豊田会長講演「“トヨタらしさ”を取り戻す戦いに終わりなし」|トヨタイムズニュース
Summary
TLDRملخص مثيرة يلخص جوهر النص النصي للفيديو، يوفر نظرة قصيرة ودقيقة على المحتوى لجذب المستخدمين. يهدف إلى تفاعل المستخدمين وتحفيز اهتمامهم.
Takeaways
- 🚗 توكيوتا هي العلامة التجارية الأساسية التي تميز الشخصية للحديث، و影響了他的整个世界 وشخصيته.
- 🏭 توكيوتا الإنتاجية نظام (TPS) أصبح الدعم النفسي للحديث، ولعب دورًا كبيرًا في تشكيل فكرته الفلكية.
- 👷♂️ ال重视现场工作人员的知识 والخبرة، ويعتبرها كقوة قوية في العمليات التشغيلية والفلكية.
- 💡 الابتكار والابتكار في توكيوتا لم يبدأ من الإدارة العليا، بل من ال現場 والعمل الجاد.
- 🛠️ توكيوتا تسعى لجعل الصناعة الآلية مبتكرة مجددًا من خلال تطوير أنظمة جديدة مثل TNGA.
- 🌏 توكيوتا تسعى لتكون شركة عالمية تلبي احتياجات العملاء من حول العالم بعرض متنوع من السيارات.
- 🛑 توكيوتا واجهت العديد من التحديات، بما في ذلك الأزمة المالية ومشاكل الضمان، ولكنها واصلت في التطور والتحسين.
- 🔄 توكيوتا ت看重 القدرة على تغيير وتجديد العمليات الصناعية لتحقيق الكفاءة والبقاء ال持続ي.
- 🏆 توكيوتا تسعى لإعادة الOCUS على صنع السيارات بشكل أفضل وليس فقط لتحقيق الربح.
- 👥 توكيوتا ت看重 العلاقات مع الموظفين وتحسين ال沟够통 معهم لتحقيق مزيد من ال透明度 والشفافية.
- 🌱 توكيوتا ت看重 القيم الأساسية التي أسسها الشركة، وتسعى لإعادة تركيزها في العمليات التشغيلية والategic.
Q & A
ما هي الظروف التي أدت إلى قرار تويوتا بتبني فلسفة نظام إنتاج تويوتا (TPS)؟
-لقاء أكيو تويودا مع نظام إنتاج تويوتا (TPS) كان له تأثير كبير على مسيرته. تعلّمه لهذا النظام في مصنع موتوماتشي ساعده في التكيف مع بيئة العمل وتقديم أفضل ما لديه بعيدًا عن أصوله كعضو في عائلة التأسيس.
كيف أثر خلفية أكيو تويودا العائلية على حياته المهنية في تويوتا؟
-تربي أكيو تويودا في ظل سمعة عائلته كمؤسسي تويوتا جعله يشعر بالضغط للابتعاد عن هذه السمعة وإثبات نفسه كفرد مستقل. هذه الخلفية جعلت من الصعب عليه التكيف مع زملائه في البداية، ولكنه نجح في النهاية بفضل التزامه بنظام إنتاج تويوتا.
ما هي الاستراتيجيات التي اتبعها أكيو تويودا للتغلب على تحديات إدارة تويوتا؟
-ركز أكيو تويودا على القرارات الصعبة مثل انسحاب تويوتا من مشاريع غير مربحة ووقف بعض العمليات. كان يزور المواقع المتضررة بنفسه لاتخاذ قرارات مستنيرة بناءً على ما يراه ويشعر به في الميدان.
ما هو تأثير لقاء أكيو تويودا مع نظام إنتاج تويوتا (TPS) على فلسفته الإدارية؟
-تعلم أكيو تويودا من نظام إنتاج تويوتا (TPS) أن الحقائق الميدانية هي الأقوى، وأن الفهم العميق للواقع الميداني يساعد في اتخاذ قرارات إدارية أفضل. أصبحت هذه الفلسفة جزءًا أساسيًا من نهجه الإداري.
كيف تعامل أكيو تويودا مع تحديات الأزمة المالية العالمية وتأثيرها على تويوتا؟
-أثناء الأزمة المالية العالمية، ركز أكيو تويودا على تحسين نوعية السيارات التي تنتجها تويوتا بدلاً من التركيز فقط على الأرقام والمبيعات. هذه الاستراتيجية ساعدت تويوتا في التعافي والبقاء كقوة رئيسية في صناعة السيارات.
ما هو موقف أكيو تويودا من الانتقادات التي وجهت إلى تويوتا خلال فترة قيادته؟
-أكيو تويودا كان مستعدًا لمواجهة الانتقادات بروح من الشفافية والصدق. اعترف بأخطاء الشركة وأصر على تحسينها، مما عزز من ثقة الجمهور في الشركة.
ما هي الدروس التي تعلمها أكيو تويودا من تجربة أول مشاركة له في سباق نوربورغرينغ؟
-تعلم أكيو تويودا أن التحديات الحقيقية تأتي من اختبار السيارات في ظروف صعبة مثل سباق نوربورغرينغ. هذه التجربة علمته أهمية الاستمرار في التحسين والتطوير من خلال التحدي والمثابرة.
كيف ساهمت فلسفة أكيو تويودا في تحويل تويوتا من شركة تركز على الربحية إلى شركة تركز على جودة المنتج؟
-أكيو تويودا ركز على جعل تويوتا شركة تركز على إنتاج سيارات أفضل بدلاً من مجرد تحقيق أرباح. هذا التحول في الفلسفة الإدارية أدى إلى تحسين جودة السيارات وزيادة رضا العملاء.
ما هو الدور الذي يلعبه الابتكار في رؤية أكيو تويودا لمستقبل تويوتا؟
-يرى أكيو تويودا أن الابتكار هو المفتاح لمواجهة التحديات المستقبلية في صناعة السيارات. يعتقد أن تبني تقنيات جديدة وتحسين العمليات الحالية سيمكن تويوتا من الاستمرار في النمو والتطور.
ما هي رؤية أكيو تويودا لمستقبل الطاقة النظيفة في صناعة السيارات؟
-أكيو تويودا يؤمن بأهمية تنويع مصادر الطاقة النظيفة ويعتقد أن السيارات الكهربائية والهجينة والهيدروجينية كلها تلعب دورًا مهمًا في تحقيق مستقبل خالٍ من الكربون. يشدد على ضرورة تبني حلول متعددة لتلبية احتياجات مختلفة في الأسواق العالمية.
Outlines
😀 丰田家族的继承与挑战
这一段讲述了丰田家族的继承者如何与公司和家族的名声共同成长,以及他如何通过深入了解丰田生产方式(TPS)来找到自我认同。他强调了现场经验的重要性,并提到了丰田夫会长在帝国酒店的一次演讲,这标志着他14年挑战的开始。
😔 寻找自我与丰田的相遇
这一段描述了丰田明夫在大学毕业后加入美国投资银行的经历,以及他如何渴望探索不同于丰田的人生道路。然而,他意识到无法逃避“丰田”这个名字,因此决定直面丰田,寻找自己的身份。他分享了自己在丰田汽车公司的早期经历,以及如何通过与现场工作人员的互动和对TPS的理解找到了自己的方向。
🏭 丰田生产方式的现场实践
在这一段中,丰田明夫讲述了他在丰田工厂的工作经历,以及如何通过与现场员工的互动和对丰田生产方式的深入理解,逐渐成为公司不可或缺的一部分。他提到了在生产调查部的经历,以及如何将TPS的原则应用于公司的各个方面。
🛠️ 改革与丰田生产方式的扩展
丰田明夫在这一段中讨论了他在丰田公司内部推动改革的经历,特别是如何将丰田生产方式(TPS)的原则扩展到销售和物流领域。他提到了在销售店地区担当员的角色中,如何面对生产与销售之间的隔阂,并努力通过建立业务改善支援室来缩短车辆的交付时间。
🚗 丰田的变革与二手车图像系统
这一段讲述了丰田明夫如何发现二手车业务的潜力,并开发了一个创新的图像系统来提高二手车的交易效率。尽管公司内部对此系统有所反对,但他坚持认为这个系统是变革的催化剂,并最终将其发展成为GR Gazoo Racing,一个全球性的赛车品牌。
🏎️ 赛车与丰田的全球品牌形象
在这一段中,丰田明夫分享了他与赛车的热爱,以及如何通过参与赛车运动来推动丰田成为一个更好的汽车制造商。他讲述了自己作为测试驾驶员的经历,以及如何通过参与纽博格林24小时耐力赛来展示丰田的技术和团队精神。
🌐 丰田的全球挑战与社会责任
丰田明夫在这一段中讨论了丰田面临的全球挑战,包括金融危机和大规模召回问题。他强调了自己作为公司领导者的责任,以及如何通过坚持诚实和透明来恢复客户的信任。他还提到了作为领导者的心得,即在危机中做出艰难决定的重要性。
🔧 丰田的持续改革与TNGA
这一段讲述了丰田明夫如何通过引入TNGA(Toyota New Global Architecture)平台来推动公司的持续改革。他解释了TNGA如何帮助丰田提高汽车的基本性能,并允许更多样化的产品开发,以满足不同客户的需求。
🏢 公司制度与丰田的全面改革
丰田明夫在这一段中讨论了公司制度的重要性,以及如何通过改革公司的组织结构来支持丰田的全面改革。他强调了需要有热情和责任感的人来推动公司前进,并提到了作为最终责任者的领导者的角色。
👪 丰田的家族精神与员工关系
这一段中,丰田明夫分享了他对丰田家族精神的理解,以及如何通过与员工的真诚沟通来建立强大的团队。他提到了在公司内部推广这种家族精神的重要性,并强调了作为领导者需要倾听员工的声音并共同解决问题。
🛠️ 丰田的制造哲学与现场工作
丰田明夫在这一段中强调了丰田制造哲学的核心原则,以及如何通过尊重和培养现场工作人员的能力来推动公司的持续改进。他分享了自己如何通过亲身参与和理解现场工作来做出更好的决策。
🌟 丰田的未来方向与多路径战略
在最后这一段中,丰田明夫讨论了丰田的未来方向,包括对电动汽车(EV)、氢燃料电池和其他动力系统的看法。他解释了丰田采取多路径战略的原因,并强调了需要适应不同国家和地区的能源情况。他还提到了作为领导者在不确定时代中做出决策的重要性。
Mindmap
Keywords
💡トヨタ
💡TPS(トヨタ生産方式)
💡豊田明夫
💡リーマンショック
💡ガズー
💡TNGA(トヨタニュージェネレーションアーキテクチャ)
💡カンパニー制
💡マスタードライバー
💡環境問題
💡経営環境の変化
Highlights
トヨタの創業家の精神が常に豊田明夫氏に影響を与えており、彼のアイデンティティに深く関わっている。
豊田明夫氏はトヨタ生産方式(TPS)との出会いが彼の心の支えとなり、経営哲学に深く根ざした。
豊田氏は現場を知ることが最も重要で、TPSの強みは現場を知っている人間に拠っておりだと考えている。
絶対に元のトヨタには戻さないとの決意を持って、そのために自身も戦い続ける必要があると考えている。
豊田明夫氏はトヨタの社長として、14年間戦い続け、多くの困難を乗り越えてきた。
NPS研究会はTPSをベースに効率の良い製造に挑戦する企業が集う団体であり、豊田氏はその一員である。
豊田明夫氏はトヨタ自動車への入社を決意し、自分のアイデンティティを追求し始めた。
元町工場での現場の出会いとTPSとの出会いが豊田氏の心の支えとなり、彼の人生に大きな影響を与えた。
豊田氏はリーマンショック後の危機的状況で社長に就任し、トヨタを再建しようと努力した。
トヨタの信頼を回復させるために、豊田氏はアメリカの議会に出席し、問題の真実を伝える努力を続けた。
豊田氏はトヨタを商品中心の経営から、より良い車を作る会社に戻す改革を行った。
TNGAはトヨタの新しいプラットフォームであり、基本性能を高レベルで実現するための大きな武器である。
豊田氏はカンパニー制を導入し、フルラインナップを復活させ、多様なニーズに対応する戦略を展開した。
マスタードライバー制度はトヨタの商品の味に責任を持ち、商品開発の核心を形成している。
豊田氏はリーマンショックを乗り越え、トヨタを再建し、信頼を回復させるために命をかけた努力を続けた。
トヨタの危機に直面した際には、豊田氏は常に現場に立ち、現実を直面し、適切な判断を下した。
豊田氏はトヨタの改革を通じて、従業員の幸せと会社の発展という共通の基盤を築き、家族のような関係を築いた。
豊田氏はトヨタの将来像について、EVや水素など多様な選択肢を持つマルチパスウェイの戦略を展開している。
Transcripts
私自身には常にトヨタという会社が重ね
られ創業家のボンボンというレッテルが
ついて回るようになりましたwhoアムI
私は一体何者なんだろうかトヨタ生産方式
TPSとの出会いが私の心の支えとなり
ましたお前は見たのか現場を知ってるもの
が一番強いTPSが今ではの経営哲学に
なりました絶対に元のトヨタには戻さない
そのために私自身戦い続けなければなら
ないと思っており
ますえ今新型センチュリーが帝国ホテルに
到着しましたえこの車に乗っているのは
もちろん
はいトヨタ夫会長ですお疲れ様ですえこれ
からですね会長はこの14年の戦いについ
てこちらでお話されるとはいいうことです
ねはいあのここまでねきっとスルーでね話
た初めてだったと思えはい是非もう戦い
全て
をお聞きします全て戦いあったんではい
はいはいよろしくお願いし
ますそれでは製造業の経営者や役員およそ
200人が集まり行われたNPS
NPS研究会とは田生産方式TPSを
ベースに最も効率のいい物作りに挑戦する
企業が集まった団体
ですえ皆さんこんにちは豊田明夫ですえ
まずはこの度の半島地震によりお亡くなり
になられた方々のご冥をお祈りいたします
と共にされた様に心よりお見舞い申し上げ
ます皆様が1日も早く日常と笑顔を
取り戻せるよう550万人の仲間と共に
私自身も行動してまいり
ます私とNPS研究会との出会いは
1999年今から20年以上も前に遡り
ますかつてこの研究会のの顧問を務められ
ていた林ナパさんに連れられて初めてこの
総会に参加させていただいたのですが天敵
を打ちながら公演を続ける鈴村貴公さんの
姿徴収を圧倒するその迫力に感銘を受けた
ことを今でも鮮明に覚えておりますまさか
この壇上に自分が立つことになると
はそれが今の正直な気持ちでございます
本日は私とTPSの出会いから社長就任後
の戦いに至るまでリアルストーリーでお話
をさせていただきますのでよろしくお願い
いたし
ます最初に自己紹介を兼ねて私自身の話を
したいと思い
ます私は1956年に豊田の長男として
生まれました私が生まれた時父昌一郎は
トヨタの取締役でし
た父が色々な車に乗って家に帰ってまいり
ましたので私のそばにはいつも車があった
気がいたし
ますそんな中忘れられない思い出がござい
ます1966年5月3日富士
スピードウェイで第3回日本グランプリの
決勝レースが行われました父は10歳の
誕生日プレゼントに私をレースに連れて
行ってくれたの
ですプレゼントの中身は抜け走り抜ける
かっこいい車とうるさいエンジン音そして
車に関わるかっこいい大人たちの姿でし
た私は車が大好きになりまし
た今思えば父からの1番のプレゼントは私
の中に川森三の原点を作ってくれたことか
もしれません一方この頃から私自身には常
にトヨタという会社が重ねられ創業家の
ボンボンというレッテルがついて回るよう
になりまし
た大学を卒業した私はアメリカの投資銀行
に入賞をし世の中のお金の流れや最先端の
金融技術を学びたいという同機に加え1人
の人間としてトヨタとは違う人生を歩み
たいそんな思いで選んだ道だったと思い
ますしかしここでもトヨタの混雑士という
目から逃れることはできませんでし
たwhoアムI私は一体何者なんだろうか
そんな気持ちが私の中でどんどん大きく
なってまりまし
たどうしても逃れることができないなら
トヨタと真正面から向き合って
みよう自分が何者なのかそのヒントが
見つかるかもしれないそう考えた私は
トヨタ自動車への入社を決意したわけで
あり
ます当時社長でありました父からは一言
だけトヨタにはお前を部下にしたいと思う
上司はいないぞと言われまし
た実際に入社してみますとまさにその通り
でした私に近づくと周りからは社長の息子
に気を使ってとかごまをすろうとしている
とか言われますし逆に社長である父親に
言いつけられるかもしれないと思うときく
当たることもでき
ないトヨタの人たちからすれば厄介な存在
だったんだと思い
ます私はいつの間にかできるだけ関わら
ない方が良い存在いわばアンタッチャブル
な存在になってしまいまし
たそんな私にも救いがありましたそれは
最初に配属された職場が元工場だったこと
です元町総組み立て部機械部をはめとする
現場の人たちとの
出会いトヨタ生産方式TPSとの出会いが
私の心の支えとなりまし
た当時の私は時間を見つけては現場に行き
自分にできることを探していましたある時
その姿を見ていた現場の人たちが私が現場
を回りやすいようにと壊れた自転車を3台
寄せ集めて私先進用の自転車を1台作って
くれまし
たこの時の嬉しさは一生忘れることはあり
ませ
ん元町工場の現場の人たちは私を創業家で
はなく1人の新人1人の人間として接して
くれました
それはなぜ
か現場の人たちにTPSが寝付いていた
からだと思い
ますお前は見たのか事実は何かこのTPS
のもの見方考え方こそ人生において素の
自分を見てほしいそう願い続けてきた私が
求めていたものであったと思いますここで
映像をご覧くだ
アメリカの投資銀行勤務を経て28歳の時
トヨタ自動車に入社した豊田
明夫最初の配属先は工場ラインの部品係り
だったと
いう豊田秋夫の入社を現場はどう受け止め
たの
か先輩社員として工場に勤務していた引い
てみ
たあの秋夫さんと僕の出会いは昭和59年
明夫さんがトヨタに入社して元町工場の
公務部に来たうん小一郎さんの息子だって
いうことで暗黙にやたらに昭夫さんに声
かけちゃだめだぞっていう空気があったん
ですねいつも元気のいいあの課長がいたん
ですけどねはいでその人が僕なんかを呼ぶ
時は
やせ誰それて呼ぶのにその課長が豊田
コーンて呼ぶんですよそのトーンの違いに
あの課長も緊張してるな
うんでは直属の上司はどう感じたのか2年
目豊田明夫の上司となった林
南林は田生産方式ののの親とも言われる王
の対1の君島を受けた最後の
世代その厳しさは誰もが知るところだっ
た私が製造課長で君の顔を担当してもらう
とで今日は現場をご案内しろとなんで新人
社員俺がご案内しないいかんのかとむ
かっぱがったけどねどうせ
あの海外生ちゃんのボンボンだろうと思っ
とったらとんでもないぐちりした方でねご
自身のとに来るってのはちょっとやっぱり
なんかあんまり嬉しいことじゃないんです
よこれはねサラマですからね僕や
てしかし林は昼まずかました何やっとんだ
バカ野郎がそんなとっから見えるかと書い
てねうんほいで君はあの入社は1年なる
けど一ぱいしいたことはあるかったらあり
ませんそれは不幸なことたと1年僕のとこ
担当してくれるから幸せにしてやるから確
し
とれ一方林はあるトラブルでの豊田の対応
に驚いたというちょっとでかしてくれんで
うちの部が間違えたのか後後が間違えたの
かよかわからんけども8時頃夜の8時頃
飛んできて部品が切れるとどうしましょう
てどうしましょうてこういう時になんとか
するのがコムだろうって返したらね一目
さんに出てってね帰ってこないですよで
部下に聞いたら部品取り行ったんじゃ夜中
ってかい夜中ですで夜勤は主しかなああの
部品の相手様そうそうほいで主に案内さし
て当該部品を倉庫の中から探して持って
帰ったあれなかなか
ね東京の座った男だなとどうやって育て
てるとこんだけ渋なのかなと思う
ぐらい昼休みになると必ず現場の休憩所を
点々と回って
ねの社長の運動士なんて関係なしうん仲間
意識はできますよねうん俺は別格の人間
だっていう体一切取らなかったですからね
うんそして秋夫は自分の次の配属先は常に
現場の先輩たちに相談をして決めたと
いう次はどこ行ったらいいですかて相談に
来たから俺は語学を受けたこともないしだ
から
あの正郎さんとかAさんに相談したらどう
だとただめです彼らは入ったから役員なん
ですよてあそう
かでトヨタ自動車に入社して平社員で入っ
てきたのは私が初めてなんですだから私は
将来1番下から見た景色を強みにしていき
たいこの林南波さんのすでTPSの伝承者
の1人となるため私はTPSの総本山で
ある生産調査部で本格的に行することに
なりまし
たなんとかここまで私がトヨタの責任者と
して役割を果たして来られたのは私の中に
TPSの思想と技と所作がねいていたから
だと思っておりますご承知の通りTPSの
日本柱といえばジャストインタイムと忍べ
のついた自動家
ですジャストインタイムとはリードタイム
を限りなくなく短縮することであり自動家
とは異常が分かる異常で止める現場を具現
化するもの
です実はこの異常で止めるということは
経営の様々な局面においてその責任者で
あるトップにこそ求められることだと思っ
ており
ます私は社長に就任して以来家の決断をし
てまいりました決断とは
立つことを決めると書きますその文字通り
これまで私が下してきた決断はヌーミー
撤退F1撤退オーストラリア生産撤退
tmej東富士工場閉鎖など誰もが悲しむ
決断ばかりでし
た全てに共通していえることは必ずその
現場に行き自分の目で見て耳で聞いたこと
をベースに悲しむ人の顔と現場の光景を
思い浮かべながら決断をしてきたことです
トップの重要な役割は決断すなわちやめる
ことを決めることだと思い
ます今評価されることを決めるのは誰でも
できます公生のために辞めることは責任者
としての覚悟を持ったトップにしか決め
られませ
ん現場が分かりイメージできるからこそ
全ての責任を終えるつまり決断できるわけ
ですお前は見たのか現場を知ってるの知っ
てるものが1番
強い元町工場や生産調査部で教わりました
TPSが今では私の経営哲学になりまし
たただしそこに至るまではは乗り越え
なければいけない大きな壁がありました
最初の壁は生産と販売つまり昔のトヨタ
事項とトヨタ自販の壁でし
た生産調査部の後1992年から国内営業
部門に移動し販売店の地区担当員となり
まし
たそこで目にしたのは信じられない光景
でした生産現場が知恵と工夫でリード
タイムの短縮に取り組み組み立て工場を数
時間で出た車が販売店のヤードでは何週間
も大留していたの
ですトヨタのジャストインタイムは工場の
中だけなのかそう思うといても立ってもい
られない気持ちになりまし
たトヨタと販売店お客様をついでこその
ジャストインタイムではないのかそそんな
思いで国内営業部門の中に立ち上げたのが
業務改善支援室でし
たしかしそれは国内営業部門はもちろん
販売店からも歓迎されない存在でし
た周囲からはTPSだかだかジャストイン
タイムだか知らんが物を作るのと売るのは
違うと白い目で見られていまし
た当時はトヨタ事故とトヨタ販が合併して
から10年が経っておりましたがまだそこ
には生産と販売の熱い壁があったわけで
あります当時の様子を販売現場で一緒に
改善に取り組んでくださいました熱熱豊田
栃木の森川会長が話してくださいました
こちらをご覧
くださいリアのカウンターでね本当に熱い
思いで語られましたよ豊田社長との最初の
出会いでた当時カ店の地区担当員北陸の
地区担当員をさえていた豊田社長がTPS
による販売店物流改善に取り組むことで
販売店経営の土壌を変え新しいことに
チャレンジする活力と吹きを吹き込む活動
にしたいとうんうんばしる情熱真剣なマズ
て私に話をしていただいたことをね今も
洗礼に覚えて
ますで入ってみりゃもう全部今申し上げた
ように主教派ですから
うん中夜を若本当に一生懸命共に悩みとみ
共に考えるうんそういう中でね少しずつ
その子宮派がねうんなんか働きやすくなっ
たなうん手法というだけじゃなくて心の
有用っていうかね心志しっていうのかね
そういうものは高ければね最後は人の心は
動くもんだ組織は変わるもんだとうん
いう
これはやっぱりね驚きだったなうん時代を
超えてね今もそういう思いで親いになっ
てるのかなという気がするん
です販売店の改善を通じて実感したことが
ございますTPSは生産現場だけのもので
はない全ての業務職場現場に通用する
そして変革をこもうとする壁を壊すことが
できるということです壁を作るのはいつの
時代も本社の事務技術員のエリートです
エリートたちが会議室で作った壁は現場に
行き彼ら彼女らを巻き込んで改善に
取り組めば必ず壊すことができる私はそう
信じてこれまで多くの壁を壊してまいり
まし
た販売店の業務改善を進める中中古者
ビジネスの可能性に見をつけました
下取り車の再販までのリードタイムを短縮
しようと下取り車をデジカメで撮影し全て
の営業所の端末ですぐに相談に入れる中古
車画像システムの開発に乗り出しました
当時としては画期的なシステムでしたが
トヨタ車内からは画像で車が売れるはずが
ないと猛反発に合いました中古者画像
システムはブランドを名乗ることができ
ませんでしたので画像をローマ字にして
ガズと名乗りましたこれがガズの語言です
これ以降私にとってガズーは変革ののしに
なりまし
た私がもっといい車作りへの変革ののしと
して始めたのが今やスポーツカーの
グローバルブランドになったGRガズー
レーシングですそれは23年前前伝説の
テストドライバーナルセひさんとの出会い
から始まりました私の顔を見るなり鳴瀬
さんはこう言いましたテストドライバーは
命をかけて車を走らせているあんたのよう
な車の運転もわかんない人にああだこうだ
と言われるのは迷惑だでも運転に興味が
あるなら教えるよそっから私の運転訓練が
始まりました成瀬さんにはゆな信念があり
ました道が人と車を鍛え人が車を作るだ
からこそモータースポーツを車と人を
鍛えるもっといい車作りの基盤にすべきで
あるその信念のもナルセさんのすめで私は
初めてニュルブルクリンクの24時間耐久
レースに参戦することになりまし
た20007年6月のことです当時私は副
社長になっておりましたので世間からは
ボンボの道楽ガズは雑師である明夫の
ホビーだなど散々叩かれました当然トヨタ
本社からのバックアップは一切ありません
しトヨタを名乗ることもできませ
んそこで私は森と名乗りチーム名もガズと
いたしました
お金もありませんでしたので中古で購入し
た2台のアルザが私たちの相棒でした
こちらの映像をご覧
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ください
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はいどっちか行く途中あどこ行ってんのか
なってわかん
ない右行ったら
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右
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[拍手]
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おめでとうございます初めてのニル
振り返ってどうですかあのみんなのおか
あの本当にありがとうございましたもうね
言葉が出ないぐらい最後のシはね涙で前が
見えませんでしたあどういうチームでした
かこのチームは最高最高ですね全員が主役
おめでとうございましたえごますあいまし
たあうざ
ますなせさんお疲れ様です皆さんの仕事
ぶりを振り返ってくださいあ予想通りでし
たはい完璧
完璧予想通り予想通り
何卒間違ってません瀬さんご自身にとって
のこのニル今回どうですかま人生の1つ
ですねはいおめでとうございます
ありがとうおめでとうございまし
[拍手]
たニル24時間レースで2台とも完成した
のは奇跡でしたが一方で非常に悔しい思い
もいしまし
た他のメーカーは将来出す予定の開発中の
スポーツカーを走らせておりますしかし
トヨタにはニュルで鍛えられる現役の
スポーツカーはありませんでした抜き去っ
ていくタメイクの車からはトヨタには
こんな車作りはできないだろうという声が
聞こえるようでし
たあなたにはできないでしょ常に言われて
きたこの言葉への反発悔しさが
もっといい車作りの原料力になったと思っ
ており
ます私がニュルに挑戦した頃のトヨタは
アメリカが牽引する形で海外販売を伸ばし
毎年世界販売大数の過去最高更新ついには
GMを抜き台数規模で世界1の自動車
メーカーとなり世間では世間ではトヨタを
賞賛する記事や書籍がたくさん出てまさに
我が家の春を王化するそんな状態だったと
思い
ますそしてこの校長はずっと続くと思われ
ましたリーマンショックが起こるまでは
そのリーマンショックによりGMが破綻
いたしますトヨタも2兆円を超える利益を
一瞬にして失い創業以来初めての赤字に
転落する中で私は社長に就任いたしまし
たこんな危機的状況を3代目のボボンが
乗り越えられるわけがないお手並拝見早く
失敗してやめればいいのにそんな声が社内
からも社外からも聞こえてまいりまし
た私は誰からも望まれない社長だったと
思いますそれでも私はなんとかして会社を
再建しようと1日も休まずに必死に現場を
飛び回っておりまし
たもっといい車を作ろうよトヨタの仲間に
はただそれだけを言い続けてまいりました
そして私自身がテストドライバーの一員と
して命がけでハンドルを握り続けました
休まずに働き続ける姿と車の開発に命を
かける姿を見せること私にはそれしか
トヨタを立て直すやり方が思いつかなかっ
たの
ですそんなやきリーマンショックを上回る
会社存亡の危機に見舞われることになり
ます世界規模でのリコール問題
ですトヨタの信頼は崩れ去り私はシガ役と
してアメリカの校長会に行くことになり
ました今思えばあれは私自身をを潰す
ゲームだったのかもしれませ
ん会社からも国からも見捨てられた気が
いたしまし
たこの時に聞こえてきたのはあなたには
できないでしょやはりこの言葉でし
た四面祖の状況で私にできることはトヨタ
の誠実さを伝えることしかないそう思い
ました対応が悪いとか遅いという批判は
素直に受け止めて謝罪をしようしかし嘘を
ついているとか隠しているとかごまかして
いるとか言われのない誹謗に対しては絶対
に妥協しないで戦おうトヨタの本当の姿を
議会の人たちだけではなくその先にいる
多くの人たちに
伝えようそれがトヨタの仲間を守ることに
つながり次に社長になるに責任を取ると
いうことを身を持って示すことになるそう
決心した時私の中に入社して初めて自分
自身がトヨタの役に立てるかもしれないと
いう喜びや嬉さに似た感情が生まれたこと
を今でも鮮明に覚えており
ます逃げないごまかさない嘘をつかない
これはリコール問題の時に私が世界中の
人々とした約束です私がこの約束をできた
のは現場の仲間がいたからですトヨタ本社
ではエンジニアたちが昼夜を問わず走行
試験を繰り返し何が事実なのかを徹底的に
追求をしてくれておりまし
た事実を見ているやが1番強い現場に生き
ているTPSがトヨタと私を守ってくれた
そう信じておりますそして私が命をかけて
守ろうとしてきた仲間実はその仲間に
私自身が守られていたそう思った瞬間涙が
溢れ出しました後の株主総会で株主の方
から社長たるもの涙を見せてはいかんと
言われましたがあの涙だけはどうすること
もできなかったと思っており
ますリコール問題以降東日本大
体の大洪水超円高を含む60区私が社長を
務めた14年間は危機の連続でしたが危機
だからこそ私は社長を続けられた私が社長
である意味があったと思っており
ます1番の危機はトヨタが車屋としての
本文を見失っていたことだと思っており
ます私が社長に就任した時ある方から
トヨタはいつからお金を作る会社になった
のですかと言われました米国の自動車
ジャーナリストからはレクサスは退屈だ
あれはブランドではなく販売チャネルだと
言われました非常に悔しい思いをしたわけ
ですが言われたことは私自身が感じていた
ことでもございましたので当時のトヨタは
まさにお金を作る会社になっていたと思い
ます
規模の拡大を追求するあり儲かる車を
儲かる地域でつまり大表年であるアメリカ
を向いた車作りが中心になっておりました
そして車内でもで最も重要しされており
ましたのが大数と収益を最優先に作られた
グローバルマスタープランでしたそこには
作れば売れるというメーカーのエゴがあっ
たと思いますジャストインタイムとは必要
なものを必要なだけ作り運ぶことですが
当時のトヨタには儲かる車を儲かるだけ
作り運ばせるというフードがあったような
気がいたし
ますもっといい車を作ろうよこの言葉から
スタートした私のトヨタ改革はトヨタをお
金を作る会社からもっといい車を作る会社
すなわち商品で経営する会社にに変革する
ことだったと思います改革を支えた3つの
柱があり
ますまず最初に取り組んだことがtnga
です車の基本性能である走る曲がる止まる
それを高いレベルで実現するためには崇の
いいプラットフォームが必要ですしかし
新しいプラットフォームを生み出し共通化
することはそう簡単なことではありません
マンショックで赤字に転落し台数も伸ばせ
なかった1番苦しい時代にみんなで歯を
食い縛りながら苦労に苦労を重ねて
作り上げた最大の武器それがtngaです
tngaによって商品が大きく変わりまし
たクラウンやカローラといったロング
セラーが息を吹き返し86やスープラGR
ヤリスといったスポーツカーも復活いたし
ました
共通のプラットフォームを使い商品を単一
ではなく軍として開発し多様化する顧客
ニーズに対応していく軍戦略も実現できる
ようになりましたそれらは全てTNGが
あったからできたのだと思っております
そして2つ目の柱がカンパニー制です
世界中のお客様のありとあらゆるニーズに
答えてきたフルラインナップそれがトヨタ
です
しかしグローバルマスタープランの時代に
はフルラインの強みを失い大数収益に貢献
する商品だけの偏ったラインナップになっ
ておりましたそうした状況には2度とし
ないその決意の現れが現在のカンパニー性
ですフルラインである以上スポーツカーで
も商用者でもどんなジャンルの車でも情熱
を持ち責任を持って考える人が常に会社の
中にいるそんな状態を作り出すことが
カンパニー性の真の目的だったと思います
目先の大数と収益この魅力に抗うことは
簡単なことではありませんだからこそ
トヨタにとって世の中にとって本当に必要
な車を第一に考えることができるそんな人
と組織を作らなければならないと思いまし
たそして最後の1つが最終責任者としてで
のトップだと思います自分で言うのも何
ですがトヨタにあり他のメーカーにない
ものそれがマスタードライバーだと思って
おります世に送り出す商品の味に責任を
持つ例え開発人が苦労し作り上げたもので
あったとしてもトヨタレクサスの味で
なければはっきり脳という森沢マスター
ドライバートヨタの社長この3つのを同時
に持って私自身が現場で仲間と共に
取り組んできた14年間の全てが今の
トヨタの商品という形になって現れている
と受しておりますそしてこれが商品で経営
するということだとも思っております
もっといい車を作ろうよ最初は誰からも
理解されませんでした社内からは具体的な
スペックを言ってもらわないと困るとわ
言われ社外からは今度の社長は数値目標
さらすら言えないのかと批判されまし
たもしあの時私が何か1つでももっといい
車の具体例を言ってしまっていたら車内は
思考停止に陥り今の商品グローバルフル
ラインナップは生まれていなかったと思い
ます人の持つ考える力を尊重するこれも
TPSが教えてくれたことだと持っており
ますトヨタを支える人の
改革役員改革と従業院コミュニケーション
にも全力で取り組みました大変時間と労力
がかかる取り組みですが私を突き動かした
のは自分と同じ苦労をさしたくないという
次世代への思いだったと思い
ますまず役員について申し上げますと
かつてのトヨタでは社長は62歳でで就任
するのが通例となっておりましたが私は
それより10年早い52歳で社長に任命さ
れました当時役員は80名顧問相談役は
70名合わせて150名の方が在籍をされ
ておられました全員年上です年上の私を
応援しサポートしてくださった先輩も
いらっしゃいましたが慰霊の若さで社長
就任を心よく思わない方もたくさん
いらっしゃったと思いますそんな中私は
トヨタを変革するためには上から変えて
いくことが不可欠だと考え役員の数や階層
を少なくしてまいりました今では役員は
14名顧問相談役はゼとなっております
その目的は肩書きではなく役割で仕事を
する会社に変えることです
肩書きはヒエラルキーを生みそれが行き
すぎると車内はトップから降りてくる言葉
を待ち自立性を失ってしまいますこれに
対し役割はフェアネスを生み1人1人の
考える力と自発的な行動を引き出すと考え
たわけでございますそのために肩書きでは
なく役割で動く会社に変えていかなければ
ならないこれは創業系という肩書きで潜入
感を持たれ苦労してきた私自身の使命だと
思いまし
た次に従業員とのコミュニケーションに
ついて申し上げますこちらの映像をご覧
ください今の段階でねあの素直な感想を
言いますとあの私あの今までねずっとこの
老師を出てますけどま本音の話し合いは
進んだと思いますで
も今回ほどねものすごく距離感を感じた
ことないですね
ええこんなに噛み合ってないのかと赤字の
時も大変な時も従業員に自分は向き合って
きた自分は一体何だったんだろうやる気の
ある人もいるんですねこの会社にはやる気
があるただやり方がわかんない人がいる
その人たちにはセーフティネットを与え
たい
[音楽]
え私から回答申し上げるにあたりまずは皆
さんと一緒に改めてトヨタグループで働く
全員が立ち返るべき原理原則であるトヨタ
工業の精神について考えたいと思い
ますトヨタ工業の1つ目は上下1市政業務
に福祉産業報告の実をあべですこの産業
報告の精神こそトヨタの原点でありどんな
に時代が変わっても変えてはならないもの
だと私は思いますそして4つ目が御上由愛
の精神を発揮し家庭的美風をさ行
すし従業員は家族これは紀一郎の言葉
です今回の老師の話し合いで私たちは本当
に家族だったのでしょうかまずは相手の
悩みに耳を傾き現実に起きてることを
しっかり受け止めすぐに答えが出ないもの
は時間をかけ共に悩み共に現状を打開す
やり方を模索するこれが家族の話し合いで
はないかと思うの
ですここまで少し時間をいだいて私たちの
原点である豊田領について私私なりの解釈
を申し上げてまいりましたそれは今のヨタ
がここにいる私たち全員がトヨダ工業の
精神を忘れかけているのではないかそう
感じたから
ですトヨタ工業が私たちトヨタの原点で
あるならばトヨタ生産方式TPSと原価
提言原価の作り込みはトヨタに関わる全員
が身につけ身につけるべき作法と言えます
今回の老子教でのやり取りの中に私は業の
や叩き込まれたはずの作法を感じることが
できませんでし
た第3回の老子教でこんなに距離を感じた
ことはないと申し上げたのはそういう意味
です見えないところで頑張っている人たち
がトヨタにいることも私も知っています
しかし今回の老師教ではそうした人たちの
頑張りや悩みが一言も聞けなかったような
気がいたします私の現場感覚とあまりに
ギャップを感じましたので第3回の老子教
の場であのような発言をいたしまし
た会社は従業員の幸せを願い従業員は会社
の発展を願うこれが豊田老師が大切にして
きた共通の基盤であり私は従業員は家族で
あり老子協議はその家族の会話だと思って
おります
子供が間違った方向に行こうとした時に
叱るのは親父の役割です私はそう思い14
年間従業院1人1人と向き合ってきた
つもりですそこには1つの嘘もありません
でした本気で喜び笑いなき叱ってまりまし
たその結果今のトヨタの老子競技は大きく
変わったと思います自分の自分たちの利益
だけを主張するのではなく自動車業界で
働く550万人の仲間のことを考える場に
変わってまいりまし
た物づくりは人作りこれもTペースの教え
そのものだと思っており
ます危機に直面した時困った時私はいつも
現場に参ります現場で自分の目で見て耳で
聞き体で感じた事実と現実のベースそれに
トヨタの住むべき道を決めてまいりました
私が言い続けたもっといい車を作ろうよ
これは頼まぬ改善を掲げるTPSそのもの
だと思いますそのためにはトヨタの思想と
技と所作を身につけた人を作らなければ
なりませんかつてのトヨタは非常に完了的
で一部の肩書きを持ってる人たちが主権を
持ち現場ではなく本社の机の上で意思決定
がなされていた会社だったと思います
入社して以来私がずっと感じていたトヨタ
ってこんな会社だったのかなという違和感
は巨大組織に寝付いてしまったこの企業
フードにあったと思い
ますもっといい車を作ろう町1番の会社に
なろう自分以外の誰かのために仕事を
しよう最初は誰からも相手にされなかった
私の言葉と行動に1番共感してくれたのが
現場の仲間でした現場で働く1人1人が
自ら考え動いてくれるようになりました人
が変わったからこそ商品が変わりトヨタが
変わったのだと思い
ます今トヨタの試験は自ら考え動く現場に
ありますこれこそが私が何としても
取り戻しか取り戻したかったものでした
しかしこの現場試験の経営も油断をすると
すぐに本社試験大本営試験の経営に戻って
しまうのではないかこんなにも時間をかけ
て苦労して帰ってきたトヨタがかつての
官僚的なトヨタに戻ってしまうのではない
か私は常に危感を持っておりますみんなが
それを感じた時にはトーレイトです絶対に
元のトヨタには戻さないそのために私自身
戦い続けなければならないと思っており
ますトヨタらしさを取り戻す戦いに終わり
なし改善に終わりなしTPSのこの言葉で
私の話を終わりにしたいと思いますご清聴
ありがとうございまし
た休セッションの時間を頂戴をいたして
おりますえ今日どうもありがとうござい
ました経営環境がこれだけ変化をしている
のがですねえトヨ会長は会社の何を変えて
何を変えないのかというのをどういう観点
で見極めて決断されてるのかっていうのを
是非お聞かせいていただきたいと思います
はいあのまず変えちゃいけないことを
はっきり決めたっていうことだと思います
それで変えちゃいけないことと多分その
絶対やっちゃいけないことこれを明確にし
てあのそれ以外は時代も変わってきており
ますのでえそれ以外はやっぱり変えていか
ない限りですね変化をしない限り機上と
いうのは持続的永続的にはあの発展して
いかないだろうというのが私のベースに
あった言葉でありますただちょっと状況が
変わってまいりましたのは現在ですね正解
がないんですね例えばカーボン
ニュートラルえそれから対応化における
そのいろんなマネージメントとのやり方と
かいろんなものはございますけども正解が
ない時正解がない時にどうするかかつて
自動車産業っていうのはアメリカとか欧州
が先を走っておられましたのでえそこより
もあのうまくやろうじゃないかとという
ことで戦ってきたと思いますですけれども
あの戦闘を走り始めた今ですねえそして
ケースを始め大きな変化点がある中あの
トヨタがやってくことが必ずしも正解では
ないえただ何かしらの変化をしない限りは
必ず衰退してしまうということでかつて
よくプランDoチェックアクションと言わ
れてたものもプランを最初にやってると
ですねやっぱりその正解のない時代は
やっぱおかしくなっちゃうんですねです
からdoを最初にやろうじゃないかとえ
doを最初にやった中でえこれってトヨタ
かなえこれってトヨタがやっていいことか
な悪いことかなというのをやっぱりみんな
で考えながらあの結果ですね変えちゃいけ
ないものえというものがあのだんだん
だんだんね時代に合わせてえ皆さんと共感
を持ちながら作り上げていくものだと私は
実感いたしましたえ豊田さんが全方位でま
EVも水素もま全部やるんだみたいなこと
よく言われますこれからのそのヨタさんの
ま車作りのま将来像と言いますかそういう
全体のイメージとしてそのとったの車がま
どうなっていくのかなていうの非常にま
興味があるところなんではいあのそのご
質問だと回答に4時間ぐらいかかると思い
ますですけどその4時間えて4分でやると
するとですね
あの1つの選択肢じゃダメじゃないとはい
カーボンニュートラルの山の登り方はえ
各国のエネルギー事情に関わってまります
のでえその国ごとに登り方が違うんじゃ
ないということと今すぐできることは
やろうよという考えでトヨタはやっており
ますでトヨタはですねご存知のように
グローバルな会社でえかつそのフルライン
メーカーですですからあのevevと言っ
ておられる方はですねあのどちらかという
と武器がBV1本で戦って来られるとこ
ですのでただトヨタの場合本当にあの全
世界え10億人の方がですね電気が通って
ないところにも車を供給しておりますので
電気動車1本の選択肢ではですねあの全て
の方に移動を提供できないえというところ
からいろんな選択肢を持とうじゃないかと
というまあの方策をしておりますそして
トヨタにあって他の会社にないのが
ハイブリッドというものですで
ハイブリッドがこの日本でですね20年
30年前から導入したおかげで日本が唯一
先進国の中でCO2を23下げてる国で
ありますただそこのところはメディア中心
にどなたもですねあまりあの説明をして
くれませんえそれよりもトヨタが2周遅れ
3周遅れえということしか言われないです
から大事なことはですねあの電気自動車に
するとか燃料電池者にするとかいうことで
はなくてえどういうそのパワートレインで
あれCO2が敵なのでありますのでCO2
を今すぐでも減らすことをみんなで
考えようよとそして
えどの地域えどの国の方々えどのその所得
層の方でも移動の自由を奪うなというです
ねえところをトヨタは考えております昨日
も今オートサロンのあの途中でえ昨日も
エンジンやるぞっていうですねあのえ大
プロジェクトをトヨタにお願いをしたと
いうことをぶち上げましたえというのは
いくら電気自動車が進んだとしても
やっぱり市場の3割だと思いますそうする
と後の7割はあのハイブリッドなり燃料
電池なりえ水槽エンジンなりそしてまた
ガソリン車なりえそういうのは必ず残ると
思いますそしてそれを決めるのは規制値
政治の力ではなくてえお客様市場が決める
ことえになってくると思いますそうした時
にやはりフルラインナップでえ全世界でえ
勝負をしておりますトヨタ自動車はやはり
え7割の層のこともねあの取り残さない
ようなえことも考えていかないといけない
ということでえマルチパスウェイえをやら
していただいておりますので正直言いまし
てマルチパスへ昨年のG7でやっと日本が
言い出しましたけれどもそれこれまで3
年間えマルチパセと言ってたのは自動車業
界でこの私1人でありますでこの私1人で
相当叩かれましたあのやはり1人で戦っ
てくというのは本当に辛いことですあの
そういう中でも私が守りたいのは550万
人の本当に日本でエンジも含めてあの今
まで人生かけて仕事をしてきた人生がね急
に電気動車あって言った時にずっと
エンジン関係の仕事をしてきた人は今まで
の人生どうなったんだとと言われると私は
思いますですからそういう方々もまだまだ
エンジンメーカーエンジンの関係の仕事を
やってる人たちも自分もカーボン
ニュートラル参加できるんだえというよう
なことをあの元気をつけてもらうためにえ
トヨタ自動車に新たにエンジンえの新しい
プロジェクトをえお願いしておりますます
しえそのうちそれはですねあの佐藤社長の
方からも発表があると思いますみんなで
未来を作るものですし一部のね一部の選択
肢だけのねえところでやらない方がいいよ
という風に私は思っております日本には
日本のやり方があると思いますし何も欧米
のねえ右になをやることがあの本当のあの
正解ではないと思います正解を決めると
いうのは最後市場とお客さんが決めること
だと思いますのでえそこまで選ばれていけ
ばねえきっと未来は変わってくると思い
ますからあの是非ともねあのトヨタの考え
にも是非ともあの応援とは言いません
けれどもあの共感いただいた方はあの
いろんな形で応援いただきたいなという風
に思いますトップリーダーの心得という
ものにつきましてえ改めてご教授
いただければ幸いでございますどうぞ
よろしくお願いしますあの私がご教授
できるな立場ではないと思いますが私が
経営者としてやってきたことは2つだけ
ですあの決断とお責任を取ることこの2つ
こそが経営者のあの仕事だという風に思っ
てやってまいりましたあの私自身とにかく
先ほど申しましたようにあのあなたには
できないでしょというねあの誰からも望ま
れない社長としてえスタートしております
えそういうこともございましてあの私自身
あのその何か相談に自分のとこに来たて
いう時にはもう回り回って最後の砦で来た
んだろうなですから私の部屋を出てってえ
扉を出てった時にはあこうすればいいんだ
なということが分かるような回答をして
あげようただ私もですねえ未来予言者でも
なければえ何でもないのであのそのえ私の
回答がねえ回答があのあの正解とは限ら
ないんですよえただ正解とは限らないまで
も少なくともあの一歩出て何かやり出した
ことでより多くのことが見えるようになれ
ば私の目耳は2つ2つですが多くの仲間
たちと共にそうやって仕事をしていけば
もっともっと情報量えもっともっと間違い
をしたら間違いってのは分かるわけです
そのために責任は取ってあげるよというね
あのことで責任を取ってあげるよというの
を口で言うのは簡単なんですが本当にやっ
てくれるかどうかなんですねですからそれ
を何か厄介な話え厄介な話が来た時にえ
自らが動く姿をお示しされればですね多分
そのあのいろんなことは変わると思います
それにえ私と違って最大のアドバンテージ
はきっと期待されての社長就任だと思い
ますからねあのあの私の時はねとにかく
早くやめろよみたいなねあの早くの責任
とってやめなさいそれがあなたの役割って
いう感じでえ受け受けました受けまし
たっていうかそうだったと思いますです
けどそれがあのねここまで続いちゃったの
は危機が続いたからですえ危機が続きえ誰
もそのそういう時の回答なりねああいうの
が言えないそれをある覚悟を持ってえこれ
どんな結果になってもいいからやとれんよ
とということを言え言いうまくいかない時
に表に立ったからだと思うますはいです
からそういう態度をねあの1ずつお示し
いただくことえこそがえ重要なんじゃない
のかなと思いますそして昨今ねこれも
ちょっとあの日本のメディアに対してね
あれなんですけどあのあまりに分断とね
あの誹謗中傷を煽るなとということは
ちょっと感じておりますですけど今あの
未来を語るんだったらそれはあの子供たち
とかねえこれから未来や長い人たちのため
のものなんですよそうした時にどんな大人
の姿を見せるかえこれも大事になってくる
と思いますえ今の大人があのああいつの
責任とかねねあこれ知らないもんとか言っ
てんじゃなくてねあのなんでもかんでも
大人がまず率先して動きよりありがとうと
言い合えるえそして助かるそして笑顔が
多くなるえそんな世界を大人が作んないと
あの子供たちはねあのどんどんどんどん
このこの国に本から逃げていってしまうん
じゃないのかなという風に思いますあの
何か困ったようなことがあった時にはあの
自分が表に立ってあげるというその行動を
示すとですねきっとあの多くの応援談が得
られるんじゃないのかなという風に思い
ます以上ですえ豊田さんが今考えてる日本
の製造業に対して何をしたらどんなことを
伝えたいかとかあるいは厚生の方にどのな
ことを伝えたいかということにつついて
色々とアドバイスをいただければと思い
ますあのやっぱり企業経営ってのはあの
過去現在未来っていうのがあると思うん
ですねそれで過去があるから今があるで今
何をしてるから未来の世界は変わるえと
いうことであの仕事の中もですねあの過去
の処理をしてるグループもあれば現在のえ
稼ぎを稼いでくれてるえ部署もあればあの
未来のことにたがる先端先行えの研究開発
も含めてやってるとこもあると思います
ですけどあの企業経営で僕大事なのはその
それぞれがありがとうとゆる関係を作る
ことなんじゃないのかなという風に思って
ますあの先端先行をやれる人たちは過去
こういうことをねやってきてえそして現在
こういうことやってくれてるから俺たち
こういうことできるよとねでその過去現在
をやってる人たちはあの自分たちがねあの
本当にあの未来にえやっってくのに
頑張れよとねえ俺たちしっかりその分稼ぐ
からとかえその分のリソースを持ってって
もいいよってねあのお互いがお互いに
助け合うえ感覚になった時えきっと企業は
ですねあの非常に強いものになっていくん
じゃないのかなという風に思ってますえ
それをやはりその未来をやってる人え新
プロジェクトだけやってる人えこっちが
そのよくでえその確保のこういうことやっ
てる人がなんとかだというねいう風に持っ
てかないことこそがねあの経営者のあの
仕事だという風にも思いますしえ全ての
仕事には私は意味があるえという風に思っ
ているんですねですからこの仕事において
そのこれはいい仕事これは悪い仕事という
のはえないわけでえ全て関わってるものは
あのいい仕事だしですからそういう意味で
であのやはりやる以上はねやる以上は多く
の方を幸せにしていきたいなという気持ち
であの私員はあのやっております皆様トヨ
会への盛大なら拍手をお願い申し上げます
どうも長時官どうもありがとうございまし
[音楽]
た
[音楽]
さ
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