上原ひろみ 【アメリカ留学インタビュー 】
Summary
TLDR上原ひろみは、ボストンのバークリー音楽大学でジャズ作曲とコンテンポラリープロダクションライティングのデュアルメジャーを学び、アメリカに留学しました。幼少期からアメリカの音楽に憧れていて、20歳時にアメリカへ行きました。バークリー音楽大学での入学式で、素晴らしいミュージシャンたちが演奏し、彼らと同じ1年生であることを知り、衝撃を受けながらも期待とワクワク感を覚えました。アメリカでの生活は、言葉の壁や文化の違いなど、様々な困難に直面しましたが、それらを乗り越えながら自分自身を表現し、トレードマーク的な髪型を手に入れました。アメリカは多様な人々が集まる場所であり、そこには冒険が詰まっています。日本を離れて初めて感じる日本への愛情も湧き、外国人になる経験は非常に有意義でした。もしアメリカへ行きたがっているなら、素晴らしい冒険が待っていると信じています。
Takeaways
- 🎓 上原ひろみは、ピアニストとして、ボストンのバークリー音楽大学でジャズ作曲とコンテンポラリープロダクションライティングのデュアルメジャーを学びました。
- 🎼 自幼から様々な音楽に触れ、アメリカで生まれた音楽やミュージシャンに憧れを抱きました。
- 🌟 20歳の時にアメリカへ留学し、バークリー音楽大学での入学式で素晴らしいミュージシャンに出会い、彼らと同じレベルに達できると期待しました。
- 💇 アメリカでの生活で、アジア人のアイデンティティを示すために、特徴的な髪型をアドプトしました。
- 🤯 初めは言語の壁を感じ、日常生活の小さなことも大きな障害と感じましたが、それも乗り越えました。
- 🌈 アメリカは多様な人々が集まる場所で、そこでは冒険と新しい経験がたくさんあります。
- 🇯🇵 日本を離れることで、自分の故国の良さについて初めて実感し、外国人としての経験は貴重だと感じました。
- 🚀 一度アメリカへ行ってみることができれば、楽しい冒険が待っていると信じています。
- 👂 言葉が通じなくても、コミュニケーションを図る努力を通じて、新しい言葉や表現を学びます。
- 🎉 演奏で認められる経験から、自分の音楽に対する自信を持ち、他人との交流を通じて成長しました。
- 🌟 アメリカでの留学は、音楽だけでなく、人生全体に深く影響を与える素晴らしい経験でした。
- 💪 もしアメリカへ行く気持ちがあれば、その冒険に積極的に挑戦し、新しい世界を体験することをお勧めします。
Q & A
上原ひろみさんはどのような音楽を聴いて育ちましたか?
-上原ひろみさんは幼少の頃から様々な音楽を聴いて育ち、特にアメリカで生まれた音楽に親しんでいました。
彼女はなぜアメリカに留学を希望しましたか?
-彼女はアメリカで生まれた音楽やミュージシャンに憧れ、アメリカに行きたいという気持ちがずっとあったためです。
上原ひろみさんはバークリー音楽大学でどのような学びをしましたか?
-彼女はジャズ作曲とコンテンポラリープロダクションライティングという2つのメジャーをデュアルメジャーで学びました。
彼女はアメリカでの生活で最初に直面した困難は何でしたか?
-言語の壁と文化的な違い、例えば電気屋さんに延長コードのことをお伝えする際の言葉の使い方などが最初は困難でした。
彼女はどのようにして自分の髪型をトレードマークにしたのですか?
-彼女はアジア人の学生が多くいたバークリー音楽大学で、自分の演奏が間違えられる経験から、自分の髪型をトレードマークにしました。
上原ひろみさんはアメリカでの生活をどのように感じていますか?
-彼女はアメリカでの生活を毎日が冒険のように感じており、世界中の様々な人々と出会うことができる場所だと感じています。
彼女はアメリカでの経験から何か学びを得ましたか?
-彼女はアメリカを離れて初めて日本の良さを感じることができたと語っており、外国人になる経験は非常に有意義だと感じています。
彼女はアメリカでの音楽生活で印象に残った出来事は何ですか?
-入学式で演奏した素晴らしいミュージシャンが実は新入生であることが大きな衝撃であり、同時に期待とワクワク感を与えてくれました。
彼女は自分の音楽活動をどのように紹介していますか?
-彼女は自分がピアニストであり、バークリー音楽大学で学んだことを紹介し、アメリカでの音楽活動を通じて多くの経験を積むことができたと語っています。
彼女はアメリカでの生活で何か困難を感じなかったことはありますか?
-彼女はアメリカでの生活が楽しい冒険であり、一度行ってみたくなるような経験がたくさんあると述べています。
彼女は若者に対して留学を奨励していますか?
-彼女は留学を通じて多くのことを学び、自分にとって有意義な経験ができたと語り、留学を検討している若者には挑戦を奨励しています。
Outlines
🎓 アメリカ留学の経験と音楽への情熱
上原ひろみは、ボストンのバークリー音楽大学でジャズ作曲とコンテンポラリープロダクションライティングのデュアルメジャーを学びました。アメリカで生まれた音楽やミュージシャンに憧れて、幼少の頃からアメリカに行きたいという気持ちがありました。20歳の時にアメリカへ留学し、入学式で素晴らしい演奏をされたアメリカ人の新入生たちを見て、彼らと同じレベルになれると期待しました。また、アジア人の学生が多くいたことも印象的でしたが、自分の髪型がトレードマークになり、演奏後に友人から「great show」と言われることもありました。言葉の壁を感じながらも、アメリカでの生活は毎日冒険的であり、楽しむことができたと述べています。
🌟 外国人としての新しい経験
上原ひろみは、自分が外国人になる経験が非常に良い経験だったと語っています。アメリカに留学することで、言葉の壁を感じながらも、新しい文化や人々との出会いを通じて多くのことを学びました。アメリカは世界中の人々が集まる場所であり、そこでは冒険が詰まっています。また、日本を離れて初めて日本の良さを感じることができたと述べ、もし一度行ってみようと思う気持ちがあれば、楽しい冒険が待っていると励ましています。
Mindmap
Keywords
💡上原ひろみ
💡ピアニスト
💡バークリー音楽大学
💡ジャズ作曲
💡コンテンポラリープロダクションライティング
💡アメリカ
💡新入生コンサート
💡ヘアスタイル
💡言語の壁
💡異文化交流
💡外国人としての経験
Highlights
上原ひろみは、ジャズ作曲とコンテンポラリープロダクションライティングのデュアルメジャーで、ボストンのバークリー音楽大学に通ったピアニストです。
幼少の頃から様々な音楽に触れ、アメリカで生まれた音楽やミュージシャンに憧れを抱きました。
20歳の時にアメリカに行き、バークリー音楽大学での入学式で素晴らしいミュージシャンたちに出会い、彼らと同じ1年生であることに衝撃を受けました。
アメリカに到着後、その場にいる人々と同じレベルに達できる可能性に期待とワクワクを感じました。
大学時代に演奏し、アジア人の学生が多くいたため、自分の髪型をトレードマークにしようと思い、ライオン丸のような髪型にしました。
言語の壁を感じながらも、アメリカでの生活は毎日が冒険的で楽しめることが分かりました。
アメリカでの生活で言語の障害を感じ、たとえば「延長コード」や「たこ足配線」という言葉が分からず、困難を感じました。
アメリカに滞在し始めた際、言葉が通じず、生活上の問題にも直面しましたが、それらを乗り越えながら成長しました。
アメリカは世界中の人々が集まる場所であり、そこで多くの経験を得られると感じました。
日本を離れて初めて、日本の良さや価値を実感しました。
外国人になる経験は非常に価値があり、自分にとって素晴らしい経験でした。
アメリカへ行くことを考えている人は、そこには楽しい冒険が待っていると確信しています。
アメリカでの経験は、自分にとって非常に有意義であり、人生に大きな影響を与えました。
音楽を通じて人々の心を打ち、異なる文化の間を架けることができると感じています。
アメリカでの音楽大学での学びは、音楽だけでなく、人生観や価値観にも大きな影響を与えました。
自分の音楽を通じて、アメリカの人々と共感を持ち、文化的な壁を超えられると感じています。
アメリカでの生活は、自分にとって非常に刺激的であり、新しい発見があるたびに成長しました。
アメリカでの経験から学んだことを、今後の音楽活動や人生に活かしていきたいと考えています。
Transcripts
上原ひろみです
ピアニストです
ボストンのバークリー音楽大学で
ジャズ作曲という
ジャズコンポジションメジャーと
コンテンポラリー プロダクションライティングという
メジャーを2つ
デュアルメジャーで
4年間行きました
幼少の頃から
いろいろな音楽を聞いて育ってきて
自分の好きな音楽が
アメリカで生まれたものも たくさんあって
自分の憧れのミュージシャンも
アメリカで生まれた人だったり
またはライブ盤が
ライブインニューヨークとか
現場はアメリカにあるみたいな イメージが
ずっと小さい頃からあって
いつかアメリカに行きたいな っていう気持ちが
本当にずっとあったので
中学卒業するタイミング
高校卒業するタイミングで
いつも一度は考えたんですけど
自分が行きたくて たまらなくなるまで
待とうと思って
それが20歳の時でした
アメリカに行って
最初の新入生コンサートって いうのが
入学式であったんですね
素晴らしいミュージシャンが
4人演奏していて
全員アメリカ人の人 だったんですけれども
やっぱり自分が
すごくアメリカという国に 期待して行ってるから
ここに行ったら
こんな素晴らしい人たちのように なれるんだとか
このレベルになれるんだって
見て思うんですけど
その人たちがまさかの新入生 だったんですね
同じ1年生かっていう
衝撃はすごいあって
でも衝撃と共に
この人たちとできるんだっていう
期待というか
すごいわくわく感があって
すごいよかったです
間違いなくアメリカに行ったから
このヘアスタイルになりましたね
それは間違いないですね
やっぱり大学時代に
いろいろ演奏していて
現地にアジア人の学生さんが
たくさんいらっしゃって
前日に私が演奏してたにも関わらず
私の友達が
great showと言われたりとか
間違えられるんですね
だからすぐやっぱり ひろみって分かるものを
と思って
ちょっと不思議な
髪型を
当時もうちょっとライオンみたいな
ライオン丸みたいな 髪型してたんですけど
そうしたら
やっぱりあの髪型の子だって
すぐ分かってもらえるので
トレードマークみたいな感じで
最初に
その髪型を始めたっていうのは
向こうに行った時に
こんなに顔って
覚えてもらえないものなんだなって いうのが
衝撃でしたね
言葉が通じないっていうことの
最初は壁というか
歯痒さというか
それがすごくありましたね
それをすごく思い出します
延長コードが分からなくて
たこ足配線っていう言い方が
分からなかった
すごく覚えています
電気屋さんに 住んで3日目くらいで行って
たこって言っても オクトパスじゃないから
さあどうしようと思って
Multi-tapって 書いてあったんですけど
でもそんな言葉も知らないし
困ったなと思って
電気屋さんに行って
うちには冷蔵庫があって
電子レンジがあって
パソコンがあって
全部一緒に使いたいけど
口は1つみたいな感じで話して
ああ みたいな
本当に手探りですよね
そういうことが
楽しめるかどうかっていうのは
すごく大きいと思います
毎日が冒険みたいでした
世界中には 本当にいろいろな人がいて
そのいろいろな人が
ぎゅっと集まっている場所が
私はアメリカだと思います
そこには本当に
たくさんの冒険が
詰まっているので
いろんな経験が
できると思います
そして日本を離れて初めて分かる
日本の良さもあるので
そういった意味でも
やはり一度
自分が外国人に なることっていうのは
私にとってはすごい
いい経験でした
一度行ってみたいなという 気持ちが少しでもあるのなら
絶対にそこには
最高に楽しい冒険が
待っていると思います
頑張ってください
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