岡田斗司夫「30代までは人生の伏線です。」『ドラゴン桜』作者の意識低い成功法則について解説します。
Summary
TLDRこの動画スクリプトは、漫画家・三田ノフ先生の人生哲学と成功ストーリーに焦点を当てています。三田さんは、30歳で借金を背負って漫画家デビューし、独特の思考方法で大ヒット作品を生み出しました。彼は人生を「伏線」に例えて、20代と30代はまだ準備段階だと語り、人生のクライマックスは若い頃ではないと強調します。また、三田さんの経験から学べるポイントとして、個人内多様性の大切さや、フィードバックを通じて自己成長を促す方法が紹介されています。さらに、三田さんの人生には商売や剣道などの経験が漫画創作に転じ、成功に貢献していると語ります。最後に、AI時代に必要なスキルについて触れ、多角的な学びの重要性を強調しています。
Takeaways
- 📈 三田先生は、30歳まで漫画家になる夢もなかったが、借金を返済するために漫画を書き始め、大ヒット漫画家になる。
- 🎓 大学時代の経験が、後になって漫画のストーリーに活かされた。三田さんは、自分の身近な経験を漫画の題材にしている。
- 💼 三田さんは商売の経験を漫画制作に転じて、細やかな心霊描写や見場の構成を学んだ。
- 👕 実家がスーツの仕立て屋で、その経験から漫画のネーム作りのスピードが身につく。
- 🤺 剣道部の経験から、戦略的思考や相手の攻撃を読み解く力が身につけ、漫画のストーリーにも活かされた。
- 📺 三田さんはテレビを通じて多くの情報を吸収し、それが漫画の創作に寄与した。
- 🏆 小学校1年生の時に絵を描いて賞を受賞し、フィードバックを通じて絵を改善するスキルを身につけた。
- 📚 三田さんは、自分が書いた絵が賞を受賞した理由を知り、それに基づいて作戦を立てた。
- 🧐 三田さんは、フィードバックを通じて自分のスキルを向上させ、転移学習を活用して漫画家としてのキャリアを築いた。
- 💡 三田さんは、個性的な才能や情熱ではなく、効率的な方法で漫画を書くことで成功した。
- 📚 三田さんは、自分の人生を振り返り、過去の経験が現在にどのように繋がっているかを発見した。
Q & A
三田ノフ先生が30歳で漫画家になるようになった動機は何ですか?
-三田ノフ先生は、借金を返済するために、金を稼ぐため漫画家になりました。彼は30歳手前で漫画を書き始め、最初の作品は落選しましたが、その後講談社の新人賞に入選しデビューしました。
三田ノフ先生が漫画を書く際のアプローチはどのようなものでしょうか?
-三田ノフ先生は、自分の身近なテーマを選ぶようアドバイスを受け、実家が経営する商売を題材に漫画を書いていました。また、彼は漫画の構成を決めることで、効率的に作業を進めることができました。
三田ノフ先生が漫画家として成功した要因は何ですか?
-三田ノフ先生は、個々の経験を転移学習することで、漫画のストーリーやキャラクターの設定、構成を工夫しました。また、他人からのフィードバックを活用し、自分の作品を改善する姿勢も成功の鍵となりました。
三田ノフ先生が漫画に人生経験を反映させた具体例は何ですか?
-三田ノフ先生は、実家が経営する商売を題材に漫画を書いていました。また、高校時代の剣道部の経験を、漫画のストーリー構成に転用していました。
三田ノフ先生が言及している「転移学習」とは何ですか?
-転移学習とは、ある分野で身につけたスキルや知識を、別の分野に応用することを指します。三田ノフ先生は、商売や剣道などの経験を漫画作成に転用することで、新しいスキルを身につけ、漫画家としてのキャリアを築きました。
三田ノフ先生が漫画を書く際に意識していることは何ですか?
-三田ノフ先生は、漫画を書く際に「見場」と「説明パート」のバランスを意識しており、ストーリーの進行と見場の配置に細かく配慮しています。また、商売で培ったスキルを漫画作成に転用し、効果的に作品を完成させています。
三田ノフ先生が提唱する「個性から大ヒット漫画になる」とはどのような哲学に基づいていますか?
-三田ノフ先生は、個性を捨てずに自分なりの方法で漫画を書くことが大切だと提唱しています。彼は、無駄な努力を避けながらも、自分に合った方法で効率的に仕事をすることで成功を収めました。
三田ノフ先生の人生で、何が最も大きな転機となったと感じていますか?
-三田ノフ先生にとって、借金を抱えていた時期に漫画を書き始め、それが彼の人生の転機となりました。借金の返済を目的とした漫画デビューが、彼の才能を発揮する場となりました。
三田ノフ先生が漫画家として成功するために、何を大切にしましたか?
-三田ノフ先生は、他人の意見を聞くことやフィードバックを活用することが重要だと感じています。また、自分の経験を活かし、転移学習を活用することで、漫画家としてのスキルを向上させました。
三田ノフ先生が漫画のストーリー構成で意識しているポイントは何ですか?
-三田ノフ先生は、漫画のストーリー構成で「見場」と「説明パート」のバランスを意識しており、ストーリーの進行と見場の配置に細かく配慮しています。
三田ノフ先生が提唱する「個性から大ヒット漫画になる」の具体的な方法とは何ですか?
-三田ノフ先生は、個性を活かしたストーリーやキャラクターの設定、自分に合った方法で効率的に仕事をすることで大ヒット漫画を作りました。また、自分の経験を活かし、転移学習を活用することで、漫画家としてのスキルを向上させました。
Outlines
😀 人生60代で意味が分かる、30代までは伏線
岡田敏夫さんの切り抜き動画に触発され、人生のクライマックスは若い頃ではない、20代30代はまだ伏線の段階だとか。三田ノフ先生の自伝本を通して、30代でようやく人生の意味が分かってきたという話が紹介されました。三田さんは30歳で漫画家デビューし、個性的な考え方で大ヒット漫画を連発。成功する人のプロフィールを見ると、ベストショット以外はフォーカスされないが、三田さんの考え方は個性的な個々人のストーリーが重要だと示す。
📚 三田ノフの人生と漫画家としてのキャリア
三田ノフは大学卒業後、西武百貨店に就職し、父親の死後、約1億円の借金を背負って家業を手伝うようになります。借金地獄から抜け出すために漫画を書くことを決意し、30歳でデビュー。三田さんは商売人として培ったスキルを漫画制作に転じ、個性的な作品を生み出しました。
🎓 個人内多様性と転移学習の重要性
個人内多様性とは、1人の中で多様な視点や経験を持つことでイノベーションを促進する能力です。三田ノフは多様な経験を通じて漫画家としてのスキルを鍛え、転移学習を活用して成功を収めました。また、フィードバックを通じて自己改善し、他人の意見を客観的に受け入れることの大切さが語られました。
🎨 三田ノフの絵を書くコツと賞を獲得
三田ノフは小学校1年生の時に絵を書くコツを身につけ、絵コンクールで賞を獲得しました。絵を書く才能は別にして、章を取るコツを掴むことができたとされています。また、三田さんは決められたことをやれる傾向があり、自由にすることが不得意という特徴も明らかになりました。
🏆 三田ノフの転移学習とフィードバックの活用
三田ノフは剣道部の経験を漫画制作に転移学習させて、ストーリー構成や表現力を向上させました。また、フィードバックを通じて自分の課題を明確にし、それを改善することでスキルを深めました。三田さんは自分の絵が賞を獲得した理由を審査員から学び、それに基づいて絵を書く方法を改善しました。
📈 AI時代に必要なスキルと多様性の重要性
AI時代に必要なスキルとして、多様性の重要性が強調されました。三田ノフのように、多様な経験を通じてスキルを獲得し、転移学習を活用することで、新しいスキルを身につけることができます。また、フィードバックを通じて自己改善し、他人の意見を客観的に受け入れることが、成功への鍵となります。
Mindmap
Keywords
💡転移学習
💡個人内多様性
💡フィードバック
💡剣道
💡商売
💡30代までの伏線
💡漫画家
💡人生のクライマックス
💡努力
💡大ヒット作品
Highlights
岡田敏夫さんの切り抜きの動画で人生の意味が60代になってようやく分かってきたという話題に触れています。
20代30代は人生のクライマックスではなく、まだ伏線の段階だと述べています。
漫画家三田ノフ先生の自伝本が紹介され、30代までを伏線として扱い、人生の意味を見出しました。
三田さんは30歳手前で借金のために漫画家を始め、独特の考え方で大ヒット漫画家になりました。
三田さんの人生は、結果を出すこと重視する意識の低さから成功しました。
三田さんは自分の人生に必要なことは商売と剣道が教えてくれたと語っています。
三田さんは小学校1年生の時に絵を描いて賞をとる経験から、コツを掴むことができました。
三田さんは高校生の時、成績順でクラスが分かれる新学校で、1番下のクラスにいましたが、剣道で大学進学の道を模索しました。
三田さんは受験失敗後、テレビを通じて質の高いコンテンツを大量に吸収し、それが漫画科に活かされました。
三田さんは転移学習を活用し、漫画のストーリー構成に商売や剣道の経験を応用しました。
三田さんは個性を捨てずに、自分の得意なテーマで漫画を書くことで評価され、成功を収めました。
三田さんはフィードバックを重視し、賞を取った絵に対する審査員のコメントを分析して作戦を練出しました。
三田さんは人生のベストショットだけでなく、99%の伏線部分を大切にし、そこから学びを引き出しました。
三田さんは自己評価を客観視し、フィードバックを通じて自分のスキルを向上させ、成功に導きました。
三田さんは人生を楽しむ姿勢で、様々な経験を通じて意図しない形で学びを積み上げ、最終的に漫画家としての成功を収めました。
三田さんの経験から、努力家である必要はなく、効率的な方法で勝つことができると示されました。
三田さんは自分の人生哲学として、「個性から大ヒット漫画になった人」という視点を提供しました。
三田さんは転移学習の活用とフィードバックの重要性を通じて、個人内多様性を高める方法を示しました。
Transcripts
意識の低さから大ヒット漫画になった人
はい皆さんこんにちは刀剣の姉さまです
今日のテーマは30代までは伏線です先日
岡田敏夫さんの切り抜きの動画で気になっ
た動画がありました60代になって
ようやく人生の意味が分かってきました
若いうちが人生のクライマックスだなんて
思わないでください20代30代は
まだまだ伏線の段階ですこちらの動画見
ますと岡田さんはこんなことをおっしゃっ
ていましたはっきり言って20代30代
なんていうのは映画のabcdEパートが
あったらAパートです60過ぎたら伏線
回収に入ってくる過去の経験過去の体験俺
の家族にこんな意味があったのかという大
発見がある人生面白いなと中には6070
は花小僧という人もいて楽しみと若い頃が
人生のクライマックスだなんて絶対に思わ
ないようにしてください30代までは伏線
ですという話ですねこれま聞いて私自身も
こう勇気とかなんかこう希望をもらって
いい話だなという風に思うんですけれども
までもこう分かるような分からないよう
そんな感じですねなんとなくまこの動画が
私の頭の中に記憶されていたんですね
そしてちょうど先日ある漫画家さんの自伝
本を読んでいたら岡田さんが言っている
ことってこのことかなっていう風になり
ましたその本がこちらです三田ノフ先生の
自伝本ですね僕は漫画かき行けてない男の
人生大学転劇と三田さんは皆さんご存知
ドラゴン桜とかアルキメデスの対戦黒感
インベスターZなど生み出した大ヒット
漫画家さんですねこの動画の視聴者の方も
好きな方は多いんじゃないでしょうかこの
本は漫画ではありません三田さんは
1958年の生まれで現在66歳ですね
岡田小さ理論で言うと伏線開始の
タイミングに入っている年頃だと言えます
三田さんは大ヒット漫画家さんですけれど
も漫画家にしてはちょっとおきの人で漫画
を書き始めたのは30歳手前でですねお金
のために漫画家になったケな方です三田
さんは自分のことをこのように言ってい
ます人なみ外れた才能も情熱もない将来の
夢もない努力はしたくないが結果は欲しい
タイプだとでこの本の説明書けにはこんな
風に書かれていますドラゴン桜クカ
アルキメデスの対戦などのヒット作で知ら
れるベストセラー漫画家見たノフさんは
30歳になるまで漫画家になることなど
無双もしていなかったそれどころか子供の
頃は取り立てて人並み優れたところもなく
何かに憧れるということもなかっただから
人から将来の夢はと聞かれることがとても
嫌だったというそんな子供時代から始まっ
た人生は時よりとんでもない風に見舞わ
れるのだが後々振り返って見ればその
そのものが幸運へのきっかけになっており
まるで人間万事西陽が馬の孤児を自でいく
ような反省を送ってきたのだ夢のない少年
時代図らずも巨大な借金をさうことになっ
た20代漫画を書いても書いても売れ
なかった30代そんな彼が奥の金を稼ぐ
ようになったその大逆転の根底には三田
さん独特のユニークな考え方があったこの
三田さんの思考方法は今現在窮地に陥っ
てる中高年将来に夢を抱けない若者たちに
とって大いに参考になるはずだということ
ですねめちゃくちゃ面白そうじゃないです
かで三田さんのことをですね無理やり一言
でまとめると三田さんはですねボ個性から
大ヒット漫画になった人と言えるかなと
思いますまつまりま自分はこれがいいって
いう主義主張こだわりっていうのもないし
夢のために努力するっていうよりはどうし
たら効率よく楽ができるかという意識の低
さから大ヒット漫画になった人だと言える
かなと思います成功された方のプロフィー
ルって人生のベストショットの切り抜きな
のでベストショット以外の99%の部分に
はフォーカスが当たらないのが普通だと
思いますなので並べられたベストショット
だけ見てあの人は才能があった運が良かっ
たっていう言葉で片付けられちゃうんです
よねでみたさんご自身も自分は運が良かっ
たという風に言ってるんですけれども
じゃあその運を価格的に引き寄せるには
どうしたらいいのかについて考察してみ
るっていうのがこの動画の趣旨になって
ますということで今日のポイントは3つ
ですえボツ個性から売子漫画になった話の
ところでま最初に三田さんのご経歴を簡単
にご紹介しまして2つ目がコツを掴むのが
うまい人の特ということで三田さんのご
経歴から私が分析したものをえここで述べ
させていただきます3つ目のポイントが
個性を捨てて型にはまれですねえこれらに
ついて解説していきたいと思い
ますそれでは1点目のトピックですポツ
個性から売子漫画になった話ですねえ三田
さんは岩手県の出身でスツの仕手をする
テーラーのあの生まれで父親が経営者だっ
たそうですで三田さんは大学を卒業しまし
て西武百貨店に就職しますで親が働詰め
だったのを見てまもう俺はサラリーマンで
十分だなという風に思っていたそうです
向上心がないんですねあのご自身でも
おっしゃってるんですけれどもで就職して
1年足らずで経営者の父親が倒れてしまい
ますでその時になんとですね約1億円の
借金があることが発覚しましてで三田さん
はあの1年足らずで会社を辞めまして家業
をま寺屋さんを手伝うことになりますでな
んですけれどもま借金がですねまかなりの
額に膨れ上がっていまして29歳の時に
ですねあの借金地獄から抜け出すためにま
金目当てで漫画を書き始めるこれが三田
さんが漫画を始めた同期ですね最初の同期
ですある日ですね小学科のビッグコミック
の新人賞の応募をしているのが目に入って
初めてそこで三田さんは漫画を書いて出し
たところですね最終先行まで残ったんです
けれども最初の自分で書いた作品っていう
のは落選してしまいました次にですねあの
講談者の千葉哲也賞のま新人賞に入選し
ましてそこで漫画家としてデビューします
でこの時賞金50万円を手にされたよう
ですそして3作品目となる空を切るで月刊
漫画の連載がスタートされますそして
もちろん漫画家だけではあの食べていける
状態ではないのでテーラーのお仕事をし
ながらそして漫画を書くという2速の
わらじ生活をましばらく続けていたと漫画
のお仕事ちょこちょこ引き始めましてま
そのタイミングぐらいであのテーラーのお
仕事っていうのはやめてらっしゃいます
32歳の時にですね空を切るの連載が終了
しましてそのタイミングと同時ぐらいに
担当編集の方が移動して仕事がこうパタッ
と来なくなってしまったそうなんですで
この直前ぐらいに三田さんご結婚されてる
んですけれどもま新婚早々ひ生活になって
しまったわけですよねで紐生活の中で皆
さん何してたかっていうとテレビを見続け
ていたそうですまこれだけ聞くと働けよて
思うかもしれないんですがま三田さんは
その漫画家としてテレビを見ていたという
ことですねまキャラクターの設定だったり
とかま構成だったとかその脚本だったりと
かっていうのをまプロ目線で分析しながら
あの勉強方見ていたということでしたで
そのタイミングぐらいで出版社からですね
あの東京に来ないかという風に言われて
あの東京に出ていくことになりますでこの
時の三田さんていうのはま連載貧乏の状態
ですねいわゆるえ漫画科さんっていうのは
連載した作品が単行房になって陰線が入ら
ない限りですねどれだけ仕事が増えても
生活は楽にならないわけですね三田さんは
実はかなり多作の人で1988年に
デビュー作が雑誌に掲載されてから
2022年までの35年間で60作品出さ
れてる方なんですねで週刊連載を2本抱え
ていた時期もありましたえ生活は苦しかっ
たんですが昔のその借金地獄のためにです
ね商売をやっていた頃に比べればマシと
いう風に思えたそうです確かに生活は
苦しいんだけれども借金しなければなら
ないほどじゃないとそして誰かに頭を下げ
てお金を貸してくださいと言わなくていい
と言っていましたそしてお仕事基本的に
断わらない方だったそうでトさんから依頼
されたテーマに合わせて漫画をたくさん
書いていくことで漫画家として鍛えられた
ともおっしゃってました例えば納豆を
テーマにした漫画というような無茶ぶりに
も答えられるようになったという風に言っ
てましたねで38歳の時にですね週刊漫画
娯楽で黒カの長期連載がスタートします
この黒カという作品は高校野球の監督の話
ですねで最初月1の連載だったんですが
これが週刊連載になってで単行部は27巻
まである人気作品です当初週刊漫画5楽の
編集者には黒カは人気が出ないよっていう
風に言われてたそうですこの5楽では
例えばヤザとかエロっていうジャルが人気
で野球のですねしかも監督の話はま
ちょっと受けないだろうとでも三田さんが
書きたいもの書いてくださいっていう風に
ま言われてみさん淡々と書いていたそう
ですでその担当の編集マがかなりやる気の
ある方でプロ野球選手にこう帯を書いて
もらったりとかしていたとなんですね編集
マにですね皆さんアンケートで1位取り
ましょうという風にま言われてその熱意に
三田さんは報いたいという風に思ったそう
ですそこで当時人気だった漫画を研究する
とアンケートで1位を取るためにはエため
性が足りないという風に気づいたそうです
週刊漫画娯楽という名前だけあって読者は
娯楽あを求めているんだと黒間では
リアルな高校野球の面白さをコツコツと
書いていたんですが演出にちょっと
こだわってみたそうですまずキャッチャー
の生徒を木に縛りつけるっていうあの描写
をしてでそのキャッチャーに対してですね
監督のクキがですね牛のを詰めたゴム
風船をですねパチンコ玉で飛ばしてで
キャッチャーに空を取らせるっていうよう
な演出をしたそうですでこの黒川のモデル
になった監督がいてまいい加減だったんだ
けれども指導力には優れていた方だった
ようですちなみに大谷翔平選手も岩手県の
出身なんですが大谷さんのお父さんはこの
監督の教え語だったようですこれあの黒間
の表紙ですね主人公の黒木監督これ誰かに
似てませんかこの黒木監督が高校野球の
監督の仕事がてユニフォームからセビに
変えたのが桜木先生なんですねなんとえ黒
カの企画は連載が始まる6年前からま
アイデアとしてはあったんですけれども
当時の編集長に通らなかったようです野球
の漫画を描くことになった最初のきっかけ
は三田さんが大学2年生の時にいこが母校
の野球部で応に行った時に高校野球の鳥子
になったようですこの時のいこがですね後
に新聞記者になって黒カの単行本のカバー
制作に協力してくれてカバー写真に入って
いる今度はこのいこが撮影してくれたもの
らしいですなんか感慨深いですよねそして
41歳の時ですねまだ黒川の連載はしてる
状態ですこの時に週刊ヤンマガからですね
週刊連載のオファーが舞い込んできました
当時ヤンマガの発行部数っての100万分
を超えてましてアラとか広角機動体などの
漫画市に残るような作品を生み出してい
ましたえ当時は乗っている作品が全て
ヒットサと言っていいようなまマンモス
ダシだったわけですねで皆さんやらせて
くださいというに即答をしてなんです
けれどもあのそうなるとですねこの黒感と
新しい連載と週刊連載2本受け持つことに
なるわけですよで皆さんもちろんこれに
関して悩みはしたそうなんですね週間五楽
の方にも迷惑かけないからやらせて欲しい
という風にあの打線をしてま三田さんとし
てはもうこんなチャンスは回ってこないか
もしれないからあのやりたいという気持ち
だったようですでもちろんあの人手は足り
ないので求人広告を出してアシスタントを
増員しましたで素人のアシスタントを結果
的に雇うことになったんですねなぜなら北
順にそのまま4人採用したからですで三田
さんの考えとしては早く連絡した人ほど縁
が行いし熱意もやる気もあるはずそして
求人を見て1週間も悩むようなタイプは
性格がそもそも合わないというような判断
でしたということでこの期間はですねあの
三田さんの漫画人生の中で1番漫画を書い
た期間でもうこれはもうできないという風
に言ってましたそして皆さんが44歳の時
に講談者の新入社員佐島さんと出会います
次の連載企画を考えてい時に落ちこぼれの
学校に現れた教師がお前ら全員東大に行け
と独自のメスてで鍛えるものはどうかと
いう風に三田さんが提案したところですね
まだ新入社員の里島さんはですねなんか
あんまり面白くないですねって言ったそう
なんですねそれもそのはずで里島さんはま
ナ校から東大に行った人で東大って入るの
は難しいと思ってるみたいですけど甲子園
影より簡単ですよって言ったそうなんです
よで三田さんは佐島さんのことをなんて
憎たらしいやつだという風に思ったそうな
んですけれどもそうかだったら主人公に
東大なんて簡単に入れると言わせればいい
とそこから物語は始まるっていうことで
これがドラゴ桜誕生の瞬間ですねってこと
で三田さんは企画自体はつまらないって
言ってる編集者佐島さんと一緒に仕事を
することになってそれからかなり長いお
付き合いになるわけですね新入者の佐島
さんの生焼きな一言から始まったこの漫画
がま後にすごいことになるわけですね三田
さんは誰が1番優秀だったかと言われたら
真っ先に佐島さんの名前をあげるっていう
くらい島さん優秀な方だったようですで
里島さんは元々文言をやりたくて出版社に
入ったようですねで入社前は漫画は
ほとんど読んでなかったようで編集部の方
に配属になってから膨大な量の漫画を読ん
で短期間で一流の漫画編集者になったと
いうことです2013年ぐらいですねえ
ドラゴン桜の担当だった里島さんがま
いきなり会社辞めるってあの言い出してで
会社辞めて何するのっていう風にですね
三田さんが聞いたらあの三田さんの
エージェントになりますっていう風に言っ
たそうですえ三田さんの漫画に負する権利
を外島さんに預けてでそれでビジネスをし
ますということですでそこで上がった利益
のフィーからま自分は報酬いただくように
しますすっていう風に言ってましたでそれ
うまくいかのかなっていう風に三田さんは
ですねあの阪神半疑で佐島さんの話をあの
聞いたようですで当時漫画家さんていうの
は現行料か印税で稼ぐしか手段がありませ
んでしたあの先日鳥山明さんが亡くなられ
ましたけれども鳥山さんの資産額があれ
思ってるより少ないなというのも話題に
なっていましたけれども漫画家さんは
ほとんどの方がなかなか食べていけない
漫画家と作品の価値を最大化するという
目的ミッションでコルクという会社を佐島
さんが立ち上げましたで次に三田先生は
インベスターZという投資に関する漫画の
連載をモーニングで始めますで講談者とし
てはあの雑誌の連載単行防の観光と紙に
関する権利だけもらってでコルクは他の
権利を有するという形ですねインベスター
Zの連載が始まってしばらくすると
証券会社などの金融機関からインベスター
Zを広告の素材として使いたいという依頼
がマイクようになったようですで漫画の
キャラクターを使った広告を制作して
売り込んでどんどん利益を上げるように
なりました広告ビジネスだけではなくて
漫画の電子版への加工とか公園事業など
ですねビジネス半中をどんどん広げていき
ましたここまででですねあのみたさんの
漫画科人生のストーリーを大体つ切ったか
なと思うのででここからは私のみたさん
解説に入りたいと思い
ます三さんの強みたくさんあるなという風
に思うんですけれども特に抜出てるなと
いう風に思うのが式は低いがコツを使う具
はうまい人っていうところですね近年経学
の中で個人の支出で重要とされているのが
個人内多様性イントラパーソナル
ダイバーシティーと言われるものですこれ
は1人の中に多様な視点へ役割を持つこと
でこれがイノベーション喪失につがると
言われてます多様性と言いますとバック
ボンが異なる複数の人間でですね組織内の
多様性を作るっていうイメージがあると
思うんですがそうではなくって1人個人の
中に分野横断的な経験がありそれを今
取り組んでる業務に取り入れて
イノベーション放出につげるっていう話
ですこの個人内多様性が高い人っていうの
は様々な側面でパフォーマンスが高いと
実証研究が進んでいます例えばワシントン
大学などの研究チームが2002年に発表
した論文ではアメリカフチ100の44の
企業の経営メンバーのプロフィールを集め
ていろんな職能を経験してる経営メンバー
がいる企業ほど高い業績を示していました
こういった背景もありまして近年では経営
人の個人内多様性まその人の経験の幅です
ねを重視する企業が増えてきていますコツ
を掴むのがうまい人は個人内多様性が高い
のではないかっていうのが私の仮説ですね
ただ表面的にこう色々経験するだけで
もちろんダメでコツをつむのがうまい人は
頭の中でどういう情報処理をしているの
かっていうところの改造度を上げてみたい
と思いますつまりコツを掴むのがうまい人
は定員学習をしているなあという風に思い
ます定員学習っていうのはあるタスクで
学習された知識とスキルが異なるタスクで
役に立つっていう考え方ですね例えば経営
者の方ってゴルフとかポーカーとか麻雀と
かやる方が多いんですね例えばポーカー
だったら基本的にはお金をかけてゲームに
投資するまこれ日本ではできないです
けれどもビジネスもお金とか時間とか労力
をかけてリターンを得るっていう意味では
同じですねまたポーカーでは手持ちの
チップがなくなった人はゲームオーバーに
なりますしビジネスはキャッシュが
なくなったらゲームオーバーということで
も共通していますで私自身はポカやらない
のでディレクタのデルタちゃんに聞いた話
では強強人には強いなりのかけ方がある
らしくてちゃんと降りるところで降りる
判断ができてなおかつ勝負ところでは
大きくかけることができるそうです逆に
負ける人のやり方っていうのは降りるべき
ところで降りずにビビ入りながらちょっと
ずつかけてちょっとずつチップがなくなっ
て負けるということですねポーカーをやる
とその人の意思決定の癖が分かると言って
ましたこういったポーカーとか麻雀で勝負
感を鍛える経営者さんは多いですね実際で
ゴルフもその人の性格が出るっていう風に
よく言われますねウォーカーとか麻雀とか
ゴルフをやることで得られた学習や知識
っていうのを仕事とかキャリアなどの別の
スキルに適用することで新しく習得する
スキルの学習を高速化したりとか性能を
向上させたりすることができるというのが
店員学習の意味ですねで私たちの脳って
いうのはある学習で身につけたスキルって
いうのを別のスキルに転用させるように
働いていますあるメタ分析によりますと
プログラミングを学ぶとメタ認知水論創造
的洞察数学的思考などの基本的な能力が
養われるので多くの分野への移転が可能に
なるっていう研究ですとか音楽教育により
言語能力を伸ばすことができるよていう
ような権限もありますただ特定のその
スキルが将来どのように転移するのかに
ついては残念ながら分かってませんなので
様々なスキルや知識に興味を持つ必要が
あると思います新しい学びの場に行くと
新しい人との出会いがあるしそこで一緒に
授業をやることになったりしますで三田
さんの場合ですね三田さんが初めて漫画を
書いたのは30手前なんですけれどもこの
時にはっと思いたって書いたっていうより
は実はその種伏線っっていうのはは10年
前の大学3年生の時に実は起きていたん
ですねある日三田さんのお兄さんの奥さん
ま義のお姉さんから電話がかかってきたん
ですね友達の旦那さんが村上元さんという
漫画家で剣道の漫画を描きたい現役の剣道
部員の話を聞きたい行って話をしてあげて
ちょうだいいっていう話が大学3年生の時
の三田さんに電話がかかってきたという
ことです村上元先生っていうのは代表作に
赤いペガサスとかクライマー列伝とか
ロンジとかですねこういった作品あります
で村上先生は捜索に対して取材を大切に
する方でして剣道のことについて取材を
受けたそうです三田さんがその後またまに
村上先生のとこにこう遊びに行ってでご
視聴になる関係になったようなんですねで
この2年後ぐらいにこの時のこの剣道の
取材を元にしたえっと武蔵の県っていうの
が実際に連載スタートされていますでこの
作品の捜索に三田さんが関わっていたって
話ですねでなんですがこの時ですね三田
さんは有名人と友達になれたぐらいのこう
優越感みたみたいなものはあったんだ
けれども漫画家に憧れを抱くってことは
なかったようですでもこの出来事がですね
ま10年後の三田さんのですね人生の転換
点で幸運の種になって関わってくることに
なるっていうわけですねでそれが借金時刻
から抜けるために漫画を書き始めた小学館
のビッグコミックで新人賞募集の告知をし
ていたのが目に入ったとで対象の賞金は
100万円だったそうですでみさんはもう
これだっていう風に思ったそうなんですね
でただ漫画は本当に1度も書いたことが
ないとでも書けるか書けないかっていうの
はみたさん考えてなかったようでもう
むしろ漫画なら紙とペサあれば書くことが
できるじゃんしかも1人でとで金がない僕
でも挑戦できるじゃないかっていうことで
ま12ヶ月で仕上げたそうですでこの
仕上げた作品をですね村上元さんに見て
もらっておいいねていう反応だったような
んですねでま最終戦後まで残ったんです
けれども結局あの入選はできなかったよう
なんですがその時出版社からはまた是非
応募してくださいっていう風に連絡があっ
たようですでなぜ三田さんは書いたことも
ない漫画をかけたのかって言うと漫画の
テーマに選んだのはごく身近な題材だった
ようですもう自分の半径5mで起きること
しか思いつかなかったむしろっていうこと
ですね三田さんはテラのお店を切りもにし
てで仕入れをして並べて販売もしながら
漫画を書いていたので自分が知っている
商売のことを題材にして漫画を書いたよう
ですでその後三田さんは編集者にこういう
風に言われたそうです多くの新人は書ける
ものではなくて流行や受けを狙うと自分と
縁がない世界を書いているからリアリティ
のない絵物語で終わってしまうことが多い
自分の得意なテーマを選ぶ方が新人は評価
される可能性が高いのだそうですという
ことです三田さんはですね実家の商売で
培ったスキルっていうのを漫画のま制作
っていうスキルに店員学習させるっている
んじゃないでしょうかで三田さんはですね
あのネーム作りに悩まない人で有名です
三田さんの実家っていうのはスーツの
仕立て屋なんですがアパレルの展示会では
ゆっくり悩んでる時間はないみたいなん
ですねなので必然的に判断するスピードが
早くなっていきます頭の中である程度漫画
の構成ができると状況説明パート見場付箋
回収という風に小回りを決めてペンイレに
取りかかると機能的に思考し作業をする
ようですねで三田さのお店では
ラルフローレンのポロシャツがよく売れて
いたっていうエピソードをしていました
当時はですねそのポロシャツ1万
9800円でして東北では使ってる店が
少なかったのよく売れたようですそして白
とかブルーネイビー黒グレーが人気色だっ
たようなんですがこの人気色だけ仕入れる
のではダメみたいですねラルフローレンの
ポロシャツっていうのはそれ以外の赤とか
キとかオレンジなどその派手な色が並ん
でることが大事なんだという風に言って
ますで迷ってるお客さんが来るとわざと
黄色とかオレンジを見せてほら綺麗でしょ
と他のメーカにはないのですよっていう風
に進めるとお客さんはあ本当に綺麗とでも
自分に合うだろうかっていう風に悩むわけ
ですねでそこでさっとま白なら色々な
スタイルに合わせられますよっていうよう
なセールストークをすることで売れ
るっていう話をしてましたこの売れ筋商品
と目を引く商品の組み合わせがないとダメ
なんだっていう話ですねこれ商売をやっ
てると分かるんですがお客さん本当に買わ
ないので再の紐を緩めるにはどうしたら
いいかってのを必死で考えてきたわけです
ねみたさんはでこの商売でいた学習って
いうのを漫画に転移学習させていますで
漫画はハードな見場だけではなくて細やか
な心霊描写をする駒を挟むなど緩急を
つつけることが大事だよねとかですねで
それと漫画家は美味しい職業だという風に
も思ったようです現行量は1ページ
7000円で24ページだから16.8ま
になるとで商売で16万円分の利益を
上げるには100万円売上げなけなければ
ならない漫画家はなんて効率のいい仕事な
のかっていう風に思ったようですでここ
まで聞くとですね皆さんはすごい努力家だ
なと思うかもしれないんですがあのどちら
かというとあんまり努力せずに勝つには
どうしたらいいのかを必死で考えるのが
うまい人だとあの私は分析してますえその
ためには100点を取ろうとしないって
いう戦略も持ち合わせていらっしゃいます
で三田さんは中学高校大学とま剣道部に
入っていまして剣道部の時の経験もですね
ま漫画とか商売の方に転移学習させてい
ますさんが大学2年生の時に国体予選と
いう大事な試合の時ですね体調不良になっ
てしまったらしいんですねで自分から攻撃
する力はもう残ってないとなのでもう構え
だけとって相手の攻撃をさきながら時間を
稼ぐことにしたようですえ試合時間の3
分間を何とかやり過ごして引き分けを狙
うっていう作戦ですね三田さんはこう考え
てました復唱と大将は強いと三田さんが
負けなければチームは勝てるそれだけを
考えて戦っていたとで結果この試合なん
ですが2本とって三さん勝ってしまいまし
たで監督にはま構えがものすごくいいと
構えだけなら高段者だという風に言われた
よです三田さんとしては体調が悪くて体に
力が入らないので負けないことだけを考え
てバタバタ自分からうちに行かなかった
ようですそれを見た相手は実力以上に強い
んじゃないかっていう風に勘違いして必要
以上に警戒したそうなんですねで自分の
リズムを苦して明後日打ち込もうとした
瞬間にこう三田さんの固定を受けてしまっ
たっていう話ですでこの経験から三田さん
は勝つ方法は1つじゃないっていう風に
学んを得まして漫画もストーリーを考える
力とか小回りして構成する力表現する力
どこかに引出ていれば注目されるとで剣道
の国体予選の経験がですねその後の人生の
ま様々な場面で役に立ちましたっていう話
をしてましたで三田さんの場合は人生に
必要なことはま商売と剣道が教えてくれた
とでこの幼少期からの積み重ねてきた経験
が漫画に生きているっていうことなんじゃ
ないかなと思い
ますとこで3点目のです構成を捨てて方に
はまれですねまここまでの話聞きますとあ
結局色々経験しろって話かよとかああはい
コネクティングなゾツの話ねっていう風に
言われちゃうかなと思いますけれども
いやいやもちろんそれだけでは終わらせる
つもりはありませんで結局ですねこの転移
学習っていつ起こるかわからないからあの
そこまで辛抱強く待てないとかっていう泡
展望さのために転移学習を高速化させる
方法について最後のトピックでお伝え
しようと思いますでそれが者からの
フィードバックをもらうってことですね
不要なこだわりや思い込みを捨てて他人の
意見を聞いて自分を客観視することをま
ここでフィードバックと言いたいと思い
ますでこれが三田さんが無意識にやって
いるスキルの1つなんじゃないかなという
風に思ってますそもそも三田さんっていう
のは元々ま家が商売やってたから面白い話
をかけるんでしょうとか剣道やってたって
ことはそれだけ体力があったんでしょうと
かいやそれ自分にはできないよ真似でき
ないよっていう風に思う方もいると思うん
ですけれどもまそんな方でも小学校1年生
でもできることのならできるでしょうっっ
ていうことで三田さんが小学校1年生の時
の話をしようと思いますえ三田さんが小
学校1年生の時にですね地区の子供会の
イベントで街の風景を書くっていう催しが
あったようです三田さんは自分はその時絵
が得意だとは思ってなかったんですけれど
もあの書いて送った映画ですねなんと賞を
取ったらしいんですねその時街の美術家の
ような人たちがその賞を取った作品につい
て公表してくれたそうです三田さんの書い
た絵に対する好評コメントがこんな感じ
でしたこの絵は真ん中にト図が書かれて
いる構図がいいんだこれだったそうですね
で三田さんはそれのどこがいいのか
さっぱり分かんなかったそうなんです
けれどもなるほどこういう絵を書けば生が
もらえるんだなっていうことだけは分かっ
たそうですでそこからま煙突方式ですね
画面の中心に何かをドンと置く構図で書い
たらたくさん章を取れるようになったそう
ですで絵を書く才能は別にないけれども章
を取るコツを三田さんは掴んだわけですね
とはいえ三田さんは努力してこうなりたい
という向上心がなかったので絵の勉強をし
たいとか将来絵師になりたいとかになり
たいということには全くならなかったそう
です絵で賞を取ってもちやほやされること
もなかったようですただし三田さんは決め
られたことをやれと言われるのが得意でし
た例えば剣道っていうのは全て決めること
でできてるからいいんだそうです逆に自由
にしていいよっていう風に言われるとどう
していいか分からなくて戸惑う人の方が
多いんじゃないかっていうことなんですね
で絵のコンクールではたまたま入選した絵
が画面の中心に象徴的なものを配置して
評価されたのでその方を投資したわけです
ね凡人であってもコツを掴めば成功する
ことできると何かに挑戦する時すでに成功
している人のやり方を観察してそのやり方
を真似るのが1番の近道だという風に三田
さんおっしゃってますで三田さんはあの別
の本の中でも個性をせて肩にはま
れっていう風にも言ってるんですけれもま
それにはこういうあの意図があったんじゃ
ないかなという風に推察してますで他にも
三田さんが高校生の時の話ですね三田さん
の高校は新学校だったので成績順で暮らす
分けがされるんですけれども三田さんは
1番下のクラスだったそうですあの何度も
言いて申し訳ないんですけれども三田さん
には向上心っていうものがないので自分は
負けないように勉強するわけじゃなかった
ようですでなんとなく大学には行くん
だろうなという感じですねで剣道部の顧問
の先生にこういう風に言われたそうです県
大会で優勝して引退杯に出たらスポーツ
推薦で大学に行ける可能性があるだから
剣道を一生懸命やれとで三田さんはそうか
その手で行こうていう風に思ったようです
実はですね私もこの三田作戦を結構無意識
的に使ってきた1人でしてあの私元々
そんな勉強できる方じゃないですま平均
よりちょっと上ぐらいですねえ特に受験
勉強とか資格勉強の類いが本当にできない
んですよ特に教科書をなる勉強が超苦手で
なので大学受験の時は一般受験ま筆記試験
捨てて推薦で入れるところで行くしかない
なと思う風に思ってましたなので内心点
稼ぐために生徒会長やったりとか中学まで
はバスケブだったんですけれどもバスケ部
ってま競合がたくさんいるので高校では
マイナな部活だけど引退配出場するぐらい
に強かた三岳部に入ったっていうあのま
そういうこともありましたなんですが三田
さんはですね受験は失敗しまして東京で1
することになりますで予備校から帰ってき
て唯一の娯楽はテレビを見ることだった
ようですで岩手にはないテレビ局の番組は
あって夢中で見ていました当時ドラマ全盛
紀でですね質のいいコンテンツを大量に
吸収できていたその時の経験が漫画科に
なった時の銀行が埋まっていたので人生と
いうのは本当に面白いものですという風に
言ってました努力の研究をする心理学者の
アンダースエリクソンさんはですねもし
チェスで上達したいなら対局に時間を使う
よりも1人でグランドマスターの義父を
研究すべきだという風に行ってますで初心
に変える入門書の中で著者はチェスの練習
として数百時間をオンラインチェスに
費やすよりもプロの戦略を研究したりとか
チェスの高知と話し合う方が実りは多かっ
たという風に話していましたこのように
とにかく数をやるっていうような無分別な
繰り返しではなくって事例の研究と分析を
したりとかコーチやスキルの高い人から
フィードバックをもらったりして自分の何
が課題なのかをはっきりさせてゴールと
現地のギャップをはっきりさせ
るってことが大切になってきますでその
ためにはやっぱ一旦評価にさらされ
るってことが大事なのかなという風に思い
ます三田さんはたまたまですね自分が書い
た絵が賞を取ったまつまり評価されたって
いうところからどんなところが評価された
のかっていうのをですねま審査員に教えて
もらってですね理屈はよくわからないんだ
けれどもまそれ横転して賞を取りまく
るっていう作戦を編み出したわけですよ
そして漫画を全く書いたことないけど新人
賞に応募しましたその前には村上元さんに
原稿を見てもらってフィードバックを
いだいて感想を聞いていますよねでその後
に関して自分でもですね人気漫画の分析と
か言語ができるようになっていって
るっていうようなそういう印象があります
なのでこのまずは評価にさらし血管が返っ
てくるっていファーストステップが大事か
なという風に思いますで次にそれを分析
するそして改善したり横転する別分野で
転移学習するこの繰り返しでスキルの深さ
と幅が出ていくと思いますということで
今日は30代までは伏線ですについて解説
しましたがいかがでしたでしょうかそれで
は最後に今しいただいたコメントで最も
良かったコメントの発表ですさて今週の
MVCはAI時代にえ身につけるスキルに
について話した動画ですねえかなり長文で
いたいたので短く紹介させていただきます
主に高校生を対象にしかし小4からA数国
など複数の科目を同時に教えている家庭
教師です自分が数十年代大切にしてきた
ことを指摘してくださり感激しました
できることもは様々な科目の書きねを
教える側が思いもつかなかったような大胆
の方法で軽々とまいで思考できるものです
しそれを目指すべきなのですが往々にして
それが目指されていません科目の書きねを
決してまごうとしない自分を生徒化する
子供をも量産してしまってますこの弊害は
もっと強調されるべきだと長年常思ってい
ますとはいコメントありがとうございまし
たえこの動画ではですねAI時代に必要な
人間の能力とかスキルにしで解説してい
ますえその中で同時に複数の科目を学んで
生きすることが大事っていう話をしてます
ままさに店員学習の話ですねよければ
こちらの動画もご覧くださいこの
チャンネルでは確立統計を使って世の中の
謎を解くリアル謎時を体験していただく
教育エンタメチャンネルです高評価と
チャンネル登録よろしくお願いします
新しい動画を見さないように通設定オにし
てくださいそしてYouTubeでいき
ないちょっとマニアックな話を不定で
ライブで行っています公式LINEでお
知らせしますのでまずLINEでお友達に
なってくださいそれでは次の動画でお会い
しましょうバイバイはいそれではさマ部分
のコーナーなんですけれどもえっと先日
ですねさたさんのチャンネルに出演してき
まして1日3着のドキュメンタリーを取っ
ていただきましたあの本当に朝から来て
いただいて夜の快食まであの密着しもらっ
てよりこうヒアリングしたりとかして
いただきましたのでちょっと大事そうです
ねいだいたのでご覧くださいでその時に
病んでリハビリでtiktokを始めたん
です
最初寿命が14分伸びるんですよ人見で超
陰キャで黒の引きこもりを受賞してるん
ですよ左
右左あ初めまして
分かりやすくったんですよねそうで絶望し
てはいあもう社会は私は求めてないんだな
と軽くうつになりましてはいあの原体験で
言うと私命救われたと思ってて
[音楽]
ええはいこんな感じでであのしっかり密着
していただきましたのでぜひささんの
チャンネルもですねチェックしてみて
ください
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