PM DAO Life Story - Toma
Summary
TLDRこのスクリプトは、一人の男性が自身の人生経験を語ったものです。彼は25歳で、新潟長岡の病院で生まれ、横浜で育ちました。学生時代は運動部に所属し、高校時代には勉強せずに過ごしました。大学進学後、勉強を始め、アメリカに留学し、プロダクトマネージャーとしてキャリアをスタートさせました。彼は、自分のキャリアのあらゆる経験から学び、現在はプロダクトマネジメントに興味を持ち、コミュニティとのつながりや、日本におけるプロダクトマネジメントの発展に期待しています。
Takeaways
- 🎂 25歳、9月28日生まれの天秤座で、新潟長岡の病院で生まれました。
- 🏠 幼少期は横浜在住で、神奈川で育ちました。
- 👨👩👦 両親と弟がいて、家族は福冈に引っ越しました。
- 🏫 小学校時代は恥ずかしがりや内向的でしたが、中学時代から変化し始めました。
- 🧑🎓 中学校時代は勉強はしなかったが、高校時代には勉強し始め、成绩が上がりました。
- 🤸♂️ 高校時代は運動部に入っていましたが、厳しい環境に耐えられず退部しました。
- 🎓 大学進学は両親の死去や家族の転居など様々な事情があったため、浪人していました。
- 🌎 アメリカに留学し、最初の1年間は英語の勉強に励みました。
- 💻 大学ではプログラミングに興味を持ち、後でプロダクトマネージャーとしての道を選択しました。
- 🚀 現在はプロダクトマネージャーとして働いており、将来的にはビッグテックに興味を持っています。
- 🌟 自分のキャリアや経験を通じて、日本におけるプロダクトマネジメントの分野を広げたいと考えています。
Q & A
脚本の主人公はどの星座ですか?
-主人公は天秤座です。
主人公はどこで生まれましたか?
-主人公は新潟長岡の病院で生まれました。
主人公が生まれた後、家族はどこに引っ越しましたか?
-主人公が生まれた後、家族は神奈川県の横浜市に引っ越しました。
主人公はなぜ福岡に引っ越しましたか?
-主人公の母親が亡くなったため、父親の仕事を合わせるために福岡に引っ越しました。
高校時代の主人公は勉強しましたか?
-高校時代の主人公は勉強をしなかったです。しかし、塾で少し勉強した後、テストの点数が上がったと言います。
大学進学に関して主人公はどのような経験がありますか?
-主人公は大学進学のために勉強し、偏差値低い学校に進学しました。また、試験で横浜の大学に受かりましたが、最終的にはアメリカに進学することにしました。
アメリカでの大学生活では、主人公はどのようなことに興味を持ちましたか?
-アメリカでの大学生活では、主人公はプログラミングとUXデザインに興味を持ちました。また、プロダクトマネジメントにも興味を持っていることが明らかです。
主人公はどのようにしてプロダクトマネージャーになったのですか?
-主人公は、インターンシップを経験した後、そのまま同社のプロダクトマネージャーとして働くことになりました。
現在、主人公はどのような仕事をしていますか?
-現在、主人公はプロダクトマネージャーとして働いており、大きなプロジェクトにも責任を持っています。
主人公の将来の目標は何ですか?
-主人公の将来の目標は、日本のプロダクトマネジメントを広げる活動に関わって、問題を解決するソリューションとしてのプロダクトやサービスを提供することを含んでいます。
Outlines
🐣 生まれ育った場所と家族
話者は25歳で、新潟長岡の病院で生まれた。母方の実家で育った後、両親が横浜市に引っ越したため、神奈川で成長した。幼少期からよく話す友達がいて、父親に話を聞く中で意外と恥ずかしがりな一面もある。小学校時代には、母親の病気と父亲的職業の都合で、家族が福岡に引っ越した。そこでは従兄弟が3人いて、一緒に過ごした。
📚 中学生時代と高校生活
中学時代は勉強はしなかったが、高校に入ってからは勉強が面白くなくなった。特に、高校生徒会に入ってから、様々な活動に参加し、勉強以外の分野で時間を過ごした。大学進学に向けての勉強はしなかったが、趣味として野球をしていた。
🌟 高校卒業後の進路とアメリカへの移居
大学進学に失敗した後、父親がアメリカへの移居の準備をしていた。アメリカの大学に進学するために、語学学校に通い、英語を勉強した。1年後には英語が話せるようになり、友人の影響でプログラミングに興味を持つようになった。
💻 大学での学習とキャリアの選択
アメリカの大学で最初の1年間は英語の勉強に励んだが、その後はプログラミングに興味を持ち、CSを専攻にした。ビジネスにも興味があり、スタートアップに関心を持ち始めた。プロダクトマネジメントに興味を持ち、様々なプロジェクトに関わるようになった。
🚀 スタートアップのインターンシップとプロダクトマネージャーとしてのキャリア
UXデザインに興味を持ち、オンラインのコースを受講した。インターンシップを経験し、その後、プロダクトマネージャーとして就職した。アメリカでのキャリアをスタートアップに進むことを目指し、様々な経験を積み重ねた。
🌐 国際的なプロフェッショナルネットワークと将来の目標
Twitterを通じて国際的なプロフェッショナルネットワークを構築し始めた。日本のPMと繋がり、日本のプロダクトマネジメントの状況に興味を持つようになった。将来的には、問題解決のためのソリューションとして活動し、イベントやコンサルテーションに関与したいと考えている。
Mindmap
Keywords
💡長岡の病院
💡横浜市
💡福岡
💡親族
💡中学校
💡高校
💡プログラミング
💡UXデザイン
💡プロダクトマネジメント
💡スタートアップ
💡ビッグテック
Highlights
25歳で生まれたのは新潟長岡の病院で、その後横浜市に引っ越した。
幼少期から親しい人たちと一緒に過ごし、横浜で育った。
10歳の時に母親が重い病気になり、家族の生活が変わった。
母親の死後、家族は福岡に引っ越し、そこで新しい生活を始めた。
福岡での生活で、家族構成が大きく変わり、多くの親戚が周りに住んでいた。
小学生の時から、外向的で恥ずかしがりな一面があったが、中学時代には変わった。
中学時代、勉強はしなかったが、自然に自分の意見を主張し始めた。
高校時代、勉強はしなかったが、生徒会に入って活動した。
大学進学に失敗し、アメリカに留学することに決めた。
アメリカでの大学生活で、最初の1年間は英語ができず、語学学校に通った。
プログラミングに興味を持ち、CSを専攻にした。
UXデザインに興味を持ち、独学でスキルを身につけた。
デザインシンキングに興味を持ち、イノベーションラボに参加した。
スタートアップコンペティションに参加し、賞を受賞した。
インターンシップを経験し、プロダクトマネジャーとして働くことに興味を持った。
プロダクトマネージャーとして働き、CPOやディレクターの経験もした。
オンラインコミュニティに興味があり、Twitterを通じて日本のプロフェッショナルと繋がった。
プロダクトマネジメントについて日本の状況に興味があり、将来的には日本のPMの活動を広げたいと思っている。
Transcripts
[音楽]
[拍手]
[音楽]
はい僕今25歳なんで901998年うん
の9月28日生まれででまあ天秤座天秤座
でま生まれたの
は長岡の病院だ新潟長岡の病院で生まれて
までも生まれただけなんで母方の実家でで
その後はでもその時にはもう両親は横浜
神奈川県の横浜市に住んでたんでまその
ままそっちに引っ越してっていうか生まれ
てでそれでま神奈川で過ごして育っ
てまちっちゃい時からよく話すやつだっ
たっていうのはま多分もうかさんも分かる
と思うますけどま結構よく今でも話します
しちっちゃ時から話してたっていうのは
聞きますけどでもなんか言われたのはなん
か父親にこの前ちょっと話してて言われた
のはま思ったよりなんかなんだろううん人
見知りじゃないけどま意外と恥ずかしがり
やみたいなところもええまうちでは話す
けどみたいな外向きでは意外と恥ずかし
がりみたいのもあったみたいなこう遠慮し
がちみたいなま今全然そってないんです
けどそれは小学校とかそうちっちゃい時
もう小学校の前なのかま小学校なのか
うんうんでは多分それが変わった機会が
ちょっと後にあるんですけどなんその10
歳の時に母親がなんかあの雲真っ赤出血で
倒れて僕が学校行ってたらなんかそのなん
だろう友達のお母さんが来てなんか
ちょっと大変だみたいななんすごい顔で来
てなんだと思ったらなんか病院で運れてて
でも次の日なっちゃったんですけどそえあ
次の日にあそうす一応手術はしてうんまで
もなんかその後に結局なんかなくなっ
ちゃってみたいなでまそれがあってまその
イベントがあってうんでなんか本当は父親
のま元々父親のなんか仕事の都合で名古屋
に引っ越す予定だったんですけどまその
母親がそあの死んじゃったんででまあ大変
だろうってことでまあなんかその父が働た
会社がなんかちょっとこうアレンジして
うん結局でその7型のなんだ実家あ福岡に
引っ越すことになってでそれで福岡にうん
でまそれで福岡に行ってからは従子がま3
人兄弟がいてで僕は弟がいるんですけどで
それでまあなんかみんなでもう本当一緒に
過ごすみたいな同じそのなんだろう
マンションの1回と3階に住んでみたいな
僕は1回だったんですけどでそん時になん
かすごいなんだろうま向こう勢が強いん
ですよ福岡のま人そうですねいっぱいいる
中に今まではまあ言うても両親と弟と僕
ぐらいけど今度はなんかおじいちゃんお
ばあちゃんなんだろうそおじさんおばさん
父親で弟でいこさんうんでもういっぱい人
がいてでいこはもうグイグイ来るんで
なんかそん時になんか僕もそれこそ父親と
話してた感じで言うとそん時になんか
ちょっとこうなんだろうもっとひどんな人
がいる中でもこう自分の主張を言わないと
押し潰されるじゃないけどみたいな最初
ちょっと圧倒されてたらしいんですけど
なんかそん時になんかそういうの慣れて
言ったじゃないけどまちょっとまんだじゃ
ないけどなんかこうま若干こうなんだ
アサーティブになるじゃないけどこう意見
は言わないとなんかまんなんだろう全部
流されちゃうみたいなはなんかそこで
ちょっと覚えたのかもしれうん福岡にいた
時はだからそっからはそのなんだろうあの
ま不家庭じゃないですけどだったんでまお
ばあちゃんがまちょくちょく面倒は見て
くれてましたけどまおばあちゃんも年なん
でなんかその最初の小学校56年の時とか
はこうなんだろうああのうちに泊まって
その面倒ま父は結構忙しくてずっといない
んでうんうんでまみたいのありましたけど
まそういう意味でまある週僕と弟しか家に
いないんでうんまちょっと特殊な環境では
あったかもしれないねだその中学校の時と
かもう別に文言とかもないんでもなんか
遊びに行ってなんか朝行ってくるみたいな
のもなんかこうあったりとかは普通にあり
ましたねなんかだからなんかま今思えば中
学校ぐらいの時からまこうなんだろうま何
でも自分で決めれたし決めてたのかなとか
を思ったりしますねまそれこそ別に中学校
の時は勉強とか全然しなかったですけど
うんまそれも自分でまなんか別に勉強
しろうとも言われないしまなんか別に遊び
に行くなとも言われないんでまじゃあ遊び
行くかみたいなま別に績悪いとかもなかっ
ですけどうんったけどああそうなんです
はいま普通ぐらい中学校の時は勉強はまあ
まできなかったですけどねうんなんか
テストの点数が良くてもまあなんか成績は
悪いみたいなそういう生徒だったかもしれ
ないですね全部寝てたんでなんか野球は
好きだったんですけどなんか部活っていう
のがなんかこうめどくさいうんなんかもう
まめっちゃ厳しかったんですよま野球を
やってたけど野球をやってないみたいな
なんかま軍隊みたいな感じですよなんか
みんなで同じことやってなんかよくわかん
ないけどなんでやないといけないのか
わかんないけど学校のトイレうんとかええ
なんかその学校のイベントがあったら野球
部が率先して手伝ってなんか野球はそう
いうなんだろうこう放射する集団っていう
のをなんかこう見せるじゃないなんかそう
いうのがあってへえそん時になんか
ちょっとなんかあのま嫌になったんですよ
ねなんかその集団じゃないけどなんかその
なんちょっとなんかあるじゃないですかま
そういう風習みたいなうんうんまそういう
のがなんかめどくさいなじゃないけど
なんか何の意味があるんだろうみたいなで
それなんか役やめて中学校の時で高校の時
に勉強したんですよねうんうんでなんか
その僕は全く勉強しなかったね中中学3
年間ってかま2年半そん時になんかその
塾長の人僕結構好きでなんかその適当な
感じがま教えてくれるっちゃ教えてくれる
んでそれなちょっとだけ勉強したらテスト
の点数伸びたんであこれ面白いじゃうん
なんかへ面白ないなめじゃないけどでそれ
でなんかちょっと勉強してまなんかまだ
から結構なんだろうその偏差地みたいなの
あるじゃないですかあれすごい低いとこ
からまなんかぼちぼちんとこに行ってでま
高校もそれでままあなんだろう周りで言え
ばまあまあいいみたいなとこに行けたんで
うんうんまそん時にちょ勉強って意外と
面白いんじゃないじゃないのと思ってま
高校に入ってもなんか勉強ししてふでま
高校だから本当勉強ばっかでへえま生徒会
に暇だったんで入りましたけどなんか勉強
しきってなんかやることないなと思ってそ
したら生徒会を応募してたんでうんあま
じゃ暇なるからやるかみたいなでそれで
やってま面白かったんですけどねそのなん
かそれまで運動部うんうんうんうんなんか
こうゴリゴリの運動部でまなんかどっち
かっていうとなんかワイワイしてる人た
じゃないですけど動ブってに中にいた中で
こ生徒行って行くとこう違う人がうんうん
結そのアニメとオタク系のがいたりとかあ
この人面白いなみたいななんかそれ確か
高校の時になんかそのそんななんか世界を
見たじゃないけどなんかそう見た面白かっ
たような気はしますけどまでも本当にここ
はそんな感じでまなんか高校ではなんかま
ちょっと浮いてる変な勉強できるやつ
みたいなイメージだったの
うんはいそうですねだからその勉強しきっ
てうんまあなんかまちょっと乗ってたん
ですよあなんか俺頭良くなったみたいなな
ちなんか70何後半とかなんかわかんない
ですけどうんえまそれででもその後なん
気づいたんですよなんかその模し受けてあ
なんかもっとえぐいやついるんだでなんか
クラスに1人なんどうしてもなんかすごい
勝てないじゃないけどま別に勝負しなかっ
たんですけどすごい人がいてあ上にはいる
上がいるんだなと思ってなそれで勉強は
なんかまその辺でやめたんですけどまでも
受験受けて全部落ちるんですようんえ
なんかま1つの学受けてそれはまなんか
ゴブゴブかなみたいなうんぐらいだったん
ですけどそと試験でなんか横浜も告大学
受けてそっちは僕なんか余裕で受かると
思ってたんでうんま今でもそのなんか字を
あの自が汚なく落したって今でも思ってる
んですけどまでもそ落ちてなんか落ちたな
みたいな両方落ちちゃったんはいまなんか
思ったよりな何も思わなくてだ3年間勉強
したわけじゃないですか応ま別にまうん
そのためにじゃないですかうん全部落ちた
のになんか思ったよりなんかこんなもんか
みたいななんかわかんない何も思わなくて
うんでなんか元々なんとなくアメリカに
行きたかったんでうんそしたら父親がなん
かその予備を探してたんですよ東京で
なんかなんとなく福岡にいても環境
変えようと思ってうんそたら父親がなんか
あのアメリカ行けばみたいなうん行ってき
てなんかあアメリカかみたいな大学みたい
な行けるのかなで適当になんか
Googleでなんかアメリカ大学みたい
な調べたらなんかそのエージェントみたい
な出てくるますうんうんでその1番トップ
なページでSEOトップだったページに
行ったらなんか説明会やってたんで福岡の
説明会行ってまそんな説明を受けてなんか
ちもなんかまあ行けばみたいな感じだった
しいいんじゃねみたいな感じで僕もなんか
うんまなんか確かになみたいなうんでそん
時になんか思ったのがなんか浪人しても僕
も勉強することってないなって思ったん
ですよなんか別に教科書の住みからすは
全部覚えててま参考書みたいなもうま全部
ほぼ暗記してるみたいなでま理解もま一応
してるみたいなとこあるじゃないですか
数学はまあれでしたけどだからなんそれで
あのこれで1年でしかも1年なんか受験手
運んじゃないですか相対評価なんで例えば
僕がま満点に近いってうん
他の100人かま店員が100点っていう
か満点取ったらそいつが良かって落ちる
じゃないですかうんていうの思った時にあ
なんかまあ1年確かに無駄にするなら
なんかまその18歳10代1年無駄にする
ならうんまチャンスもらえるならま
アメリカ行くかみたいなに関してですけど
ていう感じでそれでアメリカの大学に行っ
てうんうんでそうすね本当それだけでで
アメリカに行くことにしてうんでもその
それが多分4月とかだったのかな3月とか
4月ぐらいで受験終わった後なんでうん
じゃあ行きますかてなってでま僕なんだっ
け豆腐あのテストは良かったんでまあ5月
にも行けたんですけどちょっと早いなと
思って運転免許取りたかったんで日本でま
ちょっとダラダラしてで8月に渡米して
うんま英語の勉強まちょくちょくはしまし
たけどま受験勉強ぐらいでまそれでパって
アメリカに行ってでまこう着くじゃない
ですか空港にでダラスの空港に確かついた
んですうんで着いた瞬間にまあなんかこう
でかいなみたいなこれアメリカかみたいな
でなんかたのとしたらな全く通じない
なんかえこれって言っても通じないみたい
ななんでこれ通じないのみたいな指さし
てるのにさしてのにまなんか言われてるん
ですけど本当何にもわかんないですうんま
それまよく言うじゃないですかね遊学行っ
た人がなんかそのすごいなんか怖かったと
かそそう気持ちは全くなかったですけどあ
なんか意外と通じねなみたいなまでも通じ
なくてうんでなんかそのまダラスから僕は
ユアーカンソ大学っていう大学に行ったん
でダラスからそのなんだろうアーカン祖
大学の近くの空港に降り立った時時に
ちょっとびっくりしたのがなんかあれ
みたいなこうなか何もないぞみいやなんか
本当に牛となんかあの木装みたいなある
じゃないですか大きいやつ僕より多分僕の
身長とかそれの2倍ぐらいのまそのわの塊
みたいなのしかないですようんここどこ
みたいなこれなってなんかどうしよっかな
と思ってでまそれで車で連れてかれて大学
に着いたらあなんか結構綺麗なこう
キャンパスがあっておおみたいなちょっと
こう楽しみになってみたいなでそれま普通
に大学行って最初本当に何っていうか全然
英語もわかんなくてうんだでもなんか
そんな感じでまもう大学行ってからはもう
最初の1年間くらいはもうもう語学ができ
ないんでまそのトフル点数とっていうがま
あのなんだろうま自分の強みみたいなのっ
て多分なんか話とかなんかこのま僕じゃ
なくても話せないとやっていけないじゃ
ないですかこの交渉とか例えばなんかこれ
なんか教えてくれっていうのもそうですし
なんか狂人にちょっとコビいるのもそうだ
しうんまそういうのができないとま楽しく
ないしまなんか大変かなと思ったんで
なんかそのただ勉強できる英語はもうある
んですよねその豆腐でもなんかそのその
面しってるわけじゃないですかあなんか何
も聞こえないし何言っても伝わんないって
いうまなんでその語学学校に行って1番下
のクラスに入れられたんですよなんかその
ま高校時代は英語の編みたいななんかこう
78みたいな調子超えてたのにそうなんか
わかんないですけど行けると思うま行ける
と思ってたっていうかなんかまいいと思っ
てたのに何もわかんないし1番下のレベル
に入れられてまでもそんなもんなんかと
思ってうんまそれでま発音を勉強してま
英語話せるようにこうなっていってみたい
なもうずっと遊んでましたね1年間うん
うんそんなんばっかやってたらなんか英語
はいつの間にかそこそこ話せるようんうん
うんうんまそれが1年生っていうかま1
年間でそっからやっと大学でまそのなんか
大学に早ちょ直前になんか日本人の同期で
いた先輩でなちょっと4つ上の先輩なん
ですけどその人日本のなんか大学行って
医学部かなんか言っててけどなんかやめて
なんか知らんけどプログラミングやりに来
てたんですようんでその人に
プログラミングでなんかアプリ作りたい
からスを探してるみたいなうんお前もなん
か勉強してやれるようになるみたいなこと
を言われてから1週間ぐらいなんかあの箱
弁されてなんかJAVをこう覚えさせ
られるんですけどうんそん時なんか
プログラミングやってああなんか思った
より面白いなじゃないけどうんとあと
なんかそのまその前はうんまなんか別に
プログラミングを知らなくてもなんとか
なると思ってたんですよなんかそれをそれ
をこうなんかできる人材となんかやれば
いいみたいなでもなんかそれ
プログラミング触った時にあなんか一応
自分でももうちょっとちゃんと知った方が
いいんだなと思ってなんかそれで元々
ビジネス先行にしたかったのをまCS先行
に変えてあ変えたのそこではいで元々なん
かそのビジネスやりたかったのもまなんか
別にちょっとなんかスタートアップとかに
興味あったんでまその会社会社っていうか
なんかまビジネス系に興味あったんですよ
ねなんか作るとか売るとかうんだから適当
にビジネスやろうかなと思ってたんです
けどまその時まその時にはもう特にもう
webとかのあれですけどまテクノロジー
がこう扱ったじゃないですかまそれこそ7
年前とかなんでま言うてもまだなんか
エンジニアがこうなんて言うんだろう
ヒーローにななってちょっとした時とかか
ななんかエンジニアがこう1なんかか
すごい稼げるしみたいなまだ時だったん
うん確かにそれでまなんかあじゃあCS
やるかみたいなで適当にCSでなんか
メジャー変えてでそれでま普通にもう1年
生からずっとふでま僕の大学生活はま
あんまりお手本じゃないんですけどもう
本当になんか大学まなんか行って最初の
楽器なんか半分ぐらいクラス行ってあ
なんか別に行く意味ないなと思ったんです
なんか別になんかあま書いてあること言っ
てるだけだしま別に許可書読めばいいやん
テストも点数取れたうんうんでそなんか
大学の授業はなんかあんまいかなくなって
でも結局そのまままコロナもあったっての
はありますけどうん卒業するまでほとんど
あの授業に顔出さないみたいなまそれでも
いけるんですよねアメリカの
大学でもその代わりなんかずっとなん
だろうま就職したかったんで向こうでうん
なんかその就職のイベントにずっと出かけ
たりとかまローカルのコネクションを作っ
たりとかまあとはもうもま飲みやる気も
そうですしなんか友達を作るとうんうん
からそんな感じでなんかその外で色々ずっ
やってててでまこの辺でプロダクト
マネジメントにちょっとあれ話があ興味が
うん3年じゃ12やかあの何3年生の時に
コロナになったじゃないですかうんなんか
すごい暇になってうんまなんかすごい暇だ
なって思ってま筋トレしてご飯食べてしか
やってなかったんですけどそん時になんか
uxuiデザインに興味をなんか思った
うんていうのもなんかこうプログラミング
しててまなんかちょっと考え出すじゃない
ですか何の仕事しようかみたいなそん時に
なんか別にえソフトエジになりたくない
なって思ったんですよねまなんかその歯車
の一じゃないけどま結構こう
インプリメンテーションヘビーじゃない
ですかこう実装なんですよねま特に会社に
なるとそ向こうは分業なんで完全に
エンジニアだと結局なんかその行動をうん
まなんだろうこう起こすうん作業が結構
多い言われた使用しそうていうことに
気づいたんですよねああなんかなるほど
みたいななんかでじゃ学校の事業ではそれ
をやるじゃないですかえじゃあこれって俺
なんかなんでこれやってんのみたいなて
言われたらま先生に言われてるからじゃ
ないですかその教授なんかてかなんか友達
だったから聞そソフトウェアエンジニアっ
て何すんのそしたらなんかあなんか行動を
起こすだその使用書を行動に起こすうんて
いうのをってああなんかあんまやりたい
ことと違うなじゃないけどもっとそのなん
だろうも元々そのビジネスとかなんかその
ものを作るとかなんかサービス作るのに
興味があったんででそん時なんかちょっと
調べ出してでそれでUuxaデザインそれ
こそそん時も流行ってたんですよU
デザインめっちゃ流行ったじゃないですか
でそれでなこう流れてきてあなるほど
みたいなジやっとくかみたいな感じでそれ
こそそん時だ2多分あれ2020年とか
19年くらいにそれではまってでちょっと
フィグマいじってそこさUCサンディエゴ
がオンラインでUXデザイナーのコースを
持っててどんなんかしろうと思ってまなん
かちょっとそれを取ってみてなんか
ちょっとお金払って撮ってみてあこんな
もんなんだみたいなそれでなんか独学で
ちょっとUXデザインしたりとかしてで
なんかリントンで適当にいろんな人に
メッセージしてなんかUXのインターン
チップみたいなのをこちょろっとやらせて
もらったりとかしてでまあなそん時にU
デザインやったんですけどそれでもなんか
また気づくんですよなんかあれうんこれも
言うてなんか言われたことをデザインする
まあなんかもうちょっと
クリエイティビティはありますけどま
コードよりはうんただなんか結局なんか
まあなんだろうまあなんか結構別に俺が
やんなくてもいいじゃないけどうんなんか
まあ結構また一部だなと思ってだそれ大学
でなんかその今度デザインシンキング
みたいなこうなフレームワークみたいなの
を学ぶなんかイノベーションラブみたいな
ラボみたいなそのうんなんて言うんですか
ねあれはかなんか加活動を見つけてでそに
参加したんですようんそれはなんか学校が
持っててまそのお金持ちなんで
ユニバーシティアーカスあのなんだっけ
ウォルマートの創業者が卒業しててめちゃ
お金が降ってくるんでその人が立てた場所
なんですけどその人のまコネクションなり
なんなりでウォルマートとかのなんかま
タイスのこにも会社あるんですけどそう
大きい会社P&Gとみとかなとなんかそう
コラボしながらなんかだから会社って問題
をこう抱えてるじゃないですかまその問題
の一部をこのスタジオイノベーションラ
ボってスタジオって言うんですけどそここ
にこう投げてでそのスタジオにこう
スチューデントチームなんか
スチューデント3人5人ぐらいチームが
いくつあってでその人たちにこうなん
だろうそのデザインthinkingを
こうアプライしながら解決策を出して
もらうみたいななそういうプロジェクトを
やってるこのラボがあってそこに入ったん
ですよでそこでなんかなんか
初めてなんかなんだろうな楽しかったって
いうかな大学に入って初めてなんかあ
なんか大学ま大学じゃないすけどそこは
ほとんどあ楽しいなじゃないけどそんなの
をやっててチームメンバーとしてまその
UXザインやってたんでプロトタイプ
できる人がいなかったんですよその当時は
あんまりそういうのも流行ってなかったん
でじゃそれでだから僕が結構そういうので
なんかこう宝されてじゃないけどでなんか
こう
コントリビューターフォーカスとか
ユーザーからなんだろう問題を定義してで
ま定義してでまそのなんだろ
ソリューションをこうフレーマーとかある
じゃないですかマッピングマッピングし
てるとかそこでなんか初めてあなんかこれ
なんかやりたいことになんか近いなじゃ
ないけどなんか学びたいことに近いなと
思ってそっからもうそれうんもうその活動
になんか1番力入れるようになって
ユーザーリサーチとかそのインタビューし
たりとかでまこれって結局プロダクト
マネジメントに繋がるんですよねまそれの
ちょっと前段階うんなんですけどでそこで
なんかプロダクトかこういうプロセスいい
なと思ってでこれがそのなんリン
スタートアップとかのまあそのなんだろう
フレームワークじゃないですかでそこで
そのスタートアップになんかなんか
たまたまなんすけど元々やり興味あった
スタートアップになんかたまたまなんかこ
繋がったんですいろんな活動してた
uxuiやってみてでこのなんか参加して
みてみたいでこっからなんか
スタートアップそうればやりたかったなっ
てなんか思い出すんですよなんか急にあ
そういえばなんか俺スタートアップやり
たくてとかスタートアップやりたいって
いうかスタートアップ勉強したくてそう
いうのやってみたくてアメリカの大学で
ビジネスやろうとしてたんでなんか今度
そこでスタートアップコンペティション
みたいのがなんかあるんですよでなんか
それでなんかそのコンペに行ってなんか
そこそこいい賞まもらって100万ぐらい
もらうんですよあ今のあれで言ったら
100多分40万とかですうんでなんかお
いいじゃんと思ってなんかそれでそん時に
なんかそのまファンドレイズじゃないけど
まなんかそれのすごいミニバージョン
みたいなの経験してあこんな感じなんだ
スタートアップうんうんで思ってでそれ
なおさら興味がこうスタートアップに出て
でそん時ちょうどスタートアップで
インターンシップしてたんででそのまま
そのインターンシップしてた会社で
プロダクトマネジャーとして卒業してから
働かないかって言われたんででそれで
じゃあやりまって言って今プロダクト
マネジャーうんうんうん
うんま仕事はプロダクトマネージャーとし
て入ってそれ2ヶ月後ぐらいになんかま
CPOがいてディレクターがいてで僕がい
てでもう1人なんかPMの人うんでこれ
ディレクタかやめたんですよなんか学校に
戻りたいって言ってでそしてまPM1人に
なったんですよでCPUはずっとファンド
レイなでそれで僕なんかなんだかんだ
こっち選んだのにその講師のさっきの
リサーチが始める方選んだのになんか入っ
て2週間後ぐらいにそのやめる
ディレクターがま2ヶ月後にやめたんです
けどその入った2週間後ぐらいに
ディレクターがとままもうPM行けるよ
みたいな言われてうんいきなりやらされた
ま今覚えばもう彼女はやめるから僕をそこ
にそうなPMとして働かせるつもりだった
と思うんですけどうんだからなんか全然
わけわかんないまま入って2週間でまPM
やらされてでしかもなんかそのそん時
ちょうどデプスのチームがそのほとんど
PMが関わってなかったからでま一応
コンピューターサイエンスやってたから
テクニカルなこといけるみたいなみい感じ
でデのなんかそのなんだこうとを担当する
ようになったんですよねなんか入って間な
んですけどそれでなんかこうわけわかん
ないままなんかまエンジニアとこう話し
ながら教えてもらいながらこうやってまで
もなそんな感じでもうもうずっとわけ
わかんないまましばらくなんかこう今なん
だろう泳ぎ方わかんないままこうほかされ
てなんか自分で覚えろみたいなうんまでも
なんかなんだかんだもうバタバタしながら
ずっとやってみたいなでもまPMとしては
だからそれでうんまあ6ヶ月ぐらいすると
なんとなくこうやりが分かってきてでまあ
1年弱するくらいにはもうだいぶ1人で
なんか大きなプロジェクト任されたりとか
してそれこそAPIのアップデート会社
全体のこう任されたりとかしてなんかPM
としてもこうなんか役割をこうなんか
分かっていくようなってじゃないけどうん
でまあまあ今はもうもうバリバリただただ
PMとして働いてるみたいなま今2年目か
なんですけど1年半ぐらい経って
うんうんアメリカで働き出してこう大学生
から働き出してこうなんか時間ができたん
ですよそん時になんか確かこう
Twitterを始めて最初は確かその
早川さん自身にあなんかすごい面白そうな
方いるなというか経験がありそうでで僕も
そのなんかスタートアップで働く中でその
将来的にというかま別にいつでもですけど
なんかビッグテックとかにこう行ってみ
たいなっていう気持ちがあったんででそれ
で確か最初にその確かTwitterの
DMであのDMさせてもらってすいません
なんかあのま僕アメリカのスタートアップ
でこはPMやってるんですけどあのなんか
その多分将来的にとここうビッグテックで
働いてみたいな気持ちがあるんでなんか
そういうなんだろうビッグテッのPMって
どんな感じなのかとかまあと純粋にそん時
そのさっきちょろっと話したと思うんです
けどなんチームがこううまくまとまって
なかったんですよねで僕自身PMっていう
のをうん仕事もま分かっやってたけどこれ
で合ってんのかわかんないじゃないけど
なんか僕の中で気づいたんですよなんかあ
うちのPMってちょっと特殊だなみたいな
bdbだったしでそれでなんかそういうの
が気になってでそれで絡させていただいて
でそれ確かZOOMで後半した時にまこう
うんなんか教えてもらってこうした後に
最後の確かそのPMダっていうのを僕の方
でもやってるからっていことを風さん
おっしゃってそん時にああそうなんですね
みたいな興味あるって言われたんであ興味
ありますみたいなでそこでそのそれが
きっかけですね直接的なきっかけで言えば
うんうんま僕なんか結構そのオンラインの
コミュニティとか結構好きなんですよねま
それこそYouTubeのコメント欄とか
例えばんでもいいですけどカメラの使い方
とかあの動画にコメントすごい盛り上がっ
てるみたいなまなんかインターネット
そんなもんじゃないですかコミュニティが
あって各コミュニティですご盛り上がりが
あるみたいなでうんPMダオはまもちろん
その名前の通りPMとかまそれに関連する
ことでこう盛り上がってるのをこう見たん
ですよねあそのまあのなんだろウブページ
とか見たりとかこうなんか活動内容とか見
てこんなことやってると人たちがいるんだ
みたいなそれまで僕日本人の人と繋がり
全くなかったんでま今もそんなにめっちゃ
あるかって言わたらあれですけどうんうん
うんそれでTwitterとかでそうって
知り合うようになってそういう日本人の
プロフェッショナルに興味があったって
いううんうんのもこうあってまそのなんか
コネクションその日本の方と繋がってみた
いっていうのもちろんありましたしうんま
でも純粋になんか楽しそうだなっていうま
それが1番大きかったうんま期待位置とし
てはなんかまそのうんまプロジェクトに
関われるっていうま面白そうってあとま
そのコミュニティに属せるっていう面白さ
そうだなっていう気持ちとまあとはその
どんな人いるんだろうっていうこうあの
興味うんうんですかねあと日本のPMって
ま日本におけるプロダクトマネジントって
まどんなもんなんだろうみたいな
うんだ今デポをま中心とリポ別やってない
けどまなんかその他にそのさんがちょっと
こうなんだろうビジョン描いてたような
なんかその先のまなんかそのプロダクト
マネジメントをもうちょっとこう日本で
こう広げる活動まやっぱりその日本でいう
プロダクトマネジメントってまだ結構広い
とかそのうんなんだろうまだうんま別
アメリカもがいいとかなんかもっとその
ちゃんとしてるとかそういうのは僕全く
思わないですけどこうやっぱまだ曖昧で何
をしたらいいかわかんないっていう人が
どうしてもうんとかままんでもいいんです
けどそういうこうま課題を解決する
ソリューションとしてのプロダクトとか
サービスっていうのがまプロダクト
マネジメントとかだと思うんですけどそう
いうのがやっぱまだ定着してないと思うん
でまそういうのを広める活動とかまそれに
こうなんか助けれるなんでもいいんです
けどイベントなりコンサルテーションなり
なんでもいいんですけどそういうのにも
関わっていきたいなっていうのは思います
ねやるからにはなんかこうなんだろうま
この人僕に聞けばなんかそのなんだろう
こう問題を解決できるってまその関わった
人なり関わる人なりに思ってもらえるよう
なうんま人になれたらいいかなってま
そんな感じの軽いゴールはあるかなるほど
まあ何でも経験じゃないですかいろんな人
とまいろんなプロジェクトとかプロダクト
作るっていうのはまそれはなんか必然的に
ま僕がPMうんをど本業でしてやってると
かま他のこと何かやり出した時にも生きる
とは思うんでまなんか自然にこうなんか
生きていくのかなとは思います無うんうん
こう繋げなくてもうんうんじゃあ一旦これ
でライフストーリートマの分以上させて
いただきますありがとうございます
ありがとうございまし
た
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