足軽の戦場での生活がヤバすぎる!まさに生き地獄だった…

ガクの本棚
9 Jul 202414:02

Summary

TLDR室町時代中期から戦国時代にかけて、足軽が主戦力として活躍。彼らは名もなき戦士だったが、戦国大名に属し、自前の武器を備えた戦争のプロ。農民と誤解されるが、実際には農業と軍事を専門化した軍役集や名主が存在。戦場での生活は過酷で、食料や水の確保、治療の難しさ、乱暴ドリによる敵地略奪が唯一の楽しみ。江戸時代には足軽が武士身分に、制約も増やされたが、社会の安定に貢献した。

Takeaways

  • 🏰 室町時代中期から戦国時代にかけて、足軽は合戦の主戦力として重要な役割を果たしました。
  • 🌾 足軽と農民を同一視する通説は誤りで、戦国時代の足軽は専門的な戦闘員であり、自前の武器を準備していました。
  • 🔍 足軽の起源は大人の乱の前後までさかのぼり、京都へ逃れた不老人たちが足軽として雇われたと言われています。
  • 🛡️ 戦国時代の農民は農業専門と軍事を兼ね備える軍役農民に分かれており、それぞれに住み分けができています。
  • 🗓️ 戦国時代には農業と戦闘が共存し、大名は農業徴収と戦力の確保を両立させることができました。
  • 👥 足軽たちはリーダーの指導の下に集結し、武器や装備を持って戦場に赴きました。
  • 🍚 足軽たちは出陣時に3日分の食糧を自賛し、その後は配給された食料で生活していました。
  • 🚶 戦場への移動は徒歩で、険しい山を超えることもありました。空腹や疲れが原因で倒れることも珍しくありませんでした。
  • 💉 戦場での治療は民間療法に頼り、科学的根拠のない治療法が多く用いられていました。
  • 🏆 足軽が立てる手柄は上層の武士に属するため、個人の出世は困難でした。
  • 🛡️ 戦国時代の足軽は厳しい制約下で戦場生活を送り、唯一の楽しみは戦利品の略奪でした。

Q & A

  • 室町時代中期から戦国時代にかけて、主戦力となった足軽たちはどのような人々でしたか?

    -足軽たちは有名な戦国部将と違い、ほとんどが名もなき者たちでした。彼らは戦国時代の戦争のプロであり、自前の武器も準備していました。

  • 足軽と農兵は同じものだと思われがちですが、その認識は正しいですか?

    -通説では足軽は農民として働き、必要に応じて戦場へ駆り出されるとされていますが、これは大きな誤りでした。実際には戦国時代の足軽は農民ではなく、戦争のプロで自前の武器を準備していました。

  • 足軽の発生はいつ頃からですか?

    -足軽の発生は大人のランの前後まで遡りますが、天才や戦乱で地方を追われた不老人たちが京都へ逃れて足軽として雇われたとされています。

  • 戦国時代の足軽が農民であるという認識がなぜ誤りだったのですか?

    -戦国時代の足軽は農民ではなく、戦争のプロで自前の武器を準備していたため、忙しい農作業の時期にも出陣することができたのです。

  • 戦国時代の農民はどのようにして戦力を確保していたのですか?

    -戦国時代の農民は農業専門の百少集と農業と軍事を受け負う軍役集に分けられていたようです。それぞれに住み分けがあり、戦国大名や領主は年号を徴収しつつ戦力の確保もできました。

  • 足軽たちが戦場で生活を送る際に必要なものは何ですか?

    -足軽たちは戦場で生活を送る際には、刀や槍などの武器類、寝るためのむや石替えのわらじ、水筒などが必要です。また、出陣の際には持ち物チェックがあり、刀が錆びていると厳しく注意されました。

  • 足軽たちが戦場で食料を確保する方法には何がありますか?

    -足軽たちは戦場で食料を確保するために、3日分の食糧を自賛する必要がありました。食糧としては乾燥させた米や梅干し、押しみそなど保存性の高い食材が用いられました。

  • 足軽たちが戦場で水を得る方法には何がありますか?

    -足軽たちは戦場で水を得る方法として、井戸に毒やバクが投げ込まれている可能性があるため、簡単に飲むことはできませんでした。代わりに雨水を貯めるか、水溜まりの泥水を飲むしかありませんでした。

  • 足軽たちが戦場で傷を負った際の治療法には何がありますか?

    -足軽たちが戦場で傷を負った際の治療法には、刀傷には小便をかければ良い、内出血には馬糞を水で伸ばしたものを飲ませれば良いなど、科学的根拠のない素人的な治療法が用いられました。

  • 足軽たちが戦場で手柄を立てると出世できたのでしょうか?

    -足軽たちが戦場で手柄を立てても、出世できたとは限りませんでした。足軽には役割が決まっており、個人で先行を立てるスタンドプレイは許されず、手柄は率いる名手のものとなっていました。

  • 戦国時代の足軽たちが唯一の楽しみとして行っていた行為は何ですか?

    -戦国時代の足軽たちが唯一の楽しみとして行っていた行為は、敵地へ乗り込んで作物や火を奪い、女子供をさって売り飛ばすと呼ばれる「乱暴ドリ」でした。

  • 江戸時代に入ると、足軽たちはどのようになりましたか?

    -江戸時代に入ると、足軽たちは武士身分になりましたが、様々な制約がかけられました。例えば外出する際は下駄ではなく造りを履かなければならず、袴を履いてはいけませんでした。給与も1年間に米20票ほどで、現代の貨幣価値に直せば150万円ほどでした。

  • 江戸時代の足軽たちはどのようにして生活を維持しましたか?

    -江戸時代の足軽たちは、組屋敷という邸宅が与えられていたり、一部は商人からのシレもありました。それでも厳しい制限があり、生活は庶民と変わらないものでした。

  • 戦国時代の足軽たちが同心と呼ばれる理由は何ですか?

    -戦国時代の足軽たちが同心と呼ばれる理由は、戦いの際心を1つにして戦うという意味であり、徳川家康がいた川では同心と呼ばれており、それが幕府へ引き継がれたと言われています。

Outlines

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🛡️ 足軽の実態と戦国時代の誤解

戦国時代、足軽が農民として働きながら戦場へ駆り出すという通説は誤解だった。足軽は戦争のプロで、自前の武器も備えていた。室町時代中期から戦国時代にかけて、足軽は合戦の主戦力として重要な役割を果たしていた。しかし、彼らは名もなき者たちであり、有名な戦国部将とは違いました。足軽たちが農民だったという認識は、実際には戦国時代の農民が農業専門と軍事を兼ねる2つのカテゴリーに分けられていたことを示唆している。また、戦国時代の戦いは農忙期にも起こっており、農民が戦場に出ていることについても触れています。

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🏹 足軽たちの過酷な戦場生活

足軽たちの戦場生活は非常に過酷であり、食料や水の確保、そして戦場で負傷した時の治療法が非常に原始的で厳しい状況だった。彼らは自らの食料を携帯し、戦場での移動は徒歩で行われ、食料は保存性の高いものばかりで、戦場での食いつきも大変だった。また、戦場で負傷した場合の治療法も民間療法に頼り、科学的根拠はない。矢の取り外しも危険であり、感染症のリスクが高かった。足軽たちは軍勢の中で決められた位置に配置され、勝手に行動することはできず、軍旗違反と厳しい処分を受ける可能性があった。

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🏛️ 江戸時代における足軽の身分変化

江戸時代には足軽たちの身分に大きな変化があった。秀吉の能分離政策により、武子階級と他の階級との身分が分離され、足軽は農村で働くことなく大名に直接使われるようになった。しかし、武士になることも選べ、村に残ることも可能だった。江戸時代の足軽たちは、外出時の服装など様々な制約に直面し、給与も低く、生活は厳しいものだった。一方で、同心と呼ばれる足軽たちは、組屋敷が与えられ、一部は商人からの支援もあり、裕福な生活をしていた。

Mindmap

Keywords

💡足軽

足軽は室町時代中期から戦国時代にかけて主戦力となった歩兵です。彼らは農民出身の兵士であると長らく誤解されていましたが、実際には戦国大名に仕える戦争のプロでした。戦場で重要な役割を果たし、自前の武器を持っていましたが、その生活は非常に過酷で、戦場での待遇も劣悪でした。

💡戦国時代

戦国時代は、日本の歴史において1467年から1615年まで続いた内戦の時代です。この時期、各地の大名が権力を争い、多くの戦闘が行われました。足軽たちはこの時代の主要な戦力として活躍し、その厳しい生活が動画で詳述されています。

💡農兵

農兵とは普段は農民として働き、戦時には兵士として戦う人々を指します。戦国時代の足軽が農兵であるという認識は誤りであり、実際には農業と軍事を分けて専門にする者たちがいました。

💡軍役集

軍役集は農業と軍事の両方を担当する農民たちのグループを指します。戦国時代にはこのような軍役集が存在し、彼らが戦力として動員されることで合戦が可能になっていました。

💡戦場生活

戦場生活とは、戦場で過ごす日々のことを指し、足軽たちにとって非常に過酷なものでした。食料や水の確保が困難で、負傷しても適切な治療を受けられないことが多く、厳しい環境の中で生き延びるためのサバイバル技術が求められました。

💡乱暴ドリ

乱暴ドリとは、戦場での略奪行為を指します。足軽たちにとって、戦場での唯一の楽しみがこの略奪行為であり、作物や家畜を奪い、女子供を売り飛ばすことが黙認されていました。

💡能分離

能分離とは、豊臣秀吉が全国各地で促進した、武士階級とそれ以外の階級を分離する政策です。これにより、足軽たちは農業に従事せず大名に直接仕えるようになり、武士としての身分を確立しました。

💡同心

同心とは、足軽と同じ身分の武士で、江戸幕府では足軽を同心と呼んでいました。彼らは事件の操作や聞き込み、支柱警備などを担当し、庶民とほとんど変わらない生活を送っていました。

💡百姓集

百姓集は農業専門の農民たちのグループを指します。戦国時代には、農業に専念する百姓集と、農業と軍事を兼業する軍役集が存在し、農業に従事する者と戦いに従事する者が区別されていました。

💡豊臣秀吉

豊臣秀吉は、戦国時代の末期に日本を統一した武将です。彼の政策により足軽たちは武士としての身分を確立し、農業から解放されました。秀吉の政策は、戦国時代の社会構造に大きな影響を与えました。

Highlights

足軽は戦国時代の主戦力であり、有名な戦国部将と違い、ほとんど名もなき者たちでした。

足軽と農兵は異なる存在で、足軽は戦国大名に属する戦争のプロで自前の武器を準備していました。

足軽が農民であるという通説は誤りで、戦国時代の足軽は戦場で警戒や勝敗に重要な役割を果たしていました。

足軽の発生は大人の乱の前後まで遡り、不老人たちが京都へ逃れて足軽として雇われたとされています。

戦国時代の農民は農業専門の百少集と軍事を受け負う軍役集に分けられていました。

足軽は農民ではなく、戦場で活躍したプロフェッショナルであり、戦国大名の戦力として重要な役割を果たしていました。

戦国時代の足軽は、農業と軍事を兼ね備えていたわけではなく、専門的な戦闘集団として活動していました。

足軽たちは戦場での生活は過酷で、食料の確保や水の入手が非常に困難でした。

足軽たちは戦場で負傷した場合、科学的根拠のない民間療法を使って治療を試みていました。

足軽たちは戦場での手柄は上層の名手のものとなり、個人の出世は困難でした。

足軽たちにとって唯一の楽しみは戦場での乱暴ドリと呼ばれる略奪行為でした。

江戸時代になると、足軽たちは武士身分になれましたが、厳しい制約と低所得で生活していました。

能分離政策により、足軽たちは農村での働くことなく大名に直接使えるようになりました。

足軽たちが武士になった江戸時代には、同心と呼ばれる新たに生み出された階級が存在していました。

戦国時代の足軽たちは、厳しい戦場生活を強いられ、乱暴ドリが唯一の楽しみでした。

江戸時代の足軽たちは、武士身分となりましたが、生活は依然として厳しく、身分の格差がありました。

Transcripts

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室町時代中期から戦国時代にかけて合戦の

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主戦力となったのが足軽です読んで地の

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ごとく戦場を警戒に走り回り戦の勝敗に

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おいて重要な役割を果たした足軽たち

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そんな彼らは有名な戦国部将と違い

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ほとんどは名もなき者たちでした一体

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どんな日々を暮らし何を楽しみに生きてい

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たのでしょうか今回の動画では足軽の実態

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について迫ってみたいと思います足軽

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イコール農兵というのは間違いだった戦国

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時代の足軽と言えば普段は農民として働き

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活線がある時に戦場へ駆り出すというのを

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想像しませんがしかしながら果たしてその

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認識は本当に合っているのでしょうか実は

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これまで語られてきた通説は大きな誤り

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だったのですちなみに足軽の発生は大人の

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ランの前後まで遡りますが天才や戦乱で

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地方を追われた不老人たちが京都へ逃れ

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そこで足軽として雇われています細川は

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勝本が率いる東軍も山田蒼然が壮大の正軍

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も相手を圧倒したいがゆに戦力として不老

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人に目をつけたわけですしかし戦国時代の

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足軽は全く異なります実際は戦国大名に

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属する戦争のプロであり自前の武器も

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ちゃんと準備していましたもし足軽が農民

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だったならそもそも工作が忙しい脳半期に

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出陣するなどありえません実は武田信玄も

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上杉剣身もあのモ元なりだって季節に

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関わらず活線に及んでいます例えば武田と

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上杉の激戦となった第4次川中島の戦いが

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起こったのはイカで最も忙しい10月

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そしてモ元成が運を切り開いた島の戦いも

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同じく10月ですさらにオハの戦いは6月

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ですからいずれも田上やイカにあたるノ

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半期に活線が起こっていましたそれなのに

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足軽がいたというのは一体どういうこと

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でしょうか実は戦国時代の農民というのは

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2つのカテゴリーに分けられていたよう

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ですまず農業専門の百少集そして農業と

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軍事を受け負う軍役臭がいてそれぞれに

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きちんと住み分けができていましたただし

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農民が自前の高を持っているわけではなく

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広い土地を持つ名手がいてほとんどの人々

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は明主の元で農業に従事する下人という

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存在でした戦国時代に戦いが日常左半事に

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なるとある名手は年を多く納める代わりに

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徴兵を免除してもらう百少臭を率いるよう

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になりまた別の名手は足軽を多く出すので

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年を減免してもらうという名目で軍役集の

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頭領となりました同じ農民層の中で農業に

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専念するものと戦いに専念するものが現れ

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たことで戦国大名や領主相は年号を

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きちんと徴収しつつ戦力の確保もできる

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ようになったのですこの説に反発する人は

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きっとこのように言うでしょうじゃあ長男

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が残って田上にせを出し次男3難が戦場へ

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出たんじゃないのと確かにそう考えるのは

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不思議ではありませんよね通説では農家の

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長男だけが家を継ぐ権利がああり次男三男

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は仕方なく足軽になったとされますが

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そもそも農民たちが下人である以上相続

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する土地はありませんし家を守るという

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概念すら薄いものですそれは武家の考えで

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あり一般農民には当てはまりませんでした

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つまり脳半期にも関わらず合戦が起こった

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理由は軍役州たちを動員できたからに他

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なりませんもちろん軍役州も農業に従事し

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ていたと考えられますが日頃から出陣する

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機会が多いことで戦いのプロでもあったの

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でしょう

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悲惨すぎる足軽たちの過酷な戦場生活とは

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ここからは足軽たちの戦場での暮らしを見

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ていきましょうまず出陣する際には明主

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本人または血縁者がリーダーとなり配下の

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下人つまり足軽たちを引き連れます例えば

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土佐の長そ氏ですと一両不足と呼ばれる

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地侍がいて出陣の命令と共に集合場所へ

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駆けつけましたそんな足たちが自賛する

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ものといえば刀や槍といった武器類寝る

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ためのむや石替えのわらじや水筒などです

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戦国時代の農民は日常的に刀を腰にさして

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おり武器の扱いなど手のものでしたただし

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出陣の際には持ち物チェックが行われた

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ようでもし刀が錆びていると厳しく注意さ

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れそれまで磨いていたと言いますとはいえ

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足軽が身につつける童丸などの鎧は効果な

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もの自賛できないものも多かったそうです

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そんな時は領主がいる城の倉庫から鎧を

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貸し出していましたこうして軍勢が出陣し

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ていきますがあらかじめ約3日分の表KA

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を自賛する必要がありました無した米を

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乾燥させた星や梅干押しみそなどこれらは

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保存性が高い食材だったようです高群4日

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目あたりにようやく表girが支給され

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ますからそれまで携帯食で食いつなぐしか

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ありませんもちろん戦場までの移動は徒歩

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ですから険しい山を超えることも度々あり

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ましたもしお腹が空いたまま参道を歩いて

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しまうと体が動かなくなることがあります

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これは体内の血糖値が下がってしまう現象

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で仮に体調を悪くし歩けなくなっても誰も

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助けてはくれません放置されることが

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当たり前だったんです軍勢が山を超える際

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に命を落とした足軽の泣きがを見ることは

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別に珍しくなかったそうです当時の人々は

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これをガキつきと呼びガキに取り憑かれた

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のだと恐怖したそうですまた戦場へ到着し

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ても安心はできません評論を運ぶ輸送部隊

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が追いつかないあるいは敵に襲われて壊滅

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した場合などは目も当てられ悲惨な状況と

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なりましたちなみに江戸時代に書かれた

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足軽マニュアル本増強物語には食料確保の

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方法が記されていますもし敵地に入った

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なら目につく限りのものは何でも拾え松の

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川なら水にさらし痒にして食べれば良い

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大雨の時表袋を水に浸しておけすると目が

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出るから早や根と共に食べるのが良い一種

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のサバイバル教本のようですが食料の確保

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はそれだけ難しかったんですただしもっと

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厳しかったのが水を得ることでした適地

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ですと井戸に毒やバフが投げ込まれている

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可能性があり簡単に飲むことはできません

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近くに青龍があれば問題ありませんがそう

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でない場合は雨水を貯めるか水溜まりの

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泥水を飲むしかありませんでしたさらに

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悲惨だったのが戦場で傷を追うことでした

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戦場には傷を手当てする外界がいましたが

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身分が低い足軽など相手すらしてくれませ

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ん仕方なく民間療法を使って直そうとする

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んですがそれは科学的根拠も何もない素人

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治療に過ぎません刀傷には小便をかければ

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いいとか内出血には馬糞を水で伸ばした

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ものを飲ませればいいとか逆効果としか

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思えない治療法ばかりでしたさらに矢が

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刺さると悲惨そのものです矢には返しが

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ついていますから自分で引き抜こうとして

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も到底不可能でしたそこで仲間たちが負傷

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者の体を押さえつけ力任せに引き抜いたと

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言いますまさに地獄のような激痛だった

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ことでしょうこれでは傷口からバイ菌が

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入り感染症を起こすリスクもありそうです

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が現代ではとても考えられない処置が平然

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と行われていたのです身分の低い足軽は

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手柄を立てることができなかった戦場の

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主役として活躍した足軽ですが手柄を

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立てると出世できたのでしょうか答えは

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ノーですそもそも足軽には役割が決まって

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おり個人で先行を立てるなんてスタンド

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プレイは許されれませんそれはなぜかと

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言うとまず軍勢の基本は備えという舞台

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編成にあったからですやりたいやみたい

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などがそうですよね足軽は決められた素に

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配置され舞台長の指示の元で動くしかあり

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ませんもちろん勝手な行動など許されず

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しっかり持ち場を守ることが大事でした

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しかし目の前に敵がいてなんとか打ち取り

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そうだと思った時勝手に持ち場を離れれば

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それは軍旗違反とみなされます厳しい処分

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を受けても文句は言えませんでしたまた

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足軽が戦うエリアは主に最前線ですそんな

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ところに身分の高い武将がいるはずもなく

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仮に適性がとしてもそこへたどり着くのは

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大変なことでしたただし敵軍が総崩れと

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なっている時は話が変わりますこの場合

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追撃する側が圧倒的に有利でもしかすると

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怪我をして弱っている武将がいるかもしれ

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ません運よく打ち取ることができれば

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やっと手柄は自分のものとはならないそう

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です今でもよく言いますよね部下の手柄は

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上司のものつまり足軽の手柄は彼らを

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率いる名手のものとなってしまうんです

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歴史をひもといても低い身分から出世した

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武将などほとんどいませんだったら秀吉は

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どうなのという声も聞こえてきそうですが

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実は秀押って意外と高い身分からキャリア

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をスタートさせたという説もありますだっ

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て小田信長に使えてから10年ちょっとで

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京都武行に就任していますからそれなりの

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知識と共用がなければ勤まりませんどう

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転んでも足軽あがりがつつける食ではない

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のです足軽たちが楽しみにしていたランボ

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ドリとは女っ気もなく過酷な戦場生活を

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送る足軽にとってで唯一の楽しみがあり

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ました最大のご褒美として黙認されていた

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のがいわゆる乱暴ドリと呼ばれる略奪行為

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ですこれは敵地へ乗り込んで作物や火を

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奪いさらに女子供をさって売り飛ばすと

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いうものまだ道徳やモラルが見張ったつ

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だった時代において当たり前のように行わ

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れた不当行為でしたそもそも戦国ラセは

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武士だけでなく良民レベルで争いが耐え

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なかった時代ですより多くの水を得ようと

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推理権を奪い合ったりあるいは木材資源を

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求めて三輪権を争いましたもちろん村落

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同士でトラブルになることも多くお互いに

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血を見ることも珍しくなかったそうですだ

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から農民にとって武装することが当たり前

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であり日常的に戦い慣れしていたの

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でしょうそんな感じですから他人から物を

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奪うなどへとも思っていませんランセは力

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こそが全てであり弱いものが悪いこれが

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当たり前だったんですまた収穫前の稲を

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刈り取ることは敵の食料事情にダメージを

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与えると同時に味方の食料支援につながり

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ますこれを借りたと言いむしろ積極的に

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奨励されたと言いますただし被害を受けた

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方は悲惨ですもちろん被害が保証される

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ことはなく泣き入りするしかありません

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現代の価値観から見れば起動のように感じ

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ますが当時はそうも言っていられない事情

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もあったようですもし乱暴ドリを禁じるば

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何の楽しみもない足軽たちはやる気を

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なくし式は大きく下がってしまうでしょう

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また足軽たちに起業や褒美を与えることは

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ありませんから何らかの形で特権を保証

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する必要がありましたそれが乱暴ドリだっ

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たわけですただし信長や秀吉が派遣を握る

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ようになると乱暴ドリを禁じるケースが

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増えていきましたなぜなら地域のインフラ

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を破壊したり住民の生活を破綻させて

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しまうとせっかく手に入れた土地の復興が

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望めなくなるからです頻繁に金星を出す

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ことで乱暴ドリを未然に防ぐしかなかった

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のでしょう足軽たちが武士になった江戸

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時代豊秀吉がになると全国各地で能分離が

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促進されていきました能分離とは武子階級

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とそれ以外の階級との身分を分離すると

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いう意味です秀吉は対抗検地や刀がりを

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命じる一方で高で工作しないものは農村

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から排除するという方針を固めました従来

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まで農業と軍役を兼業していた足軽ですが

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今後は農村で働くことなく大名に直接

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使えるようお達しが出たんですただし強制

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ではありません武士になって戦うもよし村

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に残って農業に専念しても構わないといっ

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た感じでしょうかもちろん農村に残るもの

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もいたでしょうしあるいは新規一点浄化町

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への移住を決意したものもいたでしょう

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ただし無視になったとはいえ足軽ですから

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最も下の身分ですそして江戸時代になると

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足軽には様々な制約がかせられます対等

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こそ許されますが外出する際は下駄では

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なく造りを履かなくてはならないとか袴を

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履いてはいけないなど厳しい制限があり

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ました1年間の給与ば米20票ほどで現代

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の貨幣価値に直せば150万円ほどでした

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地方では庶民と変わらない足軽長屋に住み

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日々の暮らしは失そそのもの初犯では足軽

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身分の武士がたくさんいたのですがエド

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バック府の場合は足軽と言わずに同心と

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呼びました実は戦国時代足軽のことを同心

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と呼ぶことがありこれは戦いの際心を1つ

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にして戦うという意味がありますおそらく

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徳川家康がいた川では同心と呼ばれており

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それが幕府へ引き継がれたのでしょう

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ちなみに同心といえばよく時代劇などで耳

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にするワードですがこれは武行所に務める

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お役人のことで事件の操作や聞き込み支柱

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警備などにあたる役職ですもちろん武士は

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武士でも足軽身分ですから武行所の中で

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1番下っぱになりますそのみを見れば袴で

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はなく着流し姿しかも下駄ではなく造りを

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履いていることに気づくでしょうつまり

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庶民と変わらない服装をしていたのです

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ただし江戸で暮らす同心たちには組屋敷と

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いう邸宅が与えられていてその点では優遇

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されていましたまた一部の同心は商人から

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のシレもあったらしくそれなりに裕福だっ

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たようです我が家は三河いいの徳川に

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使える直信であったと偉そうにしていても

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実のところ戦国時代はただの足軽だった

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それが現実だったのでしょう戦国乱世は

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実力の時代とされていますがやはり厳しい

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身分格差もありました1回の足軽が出世

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できる可能性はなくそこには戦国ドリーム

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もサクセスストーリーもありません厳しい

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戦場生活を強いられ楽しみと言えば略奪

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しかないなんてお先真っ暗もいいところ

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ですしかし近世になると彼らは取り立て

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られ江戸時代になってようやく武士身分に

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なりました長く大平の世が続いたのは

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そんな足軽の働きがあったおかげかもしれ

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ません今回の内容は以上ですいつもご視聴

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いただきありがとうございますよかったら

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高評価やチャンネル登録で応援のほど

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よろしくお願いしますそれでは良い1日を

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