障害者の歴史

Sanhon Yutakawa
11 Oct 202010:47

Summary

TLDRこの番組は、日本における障害者介護の歴史とその変遷を追っています。1977年には母親が障害児の介護を一手に引き受け、ヘルパーの支援がほとんどなかった状況が描かれています。しかし、介護疲れから悲惨な事件も発生し、社会の同情が親に集まりました。80年代には障害者が自立を求めて行動し、90年代からはホームヘルパーが増加し、専門家による介護が普及。現在は障害者の個性に応じた介護が進んでいます。この番組では、障害者と健常者の関係がどこまで進展したかを検証しています。

Takeaways

  • 📜 日本では長年、障害者の介護は主に家族、特に母親が担ってきた。
  • 👩‍👦 1977年の番組では、献身的な介護を続ける母親の姿が記録されている。
  • 🏠 介護疲れの家族による障害者殺害事件が年間100件近く発生していた。
  • ⚖️ 事件が起こるたびに地元の町内会や障害児の親の団体が裁判所に嘆願書を提出し、温情判決が下されることが多かった。
  • 💬 障害者自身が社会に向かって抗議の声を上げ始め、生命の尊厳を訴えた。
  • 🏢 1970年代後半、親たちから施設の整備を望む声が高まり、国は施設の建設を進めた。
  • 🚶‍♀️ 障害者たちは施設や家族から離れ、自らボランティアを探す行動を起こし始めた。
  • 🤝 介護者と障害者の関係を根本から見直そうとする動きが現れた。
  • 🚍 1977年、川崎市で車椅子の障害者がバス乗車を拒否され、抗議活動が激化した。
  • 🌐 1980年代、国際障害者年をきっかけに、日本の障害者の環境は世界と比較されるようになり、ホームヘルパーの数が増えた。

Q & A

  • 1977年の番組で記録された献身的な介護を続ける母親の姿とはどのようなものですか?

    -1977年の番組では、母親が毎日家族の歯を磨き、顔を洗い、髪をとかして介護を続ける様子が記録されています。その母親は69歳で、その過程にはヘルパーやボランティアは一人も入っていませんでした。

  • 介護に疲れた家族が障害者を殺害する事件がなぜ年間100件近く発生していたのですか?

    -家族が介護の負担に耐えられず、悲惨な事件を引き起こすことが多かったためです。裁判所には嘆願書が提出され、裁判ではたびたび温情判決が下されましたが、障害者自身からは抗議の声が挙がっていました。

  • 障害者が裁判所に対して抗議の声を上げた理由は何ですか?

    -障害者は裁判所が殺された側ではなく殺した方を守ろうとする世間に対して、自分たちが殺されても仕方がない存在なのか、生命の尊厳がないのかと問いかけました。

  • 障害者が施設から離れる動きが70年代後半に始まった背景には何がありますか?

    -70年代後半には障害者が家族や施設からの自立を求め、自ら行動を起こし始めた背景には、社会の見方や障害者の権利に対する意識の変化があります。

  • 障害者が介護者を自分たちの力で探し始めた時期はどのような状況でしたか?

    -介護者を自分たちの力で探し始めた時期は、ボランティアもうまく見つからず、介護者が見つからない日には1日4食が限度になってしまうなど、困難な状況でした。

  • 障害者と介護者の関係を根本から見直そうとする人たちが集まった集団は何ですか?

    -障害者と介護者の関係を根本から見直そうとする人たちが集まった集団は「部分青い芝の会」です。彼らは介護する側の都合ばかりが優先されてきたことを問題視し、障害者の意思と決定を尊重することが重要だと主張しました。

  • 障害者たちが路線バスに乗ろうとして拒否された事件は何を引き起こしましたか?

    -障害者たちが路線バスに乗ろうとして拒否された事件は、バスの運行をすべて止めるほど激しい抗議活動を引き起こしました。

  • 1980年代に障害者を取り巻く環境が大きく変わった理由は何ですか?

    -1980年代に障害者を取り巻く環境が大きく変わった理由は、国際障害者年がきっかけとなり、日本の障害者の環境が世界と比較されるようになったためです。

  • 90年代から国はどのような方針を打ち出しましたか?

    -90年代から国は重度の障害者の介護は看護師などの専門家に任せるべきだとする方針を打ち出し、全国で施設の建設を進めました。

  • 障害者が自分らしい生活を求める姿が映し出された番組は何ですか?

    -障害者が自分らしい生活を求めて介護を受ける姿が映し出された番組は、90年代の九州年代の番組です。

  • 障害者福祉のあり方や介護の在り方を進化させた一人の人物とは誰ですか?

    -障害者福祉のあり方や介護の在り方を進化させた一人の人物は、青い芝の会のリーダーである横田浩さんです。

Outlines

00:00

😢 障害者介護の歴史と悲劇

第1段落では、日本における障害者の介護に関する歴史を振り返ります。長年にわたり、障害者の介護は家族、特に母親の責務とされてきました。1977年の番組では、献身的な介護を続ける母親の姿が記録されており、その過程にはヘルパーやボランティアはほとんどありませんでした。介護疲れによる家族内での悲劇が起こり、裁判所には嘆願書が提出され、裁判で温情判決が下されることが多かったと報告されています。障害者自身からは、生命の尊厳に対する疑問が投げかけられました。

05:03

🚶‍♂️ 障害者の自立と社会の変化

第2段落では、障害者が家族や施設からの自立を目指し始め、社会の介護観を根本から見直そうとする動きが広がっています。障害者と介護者の関係は、障害者の意思と決定を尊重し、介護する側がただ動くだけではなく、障害者自身が自己主張を貫くことが重要だと主張する人たちが現れています。障害者たちは、バスの拒否や養護学校への強制的な入れ方など、社会のあり方に対する抗議を行いました。1980年代には、国際障害者年によって環境が大きく変わり始め、90年代からはホームヘルパーの増加により、介護は資格を持つ専門家によるものとなりました。

10:05

👋 新しい出会いと感謝の気持ち

第3段落は、拍手の音とともに新しい出会いや感謝の気持ちを表現していますが、具体的な内容は提供されていません。この段落は短く、詳細な情報が不足しているため、より具体的な情報を得る必要があります。

Mindmap

Keywords

💡介護

介護とは、高齢者や障害者などの身体的な不自由な人々に対して、日常生活の支援を行うことを指します。ビデオでは、障害者の介護が家族に特に母親にかかっていた時代を振り返り、その後の変化を追っています。例えば、1977年の番組では、介護を続ける母親の姿が記録されており、その過程にはヘルパーやボランティアは入っていませんでした。

💡障害者

障害者とは、身体的な、知能的な、または精神的な障害を有する人々を指し、彼らは社会において特別な支援や権利を有するべきだとされています。ビデオでは、障害者の生活や権利、そして彼らが直面する問題が中心として取り上げられています。

💡家族の負担

家族の負担とは、家族が介護や経済的な面で障害者を支援することによって感じるストレスや負担のことを指します。ビデオでは、介護に疲れた家族が障害者を殺害する悲惨な事件が起こったこと、そしてそれが家族の負担が重すぎるとされる一例として紹介されています。

💡社会の道場

社会の道場とは、社会福祉の場を指しており、ここでは障害者やその家族が支援を受けることができます。ビデオでは、裁判所に嘆願書を提出する町内会や障害児の親の団体が社会の道場を形成している例があります。

💡介護施設

介護施設とは、介護サービスを提供する施設で、障害者や高齢者などが生活を送る場所です。ビデオでは、国が重度の障害者の介護を看護師などの専門家に任せる方針を打ち出し、介護施設の建設を進めていると紹介されています。

💡障害者の自由

障害者の自由とは、障害者が自己決定権を有し、自己の意志で生活を送る権利を指します。ビデオでは、介護施設で障害者に許された自由がわずかであること、そして障害者が自由を求める動きが描かれています。

💡障害者運動

障害者運動とは、障害者の権利や参画を追求する社会運動を指します。ビデオでは、障害者が自分たちの力で介護者を探し始めた動き、そして障害者と介護者の関係を根本から見直そうとする人々が現れたことが触れられています。

💡国際障害者年

国際障害者年とは、1981年にUNによって宣言された一年間で、障害者の権利や生活環境の改善を目的としています。ビデオでは、国際障害者年の影響で、障害者を取り巻く環境が大きく変わり始めたことが紹介されています。

💡ホームヘルパー

ホームヘルパーとは、自宅で障害者や高齢者を支援する専門の人材です。ビデオでは、90年代から国がホームヘルパーの数を大幅に増やし始め、介護は資格を持つ専門家が行うことが当たり前となった時代が来たと述べています。

💡障害者の個性

障害者の個性とは、障害者自身の特性や好みを尊重することです。ビデオでは、必要な介護が障害者の個性やライフスタイルによって違ってくるようになり、障害者が自分らしい生活を求める姿が映し出されています。

💡青い芝の会

青い芝の会とは、障害者やその家族を中心に、障害者の権利や生活環境の改善を目的としたグループです。ビデオでは、青い芝の会が介護のあり方や障害者と健常者の関係を変革するために活動していることが紹介されています。

Highlights

日本では長年、障害のある人の介護は主に家族特に母親が担ってきた。

1977年の番組では、献身的な介護を続ける母親の姿が記録されている。

当時の家庭にはヘルパーやボランティアは一人も入っていなかった。

介護に疲れた家族が障害者を殺害する事件が年間100件近く発生していた。

事件が起こるたびに地元の町内会や障害児の親の団体が裁判所に嘆願書を提出し、温情判決が下されることが多かった。

障害者自身からも抗議の声が挙がり、社会の道場が親に集まることに対して不満を示した。

70年代後半になると、障害者たちは自ら行動を起こし、施設から離れようとした。

当時はボランティアを見つけるのが難しかったが、自力で介護者を探し始めた。

青い芝の会は、介護する側の都合ばかりが優先される現状に対して、障害者の意思と決定を重視するべきだと主張した。

1977年、川崎市で車椅子の障害者が路線バスに乗ろうとして拒否される事件が発生し、激しい抗議活動が行われた。

1980年代に入ると、国際障害者年をきっかけに、障害者を取り巻く環境が大きく変わり始めた。

90年代からホームヘルパーの数が大幅に増え、介護は資格を持つ専門家が行うのが当たり前の時代がやってきた。

現在では、障害者の個性やライフスタイルに合わせた介護が求められるようになった。

障害者運動を通じて願った社会のあり方や障害者と健常者の関係は徐々に実現してきている。

青い芝の会のリーダーである横田浩さんがスタジオに登場し、その活動と理念について語った。

Transcripts

play00:00

その歴史を振り返りながらその原点というものを見てみたいと思い

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林川さんが日本では長年

play00:12

障害である人の介護は州の家族特に母親が担うべきだとされてきました

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1977年のこの番組では献身的な介護を続ける母親の姿が記録されています

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母親の道尾さんは毎日彼女の歯を磨き顔を洗い

play00:36

髪をとかしそのような生活を続けて69歳になりました

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当時この過程にはヘルパーやボランティアは一人も入っていませんでした

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あのー漁師なくなったとっ

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どうしようと p

play00:56

いやはやぬかな-1あの石を行きません

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ハンタんとして兵器もチング

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材なしっ

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家族だけが会合に合う

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そのことが悲惨な事件を引き起こしました

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去年の子が

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3歳の農政マキリが母親に殺される事件がここで起こった

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介護に疲れた家族が障害者を殺害する事件が年間100件近く発生していたのです

play01:38

しかし事件が起こるたびに地元の町内会や障害児の親の団体が裁判所に嘆願書を提出し

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ました

play01:48

社会の道場が親に集まり

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裁判ではたびたび温情判決が下されました

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[音楽]

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ana 入ってくるいっ

play02:11

音が入ってにできるっ

play02:16

殺された側ではなく殺した方を守ろうとする世間の動きに障害者自身から抗議の声が

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挙がりました

play02:26

我々障害者は殺されても仕方がない存在なのか

play02:32

我々には生命の尊厳すらないのか

play02:36

そう問いかけたのです

play02:39

ct 者たちは初めて自分たちを狩りキュラソーとする社会に向かって発言を始めて

play02:45

いる

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[音楽]

play02:51

事件が相次ぐなか親からが施設の整備を望む声が高まりました

play02:58

国は重度の障害者の介護は看護師などの専門家に任せるべきだという方針を打ち出し

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全国で施設の建設を進めます

play03:12

しかしそこでは施設側の都合が優先され障害者に許された自由はほんのわずかなもの

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でした

play03:23

あなたか短いねええ

play03:25

あの

play03:26

ここでは短くするの人多いとして披露していろ

play03:31

a ドアや温いでしょじゃあ約右かぜっ

play03:35

[音楽]

play03:38

学者てられるの

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一旦ドアどんながいいか気にしてる人にできたないそれではファンタ薄く切って登って

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た縁ですっ

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ハーン

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[音楽]

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70年代後半になると障害者たちは家族や施設から離れようと自ら行動を起こします

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[音楽]

play04:09

この番組は街へ出てビラを配り

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必死でボランティアを探す障害者の姿を記録しています

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介護者を自分たちの力で探し始めたのです

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しかし当時はボランティアもうまくは見つかりませんでした

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[音楽]

play04:36

うっ

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周囲の反対を押し切り施設を出た3人の女性

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ポップ

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アーウィー

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1,000円どんどん外に何とズー

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[音楽]

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はありません

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すごいんハードゼノグラ is a lie

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介護者が見つからない日は1日4食が限度

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しかし食事作りに1時間半かかっても誰からも文句を言われない自由がたちの暮らしに

play05:24

はありました

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障害者と介護者の関係を根本から見直そうとする人たちも現れました

play05:36

においている

play05:37

部分青い芝の会です

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なぜ介護する側の都合ばかりがいつも優先されてきたのか

play05:53

介護に必要なのは障害者の意思と決定だけで介護する人が黙って手足のように働けば

play06:01

よい

play06:04

障害者が健常者に合わせるのではなく障害者として自己主張を貫かない限り

play06:11

関係は変わらない

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そう主張したのです

play06:20

noa

play06:24

ang 親指ございません

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ime

play06:30

うんズンッ

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なんか本当の空間でもう

play06:34

うぉっ

play06:37

管理危険やだというなんか

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dear ろっっ

play06:47

彼らの主張は介護だけにとどまりませんでした

play06:53

1977年

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川崎市で車椅子の障害者が路線バスに乗ろうとして拒否されました

play07:02

なぜバスに乗れないのか

play07:04

障害者の抗議はバスの運行をすべて止めるほど激しいものでした

play07:12

同じころ障害児はすべて養護学校に入れようという国の方針にも青い芝の会は座り込み

play07:20

を続けました

play07:22

[音楽]

play07:23

常に障害者と健常者を分けようとする社会のあり方すべてに彼らは抗議したのです

play07:29

[音楽]

play07:35

ni

play07:38

[拍手]

play07:42

1980年代に入ると障害者を取り巻く環境は大きく変わり始めます

play07:51

きっかけとなったのは国際障害者年です

play07:55

完全参加と平等

play07:59

日本の障害者の環境は世界と比較されるようになったのです

play08:04

[音楽]

play08:11

日本にも障害者の自由な生活をサポートする専門家が必要ではないか

play08:18

国は90年代からホームヘルパー大幅に増やし始めます

play08:23

その数がこの15年で35倍

play08:29

介護は資格を持つ専門家が行うのが当たり前の時代がやってきたのです

play08:34

[音楽]

play08:41

九州年代の番組には障害者が自分らしい生活を求めて介護を受ける姿が映し出されてい

play08:48

ます

play08:50

危害や化粧の手伝いを頼む人

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好みの味付けで料理を作ってもらう1

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必要な介護は障害者の個性やライフスタイルによって違ってくるようになりました

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[音楽]

play09:08

少しずつ豊かになっていく毎日の生活

play09:11

[音楽]

play09:13

かつて障害者が運動を通して願った社会のあり方や障害者と健常者の関係は今どこまで

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実現したのでしょうか

play09:22

[音楽]

play09:23

原点に立ち返って考えます

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短い vtr suara 時バストねかつては日本の中でその障害のある人は家から

play09:35

もなかなか出ることなく社会のまっとうな認知もされないまま少しきた大きく

play09:41

現在まで来たのはですね障害者福祉のあり方介護の在り方を大きくを進めてきた

play09:47

ある一人の人が言うんですねこれが原点ま

play09:50

手足論の原点とも言う青い芝の箏奏者のリーダーが実はスタジオにおいでになってい

play09:56

ますどうぞお入りください

play10:00

vtr でもご紹介しました横田浩さんです

play10:04

青い芝の会の早々母のリーダーで現在のその障害者くすじゃーん

play10:10

[拍手]

play10:12

今日はありがとうございます

play10:15

農機具かわねもうお会いするのは今日が初めてぜひ会いたかったという

play10:20

年は閉鎖に突端伝説的なアーサーは憧れるしてね

play10:26

ああああああ

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障害者介護歴史社会闘い介護者自由変化平等国際福祉
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