高知の廃校で見つかった超一級資料 95年分の「学校日誌」戦時中は多くの“墨塗り”…山梨では「頭部粉砕」子どもたちの犠牲の記録も【news23】|TBS NEWS DIG

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14 Aug 202412:26

Summary

TLDR高知県の廃校で発見された旧大津小学校の日記帳は、明治時代から昭和時代にかけての95年間を網羅。生徒数減少や少子高齢化、戦争下での学校生活の様子が記録され、戦時下の教育の変化や社会情勢を反映。日記帳の発見は、戦争の日常への影響や当時の教育状況を理解する貴重な資料として、戦争の記憶を伝える責任とその重要性を再確認する。

Takeaways

  • 🏫 高知県土蔵水市の廃校、旧大津小学校の校舎が戦後に残存し、1993年以降急行されず、約30年間時が止まっていた。
  • 📚 4年前、校長室から見つかった学校日誌は、明治から昭和にかけて95年間が記録されており、貴重な地域資料として保管されている。
  • 🌟 学校日誌には、天気や学校の日常、社会的な出来事、戦争当時の様子などが詳細に記されていた。
  • 🎓 少子高齢化により、学校の生徒数が減少し、廃校が増加している現状が示されている。
  • ⛩ 戦争が始まった1937年頃から、日誌に黒塗りが増し、日の丸のイラストも塗りつぶされたり、徴兵検査などが記録されている。
  • 👶 溝淵清彦さんが、戦時下の旧大津小学校に勤務していた母親の名前が日誌に残っていたことについて話している。
  • 🔍 戦後、GHQの統制下で軍国主義的な教科書の内容が黒く塗られ、学校日誌も同様の扱いを受ける可能性がある。
  • 🌐 戦災により学校ごと燃え失せたり、廃校で破棄されたりした地域も多く、資料の発見は困難であることが示されている。
  • 📹 米軍機に取り付けられたカメラが捉えた空襲の様子や、学校周辺への爆撃が記録されており、学校が標的となっていたことがわかる。
  • 🗝️ 戦時下の学校日誌は、戦争の日常的影響や社会の状況を理解する上で、重要な証言として価値がある。
  • 🌱 戦争が日常生活を浸食し、人々の生活に直接的な影響を与えている様子が、手書きの記録から伝わってくる。

Q & A

  • 廃校の旧大津小学校はどこに位置していますか?

    -高知県土蔵水市の海と山に囲まれた自然豊かな集落に位置しています。

  • 旧大津小学校はいつ創立されましたか?

    -旧大津小学校は明治8年に創立されました。

  • 学校日誌は何年間にわたって記録されていたものですか?

    -学校日誌は明治から昭和にかけての95年間記録されていました。

  • 廃校から発見された学校資料は何点あまりですか?

    -廃校から4000点以上の学校資料が発見されました。

  • 学校日誌にはどのような情報が記されていましたか?

    -学校日誌には日付、天気、生徒の数、学校の出来事、社会的な出来事などが記されていました。

  • 戦争当時の学校日誌にはどのような記述がありますか?

    -戦争当時の学校日誌には、日中戦争の始まりに伴い、黒塗りが増加したり、徴兵検査の記述があったりします。

  • 溝淵清彦さんは旧大津小学校に何の役割を持っていましたか?

    -溝淵清彦さんは戦時中の旧大津小学校の教師であり、その母親の名が日誌に記されていました。

  • 戦争が始まってから学校日誌にはどのような変化が見られますか?

    -戦争が始まってからは、黒塗りが増え、天皇の崩御やスペイン風の流行などの記述が減少し、軍国主義的な内容が強調されるようになります。

  • 学校日誌が残存していることはなぜ重要だと考えられますか?

    -学校日誌は当時の日常生活や社会情勢を記録しており、戦争の影響や歴史の証言を提供する貴重な資料であるためです。

  • 現在の学校日誌はどこに保管されていますか?

    -現在は急行中の別の小学校に保管されています。

  • この廃校で見つかった資料は、戦争の歴史に対する理解にどのように貢献しますか?

    -これらの資料は戦争が日常生活にどのように影響を与えたか、また、当時の教育環境や社会情勢を知るための貴重な証言を提供するため、戦争の歴史に対する理解に貢献します。

Outlines

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🏫 廃校からの発見:旧大津小学校の歴史

高知県土蔵水市の自然豊かな集落に位置する旧大津小学校は、明治8年に創立され、戦後に校舎が立て替えられましたが、1993年には急行となりその後再開されませんでした。この廃校からは、生徒数が3人だった卒業時から約30年間時が止まっていた貴重な資料が見つかりました。校長室などから見つかった学校日誌は、明治から昭和にかけての95年間もの記録で、日々の天気や学校の出来事、社会的な出来事、戦争当時の空気感などが記されています。特に、日中戦争が始まった1937年頃から、日誌に黒塗りが増し、徴兵検査や防空号など戦争に関連する記述が目立つようになりました。

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📔 戦時下の教師とその子:溝淵清彦さん物語

戦時下の教師である溝淵ひという名前が日誌に記され、その息子である溝淵清彦さんが、母親が旧大津小学校に務めていた当時の日誌を見つけたことについて語っています。清彦さんは、戦争当時2歳であり、母親の名が書かれた日誌が見つかることに衝撃を受けています。戦争が終結した後、GHQの統制下で軍国主義的な教科書の内容が黒く塗られ、学校日誌も同様の扱いを受ける可能性があったと述べています。また、戦災によって学校ごと燃え失せたり、廃校の中で破棄されたりするケースもあり、日誌が見つかることは珍しいとしています。

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🗝️ 戦争の記憶と教育:学校日誌の重要性

学校日誌は、戦争当時の出来事や日常生活を記録しており、戦争の影響下にある人々の生活や感情を捉えています。日誌からは、戦争が日常を徐々に浸食していく様子や、個人が戦争と出会う瞬間が伝わってきます。また、戦争の行使学生が学校を離れる様子や、空襲による犠牲者に関する記述も見受けられます。これらの記録は、戦争の痛みを乗り越えた上で、当時の戦争の記憶を物語にし、伝えることが私たちの責任であると感じています。戦争が日常に潜む悲劇を引き起こす様子を記録した日誌は、戦争の現実を理解し、未来に向けた国際人道法の重要性を再確認する上で、貴重な資料となっています。

Mindmap

Keywords

💡廃校

廃校とは、学校の閉鎖を意味する。このビデオでは、高知県にある旧大津小学校が戦後に廃校となり、その後の長い間その存在が忘れられていたことが触れられています。廃校は、少子高齢化や地域の人口減少などが背景にあります。

💡学校日誌

学校日誌とは、学校で起こった出来事や日々の様子を記録した文書です。ビデオでは、明治時代から昭和時代にかけての95年間もの日誌が見つかり、その中には天気、学校の日常、社会情勢などが記されていたと説明されています。

💡少子高齢化

少子高齢化は、出生率の低下と高齢者の割合の増加を指します。ビデオでは、少子高齢化が進む中で学校の生徒数が減少し、廃校が増加している現状が触れられています。この現象は、日本の地方都市や田舎部で特に顕著です。

💡戦時下

戦時下とは、戦争が進行している時期を指します。ビデオでは、日中戦争が始まった1937年頃から学校日誌に黒塗りが増し、戦争の空気を感じるようになったと説明されています。また、徴兵検査や空襲など、戦争が学校生活に与える影響も触れられています。

💡黒塗り

黒塗りとは、書庫や文書の一部を黒色で塗り潰すことを指します。ビデオでは、戦争当時の学校日誌に黒塗りが行われ、軍国主義的な表現を消去しようとした動きが見られると説明されています。これは、戦後のGHQによる統制化の一環として行われたとされています。

💡日中戦争

日中戦争とは、1937年から1945年まで続いた日本と中国の間の戦争です。ビデオでは、1937年頃から学校日誌に戦争の影響が現れ始め、黒塗りが増える様子が記されています。この戦争は、第二世界大戦に結びついている重要な歴史事件です。

💡空襲

空襲とは、敵の飛行機による地上への攻撃を意味します。ビデオでは、学校周辺が米軍機による空襲を受け、3人の子供が亡くなるという悲惨な出来事が学校日誌に記載されています。これは、戦争の悲惨さを物語る重要な証言です。

💡戦災

戦災とは、戦争によって生じる被害を指します。ビデオでは、戦災によって学校が破壊されたり、学校日誌が失われたりする例が触れられています。戦災は、戦争の直接的な被害者だけでなく、歴史的文書の損失にもつながります。

💡記憶

記憶とは、過去の出来事を心に留めることです。ビデオでは、戦争の記憶を伝えるために学校日誌のような資料の重要性が強調されています。戦争を経験した人たちが亡くなる中で、これらの資料がその記憶を後世に伝える役割を果たしていると説明されています。

💡戦争の記憶

戦争の記憶とは、戦争を経験した人々の出来事や感情を記録したものです。ビデオでは、学校日誌が戦争の記憶を伝える手段として紹介されており、戦争が日常に与える影響や個人の体験が記録されている例があります。戦争の記憶を保存することは、未来に向けた教訓として重要です。

Highlights

高知県土蔵水市の旧大津小学校は、明治8年に創立され、戦後に校舎が立て替えられ、廃校となった。

1993年に急行となり、その後再開されることはありませんでした。

廃校で見つかった貴重な資料は、明治時代から昭和時代にかけての学校日記で、95年分の記録が残されています。

学校日記には、日々の天気や学校の出来事、社会的な出来事、戦争当時の様子などが詳細に記されています。

1937年頃から、日中戦争が始まり、日記に炭で黒く塗られた部分が増え、日の丸のイラストも塗りつぶされていました。

戦時下の学校生活が記録され、徴兵検査や空襲、学校の標的となったことも日記に残されています。

溝淵清彦さんは、戦争当時2歳でいた母親の名前が日記に書かれていたことについて話しています。

戦後のGHQの統制化で、軍国主義的な教科書の内容が黒く塗られましたが、学校日記については研究が進められています。

戦災で学校ごと燃え落ちたり、廃校の中で破棄されたりするケースもあり、日記が残る地域は限られています。

米軍機に取り付けられたカメラが捉えた空襲の様子や、学校が標的となっていたことが日記からわかります。

戦時下の学校生活に関する記録は、戦争の影響が日常に及ぶ様子を伝えています。

戦争が日常を浸食していく様子や、戦争の出来事が1人1人の人生に出会う様子が記録されています。

戦争当時の記録力は、手書きの記録から戦争の行使が見えてくると感じています。

戦争の悲劇的なシーンだけでなく、戦時の生活の1つ1つが日記に浮かび上がっています。

80年ほど前の戦争から学び、国際人道法などが世界の常識になりかけていると感じています。

現在もウクライナやガザ、スーダンなどで戦争が内がしになっている現状について考えています。

日本が戦争当時国であったため、被害者であり加害者でもあったことから、戦争の痛みを乗り越えて物語を伝えることが私たちの責任だと考えています。

Transcripts

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最後にここにいた生徒さん卒業時3人だっ

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たんですよねはいええ

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ええおおびっくりしたここはまさかコモの

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住みかになるなんて思い言わなかった

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でしょうけどえ

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高知県土蔵水市海と山自然豊かな集落に

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その廃校はあり

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ます明治8年に創立された旧大津小

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学校戦後に立て替えられた校舎が今も残さ

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れてい

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ます1993年に急行となりその後再開さ

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れることはありませんでした

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の位が書いてありますねあ生徒数の変化と

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いうかそうですよねえあの敏感に心配して

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たんじゃないでしょうかやっぱりあ

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どんどんやっぱり少子高齢化とかもう

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どんどんみんな田舎から出てっちゃって

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はいおよそ30年間時が止まっていたこの

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廃校である貴重な資料が見つかりまし

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たこの好調室が主なはいところであの明治

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からの学校西塔が残っておりましたので

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まままるまる残ってましたのでびっくりし

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ました

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まず4年前校長室などから見つかったのは

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学校

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日誌明治から昭和にかけての95年分が

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眠っていまし

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た超一級のあの地域の資料手が震えると

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いうか重みを感じながらこれはもう絶対に

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残して行かなければいけないっていう思い

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で日を含む4000点以上の学校資料が

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廃校から救出され現在は急行中の別の小

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学校に保管されてい

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ますこれ素で触っちゃっても大丈夫なん

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ですかあ丈なんか手袋とかした方が大丈夫

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です明治明治44年ですね

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緊張します

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が教師たちが毎日書いていた

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道その日の天気や自動数などに加え学校の

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日常が記されていまし

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[音楽]

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た明治44年5月9日

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晴天児童を印刷して浜辺へ遊びに行っ

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た5月10日か朝晴れ今日も1人で随分

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多忙であっ

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た先生もワンオペでしんどかったんですね

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これ

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多分大正6年11月5日

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晴天朝礼式に武法あり

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くす校長先生の話を聞かなかったのか

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めちゃくちゃおしりをしていたのかいつの

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時代も小学生は同じですねやることが

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また天皇の宝土やスペイン風の流行など

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社会的な出来事も記録されていまし

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[音楽]

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た日を読み進めていくと次第に不穏な空気

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おおちょっと今ドキッとしましたね黒塗り

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がいきなり見えると戦争の当時の空気感と

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いうか

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日中戦争が始まった1937年頃から炭で

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黒く塗られた部分が増えていき

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ます日の丸のイラストも塗りつぶされてい

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まし

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たうっすら見えますけどこれ徴兵検査って

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書いてあるんです

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よ黒塗りしても歴史消ないですから

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ね墨塗りされたのは戦争をさせる

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[音楽]

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た海軍

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記念日日独三国

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同盟防空号

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堀敵出す上空旋回す学校の上をはあ

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なるほど

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空警報などで終戦間際には学業どころでは

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なかったことが伺える

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日誌溝淵ひという教師の名前も記されてい

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まし

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[音楽]

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たいこれひろひろさんですねこれ清彦です

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ね僕

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です溝淵清彦さん終戦当時2歳でし

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た旧大津小学校に務めていた母親のひさん

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その名が書かれた日誌が見つかったことに

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ついて

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は僕はこれすごいことだと思いましたおの

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名前があの残ってるっていうことは知り

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ませんでしたけどね残したものていうのは

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本当大事です

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ね大人になり自身も教師の道を進んだ清彦

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さんさんら当時の教師たちがした誌がりさ

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れた理由を知りたいと話し

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ます消がはこれはお袋ではないと思うが

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ですねうん敵来週来たということをなんで

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決算てからってるのかていう風なことなん

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ですわ消す必要ないにね思うんです僕は

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ねはこんな研でそんでバスバスかて思うん

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だけど怖かったがじゃないでしょうかね

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やっぱりあの書いてること自体が上からの

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指令があったがじゃろうか

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ね戦後GHQの統制化で軍国主義的な教科

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書の内容が隅で黒く塗られまし

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た一方学校日誌については今まさに研究が

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進められていると言い

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ます配線直後に学校にをま軍国主義教育の

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証拠を残さないという意味で燃やしたって

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いうケースもあるんですね戦災で学校ごと

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校舎ごと燃えてしまったりとかですね

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あるいは戦後の学校廃合の中であの破棄さ

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れてしまったりとかですねほとんど残って

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いないというあの地域も結構あるんですね

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見つけるのも大変なんですね

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米軍機に取り付けられたカメラが捉えた

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空襲の

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様子白縁が上がっている校舎にさらに気重

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操車を浴びせていき

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ます同様の映像は複数残されていて学校も

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標的となっていたことがわかり

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[音楽]

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ます梨県アルプス市の名小

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学校およそ20年前市内の戦争遺跡を

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調べる家庭で戦時家の学校日誌が見つかり

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ましたねここかな元々はあのこの学校の

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校長室のこの金庫の中に基本的には保管さ

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れていたんですが子供たちがですねえっと

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空襲にあって亡くなってしまった記事が

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書かれてい

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ます昭和20年7月30日晴れ午前6時半

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より3回にわり空襲

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あり爆撃により破片のため頭部を粉砕せ

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られ

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即死米軍機が学校の周辺を襲い3人の子供

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たちが亡くなったことが記されていまし

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たそのうちの1人は頭部が粉砕され即死し

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たと言います

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少し字が揺れてるような気もしますよね

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先生にとってはやっぱりショックだったん

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じゃないでしょうかね自分の教え後は3人

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もいぺになくなって

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しまう戦争を体験した方の証言を生で聞

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くってことができない時代になってると

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思うんですよ今のうちにですね掘り起こし

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をえっと行ってえっと適切な保存を図って

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いければと思っています

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これまで注目されてこなかったという学校

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日誌高知県の廃校で眠っていたように新た

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に日が見つかることで戦争の実態が見えて

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くる可能性もあり

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ますこんなに大事な資料なのに見落とされ

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てきてしまったていう公開はもちろん私に

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もありますねどうしてもあの中央の教育

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政策がどうだったとか

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うんやはりそういう方向にどうしても流れ

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ていく傾向がありますよねあそういえば

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我が校にもあるぞみたいなね時代に埋もれ

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ていた学校日誌がですねこれからも

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どんどん見つかっていけばいいなと

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うん太田さん日々親しめるた西から

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浮かび上がってくるもの伝わってくるもの

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というのがありますねそうですねやはり

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こういったま日常のな大きなはま戦争の

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出来事にこう気を取られがちですけど日常

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の中にある戦争というかそこにこう

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襲いかかってくる戦争っていうものが

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やっぱこう1人1人の人生の中でこう

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出会う出会ってしまう出会って欲しくない

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ものがこういった資料から見えてくるっ

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ていのはすごくこううんね感じるものは

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ありますねはいそうですねそして突然戦争

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が起きるのではなくてじわじわとこうして

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日常を浸食していくものなんだなという

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ことも感じられますうん

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黒塗りをしようにも文字が浮かび上がって

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くる川さん手書きの記録の力というのも

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感じますねうんそうですねやっぱり当時の

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戦争の行使いっていうのがこんな文字から

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でも見えてくるんだっていうのはすごく

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感じました今回はあのVTRで紹介したの

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はま敵集合とかそういった言葉なんです

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けれどもそういったこの悲劇的なシーン

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だけじゃなくて例えば皇帝でこう芋を作ら

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なくちゃいけなかったそのために動員され

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たそういった生活の1つ1つが

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浮かび上がってくるんですよええで

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やっぱりこれ驚きなのが79年前の記録な

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わけなんですでこの80年ぐらい前の戦争

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から私たちは色々と学んでそれこそほの

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国際人道法そういったものがま世界の常識

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になりかけているわけなんですけれども

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結局じゃあ今何が起きてるかというとです

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ねまウクライナであったりガザであったり

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そしてまスーダンそういった色々な国で

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もうそういったものは全く内がしになって

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しまっているうんでだからこそなんか日本

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の私たちがですね何ができるかてことこと

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を考えるとやっぱり私たちは戦争当時国で

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あったわけで当然被害者でもあり加害者で

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もあったわけなんですよねだからその痛み

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を乗り越えて今こうしてこういった資料を

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伝えてあのさらに当時の戦争の記憶をまた

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こうなんだろうこの物語にして伝えること

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ができるっていうのは1つそのやっぱり

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私たちの責任でもあるし世界にそういった

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ことを発信していくこれからもしていく

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べきなんじゃないかなていう風には強く

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思いますはい

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廃校発見戦時日記歴史記憶教育資料少子高齢化時代背景戦争体験学校日誌社会記録文化遺産
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