【修正稿0304 1】スポーツで生きる
Summary
TLDRこの映像は、元プロバスケットボール選手が自身の経験と価値観の変化を語っています。バスケットで全国大会優勝とMVPを経験した後、一旦引退し一般企業に就職しました。しかし29歳の時、残りの人生を自由に過ごしたい思いから、3人制バスケットチームを立ち上げ、世界に挑戦することを決意しました。自身のクラブ設立は、同じ夢を持つ人々に目指す場所を提供することにもつながります。この選択は、女性が自分らしくスポーツに関わり続けられる環境づくりへの一歩でもあるのです。
Takeaways
- 🏀 バスケットボールを通じて、価値観が変化し、自我が強まる経験をした。
- 🏆 大学時代にはバスケットボールで多大な成功を収め、インカレで優勝しMVPを獲得。
- 🔄 プロではなく一般就職を選択し、三菱商事に就職した後、3x3バスケットボールで競技に復帰。
- 🤔 バスケットボールへの情熱と物足りなさを感じ、29歳で三菱商事を退職し、3x3バスケットボールチームを設立。
- 🌍 世界に挑戦するために、自分でクラブチームを立ち上げ、運営を担う。
- 💼 バスケットボールと社会人としてのキャリアを両立させるが、最終的にはバスケットボールに専念することを選択。
- 🚺 30歳を目前にして、女性としての人生の選択と出産のタイムリミットについて考える。
- ✨ スポーツ環境のリデザインをミッションとし、バスケットボールを通じて女性が直面する課題に取り組む。
- 📈 バスケットボールの経験と社会人としての経験を生かし、新しいチャレンジに挑む決意を固める。
- 🕰️ 年齢や社会的な期待に縛られず、自分の情熱に従って生きることの大切さを語る。
Q & A
バスケットを引退した理由は何ですか?
-大学時代の経験から、バスケットをプロとしてやり続けると、価値観が狭くなってしまう恐れがあると感じたため。また、身体能力で評価され続けることに物足りなさを感じていた。
一般就職した会社はどこですか?
-三菱商事に一般就職しました。
社会人生活とバスケットをどのように両立させていましたか?
-三菱商事在職中の最後の4年間は3x3バスケットに競技復帰し、社業と趣味の範囲でバスケットを続けていました。会社は協力的で両立がしやすい環境でした。
29歳の時に会社を退職した理由は何ですか?
-30歳を前に、結婚や出産の時間的制約を感じ、自由に夢に打ち込める3年間が残されているのではないかと考え、世界にチャレンジするため退職を決意しました。
退職後、どのようなことに取り組んでいますか?
-自分でチームを立ち上げ、3x3バスケットのクラブチーム運営に携わっています。世界にチャレンジできる環境を自ら作り出しています。
クラブチームを立ち上げた目的は何ですか?
-自分のようにチャレンジしたい人のための目指す場所を作ることで、女性を取り巻くスポーツ環境をリデザイン(再設計)することが目的です。誰もが夢を諦めずにスポーツに関われるようにするため。
現在の年齢を気にしていますか?
-現在は年齢やその制約を気にしていません。より豊かな人生を選ぶ感覚で生きているため。
これまでの経験から得た教訓や気づきはありますか?
-会社に頼らず自分で環境を作り出すことの大切さ、多様な価値観に触れる機会の重要性、年齢にとらわれずに自分の人生を自由に選択することなどを学びました。
今後の目標や展望を教えてください。
-クラブチームを通じて、女性がスポーツに夢を持ち続けられる環境づくりに取り組んでいきます。自らの選択による充実した人生を送り続けることが目標です。
一般社会人からスポーツ界に戻った経験から何かアドバイスはありますか?
-社会常識に囚われず柔軟に考え、自分の価値観に基づいて自由に選択することが大切です。周りの期待にとらわれすぎず、自分の心に従った人生を歩むことをおすすめします。
Outlines
🏀 バスケの限界と価値観の転換
話者は大学時代にバスケットボールで日本一を経験し、MVPに輝いたが、プロ入りせずに一般企業に就職した。バスケでは評価されてきた身体能力以外の部分で評価されることがなく、単に上手くなるだけでは物足りなくなり、価値観の限界を感じていた。そのため、一旦バスケを離れる決断をした。
🕰️ 30歳の節目と夢実現への決意
30歳を前に、出産の高齢リミットなども意識し、自由に過ごせる残り時間が3年しかないのではないかと焦りを感じた。そこで、バスケの夢を実現するために会社を退職し、自身でチームを立ち上げることを決意した。目標は3x3のバスケットで世界に挑戦すること。女性のスポーツ環境をリデザインすることもミッションの一つだった。退職から2年経った現在、年齢や出産の心配はなく、より豊かな人生を選んでいる。
Mindmap
Keywords
💡バスケット
💡価値観
💡引退
💡3x3
💡世界にチャレンジ
💡一般就職
💡チーム立ち上げ
💡リデザイン
💡不安
💡年齢
Highlights
バスケを通じて価値観が変化し、人生に新たな意味を見出す経験をした。
大学時代にバスケットボールで成功を収め、インカレで優勝しMVPを獲得。
バスケットから一旦離れ、三菱商事に就職し一般職として7年間勤務。
3x3バスケットボールで競技復帰し、社業との両立を図りながら趣味の範囲で活動。
29歳で三菱商事を退職し、3x3バスケットボールの世界にチャレンジするため自分のチームを立ち上げ。
プロとしての道を選ばず、一般就職を選んだ理由として、バスケットボールへの情熱と価値観の変化を挙げる。
バスケットボール界における物足りなさと課題への自問自答。
女性として30歳を迎えることへの不安と、限られた時間の中での人生の選択。
3年間という期間を自分に設け、それを機にデスクワークではなくバスケットボールに再挑戦する決意。
スポーツの世界で女性が直面する問題に焦点を当て、スポーツ環境のリデザインを目指す。
世界にチャレンジするためのクラブ作りとそのミッションについて。
自分の決断を振り返り、人生の質を自分で選ぶ大切さを語る。
年齢や出産などの社会的な期限を気にせず、豊かな人生を送ることへの価値観の変化。
自分自身の挑戦を通じて、同じような夢を持つ人々に影響を与える意志。
スポーツにおける女性の環境改善への貢献と、それを通じた社会への影響。
Transcripts
バスはうまくなるけどなんかこう価値観が
ぶっ壊されるようなあの経験とか出会いと
かってもうこれ以上ないなみたいな本当に
強力的だったんですよその両立に関して
そんな中でも物足りなさを感じた
[音楽]
はいえこんにちはよろしくお願いしますと
申しますスポでって書いてるんですけど
ずっとバスケットをやってきました
ミニバスから始めて中学高校大学
バスケットずっとやって大学で最後4年生
の時にインカレってあの日本一を決める
試合で優勝してえっとMVPをもらったん
ですけどそれを最後に一旦バスケットを
えっと一旦というかあの時はもう本当に
やめると思って引退して三菱商人にあの
一般就職しました7年間のうち最後の4
年間はあの実は3x3って3人生のの
バスケットで競技復帰をして社業と両立さ
せながらあの趣味の範囲でバスケットをし
ていましたで3x3を始めてみたら
どんどんちょっと沼にはまっていって29
歳の時にえちょうど2年前なんですけどえ
2今年24年です22年の2月7日に三菱
少女を退職してえっと3x33人戦の
バスケットで世界にチャレンジしたいと
思って自分でチームを立ち上げて3人生の
バスケのクラブチームの運営を担う会を
えっとやっていますなるほど
そもそもの大学時代のあの経験みたいな
ところを聞くとすごく安直な考え方かも
しれないんですけれどもなんかプロになる
みたいな道もきっと終わりだったんじゃ
ないかなっていう風にちょっと推察し
ながらお話聞いてたんですけどあえて一般
就職されたってお話があったじゃないです
かそれはななぜその時そう思われたんです
かその時はバスケット会で選手として
出会える人たちはいはいに出会い尽くした
なと思ったんですよなのであのバスケット
はすごく好きだったんですけどなんかその
ままバス界にいてもバスケはうまくなる
けどなんかこう価値観がぶっ壊されるよう
なあの経験とか出会いとかってもうこれ
以上ないなみたいなこの後の人生バスケが
うくなるだけだなって思ってしまって離れ
ましたあとはもう1つはそのま見て
いただいて分かると思うんですけど
めちゃくちゃ背も高いしだからその
スケットで評価されてたのって結構その
生まれ持った身体能力の部分で結構ずっと
こうちやほやされてていやいやいやいやで
なんかなんか違うなみたいな多分私もう
ちょっとできないこと色々あるしなんか
ちょっと課題評価されてるなみたいな
なんかこのままそのちやほやしてくれる
世界にいていいのかなみたいなのがなんか
こう悶々とするものがあってまその2つ
ですかね大きくはであのもう一般就職して
みようと思ってちょっと飛び込んでみよう
と思ってなるほど
社会人しながらプレイヤーとしてできてた
のであればそれを続けるっていう道も多分
あるじゃないですかじゃなくてやめるって
いう選択肢て結構インパクトでかいなて
思ったんですけどはい三菱商事って本当に
いい会社でであのこういう風になんかやり
たいことがあるしかもそのえっと会社に
全く関係ない社外での活動にも関わらず
例えば日本代表を目指したいとか東京
オリンピックを目指したいとかって言った
時にシ上げて応援しましょうみたいなその
グループのグループ長がそういう
メッセージを出してくれたりとかあの本当
に協力的だったんですよその両立に関して
社業と両立させていくとすれば多分三菱
商事以上にいい環境はないだろうなていう
のはすごく感じていましたでそんな中でも
物足りなさを感じた
はい9だったんですけど今はあんまり年齢
のこと気にしてないんですけど当時はあの
30歳迎えるのがはい結構怯えてて私あ
そうなんですか恐怖なんですかですいや
なんかなんて言うのかなこううんよく
わかんないこう不安というかこのまま30
歳迎えていいのかなみたいなのがま本当に
漠然とあったんですよねで特にそのま女性
だと例えば今後の人生を考える時にうん
何歳でも遅くないと思んですよチャレンジ
とかってだけどもう1つだけ出産だけは
タイムリミットあるなみたいなのがすごく
引っかかっててはい35歳がその高齢出産
の1つのこ区切りみたいに言われると思う
んですけど35歳タイムリミットだとし
たら仮に33ぐらいで焦り始めるなもし
空いていなかったらみたいなでだとすると
30を迎えた時に私の残りのその自由に
過ごせるうん人生ってもしかして3年間
みたいなえ私嫁3年だとしたら何するの
みたいなのがあそういう捉え方なんですね
そうですか29歳の時にこうドっとあの
降りかかってきてはい
で嫁3年って言われたら私多分デスク
ワークしないなみたいなうんうんうん多分
バスケットで1回チャレンジしてみたい
世界にで世界にチャレンジすにはさすがに
あのワールドツアってもうずっと夏の間
34ヶ月世界回るんですよはいなので
さすがに社業との両立は難しいしえっと
そういうクラブもなかったのでそういうの
やるとしたらもう自分で立ち上げるしか
ないうん本当にそれがやりたいんだったら
やめるしかないうんてなって最後その嫁さ
年に背中をされる気持ちで返しやめまし
たスーズのミッションが女性を取り巻く
スポーツの環境をリデザインしていくうん
うんうんいうミッションにていますなる
デザインしていくんですかリデザインです
リデザインですねなるほど例えば私も
じゃあその3手前に世界にチャレンジした
いって思った時にえっと世界にチャレンジ
しているクラブが世界中を見渡しても
なかったんですようんじゃあ作るしかない
なみたいなでそれはその私が例えばえっと
クラブを作ることで私みたいにチャレンジ
したい人たちが目指す場所ができる
うんうんなるほどなるほど
クラブを立ち上げることができなかったと
しても私が立ち上げたクラブのその枠を
目指すことができるうんうんうん誰かが夢
を諦めなくて済むみたいなところがま1つ
のリーデザインうんうんなるほどこみんな
がこうありたいようにありたい姿のまんま
でスポーツと関わり続けられるといいなっ
ていうのが私の思いで図だったり私だっ
たりはまそこに関して自分たちにできる
ことがあるんだったらそういうリデザイン
のとこうんえっと環境をこうアップデート
していくみたいなところをえっとやれると
いいなっていう風になるほどなるほど
わかりまし
たあのさっきこれ話しちゃったんですけど
その嫁3年の話はいはまず1番その自分の
この決断の中ですごく大きな決め方でした
はいはいだけど一方でこうやって会社やめ
て2年経ってみたらま言ったら嫁1年の
状態なんですけどあの全く気にならなく
齢が今はもう全然年齢とかその例えば出産
の大名リミットとかも全く気にしてなくて
毎日自分でえより豊かな人生を選ぶ感覚で
生きてい
ます
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