大陸を横断した「紙」の歴史 (また紙の話してる…)
Summary
TLDRこの動画スクリプトは、紙の長い歴史とその発明から現代までの普及までを詳しく説明しています。紙は中国で2000年以上前に発明され、最初は文字を書くための媒体とは考えられていませんでしたが、徐々に文字記録の媒体として使われるようになっていきました。また、紙の原材料や製造技術の進歩、そしてそれが社会や文化に与えた影響についても触れています。さらに、紙が経済や文学、芸術など、人々の知的活動全体に与えた大きな役割と、それがグーテンベルクの活版印刷技術と組み合わせることで、情報伝達の革命を起こしたことも語っています。紙の柔軟性と多様な用途、そしてそれが世界に与えた影響を簡潔にまとめ、観客の興味を奮い立たせる一文です。
Takeaways
- 📜 紙の発明は中国で2000年以上前であり、最初の用途は文字を書くためではなく、他の目的で使われたとされています。
- 🌏 紙は長い歴史の中で、文字を記すためだけでなく、地図の記入や他の様々な用途に使われてきました。
- 🎨 紙の発明者とされる人物は特定の1人ではなく、蔡倫が紙の製造方法を確立したとされています。
- 🌿 パピルスはエジプトで使われた古い紙のような素材で、紀元前3000年頃に使われるようになりましたが、現代の紙とは定義が異なります。
- 🌐 紙は植物繊維を水に浸して分解し、再構成することで作られ、ヨーロッパでは中世後期から普及し始めました。
- ✍️ 中国の紙は、木や竹などの植物繊維を使って作られ、量産が可能になり、知識の伝達に大きく貢献しました。
- 📚 紙の軽さと低コストは、知識を伝える際の効率性を向上させ、また、紙による媒体の恩恵はイスラム文明の飛躍にも大きく貢献しました。
- 🔄 ヨーロッパでは、紙の製造技術が改良され、水力エネルギーを用いた自動化と、新しい原料への切り替えで生産性が向上しました。
- 📈 紙の普及と価格の安さは、ルネサンス期の経済発展や、複式簿記の発展にも寄与しました。
- 🖋️ 印刷技術の発展と紙の使用は、情報の伝達を劇的に変え、宗教改革をも引き起こす大きな役割を果たしました。
- 📰 19世紀に入ると、紙の製造が機械化され、新聞や本、雑誌などのメディアが大衆に広く普及し、社会的な議論を促進しました。
Q & A
紙の歴史はどのくらいありますか?
-紙の歴史は2000年以上に及んでおり、発明されたのは古代中国です。
最初の紙は何を使って作られましたか?
-最初の紙は植物繊維を水に浸してバラバラに分解し、再構成することで作られました。
紙はなぜ文字を書くために生まれたのではありませんでしたか?
-実際には、紙が発明された当初は文字を書くためのものではなく、後にその用途に使われたとされています。
紙の発明者とされる人物は誰ですか?
-紙の発明者としては、古代中国の再臨の名が上がることがありますが、彼以前から紙が存在したことは確かです。
パピルスと紙の違いは何ですか?
-パピルスはエジプトで使用されていた材質で、紙とは異なり、植物そのものを直接使用するのに対して、紙は植物繊維を加工して作られました。
ヨーロッパで紙が普及したのはいつ頃からですか?
-ヨーロッパでは中世も半ばを過ぎてから、ようやく紙が普及し始めました。
グーテンベルクの活版印刷は紙の歴史にどのような影響を与えましたか?
-グーテンベルクの活版印刷は、紙に情報を大量に複製できるようになり、知識の普及と文化的・科学的進歩を促進しました。
紙が普及することで何が変わりましたか?
-紙が普及することで、より多くの人々が知識にアクセスし、経済、文学、行政、芸術など、あらゆる知的活動の生産性が飛躍的に向上しました。
紙の原料として木材パルプが使用されるようになったのはいつ頃ですか?
-1844年にドイツのケラーが木材パルプから紙を作る技術を確立し、その後広く使用されるようになりました。
紙の普及がもたらした社会的な変化として何がありますか?
-紙の普及により、新聞や本、雑誌などのメディアが一般的になり、大衆が政治や社会問題に注目し始め、政治参加意欲が高まりました。
現代の私たちに紙はどれほど必要ですか?
-現代の私たちにとって、紙は依然として非常に重要で、日常生活に欠かせないアイテムであり、学習や情報伝達に不可欠です。
Outlines
📜 紙の歴史と文化的な影響
紙の発明は中国で2000年以上前にさかのぼります。最初は文字を書くための媒体とはなりませんでしたが、徐々に紙が使われ始め、文化的な発展に寄与しました。また、紙の原材料は木から来るものが多く、200年ほど前までは紙の製造方法が確立されていませんでしたが、その後紙は文化の伝達に大きく貢献しました。
🌏 紙の伝播と地域間の影響
紙は中国から東アジアに伝わりますが、中央アジアより西にはあまり伝わらなかったと見られます。中国の紙は木の繊維を用いて作られましたが、中央アジアでは資源確保が難しく、紙の製造技術が確立されるまでのハードルが高かったとされています。一方で、タラスカハの戦いが中国の紙技術を西に伝えるきっかけとなり、イスラム帝国の支配下の地域で紙が作られるようになりました。
📚 紙の製造技術と文明の発展
紙の製造技術は東洋からアラブ世界、そしてヨーロッパへと伝わっていきました。イスラム世界では、紙の製造が進化し、文明の発展に貢献しました。また、ヨーロッパでは12世紀頃から紙が史上に出回り始め、紙の普及により、知識の伝達が容易になり、ルネサンス期に芸術や文学などの分野で紙が役割を果たしました。
印刷技術の発明は、紙の利用を一気に広げ、知識の普及と社会的变革をもたらしました。15世紀にヨハネス・グーテンベルクが発明した活版印刷技術により、本の複製が容易になり、それが宗教改革を促進する要因となりました。また、紙の製造が機械化されると、紙のコストが下がり、新聞や本などのメディアが大衆に広く普及しました。
🌟 紙の多様な利用と現代への影響
紙は柔軟性があり、加工することで多様な性質を付加できる素材です。ダンボールやトイレットペーパーなど、私たちの生活に欠かせないものとなっています。また、紙幣も紙の大きな発明の一つであり、世界を変えた重要な役割を果たしてきました。紙は多くの分野にまたがり、私たちの生活を豊かにしていると言えます。
📝 紙の未来と文化的意義
デジタル技術の発展により、ペーパーレス社會への移行が進んでいますが、紙の存在は依然として私たちの生活に密着しています。紙の歴史は長いものであり、文化的な意義も高く、今後も紙の役割は続くでしょう。また、日本の紙文化や世界の紙に関するエピソードについては、今後の動画で紹介する予定です。
Mindmap
Keywords
💡紙
💡パルプ
💡印刷術
💡グーテンベルク
💡紙幣
💡ウォーターマーク
💡パピルス
💡活版印刷
💡紙の輸出
💡複式簿記
💡宗教改革
Highlights
紙は2000年以上前から中国で使用されており、発明された瞬間から文字を書くために使用されたわけではない。
最古の紙は紀元前2世紀頃のもので、中国の長安近郊で発見され、地図の一部と思われている。
紙は発明されてからしばらくしてから文字を記すために使用され始めたと見られており、その過程が不明確な部分もある。
紙の発明者については、伝説的な人物が挙げられるが、実際には紙が存在していたことが確か。
エジプトのパピルスは紙より古いが、現代的な定義で紙には入らないとされ、異なる製法がある。
紙は植物繊維を水に浸してバラバラに分解し、再構成することで作られており、その方法がヨーロッパに伝わった。
中国の紙は木の樹などの植物の繊維を使って作られ、中央アジアより西には伝わらなかった。
751年のタラスカハの戦いが中国の紙技術が西に伝わるきっかけとなり、イスラム帝国に伝播。
8世紀半ばまでに紙の製造は東方が独占していたが、その後ヨーロッパに伝わっていった。
ヨーロッパでは12世紀頃から紙が史上に出回り始め、13世紀後半には自前の紙が作られるようになる。
紙の普及により、ヨーロッパの経済、文学、行政、芸術などの知的活動の生産性が飛躍的に上昇した。
15世紀に印刷技術の発展により、紙とシナジーを通じて知識の普及が進み、社会に大きな影響を与えた。
19世紀に入ると紙の製造が機械化され、コストが下がり、新聞や本などのメディアが大衆に広く普及した。
紙の柔軟性により、様々な性質を付加できるため、ダンボールや防水加工など、多様な用途で使用される。
紙幣も紙の一大発明であり、世界を変えた重要なインパクトを持つ。
紙は本や学習の媒体として、人々の知識獲得や教育に多大な役割を果たしている。
紙の歴史は、経済、文化、社会、政治など、人類の多岐にわたる活動に深く関わっている。
Transcripts
[音楽]
うううどうしたのよマリーパトラちゃん
もうこのカストロだけはどうにかなんない
かななんか味が混ざっちゃうし時間が経つ
とぐじぐじになるし仕方ないじゃない環境
のために立つプラスチックってことだから
ねそれなら蓋を髪にしていいからストロー
はどうかプラのままにしてもろて文句言わ
ないの世の中に散歩よしなんてことは
そそうないんだからどこかで我慢が必要に
なることもあるのよま実は中の人は田舎も
の上に陰キャだから紙ストローを出すよう
な意識高い系の店に行ったことなんてない
んだけどねエア
ポーツしかし紙って木からできてるんだよ
ねそれがストローになることもあれば地を
かく薄くて柔らかいシートみたいになるの
も不思議確かに現代の紙の多くは木材を
粉砕して化学的に処理したパルプが原料だ
けどその方法が確立してからはまだ200
年も経っていないわよそうなんだそれまで
はどうやって紙を作っていたんだろう
それじゃ今回は薄いようで薄くない紙の
歴史を語ってみようかしらよろしくお願い
し
[音楽]
ます神の歴史はそれが発明された代中国
から数えて2000年以上に及ぶわいつ
初めて作られたかは例によって明確にする
のは不可能でしょう髪がない生活なんて今
からは想像もできないよねそれこそ文を
描くのに髪がないなんて確かに長い歴史の
中で神は筆記媒体として最も重要かつ優秀
だった素材と言えるでしょうとはいえ紙が
発明されたその瞬間から字を書くための
ものとして扱われたわけじゃないかもしれ
ないえ紙って文字を書くために生まれた
わけじゃないのまあ実際のところは
はっきりしないんだけど少なくとも現発見
されている最古の文字が記された髪の異物
は紀元前一世期末のものであるのに対し
文字が書かれていない神はさらに古く
紀元前2世紀頃のものが見つかっているわ
ねつまり紙は発明されてしばらくしてから
文字を書くことにも使われたってことかな
もちろん勇気物から作られる紙は長い年の
間に風化してしまうことがほとんどで
そもそも発見自体が慣れだからたまたま
古い時代の文字を記したものが失われて
しまっただけかもしれないけどねちなみに
文字が書かれるより前の紙は何に使われて
いたの最も古い紀元前2世紀頃の紙は中国
長安近郊の天水士法バタで発見されたもの
でおそらく地図の一部であると見られて
いるわまた紀元前2世紀末には編布タイマ
の繊維で作られた放送士が見つかっている
わねマルコポーロの建文によればどこまで
信用していいかは分からないけど神がまだ
著者罪として普及する以前は遅延タコ襖や
正子朝食に紙が使われていたとも言うわね
そっか言われてみれば現代だって字を書く
以外の紙の使い道なんて山ほどあるもんね
そうあまりに筆記用として優秀だからそれ
に目を奪われがちだけどそれ以外にも髪の
薄さしなやかさを考えればやはり有益な
素材だったの
でしょうなお紙の発明者としては五感初期
の再臨の名が上がることもあるけど彼以前
から神が存在したことは間違いなくサリは
むしろ効率的品質な精子法の確立者として
認知されているわねなるほどちなみにサコ
の紙って言うとエジプトのパピルスがあげ
られることもあるけどどっちの方が古いの
ふさで言うとパピルスの方が断然古いと
思われるわその歴史はおそらく紀元前
3000年頃にまで遡るからねはええ神が
2000年ちょっとの歴史とすれば
パピルスは5000年にもなるんだただ
パピルスは神のような素材ではあるけど
現代的な定義のでは紙には入らないわそう
なのパピルスは英語のペーパーの語言にも
なっているけどその製法はパピルス層を
叩いてひべったくしたものを重ねてシート
上にしたものまたインドネシアや
オセアニアでも同類の樹皮を使ったタパと
いう樹皮のが数千年前から使われていたり
5世紀頃のメソアメリカでも同様の紙に似
たシートは作られていたとかへパピロス的
な発想の品物は各地であったんだね一方で
紙は植物繊維を水に浸してバラバラに分解
しそれを絡み合って到着一種の不食布の形
で再構成したものよだからパピルスは紙の
半中には入らないわけねそういうことか
植物そのものを使うか原型をとめない繊維
上にしてから加工するかの違いだねそう
そして1度分解してつまりパルプ上にした
後再形成した紙は表面の凹凸が少なくより
筆記に適していたわただし後で触れるけど
ヨーロッパでは中世も半ばを過ぎてから
ようやく神が普及することになるからそれ
まで馴染みのあったパピルスの用語が神
製品にも受け継がれることになるわ
ね例えば聖書を表すバイブルこれも
パピルス由来の言葉ねパピルスのことを
ギリシア語でビブロスそれに書かれた
つまり書物がビブリオそこから聖書の
バイブルという語が生まれたとのことよ
はえがは大それどういう意味
が確立した静止法はクのず朝天といった
植物の繊維に織り物のボロなどを
混ぜ合わせブとキを使って水をかけながら
すりつぶすその後腰の上に薄くその資料を
広げ乾燥させるというものねその辺は今の
神月とかと大佐なさそうだねとはいえ手法
を確立するまでに色々な材料を思考錯誤し
たでしょうしその苦労は大変なものだった
と想像できるわそれ以前の中国では木間や
地貫木や竹でできた棒上の者剤やキの著者
剤である白さらに古い時代には中骨や気候
正堂版に文字が記されたわメソポタミア
なんかでは粘度版に文が刻まれたりしたよ
ねしかし紙の大量生産が可能になるとそれ
までの銃口で拡張高い著者剤を愛光する
知識人たちの抵抗はありつつも徐々に紙の
使用が浸透していくわ高級感や保存性では
一歩及ばずとも髪の軽さ薄さそしてその
コストの低さはそれまでの著者罪圧倒した
からね以前の動画では粘度版に刻まれた
メソポタミアの楔型文字もパピルスの浸透
によって筆記に敵しとアルファベット系の
文字に駆逐されていったって話だった
ね一方中東からヨーロッパではローマ時代
を通してエジプトさのパピルスが流通し
書物の媒体として使用されていたけど
ローマ帝国末期の混乱の中産地が限定さ
れるパピルスの流通は滞り代わりに容士が
主要な著者罪に置き換えられていくわこの
辺は費士の動画を参照ただし容士は耐久性
が優れる代わりにコストがめちゃくちゃ
高く大量生産も難しかったため古代末期
以降のヨーロッパでは書物は貴重品になっ
てしまったわヨーロッパには精子法が
伝わっていなかったしそれに適した繊維
植物も知られていなかったんだった
ね中国の文化力の大きな要因は神を知って
いたことに負う部分が大きかったでしょう
以前も何度か触れたけど中国当時代の体操
の所員には万間の書物があった一方同時期
のローマ教校長の図書館には数百冊が生ぜ
だったというしね紙を持っているか否か
っていうのはダイレクトに知識の習得と
伝達のコストに直結するんだねそうね古代
中国の同時期の他の世界に比べて異常とも
言えるレベルの資料の豊富さはそれを移し
伝達する紙という媒体のコストの低さと
いうのが大きな要因と言えるでしょう
神は言葉を保存しておくことと同時により
重要なことに言葉をはか遠くにまで届ける
ことを可能にしたわあ確かに私たちが
いろんな知識を得ることができるのも場所
も時代も遠く離れた人が書いた文章を読む
ことができるからだねそうそして何より髪
は軽かった実感や木管は重くてかさばる
から同じ量の知識を運ぶのも大変さは全然
違ったの紙の書物がまだ一般的でなかった
五感時代には知識人の能力を表す時には
古代分の荷車の知識なんて表現をしていた
とかなるほど一度に運べる書物の量は
すなわち情報伝達の効率性ってこと
だ書物つまり大量の情報が記された紙は東
アジアを接見した
わ1900年中国北西部の東校にてある
同士同居の層が長く封じられていた掘の
入り口を発見したその7年後に
ハンガリー人の学者スタインと別の同士が
調査に入ったところ中からは11世紀の
ものと見られる4万2巻もの書物が
びっしりと積まれていたというそのほぼ
全てが神で3万間を超える仏典や仏教の
外転アポクリファ哲学者の著作が数点同居
や授業の点さらには短編文学事業の契約書
公文書地価暦みなどもあったとのこと
すごいね封印されていた世の初って感じ
まるでインディジョーンズじゃんなおロで
11世紀を通じて作られた社本は1万冊
程度とのことねトコって白ロードで栄えた
と言っても中国の中心部から見ると辺境だ
もんねその隠し部屋1つでそのレベルとは
この掘が封印されていた理由は不明なもの
の膨大な量の書物ひてはそれに書かれた
色々な人々の思想や情報が後範囲に移動し
ていたことを示す証となったわ神には墓地
を通して人の言葉や思想が封じ込められて
さらに運搬がしやすいから文化の伝達も
また容易になったってことだ
ね早ければ5世紀頃少なくとも7世紀初頭
には神とそれを作る専門知識は朝鮮半島を
通じて日本にも伝わっていたと見られるわ
インドに生まれた仏教が東アジアを接見し
たのも紙によってその教えが広く伝達され
たのが大きな要因と言えるだろうし反対に
紙が広まったのも仏教のおかげだとも
言えるわね三蔵方士もありがたい点を取り
にインドまで旅をしたって話だからね文化
と神はすごい死地を生むわけだベトナムは
3世紀に漢字を取り入れ一緒に精子技術も
導入したけど仏教の伝来と紙の使用はその
1世紀ほど前には伝来していたと見られる
わね紙の使用は始まってたけど精子技術を
取り入れたのは後ってことはそれまで紙は
中国から輸入していたってことかなそう
いうこと中国にとって紙は木のほど重要な
輸出品とは言えなかったけど輸入側から
すれば時国内で作れない紙という資源はな
ものだったわそして中国から紙が伝わった
地域内では同時にそれとセットの文化
つまり漢字が伝わりやすかったのだろうと
いう想像がつくわねあなるほど日本は今で
も朝鮮やベトナムは割と最近まで漢字を
使用していたもの
ね一方中国の西方中央アジアより西には
精子法の伝達はあまりはらなかったようね
中国の神は朝やの木の樹などの植物の繊維
を使って作られだけど中央アジアの感想
機構ではそうした植物資源を確保する
ハードルが高かったことも原因と思われる
わあそういえばシルの話の会でも似たよう
な事情があったねシルそのものは正法に
伝わったけど気候的に解雇の餌になるクの
栽培が難しくてなかなか要さも伝わら
なかっ
たってまた3世紀のクシーナ町の滅亡以来
中央アジアは小国の分裂状態か生ぜ遠方の
帝国に真重するくらいで政治的安定にかけ
たわ
文化権からの距離とそれを隔てる砂漠など
の厳しいフードそれに安定した大きな政治
力の欠如などが精子技術が西側に伝わる
障壁になっていたのかもしれないねなお
チベットでは7世紀頃から独自に紙を作り
始め同時期にインドから使い勝手の良い
文字を取り入れて改良精子法と漢字の電波
がそれより西には及んでいないことを
考えると中文明の限界点がこの辺なのかも
しれないわねで中国の精子技術がそれより
西に伝わったのがタラスカハの戦いっての
がきっかけだって聞いたことがあるよその
ように言われているわ751年現キルギス
のタラス川のほりでイスラム帝国の
アパース町が中国の東王長の軍と戦った
出来事ね世界史上の猪木アセと呼ばれる
長大国同士の一大決戦だよねあなた世代は
タラスカハの戦いはイスラム軍が勝利し
捉えた多数の捕虜の中に精子技術者が含ま
れていて彼らが法に精子法をだとされて
いるわねじゃそこで西側の人たちは初めて
神を知ったのかなただし11世紀の
ペルシアの歴史家が伝えるこのエピソード
はどれほど事実に即しているかは疑問布も
つけられているみたいあそうなんだ
たまたまその時期に正法でも静止が始まっ
たからその戦いに精子法の電波が帰属され
たってことなのかなままここで話しても
拉致が開かないしとりあえずこの頃に精子
法が伝わったという手で話していき
ましょう
確かにその8世紀半ばの時点まで紙の製造
は東方が独占していたけどシルクロードや
スパイスルートを通って商人たちは髪も
また方に運んでいたわ6世紀の佐三
ペルシアの王ホスロー一世は新し物好き
だったらしくトルコ系遊牧国家血の加川
から来た所管に対し紙で変をしめたという
ことねへ当時のさだと士パピルスが主流
だったよねそうなんだけどホスローは士
特有の臭さが嫌で自分の使う書類には
サフランで色付けして荒香水で香り付けし
た中国の髪を用いていたとか女子力高い
なそんなこんなで中国発生の精子技術は
次第に正法に伝わっていったただし法には
東方で使われていたような材料がそのまま
あったわけじゃないから電波先で新たな
材料を思考錯誤しつつ製造法を再確立し
なければいけなかったわだからまたにが界
を制覇するってわけにもいかなかったんだ
ね朝は正法でも手に入ったけどクや高と
いった植物はそういうわけにもいかなかっ
ただから中央アジアより西ではボロボロに
なったアなどの布を水につけ発行させた後
に粉砕してほぐしそれを空いて紙にすると
いう手法が長く採用されたのそっかその
まま紙にできた都合のいい植物って貴重な
んだねタラスカハの戦いの後イスラム教徒
が支配したサル感度では朝とアを減量と
するか神が作られそれはまた琢磨に有名に
なったわ794年もしくは795年には
ハールーンラシード地下のバグダードで初
の静子書が解説され850年頃には
ダマスカスほどなくイエメン950年頃に
はトリポリにも1150年頃には当時
イスラム教徒の領域だったスペインの八花
まで精子工場は進出していたわねゆっくり
だけど着実に紙を作る技術は伝わっていっ
たんだね神による恩恵はやはりイスラムの
文明の飛躍に大きく貢献したわアッパース
町の図書館の総称が数千から数万冊と言わ
れるのに対しビザンツ帝国では主要な図書
館でも数百冊あればいい方だったみたいだ
からねやはり量産型こそ
正義10世紀の間にはパピルスの仕様は
すっかり紙にとって変わられたようで
ナイル川流域アシリアでは朝とアを使った
サマルカの市に似ているけどより上等な紙
が作られるようになっていたとのこと
そして長らく貴重な用士を使用しそのため
に書物の生産が長い間滞っていた
ヨーロッパにもイスラム世界を通じて精子
法がもたらされることになる
わヨーロッパではようやく12世紀頃から
神が史上に出回り始める
コンスタンティノープルで売られる
ダマスカスさんの神シチリアを経由して北
アフリカさんの神そしてイベリア半島さん
の神がイタリア人をはめとした商人によっ
てもたらされたわその頃はあくまで精子
技術じゃなくて神そのものが輸入されてい
たんだねそうしかしヨーロッパ人にとって
当時主流だった陽史に比べていかにも神は
品質が悪くて信頼がないと見なされたの
数百年も伝統的に聖書に使われていた容士
に対して神は京都の手による産物だったと
いう意識もあったのかもね神聖ローマ帝国
の皇帝フリードリヒは123年の例におい
て共の告知や記録に神を使用するのを禁止
したわ神には士ほどの耐久性はないと考え
て
ねしかし数年後には自らの政府機関がその
金霊を破る第1号となるのなんじゃそら
やはり紙の価格の安さは魅力だったのね
1291年にボローニャの工場で作られた
紙は容士の6の値段だったというからね
その頃にはヨーロッパでも自前の髪が作ら
れていたってことだヨーロッパ初の本格的
な精子工場と見られるのは1276年の
イタリアファブリアーノに建てられた工場
1350年代にはこの町は精子工業で有名
になりバルカン半島や南イタリアシチリア
にも紙を輸出するようになっていたとの
ことねへ今まで輸入していたのとは逆の
方向に紙を輸出できるまでになったって
ことなんでそんな急に競争力をつつける
ことができたん
だろまさに時代と神の製造技術が
ヨーロッパにはまったというべきかほう紙
を作るには原料となる植物繊維やボロ布を
粉砕してドロドロにする必要があったけど
12世紀のモロッコではそれを人や動物の
力でイウを回して行っていたわふんふん
それが13世紀後半の北イタリアの記録で
はどの精子工場も水力エネルギーつまり
水車を使ってその作業を行っていたとの
ことしかもその原料をイウで引いて細かく
するという設備は穀物を低に少し手を
加えるだけで稼働することができたのあ似
たような話を以前聞いたような糸の海での
精子工場の発展も同じような事情があった
わねあれはもう少し後の時代だけど同じ
ようにそれまでにあった技術を流用する
ことで圧倒的な生産性を生み出すことが
できたのそっか元々持っていた
テクノロジーが外国から導入した産業と
相性ばっちりだったんだね縦型水車は中世
ヨーロッパの生み出した画期的な動力装置
これで人力や蓄力に頼っていたイスラーム
世界に大きなアドバンテージをつつける
ことになったわなるほど水量が多くて流れ
が急な川がある土地ならではの技術だそう
なると北アフリカやアラブ世界では部が
悪いというのはイメージできるわ
ねさらにヨーロッパ人は紙の製法にも改良
を加えたわ東洋やアラブの紙は主にココや
米の電文を使ってサイジングいわゆる
乗り付けをしていたわこれは繊維同士を
くっつけるのにに加えて表面を
コーティングして滑らかにするための添加
物ねああ文字を書きやすくするためねこれ
を13世期末のイタリアの精子業者は動物
から取れるゼラチンに変更したのこの方法
によりずっと透明で滑らかパリッとした
丈夫な神に仕上がったわこれは従来の陽士
の書き味に近づけるための工夫だったの
でしょうそれが防水性にも優れ虫にも食わ
れにくいという多くのメリットを生み出し
たわへえ
すごい時代をごとに精子工場はイタリア
から北上し14世紀の後半にもなると
フランス北部のトロアやドイツの
ニュルンベルクまで進出それまでは神の
供給を輸入に頼っていたヨーロッパ北部で
も自給ができるようになったの最初の方に
見せたヨーロッパにおける社本の制作数の
推移も正式技術の普及と補聴を合わせた
ように急増しているのは偶然ではない
でしょうおある時点から急激に増えるなと
思ってたけどそういうことか12世紀は
イスラム世界に精子技術が生き渡った時期
で14世紀はヨーロッパで自給できるよう
になった時期だ中世後期になると
ヨーロッパでも紙の原料となる朝やアが
多く栽培されるようにもなり水車による
自動化も合って高品質かつ低価格な紙を
量産できるようになるわ12世紀には神は
ヨーロッパの一部で政府や証人の記録文書
に使われるのが生ぜだったけど13世紀に
は会計や私的な手紙本にも使われるように
そして14世紀末になるととヨーロッパ
全体で容士をはかにしのぐシェアを誇る
ようになったのなるほど価格が安くなった
のもそうだし品質の向上というのも大きな
理由になりそうだねまた14世紀初頭の
イタリアで複式簿記の導入をはめとした
優れた会計技術が生まれたのも紙の普及が
一員になったとも考えられるわねそっか紙
がそれまでよりも手軽に使えるようになっ
たから帳簿なんかもつけやすくなるのか
会計は地味だけど経済を大きくする
リスクを可視化することでできる限りの
利益の最大化を狙って投資することが可能
になるからねルネサンス機のイタリア所
都市の経済発展は紙による恩恵を抜いて
語ることはできない
でしょうちなみに原料を水につけて粉砕し
た溶液を目の細かい素救い上げて水分を
抜くことで紙に仕上げるという紙すきの
手法は東西とも変わらなかったけどその際
細かい素の編み目の跡がうっすら紙に残る
ことになるわこれはウォーターマークと
呼ばれね水が残した後ってことねこれは法
上どうしても避けられないことだったけど
精子業者はこれを逆手に取り細い真鍮線を
素の上に縫いつけ紙に自分の工場の
シンボルマークやロコが透けて見えるよう
にしたのあなんかイラストレーターさんと
かが権利保護のためにうっすら名前とか
ロムマークを絵の一部に表示させるのを
ウォーターマークって言うけどそう元々
こうした精子業者が商標を模様として
入れ込んだすかしのことねなるほど
そして容士に比べてあかなと言っても現代
と比較すると高級品だけど紙によって強制
や文学のみならず芸術の分野でも確信が
起こるわ芸術15世紀を生きたレオナルド
ダヴィンチが膨大なスケッチを残せたのも
気軽に使える神があったというのが大きい
でしょうこれにより人々は存分に生や素行
の訓練を積むことができるようになった
ルネサンス機に芸術表現が急に実的になる
のは思想や信仰への考え方の変化だけでは
ないでしょうねそそっかもしかしたら古代
ローマ末期から中世にかけて実的な表現が
減っちゃったのはパピルスという安価な
著者罪の供給が立たれたのも要因だったか
もともあれ豊富な神の出現により
ヨーロッパの経済文学行政芸術その他
あらゆる知的活動の生産性は飛躍的に上昇
したわそして15世紀に入るとさらに神と
シナジーを生み出す技術の発展により社は
もう1段階時代進化を遂げることになる
の1450年頃ヨハネスグーテンベルクは
ドイツのマインツにて印刷所を設立した
グーテンベルクは近在福士で彼が導入した
カパ印刷は金属に文字を浮き彫りにした勝
を組み合わせて並べることであっという間
に大量の文章の複製を可能にするものだっ
たわ印刷っていうのはそのグーテンベルク
さんが発明したの彼が独自に発送したと
いう可能性もなくはないけどその辺は
はっきりしないわ少なくとも記録に残る初
のカパ印刷校長が彼のものということね
しかしそれまで手書きで本を書き写して
複製していたと考えると生産性爆あがり
まったなしだねそれまで印刷という発想
自体がなかったわけではないわフクは中国
で少なくとも7世紀には本という印刷の
走りみたいなことが行われての
本例えば石碑など硬い素材に刻まれた名分
に紙を濡らして密着させる掘った部分にも
紙が入り込んで密着すれば文字や図の部分
がへこむことになるわねうんうんその張っ
た紙の上からタポに含ませた炭をポンポン
と乗せていくとへこんだ文字の部分だけ
白く残ることになるあは張った紙を石碑
から剥がせば黒い背景に白い文字が
浮かび上がったネガ的な輻射が手に入ると
いうわけなるほど
なんか教科書とかで見る昔の名文科の書と
かって黒い背景のものが多いけどあれは
脚本で映しとったものだからなんだね中国
では用途に応じて誰でも脚本を取ることが
できたということでこれが民間の式事率や
共用レベルの向上に貢献したことは間違い
ないでしょう柔らかくて薄い神ならではの
アイデアだ
ね7世紀には大きな木星の板に反転した
文字を浮き彫りにすることで1ページ丸
ごと反古にして輻射できる木版印刷が登場
巻き物が主流だった中国の書物が徐々に
殺し本に移行していったのもこの木版印刷
との相性が良かったからじゃないかとも
思えるわ
ねそして1040年代には中国の役人の
必勝という人が1つ1つの漢字を粘度版に
掘りそれを金属の班にはめ込むカパ印刷を
発明したのあすでに11世紀には中国で
カパ印刷が発明されてたん
だしかし問題はこの画期的な技術との相性
が絶望的に悪かったことね例えば中国の
代表的な古典である1行には644士の
漢字が使用されていてページ内での重複も
加味すると20万から30万の活が必要だ
とのこと全部手作りでするしかなかった
時代だとそり作るのも使うのも管理するの
も大変すぎるねおまけに粘度で作られた勝
はもく保守も大変だったわそんなわけで
必勝の発明は実用品というレベルには到達
しなかったのでそれが400年以上も後の
ヨーロッパで実用化されたとそう
アルファベットという30文字前後の文字
体系はこのカパ印刷との相性はばっちり
だったわけ
ね16世紀になるとそれまでラテ語や
ギリシア語で書かれ限られた人にしか読め
なかった聖書がドイツ語英語フランス語と
いった民衆語へと翻訳される動きが加速
安価な神読みやすい言語そして大量生産が
可能になったカパ印刷技術によりそれまで
不裕層や生殖者に独占されていた聖書が
一般の人にも読めるようになったのそれ
まで普通の人たちは聖書そのものを読む
ことができなくて教会の主体さんたちに
内容を教えてもらうしかなかったのよね
そうそれが聖職者の重要な任務であり彼ら
が迷える子羊つまり一般の信徒を教え導く
役目をしと言った
わしかし多くの人が自分で聖書を読める
ようになると教会の権威も相対的に下がっ
てしまう
そして自分で読んでみると聖書の内容と
教会の教えとのギャップに違和感を持つ人
も現れ
始めるでその結果がそう宗教改革ね詳しく
触れるときりがないけど聖書の解釈をこと
にした多くの人がカトリック協会を離反し
てプロテスタントに新たな思想の芽ととも
に多くの争いも引き起こしいろんな意味で
ヨーロッパ世界を激変させる言動力になっ
たのこれはバタフライエフェクト
紙の進化はまだ止まらないわ印刷技術が
生まれても原料が限られること紙をすく
作業は手作業だったこともありコストは
まだまだ高かった18世紀フランスの
ディドロとダランベールによる百貨全所の
制作時の会計記録によると神台が原価の
67にも達したとかなるほどまだまだ紙が
高い時代だったん
だしかし19世紀に入ると神をすく作業
まで機械による自動化が実現するわ
1798年フランスの精子工場の職員で
あるルニコラロベールが自動精子期待を
発明その後ロベールの上司であった職長の
義の弟が設計スをパってイギリスに飛び
そこで特許申請イギリスの精子業は工業家
の道へ歩み出すわなんか以前の動画で糸を
作る機会もられてイギリスに持ち込まれて
たよう
なまた正式技術が上がっても原料となる天
やボロ布の供給に悩まされていたけど
1844年にはドイツの作戦にて旗の
ケラーが木材パルプから紙を作る技術を
確立お現代の紙の原料って大体が木材
パルクだったよね当時はその品質は枠だっ
たというけどとにもかくにも安価な材料で
大量の紙の原料を確保することができる
ようになるわ品質なんかはそのうち研究を
重ねて上がっていくものだもん
ねこうしたももの課題を着実に乗り越え神
はり的なものに変わっていくわ1861年
のイギリスでの紙の生産量は9万6000
Tだったのが1900年には648Tに
なっているとかまた1800年のアメリカ
では1000Tその100年後には
280万Tに達しその間に新聞の値段は
1/4になったというわはええ
すっごい大量の紙の普及により新聞や本
雑誌などのメディアが多くの人の目に
触れることになり大衆は目の前の生活のみ
ならず政治や社会といったそれまで遠い
ものだった問題に議論を交わすようになっ
たまさに神が全ての人に政治に参加する
意欲を持たせたということか
なフランス革命の頃もセンセーショナルな
大衆負けパンフレットが私たちのあること
ないこと不調したおかげで死ぬほどアンチ
が湧いてたんだよねあ
はいペーパーレスとか本の電子家などが
進む昨今だけど紙のない生活なんて現代の
私たちには想像もつかないわ放送士のない
食べ物は衛生的にちょっと不安もあるし
トイレットペーパーがないと思うとぞっと
しちゃうもんね中の人のおばあちゃんも
オイルショックの時にはトイレット
ペーパーを買いに走ったっていうものね
2000年前にサイリが確立しクテン
ベルクが新たな命を吹き込んだ神は現在も
私たちの生活を包み込んでいるわ
ねとまあこれが神と世界の関わりの歴史ね
うーむ神ストローはあれだけど紙は偉大だ
なそうね加工次第でいろんな性質を付加
できる柔軟性も紙のメリットの1つ
でしょうねダンボールにしたりローを引い
て防水にしたり荒く作って空気を通すよう
にし
たりあと今回は触れられなかったけど紙出
てきた紙幣も世界を変えた大きな発明ね他
にも紙にまつわるいろんなことがあるんだ
けどそれは今後の動画の中でちょいちょい
入れ込んでいくくらいにしましょうか
それだけ神のエピソードはいろんな分野に
またがってるってわけだそうそしてそう
いういろんな分野を学ぶにも紙でできた本
という媒体を解することによって本で学ぶ
といえば
えネリアドーラさんからファンアート
いただきましたおお図書館で学ぶ私たち何
の教科書読んでるのかは謎だけどうーむわ
風のキャンバスに手書き見あれる和風
イラストまさに今回の解説にぴったりの絵
をいただけたわね
今回日本の紙の文化には手を伸ばさなかっ
たけどそのうち動画にしてみたいテーマで
もあるのよねイギリスの研究者さんが書い
た紙の歴史の本に中の人の住む地元県の神
の神様を祭る神社が紹介されていて
びっくりだったのよねおっとこれ以上は
地元バレしちゃうから多分よいや
ちょいちょい匂わせてるけど
ねというわけでご視聴ありがとうござい
ましたありざまた次の動画でお会いし
ましょうバイバイOG
[音楽]
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