本当にさばいてはいけないのか?!

Ohi Sakuma
27 Apr 202424:18

Summary

TLDRこのスクリプトは、聖書における「さかれる」という概念を深く掘り下げ、誤解されやすい箇所に焦点を当てています。講演者は、人々が自分自身をさかれずにいる理由として、聖書の誤解や悪用を指摘し、現代のクリスチャンがこれらの誤解を解消し、正しい解釈を追求することが肝要だと述べています。また、人々が他人を判断しないようにと聖書の教えを引用し、神のみが持つ判断の権利についても触れています。最後に、救いを受けるための信仰の大切さを強調し、聴衆に神の言葉を精査し、正しい道を選び抜くよう促します。

Takeaways

  • 📜 「さいてはいけない」という聖書の言葉は、誤解されやすいテーマであり、人々が自分自身をさかれないようにと他人を批判する傾向がある。
  • 😇 神は人を切り離すことを望まない。人々はすでにサタンによって神から分けられているため、神は人をさかれない。
  • ✝️ 人々は自分自身を神の敵と見なしており、自分を神から切り離すことを望んではいない。
  • 🤔 「さく」という言葉はギリシャ語で「判断する」や「切り離す」を意味し、聖書の文脈で深く掘り下げられる。
  • 💡 ヨハネ3章18節を解釈する際には、「さかれない」とは神から分けられていない状態を指す。
  • 🌟 神は人を救うためにキリストを世に遣わし、人を神と再び結びつけることを望む。
  • 🧐 人々は他人を判断する代わりに、自分自身の言葉と行為を吟味すべきであり、聖書の教えに従って正しい判断を行う。
  • 📖 ベレアの町のユダヤ人は聖書を熱心に研究し、教えを吟味することで、真理を追求した。
  • ❌ クリスチャンは自己流の判断で人を切り離してはならず、神の基準に従って行動すべきだ。
  • 🔍 パウロの教えや他の聖書の記述から、私たちは神からの助けと知恵を通じて、正しい判断を下すよう命じられている。
  • 🛡️ 神は唯一、生命と無罪についての判断を持つ存在であり、私たちはその判断を尊重し、自分たちの判断で人を切り離してはならない。

Q & A

  • 「さいてはいけないのか」というタイトルで話された内容の中心思想は何ですか?

    -タイトルは「さいてはいけないのか」ですが、中心思想は、人々が誤解している「さかれる」という概念を聖書の文脈で明確にし、神の意志と人の罪とをどのように見分けるかについて語っていることです。

  • 聖書の中で「さかれる」とはどのような意味を持っていますか?

    -聖書では「さかれる」が、一般的には人々の罪を指摘することを意味しますが、その本質は自分自身の罪を認めずに他人を責める行為に用いられることが多いです。また、神の意志に基づいて人々を分ける行為とも関係しています。

  • なぜ人々は「さかれる」という概念を誤解しているとされていますか?

    -人々は「さかれる」という概念を誤解しているとされるのは、聖書の文脈を正しく理解しておらず、自分たちの罪を認めずに他人を責めることが多いためです。また、神の意志に基づく判断と人間の判断を混同しているとされています。

  • 「自分は自分がさかれないためです」とはどういう意味でしょうか?

    -これはマタイ7:1-2に基づいていますが、人々が自分自身の罪を認めずに、他人を責めるべきではないという教えです。人々は自分自身の罪を省みるべきであり、他人を責めることによって自分を正しいと主張すべきではありません。

  • 「さかれる」はなぜ「切り離す」や「分ける」という意味で使われることがあるのですか?

    -ギリシャ語で「さかれる」は「κρίνω」(krinō)と書かれており、これは判断する、切り離す、分ける、選ぶという意味があります。聖書の文脈では、神の意志に基づいて人々の罪を認めさせる行為として用いられることがあります。

  • なぜ人々は他人を「さかれる」行為として判断すべきでないのですか?

    -人々は他人を「さかれる」行為として判断すべきでないのは、神が与えられた知恵と恵みに基づいて判断すべきであり、人間の価値観に基づいて判断することが誤解を招く可能性があるからです。また、神の意志に基づいて救いを提供する側であり、人を責める側ではないという考え方に基づいています。

  • 「さかれる」は神の意志に基づいて人々の罪を認めさせる行為ですが、その具体的な意図は何ですか?

    -「さかれる」は、神の意志に基づいて人々の罪を認めさせる行為であり、その意図は人を責めることではなく、人々に自らの罪を認めさせ、神との関係を修復し、救いを求めるよう促すためです。

  • なぜ人々は自分自身の罪を認めずに他人を責めることがよくありますか?

    -人々は自分自身の罪を認めずに他人を責めることがよくあるのは、自分自身を守り、正当化しようとする心理的防御メカニズムにかかっているからです。また、他人の罪を指摘することで自分を優位に見せることができるためです。

  • 「さかれる」はどのようにして誤用されることがあるのですか?

    -「さかれる」は、人々が自分自身の罪を認めずに、他人を責めることによって誤用されます。また、神の意志に基づく判断を人間の判断と混同し、人を責めることによって自分を正しいと主張する行為として用いられることがあります。

  • 「さかれる」という行為は、どのようにして人々が救われることに関係していますか?

    -「さかれる」という行為は、人々が自らの罪を認め、神との関係を修復し、救いを求めるプロセスに直接関係しています。神は人を責めることなく、人々の罪を認めさせることで救いを提供するため、「さかれる」は救いのプロセスの一部となります。

  • 聖書の教えによると、人々が他人を「さかれる」べきではない理由は何ですか?

    -聖書の教えによると、人々が他人を「さかれる」べきではない理由は、人間の判断は神の意志とは独立しており、人々に救いを提供する側であり責める側ではないからです。また、自分自身の罪を認めることなく他人を責めることは、神の意志に基づく救いを阻害することにつながる可能性があるからです。

Outlines

00:00

📜 「さいてはいけないのか」という聖書の誤解

第1段落では、聖書の中で誤解されやすい「さく」という概念について語られています。政府が持つ罪を指摘する権威性と、それが誤用されることについて述べており、人々がこの誤解から苦しんでいる可能性があると述べています。また、聖書のマタイ7:1-2やヨハネ7:24、ヤコブ4:11節などの引用を通じて、さくとされないという命題を探求し、聖書の表面上の矛盾を指摘しています。

05:00

🛐 神から切り離された状態と救済

第2段落では、人々が神から切り離された状態にあるとされており、その状態が死だと説明されています。しかし、この死はサタンから来るものであり、人間の誤解として指摘されています。神は人を切り離すことはなく、救済を提供し、人類を再び神と結びつけることを目指していると語られています。また、ルカ15章の宝刀息子の例え話から、人々が自分たちの価値観で他人を判断し、さかれるべきではないと結論づけています。

10:04

🙏 さくことと判断する行為

第3段落では、さくことと判断する行為について語られており、それは人を切り離す行為であり、人間の本質的な闇の一部だとされています。パリサイ人の祈りとして知られるルカ18:11の祈りが引用され、祈りとしての自己の正当化と他人への批判が区別されます。また、主イエスが罪人を招く理由として、病気にかかっている人々と自分を分け隔ててはいけないと述べています。

15:05

📖 聖書の基準に照らして判断する

第4段落では、人々は神から与えられた知恵を使って、正しい判断を行うよう命じられています。ベレアの町の人々のように聖書を吟味し、判断するようにと指示されており、それは神の基準に照らして行うべきだとされています。また、予言者や教えられた者たちが語ることを吟味し、それが神からのものかどうかを判断することが求められます。

20:08

✝️ 神のみが持つ判断

第5段落では、神のみが持っている判断について語られており、それは命に関する判断と無意義に関する判断です。人々は自分たちの基準で判断してはいけず、神の基準に従って判断すべきであり、また、神の救済によって人間の状態が変わることについて述べています。神は人をさかれることなく、救済を提供し、人類を解放してくださることを目指していると結論づけています。

Mindmap

Keywords

💡さいてはいけない

「さいてはいけない」とは、他人の過ちや罪を指摘して非難すべきではない、というキリスト教の教えです。ビデオでは、この原則が聖書の様々な箇所で語られており、人々が他人を判断せず、自分自身を改善し、神との関係を大切にすることが重要であると強調されています。

💡誤解・悪用

「誤解・悪用」は、聖書の教えが間違って解釈されてしまい、その結果として不適切な行動に利用されることを指します。ビデオでは、人々が聖書のメッセージを誤解していると主張し、正しい解釈を提供することで、観客が聖書の本質的な教えを理解するのを助けています。

💡神のさき

「神のさき」とは、神が持っている最終的な判断の権利を意味します。ビデオでは、神のみが生死、救済、そして人々の運命について決定することができると語られており、人間の判断を超えた神の権威と恵みに焦点が当てられています。

💡分ける・切り離す

「分ける・切り離す」は、聖書で使われるギリシャ語の「クノ」の意味であり、判断し、選択することで区別することを指します。ビデオでは、この概念が人々が他人と自分を比較せず、神との関係を大切にすることを促すメッセージに結びつけられています。

💡救済

「救済」は、人類が罪から救われ、神との正当な関係を回復するプロセスを指します。ビデオでは、イエス・キリストが救済の源であり、人々が神と再び結びつくために彼を信じることが重要であると語られています。

💡判断

「判断」は、人々が他人の行動や価値を評価する行為を指します。ビデオでは、人々は自己流の基準で他人を判断すべきではなく、神の基準と聖書の教えに従って行動すべきであると強調されています。

💡正しいさき

「正しいさき」とは、神から与えられた知恵と判断力を正しく使用し、真理を見極めることです。ビデオでは、人々が神の助けを借りて、偽りを真理と区別し、良い選択を下すことが重要であると語られています。

💡悪の罰

「悪の罰」とは、罪や不正行為に対して与えられる罰を意味します。ビデオでは、人々が他人の罪を罰するべきではないとされており、その代わりに、神が最終的な裁きを行うと信じることが推奨されています。

💡聖書の解釈

「聖書の解釈」とは、聖書の文や物語を理解し、その教えを現代の文脈に適用するプロセスです。ビデオでは、誤解された聖書の文を正しく解釈し、それが人々の生活に与える影響について語られています。

💡信仰の重要性

「信仰の重要性」とは、神との関係を大切にし、その教えを生活に反映することの大切さを指します。ビデオでは、信仰が人々の救済と精神的な成長の鍵であり、神の教えに従って生きることが推奨されています。

💡人との関係

「人との関係」とは、他人との相互作用とつながりを意味します。ビデオでは、人々が相互理解と愛を大切にし、他人を判断せずに接することが重要であると語られており、それが神の意志に従うことになると強調されています。

Highlights

「さいてはいけないのか」というタイトルで、聖書の誤解や悪用について語る

聖書の「さかれ」という言葉の誤用と、それが持つ意味を説明する

「自分をさかれないように」という誤解を解き明かす

「さかれている」状態の真の意味と、それが神から来た死と関係を探求する

「さかれない」という状態が、神から分け離された状態にあって意味する死とは異なると述べる

「さくこと」は「切り離す」「分ける」という意味で、聖書の文脈で解釈する

ヨハネ3章18節の「さかれない」とは、神の独り子を信じない者が既に分け離されている状態を意味すると解釈する

「さかれる」とは、サタンから来た死の力による状態であり、神から分け離された状態を意味する

神が人を切り離すことはなく、人間の分離はサタンによると述べる

「さく」は神からの救いと結びつき、人を奴隷にしている死を壊滅させると語る

アダム以降の人々が死んでいるが、キリストによって救われると聖書に記されている

神は死人を罰することはなく、ただ生き返らせると語る

「さいてはいけない」という言葉の真の意味は、悪を罰することができるという意味ではないとする

悪を行う人を自分と区別してはいけない、病原体と病人を分けないとする

「さく」は正しい判断を下すことを意味し、神から与えられた知恵を用いて見分けることが求められる

ベレアの町の人々のように聖書を吟味し、神の言葉に親しんで判断を下すことが奨励される

神のみが持つ「さく」の権限と、人間の判断を超えた神の裁きについて語る

結論として、人々が誤って「さく」を解釈し、それが聖書の意図と異なると結論づける

Transcripts

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はいえ今日は本当にさいてはいけないのか

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というタイトルでお話をさせていただき

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ますえさいてはいけません自分がさかれ

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ないためですという政府は聖書の中でも

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1番ぐらいに誤解または悪用されているん

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じゃないかと思われる政府です罪を指摘さ

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れた人が自分の罪をを言い訳する思弁護と

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して使われるケースがほとんどです今も

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まだこの政府に苦しめられている人がいる

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んじゃないかと思い

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ます今日はこういった流れでさくという

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言葉についてそして本当にさいてはいけ

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ないのか神様にさかれるのは誰なのかなど

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などを考えてみたいと思い

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ますさくことについて聖書は矛盾している

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ように見えることがありますこんな風に

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聖書にはさばいてはいけないと書いてあり

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ますマタイの7章1節2節ですさばいては

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いけません自分がさかれないためです

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あなた方は自分がさくそのさきでさかれ

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自分が図るその計りで図り与えられるの

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です部4章の11節にはこうあります兄弟

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たち互いに悪行を言い合ってはいけません

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自分の兄弟について悪行を言ったりさばい

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たりするものは立法について悪行を言い

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立法をさいているのですもしあなたが立法

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をさくなら立法を行うものではなくさく

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もの

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ですところがヨハネによる印書の7章24

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節で主イエスは自分を疑う群衆たちに

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向かって上辺によって人をさかないで

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正しいさきをしなさいとも言われてい

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ますさいてはいけませんさかれないため

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ですと言われたのに正しいさきをしなさい

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とも言われているんですおかしいんじゃ

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ないでしょうかヤコブは4章11節で

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さばいたりするものは立方をさいていると

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言いながら同じ4節では反をする男たちを

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また簡をする女たちを世と交わることは神

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に適することだと分からないのですか世の

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ととなりたいと思うものは誰でも自分を神

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の敵としているのですと思いっきりさばい

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ているん

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ですイエス様もヤコブも矛盾に陥っている

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んでしょでしょかパウロも繰り返しさくな

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と言いながら彼自身さきを下していました

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ではこの問題の言葉砂漠をギリシャ語で見

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てみ

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ます新役聖書で砂漠と訳されている

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ギリシャ語はそのほとんどがクノという

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言葉ですさく以外に判断する切り離す

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分ける引き離す選び出す選択するという

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ような意味があります深解約の2017番

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であえてひらがなで表記してあるのは色々

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な役と解釈があるからじゃないかと思うん

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ですね上から下まで勢力的に判断してその

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プロセスによって区別し精査調査すること

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です砂漠と訳されてはいますがそれは

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あくまでもその他の意味特に分けるとか

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判断するという意味を土台にした砂漠なん

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ですではまずさくイコール切り離す分ける

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という意味で見てみますヨハネ3章18節

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には巫女を信じるものはさかれない信じ

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ないものはすでにさかれている神の独り子

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の名を信じなかったからであるとあります

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このさかれないを皆さんはどういう意味で

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考えています

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か天国域と地獄域だと思っていませんかク

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のを切り離す分けるとしてみるとキリスト

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を信じないものはすでにさかれている

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つまりすでに分けられ切り離された状態に

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あると言っているんですね何からでしょう

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かそれは

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神様から

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です人が神様からとは切り離された状態だ

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と言っているんですこの状態が死です誤解

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してはいけないのはその死は神様からでは

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なくサタンから来たということですヘブル

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人への手紙にこのように書いてあります

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サタンこそ死の力を持つものです

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人間は神様からは別れてしまった状態に

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ある以上神様がお出来になることは救う

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ことしかありませんそれでヨハネ3章18

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節の直前にこう書かれてい

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ます神が巫女を世に使わされたのは世を

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さくためではなく巫女によって世が救わ

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れるためで

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あるさくと訳されている言葉悔のそれは

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あくまでも分ける切り離す判断するという

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意味でこの後お話ししますが人に対する神

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様のさきつまり神様の方から私たちを

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切り離すことなんてありえませんそれは

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無理なんですなぜかと言うと人はサタンに

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よってすでに神様から分けられてしまって

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いるので人は神のさき神様から分け

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にはならないんです神様がさくのは人を

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奴隷にしている死ですさらにはそれを

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持ち込んだサタンです主イエスは神様から

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遠く分けられてしまった人類を再び神様と

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結びつけて正常な関係を持てるようにして

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くださいまし

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たこれを救いと言います神様が人にれる

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ことはこの救いしかありません死んだもの

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は救うことしかできないんです聖書には

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私たちのことはこう書いてあります第1

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コリントの15章22節ですアダムにあっ

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て全ての人が死んでいるようにキリストに

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あって全ての人が生かされるの

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です私たちは死んでいるないし死んでいた

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んです

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死んでいるものをそれ以上罰することって

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できません神様が死人に対してお出になる

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ことはただ1つそれは生かすことですもう

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1度ご自分との結びつきを取り戻させて

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生きるものにすることだけが神様が死人に

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対してできる唯一のことなんですだから

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エフェソびへの手紙にこう書いてあり

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ます2章の5節です

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背きの中に死んでいた私たちをキリストと

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共に生かしてくださいましたあなた方が

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救われたのは恵みによるの

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です神様は死人をさらに分ける切り分ける

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ようなことはされないんですそんなことは

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無意味です誤解が解けてきたでしょうか主

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イエスもご自分がこの地上に来られた理由

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をこう説明されていますヨハネによる福書

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12章の47節です誰か私の言葉を聞いて

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それを守らないものがいても私はその人を

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さきません私が来たのは世をさくためでは

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なく世を救うためだから

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です主イエスの言葉を守らなくてもさかれ

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ないんですイエス様が来られたのは私たち

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と神様との関係を正常にするため

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人類を救うためなん

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です次にさくイコール判断するについて

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考えてみたいと思いますルカの15章に

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宝刀息子の例え話が載っています全てを

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失って帰ってきた弟がお父さんに喜んで

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迎えられているのを見て兄は分外してい

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ます彼は弟をさばいています自分はずっと

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真面目に父の家を出ることもなく働いて

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いるのに後頭した挙句におめおめ帰ってき

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て喜ばれている弟を見て面白くないんです

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ね彼は弟を自分の価値観で判断しています

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お父さんがつまり天の父が信じられない

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ほどの寛大さでいなくなったつまり死んで

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いた弟が戻ってきた命を得たこを喜んで

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いるというのにお父さんと同じ価値観で

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喜べないん

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ですルカ18章11節のパリサイ人の祈り

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を見てください彼は主税人の隣でこんな

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祈りをしまし

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た神を私が他の人たちのように奪い取る

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もの不正なもの会員するものでないこと

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あるいはこの主税人のようでないことを

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感謝します

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これは祈りではなく他人への批判

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です人をさくこと自分とは違うと分ける

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こと自己流に判断することの中に人間のう

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にある闇を見ますそれは人と人とを

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切り離す分ける行為

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です兄息子のようにお父さんのそばにい

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ながら愛から遠くあったということは弟

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以上に大きな問題を抱えているん

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ですそしてさくという言葉であるがゆえの

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お解もありますこの日本語は通りに叶って

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いることと外れていることを明らかにする

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という意味があり

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ますそして悪い人を罰するとか犯人を

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罰するというような意味で使いますしそれ

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ゆえにさいてはいけませんというと最初に

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ちょっとお話ししたように悪いことをした

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人を罰するなという意味に捉えられがちで

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この言葉にちんと来るんですなぜなら

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この世には教会の中でさえ悪い人が大勢

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いるからです教会内で明らかに良くない

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事件が起こっていてもさいてはいけません

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自分がさかれないためですというこのセク

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を持ち出ししてあなたは人をさくんですか

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愛のない人ですねと牧師やリーダーに言わ

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れて黙るしかなかったということを聞いた

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ことがありますですが聖書が教えるさばい

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てはいけないというのは先ほどからお話し

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しているように悪を罰するなという意味で

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はありませ

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ん悪は悪として聖書にはそう書いていない

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神様はこを悲しまれると言わないといけ

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ないんですこの根拠は後にお話ししますで

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もだからといって悪を行う人を自分と区別

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してはならないということです良金例える

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と病とか病原金そのものとは戦っても病に

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陥った病にかかった病人はアイスという

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ことです主イエスも私が来たのは正しい人

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を招くためではなく罪人を

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悔い改めいわゆる立ち返るように招くため

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ですと言われまし

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た病気にかかった人たちと自分を区別して

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分け切り離してはいけませんということな

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ですでは主イエスの言われた正しいさきと

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は何でしょう

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か首都の働き17章ではパウロとシラスが

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テサロニケという大きな町に行って

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ユダヤ人の街道シナゴーグでイエス様こそ

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キリストです救い主ですと述べ伝えるん

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ですが邦人が救われているというネたみに

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駆られたユダヤ人が暴動を起こしたために

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2人はそこにいられなくなりますそこで

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向かったのはテサロニケから西に行った

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小さな町ベレアでしたここでの2人は

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ユダヤ人の街道で主イエスについて語るん

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ですがその時ベレアの町のユダヤ人の態度

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はこうでした首都の働き17章11節です

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この町のユダヤ人はテサロニケにいる者

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たちよりも素直で非常に熱心に御言葉を

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受け入れ果たしてその通りかどうか毎日

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聖書を調べ

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たこの調べたとだけ訳してあるギリシャ語

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はクノに接頭寺の穴がついた言葉穴クノで

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これは法廷で心理を行うという意味もあり

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ますつまり法廷で心理をする訴訟手続きの

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ように注意深く精査したというニュアンス

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です第1コリント2章15節の三玉を

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受け入れている人は全てのことを判断し

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ますがその人自身は誰によってでも判断さ

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れません判断もこのアクのが使われてい

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ます聖書的かどうか神様に頂いた知恵を

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実際に使って見分けることを私たちは命令

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されていますそれは正書的ではありません

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間違っていますそれは神から出たものでは

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ありませんと言える人は神様から頂いた

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知恵を実際に使っていますそれができない

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ということは知恵がかけているんです

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さらにディアクノという言葉もあります

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これはクノに接頭時ディアをつけた言葉で

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判決を下す中殺するという意味になります

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私たちはディアクノもするように言われて

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います人だけではなく予言や予言者教え

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られたこともさくというと誤解があります

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がつまりベレアの町の人のように吟味する

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ように言われているんです第1コリント

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14章の29節には予言する者たちも2人

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か3人が語り他の者たちはそれを吟味し

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なさいとありますこれは命令系

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ですクノが使ったある例は第1コリントの

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5章12節13節です外部の人たちをさく

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ことは私のすべきことでしょうかあなた方

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がさくべきものは内部の人たちではあり

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ませんか外部の人たちは神がおさきになり

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ますその悪い人をあなた方の中から覗き

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なさい私たちは誰かが教えたり予言して

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いることを吟味すべきなんです私たちは

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これは神から出たことなのか人からのもの

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なのかを分けないといけません神様の基準

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聖書の基準に照らし合わせてそれが正しい

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か正しくないか判断するんですキリストに

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ある集会の者たちを判断するようにと言わ

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れていますパウロもペテロにはっきりと

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間違いを伝えたことがガラテア所に書いて

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あり

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ますガラテアびへの手紙2章11節です

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ところがケパが

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に来た時彼に避難すべきところがことが

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あったので私は面と向かって抗議しまし

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た私たちは誰かが教えたり予言している

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ことを吟味するべきなんですパウロ自身も

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自分の話を聞いている人たちに自分が語っ

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ていることを苦悩するようにつまりさく

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ように言いまし

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たさくことについては現代のクリスチャン

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の度がマタの福音書7章1節から間違って

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解釈をしてしまってい

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ますそもそも神様にさかれるのは誰なん

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でしょうかさくイコール分けるで読んだ

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ヨハネ3章18節をもう1度読んでみ

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ます巫女を信じるものはさかれない信じ

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ないものはすでにさかれている神の独り子

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の名を信じなかったからである英語ですと

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ジャッジの他にコンデ避難された有罪宣告

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されたという風になっている聖書もあり

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ます巫女を信じるものはとめられない信じ

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ないものはすでに有罪宣告されていると

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いう感じですね私たちは神のさきと聞くと

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その対象は人間だと思っています神様が

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天国に行く人と地獄に行く人を分けるんだ

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それが神のさきだと信じている人は

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クリスチャンであっても多いんじゃないか

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と思いますですがそうではないことは主

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イエスがこう言われていることでも明らか

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ですヨハネの16章8節ですその方が来る

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と罪について義についてさきについて世に

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謝りを認めさせ

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ますその方というのは先週もお話した

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ギリシャ語でパラクトス援助者や取りなし

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て助け主という意味の精霊

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です私がこの世から去っていけばその後に

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助け主がおいでになりますよと言われて

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いるんですそしてさきについては続く11

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節でこう言われていますさきについてとは

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この世を支配するものがれたから

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ですイエス様はさかれるのはこの世を支配

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するものだと言われましたこの世を支配し

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ているのはサタンですそのサタンが

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持ち込んだのが死ですヘブル人の手紙2章

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の14節から15節にはこう書いてあり

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ましたしって主イエスはこの世を支配する

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ものサタンだけをさいて無力にするそう

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断言されたんですそれは死を滅ぼすという

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こと

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ですご自分が一旦サタンの主柱に落ちる

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ことによって私たち人間を死の恐怖の奴隷

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から解放してくださったことを意味してい

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ますその証拠にさばかれたは動詞の官僚系

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ですもうパタンも死もさかれてい

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ます最後に私たちがしてはいけないさきが

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あります神様だけが判断を握られている

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ことがあるんですね1つは命です永遠の命

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はもちろんですがこの世の命も神様が与え

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てそして取ることができるんです旧約聖書

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の余は自分の子供たちが殺されてしまった

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時主は与え主は取られる主の皆はホムべか

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なと言いましたですから例え余名があと1

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日であっても人がそこへ介入するとそれは

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殺人となり

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ますもう1つ神様だけが持っているさき

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判断がありますそれが無いについてです神

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様のみが人の人生と永遠に対して報いを

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与えてその人の状態をどうするかについて

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お定めになることができますつまり誰が

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救われるのかを判断することは私たちに

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許されていることではありません神様のみ

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がその裁きをすることがお出きになります

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人がすることはできませんまた御言葉の中

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で罪として明確にされていないようなもの

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も私たちが勝手に判断してさいてはつまり

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そんなことで人と人とを分けたり関係性を

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切り離してはいけないと思います例えば

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テレビを見ることは罪だとか激しい音楽を

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聞くことは罪だとかコーヒーを飲んだり

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タバコをすると天国に行けないなど

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です主にある兄弟感の訴訟やさきについて

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はまた長くなりますので今度考えてみたい

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と思い

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ますまとめます

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さくという言葉は分けるとか判断すると

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いう意味を土台にした言葉です私たちは

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救われることしかできませ

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ん私たちは自己流に判断してはいけません

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そしてさくというのは悪を罰するという

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ことではありませんでし

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た正しいさきというのは的かどうか神様に

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頂いた知恵を実際に使って見分けること

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です私たちはさかれません神様にさかれた

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のはこの世支配するものサタン

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です私たちがしてはいけないさき判断が

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あります命に関してまた無意に関しては

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私たちが判断してはいけませ

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んベレアの町の人のようにに日々選書を

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調べて御言葉に親しんで学んだことを吟味

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して精霊と共に判断をしていき

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ましょう主に栄光がありますようにまた

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来週もメッセージでお会いしましょう

play24:15

ありがとうございます

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