徹底討論『働いていると本が読めなくなる』問題はいかに「解決」されるべきか?
Summary
TLDRこのスクリプトは、現代社会において働く人々が本を読む時間が取れない問題を探求しています。作者は、歴史的な視点から日本のサラリーマンの読書習慣を振り返り、現代の読書環境と労働環境を比較検討します。また、読書に対する人々の関心と欲求、そして出版業界の変化についても触れ、読書を通じて個人が変わり、成長する喜びを語っています。読書の重要性と、それがもたらす個人の成長と変化をテーマに、文化批評的な視点が交織された興味深い議論が展開されています。
Takeaways
- 📚 現代のサラリーマンは忙しさから本を読む時間が取れないという問題があるとされている。
- 🎬 映画「花束みたいな恋をした」では、主人公が働かなければ本を読む時間がなくなってしまう様子が描かれている。
- 📖 三宅さんの書籍では、なぜ働いていると本が読めなくなるのか、歴史的にも現代的にもその理由を探っている。
- 📚 本の面白さを伝える方法について、読者を変えられることの楽しさを強調している。
- 👥 読書が減少する背景には、情報過多と劳动環境の変化が関係していると分析されている。
- 📚 本を読むことは、単なる知識の獲得ではなく、自己変化の契機となると説かれる。
- 💡 読書を促す方法として、本の魅力を直接体験してもらうことの重要性が強調されている。
- 🗣️ 対話やSNSでの議論は、個々の読書体験を豊かにする共同体の楽しさを提供している。
- 👀 現代の文化において、本を通じて自己表現や自己確認を行う傾向があると指摘されている。
- 🌐 SNSが普及する中で、個人の孤独感や退屈を解消するための新しいコミュニケーションの形が求められている。
Q & A
このトークで語られた本のタイトルは何ですか?
-「働いてると本が読めなくなる」というタイトルの本が語られています。
「働いてると本が読めなくなる」という本はどのような内容ですか?
-本は読書と労働の関係性について歴史的に紐解きながら、現代のサラリーマンがなぜ本を読む時間がなくなるのかを探求しています。
トークの中で作者はなぜ本を読む時間がなくなると感じるのですか?
-作者は働く人たちが忙しくなり、余裕がなくなることで本を読む時間がなくなってしまうと語っています。
トークの中では日本の労働環境がどのように語られていますか?
-日本の労働環境は非常に厳しいとされ、それが読書時間の減少に影響していると述べられています。
トークの中で「読書の快楽」についてどのように語られていますか?
-「読書の快楽」は読書を通じて自分を変えられることの楽しさとして語られており、読書が単なる情報を得ること以上の意味を持つとされています。
トークの中では「ノイズ」とはどのような意味ですか?
-「ノイズ」とは不要な情報や周囲からの雑音を指しており、読書時にそれらが邪魔になると語られています。
トークの中では「本が好きな人」と「私が好きな人」の違いはどのように説明されていますか?
-「本が好きな人」は単に本を楽しむ人に対し、「私が好きな人」は本を通じて自分自身を探求する人という違いが説明されています。
トークの中では「文化系」という言葉がどのような文脈で使われていますか?
-「文化系」は読書や文化的な活動を好む人々を指しており、その言葉が現代では誤解されやすいと語られています。
トークの中では現代の若者たちが直面している課題とは何ですか?
-現代の若者たちはSNSなどの影響で自己紹介や自己表現が難しくなったとされ、孤独感や自己の价值を見失う問題があると語られています。
トークの中では読書を促すためのアプローチとして何が提案されていますか?
-読書を促すため、読書の楽しさや自分を変えられることの重要性を伝えることが提案されています。
Outlines
📚 読書の難しさとその意義
第1段落では、忙しい現代人にとって読書が難しくなる背景と、読書に対する愛着が持続する理由について語られています。本の面白さだけでなく、読書が人を変える力があるという快楽についても触れられています。また、著者が読書の重要性を語る新書を出版し、日本の働き方改革と読書の関連性についても議論されています。
📚 読書の衰退と社会的背景
第2段落では、読書が減少する社会的な要因が探求されており、過去の日本人がどのように本を読んできたか歴史的に分析されています。現代のサラリーマンと過去の日本の労働士を比較し、読書と労働環境の関係について考察しています。
📚 出版業界の変化と読書文化
第3段落では、出版業界の変遷とそれに伴う読書文化の変化について語られています。戦後の円本ブームや中産階級の台頭、それに伴うインテリアとしての全集の需要など、出版業界が読者を捉えた戦略が議論されています。
🎨 芸術とビジネスの融合
第4段落では、芸術がビジネスの道具になる現代の状況について批判的に語られています。人文学の価値や批評的、文化的であるという観点がメタメッセージ化され、その危うさを指摘しています。
📚 世代間のギャップと文化へのアプローチ
第5段落では、世代間のギャップと文化へのアプローチの難しさについて話されています。前世代が抱える価値観と若い世代が直面する情報環境の変化について、文化的需要の変化とそれに伴う新しい文化の形について考察しています。
📚 読書の促進と世代間の対話
第6段落では、読書を促進するための世代間の対話の重要性が強調されています。90年代の文化とサブカルチャーの影響を受けた世代が、新しい時代の読書文化をどう形づくるのかについて語られています。
🎭 映画と本の価値の再考
第7段落では、映画や本の価値について再考し、それらが人生に与える影響について語られています。映画好きの男性が本を通して人生の価値を見つめ直す様子や、階級的な問題意識が織り交ぜられていることが議論されています。
📚 読書の個人化と社会的な役割
第8段落では、読書の個人化とそれに伴う社会的な役割についての議論がされています。SNSが普及する現代において、個人が文化的なアイテムを通して自己紹介する文化と、それと対峙する独自の価値観を持つことの重要性について考えています。
🎨 芸術作品と個人の変革
第9段落では、芸術作品が個人に与える影響と、その作品を通して引き起こされる個人の変革について話されています。作品への出会いが人生に与える変わりと、その出会いを通して生まれる自己認識の変化について考察しています。
📚 読書の復興と文化的アイデンティティ
第10段落では、読書の復興と文化的アイデンティティの重要性が語られています。孤独や退屈を取り戻し、文化的アイテムとして位置付けられた読書の価値を再評価する必要性が強調されています。
Mindmap
Keywords
💡読書
💡文化系
💡共感
💡孤独
💡評価
💡社会的なつながり
💡自己表現
💡批評
💡フィクション
💡コミュニケーション
Highlights
働いているとなぜ本が読めなくなるかという問題についての議論。
本の面白さと読んだ時に気づく自分を変えられることの楽しさ。
歴史的に日本のサラリーマンの読書について考察。
現代の読書と労働環境の問題についての分析。
読書がノイズとして感じられる現代社会の状況。
本が好きな人よりも本を読まない人が多くなる現代社会。
出版業界の変遷と現代の出版物の傾向。
読書の快楽と出版業界の関係についての考察。
現代の労働環境と読書の時間の関係についての議論。
本を読むことと自己啓発本の流行との関係についての分析。
読書と文化的形成についての歴史的な考察。
現代の社会において本を読むことの意義についての議論。
読書体験と個人の変化についての個人的な体験談。
本を読むことと文化的な自己の関係についての考察。
現代の出版業界と読者との関係についての分析。
読書と自己成長の関係についての議論。
本を読むことの楽しさと現代のメディア環境との関係についての考察。
読書と社会的な相互作用についての議論。
現代の社会において本を読むことの重要性についての強調。
Transcripts
働いてるとそんなノイズの情報いらないん
だけどっていう余裕のなさからは本が読み
なくなる人間っていうのはそそそんなに本
を読みたくない生き物である本が好きな人
よりも本が好きな私が好きな方がもはや
もう多くなってるとか前提に書かれてる本
で本自体の面白さに実際読んだ時に気づい
てもらう自分を変えられることの方が
楽しいんだっていうこうそこの快楽って
いうのをどうやって伝えていったらいいの
かなっていうのすごく考えますね
[音楽]
はいえっと宇ですえっと皆さんえ今日も
よろしくお願いしますでねあの今日はもう
本当にあの今お時めくえっとこの方に来て
いただきましたもう文芸ひの三かほさん
ですよろしくお願いしますほですよろしく
お願いしますよろ願あの皆さんも読みまし
たかあのねえっとなぜ働いてると本が読め
なくなるのか主上写真書はいもうあの気が
ついたら10万部のそうなんです発酵部数
10万部をはいにきましたこれはもう本当
にもう三宅さんがあの宣言していた通り
なんか新書対象とかもね結構射程に入って
くる数だと思うんですけどうですか直に
いやもう本当に私去年のあの1月から年祭
が2023年の1月から年祭が始まってで
それこそちょうど去年の2023年の5月
ぐらいにいややっぱこの連載が新書になっ
た暁月には絶対に新書対象を取って日本の
働き方を変えて本が読めるような働き方が
できる国にしたいみたいなことを言ってた
んですけどその時はもう本当
Twitterの暴言みたいな感じだった
んですけど結構今なんかその話をしてた時
から1年経ってなんか意外とえなんか新書
大賞えちょっと本当に頑張って狙える位置
に来ているのではみたいな話を担当編集者
さんとしているので頑張って新相対象
狙おうと思いますって感じですうんので
あのね今日はねだからそのねなんかこう
あのなぜ働いと本が読めなくなるか問題に
ついて結構お話していただきながらですね
えすごく大事なことなんですけれ宮さんの
もう次の本ってすに出てるんですよそうな
んですよすに出てるんですこれが本当に
大事な話でじゃちょっとご紹介お願いでき
ましょうできますでしょうかはいこれが
一番大事な話なんですけどえっと娘が母を
殺すにはっていうちょっと物騒なタイトル
にはなっているんですけど実はこれえっと
プラネッツダンスカンパニーまなんかあの
まこのタイミングでねすごくこうあの
ベストセラ出された直後だしちょうどね
うちからも新刊が出るというタイミングで
ね今日はね三宅さんをねなんかこうお呼び
してですねまあの主に新書の話を聞こうと
思ってるんだけどなんかこう見てる人には
ねこう三宅加法っていうやっぱ魅力的な
書き手がねまあの今こう勢力的に仕事し
てるんだってことを一番覚えて帰って
もらいたいなっていう風に思ってますんで
よろしくお願いしますよろしくお願いし
ますよろしくお願いしますじゃあもうね
じゃあどっから行こうかなって話なんです
けどもうまず何かこうあのはい
集英者新書のねあの働くと本が読めない
問題てまどういう本なのかこうざっくりと
まだ読んでない人のたに説明してもらえ
ますかはいえっとなぜ働いてると本が読め
なくなるのかってまタイトル通りそのま
働いてるとなかなか本が読めないっていう
話があの実はですねえっと映画のあの花束
みたいな恋をしたっていうえっと映画が
あってですねまその映画の中にますごく
その働いてるとこうなかなか本が読めなく
なった映画が見れなくなった主人公って
いうのは出てくるんですけどまそのの話が
じゃあなんでこの主人公はこんなに映画が
見れなくなったり本が読めなくなったりし
たんだろうっていう疑問をもにまちょっと
じゃあ名時代まで遡って明治から現代に
至るまでこう日本のサラリーマンはどんな
風に本を読んできたのかっていうのをま
歴史的にちょっと紐解きながらなんか日本
のこう労働士と読書子をこう並べてみる
ことによってじゃ現代の私たちだけが一体
本を読めていないのかそれとも歴史的に見
てなんか今までの日本人はどうやって本を
読んできたんだろうっていうことをま
ちょっと考えながら現の私たちのま読書と
労働について考えるみたいな本になって
おりますうんでこうざっくりとこう三宅
さんの結論としてはもちろん僕はもうゲラ
の段階で読んでるんで結論してますけど
どうなんですかなんでなんで本読めないん
ですか僕たちはそうなんですよねま私たち
はでしかできないんですかなんですよねま
その花束みたいな声をしたにねもう伝説の
メシであの主人公のまその菅田さんが演じ
られる麦君ていう男の子があうんあのまあ
今までこう大学時代は小説とかすごく映画
とか舞台が好きだったのになんかこう働き
始めてパズドラしかできなくなって
ちょっと虚無の顔で会社でパズドラをやる
シーンっていうのがあってまちょっと伝説
のシーンがあるんですけどまそういう風に
なるのはなんでかっていう話をま考えて
いったところ結構その読書っていうのは
ですねなんか私が結構色々その調べていく
とこう自分の知りたい情報と共にそのその
情報の周辺にあるま文脈だったりあるいは
その知識だったりある意味その知りたい
情報以外のまノイズになるようなこうもの
がれ連れてくるのが私は読書のいいところ
でありまちょっとこう読みづらさでもある
のかなと思っていてま例えばなんかなぜ
働いてると本が読めなくなるのかっていう
タイトルに対してなんでじゃあ働いてると
本が読めなくなるのかっていうこう
タイトルの答えを知りたいのに明治自体の
読書にまで遡るんかいっていうそこの情報
いらないんだけどっていう思われた方は
やっぱその名時代の読書の話とかが
ちょっとノイズになるわけじゃないですか
そこがなんかいらないのになんでその話を
持ってくるんだろうっていうところが
なんかインターネットでその情報を検索
すれば一発で知りたいことにたどり着くの
に本だとその周辺知識も一緒に得られ
るっていうところがま逆にその働いてると
そんなノイズの情報いらないんだけどって
いう余裕のなさからまなかなか本がこう
そこまでノイズを仕入れたくないだから本
が読めなくななるっていう状況になって
しまっているのかなとは思いますねうんま
だからさなんかちょっと意地悪な本だよね
うんまあそうですかねうんねあのいや
なんかわかんない序盤からこんなこと言っ
ていいのかなと思うけどもう結構ね宮さん
とねまあの吉田君て集英者とさ集者僕も
若い頃から彼知ってるんだけどさはいま
ちょっと意地悪の本だなと思ったわけでま
つまりさあのそのタイトルに書いてある
ことをま新書って今本当タイトル勝負に
なってるところもあってさあのタイトルに
ある答えが直接書いてないとちょっと
イラっとしちゃう人って現にいっぱいいる
わけじゃないでそういった人たちをもう
順調に罠にはめてるっていうそうなん
Amazonレビューにいっぱいそういう
あのコメントがありますなんで働いてるか
結局本が読めなくなるのか結局よくわから
ないっていうあのAmazonレビューが
いっぱい書かれてありましただあれねだ
からもう完璧になんかこうあの本を
斜め読みして何かあの世の中にものを言い
たがる人たっていうをもう完全にボケが
掘るようなんかの罠込んでなってあこれ
結構いわな本だなと思ったよままでも逆に
それをなんかやっぱでも名時代の意外と話
とかも知りたいと思ってなかったかもしれ
ないけど面白くないっていうのを知って
ほしいっていううんうんあの意地悪くない
面を言うとそういう本でもあるなねまその
意地悪さも感じたしねま意地悪っていうか
これ多分戦略だと思うんだけれどさあるし
のねあのさま僕この本をやっぱ読んで思っ
たのはま人間ってっていうのはそもそも
そんなに本を読みたくない生き物であると
ああさん言ってましたよねもうもう人類
全体とてそうであるとましかしあのま出版
社ってのは本を売なきゃいけないからま
これが新集すに役に立ちますとかねあの1
家にこれがワンセットあると知的生活に
近づけますとかま一言言うと嘘をついて
騙していっぱい本打ってきた歴史っていう
のはまあありますよねあの結構あるんだと
でなんかだから読書っていうのはま本来
効率がいいものでもなければねなんか必要
なものでもなければもうなんでもないもの
であってうんあのなんかむしろこうなんか
無駄なものとかね余計なものっていうのが
読者の快楽があるんだから当然それってい
のはなんか実行性とかねなんかあの原生
利益みたいなものに普通に考えたら還元
できるもんじゃないんだっていうことを実
は書いてる本うんあそうですそうですうん
なんですよでだからそういった本を何か
こうあのなんて言ったらかなまこの本で
タイトルに引っかかる人の多分何割かって
いうのはなんか実際に本読んでる人じゃ
ないんだと思うんだよねうあのつまりこう
あのいやまあこれちょっといきなり言っ
ちゃうのどうかなと思うんだけどさあの
まだから本が好きなんじゃなくて本が好き
な私が好きな人の方が今も数が多いって
いうことを実はこの本でま分かんない吉田
君がどう宮さん吉田君がどう思ってたか
わかんないけど僕が思ったのはこの本って
いうのは実は本がえっと好きな人よりも本
が好きな私が好きな方がもはやもう多く
なってるとか前提に書かれてる本で教養本
よりも教養論の本が売れるっていうことが
前提に書かれてる企画であってでそのこと
によって中頭になんかこうあのなんか結果
的にさじゃあさなんか本が好きな私が好き
なことを自己確認するためにこの本を読む
となんか明治自体のなんか労働環境論とか
そういったことが出版士みたいな余計な
ことがわーって書いてあってあ意外と面し
みたいなそういった構造になってる本な
わけなんだよねだからなんかそういった
なんか本が好きなあ私が好きっていう人々
の本がもや多くなってるってことを前提に
それを逆に取ってる本だなと思ったそうで
もなんかそれって私結構今に限ったこと
じゃないんだなっていうのは結構やっぱ
すごく調べてて思ってまそれこそその本の
中にも書いてあるとうんよりまその出版者
とかがなんでじゃあ今のように大きくなっ
たかって言うとまその戦後にこう円本って
いうねま前週がすごく伸びたとで前週って
いうのは何のためにできたかて言うとま
その日本がま中産階級ができてそのま家を
買うようになったとで家を買うために自分
たちはこう中流階級のま行けてる
サラリーマンなんだっていうことを示す
ために何かインテリアが必要だったとで
自分たちは貧しくないまかっこいいいけて
いけてるサラマだっていうことをために
そこに応接室に置くための全集が必要だっ
ただからそのインテリアとしての全集を
めちゃくちゃ売ることによって出版者潤っ
たみたいな歴史があってそれってなんか
その今なんか例えばインスタ映えのために
ちょっとこう本を買いたいとかそのま本が
なんだろう読んでる自分がある程度
ちょっとこうかっこいいと思うから本買う
みたいな欲望とほとんど変わらないと思う
んですけど私は逆になんかそういう欲望を
なんか出版者が今は無視しすぎてるという
かなんかひげしすぎてるんじゃないかなと
思っていてなんかそういう欲をずっとその
利用しながら出版者大きくなってでなんか
いい本を出し続けてきたのになんか今に
なってそれ欲望をこうなんか無理になんか
インスタ映えとかをなんか狙おうとしなさ
すぎるから逆になんかあんまり売れなく
なっているのではと思ってもっとその本が
好きな私が好きな人に向けた本ももっと
もっと出していくべきだと思ってるんです
よねうんなんかあのメソッドがたっ止まっ
ちゃってる感じがするんだよねなんかこう
あの自己啓発本の一種としてビジネスに
役立つ共とかねなんかアートのセンスを
磨くと一流のビジネスマンになれます
みたいな結構どうしようもない本いっぱい
あるじゃないまそどうしようもある本も
いっぱいあると思うんだけれどどうしよう
もない本もたくさんあるんではないかと僕
が一方的に想像している素晴らしいかも
しれない本がくさんあると思うんだけれど
なんかさあのまあれなんかあそこで結構
止まっちゃっていてねだから今誰もがこう
発信能力を持っていてねセルフ
ブランディングてことがさ無意結に入っ
ちゃうような世の中においてなんか知的な
ものに対しての欲望とか本に対しての欲望
は何かってことをなんかやっぱりちゃんと
考えるべきなんだって話だと思うんだよだ
からそん中に何かだからこの本っていうの
は非常に戦略的にうまく進行してこの本
こそが僕は最新の共用本なんだと思い
なるほどだから昔から集に役立つとかね
なんかそうそうそうあのね一家に1台ね
あの日本の中流家庭のねアイコンとして
全集置きましょうと思最新系がいやそう
じゃない共論の本なだなるほどそうそう
そう教養論の本を買うとなんか働いてると
本が読めない私の人生を私は呪ってます私
は文化的で敵な人間ですよスノップな
気持ちと刺激することができるんだけど
そうやって買ったスノップな読者に
ちゃんとなんか労働者出版士の共有を与え
るっていうそういう二重構想になっていて
だからこの本の形式構想が僕はまさに最新
系の共4ボドなんだと思ったねうんでも
本当に私批評のやべきことって結構そこだ
と思っていてやっぱりなんか自分が読んで
きた評っていうのもなんかそれこうんその
なんだろうま入口は本当に例えばまあなん
だろうちょっとか批評ってかっこいい
みたいなところだったかもしれないしま
例えばま自分の好きなま漫画やアニメが
論じられてるだったかもしれないしなんか
入り口っって基本的にまあもうだいぶ
なんて言うんですかねスノップだったり
なんかまあんまりそのなんて言うんですか
交渉の入り口ってそんなに自分の中には
なかったんですよやっぱり本読む時の同期
ででも入ってみたらなんかこう自分を変え
られた経験とかあそういうなんだろうそう
いうもの読みたいとは思ってなかったけど
出会ってみたら読みたかったんだっていう
のが結構やっぱ自分の読書体験としても
多いのでなんか自分も本書く時にやっぱり
こう入り口となんか出口をちゃんとなん
だろう違うものにするみたいなのはすごく
やっていきたい感じもするしなんかそれが
できてるといいなとすごく思いなからね
あのまじのね結構川とアコところでさこの
本さまじの川の部分がねなんか働いてると
本が読めない教官の輪を広げましょう
みたいなねなんかこうあの目がドルマーク
になってるビジネスマンをヘイトしてうん
で文化的な私たちのコミュニティ作り
ましょうみたいなやつがままじの川でま
アコの部分がねいやそもそも共用ってね
そういう形でしか産業社会の中に成立して
いなかったんだよねみたいなねそん中で
こうどう知的なものの継承してくのかって
いう問題は出版社の人たちとかもずっと
苦労してやってきたんだよとかねそん中で
こう今のね労働環境のある僕たちがどう
やって共用ってものに再アクセスすらいい
のかってところがアコの部分なわけなんだ
よねここがね非常に綺麗にはまってる
ところが僕はこの本の一番美しいとこだと
思ったああ嬉しいでも本当になんか
やっぱりこう魚持っていくとなんかこう
いかにこう労働してる人に本を読んで
もらうかっていうのをどんどんどんどん
こう出版社開いてきたと思うんですよ
なんか今まではその名時代にはもう共用
それこそ持って一部のエリート男性にしか
読まれてなかったものがま階級をこう開い
ていったりま女性にも読めるようにしたり
とかでま漫画ができていったりとかまそう
いう風にどんどん階級開いていったのに
なんかそのこう今の出版者がこうやっぱ
働いてる人にどうやって読んでもらえたら
いいんだろうっていうのがなんかビジネス
書とかそれこそ己啓発書以外の方法もま
あるんじゃないかっていうのが結構この本
で割と私は出版所の人に向けては結構言い
たいところでもあってそういう意味でま
新書っていうのは1つのあり方としてある
んじゃないかと思ってるんですよねまこれ
ね多分ねあのなんか分断による走行性の
喪失みたいな話だと思っていて面まだから
さあのなんかサラリーマンたるものさ
なんか全方位的に総合的な共用を身につけ
なければいけないみたいなさま幻想だと
思うよ幻だと思うけどそのアジテーション
がうまくいってたわけじゃないとこがさ今
さうんなんかこうビジネスに役に立つアー
トっていう言い方ってさなんかアートが
それ自体総合性の一角をなしてるから絶対
に知らなきゃいけないんだていう抑圧とは
ちょっと違うじゃないそうですねファスト
共用話ですそうそうそうでそれとさ全く
同じような感じでさ何かこうあのうん
なんて言ったらいいのかなだからこうさ
批評とかね結構人文ってさやっぱりメタ
建設なんだよね人文学っていうのはさでも
それがさなんかこう今なから批評的である
とかさなんかあ人文的であるってさ鍵格好
付きうんでしか本当は言っちゃいけないん
だと思うんだようんあのだから何が批評的
かとか何が十分的かってことは本当は
なんか問い直すことでしかその運野って
いうのは成立しないはずなのに今ってさ
なんかさ批評的であるとか人文的であ
るってみんな多分ためらいの言っちゃうん
だよね確かになるほどそうだそれって何か
あのなんかこうま今すでに定義されている
批評的なものとか人文的なものとかさ
カルチャー的なものとかそういったもの
からもうなんか外に出なくていいとかその
定義を更新しなくていいっていうなすでに
それが好きな人うんの共同性を確認し
ようっていうなんかメタメッセージになっ
てるんだと思うんだよねでそれってなんか
あっちのさなんか今のなんかこうビジネス
に役に立つアートとのでまアートっていう
のはビジネスの一道具に貶めてしまうって
ことと僕は結構コインの裏もてな気がする
わけあでもそれはそうかもですね確かに
なんかこの本を書いたきっかけの1つが
それこそあのファスト教養っていう新書が
そうですそうですあのそれこそレジーさん
のあの担当編集さんも一緒なんですけど
あの吉田さんていう方ででなんかうんあと
やっぱりあとあの映画をあなぜえっと映画
を早送りで見る人たちてあのそっちも僕の
友達の書いた本あそうなんですねあの
どっちも古い友人ですあそうですねあの
公文写真書からなんかあれがそれこそ
2022年とかに結構やっぱどっちも
盛り上がっていた議論でなんかやっぱその
共用まだったりその映画だったりこう文化
的なものをじゃ今からどうやって人が需要
していったらいいのかっていう話がなんか
やっぱファスト的であったり早りっていう
のなんか嘆くだけに終わってるのは
ちょっとどうなんだろうっていうのがああ
そうねあれねま一応ねあのおじさん仲間の
友達として若干庇うようなこと言とねま
レジさんいやあのいい本ですよもちろん
どっちもレジさんてねすごいあのあの言っ
ていいのかな本エリートサリマンうんうん
すごいいいとこめていて本当お子さんとか
もね育てられながであのねあのすごい仕事
もできる人でその方ずっと物を書いてい
たっていうま人なんだけどさま彼はね本当
に多分ね同世代に対してあれ回転だよねあ
いやすにあのま僕のちょっとしたぐらいな
んだけどまいわゆる同世代のねなんかあの
氷河器を結構生き延びていた0年代を
サバイブしたみたいな感じの自分たちの
同士がどんどんなんかこうそれこそあのさ
にさんの本的に言うとさネオリベ的なね
あの論理っていうのは内在化していって
内面化していてまうなんかおかしくなって
いてしまったっていうのを今横目で見てい
てあの本を書いてるうなるほどねそっか
あれ評書世代論なんですね
であの若い頃本当にさま彼ちょっと年だ
から若干あのそのずれてると思うんだけど
それほそなんかさ90年代のねなんか渋谷
的渋谷っていうこういう名詞が象徴してた
ようなものに洗礼を受けた人たちが
どんどんどんどんなんか繊細さを失って
いくみたいなもし繊細さを失うことが成熟
の証みたいなイデオロギーに取り憑かれて
いてま気がついたらなんかプロピッカーと
かに成功なってしまってるみたいなまそう
いう現状に対して彼はあれを書いていてで
今田さんていうのはまこれ本人も公開しる
プロフィールとか言っていいと思うけど
元々キネジの人なねうんうんうんうんうん
でキネジの編集者でなんかDVD雑誌の
あの編集長をやったりとかま書籍をやって
いたりとかまそういうことやっていたうん
あの人なんだけれど
あのだからあいてさなんかどちらかて言う
となんかこうあの古きよき映画文化とか
90年齢のサブカルチャーみたいなものっ
ていうのをまキネ順っていうのはある対面
生だわけなんだけれどだあのキジですらも
なんかもう多分映画の本とかどんどんなく
なっていてもう流の写真集みたいなもの
しか直出なくなってるような状況に結構
突入していくていうでそん中でやはり彼の
周囲の人とか彼の先輩とかっていうのは
映画を早送りで見るような感性でも絶対
許せないわけうんうんでも許せないんだ
けどここで許せないって言ってぶち切れて
いるだけじゃやっぱりダメなんじゃないか
みたいなあのあのやっぱり今の情報環境と
かなんか人間と情報の関係とに即したよう
な表現ってやっぱ探していかなきゃいけ
ないんじゃないかいうことがあの本を
欠かしてるわけうんだから彼自身が
やっぱりそういった古いメンタリティにす
に共感してるんだけどやっぱり彼はすごい
賢い人だからそれだけじゃダメなんだって
いう両親があの本を書かしてるっていう
感じなんだよねなるほどねなんからそこ
どっちもなんかこうちょっとなんだろうひ
ま90年代を超えたなんだろうこう話なん
ですねだからそっからじゃあ今の令和の
情報韓国評論にどうするかって話でなんか
でもそれで言うと私のなんか今回のその
新書のやっぱ話はこううんこうそれこそ上
の世代がなんか例えばその働き方改革を
もうなんかするのに精一杯だった世代とか
それこそそのもうなんだろうなこう
ファスト共用的なものでこうある意味共用
を食い止めるのにこうちょっと精一杯だっ
た世代だったのに対してなんか自分たちの
世代がやるべきなのってもうちょっとその
働き方改革のなんか次というかなんか
こうじ早く帰った先にじゃあ何何をするん
だって言ったら本を読まなければいけない
のうんというか働早く帰るだけでは人は
ダメなのではっていう話を結構したくて
この本書いたところがあってなんかそう
いう意味ではこう私が今94年生まれなん
ですけどなんか自分たちの世代がやっぱり
そういうこうなんだろうな今のこのま色々
本もあってNetflixもあって早起き
で見る人もいてっていう中でどうやって
その読み手なんだろう見る人読む人をこう
増やしていくのかとかこうちゃんとなんか
物を読みたい見たいって思うようなま環境
を作ってくのかみたいなのは結構世代の話
だなと思ったりもしてるんですよね私は
うんまあねあのまあ三作みたいな感じが
あるよねなんか稲田ボリけばみたいなそう
ですね新書で文化産業三部作かもしれない
うんうんまあでもなんかあのねまそん中
やっぱこう三宅さんの本がさ1番後発だ
からね結構その分なんか現実的な会に
近づいているんだと思うんだけどね
うんうん確かになんかまだしやっぱりその
部屋送りで見る人たちとかあのファスト
教養はちょっとこうなんだろうあの
やっぱりそのひ兵書世代論というかまもう
ちょっとなんだろうこう90年代からあの
今の時代の流れに沿ってどう何が変わって
きたのかというか平成の間に何が変わって
きたのかっていう話が割とあったと思うん
ですけどなんか今回なぜ働いてるとはま
今後その早く帰った人たちがじゃ本当に本
を読むようになるには何が必要なのかて
いう話を今後していけたらいいなと思って
書いたりもしたのでまちょっと今後のその
読み手を増やすためにやれることをこう
自分なりに考えて書いたつもりではあり
ますねうんなんかねあのま稲田さんはさぱ
段階ジュニア世代でさまレジさんいわゆる
同然世代なんだけどさやっぱあの2人同
世代につ同世代に向けて書いてんだよね
うんあの映画を早送りで見るニュータイプ
たがやってきたんだけど俺たちどうしたら
いいんでしょうみたいな
稲さんの本でさであのでレジさんの本って
いうのは本当にあの生き延びた表世代にね
こんなはずじゃなかっただろうっていうの
がパスト今与なの僕に言わせるとうんだな
ねま気持ちはすごく分かるんだけどねでさ
あのイナさんの本よりもレジーさんの方が
やっぱ稲田さんの本でやっぱ問題定期でさ
でレジさんの方が少し歴史の者があるじゃ
ないあの相対的にねで宮さんの本っては実
はもう半分以上歴史の話だってさでいや
そもそもね人は本なんて読んでないんだと
あ
がは消費してるけどなん全然読んでこ
なかったんでもそれでしか文化産業っての
は成立しないからそれでいいんだって言っ
ちゃってる本なんだよああでもそれはそう
ですねうん出版社はてかそうやって延明し
てきたんだから今後もそういう努力をす
べきぐらいに思ってますねうんうんあのね
で僕1個だけねなんかこう三宅さんに聞い
てみたいことがあってさはいあのねま花束
みたいな恋がしたであってさま僕もあの
あのま坂本僕大好きなでもううん面白く見
ただけれどう1個だけ引っかかってること
があってねこれさえこれもう有料に入る
入らないかまあいいやまだ入んないけど
まあでもいいよなんかうまく編集して
欲しいんだけどあのま僕の友人美孝介って
結構どうしようもないおじさんがいるとで
ま彼から聞いた話なんだけれど
あのなんかさあれ前田友二の人生の小さが
すごくなんかダメなアイテムとして登場
するとう象徴的なねうんで要するになんか
サラリーマンになってしまったなって
しまったって言っちゃだめですね
サラリーマン口になった菅崎がそうですね
なんかこうあの人生の賞賛という自己啓発
本もね前田裕一の自転権自己も食るように
読んでそれが前田裕二じゃないや菅田将の
堕落の象徴と描かれてるとそれはねこうま
全然そのまだ本が読めているこうきぬ
ちゃんていうの彼女のね有村克さんが
演じるきぬちゃんがもう本当にこう冷たい
目で見るんですよねその菅田将をね人生の
小さをもんでいるはいうんうんなんかね
あのねあれをねあの使用許可みたいなもの
が限定者に来たらしいのねへあん時あの
脚本の抜き書きが送られてきてそこだけ
見るとそれがネガティブなニュアンスで
使われるて一切分からないように結されて
いてでメールだか電話だかにもこれは本当
に主人公がこれで人生が変わったと思える
ような主人公の人生の画期となるような
そういうアイテムとしてこの本を登場させ
たいて書いてあったらしいのま嘘はついて
ないよねでも明中でこれ騙しに行ってると
思うんだよ僕はうんうんううんうんうんで
あの真田君僕多少知ってるんだけどさま彼
はさまわにいた頃ビジュアル系バドか
なんかやっててねで映画とがすごく好きで
さクリストファーノーランとかさフィン
チャーとかすごい好きな男なんだよねで彼
自身やはりなんか学生時代むに君みたいな
人だったへえはずなんだよで多分傷ついた
んじゃないかなと思うんだよねなんか
あの僕1個だけだから結構思うのはなんか
こういったねなんかこうあの本が好きな私
みたいなものの欲望っていうのを肯定的に
捉えてうんでそこでこの回路を使って本を
読ませようと思った時にそういったなんか
こう敵を殴る快楽みたいなことがそこに
へばりついてこないで欲しいなと思うんだ
よねああでもそれはそのすごくその本の中
でも書いてるところでやっぱりそのあの
人生の賞賛のシーンっていうのがあのま
面白いと言ったらあれなんですけど面白い
ところがその麦とキの間にはやっぱり
すごく階級的なものの格さがあるところだ
と思っていてそのま有村克さんがいじてる
キぬっていう子はま東京生まれの広告代理
店のあのお父さんがいる娘さんなんですよ
ねでそれに対してそのム君ていうのはま
地方出身の花火職人のお父さんがいるあの
男の子でますごくそのなんだろう働かざる
を得ないようなままあのこうなんだろうな
こう境遇でもありっていうところもあって
なんかそういう時にじゃあその人生の共産
をこう読むなんだろうこう子たっていうの
をこうキはすごく冷たい目で見るんだけど
それはすごくその階級的なもののこう差異
をなんだろうまこうある意味全然自覚せず
に冷たい目で見ているだけではないの
かっていう話を結構そのま新書の中でもし
ててでもそういうでもこう目線っていうの
は結構その夏目漱石の時代からま繰り返さ
れているんですよねっていう話はあってん
でそのさ本当にさ通りこう本を読む時に
こうやっぱりこうある意味優越感の道具と
してすごく使われてきたっていうような
歴史もあるわけじゃないですかなんかその
自分は共用があってあいつらとは違うって
いう感覚の象徴としての本っていうのが
すごく使われてきた歴史があってでじゃあ
なんかそういう時にこうじゃ本が並べて
あいつはとは違う自分は本を並べる家を出
られたんだっていう時にじゃあこう敵を
作ってないのかって言うとやっぱりこう
見下してる何かがないのかって言われると
ちょっと難かしい問題になってくるわけで
そういう時にじゃあ今の時代にこう何かを
なんだろう見下さずに本をどうやって肯定
してったらいいのかっていうとやっぱり
なんかこう本自体の面白さに実際読んだ時
に気づいてもらうっていうことでしかない
のかなと私思っていてなんかそのやっぱり
その新を例えばまあなぜ働いてると本が
読めなくなるのかっていうタイトルに惹か
れてなんか新書っていうパッケージ自体が
ちょっともしかしたら大人ま大人っぽいっ
て思ってもらえるかわかんないですけどま
もし大人っぽいて思ってもらって買って
もらったとしてもまその内科自体がなんか
すごく面白かったらなんかあんまりその
何かを否定した上での優越感とかにならず
に済むんじゃないかと私は思っていて
なんかそういう意味ではこうすごくなん
だろう中身のこう面白さっていうのがま
ある意味に何かを否定せずに本の面白さと
かをこう肯定できる材料かなと思いますね
うんうんださあの稲田さんもねレジーさん
もさやっぱり自分の本がねなんかそういっ
たこう言ってしまうと文化系が
ビジネスマンを殴るための道になるんじゃ
ないかってことすごい心配してあの予防線
貼ってるじゃないうんうんあの本の中で
しっかりとねであれがさまあの2人とも
すごくその辺やっぱ頭もいい人たちだし
やっぱ両親的な書き定だからそれを書いた
んだと思うんだけどうんあんまり伝わって
ない気がするんだよねあのすごい残念
ながらねえだからそれってさ何かいやあの
こうあのこんな風に人を殴っちゃいけない
よって言っても多分人ってその言うこと
聞かなく
てなんかなかなんか欲望をなんかこう人を
殴る快楽ではなくてもっとなんか物事そこ
で書かれてる物事そのものの快楽に端的
する方がなんかこう気持ちよくなっちゃっ
てそっちに関心が行くみたいなことでしか
これ防御できないと思うんだよね防御と
回避できないと思うんだよねうんうんなん
なんかそれもあるしそのやっぱりこうなん
てだろうなこうその物事自体にこう端的
することの面白さってやっぱり自分自身が
なんか没頭するとかこうなんだろうな
やっぱりこうこうなんだろうなムギ君も
きぬちゃんもなんか自分の例えば仕事なり
なんかすごく趣味なりに没頭してたら
なんか本当はなんだろうこう相手がどうと
かではなかったんではないのかって思って
いて私はやっぱりそのあの映画の面白さて
やっぱり恋愛がうまくいってなくてこう
やっぱりそれで趣味とかにもこう仕事にも
こう没しきれなくてっていうところとなん
か恋愛のうまくいかなさみたいなのが
うまく噛み合っちゃって結局こうお互いが
傷つくことになってしまったみたいな
ところがま映画の面白さでもあると思うん
ですけどそういう意味においてはなんか
なんだろうなこうま自分の世界だけで
楽しむことの面白さみたいなもののま読者
の面白さの1つでもあるとは思うんです
けどそれはうんなんか新相にしてもまあ
自分の書くものを通して本当感じて欲しい
ところではありますねうんそうねいやだ
からねあの僕がねなんかこうまさっきの
流れでさなんか宮さんに聞きたいことで
協力的には1個でねその宮さんが今回言っ
とった戦略っていうのはさなんか本人が
読んでる私が好きっていうそのオプな気持
ちってのは逆手にとって読書の面白さを
思い出してもらうって戦略だったわけなん
だよねでなんかさそのことがさなんかさ
私たちは文化系っていう自識を持っている
トライブの外にどうやって出てくのか
みたいな問題が1個だけあるんだあ多分次
の課題ってそれなんだよねでさ今その
気持ちがさ結構さあの僕がなんでさなんか
こうあの今人文系っていう言葉をさみんな
食べられなく使っちゃうって問題話した
のって多分それが理由なんだよねうんだ
あのここなんだよ多分唯一な次に超え
なきゃいけないハードルがあるとするん
だったらああ確かにそこが全然そうですね
あんまりカーしてないしなんか確かにそこ
はなんだろうなやっぱりその文化系って
いうこう知識があるとこうなんだろうまな
殴りがちっていうことですかうんなんか
やはりねこうなんかあの人間がさなんかさ
私はこうだるみたいなとこに断わって
しまうとどうしてもやっぱり最高のゲーム
にこうはまっていくじゃないだからなんか
こうあのなんか自分からいかに興味を
引き離すかみたいなねあああのでそんな罠
っっていうのががなんかもっと仕込んで
あるみたいなことしかないのかなと僕思っ
た三宅さんの本音でなるほどなるほどでも
それって本当にある意味まもう今のSNS
からどうやって引き上がっかみたいな話で
もありますよねうんなんかその自分をこう
まSNSだったりある意味ちょっとこう
自己紹介していくような今の文化からこう
自分をどうやって引き上がっかっていうの
がなんかすごく今の学生さんとか若い子見
てたらやっぱすっごい難しいなっていうの
をなんか日々私は感じてるのでうーんでも
やっぱ読む魅力とかなんだろうなこうこう
その自分よりも面白いものに出会うみたい
なでしかないのではて私は思っちゃうです
宮さんがさこれなんかさあのあなたの推し
を紹介するための書く技術を教えます
みたいな本出してるねなんかあの辺ああ
いった本が1つの回になるのかなと僕思っ
てるんだよねおなるほどだから何かやはり
こう自分の好きなものとか自分がはまっ
てるものとか自分がこう正しいと思ってる
ものとかそういった価値を訴える時にそう
ではないものを貶めるっていうのは多分
それ表現の能力の問題なんだよある程度は
うんうんなるほどなるほどまそれがねあの
なん比較対象を作って何かを貶めた方がま
なんかあの敵味方のね境界線をはっきりし
てコスパがいいわけなんだよね単純に証人
が集めのおいておいとねだからコスパが
いいって問題が1個あるんだけどもう1つ
は多分技術の問題であのなんか具体なんか
対象を具体的に分析してさここが
素晴らしいとかさこういったところに快楽
のメカニズムがあるんだっていうことを
言葉にするのって結構ねスキルがいるわけ
なんだよねだからそのスキルを与えると
結構なんか人はなんかあの敵を設定しなく
ても自分の好きなものとかで自己主張
できるんじゃないかと思うわけうんうん
うんでもそれは本当にそうそうだと思い
ますだそれぐらいなんかこう好きなものに
出会うとかなんかこのこの良さをなんか
知ってほしいとにかくっていうような欲望
に出会うみたいなことがこうやっぱり自分
のこうすごく自分を変えるようなきっかけ
にも私はすっごいなると思ってるので
なんかそういうものと出会うことだったり
それをじゃあこう技術を持って紹介する
だったり発信するみたいな技術っていうの
はでもそうですね自分自身もやっぱ発信し
ていきたいしなんか伝えていきたいところ
はありますよね本当にうんうんこれねあの
まあとはあれなんだろうなあのさ
こうもうあとはもうほとんどもう事故
みたいなもんでねああでも本当そうなん
ですよねうんなんか好きな作品との出会
いってほとんど事故じゃないですかなんか
うんなんかそういうそのちょっと自分が
変えられちゃうとか世界が変えられちゃう
みたいなのってすごい自己っぽいんだけど
なんかその事故に出会うためのある意味
技術もちょっとあるような気がしてなんか
それはすごい評論とか読んでるとなんか
こう身につくんじゃないかなと私は結構
思ってるんですよねうんなんかあのいかに
横から刺すかみたいな話なんだと思うんだ
よねなんかさこれが欲しいと思っていた
ものに人はあんまり感動しないじゃない
うんうんうんうんうんなんかむしろさ思っ
てたけどちょっと違うみたいなことでさ
なんか岩感の方抱きがちでさむしろこう
なんかたまたま出会ったものとかねなんか
こうあの間違改善されたものの方が人は
感動したりするじゃないうんうんうんだ
からなんかそういったなんかこう事故が
起こりやすい環境っていうのをどう作って
いくのかってことをなんか全く別に考え
なきゃいけないんじゃないかなと思ってん
のねうんうんうんだしそのこう事故がなん
だろう起こった時にそのこうそれが自分に
とってすごくなんだろうなこう今の状況だ
とこうある意味それこそ本の中で書いた
ノイズになっちゃうっていう状況があると
思うんですよその若特にその自分うんり下
の世代を見てるとやっぱりこう例えば
じゃあ推しがいてその推しによってすごく
不安になることをちょっと避けたいみたい
なこうなんだろうこう欲望を感じたりする
のでそれはでも避けることではなくて逆に
その自分を変えられることの方が楽しいん
だっていうこうそこの快楽っていうのを
どうやって伝えていったらいいのかなって
いうのすごく考えますねうんうんま国分
さんがさ昔さ暇と退屈の倫理医学でさなん
か消費と老わけてってるじゃないうんあ消
っのは号しか見ていないとねまつまりこう
あの本そのもじゃなくて共という記をね
こんな知的な本読んでる私が好きみたいな
ことだってま浪費ってのはそこに書いて
ある具体的なものねあ明治の労働士って
こんなに面白いんだみたいなことでま浪費
はその事物の内容そのものていうのをに
じっくり味わうことであるっていうねで
なんかさあの人がなんかね海力を覚える
ことていうのはなんかこうあのなんかその
浪費で結構満足しなくてむしろそのなんか
うん出会った物事をずっとひたすら
受け止めてる結果なんか自分が変えられて
しまうというかねま決定的に傷つくとか
損なわれるとか変えられてしまってもう
それ抜きでは生きていけないような体に
なってしまうっていうなんかちょっと
なんかマゾヒスティックな快楽を覚えた時
に人っていうのはなんかこうそのうんうん
記号から離れてその物事を純粋に味わい
出すんだと思うんだ初めてねでなそん時に
僕1番邪魔なのって共同性だと思ってる
わけうあの例えばさほらあの溝を飲みすぎ
で病気あるじゃないあであれとかってさ水
という記号を飲んでるわけなんだよね体は
水を干してるって昔のポカリスエットの
シームみたいなことが頭を中を駆け巡って
水を永遠と飲んでないと気が済まなくなっ
ちゃう病気があるわけだよねあの心の病気
がねあれの治療法ってみんなでこう医者と
か看護婦とかに看護師の皆さんとかにこう
囲まれてみんなで水を飲んであ今から水を
味わって飲みましょうって一斉に飲むわけ
ふそうするとあ自分は水は飲んでるんだっ
ていう風に結構思って治るらしいんだけど
ただこれってさこの場合って僕ら逆のこと
考えて水毒にしいそういうことですよね
うんだから絶対に孤独にしなきゃいけない
と思ってるああでもそれ最近のあの
やっぱりこうやっぱ自分はその批評みたい
なもの書いててその考察文化とすごくどう
付き合っていてかまどう向き合っていくの
かみたいなのすごく考えるんですけど
やっぱりこう考察って要はその正解のある
ものをこうみ共同体の中でこうこれが正解
だっっていうのを確認し合うってのが考察
じゃないですかでそのまドラマの例えば
じゃあうんこういう謎をなんか監督が
仕掛けているとかこういう謎を脚本が
仕掛けていてそれをじゃSNSでみんなで
確かめ合って楽しみ合うっていうような
こととその批評の快楽っていうのがなんか
自分が変えられたものに対して自分だけで
向き合うっていう楽しみはやっぱ全然違う
ものなんだけどその共同体の楽しさみたい
なものとやっぱりすごくその批評の楽し
さって全然違うところがあるからなんか
こっちも楽しいんだって批評も楽しいだっ
てっていうことをどうやって伝えていっ
たらいいのかっていうのなんかすっごい
SNS見てても考えますねやっぱりうん
なんかそれをこうなんだろうな考察みたい
なこうなんか共同体の中で解釈を考えて
いくのがなんだろうこう読むこと見ること
でしょって考えているなんかそれが
当たり前になっている世代に対してどう
アプローチしていくのかってのは結構自分
の今からの課題だなっていうのには
すっごい思いますねそれもも全然わかない
全然わかんないけなんか昔ながらのね結構
なんか濃密な共同体を復活しようみたいな
ことは答じゃないことはよく分かって
るっていううんうんうんうんま濃密な共同
体もうすでにSNSできてますからねうん
かだからむしろ濃密な共同体を作ると
どちらかと言うとね今言ったようななんか
こうあの水を飲んでしまう病気の治療法の
ようなことが起こっていてなんかこう解釈
の多様化とか起こらなくなってくるんだと
思うだよねでむしろなんかその物事に
出合ってなんかこう個人の肉体がが変して
してしまうみたいなことっていうのを抑え
てしまうんだと思うんだよなんからむしろ
人間のね向上性の方をむしろ発揮して
しまって人と繋がることによって正常な
状態に戻しちゃうんだと思うんだよねだ
からやっぱ共同体は人を病気にしないんだ
よねああやっぱりやっぱ孤独がやっぱり病
を担保病の可能性を担保するわけであって
だなんかそれとはねやっぱりちょっと別の
方法でどう人をなんか病気にするかとか
怪我をさせるかとかまあなんかそういう
ことを考えなきゃいけないと思ってるんだ
ようんなんかだしこうやっぱりこう族で
あることのまそれこそ国文先生もその暇と
退屈みたいなことを問い直してたのもその
一環だと思うんですけどやっぱ孤独みたい
なものがもうあまりにもなさすぎてなんか
どうやってじゃあその孤独みたいなものの
価値を取り戻していくんだろうっていうの
はなんかこう今すごいみんな興味あるけど
やっぱり全然まだこう考えられてない
ところだと思うのでなんかその孤独を
取り戻すみたいなものの1つとしてま読書
みたいなものは本当にあり得ると思います
ねすなんかねあのねなんかこうもうね
こんなこと言うとちょっとなんか
恥ずかしいんだけどさなんかもうさ作品の
力みたいなものしかないと思ってるわけ
ああ例えばさなんかさあの吉永文とかって
さあれさ三井と小暮に付き合って欲しかっ
ただけだと思うんだよねうんうん最初は
一番最初はでも井上武彦はさだってもうさ
途中で書くのやめちゃったからさみとこの
その子とかも全く書ないわけだようんふん
で書くしかなかったんだと思うんだよね
なんかそういうなんか圧倒的なスラムラン
クっていう作品への没入とそん中の三井と
小というキャラクターの関係性に燃え狂い
もう2人がなんか付き合う漫画を自分で
書くしかないみたいなところまでこう
追い込まれるっていうその切実さみたいな
ものだけがなんかこのこの問題を突破
できる気がするわけあでもコミケはコミケ
で共同性共同そうそうそうあの発表の場合
はそうなんだけ彼女が最初にペンを取った
のは別に三井小市にやるとじゃ売れる
みたいなこと考えてやってと思えないわけ
違ないそれはそうそうそういやもちろんミ
ジャンルかもしれないしれないですよしれ
ないけどなんかさ切さを感じるんだよね
なんかささらに昔だとさなんだっけあの
えっとアクエリアスの神とさスコーピオの
ミロのとかの色々あるあるんだけどさ
なんかいやだってアリアスの神と
スコーピオのミロなんて大して役じゃない
よ特にスコーピオのミロなんて全然脇役
脇役だよなんかさでなんかあそこにさ
なんか元々のオリジナルの物語がすごい
気迫なのにそこに膨大な妄想を積み込まれ
て
るっていうなんかこれねなんかあのすごく
それって個人的なものだしうんうんうん
うんうんうんうんもうなんか多分そのその
人の人生とかコンプレックスとかいろんな
ものに起因した極めて個人的ななんかこう
妄のようなものに結構近くてうんうんああ
いったものが僕は結構大事なんじゃないか
と思ってるあでもそれはすっごい思います
私もそのやっぱその前さっきの宇野さんが
おっしゃってくれたおっていう本のでこう
書いたのがやっぱそのま推しがなんで
じゃあその素晴らしいのかとかこの推しの
どこがいいのかっていうのを語っていくと
やっぱりこう自分の人生の固有性みたいな
ものに行きつくと思うんですよでそれは
やっぱりこう自分の人生ってのがまどこ
まで言ってもやっぱ1人だけのものだから
そこの1人だけのこう自分だけしかない
こうまそれこそコンプレックスも好みも
含めたなんか自分だけの経験っていうのが
この教えの好みに繋がってい
るっていうことに結局行きつくんだって
いうのをまその本の中では書いたんです
けどやっぱりそのま萌えとかその遠さ
みたいなものを本当深かってくと結局自分
の人生のなんか1つしかないままこういう
性みたいなとこも本当きつくと思うんです
よねだって私が持っている海野先生の本当
本はなんか本当スラムダンクなんですけど
あのなんかスラムダンクだけじゃないん
ですよ本当そのブラックジャが組み合って
いい本でそんな本にないじゃないですかで
もやっぱそれは先生だから生み出せたん
ですよっていうそこのその固有性みたいな
ものの尊さみたいなものがなんかやっぱ
物語とかまその読書なり個人が何かを
生み出そうとすることのなんかうん良さで
もありやっぱ孤独が生み出したものだなっ
ていうのはすっごい思んですよねうんだ
からさなんかこうなんか2枚押しでねにる
しかないかなと思っていてさま文化産業は
もちろんこんな仕事してるからさなんか
こう盛になってもらわなきゃ困ります
間違いないですみたいなねあの実際に僕も
さ集英者新書のさ小番ざしてさ自分の会社
の本売ろうとしてるわけだからねあの本当
にありがたい話ですよであのでもなんかか
その一方でね何かこう何かこうま批評が
考察に負けてしまうというかね何かこう
あの文化っていうものが何かこうこうあの
自己表現いうかうんソーシャルな結構自己
確認の結構アイテムとして位置付けられて
しまった時にやはりそこ薄弱なものになっ
てくんだと思うんだよものすごくねあの
貧しいものになってくるんだと思うんだよ
ねだからその時になんかこうその一方で
こうどう僕たっていうのは何かこう人間が
結構表現とかにね結構出会ってもう決定的
に傷ついて2度と戻れなくなるような知命
的な傷を追ってもにはどうしたらいい
かってこと全く別に考えなきゃいけないだ
と思ううんだ私は結構なんかその入り口は
考察でもその共同体でもいいと思うんです
よなんかやっぱ自分が最初に読んだ漫画と
かも友達から進めてもらったりしたもの
だったりするしそのま考察をあの気にま
例えばなんかノート読み出したりとかして
まうさんの評論とかに出会う人も多分いる
わけじゃないですかでそういうその入り口
がそうであることとじゃその入り口に入っ
た人をどうやってその評論とかま孤独のな
んだろう面白さにこう引きずりこむのかと
いうのがなんか自分のやっぱやるべきこと
だなすっごい思いますねそうでしょだから
ねなんかほらあのなぜ本を働いてると本が
読めなくなるのかっていう本を書いた次に
はそういうことなんですよ今日僕は何か
言いてもう色々言ったけれど究極的な目的
はそれですよこのトークのあのなので
ちょっとねこの本どういう本が若干紹介と
かしていただけますかはいえっと娘が母を
殺すにはっていう本になっております
ちょっと物騒なタイトルではあるんです
けれどもあのですねこちらはあの母と娘の
関係っていうものにまちょっとフォーカス
を当てた本でしてま母と娘の関係っていう
のは結構複雑になりやすいっていう事情が
あってでまじゃあなんでそんなに複雑に
なりやすいのかっていうその複雑になり
やすさの解決策はあるのかっていうことを
ま小説や漫画やこうドラマや映画みたいな
フィクションを通してその母問題の解決策
を考えるっていうようなま批評の方になっ
ておりますはいうんだからさだから結構ね
なんか
ほらまそれなりに結構三さんこの本血流し
て書いてると思うんだよねそうですねうん
まそういうことで僕は言血を流しながら
本当にっていうかそうですねだしなんて
いうかこう私はやっぱなんか本の1番いい
ところはなんか1対1の
コミュニケーションなところだなと自分の
中で思っていてなんかやっぱ自分が好き
だった本もなんかやっぱ作者と自分の1対
1のコミュニケーションのように感じてい
たしま実際はその読者がたくさんい
るってことは頭では分かっていてもでもや
やっぱり本っていう媒体はそのなんだろう
なやっぱり1人に話しかけられているよう
な形がしたしそういう意味でなんか自分が
今なんだろう1人に話しかけたいことは
何かなっていうこと考えたらやっぱりその
母と娘っていうものでま悩んだりこう
苦しんだりこうなんですかねこうこう血を
流したりしてる人に対してやっぱその
フィクションがあるんだこの世にはって
いうのが一番言いたいことなんですよね
この本の中ではだからなんかそのま
フィクションがまあるからなんだろうこう
現実ではまあうまくいかないことも
フィクションを通してならこう考えること
ができるんだっていうことを結構なん
だろうやっぱ批評を通しては1番言いたい
ことではあるしまそういう意味で母と娘
っていうテーマでかけてよかったなとは
すごく思いますねうんあのさなんだっけ
あのなぜ働いてるとね
本JA
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