【三国志】わかりやすく解説!中国大陸はなぜ3つに分かれた?激動の古代中国史を徹底解説!
Summary
TLDRこの動画では、中国の歴史に深く根ざした「三国志」の解説が行われています。1800年前の西暦200年頃、中国大陸を舞台に3つの勢力が天下統一を目指して熾烈な戦いを繰り広げた。董卓の暴政、曹操の智略、劉備と諸葛亮の同盟、さらには孫権の戦略が交錯し、三国時代を形作りました。しかし、その栄光はつかの間、曹操の息子曹丕が皇帝を名乗り、劉備もまた皇帝を自称。時代は彼らの野望と力の証明を経て、ついには蜀、魏、呉の三国が成立し、中国大陸は新たな戦乱の時代を迎えることになる。
Takeaways
- 😎 この動画では、中国の歴史を濃縮した「三国志」について解説されています。
- 🕰 「三国志」は1800年前、西暦200年頃の中国大陸の3つの国が天下統一を目指して繰り広げたダイナミックでロマン的な歴史を描いた書物です。
- 👑 漢の時代に裏切り者を見つけ次第処刑し、皇帝の親族が国の重要なポストを占め、国を運営していました。
- 🗡️ 漢末期には政治が腐敗し、宦官や皇帝の一族の親戚が政治的な力を持ち、税金を横領し国家は混乱に陥りました。
- 💥 民衆の不満が爆発し、宗教団体「太平道」の信者たちが大規模な反乱を起こしました。
- 🔥 董卓という人物が勢力を背景に皇帝を捕らえ、政治を乱しましたが、多くの武将たちによって倒されました。
- 🌟 曹操は自領地の管理と優秀な人材の採用を通じて勢力を築き、袁紹と激しい権力争いを繰り広げました。
- 🛡️ 曹操は皇帝を迎え、自分の地域の重要性をアピールし、袁紹との戦いで勝利を収めました。
- 🤝 劉備は諸葛亮を引き入れ、天下3分の計画を立て、南西の領土を獲得しました。
- 🏰 孫権は南東の領土を治めており、劉備と同盟を組んで曹操と戦い、南半分の地域を獲得しました。
- 👑 曹丕が皇帝を名乗り、劉備もまた皇帝を自称し、中国大陸に3つの国が誕生して三国時代が始まりました。
- 🌊 赤壁の戦いで劉備と孫権の連合軍が曹操軍に勝利し、三国の勢力を決定付ける大きな戦いとなりました。
- 🛑 諸葛亮は北伐を繰り広げましたが、過労死してしまい、蜀は最終的に魏に滅ぼされました。
- 💔 孫権の死後も孫家の統治は続いたが、内政が腐敗し、呉もやがて真に滅ぼされました。
- 🏹 最終的に三国の全ての国が崩壊し、中国大陸は再び戦乱に巻き込まれました。
Q & A
三国志とは何ですか?
-三国志とは、約1800年前の西暦200年頃の中国大陸の歴史を記した書物であり、三つの国が天下統一を目指して争うダイナミックな歴史の流れを描いています。
三国志の時代になる前の中国大陸はどのような状態でしたか?
-三国志の時代になる前の中国大陸は、漢という国として一つにまとまっており、約400年にわたって中国大陸のトップとして君臨していました。
宦官とは何ですか?
-宦官とは、皇帝の妃の身の回りの世話などを行う去勢された男性たちのことです。
宦官たちが政治的な力を持つようになった理由は何ですか?
-宦官たちは妃と仲良くなり、妃の人声で政治的な動きをするようになったため、次第に政治的な力を持つようになりました。
太平道の信者たちが反乱を起こした理由は何ですか?
-太平道の信者たちは、漢の政府の腐敗に不満を持ち、トップの指示で武装して反乱を起こしました。
董卓はどのようにして権力を握りましたか?
-董卓は皇帝を捕まえて南京状態にし、実質的に漢の国のトップとして権力を握りました。
袁紹と袁術の兄弟対決の結果はどうなりましたか?
-袁紹と袁術の兄弟対決では、袁紹が勝利しましたが、その後曹操がさらに勢力を拡大しました。
曹操が中国大陸の北半分を完全に制圧するまでの過程はどのようなものでしたか?
-曹操は奇襲攻撃を繰り返し、袁紹を破り、最終的に中国大陸の北半分を完全に制圧しました。
劉備が諸葛亮を部下として迎え入れた経緯は何ですか?
-劉備は諸葛亮の評判を聞き、自ら田舎の家に出向いて頭を下げ、3度目の訪問でようやく諸葛亮を部下として迎え入れました。
赤壁の戦いとは何ですか?
-赤壁の戦いは、北の曹操軍と南の劉備・孫権連合軍が長江を挟んで対峙し、曹操軍が劉備・孫権連合軍に敗れた大規模な戦いです。
曹丕が行った禁断の一手とは何ですか?
-曹丕は、父である曹操が死んだ後、自らが皇帝と名乗り、魏という国を建国しました。
劉備が皇帝を名乗った理由は何ですか?
-劉備は曹丕に対抗するため、また自分の勢力をまとめるために、漢の皇帝の末裔として自らが次の皇帝であると名乗りました。
諸葛亮の提案した天下三分の計とは何ですか?
-天下三分の計は、中国大陸を曹操勢力、孫権勢力、劉備勢力の三つに分け、三つの勢力が均衡を保つことで争いを抑えるという提案です。
孫権が持つ最終目標は何ですか?
-孫権の最終目標は、中国大陸全土を支配するのではなく、自分たちが安心して暮らせる独立国家を作ることです。
劉備と孫権が同盟を組んだ理由は何ですか?
-曹操が南下してきたことを受け、孫権が劉備に声をかけて同盟を組み、共に曹操と戦うことを決めました。
諸葛亮が行った北伐とは何ですか?
-北伐は、諸葛亮が義を討伐するために行った攻撃で、義との戦いを何度も繰り返しましたが、最終的には成功しませんでした。
諸葛亮の死後、蜀はどうなりましたか?
-諸葛亮の死後、蜀は内部の意見がまとまらず、最終的に魏に攻められて降伏し、崩壊しました。
義の国が滅びた後、どの国が新たに成立しましたか?
-義の国が滅びた後、芝居の孫である芝園が新たに真の国を成立させました。
三国志の時代が終わった後、中国大陸はどのような状態になりましたか?
-三国志の時代が終わった後、中国大陸は再び戦乱の状態に陥り、最終的に真の国も崩壊してしまいました。
Outlines
😀 三国志の紹介とチャンネル登録のお願い
荒井が三国志について解説していく旨を説明し、三国志は1800年前の中国大陸の歴史を記した書物であると紹介。3つの国が天下統一を目指して策略を巡らせたロマン的な歴史を詳しく解説する。チャンネル登録を呼びかける。
🏛️ 漢帝国の終焉と混乱の時代
漢帝国が末期に暗雲をもたらし、宦官による政治の腐敗が始まったと説明。宦官が政治的な力を持ち、皇帝の一族以外の人々が政治を左右し始め、民衆の不満が爆発し反乱が起こる。特に太平道という宗教が漢帝国を打倒すると称し、大規模な反乱を起こしたと詳細に解説。
👑 董卓の暴挙と反発の連合
董卓が皇帝を捕らえ、自ら漢のトップになるが、彼は自分のことしか考えておらず、歴代皇帝のお墓を掘り、権力を乱用する。そのため、中国大陸の武将たちが董卓を倒すための連合を形成し、彼を攻めるが、連合軍も純粋ではないと裏事情を説明。
🌱 曹操の土地管理と人材採用
曹操が自分の領地をうまく管理し、農業を促進させることで力をつける過程を解説。また、曹操が法律を制定し、賄賂や横領を防止する仕組みを整え、優秀な人材を問わず身分や見た目に拘わらず採用する姿勢を紹介。
🤝 袁紹と曹操の対立と赤壁の戦い
袁紹と曹操の強力な対立が中国大陸を分断し、彼らの争いが始まる。曹操は皇帝をかくまい、自らの領土に迎えることで中国大陸のトップである皇帝の存在を利用し、権力を強める。しかし、袁紹は曹操の行動に慎重で、皇帝を招くことをためらう。劉備が南西に勢力を築き、諸葛亮を引き入れ、天下3分の計画を立てたと展開される。
🛡️ 劉備と孫権の同盟と赤壁戦役
劉備が南西に勢力を築き、諸葛亮を引き入れ、天下3分の計画を立てた。曹操が北から南下し、劉備の城を攻撃し、劉備は撤退を余儀なくされる。孫権が南東を治め、曹操の南下に備える。劉備と孫権は同盟を組んで曹操と戦うと決め、赤壁の戦いで曹操軍に大打倒を与えると詳述。
👑 三帝並立と三国時代の到来
曹操の息子曹丕が皇帝を名乗り、自らの国を宣言し三国時代が到来。劉備もまた皇帝を名乗り、自らの国を建国。孫権もまた皇帝を名乗り、新たな国を作って三国が形成される過程を解説。
🗡️ 諸葛亮の北伐と蜀の滅亡
諸葛亮が蜀を代表して魏に対して何度も北伐を仕掛けるが、食料や武器の不足によりうまくいかなかったと説明。諸葛亮の死後、蜀は内政が腐敗し、魏の攻勢に負ける。劉備が作った蜀は崩壊し、中国大陸の南西左下は魏の領土となると詳細に要約。
🏹 三国時代の終焉と晋の興隆
三国時代が終焉し、魏から晋が誕生し、中国大陸を統一する過程を解説。しかし、晋も内政が腐敗し、民族間の揉め事が原因で崩壊する。中国大陸は再び戦乱に巻き込まれると結末を述べている。
Mindmap
Keywords
💡三国志
💡漢王朝
💡宦官
💡太平道
💡董卓
💡曹操
💡劉備
💡諸葛亮
💡孫権
💡赤壁の戦い
Highlights
三国志は1800年前、西暦200年頃の中国大陸の歴史が書かれた本
三国時代は3つの国が策略を巡らせながら天下統一を目指すダイナミックな歴史
漢の末期には宦官が政治的力を有し、腐敗が進んだ
民衆の不満が爆発、太平道の信者たちが大規模な反乱を起こす
董卓が皇帝を捕らえ、暴政を行っていたが、多くの武将が連合して董卓を倒す
袁紹と曹操が勢力を拡大し、中国大陸を争う中心となる
曹操は優秀な人材を問わず採用し、法律を整備して治める
曹操は皇帝を迎え、自分の地域を中国のトップと位置付ける
劉備は諸葛亮を3回訪ね、協力を求める
諸葛亮は天下3分の計を提案、中国大陸を3つの勢力で分けることで拮抗状態を保つ
曹操、劉備、孫権の3つの勢力が形成され、中国大陸は3分割される
曹丕が皇帝を名乗り、魏国を建国
劉備も皇帝を名乗り、蜀国を建国
孫権も皇帝を名乗り、呉国を建国し三国時代が到来
諸葛亮は北伐を繰り広げ、魏国を討伐するが、過労死で没
蜀国は内部の揉め事と物資不足で魏に降伏
呉国は内政が腐敗、民衆の協力が得られず、真国に滅ぼれる
真国も内部の揉め事と異民族の乱入で崩壊、三国時代は終焉を迎える
Transcripts
どうもドントテルミ荒井です今日は
三国志解説していきます
三国志とは今から1800年前
西暦200年頃の中国大陸の歴史が書かれ
た書物です
この頃の中国大陸では
三国志という名前の通り3つの国がお互い
に策略を巡らせながら天下統一を目指すと
いうかなりダイナミックでロマン溢れる
歴史の流れがあったのです
詳しく見ていきます
このチャンネルではこういった大人なら
押さえておきたい教養をどこよりも分かり
やすく解説しておりますのでどの
チャンネルかわからなくなる前にぜひ
チャンネル登録をお願いします
三国志の時代になる前の中国大陸は
漢という国として一つにまとまっていまし
た
漢のトップは
裏切りそうな奴がいたら見つけ次第処刑し
て
ほぼほぼ自分の親族で国の重要ポストを
固めてうまいこと国を運営していました
詳しくは
項羽と劉邦の動画で解説しておりますので
よろしければ概要欄からご覧ください
感はいい感じに中国大陸を収めておよそ
400年にわたって中国大陸のトップとし
て君臨していたのですがそんな感も末期に
なると
暗雲が立ち込めてきます
完成譜の中にめちゃくちゃし出す人たちが
出てくるのです
まずめちゃくちゃしだしたのは
宦官と呼ばれる人たちでした
宦官とは
妃つまり
皇帝の奥さんの
身の回りの世話などの雑用をしていた男性
たちのことです
男性は男性なんですが
宦官はみんな去勢されています
男性の一番大切なところが
直近されているということですね
罪を犯した男性に対する罰として
男性器を切り落とす系があってそのうち
生き残った人が
政府内で雑用係として働いていたのです
去勢されている以上希崎に性的に近づいて
くることもないので
妃の身の回りの世話をする
男手の雑用係として使われていたのです
ですがそうやって毛先の周りで働いている
うちに
宦官は妃とどんどん仲良くなって
宦官の人声で毛先が色々動いてくれるよう
になったりと
宦官が政治的な力を持ってきたのです
先が税金をちょろまかして自分の
お気に入りの宦官に貢ぐようになったりし
てさながらホストクラブみたいな感じに
なっていたのです
また宦官の他にも
妃のお父さん后の兄弟とか言った
言ってみれば皇帝の一族とは関係のない
毛先側の親族の男たちが
自分たちの都合のいいように妃に話をつけ
てきます
こうなると妃としても
自分の親戚を悪くは使えないので
身内B機みたいな感じでまた中国大陸の
国民から集めた税金をチョロ負かして自分
の身内に配ったりするようになっていたの
です
そんな状態でいい政治が行われるわけが
ありません
役人として優秀な人が出世していくわけで
もなくただただ気先に気に入られたホスト
みたいな考えや
毛先の親戚ばっかり権力を持っていてそう
いった人たちが
自分の私服を肥やすためだけに政治が行わ
れていくわけです
すると中国大陸の各地で
政府は何をやってるんだ
集めた税金はちゃんとみんなのために使っ
てくれよということで
民衆たちが不満を爆発させて
反乱を起こします
反乱を起こした中心勢力となったのは
太平洋という宗教の信者たちでした
太平堂という宗教のトップが
漢は腐敗しきっているだから我々が艦を
倒して世の中を正すのだと宣言したので
トップの一声に従う形で
信者がみんな武装して大規模に判断を
起こしたのです
なんか聞いたこともない宗教の信者たちが
武装したところでどうにもならんやろと
いう気もしますが
侮ることなかれ
信者は少なくとも数十万人ほどいましたし
何よりこの宗教では
戦って死んだら極楽に行けるぞという教え
があったので
みんな塩を恐れずに
文字通り死ぬ気で戦ってくる軍隊となった
のです
こうしてやばい宗教団体が漢の政府に対し
て大々的に反乱を起こすとこれをきっかけ
にこの宗教以外の勢力
俺たちもトップを滅ぼしてやろうという
勢力が乱立してきて中国大陸は一気に戦乱
の雰囲気になっていたのです
こうして中国大陸では
反乱を起こす勢力だらけになったわけです
がそういった勢力の中でまず頭角を表して
きたのは
董卓という人物です
董卓はいろんな勢力が中国大陸で戦って
いる間に
塗ると皇帝の元に忍び寄って
工程を捕まえて部屋に閉じ込めてしまい
ます今まで缶の国のトップだった工程を
殺してしまったり
手荒に扱ったりするとそれはそれでお前
校庭に何してんだよという勢力がまとまっ
て反乱を起こしてきたりするので
工程を捕まえて部屋に閉じ込めたけど
ご飯とかは出してあげるようないわゆる
南京状態にしたのです
ですがこうなると
当然肯定としては何もできなくなるので
工程を捕まえた董卓がヌルッと缶の国の
トップに立ったのですが
董卓はとにかく自分のことしか考えてない
悪いやつでした
歴代皇帝のお墓を掘り起こしてお宝を
ゲットしたり
権力にかまけて女性に手を出しまくったり
とめちゃくちゃでした
そうなるとやっぱり今度は中国大陸の各地
で
董卓の応募を許すなという雰囲気になり
ますすると中国大陸で暴れまわっていた
多くの武将たちは
董卓を倒すための連合
半到達連合を組織しますこうして董卓の元
に攻め込んできたのですが
多くの武将がまとまってやってきたことで
董卓は一瞬でやられてしまいました
ですが問題は董卓がやられてしまった後
です
朝鮮半島宅連合も
純粋に
董卓を倒して
皇帝をお救いするんだと考えているような
連合軍ではありません今は董卓が強いから
手を組むけどその後は自分が中国大陸の
ナンバーワンになりたいという下心で
集まっている連合軍でした
なので
銅鐸がいなくなってしまったら今度はこの
連合軍の中で活躍した人たちが
俺がトップだみたいな感じでまた新たに
権力争いを始めてしまうのです
そういった権力争いの中で頭角を表してき
たのは
縁という家系ですこの円家の中でも
袁紹と
演技術という2人の力が強く2人は半島宅
連合でもリーダー的な存在でした
すると今度は
炎症と演出どっちが中国大陸のトップに
立つかということで
強大感染層のようになってしまうのです
この2人はいとこだったとか
兄弟だったとかいろんな説があります
とにかく袁紹vs演出の
ヘンケ同士の争いになってしまうのです
すると中国大陸各地の勢力たちは今度は
炎症と演術のどちらかの下について戦う
ようになります
古代中国においてはとにかく
勝ち馬に乗ることが大事です
権力者になりたいと思ってもまずキャリア
のスタートとしては最終的に天下を収め
そうな人の下について活躍するというのが
セオリーになりますどうしてもこの人の下
についてこの勢力をやっつけたいといった
事情で戦うのではなくとにかく勝ちそうな
人の軍に合流して戦いに勝つことその戦い
の中で活躍してこいつすごいとみんなから
思われることが重要なわけですなのでこの
時代の野心家たちは
使える人物を変えながらとにかくどんどん
戦場に出ていくのです
こういった戦乱の世の中で頭角を表してき
たのは
曹操という人物です
曹操は自分が持っていた領地をうまく運用
して大成功を収めていました
この時代は中国大陸のあちらこちらで戦い
が繰り広げられまくっているのでどの土地
が開いていてどの土地が誰のものでという
のがかなりめちゃくちゃになっていました
自分の土地で生きるか死ぬかの戦いが
始まってしまうとここの土地俺の持ち物な
んだけど
戦いなら要素でやってよとか言っても誰も
聞いてくれません
特に曹操の持っていた領地は激戦区で
戦いに巻き込まれないように自分の土地を
捨てて
別の土地に避難する人がとても多かったの
ですまた
曹操の持っていた土地に住んでいた人たち
も
戦いに行ってきますと言って自ら自分の
土地を離れていくこともありました
ですが逆に
自分の土地での戦いが一段落した
タイミングで
自分の元いた土地に帰ってきたり
自分の土地を捨てて戦いに出て行ったもの
の
戦いとかやっぱ嫌だわ」と言って帰って
くる人もたくさんいるわけですまたさらに
元々曹操の領地に住んでいたわけではない
けど
戦いの流れの中でたまたま早々の土地に
たどり着く人とかもいるわけです
そうなると
曹操の領地では
空いていると思って土地を使っていたら
元の持ち主が返ってきたりとどの土地が
開いていてどの土地が誰のものですという
のが
めちゃくちゃになるわけですかといって
ずっと帰ってこない人の土地をいつまでも
基地にしているのももったいないです
曹操が力を持つための基本ベースとしては
自分の土地でみんなに農業をさせて
取れた農作物の一部を税金のような感じで
納めさせてその納めてもらった食料は兵士
に配って
食べ物の心配をせずに
戦いだけに集中できる兵士が他の勢力と
戦うという感じの流れがありますなので
土地をしっかり管理して必要なくして
みんながちゃんと農業に励めるような
仕組みを整えることが大切なのです
このことに気づいていた曹操は
自分の領地の加わりをかなりしっかりと
行って
空き地を細かく把握していなくなった人の
土地をなるべく空き地にすることなく
新しく来た人に
空き地をすぐにあてがうようにしていまし
た
また
土地を管理するためには
役人をたくさん雇う必要がありますがそう
いった土地を管理する役人に対して曹操は
きっちりと法律を作って
賄賂とか横領とかを許さない仕組みを整え
ていました
自分の土地を管理させるにあたって
当然優秀な人を役人にさせるのが重要に
なってくるわけですが
曹操はこの人材採用の面でも優れていまし
た
役人や自分の部下を採用するにあたって
曹操は
身分やそこは問わないからとにかく優秀な
人物を採用しますという姿勢でした
たとえ見た目が小汚くて
乱暴な言葉遣いをしてくるような人でも
門前払いしたりせずどんな人でもひとまず
じっくり話を聞いて
話の内容にキラリと光るものがあれば採用
するという感じでした
そうは言っても明確な基準があるわけでは
なく
曹操の独断と偏見で採用されているわけ
ですがその独断と偏見がバッチリとハマる
形で
曹操の周りには優秀な人たちがたくさん
集まってきていたのでした
優秀な人たちが法律に則って
フリーに土地の運用をしていたので
民衆もみんな自分の土地をすぐに当てがわ
れてそこで農業に励むことができてすると
トップである曹操のもとにもたくさん
農作物が集まってきてその農作物でまた
優秀な人を雇ってというように
曹操はどんどん力をつけていったのです
そんな感じで
自分の領地の運用をうまいことを行って力
を持っていた曹操も
炎症と演術の兄弟感染層に参加していまし
た
曹操は
炎症側についていました
曹操の活躍もあって
炎症演説の兄弟喧嘩は
炎症の勝ちとなりました
ですがこうなると
炎症よりも曹操の方がすごくないという
雰囲気になってきますもともと
みんな炎症を慕って炎症の下で戦っていた
わけではなく
所詮
炎症の下で戦っていたら勝てそうだからと
いうことで集まっていただけですそうなる
と
炎症よりも早々の方が強そうじゃないと
なれば
みんな早々になびいていきます
恩義とかそういうのじゃない世界において
は
強い人がより人を集めるという
強さこそが正義という世の中になるのです
するとそういった雰囲気を感じ取った曹操
は大胆な行動に出ます
工程をかくまうのです
董卓によって南京されていた缶の工程が
脱出して
安心できる土地を探しているという情報を
掴むと
内で面倒を見ますよと連絡を飛ばしたの
です
この時期の中国大陸の皇帝というのは
なかなかに微妙な立ち位置の存在です
皇帝というのはそれこそ韓国ができた当初
は絶対的な力を持って中国大陸のトップと
して君臨していたわけですが
宦官だったり奇跡の親戚だったりが
めちゃくちゃやりだすようになって
缶の国の内部が腐敗していくにつれて力が
弱まっていきますその結果と宅に誘拐され
て南京状態になっていたりして
昔は偉かったけど
ポータクトか炎症みたいに
味方をどんどんつけていって大きくなって
いった人の方が偉いんじゃないみたいに
なっていて
肯定といっても
名ばかりみたいになっていたのでした
そうは言っても中国のトップといえば皇帝
ですみたいな感じで一応えらいってことは
みんな知っていてみんな敬ってはいるんだ
けど
特に権限があるわけでもないし何なら他の
武力に秀でた人によっていつ殺されても
おかしくないみたいな
すごく微妙な存在でした
そんな皇帝を利用するような形で
曹操は皇帝に声をかけたのですこうして
早々は自分の領土に皇帝を迎えましたこう
することで中国のトップといえば皇帝
だろうその皇帝がいるんだから
俺の地域はマジですごいぜと言い張ること
ができるのです
一応炎症の部下みたいな感じで戦いに参加
していた曹操が
皇帝を匿ってしまうというのはなかなかに
大胆な行動です
そんなこと勝手にしたら炎症は黙ってない
でしょと思うところですが
袁紹はよく言えば慎重
悪く言えばビビりな性格でした
実はこの時
袁紹もそうそうと同じように
工程を打ちで匿ったらどうかなと思ってい
たのですが
工程を招き入れるって結構リスキーだよな
皇帝を守る勢力といざこざが起きそうだし
という感じで
迷って出遅れていました
そんな炎症を差し置いて
早々は漢の工程を自分の本拠地に迎え入れ
たのです
こうなると
曹操としては皇帝を迎え入れて自信をつけ
炎症としては
早々にとらわれた皇帝を解放するんだと
いうようになるわけです
すると今度は
味方同士だった曹操と炎症が対立して
新たな戦いが始まります
園長は
曹操よりも広大な領地を持っていて
優秀な部下も多く抱えています
兵士の数も
曹操軍が4万ほどだったのに対して
炎症軍は
50万人も用意している巨大部隊でした
ですが優柔不断な円章の弱点を突くような
形で
曹操は大胆な奇襲攻撃を仕掛けまくります
炎症が慎重に自分を動かしている中
曹操は
自分の領土の守りをかなり手薄にしてまで
いろんなところに少人数の舞台を突っ込ま
せまくって
奇襲攻撃を徹底しました
すると炎症がもたついている間に
次々と要所が突破されていく形になり
炎症は
早々に敗北します
こうして曹操はもともと炎症が収めていた
中国の北半分を完全に制圧したのです
そんな感じで曹操が中国大陸の北半分を
抑えている間に
同じく中国大陸の南側で
急成長を遂げていた人物がいました
劉備という人物です
劉備は
炎症と縁日が強大感染層をしている間は
演説側につき
演説が負けそうになったら曹操の方に行っ
てかと思ったら曹操を裏切って今度は炎症
側についたりとよく言えば身の振り方が
うまく誰にでも気に入られる
悪く言えば中性心がなくフラフラとした
感じの人物でした
とはいえ劉備は一度早々と手を組んで戦っ
ていた時に
曹操に今の乱れた戦乱の世で最終的に真の
英雄となるのは私か君くらいの問題をと
言わしめるほどただ者ではないオーラは
放っていました
とはいえ誰に忠義を尽くすわけでもなく
フラフラしてる感じだったのでこの時期
領地として持っていたのも中国大陸の
ちょうどど真ん中くらいにあるまあまあな
広さのお城ひとつだけでした
もちろん劉備も戦乱の世で中国大陸の
トップを狙いたいけどなんとなくうまく
いかないなという感じだったのでした
そんな時劉備は
諸葛亮という若者に目をつけましたなんと
か自分の力を拡大したいと思った時に
優秀な部下を引き入れるというのは
古代中国史においてはよくあることです
劉備も
優秀な部下を引き入れたいと思っていたの
で人里離れた田舎にあった
諸葛亮の家に直々に私の元で働いてくれ
ませんかと挨拶に行きましたこれは
結構
異例の対応ですこの時劉備は40歳くらい
で
諸葛亮は20歳になったばっかりという
感じでした
諸葛亮は鬼のように勉強ができてとんでも
ない切れ者だという評判はあったのですが
実際に政治を行ったりとか群を率いたりと
かの経験はありませんでした
なので一押しろ一つは持つことのできる
くらい力を持っている劉備に比べれば
諸葛亮は何者でもないただの若者です
そんな若者にわざわざ直接頭を下げに行く
というのは
破格の対応ですそれだけ劉備は
諸葛亮を部下として引き入れたいと強く
思っていたわけです
こうして20歳も年上の偉いおじさんが
わざわざ田舎の家まで出向いてくれたわけ
ですがなんと所轄領はやばいくらいの塩
対応をしますなんと
家にいながら
居留守をしたのですいつまでたっても返事
がないので
仕方なく劉備はまた別の日に諸葛亮の家を
訪ねましたが2度目も家にいながら劉備を
シカとします
ウイルスを2連続で使ったわけです
また日を改めて劉備が3回目に訪ねて
ようやく返事をしたと思ったら
諸葛亮は劉備に対しておじさん誰だか知ら
ないけど今昼寝してるからちょっと待って
ねと
余裕の受け答えをします
この塩対応は
諸葛亮の仕掛けた
駆け引きでした
諸葛亮には
自分のことを本当に心の底から雇いたいと
思ってくれている人はこっちがどんなに塩
対応したとしても最大限の礼儀を尽くして
くるだろうという考えがあったのです
なので
本当は1回目の訪問ではいもちろん働かせ
ていただきますと返事してもいいところを
あえて3回も使用対応をしたのです
対する劉備は立派でしたお前なめた態度
取ってないよと思う心をグッとこらえて3
回目に
昼寝したいから待っておじさんと言われた
時もそうですか
奈良無理に起きなくていいですからね
起きるまで待ってますからねと答えたの
です
その会話ってか
諸葛亮は劉備を認め劉備の部下となること
を決めるのです
この諸葛亮が
注文通りの超やり手でしたまず
諸葛亮は劉備に対して
天下3分の計という作戦を提案しますこの
作戦は天下3分という名前の通り中国大陸
はいったん3つに分けようやという提案
です
中国大陸の現状を整理すると
序盤に炎症演術の兄弟戦争で名を上げて
最終的に兄弟対決の勝者
炎症をも打ち破った
文句なしの実力者
曹操が
ざっくりと中国大陸の北の方を押さえてい
ますそれでいて南はどうなっているかと
いうと
南東中国大陸の右下の方は
孫権という人物が幅を聞かせていました
孫権のお父さんは最初に
宗教
太平道の信者が暴れまわっていた時期から
戦場で活躍していてその息子に当たる孫権
の兄は
曹操と縁日が戦っていた時に
別の戦いで大活躍していたりと
孫権の家計は
生粋の戦闘一族でした
戦が滅法得意だった孫権の兄が中国大陸の
右下の領土を手にしていたのですが
孫権の兄は何しろ血の気が多すぎて
多くの人から恨みを買っていました
結局何者かに暗殺未遂をされてしまい
トップは
弟の孫権に任されたのです
孫権何も尊敬について
領地を広げるのは私の方が向いているが
その領地を守っていくのは
弟の方が向いていると言っていて
墨付きでした
[音楽]
孫権は兄の期待通り
兄が獲得した土地を上手に収めていきます
孫権が中国大陸の右下を安定して収められ
ていたのは
血のりを生かしていたためです
[音楽]
孫権が治めていた領地の北側には
長江という
馬鹿でかい川が流れています
皮といっても
川幅は瀬戸内海くらいあるのでもう海
みたいなものですなので
北から孫権の領地を攻めようとすると
瀬戸内海縦断つまり
岡山や広島から
足を使わずに四国に渡るのと同じような
感じなのです
別に船で渡ればいいじゃんという気もし
ますが
確かにこの時代に船はあるのですが大きな
船を運ぶようなでかいトラックとかはあり
ませんつまり
兵隊がたくさん乗って
武器とかもたくさん積めるような大きな船
で兆候を渡りたいとなったらその船は
超高の上で組み立てを行わないといけない
のです
兆候でそんな怪しい動きをしていたら
孫権の水分に攻撃を受けてしまいます
孫権は超高で戦闘を行うための強固な水軍
を組織していましたもし
敵が兆候を渡ろうとしたり
超構造に船を建造するための拠点を作っ
たりしようとすればこの水分が出動してき
て
攻撃を仕掛けてくるんです
こういった感じで
尊敬は広大な領土をガッチリと守って勢力
を保っていたのです
北の上半分は曹操が抑えていて
南東の右下は孫権が押さえているというの
がざっくりとした中国大陸の現状でしたで
は
南西
左下はどんな感じだったかというと
上半分や右下ほど勢力がしっかりと
まとまっている状態ではありませんでした
有力な勢力がいくつか存在しているような
感じで
上半分や右下と比べると
割とごちゃっとしているような状態だった
のでした
その状況を踏まえて諸葛亮はまずは左下の
ごちゃっとした勢力を抑えようやという
提案を流儀にしたのですこうすれば
上半分は曹操勢力
右下は尊敬勢力
左下は劉備勢力となって中国大陸が3つの
勢力で分けられるので
点火3分の計というわけです
いやなんかすごいこと言ってる感出してる
けどとりあえず近場のごちゃっとした
ところを自分たちのものにしようっていう
ただの場当たり的な戦略だよねそんな計画
をドヤ顔で発表されてもと思うところです
がよくよく考えてみるとこの諸葛亮の提案
した点火3分の計はかなりいい感じの計画
なのです
現実的な問題として
白いことかしか持っていない劉備が
北や東をまるまる収めている大きな勢力に
攻撃を仕掛けても
勝てるわけがありませんだからまずは
ごちゃっとした左下を抑えて
力を蓄えた後に大きな勢力と戦うことに
しようというのは
確かに論理的です
また
諸葛亮はもし計画がうまくいって
ごちゃっとした地域を劉備が収めることが
できて中国大陸が
曹操孫権劉備の3つの勢力に分かれると
中国大陸の争いはしばらく落ち着くだろう
と予想しましたというのも
例えば2つの勢力が中国大陸で敵対して
いるとなったら
純粋に国土が広くて
兵士もたくさんいるいわゆる強い国が
弱い国を一方的に押し切ることになります
ですが今回のように3つの勢力が隣り合っ
ている場合はそうはなりません
ものすごくざっくり言うとこの時の国の力
はそれぞれ
剛対3対3くらいです
上半分を全て収めている葬送勢力が5
右下の尊敬勢力が35チャットしている
左下の勢力をまとめると3となりますこう
なると5の国力の国が3の国を滅ぼそうと
した時には3の国同士で手を組んで
6の力となり5の力の国の攻撃を跳ね返す
ことができます
それでいて3の国が5の国に攻めれば
負けることはわかっているので3の国から
5の国に攻めていくことはありません
3の国同士が潰し合うと3の国同士の力が
弱った隙をつく形でここの力の国が攻めて
きて3の国々は崩壊してしまいますなので
3の国同士で争い合うこともないのです
こういう感じでどの勢力も隣り合っている
勢力に攻められない
拮抗した状態になるだろうと諸葛亮は予想
したのです
[音楽]
実行した状態で国内状況をしっかり整えて
もし葬送勢力が孫権勢力と戦争を始めたり
曹操の領地で大規模な反乱が起きたりし
たらそのタイミングで動き出そうと提案し
たのです
天下3分の計これはすごいと思うところ
ですが
葬送勢力
尊敬勢力そして劉備勢力で中国大陸を3つ
に分割するためにはまず劉備が中国大陸の
南西
左下の5チャットした地域を統一すること
が重要になってくるわけですここの制圧を
しないと
三者で血行状態とはならないわけです
これは逆に言えば
ごちゃっとした地域をソースか孫権に抑え
られてしまえばあっという間に中国大陸は
二分されてしまって
劉備の取り入る好きなどなくなってしまう
ということになります
ごちゃっとした地域が中国大陸の未来を
決める
重要な土地だということは
みんな分かっていたのです
こうなった時に行動が早いのは大胆な行動
でおなじみの曹操です
曹操は北から南下する形で
ごちゃっとした地域への進軍を進めてき
ました
劉備の持っている城は
ごちゃっとした地域の一番北の方にあった
ので
すぐさまソースからの襲撃を受けました
そうなると巨大な曹操勢力を前に
城を一つ持っているだけの劉備は叶いませ
ん
早々に劉備や城を捨てて南へと撤退を開始
したのです
南の方に城を持っていた中の良かった勢力
のところに
命からがら逃げ込みました
天下3分の計とか思いついたものの
実際問題として
創造勢力が攻めてきたら何もできないどう
したらいいんだよという感じで劉備勢力が
鳴りを潜めている中国大陸の南東
右下を収めている
尊敬勢力でも動きがありました
北の曹操が南下して
南西のごちゃっとした地域を攻めてきたと
いうことでいつ葬送勢力がこっちの南東に
も攻めてくるかわからないという雰囲気に
なったのです
中国大陸の右下を収めている孫権はそう
そうや劉備とは少し毛色の違う人物です
曹操と劉備の最終目標は中国大陸全土を
支配下において
漢のような大きな一つの国を作り上げると
いうまさしく野心的な目標なのですが
孫権は少し違いました
孫権の最終目標は
自分たちが安心して暮らせる独立国家を
作ることだったのです
というのも中国大陸の南の方の地域という
のは
昔から
北にやられて併合されるけど
独立してと思ったらまた北の大勢力に併合
されてというのの繰り返しでした
これまで中国大陸は
過去に菅が統一していて
缶の前は
真という国が統一していましたがどちらも
中国大陸の北日本拠地があって
北を拠点に南を征服していって中国大陸
統一官僚という感じで成立していました
なので中国大陸の南の方の地域としては
領土を広げるというよりはとにかく
自分の国が北の国に負けないように守る
守って自分の国を存続させるという思いが
強かったのです
もちろん北から攻められるのは嫌だけど
せめて来ずに来たは来た南は南ってして
くれればそれでいい
北も全部支配して天下統一をというような
思いではなかったのです
ですがそれは逆に言えば
相手が攻めてくることがあれば
徹底抗戦するというわけですそうそうが北
から南下してきているということを受けて
尊敬勢力も戦力を集めて
曹操と徹底的に戦う姿勢を見せます
そこで孫権は
早々に敗れて南に追い詰められていた
劉備陣営に声をかけます
[音楽]
先日の通り
劉備は曹操に早々にやられてボロボロでは
あったのですが
少ないながらもまだ戦力を持っていたので
孫権から
声をかけられたのです
劉備としては
城を追われてボロボロの状態なので
藁にもすがりたい
手助けしてくれるなら何よりだという感じ
でまさしく渡りに船です
こうして孫権と劉備は同盟を組んで曹操と
戦うことを決めたのです
なので最終的に
北の曹操軍vs
南の劉備孫権連合軍という形で一大決戦が
繰り広げられました
この戦いは
戦いが起こった場所にちなんで
赤壁の戦いと呼ばれています
劉備と孫権が連合軍を組んだとはいえ
曹操軍は強大でした
曹操軍は
少なくとも劉備孫権連合軍の2倍から3倍
くらいの兵士数を抱えていましたですが
劉備尊敬連合軍は工夫を凝らして奮闘し
ます
早々軍とyouB孫権連合軍は超高を挟ん
で対峙していたのですが
弓矢の矢の数が圧倒的に足りないとなれば
霧がかかった中で
藁人形を立てた船を相手陣営に近づけて
敵から撃たれた矢を回収して使ったり
[音楽]
相手陣営にスパイを送って
船は鎖でつないでまとめておくと
揺れにくいですよという提案をして
船を並べさせたところに火を放ったりと
よく言えば知的
悪く言えば細くな方法で
強大な相手を倒していったのです
軍の大きさからしてまず負けることはない
でしょうと思っていた曹操軍はこの戦いで
思わぬ大損害を受けたのでした
すると早々軍は
序盤に南下して獲得していた地域を
ほとんど放棄して
北の本拠地へと撤退していったのです
総力で劣る劉備孫権連合軍が強大な曹操軍
をはねのけたのです
こうして
葬送勢力は
元いた北に撤退したわけですがそうなると
南半分の地域をどうするかという話になり
ます
ボロボロになっていた劉備を迎え入れて
孫権軍が戦っていたわけなので
曹操を追い払って確保した中国大陸の南西
左下の地域をどうしていくか決める権利は
孫権にあるわけですが
孫権は中国大陸の南西
左下は
劉備に任せるからと提案しましたこうなる
と
下は曹操
南東は孫権
男性は劉備ということで
当初活量が言っていたような天下3分の計
が出来上がるわけです
こうなればしばらくは拮抗状態が保たれて
尊敬勢力も長く続いていくと判断されたの
です
[音楽]
孫権の大隅付きをもらった劉備は
ごちゃっとしていた左下の地域にガンガン
攻めていって
支配することに成功しました
下から攻められてボロボロになっていた
左下の地域を一気にかっさらっていったの
ですね
曹操は北に撤退したばかりだし
隣の尊敬陣営から大隅付きをもらっている
わけなので
劉備は
すんなりと左下の地域を獲得できたのです
こうして諸葛亮が思い描いていたように
中国大陸は3つの勢力によって
完全に3分割されたのでした
この後大きな動きがあったのは
北の
曹操陣営ですこれまでずっと北の地域の
トップとして君臨していた曹操が
病に倒れて死んでしまいます
その曹操の後を継いだのは
息子の
葬儀ですこの息子の葬儀がくせ者でした
装皮は中国大陸における
禁断の一手を打ちます
俺が皇帝ですと
肯定を自称したのです
好転を自称するというのはこの時代の中国
大陸において
非常に大きな意味を持ちます最初の方でも
軽く触れましたが
皇帝というのは
本来中国大陸全土を統一した人物が名乗る
称号です
というのもこの三国志の時代よりももっと
前の中国大陸でいろんな勢力が戦争し
まくっていた時にそういった勢力を全部
倒して中国大陸を一つにまとめた人物がい
ました
いろいろな勢力のトップは
王という名前を名乗っていたのですが
そんな
王をすべて倒して中国大陸を統一した人物
が私はすべての王のトップに立つ存在
皇帝だと
初めて中国大陸で皇帝と名乗ったので
皇帝=
絶対的な中国大陸のトップという感じだっ
たのでした
ですが時代が進むと今まで見てきた通り
皇帝でも何でもない勢力が中国大陸を各々
納めているような状態で
肯定は引き継がれているにはいるんだけど
曹操のところで匿われていて
別に皇帝だからって実質的な力を持って
いるわけではないし
完全に
形だけ偉い人という感じになってしまって
いたのでしたですがこの
形だけ偉いというのが重要なポイントです
形だけ偉い工程を匿っている勢力という
ことで
曹操は
うまいこと多くの人をまとめていたのです
私は皇帝を匿っています今は中国大陸各地
でいろんなやつが暴れまわっているけど私
は皇帝と一緒にかつての缶の国を復興させ
ます
みたいな感じであの頃を取り戻そうよと
民衆に対して呼びかけることができるの
です
こう言われると
確かに中国大陸が一つにまとまっていた
菅野時代に戻りたいかもだったら神の皇帝
を匿っている曹操のところに力を貸そうか
なと思うわけです
なので
曹操は工程をうまく利用するような形で
自分たちの勢力をまとめるためにあえて
生かしていたのです
肯定といえば中国大陸1の権力者という
イメージも大衆の中に根強く残っているの
で
野心的な曹操には
俺も肯定になりたいという思いがあった
でしょうがそこをぐっとこらえて
自分は肯定を名乗らずにうまいこと勢力を
まとめていたのです
ですが
早々の息子総理は
早々の後をつぶやいなや皇帝に対して
皇帝の暗い譲ってくれやと持ちかけます
そう言われてしまうと
ずっと何の権力もなしに
創造勢力にかくまわれていただけの工程に
は
断るという選択肢はありません
装皮に言われるがまま
次の工程は
相違あなたですと
任命したのでした
これと同時に総費は
俺の国は義という国とすると宣言しました
葬儀としては
漢の国の復興とかいう気持ちは毛頭なくて
とにかく俺の国を作るという思いだったの
です
[音楽]
すると劉備は
曹丕が皇帝になったのを受けてこれに対抗
してそっちがそういうなら
俺も肯定ですという感じで
工程を名乗りましたというのも
劉備も劉備で
缶の国を復活させると
ずっと小和田家に主張して民衆を
まとめ上げていたのです
劉備としては
漢の皇帝は曹操に捕まってしまって困って
いる
早く救出してあげないという感じでこっち
もこっちで缶の工程を担ぎ出すことで
自分の勢力をうまくまとめていたのです
そんな時に
曹丕が工程から
次の工程の位を譲り受けたとあっては
漢の工程は
曹操の息子
曹丕を次の皇帝と認めたんじゃ
劉備が今まで散々俺が缶を取り戻すとか
言ってたのは何なんだよという雰囲気が
劉備陣営に流れてしまいます
なので劉備はあんなでっち上げの好転
なんて認めないと宣言し
実は俺だって
漢の皇帝の末裔の末裔の末裔みたいな感じ
で
缶の皇帝の血を引き継いでいたんだだから
私こそが次の皇帝なのです」と名乗り出し
ますこうして中国大陸の南西にも
皇帝が誕生してしまうのです
[音楽]
皇帝からの使命を受けたわけでも何でも
ないので
劉備の
俺が皇帝ですという宣言は
本当に劉備が言い出しただけなのですが
状況が状況なのでとにかく商品に引けを
取らないように
言い出しておくことが重要なのです
[音楽]
続けて劉備は
自分たちこそ
感ですと言い出します
中国大陸の南西地域をもともと食といった
ので
我々は職に移った
感食感ですと言い出しました
曹丕が義を名乗ったように
俺たちもショックという国だからと言い
出したのです
そうなると
みんな皇帝とか国とか言い出した
俺たちも黙っていられないということで
中国大陸の南東を治めていた孫権も
俺は皇帝ですと皇帝を名乗って
新たに5という国を作ったのです
[音楽]
本来工程というのは中国大陸全土を収めた
人物が
満を持して名乗る名称だったのですがその
文化を勝手にぶっ壊してどんどんみんな
工程を名乗り出して
自分たちの国の成立を宣言してくるという
混乱の時代に突入したのです
こうして中国大陸には3つの国が成立して
まさしく
三国時代になったのです
三国時代の歴史ということで
三国志というわけですね
その後は
各勢力の間で
少々の小競り合いはあったりしたのですが
大きく動きがあったのは
劉備が作った
食の国においてです
証拠を作った後劉備は病気で亡くなって
しまうのですがその後を引き継いだのは3
回使用対応して劉備の部下になったことで
おなじみの諸葛亮です
ここから諸葛亮は
義を何度も攻撃していきます
下に存在している義を討伐しに行くという
ことでこの職の義への攻撃を
北伐と呼びます
劉備は
蜀という国を立てるにあたって
不当に感を滅ぼした義を倒して
缶を復興するという対義名文を掲げてい
ました
なので
国として私たちこそが正当な判断だだから
義は滅ぼさなければならないというテーマ
があるので
義とは必ず戦わなくてはならないのです
そうしなければ
諸君の国民たちに対して
面子を保てませんなので
国をまとめるためにも
諸葛亮は銀に対しての攻撃
腹圧を行っていったのです
こうして勢いよと義に攻撃を仕掛けていた
わけですが
諸葛亮の部下が調子に乗って相手を深追い
しすぎてしまったり
食料や武器の輸送が思うようにいかなかっ
たりして
全然うまくいきませんでした
食分はこの時
険しい山を越えて議に攻め込んでいました
それも
場所によっては人がやっと一人通れるよう
な幅の
むき出しの崖の側面を歩いていくような
かなり過酷な山道でした
そうなると
山を越えて攻めていた兵士に対する食料や
武器の補給がなかなかスムーズには行え
ません
険しい山を越えて攻めていったはいいけど
戦いが長引くと
食料などの物資不足に陥って
全然軍として機能しなかったのです
そういった食軍の状態を疑惑しっかりと
把握していました
義としては
食分と直接戦わなくても
守りを固めて時間を稼げば
食後は食料が尽きて
撤退することになるだろうと考えていたの
です
険しい山を越えてやってきた軍を
足止めさえしておけば
勝手に自滅すると分かっていたので
義としては積極的に攻めていくことはせず
丁寧に棒線を行ったのですそんな
ギア相手に手こずっていると
職にとって最悪の事態が起こります
ずっと食の指揮を取っていた天才諸葛亮が
過労死してしまうのです
というのも諸葛亮は
確かに何事に関しても優秀だったのですが
それゆえに
自分以外の他の人には任せておれん何でも
自分でやってしまいたいという感じだった
のですこの時諸葛亮は
北伐をするにあたっての戦術の計画は
もちろん
戦場での軍の式
軍で違反をした人の裁判から処刑の執行
までそれに
軍人の採用昇進といった人事に関わること
さらには食の国の政治などありとあらゆる
仕事を一人で片付けていてかなりブラック
に働いていたのでした
当然忙しすぎて十分な食事や睡眠をとる
ことができておらず
過労死寸前だったのです
こういった状況も義としてはわかっていて
トップがあんなにてんてこまいになって
ブラックロードしてたらいつか過労死する
んじゃねと思っていたのです
いずれは所轄領が死んで大黒柱を失った
食後は
撤退することになるだろうと考えていたの
で
決して相手の人事に攻めていくことはせず
自分たちの人事を固めて
守りに徹したのでしたすると間もなく右側
の読み通り諸葛亮は過労死してしまうの
です
諸葛亮を失った職は
諸葛亮の後を継いだ人たちで運営されるの
ですが
肝心の食の二代目皇帝がそれほど優秀では
なかったこともあって
国内の意見がまとまらずに
うちは揉めが多発して
ゴタゴタしているうちに一気に火から攻め
られて結局降伏してしまいます
劉備によって作られた職は崩壊を迎えて
しまい中国大陸の南西
左下も魏の領土となったのです
義としては
赤壁の戦いで劉備と孫権の連合軍に負けて
からの雪辱をようやく果たせたぞという
ところですが
単純なお祭りムードにはなりませんでした
というのも今回のショップとの戦いで
活躍しすぎてしまった武将がいたのです
芝居という人物が今回の食堂の戦いで大
活躍したのですが
戦で活躍しすぎると
みんなの尊敬の対象となってしまって
逆に今の権力者から恨まれるというのは
古代中国史あるあるです
最初に見てきたように
曹操ももともとは炎症サイドとして戦って
いたのに
袁紹の下で活躍しすぎた後に独立して最終
的には炎症と戦っています
このように
古代中国においては
部下の大活躍を素直に喜ぶことはできない
のですこのままでは芝居が力を持ちすぎて
しまうかもしれないとさして
芝居を排除しようとする勢力もありました
ですが芝居は
自分が暗殺されそうになっていることを
察すると
逆に先手を打って
肯定誘拐計画を企ててしまいます
体調が悪いと言って寝込んだふりをして
相手を油断させてその直後にクーデターを
起こして
皇帝を確保して
法定あるあるの南京状態に持っていったの
です
こうなると
芝一族がさらなる権力を求めるためにやる
ことは一つです
義を建国した曹丕がやったように
法廷から位を譲り受けて
自らが皇帝になることです
この時の芝一族のトップは
芝居の孫にあたる
芝園でした
芝居はかつて双碑が漢の皇帝にあったよう
に
魏の皇帝の位を無理やり譲らせます
これを持って
曹操が基礎を作り
葬儀が建国した
義は終焉を迎えますそして
義の工程の位を引き継いだ芝居によって
新たに
真の国となったのです
前の工程の家系は滅びました
心機一転うまくやっていくぞという思いを
込めて国名も変えられてここからは
偽改め
新となるのです
こうして偽の国が職を滅ぼして信徒なり
残ったのは
右下の5だけになりました
しかしこうなると中国大陸の力の均衡が
崩れ5に対して圧倒的な力を持つシーンと
いうことで5は一気に
滅ぼされてしまいます
結局ゴモゴでこれまた古代中国車あるある
という感じで
内政が腐ってしまっていて
当時の工程
初代の孫権から数えて4代目の工程でした
がこの工程が
部下に無理やり酒を飲ませてそれで部下が
ベロベロに酔っ払ってちょっとでも失礼な
ことをしたら即処刑といった感じで
アルハラレベル100みたいなことをやっ
ていて
国の内製がうまくいっていませんでした
そんなやばい工程がトップだと国も
なかなか一つにまとまりませんそんな
国に税金を払うのはバカバカしいみたいな
感じで
国民が国に協力しなくなってくるのです
こうして5の国は内側から崩壊してしまい
圧倒的な力を持って攻めてきた真の国を前
にあっさりと崩壊してしまうのです
この後の国の滅亡を持って
義からできたシーンが
三国のトップに立ち
三国志は幕を下ろします
ですがこうして三国を滅ぼして残った
シーンも
芝居の死後40年くらいで
崩壊してしまいます
結局
次の真のトップを誰にするのかという後継
者争いで揉めてしまうのですが
後継者争いの時に
戦力として中国大陸の周りのところにいた
やばい民族をみんなどんどん引き入れて
戦ってまたしても中国大陸は戦乱のように
なって
真の支配も崩壊してしまうのです
今日は三国志解説しましたあの今回の動画
から
スーツを新調しました
SRテイラーさんという完全オーダー
メイドのお店で作っていただきました
ビジネスマンの方の営業できるスーツとか
あと結婚式用のめちゃめちゃかっこいい
スーツを作ってくださるので
気になる方は
概要欄に
インスタのアカウントを貼っておくので見
てみてください動画の内容については
もちろんですけどこの
新しいスーツについての意見もコメントで
教えてください最後にこの動画がいいと
思った方は高評価ボタンを押してください
ねではまた
[音楽]
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