宇部の空襲写真が浜松に“酷似”疑義の真相は

yab山口ニュース
4 Jul 202409:37

Summary

TLDR宇市の空中写真が浜松市の空襲直後の様子と酷似していることが元教師の岡本正さんによって指摘されました。この写真は宇市の小学校で50年以上教材として使われており、誤った情報を伝えていたことが明らかになりました。浜松市では、1945年6月18日に大きな被害を出して以来、復興のシンボルとして松菱百貨店が重要でしたが、その建物が写真から消された疑いが。この誤りは、戦争の悲惨さを伝える意図と矛盾しており、正しい歴史認識を伝えるために、誤った情報の訂正が求められています。

Takeaways

  • 📷 宇市の空中写真は浜松市の空襲被災地の写真と酷似していることが指摘されています。
  • 👨‍🏫 宇市の元教師である岡本正さんがこの類似を発見しました。
  • 🗓️ 1945年6月18日に浜松市が大規模な空襲を受け、大きな被害を受けています。
  • 🏠 浜松市の空襲被害が示されている写真は、宇市の小学校で50年以上教材として使われていました。
  • 👀 岡本さんは子供たちにこの写真が浜松市の空襲を表していると教えてきました。
  • 🏬 浜松市の百貨店「松菱」が空襲後に黒くなったり消えたりする様子が写真に写っており、宇市の写真では加工で消されたとされています。
  • 🔍 岡本さんはこの違いを探求し、浜松市に訪れました。
  • 🏘️ 浜松市の復興と歩みを示す資料として、空襲後の町並みの写真が展示されています。
  • 🌳 空襲後に残ったプラタナスの木を中心に、浜松市の象徴的な建物が撮影されたと推測されています。
  • 🗃️ 浜松市の資料や証言から、宇市の写真が実際に浜松市の空襲写真であることが明らかになっています。
  • 📚 岡本さんは事実確認を求める申し入れを行い、来年度からは戦争の歴史を正しく伝えるための教材の見直しを発表しました。

Q & A

  • 宇市の空中写真と浜松市の空中写真が酷似している理由は何ですか?

    -宇市の空中写真は、実は浜松市の空中写真が加工されていたことが原因で、宇市では小学校の社会科の教材として誤って使用されていました。

  • 岡本さんはなぜ浜松市に姿を現しましたか?

    -岡本さんは、自分が教えていた写真が実は浜松市の空襲の写真だったことに気づき、その真実を探るために浜松市を訪れました。

  • 浜松市はどのくらいの空襲を受けていますか?

    -浜松市は地方都市の中で最も多くの空襲を受けたと言われており、特に1945年6月18日に大きな被害が出ました。

  • 岡本さんが教えていた写真は、なぜ子どもたちに誤った情報を与えていたのですか?

    -岡本さんは、写真が宇市の空襲の写真だと誤解していたため、子どもたちにもその誤った情報を教えていました。

  • 写真の加工で消された建物は何ですか?

    -写真の加工で消された建物は、浜松市の松菱百貨店です。

  • 松菱百貨店は浜松市にとってどのような象徴でしたか?

    -松菱百貨店は浜松市のシンボルであり、戦後の復興を象徴する建物でした。

  • 写真の真実が明らかになったことで、岡本さんはどう対応しましたか?

    -岡本さんは、写真の真実が明らかになったことで、事実確認を求める申し入れを行いました。

  • 浜松市の復興記念館にはどのような資料が展示されていますか?

    -浜松市の復興記念館には、空襲後の町の様子や復興の歩みを示す資料が展示されています。

  • 岡本さんが見つけた写真は、どこで使われていたのですか?

    -岡本さんが見つけた写真は、浜松市の図書館や学校の教材など、さまざまな資料で使われていたのです。

  • 岡本さんが求めた事実確認の結果はどうでしたか?

    -事実確認の結果、写真が浜松市の空襲の写真であることが確認され、来年度からは誤った写真が使用されないように教材から削除されることになりました。

  • この出来事は、戦争の悲惨さを伝える上でどのような意味を持っていますか?

    -この出来事は、戦争の悲惨さを伝える上で、正確な歴史を伝えることがどれだけ重要かを再認識するきっかけとなっています。

Outlines

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😯 宇市の写真と浜松市の空襲

宇市の空中写真が浜松市の1945年6月18日の空襲と酷似していることが元教師の岡本正さんによって指摘されました。この写真は宇市の小学校で50年以上教材として使用されてきましたが、実際は浜松市の空襲を写したもので、誤解を招いていました。岡本さんが浜松に訪れ、関係者と話をすることで、写真の真実が明らかになりました。写真には、当時の百貨店「松菱」が黒くなっており、これは戦災の象徴として残された建物の一つであり、復興のシンボルとして捉えられています。

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🔍 誤解を解く浜松の写真の真実

岡本さんが浜松市の写真を訪ね、市民や資料を通じて写真の真実を探求しました。写真は松菱百貨店が黒くなっている点が特徴で、これが戦災の象徴として残された建物であることがわかりました。また、写真が誤った情報として使われていたことも明らかになり、小学校の教材から削除されることになりました。岡本さんは写真の誤解を解くことで、戦争の悲惨さを伝えるだけでなく、正しい歴史を伝えることが重要だと感じています。

Mindmap

Keywords

💡宇市

宇市は、このビデオの主題に関連する場所です。ビデオでは、宇市の空中写真が静岡県浜松市の空襲後の様子と酷似していることが指摘されています。この写真は、宇市の小学校で50年以上教材として使われてきましたが、実は浜松市の空襲後の様子を写したものであることが明らかになります。

💡浜松市

浜松市は、ビデオの中心となる場所の一つで、1945年に多くの空襲を受けた都市として紹介されています。特に、1945年6月18日に大きな被害が出た浜松大空襲がビデオの重要な出来事の一つです。この空襲がビデオの主題である戦争の悲惨さを象徴する重要な要素です。

💡空中写真

空中写真は、ビデオの重要な視覚的要素で、戦争後の被害を記録した重要な証拠として機能しています。宇市の空中写真が誤って浜松市の空襲後の様子と勘違いされていたことが、ビデオの主要な謎の核心です。

💡岡本正さん

岡本正さんは、ビデオのキーパーソンで、宇市の元教師です。彼が宇市の空中写真が実際には浜松市の空襲後の写真であることに気づき、この誤解を解明する旅を始めます。彼の発見は、ビデオの主題である真実の追求と歴史の正確な伝え方に対する関心を反映しています。

💡空襲

空襲は、ビデオの中心的な出来事で、特に1945年6月18日に浜松市が経験した大規模な空襲がビデオの重要な背景です。この出来事は、戦争の悲惨さを伝えるための重要な歴史的事実です。

💡誤解

誤解は、ビデオのプロットの重要な部分で、宇市の空中写真が浜松市の空襲後の様子と勘違いされていたことによって生じる問題を象徴しています。この誤解が解明される過程は、真実を追究する旅を描き、ビデオの主題に深い意味を加えます。

💡戦争の悲惨さ

戦争の悲惨さは、ビデオの核心的なテーマで、浜松市の空襲やその後の被害を通じて戦争の恐ろしさと悲しさを伝える試みです。ビデオ全体を通じて、戦争の悲惨さを伝えることに対する関心が常に強調されています。

💡復興

復興は、ビデオの重要な概念で、浜松市が空襲の被害から立ち直ることを象徴します。ビデオでは、復興の歩みやその象徴としての建物が紹介され、被災地の再生と希望の力について考えさせます。

💡教育

教育は、ビデオの重要な側面で、岡本正さんが38年間教師として務めた宇市で、空中写真が教育資料として使われていたことが示されています。ビデオは、教育が歴史の正確な伝え方と戦争の悲惨さを子供たちに伝える役割を持っていると示唆しています。

💡誤り

誤りは、ビデオの重要な概念で、空中写真の誤った解釈が宇市の教育に与えた影響を指します。ビデオでは、この誤りを正すことが、真実を追求し、歴史を正しく伝えるために重要なステップであることが強調されています。

💡証拠

証拠は、ビデオの重要な要素で、空中写真や資料が戦争の悲惨さや復興の物語を伝えるための重要な証拠として機能しています。ビデオでは、これらの証拠を通じて、過去を正しく捉え直す必要性が示されています。

Highlights

宇市の空中写真が静岡県浜松市の写真と酷似していることが指摘された。

岡本正さんが指摘し、浜松市に6月18日に訪問した。

浜松市は地方都市の中で最も多くの空襲を受けた。

1945年6月18日に浜松大州で大きな被害が出た。

宇市の元教師岡本さんが、宇市の空中写真が浜松市のものとほぼ同じだと主張。

宇市の小学校では50年以上前からその写真が教材として使われている。

浜松市の写真と宇市の写真の違いは、黒い建物が加工で消されたこと。

浜松市の写真にあった百貨店の建物が宇市の写真では消されていた。

浜松市の象徴的な建物が写真に写っていることが確認された。

浜松復興記念館にその写真が展示されている。

戦争の悲惨さを伝えるためにその写真が適当とされた。

浜松市の資料や証言からその写真が浜松市のものであることが確認された。

宇市の写真として伝えられてきたが、実際は浜松市のものであることが判明。

今後は教材からその写真を取り除くと発表された。

歴史を正しく伝えるために事実確認が重要とされた。

Transcripts

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宇市の空中写真が静岡県浜松市の写真と

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酷似している重ねるとほぼ

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同じ一体なぜこんなことが起きたの

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か指摘したのは宇市の元教師岡本正

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さん6月18

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日浜松市に姿がありました

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[音楽]

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浜松は

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あの爆弾のゴミ捨てバって言われてたん

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ですよ

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そう浜松市は地方都市の中で最も多くの

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空襲を受けたと言われてい

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[音楽]

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ます特に大きな被害が出たのが79年前の

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この

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日1度

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1945年6月18日に降りた浜松大州

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です最愛のを失っ

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たその空襲によって照度と貸した街を取っ

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たとされるのがこの

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写真う氏のものとされる空My写真とほぼ

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同じ

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です宇市では50年以上前から現に至る

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まで小学校の社会化の教材でこの写真が

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使われてい

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ます宇市で小学校の教師を38年務めた

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岡本

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さん子供たちにこの写真はうしだと教えて

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きました

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[音楽]

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を探るた浜松にまし

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たまずはこの写真について関係者の話を

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聞くため祭に列しまし

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たこれが浜松の町の中の様子なんですよと

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いうことをしっかりと認識をしていきたい

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なというってます

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デパートあの写真がわれてましたこれは初

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デパートの拡大

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のお気をつけておりください

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ませ松大州であの街中がもう全部シとかし

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てしまって残ったプラタナス松の3本残っ

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た語りが指摘したのはと浜松2枚の写真の

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たった1つの違いでしたちょっと

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心こ潰しちゃっ

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て浜松市の写真にあり上市にはない黒い

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建物3列車は松市という百貨店だと口を

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揃え

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ます岡本さんは宇の写真ではその建物が

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加工で消されたと見ています

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ちょっとびっくりするよう

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なあの本当ですねいやだからこれは誰かが

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入手してここを潰したのではないかという

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疑いを思ってるそう本当にこう先ほどお話

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がありましたけれどもこれが当時の百貨点

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ででこれが焼け残ったというのが1つの

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象徴だったんねやはりこうあの資料の性格

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性うんっねいうのはやはりこうきちんと

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やっぱりそれは伝えて

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そうこれが松菱ですそうですねこれがあの

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写真の建物は静岡松松尾3列者の誰もが

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そう答えますうんちょうどこの辺じね浜松

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の人にとっては宝の写真なんじゃないか

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なって思いました

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ねだから当時の浜松といえばあの

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百貨店がシンボルだったわけでねだから

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あのシンボルが黒くなって大変だったけど

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あれが立ち直ってね苦しい被災者にとって

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はね希望の湧くものじゃなかったか

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な復興の歩みを示す資料が並ぶ浜松復興

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記念家

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だからここを分けあの写真とともに空直後

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の町の間が大きく展示されてい

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ます写真が撮られたおよその位置も分かり

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まし

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た土と貸した町に残ったプラタナスの木を

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中心に松と静岡銀行浜松視点2つの浜松の

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象徴的な建物を画角に収めるためこの法学

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で撮影されたと見られ

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ます大変な空襲にあってるっていうことを

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あこう表現するためにま適当なものとして

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えハがあったていうことだと思うんです

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けどねま戦争の悲惨さを伝えたいっていう

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気持ちは同じだと思うんですねうん

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[音楽]

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宇市では撮影場所や映っている建物が何な

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のか誰も分からない

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ままう氏の写真として伝えられてきまし

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た今回の訪問で得た浜松市民の証や残され

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た資料からは浜松市の写真であることが

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積み重なっていきますあの黒松菱を

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塗りつぶしたらその写真についてですよね

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信で

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市内の図書館で見つけたのは浜松士や学校

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の教材などあの写真が使われた資料の

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数々

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そしてこれですよこれ生写真うんうん貴重

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パンフレットこれ雲が見える雲がね雲が

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見えるでしょう曇りですねねでは

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元の写真が保管されていましたこれが本物

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かああこうなってん

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だこうなってるん

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だこうなてが浜松と手書きで直されたもの

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もありますすごいラね浜松市の変に関わっ

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た人が気づいて訂正したそうですがこ発も

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への問い合わせはなかったということです

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写真が見てもあり必ずこう

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関係は浜は割とシビアに見ますでそう

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でしょうそう

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でしょうま上帰ってあの色々な人で伝えて

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いきますええはい転生していただけれそう

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ですそうです転生をすべきですよこれ

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は浜松が正しいと確信が持てましたねうん

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[音楽]

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過去

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を捉え直すっていうことはとても大事な

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ことだと思います

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ねとてもびっくりしたというかですね小

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学校の3年生の授業で活用しておりますが

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こちらにつきましてはもう来年度からこの

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ギギのある写真というものは取り除き

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ますね今回はこれとあるとして来年度材

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から削除すると発表しまし

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たである私子供たちにこの戦争の歴史と

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いうものをしっかりと引き継いでいきたい

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という風に思いますしその中でこういう

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ような写真に義があったということは非常

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に残念だという風にれてい

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ますマスクして一方岡本さんは死に事実

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確認を求める申し入れを行いました

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かなり難しいところはあるけどねだけど

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未来にとって整理整頓しておくことは今

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大事ですきちんと今すべき分かった段階で

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今すべきだと思いますね

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うんうで起きた

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[音楽]

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空襲その生産さを伝えてきた写真に浮上し

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ギギ歴史を正しく語り継いでいく意味を

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79年の年に考えるきっかけになりそう

play09:33

です

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空中写真誤解真相宇市浜松市歴史戦争復興教育証言誤謬
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