【自我の終焉】私たちは何を求めているのか|WHAT ARE WE SEEKING? クリシュナムルティ──絶対自由への道|The First and Last Freedom

沈黙の声
10 Jun 202430:31

Summary

TLDRこのスクリプトは、現代の不安定な世界で人々が求める幸福と平和について深く掘り下げる。人々は新しいリーダーや宗教、精神的指導者を探し続けるが、それらが真の満足や幸福をもたらすかどうか疑問に思う。スクリプトは、幸福と満足の違い、そしてそれらが派生的なものであることを指摘し、自己認識の重要性を強調する。自己を理解することは、真実や神との出会いを求める前に必要不可欠であり、自己認識を通じてのみ心の平安と至福が得られると説く。

Takeaways

  • 🔍 スクリプトは、人々が何を求めているかという基本的な哲学的な問いを提起しています。
  • 🌏 現代の不安定な世界において、多くの人々が平和、幸福、または避難所を求めているという視点を示しています。
  • 🤔 スクリプトは、人々が求める幸福や満足が何であるかを理解することの重要性を強調しています。
  • 🧘‍♂️ 内面的な平和や精神的な導きを求める過程で、外部のリーダーや宗教的な指導者を探し続ける傾向があると指摘しています。
  • 💭 幸福は派生的なものであり、他の何かから生じる産物であり、単独で発見することはできないと述べています。
  • 💡 自分自身を理解することは、何かを築き上げるための唯一の土台であり、重要なことだと述べています。
  • 🌱 自分自身を知ることによって、より深い自己認識や精神的な平和を達成することができると提案しています。
  • 🏗️ 自分自身を理解することは、社会や人間関係を変革する能力にもつながると主張しています。
  • 🚫 スクリプトは、単に外部の知識や経験を追求するだけでは、真の自己認識や内面的な平和を得ることはできないと警告しています。
  • 🤷‍♂️ スクリプトは、自己認識の過程において、他人の意見や外部の組織に依存するのではなく、自己分析を重視するべきだと述べています。
  • 🌟 自分自身を深く知ることで、真の実在や神性、または心を満たすようなものと出会う可能性があると示唆しています。

Q & A

  • 私たちが求めているものは何でしょうか?

    -私たちが求めているものは、平和や幸福、避難所のようなものかもしれません。現代のように不安定な世界では、多くの人々がそれらを見つけようとしています。

  • 現代社会において、人々が苦しめる主な要因は何ですか?

    -混乱、戦争、競争、闘争などが現代社会において人々を苦しめているとされている要因です。

  • 私たちが何を求めているかを知ることがなぜ重要なのですか?

    -私たちが求めているものを見つけるためには、まずそれが何であるかを知ることが重要です。それが私たちの行動と選択を決定する鍵となります。

  • 幸福と満足の違いは何ですか?

    -幸福は何か別のものから生じる派生的なものであり、満足はそれ自体が目的となるものかもしれません。しかし、その違いは個人によって異なります。

  • 私たちはなぜ新しいリーダーや宗教、精神的指導者を探し回るのでしょうか?

    -私たちは常に満足や平和を求めており、それを実現するための手段として新しいリーダーや宗教、精神的指導者を探し回ることがあります。

  • 自己理解とはどのようなものですか?

    -自己理解とは、自分自身を深く知ることであり、自分自身の望みや意図を明確にするプロセスです。これは自己成長と変化を促す重要なステップです。

  • 自己理解がなぜ求める対象を発見する前に必要なのですか?

    -自己理解がなければ、私たちが求める対象が何であるかを正確に把握できず、望むものと実際のものとの間にギャップが生じることがあります。

  • 私たちが求める「高級的なもの」とはどのようなものでしょうか?

    -「高級的なもの」とは、永続する幸福や満足、安心感といったものかもしれません。しかし、それは言葉や表現によって制限されるべきではなく、より深い内面的な探求が必要です。

  • 自己認識が得られると、どのような変化が起こるでしょうか?

    -自己認識が得られると、驚くべき実在感や想像的生命が生まれ、心の平安を見出すことができます。また、真の至福と想像的行為が生まれる可能性もあります。

  • 私たちが求める「真の実在」とはどのようなものでしょうか?

    -「真の実在」とは、言葉や表現を超えた、より深い内面的なものかもしれません。それは自己認識を通じてのみ発見されるとされている。

  • 自己認識を深めるためにはどのようなアプローチが有効なのですか?

    -自己認識を深めるためには、自分自身の思考や感情、反応などの複雑な動きに敏感になることが必要です。また、他者との関係性も理解することも重要です。

  • 自己認識が得られなかった場合、どのような問題が生じるでしょうか?

    -自己認識が得られなかった場合、私たちは思考、愛情、行動の基盤を欠いてしまい、社会や人間関係を正しく変革することが困難になる可能性があります。

Outlines

00:00

🧘 私たちが求めるもの

私たちは何を求めているのかを考えることの重要性について論じています。現代の不安定な世界で、多くの人が幸福や平和を求めており、その違いを理解することが必要です。幸福は直接的に求めるものではなく、他のものから派生するものであり、満足とは異なります。私たちが本当に求めているものを明確にすることが重要です。

05:03

🔍 自分自身の理解

問題解決の前に、自分自身を理解することの重要性を強調しています。他者の意見や宗教、精神的指導者を頼るのではなく、自分の意図や心の中を明確にすることが必要です。人は外部の影響を受けずに、自分自身で答えを見つけるべきです。

10:09

🌟 永続的な満足の追求

人々が永続的な幸福や満足を求める理由について述べています。私たちは消えない満足を求めていますが、それを求める前に、自分自身とその探求者である自分を理解する必要があります。高級的な幸福や神、真理を求めることが本当に必要かどうかを問います。

15:11

🔄 探求者と対象

求める人とその対象の関係について考察しています。求める対象を見つける前に、まず自分自身を理解することが重要です。自分を知らなければ、思考や行動の基盤が欠けてしまうと述べています。自己認識が社会の変革に繋がることを強調しています。

20:13

🌀 自己理解と社会

自分自身を理解することが社会や人間関係の変革にどう繋がるかについて述べています。自分の背景や思考を理解しない限り、探求は無意味になり、行動は意味を持たなくなると警告しています。自己理解が行動の基盤であり、それが社会全体に影響を与えることを強調しています。

25:15

🕊️ 真の実在と自己認識

真の実在や神を求める前に、自分自身を理解することが不可欠であると述べています。自己認識は終わりのない探求であり、それが心の平安をもたらします。本を読んだり講演を聞いたりするだけではなく、自己認識を通じてのみ真の幸福や想像的行為が生まれると主張しています。

Mindmap

Keywords

💡幸福

幸福とは、心の満足感や喜びを指します。このビデオでは、人々が真の幸福を求めていることが強調されていますが、幸福は直接求めることができるものではなく、他の何かから派生するものであると述べられています。具体例として、思想や宗教に身を捧げることで一時的な満足感を得ることができても、それが真の幸福ではないと説明されています。

💡満足

満足とは、欲求や期待が満たされた状態を指します。ビデオでは、多くの人が幸福を求めていると考えているが、実際には満足感を求めていることが多いと述べられています。満足と幸福は異なる概念であり、満足感は何か特定の目的や物から得られるものです。例えば、特定の思想や宗教に身を捧げることで満足を得ることができるが、それは一時的なものであると指摘されています。

💡自己理解

自己理解とは、自分自身の考えや感情、行動を深く理解することを指します。ビデオでは、真の幸福や平和を求める前に、まず自分自身を理解することの重要性が強調されています。具体例として、自己理解が欠如していると、外部の思想や指導者に依存することになり、真の解決にはならないと述べられています。

💡平和

平和とは、争いや混乱のない安定した状態を指します。このビデオでは、人々が外部の混乱や戦争から逃れるために平和を求めていることが語られています。しかし、真の平和を達成するためには、まず自分自身の内面の平和を見つける必要があると述べられています。

💡思想

思想とは、人間の考えや信念の体系を指します。ビデオでは、人々が様々な思想に身を捧げて満足を得ようとする姿が描かれています。しかし、それは一時的な解決であり、真の幸福や平和にはつながらないと説明されています。

💡宗教

宗教とは、超自然的な存在や力を信じる信仰体系を指します。ビデオでは、宗教に身を捧げることで一時的な満足感を得ることができるが、それは真の幸福や平和とは異なると述べられています。

💡精神的指導者

精神的指導者とは、宗教や思想において人々を導く人物を指します。ビデオでは、真の幸福や平和を求めて新しいリーダーや精神的指導者を探し回る人々の姿が描かれています。しかし、外部の指導者に依存することは真の解決にはならないと述べられています。

💡実在

実在とは、存在すること、または存在そのものを指します。ビデオでは、真の実在、つまり神や真理を求めることの重要性が語られています。しかし、それを求める前にまず自分自身を理解する必要があると述べられています。

💡探求

探求とは、何かを求めて深く調べることを指します。ビデオでは、人々が真の幸福や平和を求めて絶えず探求している姿が描かれています。しかし、外部のものを探し求める前に、まず自分自身を理解することが必要であると強調されています。

💡自己認識

自己認識とは、自分自身を客観的に理解することを指します。ビデオでは、真の実在や幸福を求めるためには、まず自己認識が必要であると述べられています。具体例として、自分自身を知らないと、他者との関係や社会における行動が意味を持たなくなると説明されています。

Highlights

人類は神を発見する前に、まず自分自身を理解する必要がある。

現代の不安定な世界では、人々は平和や幸福を求める。

人々は混乱や戦争の中で、平和を求める避難所を望む。

幸福と満足の違いについて、幸福は派生的な産物である。

私たちが求めるものは、幸福か満足かをはっきりさせる必要がある。

心の平和を求める場合、特定の主義や思想に身を捧げることは簡単である。

自己認識が得られることで、真実の存在や生命を得られる可能性がある。

自己認識は、特定の組織や教師から得られるものではない。

自己認識は、人間関係や社会変革に必要である。

自己認識がない場合、思考、愛情、行動の基盤は欠けている。

自己認識は、人間の内面と外界の理解を深めるプロセスである。

自己認識は、永続的な満足や安心感をもたらす可能性がある。

自己認識は、人間の行動や社会に対する影響を理解する鍵である。

自己認識は、人間の進歩や変化を促す重要なステップである。

自己認識は、単なる知識を得ることではなく、経験と理解を深めるプロセスである。

自己認識は、人間の内面と外界の関係を理解し、変革をもたらす力を持つ。

自己認識は、人間の多面的な性質を理解し、自己の強みと弱みを認識する。

自己認識は、人間の感情と思考の複雑さを理解し、コントロールする力を持つ。

自己認識は、人間の自己修練を通じて、心の平安を見つける手段である。

自己認識は、人間の精神的な成長と達成を促進する。

自己認識は、人間の自己理解を深め、社会に対する影響を増やす。

自己認識は、人間の自己分析を通じて、真実の存在を理解する。

Transcripts

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私たちは何を求めているの

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か神を発見する度に出る前にまず自分自身

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を理解する

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こと私たちが大図求めているものは何

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でしょうか

play00:30

たち1人1人が望んでいることはどのよう

play00:34

なことでしょう

play00:36

か特に現代のように不安定な世界では全て

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の人々が何らかの平和や幸福や避難症を

play00:48

見つけようとしていますがまず私たちが

play00:53

求めているもの発見しようとしているもの

play00:57

が何であるかを知ることがが大事ではない

play01:02

でしょう

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かおそらく大抵の人が何らかの形で幸福や

play01:14

平和を求めてい

play01:16

ますしかも混乱や戦争や競争や闘争などの

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ために苦しめられている世界で

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は少しでも平和がられるような避難症人間

play01:32

は望むもの

play01:36

です私たちは大抵こういうものを望んで

play01:41

いるのですそして私たちは絶えず求め続け

play01:48

次から次へと新しいリーダーや宗教や精神

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的指導者などを探し回っているのです

play02:03

ところで私たちが求めているものは幸福な

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のでしょう

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かそれとも幸福を引き出せそうなある種の

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満足なのでしょう

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か幸福と満足は同じものではありませ

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んそもそも幸福を求めるというようなこと

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ができるのでしょう

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かおそらく満足を見出すことはできる

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でしょうでも幸福を発見するようなことは

play02:44

決してできないの

play02:48

です幸福は派生的なものであって何か別の

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ものから生じた産物なの

play02:58

ですですからここで熱意注意力思慮配慮

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などをことさら必要とする問題に対して

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私たちの全身前例を集中する前にまず

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私たちが求めているものは何かそれは幸福

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なのかそれとも満足なのかをはっきり知ら

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なくてはならないのです

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私たちは皆大抵満足を求めているような気

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がし

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ますそうではありません

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か私たちは何かによって満足させられる

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ことを

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望み望むものを探し求めたその後で満たさ

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れた従属感を味わいたいと

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願っているのではないでしょう

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例えば私たちが心の変を求めている場合

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それはいとも簡単に見つけ出すことが

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できる

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でしょう何らかの主義や思想に目的に自分

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の身を捧げその中に避難することはできる

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かもしれませんしかし明らかにそれでは

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問題の解決にはなりませ

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ん1つの思想に閉じこもって孤立するだけ

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では闘争から解放されたことにはならない

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から

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ですしたがってどうしても外面的にも内面

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的にも私たちが明々何を望んでいるのかを

play05:03

まず見出さなければならないことになり

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ますこの点さえはっきりしていれば

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わざわざ教師の言葉を求めたり教会へ通っ

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たり色々な組織を尋ね回る必要もなくなり

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ますこの

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場合まず私たちが解決しなければならない

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問題

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は自分の意図自分の心の中で明確にする

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ことではないでしょう

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かこれが1番難しい問題なのです

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がところで私たちはこの問題に明確な回答

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を出すことができるでしょう

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かまたその明確さは探求したりあるいは上

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は最上級の同士精神的指導者から下はすぐ

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近にある教会のごく普通の牧まで含め

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て誰か他の人の意見を探し回ることによっ

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て生まれてくるものでしょうか

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またそれを知るために人のところへ行く

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必要があるのでしょう

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か私たちは皆そういうことを常にやって

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いるのではないでしょう

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か私たちは帯びたし数の本を読ん

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だり集会に参加して討論し

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たり色々な組織にわったり

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日常の生活の中で起こる闘争や悲惨の急策

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を発見しようとしてい

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ます

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あるいはそれを全部試みてみないにしても

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私たちは求めていたものをすでに発見して

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しまったと考えるの

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ですつまり

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の組織なり同士なり書物などが自分を十分

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満足させてくれたと私たちは言うのです

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そしてその中に私たちの望んでいる全ての

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ものを見つけ出して結局一定の方に

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はまり込む自分の周囲に壁を巡らして

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しまうの

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ですそうではありませんかあなた

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は私たちはこのようなあらゆる困難のさ中

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で高級的永続的なものつまり真の実在とか

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神とか心理と呼ぶものを求めているのでは

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ないでしょう

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かそれをなんとでも構いませ

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ん言葉はそれが示すもの自体ではないから

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ですですから言葉に囚われてはいけませ

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ん表現の問題は専門の先生方に任せておき

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ましょう私たちは大て心の中で何か呼吸的

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play09:03

ものすりつけるもの確信や希望や持続する

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情熱安心感などを求めているのではない

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でしょう

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かなぜなら私たちの心は全く不安定だから

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なの

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です私たちは自分自身を知らないの

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です私たちは事実や本の中に書いてある

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ことはたくさん知っていますが物を返さず

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に自分自身の力だけで知ったり自分で直接

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体験することがないの

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ですところで私たちが高級的と呼んでもの

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はどのようなものでしょう

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か私たちが求め続けているものでしかも

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私たちに高級性を与えてくくれるもの

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あるいは与えてくれるだろうと期待して

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いるものとは一体どのようなものでしょう

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か私たちはいつまでも持続する幸福や満足

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や安心を求めているのではないでしょう

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かいつまでも消えることなく満足を与えて

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くれる何かを私たちは求めてい

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ます求める何かをじっと見つめて

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くださいこの場合私たちを取り巻く言葉や

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表現の一切を捨て去らなくてはなりませ

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んこのようにして見い出したものこそ

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私たちが本当に望んでいる

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もの永遠に持続し私たちを満足させて

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くれるものなの

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ですこの永遠の喜びと満足いわゆる心理と

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か神とか一般に呼ばれているものですが

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これを私たちは求めているの

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です全く当たり前のこととして私たちは

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喜びを求め望んでい

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ますこれはひどく乱暴な会い方かもしれ

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ませんが現実に私たちが望んでいるものと

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はた

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に喜びを与えてくれるような知識や経験や

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明日になってもしぼんでしまわない満足な

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です私たちは満足感を与えてくれるものを

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今日まで色々と実験してきましたしかし

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その結果それら全てがはなく消えてしまっ

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たのです

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そこで今度は真の実在といったものに高級

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的な満足を見出そうと願うの

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です懸命な人も愚かな人もまた空論家や絶

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ず何かを得ようとしている現実主義者も皆

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このようなものを求めているのです

play13:00

ところで永続する満足とか持続するものは

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果たして存在するのでしょう

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かそこでもしあなたが神でも心理でも名称

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は何でも良いのですがそのような高級的な

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満足を求めるのであれ

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ばまずあなたが求めているものを理解し

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なければならないのではないでしょう

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かまたあなたが私は高級的な幸福神

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あるいは心理を求めているという場合に

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それを求めている

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人探求者つまり私自身も理解しておく必要

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がないでしょうかと申しますのは実は高級

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的安全とか幸福というようなものは存在し

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ないかもしれないから

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ですまた心理というものはあなたが考えて

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いるものと全く違ったものかもしれませ

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ん心理というものはあなたが見たり想像し

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たり

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公式化したりできるようなものとは全く一

play14:34

なものであると私には思えるの

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ですですから何か高級的なものを

play14:44

探し求める前にまずその探し求める党の

play14:50

人間である私自身を理解することが必要な

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のではないでしょうか

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それではこの求めている人と求められて

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いる対象とは違ったものでしょう

play15:11

か私は幸を求めているという

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時求める人とその対象とは別々なもの

play15:22

でしょう

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かまた考える人とその人の考え思考とは

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違ったものでしょう

play15:33

かそれらは別個の家庭というよりはむしろ

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1つの一体化した現象ではないでしょう

play15:44

か従って求める対象を発見する前にそれを

play15:50

求めている人間砂持ち私を理解することが

play15:56

とりわけ重要なことではないでしょう

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かこのようにして私たちは平安

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幸福真の実在神と呼ばれるようなものが

play16:17

果たして誰か自分以外の他の人間から与え

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られるものかどうかを本当に真剣に深く

play16:27

自分自身に問いかけるとこまで押し進め

play16:30

なければならないの

play16:34

ですこの絶ざる探求や切望によって真に

play16:40

自分自身を理解した時に生まれる驚くべき

play16:44

実在感や想像的生命を得られるでしょう

play16:52

かまたこの自己認識は追求や他人に追随し

play16:58

play17:00

特定の組織に属したり本読んだりすること

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によって果たして得られるものでしょう

play17:08

かここで問題の中心となるのは次の点

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ですつまり私自身を理解していない限り私

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には思考する基盤がなくそのため私の球は

play17:30

全て無駄になるだろうということなの

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です私は幻想の中に逃げ込むこともでき

play17:40

ますまた競争や衝突や闘争から避難する

play17:47

こともでき

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ます他の人を崇拝することもできますまた

play17:56

他者を通じて私

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の救済を求めることもできる

play18:03

でしょうしかし私が自分自身について無知

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であり私自身の全体を知らなければ私には

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思考と愛情と行動の基盤がかけていること

play18:23

になります

play18:29

自分自身を知るということこの大切なこと

play18:33

を私たち人間は無視しがち

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です自分自身を知ることこそ何かを

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築き上げることができる唯一の土台なの

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ですこれ

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は地名のりではないでしょう

play18:53

かですから私たちが何かを建設したり変革

play18:59

する前にまた避難したり破壊したりする前

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にまずあるがままの自分を知らなければ

play19:10

ならないの

play19:12

です従って何かを求めて歩き回ったり指導

play19:18

を求め次から次へ教師や同士を変えたり

play19:24

ヨガとか福呼吸とか礼拝をしたたり死と

play19:30

言われる人の後を追ったりすることは全て

play19:35

無益なことではないでしょう

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か私たちが進歩しているその人があなた

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自身を分析しなさいと言ったとして

play19:49

もそれには何の意味もありませ

play19:54

んなぜなら私たちのこの姿がそのまま世界

play20:02

の姿なのです

play20:06

からもし私たちがケチで嫉妬

play20:12

深く巨神が強く貪欲であればその通りの

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ものを私たちの周囲に生み出しそれが

play20:23

私たちの住む社会になるのです

play20:31

ですから真の実在あるいは神を発見する旅

play20:37

に出る前にまた私たちが行動したり人と

play20:44

関わりつまりそれが社会になりますこれを

play20:49

持つ前にまず第1に自分自身を理解する

play20:54

ことから出発することが必要であり不可欠

play20:59

のことであると思い

play21:03

ます真面目な人間というのは特定のゴール

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にどのようにして達するかを考える人では

play21:13

なく最初にこの

play21:16

問題自分自身を理解することこれに徹底し

play21:21

て取り組む人だと私は考えます

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なぜならもしあなたと私が自分自身を理解

play21:35

していなけれ

play21:37

ば実際に行動する時

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に一体どうして社会や人間関係や私たちの

play21:47

行を変革しうるのでしょう

play21:51

かまたこの自己認識は人間関係と対立し

play21:57

たりそこから分離することを意味しない

play22:01

ことは言うまでもありませ

play22:06

んまた集団や他者と対立した形での個人と

play22:12

しての私を強調するということではないの

play22:23

ですそこであなたが自分自身を知らず自分

play22:28

のものの考え方やなぜある特定のことを

play22:33

考えるのか分からなかったりあなたの生活

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を条件付けている色々な背景やあるいは

play22:43

芸術や宗教自分の国や隣人やあなた自身に

play22:49

つい

play22:50

てなぜ一定の信念を持つのか理解でき

play22:55

なければ一体どのようにて正しくもを

play23:00

考えることができるのでしょう

play23:04

かもしあなたが自分の置かれている背景を

play23:10

知ら

play23:10

ずあなたの思考の実態やその思考がどこ

play23:16

から出てきたのかを知らなければ明らかに

play23:22

あなたの探求は全く無意に

play23:26

なりあなたの行動は

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何の意味もなくなってしまうのではない

play23:32

でしょう

play23:35

かあなたがアメリカ人かインド人かという

play23:40

こともあなたが帰依する宗教が何かという

play23:46

こともこの場合全く意味がありませ

play23:54

んそこで人生の最終的なな目的が何かと

play24:00

いうことやそれに含まれている全てのもの

play24:06

戦争民族感の敵対闘争またあらゆる種類の

play24:13

混乱などそれが何を意味しているかを発見

play24:18

する前に私たちはまず自分自身から出発す

play24:24

べきではないでしょうか

play24:29

これはとても簡単なことのように聞こえ

play24:33

ますが実際はひどく難しいこと

play24:39

です自分自身を追求しその思考がどう働い

play24:45

ているかを知るためには私たちの心は波

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外れてエビ出なければならないの

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ですそのようにして私たちが自分の思考や

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反応や感情などの複雑な動きにますます

play25:07

敏感になってくる

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と自分自身ばかりか私たちと関係のある他

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の人についても一層認識が深まってくるの

play25:22

です自分自身を知るということは行動して

play25:27

いる自分

play25:29

つまり事故と他者の関係を知ること

play25:34

ですそれが困難なのは私たちがあまりに

play25:40

請求で忍耐が足りないから

play25:45

です私たちは進歩を望み目的に到達する

play25:51

ことを願う

play25:53

あまり学び観察している時間ももないの

play26:02

です私たちは整形を立てたり子供を養育し

play26:08

たり次から次へと雑に身を縛られまた一方

play26:15

では様々な組織の責任を引き受けたりもし

play26:19

てい

play26:21

ますこのように私たちは色々な面でのき

play26:27

ならないに立たされてしまって自ら自生し

play26:32

たり観察したり学ぶ時間がほとんどないの

play26:39

ですしってそこから生まれる反動の責任は

play26:45

他人にあるのではなく実際には自分自身に

play26:50

あるの

play26:53

ですまた精神的主導者や彼らの方式を求め

play27:00

て世界中探し回ったり多様な分野の新刊書

play27:06

読みあさったりするのは全く無意味で無益

play27:11

なことのように私には思えるの

play27:15

ですというのは世界中を歩き回ってみても

play27:21

結局最後にはあなた自身のとろへ戻ってこ

play27:26

なければならないか

play27:29

ですしかも私たちは大抵自分自身について

play27:36

全く無知なために自分の思考や感情や恋の

play27:43

過庭をはっきり見つめることから出発する

play27:47

ことがなかなかできないの

play27:55

ですあなたは分を知れば知るほどはっきり

play28:01

物事が見えるようになってき

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ます自己認識には終わりというものがなく

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目的を達することも結論に達することも

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ないの

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ですそれは果てしのない川のようなもの

play28:23

ですそれを学びその中に深く進むにつれて

play28:29

あなたは心の平安を見出していき

play28:34

ます自らにかした自己修練によってでは

play28:39

なく自己認識を通して精神が静寂になった

play28:45

時その時にのみその静寂と沈黙の中から真

play28:53

の実在というべきものが誕生しうるのです

play28:59

またその時にのみ無償の至福と想像的行為

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が生まれ

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ますこのような理解も経験もなしにただ本

play29:13

を読んだり講演を聞いたり宣伝活動をし

play29:17

たりするのは全く子供をじみたことであり

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大して意味のない恋だと私には思いの

play29:32

ですそれに対してもし自分自身を理解して

play29:39

そこからあの想像的幸福と頭脳から生まれ

play29:45

たものではないあのあるものを体験する

play29:50

ことができるならばその時にこそ私たちの

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周囲のものとの

play29:58

直接の関係の中

play30:00

に従って私たちの住んでいる世界の中に

play30:07

変革をもたらすことができるの

play30:26

ですJA

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