「自分が」落ちている、というのは誤解です!
Summary
TLDRこのビデオスクリプトでは、研究家フェリックスが感情移入ゲームという視点から楽に生きる方法について話しています。フェリックスは、人々が自己認識のシステムであるエゴと感情移入することで、落ち込んだり傷つくような感情を楽しむゲームと見なすことができますと主張しています。エゴは社会から借りた価値観で構成され、それが満たされない時には落ち込むと感じるが、実際はエゴが落ちていて、本当の自分はそのゲームに感情移入しているだけだと説明します。さらに、エゴから抜けることの大切さと、それを超えた「第2のエゴ」という概念を紹介し、自己価値観を超越して客観的に自分を肯定し、楽に生きる方法を提案しています。
Takeaways
- 😌 フェリックスは感情移入ゲームを通じて楽に生きる視点を提唱している。
- 🧐 感情の落ち込みはエゴという自己認識システムによるものであり、実際の自己とは別の存在と捉えることができる。
- 🤔 エゴは社会から借りた価値観で構成されており、それが満たされない場合に落ち込みを感じることがある。
- 🌟 自分の意識体験を観察し、自分自身がエゴというシステムを雇っていると認識することで、感情の起伏を客観的に捉えることができる。
- 🎭 映画のように、自分の感情をエゴに感情移入することで、そのエゴが落ちても実際の自分が落ちていないと理解できる。
- 💡 エゴから抜けることも戻ることも偉大なことではなく、ゲームとして楽しむことが大切だという視点が示されている。
- 🎮 人生はゲームとして捉えられ、エゴが感情移入を楽しんでいる状態であり、それを認識することで楽に生きることができる。
- 🔄 エゴの価値観に基づく落ち込みは、ゲームの一部として捉え、それによって自己像を肯定的に捉え直すことができる。
- 🕵️♂️ 第2のエゴという概念が紹介され、それが自己を離れて望む方向に進むための力として機能する。
- 🎉 ゲームを通じて自己像の価値観を肯定し、人生をエンターテインメントとして楽しむことが重要であると強調されている。
Q & A
フェリファブが楽に生きる研究家として掲げている主なポイントは何ですか?
-フェリファブは、自己認識システムの「エゴ」を理解し、それを超えることによって楽に生きることを提案しています。エゴは社会から借りた価値観で構成されており、それが満たされないことで落ち込むと説明されています。
フェリファブはなぜ「エゴ」という言葉を使って自己認識システムを説明していますか?
-「エゴ」は自己認識のシステムを指しており、個人が社会から受け継いだ価値観に従って動くという側面を強調しています。この言葉を使用することで、自己認識が社会的な要素によって形作られるという観点が明確になります。
フェリファブが「感情移入」についてどのように説明していますか?
-感情移入は、自分自身がエゴと同化していると同時に、そのエゴに対する感情を楽しんでいる状態であるとフェリファブは説明しています。これは映画を見て主人公の気持ちに共感するのと同じです。
「第2のエゴ」とは何を指していますか?
-「第2のエゴ」とは、エゴを客観的に見ることができ、自分自身を離れた立場から自分の行動や感情を観察し、評価する能力を指しています。
フェリファブはどのようにして自己認識システムを超えるとアドバイスしていますか?
-フェリファブは、自己認識システムを導入している主体である自分自身に気づき、それを超えることによって楽に生きることができるとアドバイスしています。
「マジ」と「ゲーム」という概念についてフェリファブはどのように説明していますか?
-「マジ」とは自分の価値観に重きを置く真剣な態度を指し、「ゲーム」はそれらの価値観を楽しむことであり、どちらも人生の一部として楽しむべきだとフェリファブは説明しています。
フェリファブが「価値の変動」についてどう説明していますか?
-価値の変動はエゴが社会から借りた価値観に基づいて感情を動かす現象であり、それを客観的に捉えることで自己の価値を確立しやすくなるとフェリファブは説明しています。
「感情移入ゲーム」とはどのような概念ですか?
-「感情移入ゲーム」とは、自分自身がエゴに感情を移入し、そのエゴが経験する感情を楽しむことによって楽に生きるという考え方を指しています。
フェリファブはどのようにして人生を楽しむことができると提案していますか?
-フェリファブは、人生をゲームとして楽しむことで、自己認識システムを超え、感情移入を通じて楽に生きることができると提案しています。
このトークでフェリファブが示唆している「楽に生きる」の具体的な方法とは何ですか?
-具体的な方法として、自己認識システムを理解し、それを超えること。また、人生をゲームとして楽しむことで、感情移入を通じて楽に生きることが可能になるというアプローチを示唆しています。
Outlines
😌 自己認識システムと感情移入
フェリックスは感情が落ちない理由について話しており、それは自己認識システムを導入しているからだと説明しています。彼は自分自身が感情をコントロールしていると述べ、人々が落ち込むのは自己認識システムの影響だと主張しています。さらに、彼は自己認識システムが社会から借りた価値観で構成されると語り、それが変化する過程で人々が感情を動かすと解説しています。最後に、感情移入を通じて楽しむことが大切だと結びつけています。
🎮 エゴとゲームとしての人生
第2のエゴという概念を紹介し、人々が人生をゲームとして楽しむことができると説いています。エゴは感情移入の対象であり、それを通じて人々は自己価値観を形成し、それを超えることの大切さを強調しています。また、人生をゲームとして捉えることで、人々はより客観的で柔軟な視点を持つことができると主張しています。最後に、人生を楽しむことの重要性と、感情移入を通じて自己を肯定する力について話しています。
👋 感謝と人生への新しい視点
ビデオの最後にフェリックスは視聴者に感謝の意を示し、次回の会合を楽しみにしていると述べています。彼は人生をゲームとして楽しむという視点を提供し、それによって人々がより豊かな人生を経験できると信じています。また、人生をウェルカムし、ゲームとして愛することで、より自由で主体的な存在になることができると説いて終了しています。
Mindmap
Keywords
💡感情移入
💡自己認識
💡エゴ
💡価値観
💡ゲーム
💡客観的視点
💡マジ
💡第2のエゴ
💡感情
💡自由意志
Highlights
楽に生きる研究家のフェリックスが感情移入ゲームについて話す
フェリックスは通常落ち込まないが、誰もが落ちないと言える理由を説明
落ちるという状態は自己認識システムのエゴによるもの
自己認識システムは社会からレンタルされた価値観で構成される
感情移入は映画の主人公の気持ちに共感するのと同じ
エゴから抜けることの偉大さや価値を再考する
現実は意識体験であり、夢のように自分で作り自分を見ている
楽に生きるためには、不完全性を楽しむことの重要性
エゴから抜けられないとマジになる体験はアトラクション
ゲームとして楽しむことで、自己像に対するマジが極まっている状態になる
感情移入を楽しむことで、自己認識のゲームを客観的に捉えることができる
エゴの価値観に則って落ちるが、実際は体が感情移入を楽しんでいるだけ
マジになってしまうことの危険性と、悟りをマジと捉えることの価値
感情移入を楽しむことで、人生をゲームとして愛することができる
エゴが修行的になることの誤解と、感情移入の外へ出ることの自由
ゲームに興味がなくなったら自然と別のトピックに関心が向く
自己完璧性と不完全なゲームを味わうことの重要性
感情移入を通じて、自己を肯定し楽に生きることの大切さを再確認
Transcripts
楽に生きる研究家のフェリックス
ファブリックがお送りするフェリファブ
哲学今日は感情移入ゲームに気づき客観的
な視点で楽に生きるについて話してみたい
と思いますよくフェリファブさんは気分が
落ちるとかないんですかと言われます普通
にありますよでも厳密に言うならば私自身
は落ちていませんでもこれって私だけで
なく実は誰もが落ちてないと言えるんです
よねなぜなら傷ついたり落ちたりすると
いうのはエゴという自己認識のシステムの
方だけで実はその自己認識システムを導入
している主の方が自分なので自分で雇っ
てる側なんですよね自分はその自分が雇っ
ている自己認識システムとの同化を面白
がって強めたり弱めたりしているそれとは
全然別物なんですよね英語というものに
ついて再確認してみると結局自分の観察
する意識体験の中に自タっていう自分とか
他人とかっていう体験を臨場感を持って
体験するために自分が雇っているシステム
がエゴであってそのエゴは基本的には社会
からレンタルしてきた色々な価値観で構成
された自己像を持っていて例えばその
システムが可愛くないといけないっていう
コマンドを使ってる時そう感じられない
場合そのシステムは落ち込みますよねでも
落ち込んでるのはそのシステムですよね逆
にもし知的に見えないといけないっていう
レンタルの価値観をエゴが入れ込んでいる
場合見た目ばっかり褒められると減滅して
落ちるみたいなこともあるわけですよねな
ので正確に言うと落ちるっていうのはエゴ
が落ちるつまりそれぞれのエゴが持って
いるレンタルの価値観に則ってエゴが
落ちるだけで実際本当に自分が落ちて
しまうのではなく自分という体がエゴへの
感情移入を楽しんでいるそれが極まって
いるという状態に過ぎないっていうこと
です映画なんかを見て主人公の気持ちに
痛いほど心を寄せてしまうのと同じですよ
ねなのではっとあれこれ落ちてるエゴに
自分が感情移入してただけだって思うと急
にねもう真顔になることがありますしかし
実は別にねエゴから抜けられることとか
戻れることとかはってなることが偉大な
わけでもなんでもなくてそれが価値を積む
わけでもなんでもないっていうことをね
知っておくのが実はとても大切なんです
なぜならエゴで考えないってことすらも
やっぱりゲームに過ぎないからなんですよ
ねというのも元々私たちは神様のような
ものですよね現実って言ったって現実だっ
て意識体験なのだから意識の中では本来は
夢のように何でも自分で作って自分で見
てるわけですよねなのにそれをうまくでき
ない思い通りにできないみたいな風にその
不完全性を楽しんでいるだとしたら楽に
生きることができないエゴから抜けないと
とマジになる体験というものそのものが
もうマジなように見えて実は本当の自分に
とってはマジじゃないアトラクションな
わけですよねだって本当はやろうと思えば
できてしまうのにできないふりをしてる
わけだからだからその中で自分がうまく
エゴから抜けられたとかっていうことも
結局ゲームに過ぎないんですよね例えね
これがゲームだと分かっていない時だって
ゲームであることは変わりありませんでも
ゲームだと分かっていない場合はより臨場
感を楽しめるようにできているのでエゴと
の同化の瞬間いわゆる落ちしたと言われる
時に落ちるなんてダメってやる流れになり
ますこれも自分をうまくやりたいという
エゴで基本これはマジですよねいわゆる第
2のエゴと私が呼んでいるものです自分を
離して自分の望む方向に持っていこうと
するエゴですよね特にエゴで何か否定的な
ことを考えたりした時にそれをああいけ
ないこんなエゴ使ってっていう風に否定
するこれが第2のエゴ言ってしまえば第2
のマジですそれによって自分が落ちた自分
が上がりたいっていう認識になってきて
しまうそうするともう自分は防寒者で
楽しんでいるという立場じゃなくてもう
絶賛落っこち中の自分が上がりたがって
るっていう風に完全に感情移入を楽しむ
ことができますだから落ちたということを
認識できてるようでありながら実はまさに
落ちたというものに感情移入をしている
またなっってことになりますからもう自己
像に向かってマジが極まっている状態です
なのでどんなに落ちているって感じる時も
あエゴは落ちていてそれに感情入する
ゲームなんだなていう認識を持ってみると
より客観的に感情移入している自分も肯定
できますまたもしエゴがりたいんだと切望
する場合も自分で落ちて自分で上がりた
いっていうエゴに感情移入しているゲーム
なんだなという風に認識してみることで第
2の英語で苦しまなくても良くなります第
2のエゴというのはね結局ゲームをゲーム
にしないマジにしてしまうところが一体
どっから始まってるかっていう認識をする
ことによってこそ分かりやすくなります
マジとは言ってしまえば自分の価値にマジ
で関係するという感覚ですこれは色々な
分野で起こります世の中の大抵のことは嘘
でも悟りはマジそれが1番の価値なんだと
かエゴの自己ひげは嘘でも楽に生きるは
マジそれができないとダメとしている場合
でもそのマジすらも必要ないかもって捉え
てみることが大切なんですよね自分の価値
っていうものとつげるからマジって思える
でも自分の価値って本当に議論されるべき
ものなんでしょうか上がったり下がったり
するものなんでしょうないんですよね本当
はだって感情移入してる主なんだからだ
から逆にマジで望んでいるものこそマジで
はなくてゲームなんだって捉えてみること
によってこそ包括的に捉えることができる
し逆にマジの認識絵がいものっていう
ドラマも緩みやすくなってよりその可能性
にぐと近づくはずなんですよねなので
うわあまたマジになってるいけないていう
ことすらマジだって分かってきます否定し
た時はわこうこうやってエゴがマジになる
分野があるとしたらそれはどれもまさに
ゲームとして楽しませてもらってるんだ
なってありがたく認識していくことがより
客観的な本来のエゴの雇い主としての自分
の立位や人生というエンターテインメント
に感謝を抱ける視点をはっきりさせてくれ
ますとなると本気で解決すべきものなんて
のもないっていうのが言えてきますそう
私たちにはねやっぱり元々問題なんてない
んですよね感情移入して楽しむ主なんだ
からさっき言った通りねもう価値の変動が
しようがないてことは解決すべき問題も
ない問題というものがあるとしてもそれは
問題という風にエゴが定義して騒いでマジ
にするゲームに自分が感情入してるだけ
それをやめてみるというゲームもある別に
どっちのゲームがいいわけでも悪いわけで
もないひたすら自分はゲームを楽しむ主で
あるということいずれにせよどの段階でも
自由意思によって好きなゲームを選択し時
には感情移入し楽しんでいる別の回で感情
を感じてもオーという話をしましたね感情
も1つの味わい深い情緒なんですよという
話でしたでねこれ実はこの視点もねかなり
客観視なんですよね悲しさで打ちひしがれ
てる人とか怒り狂ってる人を映画で見ると
うわすごい奥深い感情表現だなって思うの
と同じ視点で自分のエゴを眺めてみるわけ
ですからまさに映画を味わっている時の
ような状態これってある意味で感じてる
ことへの全工程なんですよねこの理解
溢れる捉え方っていうのはマジにどっぷり
使っているように見えながら素晴らしい
想像物への賛美っていう視点にスタンスを
切り替えられる方法なんですよねつまり
自分の人生を心からウェルカムできるだ
からこれは人生を感じないようにすると
いう風に遠ざけることではなくて人生を
ゲームとして愛するようになることだとも
言えますなのでマジになっちゃいけないと
いう風にエゴは修行的になってしまうかも
しれませんがそれは誤解なんですよねだ
からもしエゴが修行的になってる時もあ
エゴは修行っていうマジを楽しんでいて
そこに感情移入できたんだなっていう風に
どんどん感情移入の外へ出てより自由に
主体的にそのゲームの味わいとか美を賛美
してみたらいいと思うんですよねでもし
もうそのゲームにあんまりもうやり切った
なそんなに興味ないなと思ったら自然と
全然違うトピックに自分の関心が向いて
いくと思いますのでもうこのゲームを
終わりにさせないといけないとかっていう
風に考える必要はありませんそうやって
いくちに自分は本来は価値が全く変動し
ない何も直すべきところもないそもそも
完璧なものでそれが不完全なゲームを
味わっているんだという風に理解もし
やすくなってそうすると本当に楽にきるの
死も今までよりもねもう一回り大きくなる
はずですちょっと今回は難しかったかも
しれませんがエゴに感情移入してるだけな
んだなっていう風に一言言ってみるだけで
も自分がいけない自分がエゴを使って
るっていうようなゲームの間度からも抜け
ていきやすくなりますので是非活用してみ
てくださいはいというわけで今日は感情
移入ゲームに気づき客観的な視点で楽に
生きるついて話してみましたいかがだった
でしょうか最後までご視聴いただき
ありがとうございますまた次の会でお会い
できるのを楽しみにしております
ありがとうございましたさようなら
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