【ダヴィンチ①】万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ!絵画全13作品を徹底解剖【偉人伝】
Summary
TLDR视频剧本深入探讨了莱昂纳多·达·芬奇,这位从15世纪意大利文艺复兴时期至今一直被誉为绝对天才的多面艺术家。剧本提到达·芬奇不仅在绘画上技艺超群,还在解剖学、航空力学、天文学、建筑学和军事等领域有着深入研究和贡献。尽管他以完美主义者著称,导致其传世作品仅有13幅,但每一幅都展现了他超前的艺术理念和对细节的极致追求。视频还提到了达·芬奇的个人生活,包括他的出生背景和在不同城市的艺术生涯,以及他晚年作为军事顾问和建筑家等多重身份的转变。
Takeaways
- 😲 预想以上了不起的人: 莱昂纳多·达·芬奇被称为天才,不仅仅因为他的绘画技艺,而是他在多个领域的杰出成就。
- 🎨 除了画画: 达·芬奇不仅仅是一个画家,他在解剖学、航空力学、天文学、建筑学和军事等方面都有卓越的贡献。
- 📜 自学成才: 尽管达·芬奇没有接受过正规教育,他通过自学成为了多领域的专家,这点尤为令人钦佩。
- 🌟 时代背景: 达·芬奇生活在15世纪的意大利文艺复兴时期,这一时期强调古代文化的复兴和科学的进步。
- 🏰 启蒙运动的象征: 达·芬奇被称为“文艺复兴万能天才”,他不仅影响了艺术界,还对科学和技术的发展起到了推动作用。
- 🖌️ 完美主义者: 达·芬奇极端追求完美,导致他的作品数量相对较少,但每一件都极为精致。
- 📝 大量笔记: 他留下了大量笔记,内容涵盖各种学科,这些笔记在后世被发现,揭示了他许多未公开的发明和发现。
- 🌍 名字的由来: “达·芬奇”意为“来自芬奇村”,他的正式名称应该是莱昂纳多。
- 👑 达·芬奇的资助者: 他受到了包括米兰公在内的多位贵族的支持,这使得他的艺术和科学研究得以持续进行。
- 🖼️ 作品数量: 尽管达·芬奇只留下了13幅公认的画作,但每一幅都展示了他的创新和技艺,如《蒙娜丽莎》和《最后的晚餐》。
Q & A
莱昂纳多·达·芬奇为何被誉为'万能的天才'?
-莱昂纳多·达·芬奇不仅在绘画上有卓越的才能,还在解剖学、航空力学、天文学、建筑学以及军事等多个领域都有深入的研究和贡献,因此被誉为'万能的天才'。
为什么说达·芬奇的成就超越了他的时代?
-达·芬奇的成就超越了他的时代,因为他在科学和艺术领域的探索和发现,很多都超越了当时的知识和技术,甚至有些理念和发明在后世才被广泛认可和应用。
达·芬奇的《蒙娜丽莎》为什么如此著名?
-《蒙娜丽莎》之所以著名,不仅因为其精湛的绘画技艺和神秘的微笑,还因为达·芬奇在这幅画中运用了空气远近法等创新技术,展现了他对细节和现实主义的极致追求。
达·芬奇的《最后的晚餐》描绘了什么场景?
-《最后的晚餐》描绘了耶稣与十二门徒共进最后一餐的场景,是基督教文化中非常重要的一幕,这幅画以其精细的人物刻画和深刻的情感表达而闻名。
达·芬奇的创作数量为什么相对较少?
-达·芬奇的创作数量较少,主要是因为他是一个完美主义者,对自己的作品要求极高,很多作品他都不满意而放弃,只留下了少量他认为达到标准的杰作。
达·芬奇在哪个时期被认为是绝对天才的?
-达·芬奇从生前到死后,长达500年的时间里,一直被认为是绝对天才,这种评价在古今东西方都是一致的。
达·芬奇的《受胎告知》描绘了什么宗教故事?
-《受胎告知》描绘了天使加百列向圣母玛利亚宣告她将怀孕生子的宗教故事,这是基督教中关于耶稣诞生的重要场景。
达·芬奇是如何自学成才的?
-达·芬奇没有接受过正规教育,他的知识和技能主要是通过自学获得的。他通过观察、实验和不断的实践,积累了大量的知识和技能。
达·芬奇与米开朗基罗和拉斐尔并称为什么?
-达·芬奇、米开朗基罗和拉斐尔并称为文艺复兴时期的'三大巨匠',他们在艺术上的成就对后世产生了深远的影响。
达·芬奇的《蒙娜丽莎》和《最后的晚餐》在艺术史上的地位是什么?
-《蒙娜丽莎》和《最后的晚餐》都是艺术史上的杰作,它们不仅展示了达·芬奇卓越的绘画技艺,也体现了他在人物表情、情感刻画以及空间构图上的创新和探索。
达·芬奇的作品中,为什么只有13件油画作品流传下来?
-达·芬奇的油画作品之所以只有13件流传下来,主要是因为他是一个完美主义者,对自己的作品要求极高,很多作品在创作过程中被他放弃或毁掉,只有少数作品达到了他的标准。
达·芬奇的《受胎告知》在艺术表现上有哪些创新之处?
-《受胎告知》在艺术表现上的创新之处包括使用了当时新颖的油画材料,以及在天使的翅膀上放弃了传统的彩虹色,改用更符合现实的鸟类羽毛的描绘方式。
达·芬奇在创作《蒙娜丽莎》时,对女性表情的刻画有哪些特点?
-在创作《蒙娜丽莎》时,达·芬奇对女性表情的刻画非常细腻,他通过长时间的观察和实践,使得蒙娜丽莎的微笑显得既神秘又自然,展现了他对女性情感和心理的深刻理解。
达·芬奇在艺术创作中如何体现他的科学精神?
-达·芬奇在艺术创作中体现他的科学精神主要通过精确的细节描绘和对现实世界的深入观察。例如,在《受胎告知》中,他对天使翅膀的描绘摒弃了神话色彩,转而采用更符合生物学的鸟类羽毛,以及在风景描绘中运用空气远近法,增强了画面的立体感和真实感。
达·芬奇的《最后的晚餐》在艺术表现上有哪些特点?
-《最后的晚餐》在艺术表现上的特点包括对人物表情和姿态的精细刻画,以及使用空气远近法增强画面的深度感。此外,达·芬奇在这幅画中还巧妙地运用了光线和色彩,使得整个场景显得生动而富有戏剧性。
达·芬奇的创作生涯中,有哪些因素影响了他的作品数量?
-达·芬奇的创作生涯中,影响他作品数量的因素主要有他的完美主义倾向,对作品的严格要求导致很多作品未能完成;此外,他的多领域兴趣和广泛研究也分散了他的创作精力,使得他无法专注于绘画创作。
达·芬奇的《受胎告知》中,天使加百列的翅膀为什么采用了鸟类羽毛的设计?
-在《受胎告知》中,达·芬奇采用了鸟类羽毛的设计来描绘天使加百列的翅膀,这是他尝试将科学精神融入艺术创作的表现。他认为,尽管天使是非物质的存在,但在视觉上,使用鸟类的羽毛比传统的彩虹色更能体现飞翔的自然状态。
达·芬奇的《蒙娜丽莎》中,蒙娜丽莎的微笑为何如此著名?
-蒙娜丽莎的微笑之所以著名,是因为达·芬奇在这幅画中巧妙地运用了光影和色彩,使得蒙娜丽莎的微笑显得既神秘又自然,给人以无限的遐想空间。这种微笑的刻画技巧,体现了达·芬奇对人物情感和心理的深刻理解和精湛技艺。
Outlines
😲 达芬奇:超越时代的天才
中田敦彦介绍了莱昂纳多·达·芬奇,一个无论生前还是死后都被誉为绝对天才的伟人。达芬奇不仅在艺术上有所成就,还在解剖学、航空力学、天文学、建筑学和军事等领域展现了他的多才多艺。他的作品如《蒙娜丽莎》广为人知,但他的天才远不止于此。达芬奇的成就跨越了五个世纪,至今仍被全世界认可。
📚 达芬奇的自学之路与艺术生涯
达芬奇没有接受过正规教育,但他通过自学成为了一个多才多艺的天才。他在14岁时加入了著名艺术家韦罗基奥的工作室,很快就展现出了他的艺术天赋。达芬奇的早期作品《基督的洗礼》显示了他的才华,甚至让韦罗基奥决定不再绘画。达芬奇的成就并非来自贵族教育,而是他自己的不懈努力和探索。
🎨 达芬奇与文艺复兴时期的艺术创新
达芬奇在文艺复兴时期成为了一个标志性的人物,他不仅在艺术上有所创新,还在科学和哲学上有所贡献。他加入了洛伦佐·德·美第奇的柏拉图学院,与众多杰出人物交流思想。达芬奇的作品,如《维纳斯的诞生》,体现了文艺复兴时期对古希腊文化的复兴和对自然的真实描绘。
🤔 达芬奇的完美主义与创作挑战
达芬奇以其完美主义而闻名,这使他在创作过程中面临了巨大的挑战。他追求完美的科学精神导致他的作品数量有限,因为他不愿意发布任何未达到他高标准的作品。这种态度虽然使他在艺术界的地位受到影响,但也成就了他作品的独特性和深远影响。
🌏 达芬奇的晚年与多样的职业生涯
达芬奇的晚年并不专注于绘画,而是涉足了国家顾问、军事顾问、建筑师和戏剧导演等多个领域。尽管他的绘画作品数量有限,但他在其他领域的贡献同样显著。达芬奇的晚年在法国度过,受到了法国国王的赏识,并在法国去世。
🎨 达芬奇绘画作品的珍稀与价值
达芬奇的绘画作品极为稀少,仅有13幅作品流传下来。这些作品不仅展现了他的艺术才华,还反映了他的成长和奋斗历程。尽管数量有限,但每一幅作品都是艺术史上的瑰宝。《Pen BOOKS》一书详细介绍了达芬奇的这些作品,让读者能够深入了解这位伟大艺术家的创作世界。
📖 达芬奇的学术追求与创作实践
达芬奇对学术的追求体现在他的创作实践中。他不仅购买了大量的书籍来丰富自己的知识,还将科学和现实主义融入到他的艺术作品中。例如,在《受胎告知》中,他采用了新的油画技术,并注重细节的描绘,如天使的羽毛和背景的风景。这些创新不仅展现了达芬奇的艺术才华,也反映了他对科学的尊重和追求。
Mindmap
Keywords
💡レオナルド・ダ・ヴィンチ
💡ルネッサンス
💡完璧主義者
💡モナリザ
💡受胎告知
💡空気遠近法
💡プラトンアカデミー
💡チェーザレ・ボルジア
💡科学マインド
💡油絵
Highlights
莱昂纳多·达·芬奇被公认为历史上的绝对天才,无论是生前还是死后。
达·芬奇不仅绘画技艺高超,还在解剖学、航空力学、天文学、建筑学和军事等领域有深入研究。
达·芬奇的成就不仅限于艺术领域,他的多才多艺使他成为文艺复兴时期的代表人物。
达·芬奇的天才地位在东西方历史上都得到了认可,持续了约500年。
达·芬奇的成就包括在科学和艺术上的创新,例如在解剖学上的贡献。
达·芬奇的创新方法包括使用油彩进行绘画,这在当时是一项新技术。
达·芬奇的《受胎告知》被认为是他的实际出道作品,展示了他在绘画上的新颖之处。
达·芬奇在《受胎告知》中使用了空气透视法,增加了画面的立体感和深度。
达·芬奇在描绘天使时,摒弃了传统的彩虹色翅膀,转而采用更科学的鸟类羽毛设计。
达·芬奇的创作过程体现了他的完美主义,他不断追求作品的完美。
达·芬奇的《蒙娜丽莎》是他完美主义追求的顶峰之作,展现了他对女性描绘的深入理解。
达·芬奇的作品数量有限,只有13幅,这反映了他作为完美主义者的创作态度。
达·芬奇的创作生涯中,他的作品受到了贵族和教会的赞助。
达·芬奇在米兰时期,技术得到了显著提升,并创作了多幅重要作品。
达·芬奇晚年在法国受到国王的青睐,获得了住所,并在那里去世。
达·芬奇的创新方法和理论贡献对后世产生了深远影响,尤其是在艺术和科学领域。
达·芬奇的个人生活和教育背景,以及他如何通过自学成为万能天才的故事,激励了无数人。
达·芬奇的《最后的晚餐》是他最著名的作品之一,展示了他在构图和透视技巧上的精湛技艺。
Transcripts
予想以上にすごい人です ただ絵が上手い人ではない
生きてる時から
死んでそれからもずーっと
間違いない天才と言われているのが このレオナルド・ダ・ヴィンチなんですよ
13点しかないわけですから 全部 知ってるよ
レオナルドについてだったら もうお任せくださいと いう風に言えるように今日なります!
どうも! 中田敦彦です! さあ今日も早速参りましょう
エクストリーム偉人伝! レオナルド・ダ・ヴィンチ編
万能の天才!
ありがとうございます
さあ やって参りました レオナルド・ダ・ヴィンチ
その名を知らない人はいない 偉人でございますよね
ダ・ビンチ映画にもなりましたよね 『ダ・ヴィンチコード』とか言ってね
レオナルド・ダ・ヴィンチと言えば
『モナ・リザ』ね それは知ってますよ
でも どういう人? 何がすごかったの?
モナリザ? えっ うん
ルーブル......美術 か......ん
「いつか見たいですね」 で終わってると思うんですよ
でもね めっちゃくちゃ 面白い人なんで すよ この人
本当にね あの色んな偉人がいますよ 歴史上ね
偉人が居ます!でもね
存命中から死後 ずーーっとね
その評価が変わらない
ずっと高い評価っていう人って 珍しいんですって
生前は高い評価だったけれども
死んだ後では あいつ本当は酷い奴でさー
っていう暴君というね 風に歴史に名を残す人もいるし
逆に 生前は認められなかったけども 死後 ようやく見つけられる天才とかね
あの人 本当はすごかったとかね
そういう人も 居るわけじゃないですか
そんな 中で 古今東西
生きてる時から 死んでそれからもずーっと
長らく
500年くらいですね
変わらず 全人類 から
間違いない天才! と言われてるのがこのレオナルド・ダ・ヴィンチなんですよ
誰もが認める
絶対的 天才!
なんでそうなの?
そこをね 紐解いて行きたいなと思います
予想以上にすごい人です
ただ絵がうまい人 ではない!
時代はいつごろか?
15世紀のイタリア ルネッサンス 時代と
まっ なんかよく聞いたことありますよね ルネサンス 時代
世界史の授業でも 何度もやりました ね
結構 ある時期の教科書でいうと あの文芸復興ってね
訳されたりしてるんですけれども
文芸復興という言い方は 今はしないらしいです
なんでかと言うと けっこう意訳で
この時期のルネッサンスって文芸復興っだったよね っていうことで
日本の歴史の教科書では 結構 そういう風に 書かれてたんだけど
それ以外の
文芸以外も 色々復興していたから いまはね こう言われてる
『再生』とか『復活』っていう意味で 言われてるんですって
じゃあ 何から再生して 何を復活したのか
ここですよね
ルネッサンスですよね
それは何でかって言うと キリスト教文化一色 に一度なるわけですよ
ヨーロッパ って
ローマ帝国で 国境化されて キリスト教 一色になる その 広がりは すごかった
イギリスの歴史でも
もう ローマから キリスト教が広がったら もうあっという間に
民族の垣根を越えてる もう全部キリスト教になってしまうんですね
そういう時代があって
ギリシャ神話の時も話しましたよね
ギリシャ神話は かつては ものすごい親しま れていたんだ けど
キリスト教が バァーッと 拡まって以降 一気にね
異教として
異端の教えとして その物語は忘れられてた
復活したのがいつ頃か というと 実は ルネッサンスだったという話しをしましたね
ギリシャ神話って面白い話しあったんだ
つまりキリスト教の文化以外にも 色んな文化があるよねってこと
何でそういう風に 目が行くようになったかって言うと
ひとつには
大航海時代!
始まってるってことなんですよ
大航海時代が始まったり
科学が進歩した!
科学が進歩することによって 世界の成り立ちっていうのが
神話の中の世界だけじゃないってことを 人間が知り始めたわけじゃないですか
つまり キリスト教で行われている その カルチャー
キリスト教で言われている ストーリーは
あくまでも物語なのかもしれない
地球は丸いかもしれないし
太陽の周りを動いているのかもしれない
そういう風に考えると キリスト教も一個のカルチャー
他のカルチャーも
また
スポットライトを浴びだすという そういうお話なわけですよ
キリスト教一教から化学が
ぶぁーっと 芽吹いて来て
色んな文化に目が向いてきた そんな時代
人間らしい生き方って
キリスト教のお話しだけじゃないですよね
そうなってきた中で
その ルネッサンスの象徴といえるのが
万能の天才 というですね
私先ほど叫びましたけども
異名を持つ
レオナルド・ダ・ヴィンチなんですね
ダ・ヴィンチはなんで 万能の天才と言われているかって言うと
絵が上手いだけじゃなかったんですよ 有名ですけども
解剖学 航空力学 天文学 建築学 軍事
軍事までやってるんですよ!
プロとしてやってたりするんですよ
全部に精通していた
なんとですね そのことが分かったのは
実はですね
ものすごい活躍はしてたんですけど
その当時も 死後も
あっ! やっぱり本当にすごかったんだ と思ったのが
こういうですね メモを大量に残してるんですよ
メモ魔なんですよ
レオナルド・ダ・ヴィンチって
メモをめっちゃ取るんですけど そのメモの中にですね 実は後世
まだ 後世になってようやく新発見って言われるような発見がメモの中に入ってるんですよ
新発見を色んなジャンルでしてたんですよ
でも 発表していなかったの
すごいよね
万能でなければ 芸術じゃない!
この全てはですね
芸術を表現するために 学んだとも言われているんですね
つまり その 解剖学で人間の筋肉は こうなんて
骨はこう動くから こんな形の
絵の構図はあり得ないとか
そういうことをしっかりやれた
日本で言うと あの 手塚治虫先生とかね
医者でありながら 漫画家になったことで
かなりね こう
新しい表現をすることになりますけど
それも遥か前にですね それのもう親玉みたいな状態ですよね
いろんな知識があると
この万能の天才 ルネッサンスの象徴ですけれども
それ以外に言われているのが 三大巨匠と言われてる
ミケランジェロ とかラファエロ
これも聴いたことありますよね
ミケランジェロとかラファエロって 天才もいるんですが
そのミケランジェロよりも20こぐらい上
だから結構 年上なんですよ
この三大巨匠の中では 一番先輩
にして一番有名!
これがレオナルド・ダ・ヴィンチなんですね
じゃあ それぐらいね 天才 天才!
ルネッサンス時代かぁ
さぞ貴族のご子息だったんでしょうね と
すごい教育を受けたんでしょうねと
そうじゃないんですよ! このダ・ヴィンチがすごいのは この全てを
独学で学んだということです
なんとこのダ・ヴィンチはですね
まともな教育を受けてないんですって
すごいでしょ? これは何故か
実はね
1450年 生まれに関わるんですよ
ヴィン チ村っていうね フィレンツェの郊外 イタリア フィレンツェという大きい都市がありまして
その郊外にフレン あっ ダ・ヴィンチ村
あっ ヴィンチ村ってのがあるんですね
あれ? ヴィンチ? ヴィンチ そうなんですよ!
これ実はですね レオナルド・ダ・ヴィンチの ダ・ヴィンチってね
名字じゃないんです!
ヴィンチ生まれのってことなんです
だから 僕らが ダ・ヴィンチ ダ・ヴィンチ って言うでしょ?
あれは村の名前なんですよ
ダヴィンチ村生まれの ダ・ヴィンチ村生まれの アイツ?ってなっちゃってんだけど
だから いまその正式なね 学問の世界では
レオナルドって呼ぼう っていう風になっているらしい
レオナルド レオナルドって 呼んだ方が通ですよ
みなさん この動画を観た後にですね
ダ・ヴィンチの話しをしようよってなった時に
あっ ちょっと待って待って! それは村の名前だから レオナルドで行かない?
ってこういうね ことを言うと
非常に嫌われます
良い感じになると思いますね
空気が良い感じになると思います でもマウントは取れますからね はい!
レオナルドがっていうことなんですね
だから この授業もこれから
レオナルドで私 なるべく行きたいと思いますね
癖でダ・ヴィンチって なっちゃんですけどね
雑誌で『ダ・ヴィンチ』とかってのも ありますからね
それぐらい ダ・ヴィンチ! って言ったらね
やっぱり彼のイメージですよ
レオナルドって言われるとね んん?て なり ますもんね
でも レオナルドなんですね
このヴィンチ村で生まれたんですが 実はですね
まあ そのお父さん の浮気相手との 子供だったわけですね
なので まともに育ててもらえてなかったんです
私生児 非嫡出子(ヒチャクシュツシ) としてですね
両親の愛を知らず 両親に育てられず 祖父母にひっそりと育てられた子供だった
だから まともにですね 学校とかも 行かせて貰えていなかったんですって
非常に不遇なんですよ そんな中
14歳 若いですよ 14歳にしてですね
絵が上手いんじゃないか? ということで フィレンツェのヴェロッキオというその当時一流の
画家であり彫刻家でもあった ヴェロッキオさんのところの工房に行くんですね
ここから伝説の始まりなんですよ
ヴェロッキオ工房へ行きまして 上手いわけですよ
「上手いなぁ」ってね
ある時ね そのヴェロッキオ 師匠
師匠と共作で絵を描くってね ことがあるんですね
これは『キリストの洗礼』って言うね
でっまあ 絵がありまして それをね 左下の方
「これをお前が担当しろよ」 「ねっ レオナルド」と
「はい! わかりました 師匠」 ということでですね
で一緒に描くぞ!て パァーッと描いて 「俺はこっち描く お前そっち描けっ」て言ってね
まあ よくあるじゃないですか 漫画家さんでもアシスタントが背景を描くとかね
えぇ まっ主要な人物 その時はキリストは 師匠が描きますけれども
サイドのね サイドのキャストは 描きますよ こっちがっていうね
そういうまあ 漫画家さんいるわけですよね
そういう感じでアシスタントが描くわけです
そしたらですね アシスタントが上手いんですよ
あれ?
ちょっと待て! ちょっと待てよ
ヤッテラレッカァァァ!!! っつってですね
あの ヴェロッキオがそれ以降
私は絵を描かないって
筆を折ったという伝説を生んでるんですよ
すごいですよね この若さにして
あぁ コイツは本物になるかもしれない そういうことで
二十歳で親方 マスター資格を貰いましてですね
もう 独立しなさい! ということなんです ね
そっからヴェロッキオの工房でも 働いてはいたんですが
なかなかね ええ そこだけでは ちょっと
まあ とどまらない人材ということで
そこで 目を付けられるんですね
ロレンツォ・デ・ メディチ の プラトンアカデミー というのが あるんですよね
あれ? ってね
プラトンってギリシャですよね
そうなんですよ!哲学の授業でやりました
ソクラテスという もうホントに
もう 無知の知を説いてね
ギリシャでもう ものすごいこう
まあ 元祖と呼ばれるような哲学者 そのソクラテスはすごかったんだぞ!ということで
プラトンというね 若い弟子が学校を開いて
それが『アカデメイア』 というとこ ろなんですね
その プラトンの『アカデメイヤ』というものがあって
その ソクラテスの教えを教えて そこから あのアリストテレスが
生徒として入って来て そのアリストテレスが後に
あの アレクサンドロス大王の 家庭教師になるというね
ものすごい壮大なお話しがあるんですけども
それはギリシャ文化なわけですよ そのギリシャ文化を模した名前の学校ができる
えっ? どういうこと? 学校というか
因みにね私塾みたいなもんですよね
まあ 松下村塾とかね
今だったらオンラインサロン みたいなもんかもしれないですね
プラトンアカデミーというのが できてたらしいんですよ
これを作ったのが ロレンツォ・デ・ メディチ
これは ただ者じゃないですよ
メディチ家というのは その当時で 言うならフィレンツェを もう
とてつもなく支配していた 大貴族なんですよ
後に国の王にもなるくらいのですね メディチ家という
そのメディチのですね もっとも良い時期
最盛期の君主 党首がロレンツォ・デ・ メディチ
その名を異名は『豪華王』ですよ
ゴージャスキング ロレンツォ・デ・ メディチがですね
いやぁ 素晴らしいじゃないか!と
プラトンってのはすごいな と
そのお爺さんもね すごい人で ロレンツォ・デ・ メディチのお爺さんが
まつ かなり学に明るい人で ギリシャのことをやろうと
プラトンアカデミーやろう みたいな
そこからですね 孫の ロレンツォ・デ・ メディチがものすごい優秀でですね
後に豪華王と呼ばれるんですけど
これ素晴らしいじゃないか!ということで ロレンツォ・デ・ メディチが力を入れてたんですね
プラトンアカデミーにね
そこに優秀な人たちをいっぱい集めてたんですよ
頭の良い人たちとか
才能のある人たちとか
いっぱい集まってくるわけですね
その中 例えば ミケランジェロも そこに来ていたんですよ
後にですね もう三大巨匠となる そのミケランジェロがですね
彫刻したものを見て 「なんだ君は!彼はすごい」と
「うちに呼べ」と プラトンアカデミーに呼んだりとか
ここでやってることっていうのは ギリシャ文化のね そのソクラテスとかの哲学
もう もう一度光を当 てて考えてみよう と
プラトンの化学とかを考えてみよう ということをやって行くという
正にルネッサンスの中心地ですよね
それをやり始めてたわけですね
あの『ヴィーナス誕生』ってね
ボッティチェリという画家が描いた 『 ヴィーナス 誕生』てのは正に この
プラトンアカデミーで醸成された文化の中で 生み出された絵画だったんですよ
ヴィーナスっていうのは ギリシャ神話の中の女神ですから ね
つまり それ以前のキリスト教の
キリスト教のための絵画っていうものからは 外れてるんですよ
あり得ないモチーフなんですよ
ヴィーナスを描くっていうのは
正にルネッサンス! そういうことだったんですね
キリスト教の絵を描くっていう風に なってったのは なぜかって言うと
大航海時代と言えば
カトリックを布教師に行こう という時代でもありましたよね
カトリックを布教師に行く その手前からですね
カトリックは布教のために 文字が読めない人にも
そのキリスト教のストーリーを伝えようとしていた
そんな中
文字が読めないのに どうやって伝える?
聖書を読めばストーリーは わかるけれども
文字が読めないんだったら 伝わらないじゃないか ということで
絵をモチーフにしだしたんですね 絵を用いだした
本当はダメなんですよ
なんでかって言うと
キリスト教とユダヤ教と 元を元に同じにする一神教で
あのね! 石板で偶像崇拝禁止!ってね 掲げられてるわけですよ
だから いの一番にですね そういう神聖なものを絵とかに描いたり
銅像にしたりして拝んではいけないと
これ 元々は あの多神教時代のね エジプトとかあちらの方の 中東とかの方で
多神教が流行ってましたから それを違うよって言ってね
銅像をたくさん並べて
エジプトとかすごいでしょ? 銅像とか色々あるでしょ
なんかそんなクフ王とか なんとかなんとか神みたいなね トト神みたいなね
あーいうの止めよう!
神っていうのは見えるもんじゃないよ
どこか
一つだけあるものだ
ありがたいもんだ
んん 見たり描いたり拝んだり それ良くないよ それは
違うものになっちゃうから っていうことをやってたのに
だけど
布教のためには ということで
緩やかに
それで まあ 絵を描き始めたことで
本当にそれで良いの? キリスト教からブレてない?ってなった後にね
宗教改革とか生んで行くんですけれども
絵をキリスト教で布教していた そんな中で
ボッティチェッリ ヴィーナス誕生とかを描き始めた
だからすごい斬新なんですよね
かなりこう攻めてるっていうか 尖ってるわけですよ
えっ! そんな絵あり?とか
だからまあ 映画とか 漫画とかでも
いまの文化で言ったら過激だよねっていうのって その時代 その時代あるじゃないですか
そういうのを創ってる集団なわけですよね
俺たちは イケてるんだぜ! っていうことですよね
そこに入ったんですが
なかなかね そこでは稼げないんですよ
なんでか 実は
レオナルド・ダ・ヴィンチは 独学によって成し遂げられた
万能の天才という個性の他に もうひとつ
すごい個性がありまして それが 完璧主義者なんですよ!
むちゃくちゃ完璧主義!
だからメモを ぐぁぁぁぁぁぁ!! 書いてですね 勉強して
で自分の中で こんな骨格あり得ないとか こんなのはあり得ない
正しいことを知りたいんだ!
科学のマインドのある人ですから かなり近代的な人なので
化学に基づかないこととか 怪しいことを絵に描くのはイヤだ......し
自分の技術とか それをしっかり表現するまでは中途半端な状況で出したくない
っていう かなり我が儘でもあるわけですよ
この当時ね 絵描きってなんでこんなに お金持ちに取り入れられたかっていうと
お金持ってるわけじゃないですかっ
教会や貴族が その権威を
やっぱり こうピーアールしたいがために すごい美しい絵を描かせる
要するに その オーダーを受けるってことですよね
スポンサーから
なのにも関わらず
私は中途半端なものは出したくない! これは面倒くさいタレントなんですよ
ちょっ 監督!みたいなね
この状態のシーンだと この繋がり悪いっすよ みたいな
あの この役者 こんなこと言わないんで ちょっと 台詞変えて貰っていいっすか
みたいな そういう感じ?
ちょっとダメだ! ちょっとクランプアップできない みたいなね
ちょっと 雨が降らないとこのシーン ちょっと 全然納得いかないから
ちょっと 待ってください! みたいな感じなんですよ
だから 待ってくださいなんですよね 全然描くの遅いんですよ
自分が納得するまで 本当に上手いんだけども
全然描いてこないなと
もうオーダーしてから1年 2年 描いてこないぞ アイツってなってですね
なかなかね この
プラトンアカデミーの時はですね そんなにね こうフィーチャーされなかったらしいんですね
才能はあるのにアイツ 金持ちの いい様に絵をパパッと仕上げれねえよなぁ
そういう風になってたらしいですね そんな中
転機が訪れるんですね そのロレンツォ・デ・ メディチの紹介で
素晴らしい最良の画家であることは 間違い ありません ということで
推薦状を貰ってですね ミラノに行く フィレンツェからね
まあ 心機 一転
もうちょっと稼げるようになりたいな と思いながらですね ミラノに行く
イル モーロというあだ名のですね ミラノの まあ いまトップですね
王様のところに行くんですね
えぇ ミラノ公がパトロンについてから
一気に花開きます
そのミラノ公にですね 見出されるわけですよ 技術もかなり上がって来てるんですね
短い人生の中ですけども もう最初から上手いんですけども
更に上手くなっていくんですよ
ぐあぁぁぁぁぁぁ!!となって
この良い時期にミラノに行くんですよ ここから ここまではですね
正直ほとんど食えてなかったらしいです
だからその イケてるアカデミーのね サークルにはね
サロンにはね 出入りしてるんですけども
なん かこうね ちょっとフィーチャーされなかった ね
ところが 場所を移して 機は熟した!
それで バーン!! と大 ヒットし て
ものすごい高額稼ぐ 超有名人にここから成っていきます
はい そこからですね ただね この時期ってのはその
ヨーロッパが争いに争っている時期です あのイギリスのね あの
イギリス紙でも ちょっとやりましたけども
フランスだ イタリアだ イギリスだ で もう色々揉めてましたよね あーいう時期ですから
そのね ミラノ公もフランスに攻められて
パトロンがですね 失脚したことで色々転々とし
その後ですね フィレンツェに戻って チェーザレ・ボルジア
これもですね すごい奴です
チェーザレ・ボルジアね 漫画にもなってます 『チェーザレ』という漫画になっていますよね
ものすごい大貴族についてですね 今度は軍事技師になるってね
絵を描いてない みたいなね
絵をあんまり描かないんですよ
実は 絵を描く以上に この晩年はですね
もうその 国家顧問とか 相談役とか
軍事顧問とか 建築とか お芝居の監督とか いろいろやります
色んなことをやります
絵はあんまり描いてないです その上で
また 転々としてですね チェーザレの元を離れて
晩年はフランスの王様に気に入られて お屋敷を与えられて
そこでですね
惜しまれながらフランスにて死去すると いうことらしいんですね
さっ いま言いました 絵をあんまり描いていないですね
これどれくらい描いてないか なんと!
たった13点しか描いてないんです
語弊があります
13点しか残ってないんです
実はですね
完璧主義者すぎてですね 結構捨ててるって話しらしいんですよ
こんなのは ダメだっつって 結構捨てちゃう人
商売っ気がないでしょ?
ピカソと全然違うんです 逆ピカソ
ピカソってのはすごいですよ!
今までの芸術家の中で もっとも絵を描いてる画家ですからね
もう描く時期に流行作家のように 描いて描いて描きまくって
ものすごい数を
ものすごい資産をね アートとね ビジネスを
もう直結させて 何もかもをお金に変えていった大天才がピカソですが
真逆です
こんなのダメだ こんなのダメだ って ボロボロにしたり 未完の状態のものがあったり
本当に遅筆
だから 遅いから全然残ってない
正確には
これも ダ・ヴィンチじゃないか って論争があるものとか
ふわふわしてるものが 数点あります
5 6点あります なので15点だって言う人がいれば
17点だという人もいます
ですが 今回 資料にさせていただきました この『Pen BOOKS』
はい ダ・ヴィンチ この『Pen BOOKS』僕好きなんですよね
非常にビジュアルが多くて見やすいです 美しい お洒落!
これも読みやすい この『Pen BOOKS』ね
よると
13点!
今回 その13点
しかないわけですから これね
ダ・ヴィンチの部屋を 全部知ることができるんですよ みなさん
私ダ・ヴィンチの絵なら全部知ってるよ
あっ ごめんなさい レオナルドでしたね
戻ってしまうというね ダヴィンチ村なんですよぉ
っていうね 視聴者のコメントが大変なんですけど
13点しかないわけですから全部知ってるよ
その成り立ちとか歴史知ってるよ
レオナルドについてだったら もうお任せくださいと
いう風に言えるように 今日なります!
有名な絵 モナリザしか知らないんだぁ
あっ 『最後の晩餐』は知ってるんだぁ いやいや 私 全部知ってるよ こうなるわけですよ
今日の動画お任せください!
これ見て下さい たった13点なんですが
その成長の歴史と苦闘の歴史
もう観ることができるんですよ もう面白いですよ
是非みていただきたい!
さあ まずはですね1点目『受胎告知』
これがですね あのキリスト教で私が何度も 何度も言った
ガブリエルが出てくるシーンなんですよ
もうね あの ユダヤ教 キリスト教
イスラム教を 一本通して
全編に出てくるのが このガブリエルなんですよね
これね あの動画を観ていただきたいなぁ と思うんですけども
マリアがいるわけですね マリアのもとにですね
処女なんですよ
まだね その男性とそういうことをね したことはないんですけれども
天使がいきなり現れてですね こういうポーズですね
「あなた 妊娠しますよ」というね
いうわけで「えぇぇっ!!」ってね
「わ 私何もしてませんけども」 って言ったら
「いやいやいや 生まれます」ってね
「な なんですかっ!」
「神の子だからです」
「あぁ そうなんですか!」って これが『受胎告知』というシーンでね
それはドラマックなシーンなんですけれども
ここをですね描いた絵が実質的な デビュー作と
言われてるわけですね
まあ つまりですね 絵画作品っていう風に限ったのは
メモは大量にあるんですよ
だから ダ・ヴィンチの落書きみたいなものって たくさん みなさん見てると思います
それこそ あの 航空力学の下のなった
ヘリコプターの下になるものを考えてたよ みたいなメモとか
自画像のようなメモとか
あの医学会でね
よく あの このあの丸いところに裸の人が なんかこんなんなってるやつね
あの人体解剖図みたいなね
えぇ そういうやつ あれ全部メモなんですよ
油絵で描かれた 絵画作品
ね そう言われるものが 13点
なんせ『受胎告知』は 新しかったところがたくさんあるんですって
美しいだけじゃないんですよ
まず 油絵の具で描くこと自体が 新しかったんですって
その当時 オランダで開発された
油絵具という新しい その素材を
いち早く導入して その中で作られたっていうことも
えぇ 美術市場新しい絵らしいんですね
あっそうなんだと
なんか油絵がいつから作られたとかって 考えなかったですよね?
うん 作られたらしいんですね
非常に細かいです 完璧主義者ですから
マリアがいるんですよ 「えぇ?」なんて言ってね
「そうなの?」なんて言ってるマリアがですね んん 立ってるタイル
タイルに注目するとですね
タイルを タイルって焼きものですから 焼く時にですね まあ
ピシッとやってるんですけど 細かくですね 空気穴が
ツツツツツッと空いてるらしんですよ
そういうタイル そういうタイプのタイル
そこまで 全部細かく描いてる
細かーいんですよ 美しーん ですよ すーごく綺麗 上ー手い!
更にですね
すごく新しかったのが ルネッサンスらしいんですよ
ガーブリエルという 天使を描いていますよね
要するにキリスト教の絵なわけですよ
だからまあ 昔ながらの
まあ 親しま れてる モチーフでは あるんですが
新しかったところが1点ありまして
その当時ね 天使の絵を描く時って
天使さまはすごすぎるものだからっていうことで
翼を虹色に描いてたんですって
レインボーですよ 赤 黄 青みたいなね 緑とか
ふぁーって もうギラギラなんですよ
だけど 嫌いなんですよ
そういう非科学的なことはね
天使自体がまあ ちょっと非科学的なんじゃないか というツッコミは あれですけど
部分的にですね 科学的なマインドを 取り入れようとしてきたんですよ
つまり ここからもキリスト教モチーフ たくさん出てきます ほぼそうです
ですがそこに 何とか科学のマインドとか
リアリティを持ち込もうとした人でもあるんですよ
そこを高く解くと面白いですね
どうしたかっていうと 飛ぶんだよね
ガブリエルって飛ぶんでしょ? 天使だから
虹色の羽を僕は見たことがないんだと
でも鳥の羽なら見たことある
鳥は飛べるよね
あの羽で良いだろう っていうことで 虹色じゃない鳥の羽を描いたのが
新しい発明だったんですって
いま虹色の羽のイメージ ないでしょ?
鳥の羽でしょ? ああいうシンプルな
あれにしたのが ダ・ヴィンチなんですよ!
いぃぃや!レオナルドなんですよ
もう怖いですね 習慣っていうのは怖いですけども
レオナルドがそうしたんだと
だから斬新だったらしいですね
しかもですね 空気遠近法っということで
これ ちょっともう難しいんです 遠近法ってね 遠くのものが小さくなって
近くのものはね 大きく見えるという だけではなくてですね
空気遠近法ということで 遠くにある モノって
遠くの景色って こうぼんやりしたり モヤがかかったりっていうね
ようなことがよく あるじゃないですか
こういうのをね 東洋の湿度の高い場所では
水墨画とかでは 自然と描いてたんですって
普通に絵を描いてたら まあ風景遠くの方はボケてるから
まあ ボヤかして描く そういうことで
絵の中でもまあ かなり遠近感 立体感が出ると
いうことが 自然と水墨画とかで なされてたらしいんですけども
ヨーロッパは結構 乾燥してるところが多いので 普通にくっきり見えてたの
くっきり見えるとですね くっきり描いちゃうわけですよ
くっきり描いちゃうと絵の中ではですね
あっ なんだか こう平面な感じするなと なってたらしいんですね
ところが ここをですね 上手く発明してですね
遠くを少しぼやかして描く
ということに力を入れた人でもある
それの何が新しいの? 違うんっすよ 実はですね
実はですね キリスト教の文化一色の時代というのは
その神々しいものを描くことに 集中すれば良いのであって
風景なんていうものに 力を入れて描く必要はないっていう
文化だったんですよ
自然とか風景を しっかり描こうとしたこと自体が
新しいんですって
あぁ 面白いですよね
なんでそんなに風景に力入れてんの
ガブリエルとそのマリアに 力入れれば良いじゃん!! いや違う
私は
見たことのないモノは描けない
見たことのあるモノを真剣に描きたい と
だから鳥の羽を描くし
タイルを描くし
風景をぼやかして描いた と
ここにですね 科学マインドが入っていると いうことなんですね
化学の時代の大芸術家というものの闘いが
もうこの1点目から表れていると 面白いですよ
ガブリエルね すごい良い構図ですからね はい
ところがね この『Pen BOOKS』でも 指摘されてるんですけど
その時のマリアのね 表情が 若干硬いなとか
柔らかさがまだ足りない と言われてるんですよ
なぜかというと その後 爆発的に
女性を描くことが上手くなっていくからなんですよね
ここですよ
最高傑作 モナリザに到達するまでの
その激動の歴史 その最初のマリアは まだ少し硬い感じだったと言われています
狂気的なまでに完璧主義者なんですよ まぁだだなぁぁぁとか言いながら
ぼかして ぼかして10年間柔らかくしてって指で
それが モナリザなんですよ
この『最後の晩餐』辺りからは ものすごい裕福になるんですけども
そのお金の大半を何に使ってたかっていうと
本を買うことに使ってたんですって
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