ブッダの生涯 12(佐々木閑「仏教哲学の世界観」第2シリーズ)
Summary
TLDRこのスクリプトは、仏教の起源と梵天感情の重要性について述べています。仏教は、旧インドの宗教である梵天教(Brahmanism)に対抗して生まれた宗教であり、カースト制度を否定し、全ての人に救済を提供することを目的としています。お釈迦様が悟りを得た後、梵天が降りて来てお釈迦様に説法を促しました。このエピソードは、お釈迦様が自らの修行と誓いを忘れていたことを示し、梵天の助けを得て再びそれを思い出すという変転点を描いています。このトピックは、仏教徒がどのようにお釈迦様の教えを受け止め、自身の信仰の形を決めるかを理解する上で重要なキーポイントです。
Takeaways
- 📜 脚本讨论了梵天感情在佛教中的意义和角色,特别是在佛教与印度教的梵天(Brahman)的关系上。
- 🌟 梵天在印度教中是最高神,但在佛教中,佛陀的角色超越了梵天,表明佛教的教义与印度教有所区别。
- 🙏 佛陀在考虑是否说法时,梵天降临并请求佛陀传播教义,显示了梵天对佛陀的尊重和佛教教义的重要性。
- 🌱 佛教起源于对印度教的反抗,特别是反对基于种姓制度的社会结构,旨在解放人们的思想。
- 🚀 梵天感情的故事反映了佛陀从自我修行转向为众生说法的心路历程。
- 🌈 佛陀的过去生故事强调了他与过去佛的相遇、立誓以及多次转世修行的历程。
- 🌟 梵天感情的故事与佛陀的过去生故事存在矛盾,因为它暗示了佛陀在成为佛之后才决定传播教义。
- 🌠 梵天感情可能是佛教故事中较早期的元素,后来被融入了佛陀的传说中。
- 🌀 佛教的教义和佛陀的形象随着时间的推移而发展,梵天感情的故事可能是这一过程中的一个环节。
- 📖 脚本提供了对佛教教义和历史发展的深入理解,以及佛教如何反映信徒的个人信仰和价值观。
- 🏹 佛陀的形象和教义在不同的佛教传统和信徒心中有着不同的体现和解释。
Q & A
梵天感情とは何を指す?
-梵天感情とは、お釈迦様が説法を始める前夜、梵天が降りて来てお釈迦様の前で手を合わせて説法を始めることを願う出来事を指します。これは、仏教がバラモン教に対抗する形で生まれた宗教であることを反映し、梵天(brahman)の力が制限されていることを示しています。
仏教はどのようにして生まれた?
-仏教は、バラモン教に対抗する形で生まれた宗教です。バラモン教はカースト制度に基づく社会システムを制定し、brahmanを最高神として信仰していました。仏教は、この価値観から離脱し、別の価値観で生きたいと考える人たちのために生まれました。
お釈迦様が説法を始めた理由は何ですか?
-お釈迦様は、梵天のアドバイスを受けて説法を始めました。梵天は、お釈迦様が説法することによって人々を助けることができると認識しており、自分にはその力がないことを示しています。
梵天感情のエピソードはどのように佛教学に影響を与えました?
-梵天感情のエピソードは、仏教がバラモン教の価値観に反対する立場をとり、新たな宗教観を提唱することを明確に示しています。また、お釈迦様が個人的な修行から人々のために説法を始めるよう心を変えたという点で、仏教の教えがどのように進化し、広まるかを示唆しています。
お釈迦様の過去生に関する話はどのように梵天感情に関連していますか?
-お釈迦様の過去生に関する話は、梵天感情と矛盾する要素を持っています。過去生で出会った仏と共に誓願を立て、何度も生まれ変わりながら修行していくという話は、梵天感情で示される心の変わりと合わないためです。梵天感情では、お釈迦様は心変わりを経験し、人々のために説法を始めることを決定します。
仏教の宗教観を決定する要素は何ですか?
-仏教の宗教観は、その教えがどのように進化し、信者たちがどのようにその教えを受け入れるかによって決定されます。特に、お釈迦様が個人的な修行から人々のために説法を始めるよう心を変えたという話や、梵天感情のエピソードなどが、仏教徒の宗教観を形成する重要な要素となります。
仏教徒にとっての理想的なブッダ像は何ですか?
-仏教徒にとっての理想的なブッダ像は、個人的な修行と利他的な行動のバランスを保つことです。一方で、自己の苦しみを克服し、多くの人々を導いて涅槃に入りたいという願いを持ち、何百億年もの修行を繰り返した布ッダ像も尊敬されます。
梵天感情のエピソードが示すお釈迦様の性格の変化は何ですか?
-梵天感情のエピソードが示すお釈迦様の性格の変化は、個人的な修行から人々のために説法を始めるよう心が変わることで、利己主義者から慈悲の人に変わったという点が重要です。
歴史的に見て、梵天感情のエピソードはどの時代に発生したと推測されますか?
-歴史的に見て、梵天感情のエピソードは、仏教の創始期に発生したと推測されます。お釈迦様が説法を始めることを決める前夜に起こったとされ、仏教がどのように生まれたかを理解する上で重要なエピソードです。
お釈迦様が説法を始めた直後に行った行動は何ですか?
-お釈迦様が説法を始めた直後に行った行動は、社会に出て実際に説法を行ったことです。これにより、仏教の教えが広まり、多くの人々に伝えられました。
仏教の教えが広まるにつれ、お釈迦様のイメージはどのように変化しましたか?
-仏教の教えが広まるにつれ、お釈迦様のイメージは神格化され、過去から人々のために修行をしてきたという理想化されたブッダ像へと変化しました。これは、信者たちがお釈迦様をより崇拝し、教えをより深く受け入れるためのプロセスと言えます。
梵天感情のエピソードはどのようにして仏教の物語に組み込まれたのですか?
-梵天感情のエピソードは、仏教の物語が徐々に組み上げられた過程で、ある時点でストーリーに組み込まれたと推測されます。お釈迦様が心変わりを経験し、説法を始めたというエピソードが、後に加えられたものとされています。
Outlines
🌸 梵天感情と仏教の関係
この段落では、梵天感情が仏教の周囲で果たす役割とその意味について説明されています。お釈迦様が説法を開始するための梵天の役割に焦点を当てています。また、仏教がどのようにカラモン教(バラモン教)の価値観から離れ、新しい価値観を提唱したかについても触れられています。
🌱 過去生と梵天感情の矛盾
この段落では、お釈迦様の過去生と梵天感情との関係について探求されています。お釈迦様が過去生で誓願を立て、何度も生まれ変わる過程とその修行の目的について説明されています。しかし、梵天感情が登場すると、お釈迦様はその誓願を忘れ、梵天のアドバイスを受けて人々のために説法を始めるようになります。これは、過去生の物語と梵天感情のエピソードが矛盾していることを示しています。
🌟 仏教の理想と信仰の選択
この段落では、仏教の理想像と信仰の選択について議論されています。仏教徒がどのようにお釈迦様を崇拝し、信仰を形成するかが問題づけされています。お釈迦様が人間として修行し、心変わりを遂げたプロセスと、お釈迦様が過去世から人々のために修行してきたという二つの物語の間に対立があることが指摘されています。
📖 梵天感情の物語の位置づけ
最後の段落では、梵天感情の物語が仏教のどの段階で位置づけられているかについて考察されています。梵天感情が過去生の物語よりも後に加えられた可能性があることが示されています。この物語が、お釈迦様をより神格化した伝説に変容する過程で追加されたと考えられています。
Mindmap
Keywords
💡梵天感情
💡仏教
💡釈迦
💡説法
💡梵天
💡バラモン教
💡カースト制度
💡菩提樹
💡涅槃
💡蓮の花
💡菩薩
💡修行
Highlights
梵天感情の話を続ける
梵天は仏教の周囲で重要な役割を果たしている
お釈迦様が説法を請求されたこと
梵天は最高神として認められていた
仏教はバラモン教に対抗して生まれた
仏教はカースト制度を否定する
梵天はお釈迦様の説法を支援する
お釈迦様が説法することによって人々を助ける
梵天感情は佛陀の教えを開始するターニングポイント
お釈迦様は最初から説法を解き広める意志を持っていなかった
過去生の誓願と梵天感情との関係
梵天感情が佛陀の心の変わりを象徴する
仏教の教えは人間的な佛陀から始まった
仏教の理想と実際の信仰者が異なる可能性
梵天感情のエピソードが仏教の物語にどのように組み込まれたか
お釈迦様が悟り、菩提樹の下で開かれた後の行動
仏教の歴史的発展と梵天感情の位置
佛陀の教えが社会に広まる過程
Transcripts
皆さんごきげんよう
梵天感情の話をもう1回続けますねうん
a
この梵天感情が打つ前の中でどういう意味を持っているかあるいは
仏教という周長を語る上でどのような役割を果たしているかということについて
大枠でお話をしていこうと思っています
えっとまず一番あの子のエピソで大事なことは
このお釈迦様に説法をお願いした人が一つか神様が
梵天であるということですねこれはもう皆さんお気づきだと思いますけれども
梵天つまり brahman は第1シリーズでも何度も言いましたけれども
もともと仏教
生まれる前のそれ以前のインドのメインの宗教であるわけです
でもちろん仏教が生まれてきたその土地にも
バラモン教というのは大きな力を持っていたわけですね
そのバラモン教というのはバラモンという名前から示す通りこれは
ああ
本つまり brahman を頂点とするひとつのその神々を信じる
体型の酋長なわけで従ってこの
バラモン腸の中では
この本点というものが最高神としてそして我々に温知会恩寵を与える
最もよりどころとすべき存在として認定されていたわけです
で仏教は当然そのバラモン教に対抗する形で出てきた宗教ですね
で
そのバラモン教が制定するカーストに基づくいるその社会システムというものから離脱
する人間を後押しする
バラモン教の価値観世界観の中から
へ
まあ飛び出して別の価値観で生きたいと願う人たちのために生まれてきた
酋長ですねですから当然ですがそのバラモン教の最高神である brahman と
いうもののそのパワーですね我々に体温計を与えるというその絶大ぬ
別大なる
パワーを仏教は否定するわけです
ねえ
そういうその枠組みの中でこの梵天感情を見てみますとね
お釈迦様が
説法をしようかどうしようか逡巡している
やっぱりやめとこかという時に天から降りてきて大事なことはそのお釈迦さまの前で手
を合わせてお願いをしているのがぼんてんだということですね
これは別の言い方しますと
お釈迦様がこの後説法することによって人々を助けるというその仕事それを
梵天は代行できないということなんです
梵天にはその力はないんだぞ
釈迦がやるような車お釈迦様ができるような仕事は
梵天には無理だということをここで如実に表しております
だから梵天がお釈迦様にお願いをするんですね
やってくださいと
で国にはもう明らかにこれはもちろん
仏殿の作者が
あの作った話だと思いますけれどもそこには仏教というのが
バラモン教の梵天というその絶対近位に言いま
従わないそこからあの
ですね離脱する主長であるそれを超える宗教なんだと腹満潮を超えるんだというその
ルールなんていうかな
仏教3の宗教観というものをここに
反映させているわけなんですね
これが梵天感情の話のその梵天が降りてくるという最も重要なポイントになるわけです
ね
うん
それでもう一つ大事な点があります
それはうーんこの段階まで
お釈迦様は人々に説法4を
仏の道を解き広めようという思いがなかったということですねこれがここに帰ってき
ました
越冬
2番目の子ですね1番目も入っちゃいましたしまう
今日もタイミングずれました米ですで a 2番目の子の分らはこの時点まで人々の
仲裁を考えていなかったという話なんですねしたがってこの梵天感情をターニング
ポイントとして
あのお釈迦さまは
ああああああ
この段階から人々のために世界のためにあるいはこの俗世間の価値観で生きられない
人々のため
旋回のたとえで言うと水上から顔を出して咲く蓮の花のために
説法をするという話になります
そうしますとねこれとあの
一番最初の方で言いましたけども打つ電通が実はあの
お釈迦様は生まれた時から始まる物でもあるし
一番そのあの完成たいとしてあの
広く大きくなったものはお釈迦様の過去生
ですねあの
過去の仏と出会ってそこで誓願を立ててそして
受器を受けてそれから何回も何回も生まれ変わりながらその中で修行していくてあの話
ねあれと梵天感情は無理をするんです
合わないんです
若いですか
もしも
過去世において2と出会って私もあなたのようなルナブッダになりたいですと
お釈迦様が近いを誰だとするならばそのと力もお釈迦様分らになるということを目指し
ていたはずなんです
文等になるということはこれどっか苦じゃありませんからあの悟ったらその子様人々に
時広めて多くの人たちを涅槃に導くぞという決心をしたという話
でしょそこからずっと何回も何十億年何百億年もの間生まれ変わり氏に代わりを
繰り返す間ずっと菩薩として修行を積んで
そしてカピラ城で生まれて英王子となってそして出家して
修行をして菩提寺の下で悟ったんですね
そうしましたらその段階で分らになるわけですから
その直後から最初の近い通り
人々に教えを説き広めるはずなんですね
ところがそれをしない
でこの本犬感情の話になってこのエピソードのこの段階で初めて
ああそれならば梵天の教え梵天のアドバイスを受け入れて私は人々のために方とこうっ
ていうわけですからこれ元々の誓いを立ててくらい
ずっと過ごしてきた菩薩のしての姿と合わないですね
でしかもですよ菩提樹の下で悟りを得られて分台になった分らはブッダですね原則とし
てすべてのことを見通す力があるんです
ところがこの本転換上の話を取り入れますとお釈迦様は悟った後も梵天にあの
進められるまでの間は自分が元々分団になるために修行してきたという過去世のことを
忘れていたということになりますね
そうでしょ
梵天に言われて初めてハッと気がついたらそれだと悟ってから梵天に言われるまでの間
はブッダになっているのに自分が今まで積んできた過去の修行の目的を忘れていたと
いうことになってしまうわけです従いましてこの梵天感情な話とそれから実はを
逆さまの過去には演題になるその修行の菩薩の道があって初めからお釈迦様は分断に
なり人々を救おうと思って修行してきたんだという話は実は矛盾するわけです
縁ら取りますか
私はあの子のシリーズの一番最初に皆さんに申し上げたんですが
仏殿というのはそれを読む人の
その仏教観ブッダ感というのを反映するのだと映し出すのだと申し上げましたねえ
例えばゆま私は仏陀の便器について入手
縫いの道をみなさんにご紹介しているわけです
お釈迦様は普通の人として生まれ
そして出家して修行し自分の苦しみをチェスためだけに修行をしそしても台の下でを
悟りを開き自分の苦しみが全部消えたという自覚を持ったその
の段階から後にマー坊店さんが効か過去な方が別としても心変わりをしたんだと
梵天感情というのはお釈迦様の心変わりを表しているわけですよね
それまでは自分のために修行し自分のために悟りを開いたこの私のこの道を他の人々に
も時広めて他の人の役に立てたいという願い
思いをその時を起こしたんだ
それまでは利己主義者であったけれども梵天感情から後で慈悲の人に変わったと言う
このぶんだの姿と
数百億年昔に過去の仏と出会ってそこで私もあなたのようなブッダのようなあなたの
ような分断になって多くの人々を導いて助けて
そして涅槃に入りたいと言う
元を立ててそして人々のために何百億年もの
修行を繰り返し最後に菩提寺の下で
を悟りを開いてそこで本当にあの
希望通りの近い通りのブッダになって人々救いましたというこのぶんだぞーと
どちらをあなたは仏教の仏陀として
へ
まあ崇めるのか理想と考えるのかということなんですねこれはのあれですよクイズじゃ
ありませんから
答えはないんですよ答えなんかありませんよ
あなたは仏教という宗教をどのような宗教としてみますか
あるいはもしこのあの画面の向こうにおられるあなたたちが皆さん方が仏教徒であると
いうのならばどのような仏教を信じる仏教徒なのかということがこの仏殿のどちらを
取るか
によってかなり明確に色分けされていくわけなんですね
いわゆるじゃないですか
まあ私はもう散々言ってきましたから今さら隠してましょうへい
私は人間としての人としての振った
われわれと同じ姿で生まれ同じように同じ
暮らしの中で苦しみを感じその苦しみをなんとか取り除こうと努力してそしてその道を
見つけたあ
とに初めて人々その道ですくおうというふうに心変わりをしたブッダに惹かれている
人間なんですけれどもそれは私の個人的なあの立場ですし私は別に宗教団体背負って
いるわけじゃありませんから
その私の使用人々に良い
披露目
の時も全然ありませんから
私の個人的な選択としてそちらが好きなんですけどそれは勝手なんで私の過程です皆
さん方どう思われますかここには一つの大きな宗教観に対する我々自身のあり方が現れ
ていくですから仏殿というのは非常にそういう意味では自分自身の立場を知るという
意味
医療大きな足がかりになるそういうあの
とかな文献なんですねこういう
領域なんですね
そのありがとうございます
それでさあそれでどうなんだと梵天感情な話が先なのかあるいは大昔の過去世から人々
のために修行をしてきた仏陀というこの話の方が古いのかどっちなんだという話なん
ですねこの辺りからなりますとまぁこれをはそのなと
か学問的にというのかな論理的に歴史的にですね
歴史的に白黒つけるという話になっていきますけれどもね
まあ可能性ですこれはあの確実じゃありませんけれども可能性としてはおそらくは梵天
感情の方が古いですね
あの声ですこう考えます
加工性の過去物と出会ってからのその演題になる
こちら広い仏殿がもし先にあったとしますと
これはですね全体としてものすごく大きなストーリーが一貫してできあがっていたと
いうことを意味するんですねそれはそうですね
加工物に出会ったというエピソードはあるけれどもそのあとの話はありません
そんなことはありえないので大昔の出発点が作られた
からそこからお釈迦様がブッダになってを悟りを開いたというところまでは全部一連の
物語として皆頭に想定するはずですから
はじめに過去物な話があったとするならば
遠大な仏殿がまずあったということになりますねそこへ後から
梵天完了な話が
ああああああ
入ってくるとなると
その話一つで全体の構造が崩れることになります
そうでしょ
矛盾する話が入るわけですからそういうことがあっただろうか
いうと可能性はかなり低いと思いますね
で逆のことを考えますと演題なる全体としての物ではまだリっていなかったんだと
そして個々のエピソードだけが点在していたものを
ある時にいいそのストーリーとして組み上げる時にその本犬感情の話が入ったんだと
その段階ではまだ
分らは過去世からへ
人々のために修行をしてきたというその
菩薩思想のようなものはまだ生まれてなくてむしろ逆に生身のお釈迦さまの人生として
の私はあの時にこう
心変わりしたんだというようなエピソードが組み込まれて梵天感情の話ができていた
でしかしだんだんとみんなが a
後になっているお釈迦様をその
伝説化し神格化していく中でいやいやお釈迦様というのはそんな
あの若い頃は利己主義でその後でご口外したとそんなじゃなくてもう昔昔から人々の
ために修行をなさってきた大変ありがたい人なんだというふうな話になってどんどん
栄光話が膨らんでいって
その中に最初の梵天感情の話だけがぽつんと残っているとこういう保持されたままで
全体像としては慈悲深いブッダというものへと変容したと考えた方がまああの
というかな成立のプロセスとしては可能性が高いであろうというふうには思いますけど
ただしこれは一つの仮説でありますからそうでないのかもしれない
今の現在我々が持っている資料に基づけばそのように想定することができるであろうと
いうことなんですね
あの梵天感情もこれ悟りと並んで大変重要なお話なんですけれども
あんまりこればっかりやってるとまたね先へ進めませんのでそれではこの本犬感情の話
もこの辺にしまして
次はそのさと竜の道を土地広めることをチェッ新したお釈迦さ
雨が実際に説法をなさっていくという社会に出ていくその姿をご紹介していこうと思い
ます
邪教わかるわかる
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