぐらいに

play21:19

あります

play21:20

なので現在こういうルートで

play21:22

弥生人が来たことがわかっていますでは

play21:26

縄文人はというとこの

play21:28

D4や

play21:29

DK等のDNAは少なく

play21:32

トライ系弥生人のDNAと違うのがわかり

play21:35

ますそして

play21:36

先ほど見せたようにこの

play21:38

トライ系やよい陣は

play21:40

関西を基盤に

play21:42

東西へ広がっていきましたそのために

play21:44

縄文の人々は東西そして

play21:47

南北へ移動させられますしかし

play21:50

男性のY染色体DNAを見るとトライ系が

play21:53

多いはずの関西に縄文人と同じ

play21:56

DKとの

play21:57

ギャップ遺伝子がかなりあったりその割合

play22:00

play22:01

縄文人系がかなり多い

play22:03

東北地方や九州とそんなに大差はありませ

play22:06

play22:06

これは

play22:08

ミトコンドリアDNAの情報と

play22:10

Y染色体のDNAの情報のどちらかが

play22:13

間違っているのではないのですどちらも

play22:16

正解の軌跡

play22:18

先ほど

play22:19

男性のY染色体DNAのDこと

play22:22

ヤップ遺伝子が日本以外で多い場所が

play22:25

チベットと話しましたが

play22:27

次に多いのが

play22:28

イラン公言と

play22:29

ギリシャを含めたこのあたりです

play22:35

もうわかりますよね

play22:37

僕の考察では

play22:38

和の人々はこのイラン公言発祥の古代

play22:41

エラム王国を期限とし

play22:43

挙国が建てた

play22:45

古代中国の国シラギは

play22:47

ギリシャ系の国だとつまり日本に

play22:50

DKとの遺伝子が多いのは

play22:52

DKとのイラン系の和国が

play22:55

イラン抗原から縄文時代後期に

play22:58

稲作技術と一緒に日本列島の北部九州に

play23:02

移り弥生時代を始めた民族だからです

play23:17

そして後に関西へ拠点を移した和国そして

play23:21

和国の同盟国ギリシャ系を含めた

play23:23

白木の人々と百済の人々が日本列島へ上陸

play23:27

しますなぜギリシャ系を含めたという言い

play23:30

方になるのかというと白木そして百済の

play23:33

人々が日本列島に大量に移住する

play23:36

タイミングで

play23:37

白木と百済は

play23:39

多民族国家になっていたからですというの

play23:41

play23:42

信じるものは救われるとする

play23:44

仏教も国境としたくだらでは

play23:46

民族関係なく

play23:48

仏教徒であればその国に入れますまだ

play23:51

構造主義のギリシャ系の人々が作った白木

play23:54

はその

play23:55

社会構造がおかしくならなければ

play23:58

多民族の宗教の自由もありましたこれに

play24:01

より日本人の主要な男性のY染色体DNA

play24:05

play24:05

DKとOKとトライ系が

play24:08

関西から東西へ広がっていき

play24:11

縄文人も追いやりながらもその場所で

play24:14

トライ系と縄文系の混血もゆっくり

play24:17

進んだというわけですでは

play24:19

先ほど日本のような風習の場合

play24:22

女性のミトコンドリアDNAは

play24:24

実際の民族移動のルートがわかり

play24:27

男性のY染色体DNAは

play24:30

過去に分かれた

play24:31

道民族がわかると話しましたなので

play24:33

おそらく日本と同じ風習を

play24:37

古代から持っていたであろう古代ギリシャ

play24:39

系の人々と古代イランの人々は日本人と

play24:43

過去に分かれた

play24:44

道民族だということがわかります

play24:47

ではこの中東あたりから日本列島にやって

play24:50

きた

play24:51

Y染色体DNA

play24:53

ラップ遺伝子こと

play24:54

DKとを持ったトライ系やよい陣のはや序

play24:58

の人々から見て

play25:00

次にDの遺伝子を多く持った人々が

play25:03

縄文人なのですつまりこのはや

play25:07

序の人々から見て

play25:09

縄文人は

play25:10

過去に分かれた

play25:12

道民族だということです

play25:14

そしてこの

play25:15

和の起源

play25:16

シュメール文明と同時期にあった古代

play25:19

エラム文明と日本列島にあった

play25:22

縄文文化どちらが古いのかというと

play25:25

縄文土器の方がはるかに古いことから

play25:28

縄文の方が

play25:29

古いのですつまりここからわかることは

play25:33

古代エラム王国を機嫌とするY染色体Dを

play25:37

持ったトライ系弥生人の和の人々は

play25:39

5000年以上前に分かれた同じDのY

play25:43

染色体DNAを持つ

play25:45

道民族縄文人と再会したということです

play25:51

ただあまりにも昔で誰も覚えていないので

play25:54

トライ系弥生人の輪や後に来るジョの人々

play25:57

は城門の人々を南北へ追いやってしまう

play26:00

わけです

play26:03

[音楽]

play28:04

では流れがちょうどいいのでここで少し僕

play28:07

が考えている

play28:09

考察の断片をお話しします

play28:11

は」と日本の表向きの建国者は

play28:16

基本的に

play28:16

別の民族であるということ

play28:19

少し詳しく言うと

play28:20

和と日本の建国者が手を組んで作ったのが

play28:24

日本であり日本建国の補佐役だったのが

play28:27

先ほど話したはことからす民族と同じ起源

play28:31

のアケメン主張カラス大王と同じ期限の

play28:36

古代エラン王国の人々それゆえに日本神話

play28:39

で日本を建国した

play28:42

ジム天皇を

play28:43

ヤタガラスが導いたとされますつまり

play28:45

カラス民族ことはのおかげで日本を立てれ

play28:50

ましたよという神話にしたということです

play28:52

そしてはいや

play28:55

邪馬台国やいくつかの彫刻が福岡にあり

play28:58

ましたが

play28:59

九州全土を掌握していないということです

play29:01

ではひとまずなぜ福岡に魏志倭人伝の党首

play29:05

の輪の

play29:06

邪馬台国があったと言えるのかですがそれ

play29:09

を理解するためにまず

play29:11

知ってほしいことがあります

Rate This

5.0 / 5 (0 votes)

Related Tags
古代交流日本歴史中東文化民族国家儒教思想和のルーツ古代中国弥生時代縄文時代文化比較
Do you need a summary in English?