2024都市と環境4の1

一ノ瀬友博
29 Apr 202313:41

Summary

TLDRこのスクリプトは、日本の庭園の発展について詳しく語ります。中国から伝わった漢字を使った庭園用語のルーツを説明し、日本の庭園の起源を探求します。古墳時代の祭祀遺跡や前方後円墳、そして古代の信仰空間の可能性を検討します。飛鳥時代に至って、日本の庭園は池と石積みの護岸を特徴とし、朝鮮半島の影響を受けながら独自の形態を発展させました。奈良時代になると、庭園の様式は直線的で石積みのデザインから自然風景的なデザインへと変化し、曲がりくねった池や自然石の使用が目立ちます。特に党員庭園は、奈良時代の庭園の様子を知る貴重な事例であり、国の特別名勝に指定されています。日本の庭園は中国の影響を受けながらも、独自の美意識と技術を発展させ、日本の文化の一部となっています。

Takeaways

  • 🌿 日本の庭園の発展について、特に欧米とは異なる独自の歴史と特色を持つことが述べられています。
  • 📚 中国の影響を受けながらも、日本の庭園は独自の用語と発展を辿ってきました。
  • 🏯 古墳時代前期から中期にかけて作られた祭祀の遺跡が日本の庭園の起源の一つと考えられています。
  • 🗿 飛鳥時代には、几何学的で石積みの池を持つ庭園が登場し、当時の朝鮮半島の庭園の影響を受けていたとされています。
  • 🌊 奈良時代に入ると、庭園のスタイルは徐々に自然風景的なデザインへと変化し始めました。
  • ⛩️ 平城京の中心部に近い場所に、当時非常に重要な庭園が整備されていたとされています。
  • 🏞️ 党員庭園は、奈良時代の庭園の様子を知る数少ない例であり、2010年に国の特別名勝に指定されました。
  • 📈 奈良時代の庭園は、直線的な石積みからゆるい勾配をつけ、小石を敷き詰めた形態へと発展しました。
  • 🏯 飛鳥時代の庭園は、島の書遺跡のように台形で石積みの護岸を特徴としており、当時の文化を反映しています。
  • 🗻 古代の信仰空間としての岩盤や巨大な岩が、日本の庭園の源流の1つと考えられる説があります。
  • 📖 日本の庭園は、仏教が伝来するとともに、様々な技術や文化とともに発展し、独自の形態を確立してきました。

Q & A

  • 日本の庭園の起源について、どのような説がありますか?

    -日本の庭園の起源については、古墳時代前期から中期に作られた祭祀の遺跡である上の腰遺跡が有力な説です。また、古墳時代に造営された前方後円墳が日本の庭園の源流に位置するという見方もあります。さらに、古代の信仰空間としての岩盤が露している場所が日本の庭園の起源であるとする説も存在します。

  • 飛鳥時代の庭園の特徴は何ですか?

    -飛鳥時代の庭園は、池の形が幾何学的で、護岸が石積みで、石岡加工された石造物を置くという形態で、当時の朝鮮半島の庭園の形態と非常に近いものでした。

  • 奈良時代の庭園はどのような変化を遂げましたか?

    -奈良時代の庭園は、飛鳥時代の直線的で石積みの形態から、ゆるい勾配をつけ、小石を敷き詰めた形態に変化しました。また、自然風景的なデザインが見られるようになり、極致曲がりくねったような池が特徴的な形態とされました。

  • 党員庭園とは何ですか?

    -党員庭園は、奈良時代の非常に重要な庭園であり、2010年に国の特別名勝に指定されました。この庭園は、奈良時代の庭園の様子を知ることができる数少ない例の一つです。

  • 日本の庭園における「草冠の縁」とは何を指しますか?

    -「草冠の縁」とは、中国の影響を受けた宮廷の庭園施設に限って使用された用語で、動物園や動物飼育施設を指していたとされています。

  • 日本の庭園における「円」とはどのような意味ですか?

    -「円」は、日本の庭園に関連する用語で、果樹園や菜園などの農園を意味するようになっています。

  • 日本の庭園における「円融」や「円塩」とは何を意味しますか?

    -「円融」や「円塩」とは、皇帝の庭園施設に使われた用語で、現代の中国語ではエンディングという風に使われることがあります。

  • 飛鳥時代の庭園と奈良時代の庭園の主な違いは何ですか?

    -飛鳥時代の庭園は幾何学的で石積みの形態が特徴でしたが、奈良時代になると自然風景的なデザインが主流になり、曲がりくねったような池や自然石の形跡が目立つようになりました。

  • 日本の庭園における「島」とはどのような存在ですか?

    -「島」は、日本の庭園において、池に浮かぶ小さな陸地を意味し、庭園の景色をより多様化するために用いられる要素です。

  • 日本の庭園の発展について、特に注目すべきポイントは何ですか?

    -日本の庭園の発展において、特に注目すべきは、中国からの影響を受けながらも徐々に独自の形態を発展させ、自然風景的なデザインが主流となったという点です。

  • 日本の庭園における石像の配置にはどのような意味がありますか?

    -日本の庭園で石像を配置することは、当時よく見られた形態であり、宗教的な意味や美学的な効果を持ち、庭園の風格を定める要素の一つです。

  • 日本の庭園における「山辺の島」とは何を意味しますか?

    -「山辺の島」とは、日本の庭園において、山や岩盤が露しているような自然地形を模して作られた島を指し、庭園の自然美を表現する手法の一つです。

Outlines

00:00

🌿 日本庭園の起源と用語の由来

第1段落では、日本の庭園の発展について語り、特に起源について詳しく説明しています。中国から伝来した用語のルーツや、古代の信仰空間としての岩盤の崇拝、古墳時代の前方後円墳の周囲に池があったものなどが日本の庭園の源流に位置する可能性があるとされています。また、飛鳥時代に作られた祭祀の遺跡や、美智子匠による趣味線像の築造など、日本の庭園として記録されている最古のものが紹介されています。

05:01

🏞️ 飛鳥時代の庭園とその特徴

第2段落では、飛鳥時代の庭園について語られており、当時の庭園は池の形が幾何学的で、護岸は石積みという特徴を持っていました。また、飛鳥時代には仏教が伝来し、様々な技術や文化が持ち込まれたとされています。飛鳥時代の庭園は、当時の朝鮮半島の庭園の形態と非常に近いとされており、白ニシキの味噌などの記述も見られます。さらに、奈良時代に入ると様式が変わり、自然風景的なデザインへと転換したとされています。

10:04

🏯 平城京の庭園とその歴史的意義

第3段落では、奈良時代の庭園、特に平城京の庭園について語られています。党員庭園が復元され、2010年に国の特別名勝に指定されたことが触れられています。この庭園は、奈良時代の庭園の様子を知ることができる数少ない例の一つとされています。また、庭園の平面図や、当時の建築物の変遷、池の形の変化など、詳細な情報が提供されています。奈良時代の庭園は、自然石の形跡や石組みを用いたデザインが見られるようになり、日本の庭園文化における重要な一歩を意味しています。

Mindmap

Keywords

💡庭園

庭園とは、自然風景を模した建築空間で、日本の文化において重要な位置を占めています。このビデオでは、日本の庭園の発展について語り合い、円庭園や草冠の縁など、様々な庭園形式が紹介されています。

💡円庭園

円庭園は、古代中国由来の形式で、果樹園や菜園などの農園を意味し、日本では自然を模した美しさを追求する庭園として発展しました。ビデオでは、円庭園が日本庭園の起源の一つと考えられる上での腰遺跡などと関連しています。

💡草冠の縁

草冠の縁は、動物園や動物飼育施設を意味する古代用語で、日本の宮廷庭園施設に限って使用されたとされています。ビデオでは、中国の影響を受けながらも、日本の庭園文化の一部となりました。

💡飛鳥時代

飛鳥時代は、日本の歴史上の時代であり、592年から710年までの期間を指します。ビデオでは、飛鳥時代に作られた庭園が日本の庭園の起源の一つと考えられると語られており、その時代の庭園の特徴についても説明されています。

💡奈良時代

奈良時代は710年から794年の間にかけての時代で、日本の庭園の様式が大きく変わった時期とされています。ビデオでは、奈良時代の庭園が直線的で石積みの形から自然風景的なデザインへと転換したと説明されています。

💡平城京

平城京は、奈良時代の日本の首都であり、その時代の文化や建築様式の発展の中心地です。ビデオでは、平城京の中心部に近い場所に復元されている庭園が日本の庭園文化の重要な遺産とされています。

💡特別名勝

特別名勝とは、日本の自然や歴史的な景観を保護する制度で、国の特別名勝に指定された庭園は非常に価値の高い文化財です。ビデオでは、2010年に国の特別名勝に指定された庭園が紹介されており、日本の庭園文化の重要性について語られています。

💡石積み

石積みは、日本の庭園において水池の護岸として使用される技術で、直線的な形状を持ちます。ビデオでは、飛鳥時代の庭園が石積みの護岸を持つ幾何学的で整った形態を追求したと説明されています。

💡白木

白木とは、古代朝鮮半島の統一国家で、日本の文化に多大な影響を与えたとされています。ビデオでは、白木の庭園の形態が日本の庭園の発展に多大な影響を与えたと語られており、その影響を日本の庭園の形態に見ることができます。

💡神倉神社

神倉神社は、和歌山県にある神社で、自然の岩や岩盤を祀る信仰空間として知られています。ビデオでは、神倉神社のような古代の信仰空間が日本の庭園の起源の一つと考えられるとされています。

💡石像

石像是、日本の庭園において装飾的な要素として使用される石造りの彫刻で、趣味山石として呼ばれる形態があります。ビデオでは、飛鳥時代の庭園に石像が配置されていたことが紹介されており、その時代の庭園文化の一部として解説されています。

Highlights

日本の庭園の発展について話す。

日本語の庭園に関わる用語のルーツは中国。

円庭園の起源についての有力な説は古墳時代前期から中期に作られた祭祀の遺跡。

前方後円墳が日本の庭園の源流に位置する可能性。

古代信仰空間としての岩倉が日本の庭園の起源説の一つ。

飛鳥時代に記録されている庭園の最古のものは612年に築かれた。

仏教が渡来した際に庭園技術も一緒に持ち込まれたと考えられる。

飛鳥時代の庭園は池の形が幾何学的で石積みの護岸が特徴。

奈良時代に様式が変わり、自然風景的なデザインが登場。

党員庭園は奈良時代の重要な庭園であり、2010年に国の特別名勝に指定。

奈良時代の庭園は直線的な石積みからゆるい勾配をつけ、小石を敷き詰めた形態へ変化。

党員庭園の空撮写真から、時代の庭園の変遷が理解できる。

奈良時代の庭園の特徴は、極致曲がりくねった池と浅い水際。

石を積む形態は奈良時代の後半に見られるようになった。

日本庭園の発展は欧米とは異なる独自の歴史と特色を持つ。

日本の庭園は中国の影響を受けながらも独自の形態を発展させてきた。

日本の庭園は時代を通じて大きく発展し、独自の美学と文化を形成。

Transcripts

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皆さんこんにちは

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都市と環境第4回です

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これまで主に

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欧米の

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庭園の発達から公園の誕生そしてパーク

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システムや

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田園都市論といったことをお話してきまし

play00:18

たが今回は日本ではいったいどのように

play00:22

そういったものが発展してきたのか特に

play00:26

日本の庭園の発展について話をしていき

play00:29

たいと思います

play00:32

それではその1

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日本の庭園の起源についてです

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まず最初に日本語の

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庭園に関わる用語について整理をしておき

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たいと思います

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当然漢字ですのでその用語のルーツは中国

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ということになります

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で中国における最高の事象と言われるもの

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設問開示というものが

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五感の時代100年頃に成立したと言われ

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ています

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そこには

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庭園に関わる用語としてまず円

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庭園の円ですねについては

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塾ある所以なりと書かれていてこの円と

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いうのはいわゆる

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果樹園であったりとか

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菜園などの農園であったという風にされて

play01:23

います

play01:25

で次に

play01:26

草冠の縁ですけれどもこちらについては

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近所を養う由縁なりとされていて今で言え

play01:34

ば動物園であったりとか動物

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飼育施設のことを指していたとされてい

play01:40

ます

play01:42

一方で言うというふうに読むんですけれど

play01:45

もこの

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Uというものは

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円に書きあるなりという風にされていて1

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に曰く

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禽獣には言うというというふうにも書かれ

play01:57

ています

play01:59

つまり

play02:01

草冠の縁に

play02:03

柿などの区画施設があったものであると

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いう風にされています

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でさらには

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円融あるいは円塩というわけですけども

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皇帝の庭園施設にはそのような用語が使わ

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れたということになっています

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現代の中国語ではエンディングという風に

play02:24

提案を

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言ったりするわけですね

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一方で日本ではですね当然漢字は中国から

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入ってきたわけですけれども後でも出てき

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ますが

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島この

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山辺の島というものもあればいわゆる

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私たちが普段使う島という言葉もあります

play02:44

けどもこういったものがいわゆる庭園

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園地を備えた施設として使われたと

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でまた草冠の縁についてはこれは中国の

play02:57

影響であるという風に考えられますけども

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宮廷の庭園施設に限って使用されたとされ

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ています

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最初に日本庭園の起源です実は日本庭園の

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期限始まりについては実はよくわかってい

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ないことが多いんですねでまたそもそもの

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日本の庭園自体が最初どういうものであっ

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たのかということについて

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固まった見解がないという風にされてい

play03:28

ます

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一つは

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古墳時代前期から中期4世紀から5世紀に

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作られたとされる

play03:37

祭祀の遺跡なんですけれども上の腰遺跡と

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いうものが三重県伊賀市にありますこちら

play03:44

が日本の庭園の起源ではないかというのが

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非常に有力な説とされています

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一方で皆さん歴史で勉強したようにですね

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古墳時代に分母として

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造営された前方後円墳これは周囲を池で

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囲われているわけですけれどもこういった

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ものが日本の

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庭園の源流に

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位置するんじゃないかというような見方も

play04:10

あります

play04:11

でさらにはもっと時代はさかのぼりまして

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日本人がそれまで持っていたような

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採取空間ですね神聖な空間として神が降臨

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する場として人々が

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巨大な岩であったりとか

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岩盤が露出しているようなものを祀ってき

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たんですけれどもこういったもの岩倉と

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いう風にいますでこういうような

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古代からの

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信仰の空間が危険ではないかという説も

play04:42

あります

play04:44

でこの最終空間という意味ではこれは一つ

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の例ですけれども神倉神社というものこれ

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は和歌山のですね熊野ですね熊野速玉大社

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の摂社という風にされているんですけれど

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も上にあるような

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巨大な

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岩ですねあるいは

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岩盤が露出しているようなものを祀られて

play05:05

いる物っていうのは日本各地に例があり

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ます

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それでは実際には庭園として記録がある

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ものということになりますと飛鳥時代と

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いうことになります飛鳥時代は

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592年

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約600年から710年の100年ぐらい

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ということになります

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日本書紀には612年に

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百済の渡来人である

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美智子の匠という方が

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趣味線像や

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栗橋というものをオハリダ飲み屋の宮殿の

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難点に築造したというような記述があり

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ますこれが記録の中に残っている

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庭園の一番古いものということになります

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で日本の当然ですけれども様々な

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技術あるいは文化ですねで特に

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仏教が渡る時にですね朝鮮半島を経由して

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様々なものが持ち込まれたわけなんです

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けれどもまあ庭園の技術についても同様で

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あったであろうという風に考えられてい

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ます

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626年には

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蘇我馬子が

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池を穿ち

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島を築き

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島の音戸と呼ばれたというような記述も見

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られますこれが後でも

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移行の写真を見せようと思いますが

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島の小遺跡ではないかという風にされて

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おります

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でまた

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飛鳥橋

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以降というものがあるんですけれどもこれ

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は日本書紀の中で記載されている

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白ニシキの味噌のと言われるものこれは7

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世紀中頃から後半という風に言われている

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んですけどもではないかと言われています

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いずれにしても後で

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移行の写真を紹介しますけれども飛鳥時代

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の庭園は

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池の形が幾何学的で

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護岸は石積みそして石岡加工したような

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石造物が

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置かれるというような庭園の形態でこれは

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当時の朝鮮半島白木が朝鮮半島を統一する

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わけですけれども朝鮮半島に当時見られた

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庭園の形態と非常に近いものであるという

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風に言われます

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こちらが

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奈良文化財研究所のですね

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白調査報告書からとっている飛鳥時代の

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庭園の移行の写真なんですけれどもまず

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最初に

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左下にあるものですけども島の書遺跡の

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ものですねこれが池なわけですけれども

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台形のような形をしていますがいずれにし

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てもですね

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護岸が石積みでですね直線的な形状を持っ

play07:53

ていたと

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でもう一つこちらは飛鳥橋以降ですけれど

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play08:00

少々写真が分かりにくいんですがいずれに

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してもですねこれこれも池なんですけれど

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も石積みの護岸と非常に直線的な形状と

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最後は石上遺跡と言われるものでこちらは

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飛鳥こちらも飛鳥にあるものなんですけど

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も左側にあるものが

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趣味山石と言われるようなもので

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右側はですね赤人像ということなんです

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けれどもこういった石像を配置するという

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のも当時よく見られた形態ということです

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それが

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奈良時代になると様式が変わってきます

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ただ当然ですが

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奈良時代710年から794年ということ

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なんですけども当時の中国特に唐の影響を

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受けてきたというふうに言われるんですが

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徐々にですね日本独自の形態衣装が見

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られるようになってきたということです

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奈良時代はですね直線的で石積みの互換と

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いうことだったんですけれどもそういった

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ものがなくなり

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ゆるい勾配をつけ小石を敷き詰めると言わ

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れるような形態が出てきますその要所に

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自然石の形跡や石組みを排した

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極致

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曲がりくねったような池ですねが見られる

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ようになります

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例としてはですねあとでも紹介をします

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けども平状況作業

play09:33

あるいは状況と運転どちらも復元をされて

play09:37

いるわけですけども近年ですね近年といっ

play09:40

ても20世紀後半からということですけど

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も非常に集中的に発掘が進みですね復元を

play09:46

されるようになってきました

play09:49

ですので飛鳥から

play09:51

奈良時代の変化というものは人工的なもの

play09:55

から自然風景的にまあデザインが

play09:58

転換してったという風に言われています

play10:03

党員はですね特によく整備をされたもの

play10:07

ですし

play10:08

平城京のですねまあ

play10:12

朱雀門であったりとか修学旅行とかで行っ

play10:14

たりすることが多いんではないかなと思う

play10:16

んですけれども平城京の中心部に近い

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ところに復元をされていますのでもしかし

play10:22

たら言ったことがあるんじゃないかなと

play10:24

いうふうに思います

play10:26

いずれにしても非常に

play10:29

重要な

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庭園であったであろうというふうにされて

play10:32

いるんですけれどもこれが復元されてで

play10:36

2010年にですね国の特別名勝に指定を

play10:40

されています

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私たちがその奈良時代の

play10:45

庭園の様子を知ることができる数少ない

play10:49

例ということができるかと思います

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こちらが発掘されていた時の

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党員庭園の空撮のものです1976年の

play11:00

報告書に載っているというものです当然

play11:03

ですが

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奈良時代の長い長いと言っても100年

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以内ですけれども間に

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携帯もずいぶん大きく変わってきたという

play11:12

風に言われています

play11:16

かつてのですね

play11:18

池の形もですね後半に向けて変わってきた

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ということで特に大改修がですね

play11:25

前期から後期にかけてなされたというふう

play11:29

に言われていますでまた

play11:31

池のほとりに建物が

play11:33

置かれていたわけですけどもそういった

play11:35

建物も何度も立て直されているということ

play11:37

だそうです

play11:39

で実際にこれあの

play11:42

党員定員に行きますとその中の

play11:46

展示があるわけですけどもそこの展示の

play11:48

から取ったものですけれども変遷ですね

play11:51

左側の下前半の池からですね後半の意見が

play11:57

より複雑な形態になってでその中庭の中に

play12:02

ある建築物もですね変わってる様子がよく

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わかるかと思います

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で実際に今復元された

play12:11

庭園に入ることができてですねその様子を

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私たち見ることができるんですけども現在

play12:18

play12:19

庭園の平面図はこういったような形態と

play12:23

なっていますで実際訪れる時はですねここ

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で言うと西建物と書いてあるところ建物を

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通り抜けて

play12:32

庭園内に入るようなことになります

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実際の現地の様子ですねこれが

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巣浜と言われるものであと極致という風に

play12:43

言いますけども語幹が曲線上になっていて

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で小石を敷き詰めた

play12:51

浅い

play12:52

水際からですね実際に池の中自体も非常に

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浅いような形態ですねになっているという

play13:00

のが奈良時代の

play13:01

庭園の

play13:02

特徴であったと

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ですね

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でまた先ほどの写真から一番奥側反対側に

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なるわけですけれどもこういった月山の

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形態も当時見られたとこのような形態は

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この後その2の方でお話をしてきます

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けれども日本庭園あるいは大元は中国の

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庭園の形態としてよく出てくる石を積む

play13:27

形態ですけれどもそれがですねもう奈良

play13:31

時代の特に後半にはですね見られていたと

play13:34

いうものになります

play13:37

はい第一部は以上です

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日本の庭園飛鳥時代奈良時代歴史的変遷文化遺産自然風景石積み池泉庭園設計古代信仰文化導入
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