日本経済史第14講(後期第1講) 1
Summary
TLDRこの動画では、明治時代の産業発展とその中で重要な役割を果たした財閥の形成について解説しています。明治政府は直産工業政策を推進し、外国技術の導入と社会基盤の整備を行い、1880年代から企業木興機が始まり、民間主導の経済発展が加速しました。また、日清戦争と日露戦争後の戦後経営と呼ばれる政府の産業発展政策が企業ブームを引き起こし、造船や生鉄、電力業界などの発展が見られるようになりました。そして、財閥の定義と特徴についても説明し、4大財閥(三井、三菱、住友、安田)をはじめとする財閥の存在と、第二次世界大戦後の財閥解体とその後の企業グループの形成についても触れています。
Takeaways
- 📚 この動画は日本経済史の14回目の講義で、明治期の産業発展と財閥の形成について扱っている。
- 🏭 明治時代は初期の在来産業から、明治政府の直産工業政策によって近代産業が導入され、工場や模範工場が設置された。
- 🚀 1880年代後半から企業木興機と呼ばれる経済の急速な発展期が始まり、民間主導の経済発展が特徴づけられた。
- 💼 民間企業家が新たに株式会社を設立し、新しい事業を積極的に展開した。地方の中小の資産家が株式を購入し、企業を支えた。
- 🏗 初期の代表的な産業は防石業、製糸業、鉄道業などがあり、民間の資本によって発展した。
- 💼 日進戦争と日清戦争の後、政府が積極的な産業発展のための政策を行い、企業ブームが続いた。
- 🔨 政府の支援を受けて、重厚長大な産業部門が拡大し、造船業、生鉄業、電力業などが発展した。
- 👨👩👧👦 財閥は特定の家族や同族を頂点とする、複数の産業部門を持つ企業グループのことを指し、持ち株会社を通じて企業を支配する。
- 🏛️ 第2次世界大戦後のGHQアメリカの政策による財閥解体で、持ち株会社による企業の支配は一時消滅した。
- 🌟 4大財閥は三井、三菱、住友、安田と呼ばれ、それぞれ三井家、岩崎家、住友家、安田家が支配を行っていた。
- 🌐 中小財閥も存在し、古川、麻野、川崎、鈴木、大倉、久原などがその例で、現在も企業の名前に残っている。
- 🚀 昭和にかけての進行財閥には日本産業、日本窒素、昭和電光、日本相田、理科学研究所などの新しい企業グループが登場した。
Q & A
このビデオはどの時代の産業発展について扱っていますか?
-このビデオは明治時代の産業発展と財閥の形成について扱っています。
明治時代の産業発展の特徴は何ですか?
-明治時代の産業発展の特徴は、民間主導の経済発展であり、多くの企業家が新しい事業を積極的に展開し、産業が発展したとされています。
明治政府はどのように産業発展を促進しましたか?
-明治政府は直産工業政策を実施し、外国の技術を導入し、工場の建設や模範工場の設置、外国人の技術導入などを行い、経済の発展を促進しました。
明治時代に導入されたインフラや社会基盤にはどのようなものがありますか?
-交通や通信、貨幣制度、銀行などの金融制度、株式会社制度などがあります。
企業木興機とは何を指しますか?
-企業木興機とは、1880年代の後半から急速な経済産業の発展の時代を指しています。
財閥とはどのような組織ですか?
-財閥とは、特定の家族や同族を頂点として複数の産業部門の企業を所有する企業のグループを指しています。
財閥の特徴は何ですか?
-財閥の特徴は、家族や同族が経営者を頂点にし、持ち株会社を通じて企業を支配する形態をとっていることです。
戦前日本の4大財閥は何ですか?
-戦前日本の4大財閥は三井、三菱、住友、安田の4つの財閥です。
財閥はどのようにして企業を支配しましたか?
-財閥は持ち株会社を頂点として、株式の保有を通じて企業を支配していました。
第2次世界大戦後の財閥はどう変わりましたか?
-第2次世界大戦後の財閥はGHQアメリカの政策による財閥解体政策で持ち株会社による企業の支配は消滅し、企業グループ企業集団という新しい形態を形成しました。
昭和時代に登場した新しい財閥はどのような企業グループですか?
-昭和時代に登場した新しい財閥は、日本産業、日本窒素、昭和電光、日本相田、理科学研究所などの企業グループです。
Outlines
🏭 明治期の産業発展と財閥の形成
この段落は、明治時代の産業発展と財閥の形成について説明しています。明治時代は、徳川時代からの在来産業が中心であった初期の産業発展が見られる時期で、明治政府は直産工業政策を通じて外国の技術を取り入れ、近代産業の導入を図りました。また、経済発展のためのインフラ整備も行われ、交通、通信、金融制度、株式会社制度が整備されました。1880年代後半には企業木興機と呼ばれる急速な経済発展の時代が到来し、民間主導の経済発展が特徴的でした。防石業、繊維業、鉄道業などが代表的な産業として挙げられます。また、日本は日進戦争と日代戦争を経験し、戦後経営と呼ばれる政府の積極的な産業発展政策が行われました。造船業、生鉄業、電力業などが発展し、明治時代の産業発展の様子がざっと説明されています。
🏢 財閥の定義と特徴
この段落では、財閥の定義と特徴について説明しています。財閥とは、特定の家族や同族を頂点とする産業部門の企業を多数持つ企業グループのことです。特徴としては、家族同族の経営者が中心となっており、持ち株会社と呼ばれる形態を通じて企業を支配しています。コンツェルンと呼ばれる企業の支配形態を形成し、大きな特徴となっています。戦前期には様々な財閥が存在し、第2次世界大戦後のGHQアメリカの政策によって財閥解体が行われましたが、その後も企業グループ企業集団が新たに形成されています。具体的には、三井、三菱、住友、安田の4大財閥や古川、麻野、川崎、鈴木、大倉、久原などの中小財閥が挙げられます。昭和時代には新興の企業グループが登場し、日本産業、日本窒素、昭和電光、日本相田、理科学研究所などが代表的な進行財閥です。
Mindmap
Keywords
💡明治時代
💡産業発展
💡財閥
💡直産工業政策
💡企業木興機
💡株式会社制度
💡戦後経営
💡4大財閥
💡中小財閥
💡進行財閥
Highlights
この動画は日本経済史の明治期の産業発展と財閥の形成についての講義動画です。
明治時代の産業発展の中で、戦前の日本の経済に大きな役割を果たした財閥について取り上げます。
明治政府は直産工業政策を行い、外国からの技術を取り入れ、近代産業の導入を図りました。
経済の発展に必要なインフラストラクチャーや社会基盤の整備が行われました。
1880年代の後半から企業木興機と呼ばれる経済産業の急速な発展の時代が到来しました。
企業木興機の特徴は民間主導の経済発展であり、多くの企業家が新しい事業を積極的に展開しました。
株式会社を支える投資家は主に地方に住む中小の資産家でした。
明治時代の産業発展の初期には、防石業、正子業、鉄道業などが民間資本によって検察が進められました。
日進戦争と日代戦争の後、政府は積極的な産業発展のための政策を行い、企業ブームが続きました。
日進戦後、政府の支援の下で重行業部門の拡大が見られました。
新たに電力業などの発展が進み、明治時代の産業発展をざっとおさめます。
財閥とは、特定の人々を頂点とする複数の産業部門の企業を持つ企業グループです。
財閥の特徴は家族同族を経営者として、持ち株会社を通じて企業を支配することです。
戦前期には様々な財閥が存在し、第二次世界大戦の後、財閥解体政策が行われました。
財閥は消滅はしなかったが、第二次世界大戦後に企業グループ企業集団を形成し始めました。
戦前に存在した4大財閥は三井、三菱、住友、安田の4つの財閥です。
中小財閥として古川、麻野川崎、鈴木、大倉、久原などの企業グループが存在しました。
昭和にかけて新たに進行財閥と呼ばれる新しい企業グループが登場しました。
進行財閥の例として日本産業、日本窒素、昭和電光、日本相田、理化学研究所などが挙げられます。
Transcripts
皆さんこんにちはこの動画は日本経済史第
14項明治期の産業発展と財閥の形成の1
本目の講義動画になり
ます今日の授業では明治時代の産業発展の
中において登場し戦前の日本の経済に
大きな役割を果たしたえ財閥について
取り上げていきますえ今日のえ事業の目標
はですねえの特徴とその形成過程について
え理解をすることえそしてえ財閥の発展と
ま政府との関係えこれについて理解をして
いくことまこの2点を中心に学習をして
いきたいと思い
ます今日の事業では初めにこれまでの事業
で学習をしてきたえ明治時代の産業発展に
えついて復習を少ししていきたいと思い
ますえまずえ明治時代のですねこう初期に
おける産業の発展について見ていきたいと
思いますますけれどもえまずえこう明治
時代のですねこうスタートというのはです
ねま徳川時代からですねこう存在していた
え在来産業というものがま中心となったま
経済発展であったわけですまそこにですね
え明治政府がいわゆる直産工業政策という
ものを行ってですねえ外国からの技術を
取り入れた新しい産業まつまりえ近代産業
の導入をこう図っていったわけですねえ
観え工場を作っていったりとかえ模範工場
といったものを設置したりまあるいは外交
からですねえ雇い外国人などを呼んでえ
技術を技術を導入していったりするまこう
いったことがえ行われましたえそしてえ
同時にですねこう経済をえ発展させていく
ために必要なまインフラストラクチャーえ
社会基盤のえ整備というものも行われて
いきましたえそれにはですねえ交通や通信
といったものの他ですねえ通貨制度やえ
銀行などのえ金融制度まそしてえ会社を
ですね設立するための消やですね株式会社
制度まこのようなものをですねええ明治
政府はえ整備をしていったとえいうわけ
です
ねえそしてですねえ明治時代の日本はえ
1880年代の後半え和年号で言うとま
明治20年代に入ってからですねえ企業
木興機と呼ばれるま急速なえ経済産業のえ
発展の時代を迎えていくことになったわけ
ですえそしてこの企業木興機の特徴はです
ねえ民間主導のま経済発展であったという
ことなわけですねえすなわちえ多くのです
ねえ企業家たちがえ新たに株式会社をえ
設立してまそして新しい事業をですね積極
的に展開していくまこういった動きによっ
てえ産業の発展が起こっていたということ
なんですねまそれと同時にですねこの
株式会社をですねこう支えていったつまり
この株式を購入していったのはですねま
主にこの地方に住んでいるこう中小ののま
資産形だったとえいうという風に言われて
いますまこのようにですねえこのえ明治
時期における産業発展というのはえこう
企業家とえ投資家というですねこう民間の
力がですね中心となってえ発展をしていた
というのが特徴であったということをお
話ししてきたと思いますえまたこのえ明治
時代のですねこうえ産業発展の初期におけ
るま代表的なえ産業としてはですねえ防石
業であったりとかえ正子業であったりとか
まあるいははですねこう鉄道業えなんかも
ですねこう民間の資本によってえ検察が
進められていった産業の1つだったと言わ
れてい
ますえさてえ日進戦争ま日代戦争とま日本
は大きなえ戦争をですね2つ明治時代に
経験することになりますけれどもこの日進
戦争日路戦争の後にはですねま再びこう
政府がえ積極的なですね産業発展のための
え政策を行っていくようになりますまこれ
をま一般にこう戦後経営という風に呼んで
いるわけですねまそしてこの戦後経営のも
ですねま日進戦争の後にはですねま企業
ブームと言われる後景器のえ事態がえ続い
てきましたえまたですねえ日進戦後日代
戦後になるとま政府の支援のもま重行業
部門の拡大というものが見られていくよう
になりましたま例えばえ造船業であったり
とかえ生鉄業であったりとかまあるいは
ですね新たにこう電力業なんかもですねえ
発展をえしていくことにえなっていきまし
たえこのようにですねまえ明治時代のえ
産業の発展をざっとおさいをしてきました
けれどもえそれではですねこの明治時代の
この産業発展の中でですねまその二手とし
てえ登場してきたま財閥と呼ばれるま大
規模な資本家大資本化についてえこれから
説明をしていきたいと思い
ますえさてえ次にえ今日のえ事業のテーマ
である財閥についてえ説明をしていきたい
と思いますえまずですねえこう財閥とは
こう一体何なのかえこの財閥のですねこう
定義についてえ話をえしていきたいと思い
ますえ財閥というのはですねこう一般にえ
家族や同族といったえ特定のですねえ人
たちをこう頂点としてですねえその参加に
え複数のま産業部門の企業をですね持って
いるえ企業のグループ企業のことをですね
ま財閥という風に呼んでいますえそして
こう財閥のですね特徴というのはですねえ
このえ家族同族といったですねこう特定の
経営者を頂点にするわけですけれどもえ
企業の形態としてはですねえ持ち株会社と
呼ばれるですねこれは皆さん聞いたこと
あると思いますけれどもま純粋にその株を
保株式を保有することを目的とする会社の
ことをえ持ち株会社という風に言ってい
ますけれどもまこの会社をです持株会社と
いうものをこう頂点としてえ株式のこう
支配え保有を通じてですねえ企業を支配し
ているまそういうええ企業のえ支配の形態
のことをえま一般にコンツェルンとえいう
風に呼んでいますけれどもまこの
コンツェルンというものをこう形成して
いっているとまいうのがえ財閥のえ大きな
え特徴になりますまそしてですねこう戦前
期にはですねま大小え様々な財閥がですね
え存在していたわけですけれどもえ第2次
世界対戦の後ですねねえ戦後改革の中でま
いわゆる財閥解体と呼ばれる政策がえ
GHQアメリカのですねえ政策によって
行われていきましてえそしてこの財閥解体
によってえ持ち株会社によるですね企業の
支配というのはえ一旦はこう消滅していく
ことになりましたまただですねえこの財閥
というものは全く消えてなくなったわけで
はなくてですねえ第2次世界大戦後には
このえかつてこう財閥であったですねこう
企業たちがですねえま企業グループ企業
集団というものをですねま新たにこう形成
していくということにまえなっていきまし
たまこの辺りの話はまたえ後の事業でお話
をしていくことになると思いますがえまず
こう財閥とはどういうものなのかという
ことについてえ理解をしてもらえればと
思い
ますそれではですねえ具体的にどのような
財閥がですねこう戦前に存在していたのか
という点についてえ説明をしていきたいと
思いますえまずですねま4大財閥と呼ば
れるですねえ非常にこう規模の大きいえ
財閥として有名なものがえ三井三菱え住友
安田のえ4つのえ財閥になりますえ
それぞれですねえ三井はえ三井家え三菱
財閥の場合はま岩崎家え住友の場合はま
住友家え安田の場合はま安田家という風に
ですねえそれぞれえこの創業者のですね
一族というものがこの財閥のえ支配を行っ
ていましたえまたですねこの4大財閥に
継ぐですねま次のえ大きさのですね規模の
財閥としてま中小財閥という風に取り上げ
ていますけれどもま中小というてもかなり
規模大きいんですけどもえ古川であったり
とかま麻野え川崎え鈴木え大倉えそしてま
久原といったですねまこれらもえ皆えこの
創業者の名前を取っているわけですけれど
もえこのえこれらのま今でもですねえ麻野
セメントとかですねえ川崎重工業とかです
ねえ企業の名前に残っているものもあり
ますけれどもえこういったえ中小の財閥と
いうものもえ存在していましたえまたです
ねえ昭和になってからえ対象の終わりから
ですねこう昭和にかけてえ進行財閥と呼ば
れるですねま新しいえグループがえ対当し
てくるんですねえこのま新しい進行財閥の
え例として挙げられる企業グループはです
ねま日本産業え日本窒素ま昭和電光ま日本
相田まそしてま理科学研究所といったよう
なですねえこういったま新行財閥と呼ば
れるものもえ後に登場してくることになり
ますまこれらについてはですねまたえ後の
事業の中でお話をしていくことにもなるか
と思いますえここまでがまずその代表的な
財閥ということになります
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